3人

二人から三人

仁は比較的おとなしい性格で何処にでもいる普通の中学3年生だ。
楽しみを削ってまでの受験勉強をする訳でもなく、
ごく普通の公立高校に次の春から通うつもりでいる。
友人はお世辞にも多いとは言えないが特に仲のいい友人がいる。
その友人は彼が幼稚園からずっと付き合っている浩和と小学校から一緒になった貴之の二人だが傍目にはその個性の違いから決して仲がいいなど想像も付かないのが普通だろうと思うのである。
そんな3人がなぜ・・・
仁と弘和の出逢いは、特別なものではなく幼稚園に入園してからの友達で気が付けばいつも一緒に遊ぶ仲良だ、貴之との出逢いは小学校に入ってからで弘和と同じクラスになったのがきっかけだった。
当時の貴之は権他暮れで入学早々、弘和と喧嘩をしたのが始まりだった。
喧嘩の原因は給食の時に貴之が友人とふざけていたら弘和の食べ残しのパンを落としてしまい、謝りもしなかった事に腹をたてて取っ組み合いの喧嘩が始まった。貴之は幼稚園までは喧嘩に負けた事なしだったがこの時初めて同い年の弘和に負け、
弘和はというと兄弟以外と初めて喧嘩をして勝ち、驚いていた。
そのあと貴之もちゃんと謝ってきたので弘和も「ごめんね」と言うと「今日から友達になってね」と貴之が手を差し出し
弘和は「うん!」返事と同時に貴之の手を握った。
その日の帰りに浩和が仁に貴之を紹介してその日から別々のクラスになろうが、
小学校、中学校を通していつも一緒に遊ぶ大親友になった。
特別でもなくよくある友達同士の出逢いが三人を引き寄せたのだった。
 そんな、三人も中学3年生となり次の進路についての具体的にしていかないといけない時期に来ていた。
 進学希望の高校は、貴之はここいらでは、有名な進学公立高校を希望し浩和と仁は同じ公立普通科の進学コース希望。
仁の成績は、真ん中より少し上くらい、特別目立つわけでもなく影が薄い存在でもなかったし、運動も成績と同じくらい
貴之は、小学校の低学年まではまだまだやんちゃだったが、在るテストですこぶる良い点を取ってから宿題も真面目に
取り組むようになり、勉強が楽しくなり中学になる頃には、学年でトップの成績になっていた。
浩和は少し粗暴な所もあるがバスや電車では老人に席を譲ったりする人として優しいところも持っている。
勉強はまじめで成績も仁と同じくらいだが男として頼りがいもある、ただ事女の子に関しては大変シャイである。
イケメンとは行かないが結構格好いい男ではある。

体育祭は、恋の予感

そんな彼らの中学最後の体育祭あとの出来事から・・・

 中学の最後の体育祭に浩和はクラス全員の推薦で応援団長に選ばれた。その時3人組はちょうど同じクラスで浩和の頼みもあり仁と貴之は副団長としてその年の体育会を盛り上げた。
 走りだしたら熱く最後まで、が浩和だった。
多感な時期であり何もしなくてもテンションが上がる体育祭に、 みんなの前での応援団長をするのだからもてない訳がない。
予行演習が始まろうとするころには、年下の女の子から日ごと手紙が下駄箱に入っていたし、教室では交換日記の申し込みが何度かあった。
多分彼のモテ期の絶好調だったかも・・
仁と貴之はと言うと副団長もまんざらではなかったようである。
なぜなら貴之においては、この時から付き合った彼女が今でも続いているのだ。
 仁は一つ年下の「可愛らしい」と言う形容詞がぴったりの彼女が出来たのも体育祭がきっかけだった。
だが仁は何時もイニシヤティブを彼女に握られ振り回され少々疲れてしまい中間試験が終わる頃には恋愛慣れをして居ない仁は持て余して居る状態だった。
 
 当の浩和はというと誰と付き合うか迷っている間に体育祭も終わり、その熱も涼しい秋風に吹かれてかあっと言う間に冷めて、
中間試験が始まった頃にはもうスーパースターはただの高校生に戻っていたのである。
ただすべてが戻ったという訳でなく浩和は自分がまんざらでもないという自信を持った事ともう一つ、そんな彼をまだじっと見ていた同級生がいたことだ。
 彼女は何事にも控えめで存在感のないクラスメイトだった。
浩和はその子に対して体育祭前と後でも全く気にする素振も、と言うかまったく目に映っていなかったのだ。
その日が来るまでは・・・・・
その秋の中間試験の最終日、浩和は前の日に今までにないくらいの試験勉強をして臨んだのだが、そんな珍しい事をしたからだろうか筆箱を忘れて来てしまい、教室でカバンの中を何度も何度も覗いてはバタバタと回りを見回し、首をかしげていた、
とうとう始業ベルが鳴りすぐにでも先生が来ようかという時に後ろから、
「どうしたの?」
という声に浩和は振り向きもせず
「筆箱わすれたかも」
と答えその声の主を確認する事なくまだバタバタとしていた。
「これでいい?」と差し出された手にはシャーペンと消しゴムそれも今半分にしたと言わんばかりのちぎった跡が生々しい小さな消しゴム
「アリガトウ」
と浩和は言いながらその手がか細く繊細で綺麗だと思い、
そして顔を上げ初めて救いの女神の顔を見上げた。
 救いの女神の名前は「香織」須藤香織だった。
その意外性にちょっと惑いながらももう一度笑顔で
「ありがとう、今日一日貸してね」
と彼女の顔の前で手を合わせお願いの仕草をしながら頼んでいた。
香織は内心、心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしながら初めて話が出来た事のうれしさと、自分に向けてくれた笑顔がそこにあることの驚きでただただ
「うん」
と頷くことが精一杯で慌てて自分の席に引き返してしまった。
香織は座ってから少々後悔していた。
浩和のことを意識しだしてからどうすれば良いのだろうといつも心の隅で思いを募らせていた香織であるが今日は自分でも信じられないくらいの勇気で思いの一つを遂げる事が出来た、
ただもっと喋ればよかったと。今日の試験の事でもなんでも・・・そう思った香織だが実際は、席に着いてすぐ先生がやって来たのでそんな時間もなかったのだった。
 その日、いつもより緊張した試験が終わりその日最後の終業ベルが鳴ると浩和は香織の席に向かった、香織は浩和が近付いて来ることに気が付きさっきまでの試験とは違う緊張感に包まれた。
朝の時の勇気は何処に行ってしまったのだろうと言うくらい
どきまきの香織、
そんなことも気にしないで浩和はその傍らへ立ち
「ありがとう、助かった」
と朝借りたシャーペンと活躍して二回り程小さくなった消しゴムを香織のか細く繊細な手を取って返したのだった。
 いきなりの事に驚く暇も無くただ唖然としたままの香織に
もう一度
「ありがとう」
と朝と同じ笑顔を届けた。
 我に返った香織は、
「返さなくてもいいから・・使ってちょうだい」
と浩和の腕をとってその手に再びシャーペンと消しゴムを押し込むように返して自分は席を立って教室を出たのだった。
今度は後に残った浩和が唖然とそこに佇んでいた。
 教室を出てからの香織は下駄箱でさっきの自分の行動と今までに無い胸の鼓動に驚き大きく深呼吸をひとつ・・少し落ち着いてまた、何も話せなかったことに後悔をし、
今日は、驚いてばかりだと香織は、一人舌を出して肩をくすめる仕草をしていた。
 一方教室では浩和を囲みクラスの仲間がワイワイと今のやり取りについて騒いでいた。
女子は浩和がシャーペンと消しゴムを香織から無理ヤリ借りて香織が怒って帰ってしまったと浩和を非難し男子は浩和が香織にフラレたと面白がって囃し立てている。
浩和はそのどちらでも無いと必死に弁解するのだがだれも聞き入れてくれるでも無くそのままみんな帰って行った。
親友の二人と言えばその様子を教室の後ろで見ながらクスクスと笑っているのだった。
当然成り行きも知っているので浩和がどう対応するか高みの見物を決め込んでいたのだ。勝手に「これは、試練だ」と言い出し二人の間で「一切不可侵条約」などという条約を結び楽しもうと決めていた。
 下校は3人で帰るのだが浩和は、二人と別れるまで一生懸命弁解を繰り返していた。
事の真意を分かっている二人にとってそれはただ滑稽でしかなかったがもし自分だったらと思うとやはり同じだろうと確信していた。しかし今はそんな浩和がおかしかった。
 家に帰った香織と浩和は、試験の出来よりもお互いの事を考えていた。
 浩和は、素直に香織の親切がうれしく驚いたことに香織の手がとても美しく見えた事を思い出し胸が高鳴るのを覚えた。
シャーペンと消しゴムを返した時に直接手をとったのもその手に触れて見たかったからだ。
柔らかく暖かい手・・その感覚がまだ指先に残っている。
そしてそのシャーペンと消しゴムは今目の前にある。
 一方、香織は今日の行動が自分でも信じられなかった。
ただ少し浩和に近づけたようでうれしかった。
何より自分だけに向けてくれた笑顔が見れたことがうれしかった。いつもあの笑顔が私の目の前にあったら・・
などと思ってみては、胸がキュンとなってその度に涙しそうになる。悲しいだけではない嬉しいだけでもない心の弦を弾かれたように心が鳴くのだ。
 試験の緊張感も解け、何より今日一日の頑張りがあまりの負担だったのか夕食を取るとシャワーもそこそこに濡れ髪のままベッドに沈み込むように寝てしまった。
 浩和は今まで意識しなかった香織の事をここ半日足らずでこんなにも意識する物なのかと感心していた。
そして今までどうして気にしないで居られたのだろうなどと、
どうでもいいようなことを考えてはウトウトとしながら、どうでもいいようなTVの中のバラエティー番組を眺めて居た。
 

