光陰矢の如し

川崎ゆきお

 その寺の境内は周囲に比べ自然が豊かだ。古くからある寺だが、今はその時代の伽藍は何も残っていない。何度も焼けたためだろう。
 その境内の片隅に蓮池がある。その水際に小さな社が見える。そこから手の届くほどの距離に、観音像が池の中に立っている。
 蓮池の中ではないが、カメラを肩にぶら下げた男も立っている。観音像を見ているようだが、まだ写す気はないようだ。その周囲をそれとなく見ている。観音像とその背景をどう組み合わせようかと思案しているようにも見える。
 その視界の中に坊さんが入っ来た。若い住職だ。そして、近付いて来た。片手に庭箒を持って。
 二人の視線が合った。
「光陰矢の如しと言いますが、すっかり変わりましたねえ」男が先に声をかける。
「いえいえ、この寺は昔のままですよ。私が子供の頃とあまり変わっていません」
「お寺の周囲です」
「ああ、建物が多くなりましたでしょ。さすがに高層マンションは建たないようです。特に反対はしていないのですがね」
「裏のお墓は緑が多いですねえ」
「ご覧になりました? 石仏が多くあるのですが、下草が生えて、隠れてしまってます」
「知ってますよ。霊場巡礼コースでしょ。昔、順番通り回ったことがあります」
「ああ、そうなんですか」
「もうすっかりこの町も様変わりし、懐かしく見てられるのは、このお寺だけですよ」
「いえいえ、古いだけで」
「昔はこの境内で鬼ごっこや木登りをやりましたよ」
「そうなんですか」
「その頃とあまり変わっていませんねえ」
「修理をしないといけないのですがね、寄付が集まりません」
「しかし、懐かしい風景を残してくださっているので、感謝します」
「この蓮池宮は比較的新しいのですよ。檀家の人の寄付ですがね、私が中学生の頃に造ったのかなあ。今はすっかり馴染んでいます。昔はただの池でした。曾祖父の代に池を掘って、鯉を飼っていたようです。私の子供時代はただの水溜まりになってましたがね。深くはないのですが、泥が溜まっているので、落ちると危険なんです」
「池の、あの仏像、可愛くていいですね。こじんまりされているが、品がある」
「あの観音様は寺の物置から出て来たんです。どなた様かが寄進されたのでしょうねえ。たまに台座から落ちるんですよ。池の中に。引き上げるのが大変です。近所の人は飛び込み観音って言ってますがね」
「昔は仏像なんて、興味がなかったのですが、今見ると、いいものですねえ」
「私はまだ若いので、今一つですよ」
「いえ、ありがとうございました。あちらの巡礼コースを懐かしく見て、そして帰ります。いい場所を長く残されて、有り難いです。ここだけです。思い出が残っている場所は」
「はい、お気をつけて」
 住職は庭箒を手に、住居の方へと向かった。
 そして小一時間後、男は寺の裏口から出ようとした。そこは墓場と通じている。
 肩にカメラ、片手に鞄を持っているが、かなり膨らんでいる。そして靴やズボンは濡れていた。
 墓場を抜けると、もう一つ扉がある。そこから外へ出られる。
 そこに先ほどの住職がいた。
「お持ち帰りは困るのですが」
 男は静かに、そしてゆっくりと鞄を開け、ブツを地面に置き、一気に走り去った。光陰の矢よりも速く。
 
   了

光陰矢の如し

光陰矢の如し

その寺の境内は周囲に比べ自然が豊かだ。古くからある寺だが、今はその時代の伽藍は何も残っていない。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-21

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