かもめかもめ

即興小説トレーニング(http://sokkyo-shosetsu.com/)さんで書かせて頂いた作品の、手直しバージョンです。テーマは「不幸な海辺」です。

 門次郎は言いました。
「このへんは、それはそれは、綺麗な海だった」
 将太郎はそれを聞いて、ふうん、とただ頷くだけでした。ただ、興味なさそうに、一見変哲のない海を眺めています。波が寄せて、次の瞬間には引いて、後には変に虹色に光る膜と、うっすらとした泡が残っています。波打ち際にはピチピチと魚がのたうちまわっていますが、門次郎も正太郎も、その魚を取りに行く気にはなりません。
 将太郎は、あたかも興味なさそうに振舞っていますが、一応、海がこうなってしまった理由を知っています。群れの仲間や、人間たちが話していたのを、将太郎は耳にしていました。
「門次郎さん」
「なんだ」
「人間はなんで、海を汚すの」
 将太郎の質問に、門次郎はただしかめ面をするだけでした。そして本当に全く理解できないような表情を浮かべて、「さあな」と言っただけでした。

 この湾に流れ込んでいる川の上流に、人間たちが作った工場があります。そこが、汚染の原因のようでした。将太郎も何回かその上を飛んでみましたが、煙突からは怪しげな臭い煙がゴウンゴウンと出て、とても近づけたものではありませんでした。群れの中で一番勇敢な由吉も、煙突に近づいて、おかしな煙を吸って動かなくなってしまいました。それ以来、あの工場には誰も近づきません。
 将太郎は一度だけ、群れの長である門次郎に聞きました。
「人間は、僕たちを殺そうとしているの?」
 門次郎は渋い顔をしてこう答えます。
「きっと、そうじゃないんだよ」
「じゃあなんで」将太郎はすかさず聞きます。
「眼中にないのさ。人間たちは自分のことで精一杯で、私たちのことなんか見えていないのさ」
 ふうん、と、やはり将太郎は興味なさそうに頷きます。
 将太郎がこのように振舞うには、ひとつの理由があります。
 将太郎は、綺麗な海を知らないのです。
 将太郎が生まれた時から、海は汚染されていました。魚たちは少なくなり、川から黒く濁った水が流れてくるようになったのも、ちょうど将太郎が生まれた頃からです。
 それ以来、将太郎の目には灰色の海しか映りません。

「綺麗な海を、見てみたいとは思わないか」
 門次郎の質問に、将太郎は少し悩みましたが、諦めたように答えました。
「別に、いいよ」
 将太郎は諦めているのです。もちろん、綺麗な海が見てみたい気持ちはあります。けれど、どれだけ海が汚染されても、人間たちは死にません。魚が少なくなっても、群れの仲間が減って言っても、近くの村の人間は増え続けるだけです。人間は絶滅しません。人間は強いのです。将太郎はこうも思いました。弱いのは僕たちだ、と。
 環境の変化に対応する人間たちが生き延びて、変化に対応できない僕たちが滅び行く運命にあるのだと。
 だから将太郎は、灰色の海を見ても何も感じませんでした。
「それでいいのか」
 門次郎は将太郎に聞きます。いいわけありません。でも、将太郎は諦めてしまっているのです。将太郎はなんだか鬱陶しくなって、逃げるように飛び立ちました。
 ぐんぐんと高度を上げます。門次郎は追ってきません。門次郎の影が、どんどん小さくなります。
 やがて村が目に入ります。

 しかし村では、おかしなことが起こっていました。

 人間が、暴れまわっているのです。
 いや―――暴れまわっているのではありません。苦しみ悶えているのです。
 将太郎は直感しました。人間たちは、魚を食べたのです。あの、汚染された水でどっぷりと肥えた魚を、人間たちは食べたのです。
 将太郎は気分が高揚しました。生まれて初めて、自分の中の心臓の鼓動を確認しました。初めて、生きている、という気がしました。
 そして、その気分のまま言いました。
「ざまあみろ」
 そうして、人間たちを見下ろしながら、ぐんぐんと飛んで行きました。いい気分でした。経験したことのないような気分でした。
しかし、それがいけませんでした。
 唐突に、視界が狭くなりました。次の瞬間、急に息が苦しくなります。煙です。下を見ると、工場の煙が風に流されていました。将太郎は、いつの間にか工場の煙の中に突っ込んでしまったのでした。
 まず、意識が遠のいていきました。それから徐々に、羽が動かなくなりました。力が入らなくなり、ついには全く動かなくなってしまいました。
 そして将太郎は、そのままどんどんと落ちていきます。
 真っ逆さまに、落ちていきました。
 将太郎は薄れゆく意識の中で、空が目に入ります。その日は、綺麗な青空でした。ただ自分が死にゆくという感覚の中で、その空の青はあまりにも綺麗でした。
「きれいだな」
 将太郎は思わず声を出します。将太郎自身には、声が出ているのかどうかは、もうわかりません。
 しかし、空は綺麗でした。
 青く、綺麗でした。
 それが将太郎の目には、青く輝く、綺麗な海に見えました。決して見る事のなかった、青い海。門次郎から話に聞くだけだった、大きな海。海はそこにありました。
 将太郎はちょっとだけ満足しました。
 そして、その大きな青に抱かれて、将太郎はそっと目を閉じるのでした。

かもめかもめ

お読みいただき、ありがとうございました。
私たちが環境問題から学ばなければいけない教訓は、きっと多いと思います。

かもめかもめ

即興小説・「不幸な海辺」

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-29

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