男子VS女子

普通に始まったと思った次の日の朝、
登校した教室ではまさにリングアナウンサーが雄叫びの中で選手紹介を待ち侘び、皆オッズに注目し、その時を皆がまだかまだかと待ち望んでいた。
教室は、ゴングを待ちわびた同級生と言うギャラリー達で一杯だった。
 青コーナーから浩和が現れるのと同時に「オォー」という声が上がりその時少し遅れて赤コーナーから香織が教室に・・・
うなるような声が教室に響きただならぬ盛り上がりに本人たちよりも貴之と仁が慌てていた、
「不可侵条約」などと言ってしばらく高みの見物をしようとしていたのだがあまりにも話が大きくなり、クラス全体を巻き込んでしまったのだから大変だ。
どうにもこのままでは、浩和の分が悪すぎる。
ただ男子のほとんどは浩和寄りではあるが、男子の数はほんの少し過半数に満たず、言論戦では女子を圧倒することなど知的な貴之でさえ無理である。
 朝からの流れはこうである・・・・・
昨日の二人のやり取りを見て居たと言う女子が
「浩和がおとなしい香織にシャーペンと消しゴムを借りてぶっきらぼうに返して香織泣いちゃったんだからぁ、あんな奴だったなんて思わなかった。よかった交換日記しなくって」
など事実と食い違う証言の中にはちょっとした感情の残り火が見えるような内容だ、
がしかし噂とは大抵こう言う物の様な気がする。
それはさておきこれが何人かを経由すると
「香織から無理やりシャーペンと消しゴムを借りて返す時に交換日記なんてもうしないからってふったんだって」
と言う風にしっかりトッピングされてしまったのだ。
 これが今集まった女子が共有している情報である。
一方、男子はと言うと「あいつ空気女(香織の徒名)に振られたらしいぞ」と終始この情報だけ誰恨むでも無くただはしゃいで居ると言う程度だった。
 いずれにせよ女子の最大の敵は浩和であり分が悪い事に変わりはない。
 もう今まさにゴングが鳴ろうとしている。
このままでは、あまりにも分が悪いと思い貴之が動いた。
貴之は普段全く話をすることの無い克巳の耳元で何かをつぶやいた。
克巳はいわゆるこのクラスの番長なのだが悪さはしない、
成績は貴之と変らないくらい良い方だ、ただ短気で桁外れに喧嘩が強い、みんなはそれを知っているから下手に逆らわないし、
克巳も無茶な事も言わない、だからみんな一目を置いているのだ。そんな彼に貴之が何かを伝えその後、克巳がとんでもない事を言い出した。
「浩和、クラスの女達にちゃんと説明しろ!お前が何にも悪くないって言うことを!俺はお前を信じてるんだからよ、」
この克巳の一言できな臭い教室の雰囲気が変った。
囃し立てていた男子はみんな浩和を応援する側に回っている。
「何よなんにも知らないくせに男同士で味方になって!」
女子のまとめ役で今回も香織の一番の味方になろうといている菜穂子が言った。
克巳は静かな声で
「お前、香織にちゃんと事情を聞いたのか?香織もちゃんと話したのか?」
香織を見るとただ首を小さく横に振っている。
いつもならそのまま黙り込んでしまう香織が話し始めた。
とても小さな声で話始めた・・・
「だっていつも話しかけてもくれなかったみんなが急にいろいろ心配してくれて、声かけてくれて、うれしくって、そんでどうしたらいいか分からないままこんな風になって・・・・
ごめんなさい・・・
こんなの初めてだから・・・
ごめんなさい」
そう言いながら香織は目に大きな涙を浮かべ泣くのを精一杯我慢していた。
一息ついて
「加藤君は何も悪くないの昨日はびっくりしただけだから・・・
加藤君と話したのも初めてだったから・・・」
と香織は言うと急に恥ずかしくなりもう何がなんだか分からなくなってしまった。
「浩和もちゃんと説明しろ!菜穂子は口挟むなよ!」
と克巳が言うと浩和はホッとしたのとちょっと恥ずかしいので照れながら昨日の出来事を話し始めた。
ただ香織の手が綺麗だと思ったことは言わないでいた。
一通り話が終わって
「須藤、これで間違いないか?」と克巳の言葉に大きく首を縦に振って香織が答えた。
 菜穂子は自分が早とちりをしてみんなに迷惑を掛けたことを今ひどく後悔をしているのと同時にとっても恥ずかしかった。
それを察してか貴之が
「よかったじゃん菜穂子の失敗で須藤さんがみんなと喋るようになって」
香織はにっこりと大きく頷いた。
「やっぱ原因は浩和だよな、筆箱忘れっから」
貴之につづいて克巳が
「お前バツとしてナイトになって今日の帰り須藤を家まで送ってやれ!」
その提案にみんなが拍手して囃し立てたが、すぐに1時限目のチャイムが鳴り授業が始まった。
その日浩和と香織はみんなに囃し立てられながら校門を一緒にあとにした。
 お互い何を喋っていいか分からないまま香織の家の前に着いて「じゃーまた明日」
と小学生のようなさよならをしただけだった。
 この日珍しく貴之は克巳と菜穂子の三人で下校した。3人は同じ子の三人は、団地の幼なじみだった、浩和や仁と出会うずっと以前同じ団地のなかの公園でほとんど時を同じくして公園デビューを果たしたのだ。
そしてこの中で一番権田暮れだったのが以外にも貴之だった。
克巳はよく貴之と一緒に遊んでは転んだり落ちたりして擦りむいては泣いて家に帰り、何度も貴之は母親と一緒に克巳の家に謝りに通ったのだった。
事情が分かっている親同士なので最後はそこいらの井戸端会議と変わらない話で終わるのだがその間当の二人はバツが悪く小さくなっていた。
朝がくると昨日のことはケロリと忘れまた繰り返し・・・菜穂子はそんな二人にいつも引っ付いて転んでも泣かない我慢強い女の子だった。
そんな幼少期を克巳と貴之と菜穂子は過ごしたのだ、
そんな三人は今でもお互いを信頼していたのだった。
今回も菜穂子の早とちりはあった物の誰も悪い気がしない結末で終わり、それ以上にあの二人の恋のキューピットに成かねないでさえいた。
三人で久しぶりに歩きながら小さなころの小さな事件や今回の事など話は尽きなかったが気が付けばもう古びた団地の前まで来ていた。
三人はそれぞれの棟に向かって歩き振り向いて手を振った。

 

