掌編恋愛小説5「ガラスの国」
以前書いたものを少し手直しし、移動。恋愛小説で、かつ掌編は纏めようかと。
ガラスの国
「今度こそホントに運命だと思う。一目でわかったの。愛ってね、眼に見えるものなんだもん」
理子ちゃんの嬉しそうな顔を見るといつも、私の胸の奥の方で冷たい何かが生まれる。氷みたいに冷たくって、心がちくちくする。
「真実の愛、永遠の愛、すっごく素敵でしょ。なんかあたしアイス食べたくなっちゃった」
理子ちゃんの無邪気さは私の眼の前の白黒の世界をカラフルなクレヨンで塗りつぶしてくれる。無機質なものに囲まれた殺風景な駅に、『真実の愛』が蝶々みたいにひらひらと舞っては散る。『永遠の愛』が赤い花を咲かしては枯れ、辺りは甘い香りで満たされる。
使い古され色を無くした言葉が、理子ちゃんの口から発せられるとあっという間に宝石みたいに輝き始める。
彼女のピンク色の可愛らしい唇はグロスで光っていた。
「絵里ちゃんもアイスいる?」
自動販売機の前で理子ちゃんが言った。
彼女がアイスを食べるのは熱いものが胸の奥に芽生えたからだと思う。だって今、私は温かいお鍋が食べたい。秋も長けてきた、お腹を壊さないようにね、と心の中で小さく呟いた。
「ううん、平気」
電車を待つ間中、理子ちゃんは買ったアイスを子猫みたいにペロペロ舐めてた。同じように私の胸の奥の冷たいものも優しく溶かしてくれればいいのに。
声にならない言葉が胸の奥の冷たいものを大きくしていく。
「運命の赤い糸って本当にあるの。ほら、あたしの指から確かに伸びてる」
理子ちゃんはピンと伸ばした指先を青空に向け、左手を高く上げてじっと小指を見つめてた。
私はそれに答えなかったし理子ちゃんの指を見ようともしなかった。どんなに綺麗な赤だとしても、彼女の小指に繋がる赤い糸なんて見たくはなかった。
こんなことが何度あっただろう。理子ちゃんはすぐ人を好きになり、嫌いになる。愛は自動販売機で買えるくらい安いもの? アイスで簡単に冷やせるもの? そんな愛ならいらない。
「赤い糸は透明なガラスを熱して溶かしたものなの。心で温めないといけない。冷えたら最後、丁寧に扱わないと簡単に壊れちゃう。切れるんじゃない、壊れちゃうの。そんなに壊れやすいのに、それでもあたしは諦めてないんだ。真実とか永遠とか、そういう愛を」
私だって知ってる。彼女の愛だけじゃない、どんな愛も脆く壊れやすいガラスと同じ。透明な光があちこちに反射して桜みたいに綺麗なのにすぐに散っては消えちゃう。みんなそれをテープやなんかで継ぎ接ぎしながらなんとか誤魔化してるんだ
でも理子ちゃんはそんなの許せない。
『そんなの綺麗じゃないよ』って訴えてみるけど、その声を神様は聞き入れない。いまだに理子ちゃんは綺麗な愛を手にしてない。
「わかるよ、理子ちゃんの言ってること」
「うん、絵里ちゃんならわかってくれると思った。ありがとう」
電車が来た。『ありがとう』という言葉が私の胸の奥をほんのちょっとだけ温めてくれた。
「知ってるよ、真実の愛。だって私、理子ちゃんのこと――」
「えっ?」
私の声は電車の騒音にかき消されて届かなかった。いいや。丁寧に扱わないと壊れちゃうんだから。この愛をずっと育てて、いつか胸の奥で理子ちゃん以外誰も入れないガラスの国を、純粋な結晶が放つ透明な光で溢れた国を作り出すんだ。
電車から悲しげな表情の女性が降りてきた。コートの隙間から見えるワンピースの赤が彼女に良く似合っている。唇の端を噛みしめ、今にも泣き出しそうな彼女は、それでも力強く大股で階段へと向かって行った。
悲しみの色は海のように深い青だと思っていた。でもそれって勘違い。悲しみの色は愛と同じ、血のような、深いふかい赤なんだね。
私はいつもみたいに彼女と電車に乗った。
掌編恋愛小説5「ガラスの国」
結局は同性愛に行き着いた。求めない、欲しない愛を描きたかった。すると途端に自己完結的な愛情になる。愛情が何も求めないとすると多くの矛盾を生む。それでも愛情は何も求めないもので良いのだと思う。矛盾すら内包しうるものが愛なのだと思いたい。