掌編恋愛小説3「初カノの話」
初カノの話
彼女との出会い? そんなのいつだったかは忘れちゃった。ただね、印象的だったのは、彼女の一人称が「ボク」だったってこと。あぁ、僕と一緒だ。
「ボクね、昨日ね――」
「ボクね、バイトでね――」
「大学でね――」
「ボクね、ボクね、・・・・・・」
友人が働いていたバイト先に彼女はいた。友人と共にファストフードの店内に座っている彼女を見た。特徴と言えば、背が低く、胸がでかい。それにつきる、が、それで十分とも言える。
彼女は友人の前で、とにかくはしゃぎながらギャルみたいな口調で絶え間なく喋り続けていた。それは小型犬がキャンキャンと鳴く、弱者が見せる最後の虚勢のようで、僕にはどこか滑稽に見えた。が、すこし可哀想だとも思った。なんでかは当時の僕にも、今の僕にもわからない。もしかすると、それが愛情に結びつく何かだったのかもしれない。
僕は正直言って、こいつは頭がおかしいんじゃないかってしばらくは思っていた。そして彼女とともに――友人として――過ごした後にようやくわかった。頭がおかしいんじゃないか、ではなく、頭がおかしいのだ、と。
彼女の夢は学校の先生になることだ。彼女が学校の先生なんかになったら世の中大変だと僕は思うのだが、現に今、彼女は小学校教諭を生業としている。
案外、頭のおかしい奴に限って先生という職業が板につくのかもしれない。何せ、学校と言うのは社会と交通のない閉鎖空間だ。生徒も先生も社会的な正常さを持ち合わせている必要などない、いや、それどころか、そう言った正常さは時に異常さとして受け取られることさえあるのだ。
それが学校と言うものだろう。
彼女の夢は、正確に言うならば、「東南アジアの貧乏な子供たちの為に勉強を教えてあげること」だ。学校の先生とは、ホントのところは東南アジアのいくつかの途上国で教師になるということだった。
これが彼女が僕に来かせた夢なのだ。
「ボクね、学校の先生になるんだ。 可哀想な子供たちにね、いっぱいいっぱい勉強を教えてあげるの。それでね、ボクね、みんなを幸せにしたいの」
と、こんな具合にイカれたことを平気で言ってのけるような摩訶不思議な十九歳だった。僕はそのころ、まだ十八歳、彼女のほうが誕生日が少し早かったのだ。
彼女の夢は、なんとなく叶ったのだと思う。学校の先生になった彼女と一度、酒を飲んだことがある。次の日が運動会だと言いながらも、朝の四時過ぎまで一緒に飲んでいた。当然次の日は酒の匂いを漂わせながらも何とか学校に行って、運動会というなんとも七面倒なイベントを乗り切ったはずだ。
大変だ大変だ、と言いながらも、子供たちが可愛くて仕方ないという感じだった。
それと同時に彼女は、子供たちが憎くて仕方ないという感じも持っていた。
そういう人だった。愛と憎しみを一つの対象に激しく向け、根底には何物に対する信頼を持たないという驚異的な孤独を持ち合わせた奇怪な少女だったのだ。
恋に落ちたきっかけ? さぁ、どうだったろう??
僕は「恋に落ちる」という言葉はあまり好きではない。誰かが何かのドラマで言っていた、「恋とは落ちるものではなく、上がるものだ」みたいなこと。
そう、僕にとったって恋とは上昇だ、浮遊だ、飛翔だ、君がいるから僕は空だって飛べるんだと言いたくなるようなそういう類の、心の内から喜びが迸るような、そんなものが恋なんだ。
が、彼女との場合、「恋に落ちる」という表現がしっくりくる。僕は彼女に向かって、真っ暗で上下左右の方向感覚もない世界へと、虚無へと、深淵へと、僕はまっすぐに落ちて行ったのだ。それが「恋に落ちる」という奴だ。そこでまっているのは苦悩だけではないか・・・・・・。
しかし、まぁ、「恋に落ちる」のも、そう悪くなかった、と今では思える。大人になったのだろうか。
そう、そうだった。「恋に落ちた」きっかけの話だった。
彼女と出合った少し後に、僕も同じ職場で働き始めた。それ以後、僕と彼女との間には幾多のイベントが起こってもいいはずではあったが、実際には友人以上の関係になるに足りうるイベントは起こらなかった。
僕にとっても彼女にとってもそんなのは必要なかったのかもしれない。別の友人込みで、旅行に行ったり、お酒を飲んだり、カラオケ行ったり遊園地に行ったり、いくらでも発展しそうなチャンスがあったのは確かだ。が、やはり普通の友人の一人に過ぎなかった。
そして半年ほど過ぎた。
彼女と僕はその日、午前零時を過ぎる頃まで一緒に働いていた。残っていたのは僕らと社員だけだった。
僕らは社員を残して職場を後にし、近くのコンビニへと向かった。どうしてもその時間まで働くとなにか口にしたくなるものだ。
季節が季節だったので、彼女と僕は肉まんを買った。寒い季節にはぴったり。
「あったかいね」
「ねぇー。まじちょーうまいんだけど。ぼくねー、寒いの好き。あったかいのがめっちゃうまくなるもん」
「うん。うまいね」
てな具合だった。彼女はいつだってはしゃいでいる。いや、はしゃいでいるように見せた。いわばキャラだ。キャラを被っていたのだが、それが皮膚に少し馴染みすぎたみたいだ。もう簡単には剥がせなくなっていた。