素直に

仁はというと帰りに校門で2年生の真弓に捕まり、成り行きでハンバーガーショップのストロベリーサンデーを食べることになった。今日は珍しく仁が席に着くなり昨日からの出来事を語っては、
「貴之ってすげーだろ」
と何度も何度も繰り返していた。
真弓は自分が話すきっかけも見つからず、ただ
「うんうん」
と頷いては、スプーンを口にほうり込んでいた。
自分が喋れないってこんなに退屈なのかと、ちょっといつもの自分を反省していた。
仁はその間も熱っぽく喋っていたが、真弓のつまんなさそうな顔が急におかしくなって笑い出してしまった。
真弓は何のことだか???急に笑い出した仁があまりにも楽しそうだったのでついに真弓まで大きな声で笑い出した。
笑いながら「マー何がそんなにおかしいの??」
真弓も笑いながら「ジンが楽しそうに笑っているからよ、ジンは何がそんなにおかしいの?」
「マーがすっごく退屈そうな顔しているからマーも退屈するんだって思ったらおかしくなって」
と仁が言うとまた一頻り声が大きくなり周りの人も思わず笑顔になってくるような楽しそうな笑い声が響いた。
 二人はいつになく会話が弾みいままで知らなかったいろんな話をどちらともなくお互い話して、
仁は初めてもっと一緒にいたいと心から思い、真弓のことが愛らしく思えた。
その日初めて・・・
 駅前から商店街を抜けて国道に突き当たると右が貴之の住んでいる団地、左が仁の家の方角になる真弓の家は国道を渡って奥の閑静な住宅街にある。
 いつもならここで別れるのだが今日は真弓と一緒に、信号を待つことにした。
いつもと違う仁の行動に真弓は戸惑いながらもうれしかった。
 付き合い始めたころは何度か家まで送ってくれたがここ最近はこの国道で別れ、信号待ちはいつも独りで仁の後ろ姿を見ていたのだ。
今日は一緒に向こう側まで行けるだろうか?不安だった。
行動は我がままでも真弓はさびしがり屋で国道を渡ってから家につくまで仁の後ろ姿を思い浮かべては泣きそうになった事が何度もあた。
でも今日は泣かないで帰れそうだった。
それに仁がずっと優しい顔でそばに居てくれる事がうれしかった。
信号が変わった、恐る恐る仁の方を見ると・・・
「信号、変わったよ」
と言って真弓より先に一歩前に踏み出し振り向きながら
「?」(どうしたの?)
と言う表情をしながらも次に笑顔で私の手を握って引っぱってた。真弓はそれをまるでスローモーションを見て居るように一つ一つを心に刻んでいた。
真弓はいつもと違う仁の態度に今日が特別の日のように思えてならなかった。
これからずっとだったらどんなに楽しいだろうと、
そう思うと一人じゃないのに目が熱くなって涙が今にもこぼれそうになった。
涙をこぼすまいと空を見上げると
「横断歩道はちゃんと前見なきゃ危ないよ」
と仁が一歩先に渡り終わり真弓を引き寄せた、
突然のことに真弓は躓きそうに・・・
仁は真弓の肩を抱き倒れそうな身体を受け止めた。
真弓の髪の香りが鼻をくすぐった。
肩に回した腕に力をこめた、信号が点滅している、
真弓も仁の背中に腕を回した。
シルエットが一つになった時信号が変わり、
静寂が破られ車が真弓の後ろを何台も何台も東に向かって走って行った。
どれくらい抱き締めていたのだろうか、長かったのか瞬きほどの時間だったのか、大きなトラックのクラクションで驚いて身を正したのだ。
離れてしばらくお互いうつむいて何を言ったらいいのか分からなかった。
「今日はありがとうジン、今日はここでいいよ、今度は家まで送ってね」
「じゃー今度は家まで」と真弓の顔を見上げると大きな涙が頬伝って流れていた。
仁は慌てて
「ごめん俺急に・・・」
それを遮るように
「ううん謝らないでジンは悪くないから、びっくりしたのとうれしかったのが一緒になって涙出ちゃっただけだから、そう私うれしくって」
「マー今日は、ありがとう、また明日」
「うん明日、BYE‐BYE」
真弓が家に向かいながら何度も振り向いて手を振っている。
長い信号待ちだと仁は思った。
今までで一番さみしい信号待ちをしていると思った、考えて見ればいつも自分は真弓と別れてから振り向きもせず家に向かっていた。きっと真弓はその後ろ姿をじっと見ていたんだろう、振返ることのない俺を、それまでの自分がとても子供のように思えて来た。
男は未練たらしく女を振り向くのは格好悪いとか、いつも我が儘言う真弓を子供扱いして窘めていた自分が何だか真弓より子供に思えて・・・いや子供だった。
彼女の方がしっかり自分を持っていたし素直でいつも明るく笑顔を見せてくれた。
そんなことにも気づかずにいたのだ。自分を責めながら色んな事が少しずつ見えて来た気がした。
今までの真弓を思い浮かべながら全く別人と時を過ごして来たように思えてきた。
自分が子供扱いしていた真弓が本当はとってもレディで大人びていた。
その横に少年のような仁がいた。仁は、国道をわたり右へ二つ目の信号を左にしばらく行けば同じような形の家が並ぶ住宅街。
仁の家は特に特徴もない周りと同じような家だった。
違うところと言えば表札が仁の手作りだという事ぐらいだった。鍵を開けて自分の部屋に上がる。
着替えてリビングへ行きTVのスイッチを入れる。
仁が見て楽しいような番組はまだやっていない。
冷蔵庫から牛乳を出してお気に入りのジョッキに注ぎ半分を一気に飲んで、ソファーにすわりTVを眺めていた。
眺めながら真弓の今日の涙を考えていた。
 真弓の涙は初めてだった。
それにこんな子供の俺が見てもその瞳は悲しげだった。
今まで気付かなかったことが少しずつ見え始めたからなのか、
一人で考えても分からない、ましてそれを真弓にもう一度聞いても同じ答えしか返ってこないだろう。
 そう思うと仁は居たたまれなくなって立ち上がったがどうすることも出来ない、そう思って今度はソファーに寝そべり天井を眺めた。
仁の母が帰ってみると、TVを点けたままでTシャツにスウェットで背中を丸めている仁が寝ていた。
「そんなかっこでいると風邪引いちゃうよ」
と威勢よく母が言った。
「あ、ゴメン寝ちゃった」
「謝ってないで服着ておいで」
いつも明るい母であった。
 仁の家には父がいない、仁が中学に上がる年に事故で亡くなったのだ。
仁は、一人っ子で父親が生きていた頃はお父さんによく遊んでもらっていた。
母は家が好きな所謂専業主婦だった。
お父さんの葬式で仁は、泣かずに乗り切り、小さいながら気丈さを見せたが、本当にところ事実は理解するもののその事がどれだけの事かがまだ判ってなかっただけに過ぎなかったのだ。
彼にとって我慢する物が小さかったのだ。
 ただ母はそんな息子の姿に感謝すると共に
「私が守らないと・・」
そう思いパートをしながら二人のつつましい生活を守ってきたのだ。幸い事故と言う事もあり生活の保障と住まいは確保された事が何よりの救いだった。
裕福ではないにしろ以前と差ほど変わりない生活を送って居る。
夕飯に晩酌の用意が無くなったことを除けばである。
 ある日仁が家に帰るとカレーの匂いがし食卓にはいつでも食べられる用意がしてあった。
母は?と目で探すとリビングで珍しくビールを飲んでいた。
普段飲むことの無い母が幾本かのビールを空にし、仁の姿を見ると「お帰り、今日は少し頂いています。」
と一生懸命に笑顔を作り、さっきまで泣いてたであろう赤忌め目でウィンクまでして・・・
その夜母は、仁の忠告聞かずそのままソファで寝てしまい
仁は「ちきしょう」と母の泣きながらの寝言を聞きながら毛布をそっとかけた。
 翌朝はと言うといつもと変わりない明るい母がそこにいるのだった。
 そんな母がしばらくして仕事からかえって家事も一段落した後に勉強を始めた。
なんでも資格を採るとか言ってかなり頑張っていた。
母は学生のころに採れなかった医療事務の資格を採るために頑張っていたのだった。
 頑張った甲斐があって試験は受かり知り合いの紹介で病院にも仕事が決まった。
それ以降、仁は母の飲んだくれた姿を見たことがなかった。
TVドラマに感動して泣く事意外涙を見る事も無くなった。
そして以前よりまして明るく元気になったようだった。
 仁は夕飯の後珍しく真弓のことを考えていた、と言うより真弓に対しての自分を反省していた。
いつも我儘を言うが感謝の言葉もきちんと言う。
そうキラキラの笑顔でいつも目の前に居た。
泣き言なんか聞いたことが無かった。
気が付かなかった自分は今まで一体何を見て居たんだろう。
優しくしたことも無い自分にいつも屈託の無い笑顔を向けてくれた。大切な人だ・・・とやっと判った。
 次の朝、いつものように慌ただしく朝食をとり、靴を突っかけていつもより早く急いで家を出た。
仁は、昨日の信号で真弓が渡ってくるのを待って居た、
もう遅刻しそうになるというのにやって来ない。
出遅れたのかと思い学校に向かった。
昼休み真弓のクラスの女友達を廊下で見かけて聞いてみると今日は休んで居るそうだ。
昨日あんなに元気だったのに・・・どうして?と思ってはみた物の知るすべも無い。
真弓の家の電話番号も知らなかったのだ。
家は、知っているが突然訪ねても・・同じ中学の生徒とは言え男の俺が同じ学年でも無いのに訪ねて行っても迷惑だろうと思いながら逸る気持ちを押さえていたが、放課後までいつもの授業を受けてはいる物の真弓の事が気になってしょうがない、休み時間に浩和や貴之が話しかけても上の空である。
香織がどこからか真弓が休んでいる事を聞き付けて、
二人に耳打ちし、それから二人はいつにない仁を冷やかしにかかったが、相変わらず上の空で少しも面白くないのでそっとしておくことにした。
やっと授業が終わり、仁はみんなにBYE‐BYEもそこそこに一目散に校門を出て行った。
 仁はそこからどうするかまだ考えてなかった。
商店街を抜け国道をわたり、少し落ち着いた街並みに変わって行く、小さな公園を曲がった次の角が真弓の家だった。
仁の家の2倍は裕にある洋風の家だった。
それに家と同じくらいの広い庭も有り芝が綺麗だった。
 インターホンを鳴らすことも出来ず家の前をうろうろしていると静かに白いセダンが擦り寄ってきた。
「何か御用ですか?」
「3年の岩坪です。」
いきなりの問いかけにテンパって名前を言うのが精一杯で相手が誰かも判ってなかった。
「あら、あなたが仁君ね、車を入れてすぐ玄関を開るから、待っててね」
仁は少し上吊った声で
「ハイ!」と言って、気をつけをしていた。
真弓のお母さん?多分そうだ。
しかし顔を見る余裕はなかった。
「ごめんね待たせちゃって」
と玄関を開たその人は確かに真弓のお母さんだった。
大人になって綺麗になった真弓がそこにいるようだった。
「崎山真知子、真弓の母です。」
改まって挨拶をされまた、テンパリそうになったが
「岩坪仁です。」となんとか言えた。
 真弓は今眠っているそうで、特に大した事もないので明日は学校に来れるそうだった。
折角だからとお母さんはお茶とお菓子を出してくれた。
「真弓が好きな焼き菓子なの」
と言って紅茶と一緒に少し大きめのダイニングテーブルに今買って来たばかりのマドレーヌをお皿に盛って出してくれた。
遠慮気味にしている仁を見て
「どうぞ召し上がれ」
と上品なティーカップを持ちながら薦めて一口飲み終わると、
マドレーヌを口に運んだ。
その姿をじっと見ている仁に
「私ばっかり見てないでどうぞ召し上がって」
その声にハッとして、慌てて一つ口に運んだ。
 仁が家で食べるマドレーヌなら緊張で乾いた口の中でモサモサとして紅茶で流し込む以外になかったであろうがそのマドレーヌは口に運ぶと中でほろりと崩れ噛むと甘いコクの有る味と共に流れるように喉の奥に消えて行った。
おいしいと思う前に「何だこれは?」が初めての感想だった。
紅茶を口に入れるのも忘れもう一口、口に入れた。
今度はしっかり味わった。甘すぎない気をゆるめるとすぐに溶けてしまう、そのくせ味はしっかりとしている。
「これなら真弓じゃなくても好きになるよ」
そう思っていると
「その紅茶このマドレーヌにとっても合うのよ」
そう言われまだ紅茶を飲んでいなかったことに気が付いた、
今度は慌てずにゆっくり口に運んだ。
 フルーツのような香り、口に含むと渋みの後にほんのり甘い後味、マドレーヌの甘さとは違う香りの中に潜んでいる甘さが重なって口の中から鼻の奥まで優しい甘い香りに包まれていった。
仁にとって初めての経験だった、何時間も経ったような錯覚にふと我に返り、真弓のお母さんを見るとなんだか微笑んで見られていたようだった。
、恥ずかしくなって俯くと
「ごめんなさいね、とってもおいしそうに食べているものだからつい見入っちゃって」
「本当に美味しいです。こんなにお菓子が美味しいなんて思ったの初めてです。」
「まぁそう言っていただけるとうれしいわ」
「岩坪君は真弓が言っていた通りの男の子ね、ただあの子は、貴方のことを素敵なナイトだってまだプリンスじゃないのって言ってたけど私は、もう十分プリンスだと思うけどな、あの子がまだ子供だからちゃんと見えないのかな?」
と言い終わると同時に何やら2階から人が降りてくる気配がして「真弓今御客さんが来ているから、パジャマのままじゃ駄目よ」
と真弓のお母さんはそう言って、仁に目配せをした。
「そうなんだ、でもちゃんとガウン羽織っているから」
そう言ってダイニングに少し疲れた顔をして真弓が入って来た。
ガウン姿の真弓に仁はドキマキし、当の真弓は予想外の来客に頭の中が真っ白になった。
「どうしてジンがここにいるの?」
そう言うのも当然で冷静な真弓のお母さんが玄関先で迷っている仁を見かけ声をかけて招いたことを話した。
仁は元気そうな真弓の姿に安心した、真弓は仁が来ているのだったらちゃんと着替えたのにと後悔しながらも来てくれたことが何よりも嬉しかった。
そしてもう一つ母が仁を「素敵な彼氏ね」と言ってくれたことがそれ以上に嬉しかった。
 その後3人でたわいない話をして小一時間経ったころ、仁のほうから真弓を気遣って退散を切り出して、帰りに御馳走になったマドレーヌを2つ戴いた。
 玄関先でさよならをしてすっかり暗くなった道を軽い足取りで帰りながら、さっき別れたばかりの真弓のことを考えていた。
そう言えばどうして具合が悪くなったのか聞いていなかった事に気が付いたが、もうそれはどうでもよくなった。
別れ際の真弓の顔色はもういつもの我儘な真弓に戻っていたからだ。それから気になるのは、今の仁がナイトでプリンスになるとかもうなっているとか真弓のお母さんが言っていたことが気にはなるのだが、今の仁には何の事だか分からなかった。
女は勝手に人の事を決めつける生き物だと思いながら、仁は母親に聞こうかどうか迷っていた。
だが聞いたところで茶化して真剣には答えてくれないだろうと思い母には、戴いたマドレーヌを一緒に食べながらそれ以外の話をすることに決めたのだった。
 昨日通った同じ帰り道、目に映る街も同じはずだが仁は気持ちが変わるとこんなにも目に映るものが違って見えてくるものかと思った。
昨日よりも遅くなり陽もとっくに暮れていたが街灯やネオンや個々の家の明かりがとても明るく感じた。
自分ちの門灯さえいつもより明るく見えたのだった。

玄関先で仁は仕事帰りの母と一緒になった。
「なぁ~んか良い事でもあったの?」と聞かれ
「ご飯なに?」とごまかしたが
「言うまでお預けだもん」
「後で言うから」
「本当に?」
「誓います。」と言って母親の前に跪く仕草をすると
母はえばった格好で腕を組んで大きく頷いて
「ならばもう下がってよい、門を開よ!」
とすっかり王様気分で母は家に入って行った。
 約束どおり食事の時に今日の出来事を話したが
あのナイトとプリンスの話だけはやはりやめることにした。
 食後しばらくして戴いたマドレーヌを一緒に食べたが家の紅茶だと真弓の家の時のようにはならなかった。
それでも仁の母はすごく美味しいと言って仁にお願いして仁の半分をもらって子供のように喜んでその一口を楽しんで食べていた。
いつもよりはしゃぐ母がなんだか怪しいと思ったが、
いまは聞かないでおこうと決めた。
仁はそんな母を息子ながら可愛いとさえ思った。
「ところで真弓さんの苗字はなんて言うの」
「崎山さんだけどどうして?」
「だって名前ばっかりで名字知らなかったからよ」
「言ってなかったっけ」
仁は考えて見れば普段から名前でしか呼んでなかったし、
母や友人に話す時も苗字を使ったことがなかった。
仁の母も苗字を聞いた事がなかったので聞いたのだが珍しい名前のゆえ聞き覚えがあったのだが思い出せないのでそのまま話題を変えた。
 翌朝、仁は約束をした訳でもないが国道の信号で真弓を待つことにした。
ほんの2、3分で真弓の姿が見えたがあいにく目が良い方ではない真弓は仁の姿に気が付かない、というより真弓にとって仁が待っていることなど考えられない事なのでその人影が仁だと判るはずもない。
真弓が仁だと判ったのがもう5メートルもないくらいだった。
「どうしたの?」
と心配げに聞いた真弓は、仁が自分を待っていてくれたとは思ってなかった。
「マーのこと待っていた。」
「えっ?」
「待っていたの」
「誰を?」
「マーのこと」
「本当に?」
「ほんとうに」と言うか言い終わらないうちに真弓は仁に抱きついてきた。
仁は慌てて
「急にどうしたの」
「あと5秒だけこのまま」といつもの我がままとは違う少し震えた声で真弓が言った。
いつもなら、駄目出ししていたはずだが、仁はそっと真弓の頭を引き寄せた。
 

Kiss Kiss Kiss

 校門近くで真弓は同じクラスの友達と合流し仁は浩和ペアと合流した。
浩和はその後、香織と順調に付き合い始めた。
香織は浩和と付き合うようになってからクラスのみんなともよくしゃべるようになり、何よりクラスの美人ランキングで赤丸急上昇となっていた。
 ちょっとしたきっかけでこんなにも生活が変わるものなのかと香織はあの日のことを感謝し、きっかけになった自分の勇気を忘れないでいようと思っていた。
待っていても変わらない、願わないとどうすることも出来ない、やり方が判っても踏み出す勇気がなければ変われない。
今まで引っ込み思案だった自分をどうにでも変える方法を香織は見つけたようだった。
環境も自分から作らないと何も変わらない事も今の香織は充分判っていた、そして支えてくれる仲間のありがたさも判っていた。
だからこの次は自分が支えられる人になろうと決めていたのだった。自分で決めたことは叶うということは自分が一番良く知っているのだから。
 3人で教室に入ろうとしているところに貴之が息を切らせてやって来た。
始業ベルまではまだ少し時間があるがなぜか肩が大きく上下に波打っている。
少し落ち着いてから
「今日昼休み屋上で弁当しないか?」
と貴之が言い出した。
これは特別な誘いだった、仁達3人の秘密のキーワードで3人だけで話をしたいということなのだった。
そして本人から話があるまで詮索もその事についても決して聞いてはいけない事になっている。
「OK!屋上ランチだな、」
と了解の合図をしてからはいつもの会話が始まる。
 午前中の授業が終わり、3人は屋上に上がった。
見晴らしが良い割に不人気な場所でめったに誰も上がって来ない、3人は何かあると今日のように昼休みや放課後に集まって秘密の相談事をするのだった。
 貴之から言い出すことなどめったに無い事なので仁と浩和は少し緊張していた。
当の貴之はと言うと切り出しにくそうにうろうろとするばかりで、それだけに他の二人は余計に緊張していた。
ようやく腹が決まったと言う風に顔を上げ口を動かそうとするのだが、また俯くそんな事を2度ばかりしてからようやく
「来てくれてありがとう、相談があるんだけど笑わないで聞いて欲しいんだ約束してくれよな」
「何言ってんだよ、当たり前じゃないか、何改まってるんだよ」
浩和が真顔で答えた。
「ありがとう、でも本当に笑わないでくれよ、・・
キスってどうやるのか教えてくんないかな」
「えっ?」二人は顔を見合わせてからほぼ同時に貴之の顔を見た。「恥ずかしいから2回も言わせないでくれよ」
「KISS?」
「そうだよK・I・S・S」
「貴之おまえまだだったのかよ」と浩和が言った。
「そう言うお前はもうしたのかよ」と貴之が食ってかかった、
仁は二人を見て笑い出していた。
「笑わないって言ったじゃないかよ」
「わりぃわりぃ、だって何だかんだ言っても皆まだだったのかと思ってさ」
「お前はやったのかよ」
「だからみ・ん・なまだだって言ってるじゃない」
「そうかまだなのか」そう言って貴之はほっとしたのとおかしいので笑い出した。
浩和もつられて笑い出し、3人はしばらく大きな声で笑っていた。その後「誰もまだなんじゃしかたないよな」
と貴之はあきらめ、二人はその経緯について聞いてみた。
 貴之は体育祭が終わってすぐにとなりのクラスの斎藤優香と付き合い始め中学生らしい交際をしていた。
最近、優香の女友達から貴之との付き合いがまじめすぎると言われているらしくKISSをしていない事で本当に好かれていないのでは?などといらぬお節介を焼かれ優香本人も
中学生でもKISSぐらいは・・と思うようになり
昨日貴之に帰り送ってもらってお茶を口実に家に誘ったのだった。
貴之はちょうど喉が渇いていて優香の家がどんなだかの興味もあってためらいもなく優香の家にお邪魔したのだ。
 ダイニングに座っていると優香がタンブラーに氷を入れたレモンサイダーをもって来た。
たわいない話が途切れた時突然にそれは貴之の回りを包んだ・・
沈黙・・・
優香は、友達から聞いたように突然の沈黙を利用するプランB作戦を決行した。
沈黙の中瞳を見つめ微笑んでゆっくりと瞼を閉じるそして彼が寄り添い易いように少し顔を傾ける、
彼がそっと寄り添いKISSをする。
完璧なシナリオのはずであった・・・
未経験な彼女たちの創造の限りでは・・・
 貴之は何が起こっているのか理解出来なかった。
普段から冷静沈着な彼がパニクっている。
夕暮れ前の彼女の家のダイニングルーム、
目の前には瞼を綴じてウェイティング状態の彼女・・・
彼女のシナリオではこの後
「そっと貴之が近づき薄紅色の西陽の中で口づけを交わす。」
となっていたのだが、
貴之のシナリオは???ない?
成り行きのままお邪魔して、なにせ初めてのシュチエーションなので全てを予想だにしていなかったのだ。
冷静な分析と的確な判断そして行動力の貴之だがこと恋愛となると普通の中学生の男の子である、いいえそれ以上に純情なのかもしれない。
 どうすれば良いか判らないまま言葉を探したが・・・
「今度の文化祭、優香のクラスはなにするの?」
と明らかに上吊った声で、まさにKYである。
いえKK(空気壊したい)だった。
優香は、自分がどれだけの思いっきりでBプランを決行したか、
今なら400字詰め原稿用紙10枚はレポート出来そうだと思いながら、貴之のこのフェイントに何かが弾けた。
「文化祭に何をするかより今、貴之とKISSがしたい!」
普段の優香なら言うはずもない言葉に貴之は驚き、
その内容を理解し再び驚いた。
その時間差わずか0.5秒だったので、はた目にはただ驚いているようにしか映らないのが残念だった。
 優香はと言うと言った後、急に恥ずかしくなったのとさっきの自分が自分じゃないみたいでそれが怖くなって見る見る目が潤み感情が込み上げて2、3度鼻をすすったあと、とうとう声を上げて泣き出してしまったのだ。
それでなくとも驚きの連続中目の前の彼女が泣き出してしまい、
貴之は優香の姿を見ることで冷静さを取り戻し寄り添い肩を抱いた、優香も貴之の温もりを感じて少しづつ落ち着いてきた。
優香は少し貴之に身体を預けるようにもたれ、
貴之は少し腕に力を込め引き寄せた。
 優香の優しい香りが貴之を包みお互いに癒されるのを感じ、
そこだけは夕陽の色と同じ温もりを纏いほんの少し時間の流れがゆるやかになっていた。
 気が付けば優香の涙も止まり、貴之は優香のおでこに口づけをしていた。
自然と「ありがとう」とお互いに心の声を伝えていた。
 その後優香は、これまでの女同士のやり取りを正直に貴之に伝え、貴之は驚いてはいるが冷静に最後まで優香の言葉に耳を傾けた。
そして最後に
「無理しなくても良いと思うよ、優香は優香のままで、俺は俺のままでいる方が良いし、信じているから俺は」
その言葉に優香も心が軽くなり、いつもの笑顔にもどった。
そしてもう一度「ありがとう」そう言って貴之の頬に頬を合わせて首に腕を回し優香から身体を引き寄せた。
貴之は自然と優香の桜色の唇に口づけをしていた。
ほんの一瞬のようでずっと永い時間のようでもあった。優香の甘い香りが少し強くなったように感た。
誘われるように二人が流れのままに口づけを交わしていた。
後悔もしない優しい時間を薄紅色から深紅に夕陽が染めるまでのダイニングで刻んだ。
 KISSをした事実はあっても貴之はまるで夢の中のようで、
はっきり言ってあまり良く覚えていなかった。
経験した自分が二人に聞くのがおかしいように思えたが次にちゃんと出来るのか不安だったので今日のこのミーティングを開いたのだった。
 優香には二人の秘密だと約束したがこの二人は別だった、
今までどんな秘密も守ってきたのだ。
 貴之のこの話を聞いてうらやむより二人は貴之の肩をたたきながら喜んだ。
ただ貴之の悩みには答えられそうもなかった。
貴之も自然で行けば良いかと思い、変に構えるのはやめようと決めた。