本当の自分というやつを彼女は見失ってしまったのだ。
だけど・・・・・・本当の自分なんて、僕はまだ出会ったことがない。
「んじゃ、そろそろ帰るべ」
「えぇー、帰っちゃうの? ボクひとりぼっちになっちゃうじゃん」
と、彼女は上手に悲しそうな表情を作ってみせる。
「いや、知らんがな。だって、チャリでしょ、僕は原付だもん」
「えぇー、じゃあ家まで送っていってよ。近いし、ね」
「あぁー、まぁ、じゃあわかった」
と、しぶしぶ僕は承諾した。
家は本当にすぐ近くだった。僕が原付、彼女は自転車で五分もかからない場所にあった。夜の住宅街を二人でのんびり走ったにもかかわらず、だ。
「んじゃ、おつかれぇー」
「えぇー、帰っちゃうの?」
「うん」
「だって、ボク、独りになっちゃうよ?」
「そんなの僕だって一緒だよ」
「それなら一緒にいようよ」
「嫌だよ、それに、僕このあたりはあまり来たことないから、ちょっと原付でここらをぐるぐる回ってみようと思ってるんだ。だから早く行きたいんだな。悪いね」
「えぇー。ならボクも一緒に行くよ」
「一緒は無理。だって君はチャリじゃん」
「後ろに乗る」
「えっ?」
「後ろに乗るもん」
原付の二人乗りは違法です。危険です。やってはいけません。
「つかまる」
「つかまらない」
「原点、罰金、困るのは僕じゃん」
「困らない。だってつかまらないもん」
「・・・・・・」
ここで小休止。
彼女の魅力ってのはいったいなんだったのだろう? とにかく、彼女は男心というものをよく理解していたように思える。
どういうものに男が女性を感じるか、どういうものに喜ぶか、どういうものを嫌うか、彼女の年齢にしてはよく男を知っていたのだろう。それに比べ、僕はまったく女というものがわかっていなかった。
彼女のテクニックを説明するのは難しい。女性的なヒステリーを、基本的に男は嫌う。が、その見せ方次第では男の心にぐっとくる部分がある。なんと言うのだろう、けな気に見えたり、純粋に見えたり、どこかいたいけだったり、とそんな風なことだ。それを地で生きて見せるのが彼女なんだ。男を落とすという意味では天から立派な才能を授かった。それが彼女の望んだものかどうかわ定かではないが。
彼女はもしかすると、女としてはかなり強い能力を持った人間だったのかもしれない。
「んじゃ乗れば。はい」
と、僕はヘルメットを彼女に渡した。
「やったぁ」
といつもどおりはしゃぐ彼女。
後ろに乗った彼女の胸を、僕は背中で感じていた。童貞かつ女性にほとんど触れたことのない僕にはそれだけで心臓が口から飛び出さんばかりの激しい鼓動を打ってしまった。
そうか、このときにはもう落ちてしまっていたのかもしれない。
「ちゃ、ちゃんとつかまってろよ」
と、下心だけでもって僕は言った。
「うん。ボク、なんか、ドキドキしてきた」
と、上手い具合に男心をつかみやがる彼女。ホントはそんなこと、慣れきっていて、少しもドキドキなんてしてないくせに。いや、少し違う。彼女は彼女のドキドキを自分自身で作り出すことが出来るんだ。彼女はそういうキャラを演じきっていた。いやいやいや、そういうキャラに没していた、彼女がそれ自身になっていた、そう言っても言い過ぎということはなさそうだ。
しばらく近所を走っていると、隣りの市との境にある川へと辿り着いた。川沿いには細い歩行者用の未舗装の道があった。
「ここ、走ってみよっか。ずっと行けば山まで行けるよ」
と、半分冗談で僕が言うと、彼女はノリノリでこう言った。
「山まで行こうよ、山でさ、二人で暮らそう。そこで畑やって、田んぼ作って、自給自足するの。ボクは××君と一緒なら、ずっと仲良く楽しく暮らせるよ」
とな。
ちびで巨乳の女が後ろから抱きついた状態でこんなことを言われて「恋に落ち」ない男がいたら僕は教えて欲しい。そいつに僕は言ってみせる。「君は男じゃない」と。
そんなこんなで僕は彼女と「恋に落ちた」。深いふかい奈落の底へ・・・・・・。
これ以上僕が語るべきことはそれほどない。
僕と彼女はこの後、付き合うことになった。彼女には当時、付き合っている男がいた。彼女は別れると言った。だから僕は付き合った。
しかし実際には別れていなかったということを、僕が彼女と別れたと後に友人から聞いた。と、それどころか、僕以外に付き合っている人間が三人もいたそうだ。
これだけ語ると彼女はクソみたいな女性に見えるかもしれないが、総じて見れば、なかなかに面白い人間であった。
僕にとって彼女は今でも素敵な女性だ。
行為の良し悪しはともかく、なんだか可哀想で、僕はときどき今でも彼女を思い出しては、なんだかセンチな気持ちになって眠れなくなるときがある。
彼女はきっと、僕のことなんか微塵も思い出さないんだろうけど。
なんて、ね。
彼女が今、だれよりも幸せであることを願う。
掌編恋愛小説3「初カノの話」
最近好きになって付き合った女性と、初めての彼女がなんとなく似ていて、書いてみました。が、すげぇテキトーだな、と我ながら思います、はい。