 

シャウト

その日は六人でカラオケに行く約束をしていた。
駅前のカラオケが二時間半額の日なので誰からともなく声が出てみんなで行くことになったのだった。
六人で会うのは初めてだけどそれぞれには会っていたので初対面ではなかった。
 真弓の事をみんなが心配したがいつも以上に元気な姿に心配したのが馬鹿らしくなるくらいだった。
部屋に入るなり、もう曲が入った。
一番手は真弓で曲番を暗記しているのだった。
流行のJーPOPの女性歌手の歌だった。
始めからノリノリで最後はみんなでサビの大合唱になった。
次から次へ曲が入りみんながそれぞれに気持ちよく歌っていたが、香織はやはり少し引っ込み思案でカラオケも初めてでなかなか歌わなかった。
みんなに持ち上げられ、少し前の流行曲を選んだ。
少し悲しい曲で音域も広く難しい歌だった。
 イントロが流れ始めるとうつむき加減にマイクを持って身体でリズムを取り出した。
次の瞬間皆の動きが停まり、耳を疑ったそして同時に香織に視線を注いだ。
 この歌をまるで自分の歌のように歌っているのだ。
なにより歌っている歌手よりも間違いなくうまく、聞いている内に皆涙があふれ次の曲を入れることも忘れて聞き入っていた。
曲が終わっても感動で動けず、マイクを置いて席に戻る香織が
「どうしたのみんな」と言う声でやっと我にかえり、
「すんげぇ~今日来て良かった~」
「歌手やってたの?」
「もう一回歌って」と口々に言いながら拍手をしていた。
その騒ぎに香織は何のことか分からずいると隣の部屋にいた仁達のクラスの友達もやって来て
「今だれが歌ってたの?」偶然トイレに立った男の子が香織の歌を通路で聞いて部屋に戻って伝えるとみんなで部屋を覗きに来たのだ。中を見ると仁達だと分かって入って来たのだった。
 香織は歌が好きではあったが恥ずかしがり屋の性格で友達もあまりいないままカラオケにも行った事がなかった。
授業で歌を歌う時も恥ずかしくて余り声も出すことがなかった。
ただ何かあると河原まで行って好きな歌を誰憚る事なく歌うのが常であった。
 皆からリクエストが上がり続けてもう一曲歌うことになり、
選曲は真弓が担当した。
当然さっきのようなおとなしい曲を選ぶはずはない、案の定、真弓は香織からは想像もできないようなアップテンポの途中シャウト気味のこの夏に流行った曲を選んだのだった。
 香織は何度か口ずさんだこともあるので歌えそうだったが回りの友人たちの方が心配していた。
そしてその心配は完全に裏切られた。
香織は皆が自分の歌を聞いてくれることがうれしくなって、歌っている自分が今までと違った世界に連れて行ってくれる様でまるで冒険を楽しんでいるかのようなワクワクした気持ちでステージにいた。
 イントロが始まり身体でリズムを取りながらメロディーを追いかけた。
一小節ずつ近づきながら歌い出しでシンクロした。
一瞬そのフロア全体の空気が止まり、
一呼吸の後、皆の声が津波のようにあふれた。
 誰も聞いたことがないような力強い声、そしてその声は限りない歓喜にあふれ皆を魅了した。
シャウトはもうマイクもいらない程だった。
気が付けばその後香織は三曲続けて歌い、いつの間にかどの部屋もドアが開き香織以外誰も歌っていなかった。
三曲目が終わり破れんばかりの拍手の中少し照れながらすっきりした顔の香織が皆に手を振っていた。
それから一人一曲ずつ歌い最後は皆で少し懐かしい曲を歌って帰ることにした。
カウンターで精算をしに行った貴之が縫いぐるみを三つ抱え戻って来た。
「店長が良い歌聞かせてもらったから今日は俺がおごるって、そんで女の子にってこれもらっちゃった。」
「これもみんな香織のお陰だね。」と優香が言うと一斉に
「ごちになりました!」と香織に一礼した。
その後は皆で大笑い、
だがこの事が笑い事で済まなくなってしまった。
 カラオケの店長は今は、ただの雇われ店長だが昔は、ミュージシャンを目指し単身でロンドンへ渡り2年して帰国その後バンドを組コンテストに出て優勝はしないもののいつも上位で入賞していた。メジャーへの誘いもあったが納得するまでと片意地張っている間に世間で受ける音楽のスタイルが変わってしまい、結局インディーズ止まりで夢をあきらめたのだった。
ただ今でもそのバンドは伝説のバンドとして語り継がれていた。
そんな店長の血を香織の歌声が熱くさせたのだ、早速レコード会社の知り合いに電話をして事の次第を伝えた。
その日のお昼食事でもしながらと言うことになり、近所の定食屋で会うことになった。
駅前と言うこともあって結構込んでいたが幸い奥のテーブルが空き店長は日替わり、友人の渡辺は空揚げ定食をたのんだ、
「竜二、そんなにすごいのかその娘」
「あ~俺以上だ歌は」
「ギターと曲は良かったが歌は中の上だったからなぁ~」
「うるせぇっ、じゃーうちのヴォーカルより凄かったよ」
「始めからそう言えば分かりやすいのに、じゃ~相当だな」
「あ~ぶったまげたよ」
「でもなー毎日歌きいってからって、カラオケやの店長の戯言だからなー」
「そう言うと思って録ってあるよ」
「デジタルでか?」
「あ~レコーディング並に録ったよ」
「じゃぁ飯食ってから未来の歌姫の声を聞くか」
食事の後カラオケ店に戻り奥の事務所へ二人で入り昨日の香織の歌を4曲聞き、防犯用にセットされたカメラの映像でルックスをチェックした。
「悪くないなぁ~と言うより出来過ぎだ、出来過ぎ過ぎてプロモーションがやっかいだ。」
「それを考えるのがおまえの仕事だろ」
「少し時間をくれよ、それから次の日曜にこの子と会えないか?取り付けといてくれ」
そう言って急いで店を出て行った。
 店長は早速会員の貴之の家の電話番号を携帯に登録した。
その日仁達の学年は昨日の話で持ちきりだった。
有志でバンド組んでいる二つとなりのクラスの女子が早速誘いに来た。
バンドと言ってもゴスロリファッションにHEAVYMETALの所謂少し変わっている女の子で学年でも変わり者扱いをされている3人組だった。
 香織は苦手なタイプということもあり丁寧に断っていた。
彼女らは別れ際に「気が向いたらいつでも電話して来て」と言いながら電話番号を書いたメモを香織に手渡し中指を立てて教室を出て行った。
香織は「はぁ~」とため息をつき朝からの質問攻めや、知らない同級生から話しかけられて結構つかれていた。
 そんな香織を気遣って菜穂子が「同じクラスの子にカラオケの話はもう今日は、なしにしようね」と声をかけその後教室は落ち着きを取り戻しいつものように一日が終わった。
放課後、途中まで6人で帰り商店街の入り口で別れた。
仁と真弓が昨日のカラオケ屋の前を通ると偶然タバコを買いに出て来た店長と会い二人は昨日のお礼を店長に告げ
もう一度お辞儀をした時に店長が
「次の日曜日また皆でおいでよ1時間俺のおごりでいいから」
と二人に投げかけてきた。
案の定「えっホントに良いんですか?」乗って来た。
「あ~良いよ、その代わり皆で来いよ」
「はい!」
「来れない時は電話くれよ、ハイこれ名刺」
(カラオケレインボー店長 松宮 竜二 TEL○○ー○○・・・)
と簡単な名刺だった。
「昼飯食ってから来いよ」
「分かりました」とまたお辞儀をして家路についた。
いつもの交差点でバイバイして帰ってから早速貴之に電話して次に浩和に電話した。
皆予定もなくそれぞれの彼女も大丈夫のようで約束を日曜日の12時にして近くでランチをしてから行く事にした。
 店長の竜二はせっかく電話番号のメモを作ったのに店先で仁に出会って話を通したので無駄になってしまった、と言うより怪しい中年が高校生の家に電話して「何の御用ですか」と訊ねられ「おごりで歌わせてあげるから日曜日においでという誘いです」なんて何とも怪しすぎる電話ではないか・・そう思うととっても助かったというのが本音だった。
そんなふうに思っていると電話が鳴りその相手は仁だった
「日曜日にお言葉に甘えて伺います。ちゃんと香織ちゃんあっ!歌の上手な子も行きますから」
「おっ!おいそんな事言ってないぞ」
「デモ図星でしょ!」
「まぁそれ以外に理由はないからな」
「やっぱり」
「じゃ待ってるからな」
どこまで仁達が判っているかは判らなかったがそんな事はどうでもよかった。
早速レコード会社の彼、渡辺泰士に電話した。
お膳立ては揃った、後は2日後の日曜日のお楽しみとなった。
 そのころ渡辺は商品企画の喜村冴子とカフェスペースで何やら密談をしていた。
「だから本当に凄いんだっておまえが聞いてもションベンちびるぜ」
「じゃーあんたチビったんだ」
「チビってねーけどそんくらい凄げーだって」
「判ったわよ、いっしょにいけばいいんでしょ、久々の休みの日曜日の午後1時に1時間も電車に揺られて、隣には冴えないサラリーマン、行った先には星に見放された元天才ロッカーか、あ~あ」
「そういうなよ、晩飯おごるから」
「ホントに、じゃ~」
「焼き肉は言うな」
「どうしてよ良いじゃない焼き肉じゃなかったら行かない!」
「判ったよ、言うこと聞くから、それからどうもって行くか考えてくれよ」
「任しなさい、大丈夫」
「じゃよろしくな」
とお互いの仕事部屋に戻って行った。

 それぞれみんな週末までは大した出来事もなく、ただいつもの毎日を過ごしていた。

 待ち合わせのファミレスに一番に来たのは浩和だったあの日以来と言うか、付き合い始めてから香織は何回もイモムシが脱皮をするようにその度に姿を変え、今回はまるで蛹から蝶に変わるような勢いなので大変不安になっていた。
貴之と仁に言うと
「彼女は彼女さ、今まで隠れていたものがお前と付き合うことで表現出来るようになっただけさ、お前がしっかり守ってやらないとだめなのにそんな不安がってたりしたらだめじゃないか、信じてやれよ」
と叱咤された。
わかっていてもこればっかりは難しい。
 次に来たのは真弓だった。
「和(カズ)君うかない顔してる」と先制パンチを浴びせられた。
香織と和浩の今の事は仁に聞いて知っていたので
「信じていてくれる大切な人がいると女って綺麗になれるんだって、私もそろそろなれると思う?」と励ますつもりで投げかけた。
和浩はそんなもんなのか?と思いながら
「真弓はまだ子供だから」とはぐらかし
「一つしか変わらないじゃない!もう」と可愛くすねて見せた。
そんなやり取りをしていると仁がやって来た。
「なーに仲良くやってんの」
「ジンには内緒だよ~」とあかんべ~をして見せる。
そんな二人を見て和浩はつながってんだなぁと思い同時にしっかりしなきゃと少し強くなれそうに思った。
ほどなく貴之と優香がやって来て、続いて香織も姿を見せた。
 それぞれにメニューを注文した後、仁が
「今日は香織がメインゲストみたいだけどあの店長何か企んでるのかな?」
「俺少しあの店長のこと調べたんだけど・・・」
と貴之がインターネットで調べたことをみんなに話始めた。
本名が判ると結構簡単に色んなことがわかった。
メジャーデビュー寸前までいったのでそのプロフィールは当然のことながらインディーズ時代の伝説や今は何をしているか不明と言うことまで。一通り皆に話した。
皆はその経歴に驚きまた更に今とのギャップにびっくりした。
そんな店長が何をしたいのだろうか?
香織と組んでメジャー乗り込み?
香織をプロデュースして一獲千金?
と勝手なことをしゃべりながら、また香織も
「歌手デビューか、悪くないかも」
と浩和と付き合う以前の香織では想像も付かない発言し、
浩和は強くなれそうだと思った気持ちが少し揺らいだ。
それに追い打ちをかけるように仁が
「香織がデビューしたら、事務所から今後お付き合いはご遠慮願います。なーんて」と言ってしまい、
言った後で今の和浩には洒落になっていないと気づいた時にはもう遅かった。
朝から少し元気のない和浩が気になっていた香織は
「そんな事務所だったらすぐやめちゃうから大丈夫だもん」
とあえて真顔で言わず茶目っ気を入れて、
それが今香織に出来る精一杯だった。
浩和はげんきんなのでそれを聞いて
「そうだな、そんな事務所だったらやめちまいな」と、
皆はその少しマジな表情の和浩に一斉に吹き出してしまった。
 料理が運ばれ食べ盛りの皆はすぐガッついて、また他愛ない会話が始まった。

 その頃、カラオケ屋の近所の定食屋に3人は集まっていた。
竜二と冴子と泰士だった。実はこの3人は元バンドのメンバーで冴子がボーカルSG、泰士はベース、竜二はRGとセカンドボーカル、後一人ドラムの拓司が居れば勢揃いだった、がもう揃うことはない一番才能があった拓司は3年前に若い旅立ちをしていた。
「本当に凄いの?歌は私よりうまい?」
「お前の絶頂期くらいうまいよ、いやそれ以上かもな」
「それって信じらんないわ」
と冴子と竜二がやり合っている間、泰士はノートに何やら書き込んでいた。
冴子が考えたプロモーションストーリーをより具体的にするためにチェックをしていた。
食事はほとんど終わり竜二がお茶を啜りながら立ち上がり先に勘定を済ませた。
そのまま事務所に向かい、二人もついて入った。
先日とは違い録音機材がより本格的に変わっていた。
昨日のうちに泰士が会社から運び込んでセッティングしたのだった。「オーディション並じゃない」
と冴子は嫌み交じりに毒を吐き自分で立てたプロモーションストーリーも、もし自分を売り込むのなら、と考え組み立てた。
端から二人の話は戯言程度にしか聞いていなかったのだ。
 レコーディングの準備が終わり一息ついたときに、竜二が
「そんなに疑ってるんなら聞いてみるか?言っとくがチビるんじゃねーぞ」
「あんたほど涙もろくないわよ」
冴子の言葉を聞き終わるか終わらないかでスイッチを入れた。
頭出しをしていたのでいきなりサビから始まる曲が流れた。
冴子は圧倒された、仕事柄いろんな新人のテープを聞いていたが新人という枠を外してもこれほどの歌を聞いたことがなかった。
竜二が言うようにチビリはしなかったが、涙があふれ自慢のアイラインが崩れた。


 

ハーモニー

6人はファミレスを出てカラオケ屋に向かっていた。
ちょうど真弓のお母さんが通りかかり一人ずつ自己紹介をして成り行きから一緒にカラオケに行くことになった。
真知子は久しぶりに歌いたかった事とその香織の歌を聞いて見たかったので少し気恥ずかしかったが一緒に行くことにした。
 カラオケ屋に入り待ち構えていた3人を見て声を上げたのはなんと真知子だった。
「どうしてここにいるの?」
「それを聞きたいのはこっちの方よ」
冴子が言い返した。
二人は高校の同級生で当時文化祭でギターデュオを組んでいた中だった。
そんな偶然に驚いたのは言うまでもなく、とりあえず今の連絡先を交換して話したい事は日をあらためて時間を作ることにした。
 香織達のために用意されたのはこの店では大きな部屋だった。
15席のイスにステージ、モニターも50インチ音響やエコー調整は昨晩の内にスタジオ仕様に変えていたのでふだんのカラオケと比べると頼りない感じがするはずだった。
竜二は香織達に二人を紹介し今日どうしても二人に香織の歌を聞かせたい事を話した。
 仁はいつものように「すげぇ~」の連発で貴之は、店長の事を色々と調べたことや基本的に信頼している事を話した、
和浩はと言うと
「香織が決めれば良い」とそれだけだった。
香織本人は特別な気持ちもなく歌を唄うのが楽しかったのでそれ以外とくに考えないでおいた。
「私は構わないよ」父兄代表として真知子にも意見を求めたが
「私はオブザーバーだから」とノーコメント。
 問題も無いと言うことで始めることになったのだが皆少々緊張していた。
普段どおりで歌えるようにリラックスが出来る環境の方が良いので初めの1時間はいつものようにカラオケを皆で楽しんでもらいその後、竜二が指定した曲を3曲唄ってもらうことにした。
 いつものようにと言われてもみんな緊張して楽しんでるとは程遠い雰囲気で始まったので真弓の母、真知子が冴子に耳打ちをして盛り上げ役として二人で唄うことにした。
少し前に流行った男性デュオの曲を見事なハーモニーで歌い上げそれに釣られて皆一気にテンションが上がり中盤からはいつものよりも良い盛り上がりで1時間が過ぎた。

 いよいよ香織が唄う、
指定された曲はバラード調、ロック調、ポップ調どれもこの一年で耳にした曲だったので香織は問題なかった。
むしろ好きな曲だったのでうれしかった。
前回に比べて香織の表情が良くなって、一つ一つに心が感じられるようになっていた。
「じゃ始めようか」竜二の声に一瞬緊張した香織の顔が大人になってメロディーが流れ始めると心と意識がその旋律に同調し始めゆっくりとした唄いだした、空間から漂うような歌声、抑えた抑揚の中に哀愁の糸を通し、ときに激しく感情を吐き出す。
心を揺さぶった。
皆は拍手をすることも忘れていた。
竜二が手を叩き我に返って拍手をした。
香織はとてもすっきりした顔をしていた。
3分のインターバルの後次の曲が始まった。
弾けたビートに時折パンチの効いたシャウトが入り皆も手拍子で乗り乗りだった。
途中香織もエアーギターで皆を沸かせた。
はしゃいで唄ったので少し汗ばんで来た。
また3分休んで最後の曲、
最後は明るく軽快なリズムで皆にも笑顔が溢れ香織はステップを踏み恥ずかしがる事なく手振りも加えしっかり踊っていた。
どの歌も素直に聞くことが出来、歌に併せて聞いている人を包み込む、プロが望む能力を香織は持っていたそして何よりすばらしいのは歌唱力だ音域、音圧、そして伸びやかな声、どれも素人の域を越えていた。
 泰士は唄う基本的な資質に加え唄う時の豊かな表情が良いと思った。
それに美少女だった。
1カ月前は級友から「空気女」と呼ばれていたなど想像も出来ない。
 竜二はまだ何か足りない、このままでも十分ではあるがもっと引き付ける何かが潜んでいるように感じた。
 冴子はプロデューサーへのアプローチを考えていた。
そこに真知子が突然、
「うちの子と優香ちゃんをハモらせてバックコーラスで唄わせて見てよ」
二人は確かに歌はうまかった。
歌自慢なら優勝までは行かなくてもまず入賞はすると言う位だった。「おもしろそー」と二人も乗って来た。
竜二も賛成だ曲選びが始まった。
決まったのは今流行っているJーPOPだった。
 イントロの間になにか3人で相談をして香織が唄い始めた。
ハモリもバッチリだった1番2番が終わり3番の最後にリピートしながら音階が上がって行く所がありそこで主旋律のヴォーカルを1度ずつ交替してそれぞれにアドリブを入れながらそれに合わせて即興でコーラスをかぶせるそして最後は3人の見事なハーモニーで締めくくった。
今日の一番の出来であった。
 真知子は冴子とハモッて唄い場を盛り上げた事それと香織ほどではないが並以上の二人の歌唱力、何より3人の中にあるお互いを思いやる気持ちを感じたのでやって見る価値があると思ったのだった。結果は思った以上で基歌のグループよりも実力的にも十分対抗出来る位だった。
 冴子は正直やられたと思った、今日のフリー時間ほとんど香織にしか集中して聞いていなかった自分が情けなかった。
 竜二は前回の時に感じたものが何だったのか今気づいた。
「仲間」「信頼」「尊敬」それが唄の輝きに通じ聞く人をより大きな感動に包み込むということを確信した。
 仁達3人は拍手するのが精一杯で感激で3人共今にも泣きそうになっていた。
唄った3人も今までにないくらい楽しんで唄え、特に真弓と優香は香織に引っ張られて信じられないくらい上手く唄えたのだった。
皆興奮して真弓はと言うと母親がいるにもかかわらず、仁に抱き付KISSをしてしまった。
本人を含め皆びっくりしたが特に真知子は苦笑いをして、真弓は肩をすくめ舌を出してはにかんでごまかしていた。
仁はそのまま固まり、訳が分からなくなって涙をこぼしていた。
 まだまだ興奮が覚めやらない様子だったが、いつも冷静な冴子が「さて、どうする?」
「とりあえずみんな持って行って聞いてもらおうや」と泰士が言い「まずはお嬢さん方の承諾だ」と竜二が言った。
香織はうなずいた真弓は真知子の方を見ていた、
真知子は頷いていた。
優香は貴之を見ていた。
貴之は笑顔で親指を立てた。
「全員承諾だ、一人除いて親の承諾がまだだけどな」
と言いながら竜二は会社がどう言うか?と冷静に探っていた。
答えは・・・・やってみなきゃわからない。
 音とビデオを泰士が預かり明日早速プロデューサーに会うことになっている。

 その日はそれぞれ家に連絡して夕食を竜二の招待で食べに行くことになった。
真知子は旦那がゴルフで夕食を食べてくると言っていたのでちょうど良かった。
 香織と優香は今回の成り行きで採用された時のことを考えると少々不安だった、もちろんその対象は親である。
真知子のようにすんなりとは行かないことは間違いないしかし、まだ何も始まった訳じゃないから、そんなことを考えるのは無駄だとしばらくして思い明日以降を楽しみにしようと決めた。
 夕食は晩餐と言えるほどでは無いにしろ結構な数と量だった。
味は抜群においしかったどれもこれも・・・
ただ場所はお世辞にもイケテいるとは言えなかった。
ここはいつもの定食屋だった。
 ただここのおやじは、有名なホテルの厨房で洋食、特にイタリアンを担当して一通りのことはやっていたそうだ。
ここの野菜炒めの隠し味はアンチョビとバルサミコソースらしい。ボロ屋の食堂にしては流行っているはずである。
空揚げはチーズ風味のスパイシーコンソメでポテトフライは粗目のスティックにして一旦茹でて油を潜らせオーブンで焼き上げて塩胡椒ドライバジルを振っている。
真ん中のおでんっぽいのはテールスープベースのポトフ、小鉢にはデミグラス土手焼きなど意外性のある料理ばかりが並んでいる。
そしてどれもとってもおいしい。
小一時間ほどでほとんどの料理が無くなり、おしゃべりをしていると突然おやじが出てきて、
「これは俺からのサービス」と言ってホールのフルーツケーキをもってきた。
その後すぐに出たコーヒーは勘定に入っていたそうだが・・・・
 このケーキが絶品スポンジにほんのりシェリーの香りがして全体に甘さが抑えられ、上と挟んである小さなサイの目のキウィ・苺・桃が酸味と甘みのそれぞれを絡ませ口の中でハーモニーとなって歌を唄っているようだった。
 香織達3人が顔を見合わせ頷きその光景を見ていた大人たち4人も理解した。
いつもの3人組は食べることに集中し顔を上げて皆の様子に何のことなのか判らなかった、
香織が「今ね私達の名前が決まったの」
「えっ?仁何か聞いた?貴之は?」と浩和が聞いても何も判らず二人は首を横に振っている。
 「私達のユニット名は」
と言って香織達3人はそれぞれの相手の口にケーキをほうり込んだ。「わかった?」
仁達は口をそろえて
「フルーツケーキ」と生クリーム一杯の口で叫んだ。

 

それぞれのスタート

帰り道いつもの信号まで真弓と真知子の3人で歩き別れ際、
真知子が仁を呼んで真弓から少し離れて耳元で
「我が儘な娘だけど、守ってあげてね」と告げ仁は緊張して小さく「はい」と返事をした。
真知子は仁の肩を引き寄せ包むように抱き締た。
仁はいきなりだったのでなんのリアクションも無く人形のようになっていた。
 その様子を振り向きながら歩いていた真弓は
「お母さん私の彼を捕っちゃう気、も~」と言いながら少し怒って近寄って来た。
真知子はからかうようにもう一度仁に抱きついて
「捕っちゃおっかな~」と二人を困らせた。
真弓は冗談だと判ってはいるがなにせ美人の母親なので仁の事が気になっている。
仁は正直悪くなかった。
綺麗な女性に抱き締られる事は・・・・、
ただ彼女の前で彼女のお母さんというのははっきり言って困ったものだ。
 仁は真っすぐ真知子を見れないままずっと照れて今日のお礼をお互い言ってさよならをした。
 真弓は母に
「なに仁に話したのよ!」
「ひみつ」
「も~いいモン仁に聞くから」
「いいわよ彼は絶対に言わないから」
と少し真知子は真弓を煽って見せた。
こういう展開で真弓が優勢になることはなかったので今はもう会話を楽しんでいた。
そんなやり取りをしているうちにもう家の前まで来ていた。
いつものゴルフより早く帰った真弓のお父さんがその声を聞き付けてか、玄関の前で二人を出迎えた。
真弓は父の顔を見るなりマシンガンのように今日の出来事を話した。そんな真弓を家の中に促して、真知子のおでこにKISSをして家に入った。
 リビングに落ち着いても真弓は、ずっと話をして真知子に入浴を催促されて一旦おふろに入って上がってくるなり、パジャマ姿で髪をタオルで乾かしリビングの向こうからもうしゃべりながら父の横に陣取り時折意見を聞くような話し方をするのだが、父の声を聞かないまま続きを話し出す。
一時間ほどしたころ、真知子もお風呂から上がりワインとチーズを運んで来た。
「真弓、今からは大人の時間だから・・・」
「ずるーい、そんな意地悪言うんだったらパパにあの事言うからね」と父の死角越しに抱きつく振りをした。
「いいわよ私もあなたが仁君に・・」と言った所で
「なーんてねっ!ね!」
と真弓が白旗をあげて割って入って臨戦状態は解除された。
何のことかわからない真弓の父は苦笑いをしながらワインを一口含んだ。

 仁は機嫌の良さそうな母に今日の色んなことを話した、
ただ二つの事を除いてはほとんど話した。
母は、楽しく話す仁を見ているのが好きだった。
仁の母の機嫌が良くなったのはニコニコと機嫌の良い仁を迎たからだった。
 「今度母さんも一緒に行こうよ」
「母さん歌下手だから」
「そうなの遺伝かぁ~」
「えっ遺伝って?」
「母さんも歌上手くないんでしょ」
「仁音痴だったっけ?」
「音痴じゃないけど皆の中じゃ一番下手かな、でも下手でも上手くても、楽しく唄えるのが一番良いよ」
「なんか分かったふうなこと言って」
「だから今度行こうよ!」
「はいはい今度ね」
「約束だよ」と言ってまた御機嫌になっていた。
最近母親の笑顔が多くなって仁は、
「なんだかお母さんも満更でもないんじゃない」
そう思ったが生意気な口をきくのも子供らしくないと思って黙っていた。
 そう、母は笑顔の増え方と同じように以前にも増して綺麗になっているように思える。
今日は、いろんな事があったがついでと言っちゃおかしいけどその事で母につっ込んでみようと思い立った。
「母さん最近少し綺麗になったんじゃない?」
「何言ってんの綺麗なのは、生まれつきよ!」
「じゃなくて、前にも増して綺麗になったんじゃないってこと」
「そんなお世辞言ってもお小遣い増えないよ」
「お小遣いはほしいけどそんなんじゃないって、なんかあったの?もしかして恋してるとか?」
とその一瞬本当に瞬きするくらいの時間だが母の動きが止まったのを仁は見逃さなかった。
「あっ!図星なんだ」
「何親をからかっているのこの子は、そんなんじゃありません」・・・「でも・・・」
「んっ?でも?」と仁が言うと少し間をおいて母が
「笑ったり、怒ったりしないでよ・・・あのね・・」と母は、
事の真相をポツリポツリと話してくれた。
 今の職場の紹介をしてくれたり、以前から仕事の事や仁の事で相談に乗ってもらっていた父親の友人から、結婚を前提に付き合ってほしいと言われているらしい。
その事を仁に話せないままで内心母も悩んでいたが、それ以上にやはり女性としてそんな風に思っていてくれる人が出来た喜びで何かにつけ以前より、化粧や服装も気をつけるようになったのが綺麗になった真相だった。
 その男性は、仁も知っており小さい頃は、父と一緒によく遊んでもらった事もあった、母親が付き合うのは、悪くないと思ったが
「お父さん」と呼ぶ事にはまだちょっと抵抗がある。
だがすぐに結婚するわけもないのだからそんな心配は今しなくても良い。
「いいんじゃない、そんな風に言ってくれる人がいるんだったら付き合えば」
「賛成してくれるの・・・」
「おじさんは、今まで結婚しなかったの?」
「仕事頑張りすぎちゃったんだって」
「そうなんだ、今日からは遠慮しないで、お付き合いしていただいて結構です。」
「なーにその言い方、言われなくてもそうします!!」
「・・・ありがとう」と母はそういって仁の方を抱いてもう一度心の中で*ありがとう*を言った。

 貴之は優香を送りながら
「最後の歌の時、すっごく綺麗でドキドキしたよ」
「ほんと?じゃ~今は?」
「昨日より綺麗だよ」
大人でも照れてしまいそうな事をさらりと言うそんな彼に自然と寄り添う優香におやすのKISSをして貴之は優香が家に入るまで見送った。
 こう書くといかにもCOOLな感じだが貴之も内心一杯一杯だった。
この時の心境を大阪風に言うと「風呂入って屁ぇこいて寝よ」そんなフランクな心境である。
と言ってもそんなCOOLを演じている自分も嫌いではなかった。

 優香は、リビングに入るなり
「何か良いことがあったの」とお母さんからの一言、
少しビクッとしながらも
「カラオケすっごく楽しかったよ」
「そうよかったわね、夕食は食べてきたんやね」
「お父さんは?」
「仕事よ、何急にお父さんを気にしたり?怪しいなぁ?」
「何が?」
「何がて、にやけて帰って来て、揚句に普段気にせえへんお父さんの事を気にするなんて怪しい~」
「怪しくない」
「ならええけど、早よお風呂入って、まさかお風呂もう入って来たなんて言わんといてよ」
「まさか、あっても言えませんよ」
「ほんま困った娘だよ、親の顔が見たいわ!」
「この鏡でどうぞ!」と落ちが付いたところで、この漫才のような会話が終わった。
大阪出身の両親に育てられこんな会話ができるの事は、貴之も知らない。
 お風呂から上がるとお母さんはもう寝室に行っていた、
きっと楽しい一日だったろうからいろんな話をしてくれそうだったが話に付き合うと長そうだったので取り合えず寝室に逃げたのだった、
話は少し冷めてから明日にでも聞いた方が良さそうとも思っていた。
優香は今日の事を話そうと思っていたのに機会を失ってしまった、しかたないと自分のベッドに入るなり催眠術にかかったように直ぐに寝てしまった。
気が付くと1階で物音がするので降りていくとちょうどお父さんが帰ったところだった。
「お帰りなさい。遅くまでお疲れ様」
 優香は、珍しく普段話そうともしない父に自分から話しかけた。
貴之と付き合うようになり、父親を少し理解しようと思うようになったのだ。
いや、父親を理解すると言うより自分を変えようといているのだった。
 いつの頃からか、父親との会話が少なくなり、気が付けば訳もなく毛嫌いするようになっていた。
 父は昔からの父のままなのに、只年と共に更けていっているがそれは仕方のないことなのにどうしても受け入れられなかった。
理由はそんな事ではない、優香自身の内面的な変化と肉体的な変化の間にズレが起こり身体だけが大人になり本能的に異性を意識するものの心の部分では受け入れられる内容が容姿だったり家庭内での態度などで乏しく、それ意外の目に見えない家族への思いや仕事での苦労などについては分かろうともしていなかったのだ、目に見えた物だけを拒否してしまう為、特段男前でもなくぽっこりお腹の父親を自分のテリトリーの中に受け入れることが出来なかったのだ。
 そんな優香がまるで何時も話しているかの様に父に楽しげに貴之の事や香織の事を話し父もじっと耳を傾けていた。
勿論どうなるかわからないが歌手デビューするかもわからない事、等々今までの思いや伝えたかった事の全てを一気に話し出した。
話している優香も聞いている父もいつの間にか大粒の涙が後から後から頬を伝い父は何度も何度も大きく頷き聞いていた。

最後に優香は
「今まで優しくない娘でごめんなさい」
と謝り父は、
「いいや素敵な娘に育ってくれて有り難う」
と言って優香の頭をなでて照れ笑いした。
歌手デビューはどうなるか判らないが香織の自己責任で考えれば良いと応えその事にたいしては特に意見を言うでもなくニコニコと嬉しそうであった。

 貴之は帰るなり
「どこに行ってたの?」とひとつ下の妹に突っ突かれ
「チェッ」と言ってしまった。
「また隠し事?」
「そうじゃないけど、お前は直ぐに人にしゃべるから・・」
「人聞き悪いなぁ~それ、友達が聞いてくるから話すだけじゃない、自分からは話さないもん」
「じゃぁ、どんな風にみんな聞いてくるんだよ?」
「何か面白い事ない?って聞いてくるから教えてあげるだけ」
「ほーらお前が言ってるジャンかよ、だめだよ」
「良いじゃない、減るものじゃないんだし、ケチ! あの事お母さんに言っちゃおうかなー?お兄様」
「あの事ってなんだよ」
「しらばっくれちゃって知ってんだから本棚の辞書の後ろにエッチな本があること・・お母さんに言っちゃおうかなー」
「なんでそんな事知ってんだよ」
「日々情報活動は怠らない!が私の真情」
「何が真情だよ、勝手にひとの部屋に入ってこそこそしやがって」
「隠し事する方が悪いんじゃない。」
「わかったよ、けど絶対内緒だからな」
と言いながら(絶対明日喋るだろう)と貴之は確信していたので内容は抜粋することにした。
妹の富美子は(私が絶対喋らないなんて、約束なんか出来ないわよ、て言うか約束してないし)と思いながら兄の話す出来事に身を乗り出して聞き入った。
 貴之はレコード会社の2人の事は喋らずノリノリで楽しみ、夕食を食べた食堂の大将がすごい腕を持っている事などを話した。
富美子は少々がっかりだった、兄の自慢話を聞いているようなものだった、もっと日常に起らない、芸能界へ繋がるような出来事がなかったのかと期待していたのだったが貴之の口からは期待に答えるような内容は何も出てこなかった。
一通り話終わると富美子は
「それだけ?」
「だけど?」
「な~んだつまんない」
「お前が教えてって言うから言ってやったのに」
「だってそれって普通じゃない。」
「だから?」
「もういい」そう言って富美子は貴之の部屋から出て行き母親に
「お菓子ないの~」と言いリビングでTVを見始めた。
やれやれ抜け目ない妹からの何とか照準を外す事が出来たようだった。
それにしてもあのデモビデオテープがこれからどうなるのかと思うと妹ではないけれど自然とワクワクしてしまう。
が何より今はお風呂に入りたかった。


 浩和は、香織を送ってから家に帰った。
弟たちは、TVに齧り付きながらお菓子を食べていたのだが、
そのお菓子を見るなり浩和は烈火のごとく
「誰の食べてんだー」
とそれは、まめスナックのワサビ味。なかなか近所には売ってないので朝の散歩(と言っても国道沿いの町外れ)にコンビニまで自転車を走らせ今晩の楽しみにしていた一品だったのに・・
弟たちは、もうその殆どを食べ尽くしていたのだった。
 普段の浩和なら次の瞬間二人の弟たちの頭に拳骨を食らわせていたに違いなかった。
二人の弟達もそれに備えて頭を抱え小さくうずくまっていた。
その日の浩和は
「おいしかったか?」と言って、小さくなっている弟の頭をなでて、自分の部屋へ行ってしまった。
弟たちはと言うと安心するどころかその変な行動に末恐ろしいものを感じまた一段と震えているのだった。
浩和はと言うと声を荒立てたものの香織との約束を思い出し弟たちに優しくしたのだった。
香織は浩和の少し?粗暴なところがなければもっと素敵だと話し、治してほしいと哀願したのだった。
自分が付き合うためにではなく浩和の将来を思ってその方が間違いなく良いと思ったのだった。
そして嫌われるかもと思いながらも勇気を出して進言したのだった。
浩和も香織の言葉は自分でも不思議なくらい素直に聞けるのだった。そして自分でもそうなりたいと思ったのだった。
部屋に入って案外出来るものだと自分でも不思議に思い、悪くないと感じていた。
頭の中には「出来るじゃない!!」と笑顔の香織がしっかりと描かれていた。
そう思うと自然と顔がにんまりとなってしまっている。
様子を見に来た弟たちがそんな兄のにんまりとした笑顔にまた底知れない恐怖を感じ自分たちの部屋へ入り布団をかぶって寝てしまった。
そんな弟達の事など露も知らず浩和は明日香織にこの事を話そうと思っていた。

 香織は浩和にドキドキの忠告をしたことがとっても気になっていた。
間違ったことでは無いにしろ、付き合って間も無い自分が言って良かったのか、但大切な人が今以上に素敵になってほしいと素直に思って勇気を出して話したのだけれど・・・
 自分がこんなに変われたのは彼浩和のお陰だし、でも自分は浩和に何もしてあげる事が出来ない。
そう思うと力の無い自分が悔しくて・・・
こんなにも家族以外の人のことを考えた事も無かったしこんなにも思いが募ったことが無かった。
そして、本当の友達が出来て自分を表現出来て・・・
そしてこれからどうなるかを思うと今までにない弾ける様な希望が次から次と 現れ消えずに、心を埋めていった。

香織の家は、商店街の中で両親は二人で店の切り盛りをして香織は、小さい時から一人で遊び出来るだけ両親の負担にならないように出来る事は何でも自分でやるようになっていた。
また中学に入ってからは夕食の用意をしたり家事も積極的に
こなしていった。
香織にとっては、その事を負担に思う事もなく今までやってきたのだった。
人一倍思い遣りと感謝の気持ちを持てる子供だった。
そんな香織を両親はまた、気遣い感謝の気持ちを素直に伝える事が出来る親であった。
ただ両親は、最近この秋からどちらかと言うと目立たない地味な感じのわが子が最近笑顔が多くなり、友達と出かけることが多くなり何より少し綺麗になってきた事が気になっていたのだ。

その夜帰ってきた香織にお父さんが
「少し前からお母さんと気になっていた事があってお前と話さないといけないと思っていたんだけど」
と話しかけた。
香織は、少しその言葉で肩の荷が下りたように思えた。
いつ話をしようかと浩和と別れてからずっと考えていたのだった。お世辞にも広いとは言えないダイニングで3人がテーブルに着き
香織が話し始めた。
気持ちが楽になった分両親に笑顔で話せた。
中間試験の時の出来事、今まで以上に仲良く出来る友達が出来た事、カラオケに行ったこと、大好きな友達と歌手デビューの話があることそれだけでなく、友達といままで相談できない事も相談し合い今まで以上に充実した時間が送れている事、両親は初めて聞く話で驚きもあったが娘が楽しそうに話す姿に、決して間違った事が無いとわかったので不安はあったが今回のデビューのことについては、どうなるか判らないが信頼できる友人と一緒という事もあって賛成となった。
ただ自分を含めて誰も悲しめる様な事をしないという事を条件にしたのだった。
条件はあったが両親に許してもらえて香織はうれしくて涙があふれてきた。
何より自分は、幸せ者だと心から思えた。
両親に仕事で構って貰えないながらもその一生懸命な姿を身近で見る事が出来てその事に素直に感謝する事ができたのだから、もし両親のその姿を見ないままでかまってもらえない自分なら、両親に感謝など出来なかったかもわからない。
今こんな風に両親に話す事も理解してもらう事も出来なかったと思った。
また、両親も香織に対して充分とはお世辞にもいえない程しか構う事が出来なかったのにこんなに素直に育ってくれた事に感謝していた。

 いろんな事がありすぎた1日の終わり、それぞれの家でも少しずつ変化が起こりそれぞれに新しい自分と向き合いまた悩み、喜びながら過ぎていく・・・

 仁はベッドの上で秋からのいろんな事を思い出しながら、なんだか自分が一人置き去りにされているような気持ちになった。
浩和や貴之が少し大人に見え、真弓や優香や香織が遠くに行きそうで何より母親が女として新しい恋をしようとしている。
今まで母という存在が女になろうとしている。
「これから、どうしたら・・・」などとネガティブに考えては、
憂鬱になっていた。
そんな彼を察したのかは定かでは無いが母がドアをノックした。
「いい」
「いいよ」
「急にあんな話してごめんね、びっくりしたでしょ」
「そりゃびっくりしたけど、いいんじゃないお母さんの人生だもん」さっきまでの自分じゃないみたいな言葉が出て仁は内心自分でびっくりしていた、でもそう考えるのが一番だと言う事もわかっていた。「ありがとう、仁にとってお母さんは、お母さんのままだから今までどおりでいてね。」
そう言って自分の部屋に帰っていった。
母の言葉で仁はさっきまでのネガティブな思いが馬鹿らしくなった。「そうか母さんは母さんのまま、浩和は浩和のまま、貴之は貴之のまま、彼女たちは彼女たちのまま、何も明日になれば世界が急に変わっているような事は無いんだし、何より自分がしっかりしてればいいんジャン」と自分で答えを出していた、そして安心したのかあくびを一つしたのを境に夢の世界にはいっていた。

  

仲良し3人とその彼女たち、
カラオケ屋の店長、
その家族を巻き込み
この後どうなってゆくのか・・・ 



 
 

3人

3人

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-12-02

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 二人から三人
  2. 体育祭は、恋の予感
  3. 男子VS女子
  4. 素直に
  5. Kiss Kiss Kiss
  6. シャウト
  7. ハーモニー
  8. それぞれのスタート