旧作(2010年完)本編TOKIの世界書一部「流れ時…3」(時神編)
TOKIの世界。
壱‥‥現世。いま生きている世界。
弐‥‥夢、妄想、想像、霊魂の世界。
参‥‥過去の世界。
肆‥‥未来の世界。
伍‥‥謎
陸‥‥現世である壱と反転した世界。
ジャパニーズ・ゴット・ウォー
この日本には八百万の神がいると言われている。その大方は人が勝手に信仰してうまれたものだ。そうやって沢山神が生まれていてもこの国は神が飽和状態にならない。
人間にとって必要がないと判断されれば神は消えてしまうが反対に人間が祈れば新しい神が生まれる。
この世界はそれを繰り返してまわっているのだ。
「冷林(れいりん)が……消えた。」
「なんでこんな事が……。冷林が消えたら高天原北は大変ですわ。」
「知らぬ。情報を集めよ。……高天原東の長、東のワイズ、高天原西の長、西の剣王も動いていると聞くが……。」
「わかりましたわ。ミカゲ君。」
少年と女の声は風に揺れて消えた。
「あー、ほんとやばいな……俺、明日には消えてんかもしれねー。」
「なに言ってんですか。僕だって消えますよ。」
若い外見の男の神様二人組が神社をバックに酒を飲んでいる。
街よりも一段高い場所に神社が立っているため、わざわざ階段を登って来る人もおらず、街灯もなく暗い。いまある唯一の光源が月であった。
「俺、なんか悲しくなってきたぜ。俺はこう見えてずっと昔から実りの神様だったのによぉ。」
「いいじゃないですか。実りの神ならば飢饉のときに助けられるじゃないですか。」
「何言ってんだよ。おたく、昨今の日本じゃ飢饉なんて言葉しらねーやついるんだぜ。それによぉ……俺の神社の目の前にでっかいスーパーができたんだ。もう、やってられねーよな。外じゃあ、ぷくぷく肥えたガキどもが『今日はここのレストランでハンバーグ食べたい!』とかいってやがんだぜ。おまけにあえて食わないで痩せようとする女まで現れて……俺、どーなっちゃうんだってんだよな。」
実りの神様とやらは目に涙を浮かべ、こんちくしょー!と酒をぐびぐび飲む。
「僕なんて井戸の神様ですよ……。この地域にはもう井戸なんて使っているところなんてないし、明日にでも消えますよ。僕。」
井戸の神様とやらも実りの神様に負けじとぐびぐび酒を飲む。
「それに、今、こんな恰好で街を歩いたらコスプレとか言われるんだぜ。」
実りの神様は赤ら顔を井戸の神様に向けると服をつまんだ。
「ええ!これ、普通の和服ですけど。」
実りの神様は紅色のちゃんちゃんこを着て下は白い袴だ。髪は金色短髪で頭の上の方に狐のような耳が生えている。普通に見たら奇妙な格好だ。
対する井戸の神様はゆるゆるパーマをかけたような髪型で、美しい銀髪、群青色の着物を着ている。こちらはプロのコスラーならばいそうな気がする。
「まあ、どうせ人になんて見えねえんだけどよ。」
実りの神様は狐のような耳をピコピコ動かす。
「……それが問題なんですよね。存在に気づいてもらえないんです。」
「まったくやってられねーよな!」
二人はまたぐびぐびと酒をビンからラッパ飲みする。
と、そこへ二人の若い女が階段を駆け上がり、神社に入り込んできた。
「お?参拝か?……っておたくらかよ。」
実りの神様が一瞬顔を輝かせたが現れた女達をみてため息をついた。
「あ!どうしたのじゃ!飲めもしないくせにお酒など飲みおって!あーあー……こんなになってしもうて……。」
「うるせーな。飲まなきゃやってらんねぇんだよ。」
実りの神様は近寄ってきた女をしっしっと追い払うマネをする。
「なんかそのセリフ、疲れ切ったサラリーマンみたい。酒は憂いの玉箒ね。」
もう一人の女が何本も地面に転がっている酒ビンを見ながらため息をついた。
「歴史神と時神ですかあ……。いいですよねぇ、君達は。歴史と時間なんて人がいなくならないかぎり永遠じゃないですか……。ほら、歴史神は人間の歴史を管理して、時神は人間の時間を管理している……仕事あるじゃないですか。」
井戸の神様はとろんとした目を女達に向ける。
「おたくのその恰好もまた、コスラーが喜びそうだぜ……。それからそのしゃべり方も今は時代遅れだぜー。」
実りの神様は歴史神をじろじろと舐めるようにみた。
「な、なんじゃ。恥ずかしいではないか……。」
歴史神は顔を赤らめると実りの神様から目を離す。恰好からすると歴史神はいうなれば奈良時代の人だ。
赤色のからぎぬ、大袖はワインレッドで小袖は金色だ。帯は黄色でそえも(袴のようなもの)は白色である。髪は奈良時代にはこだわっていないのか黒のロングヘアーという今どきの髪型。
ある意味、マニアからはうけそうな格好だ。
「そういえば時神は時代にあった格好してますよね。」
井戸の神様は放置されたビンを一つにまとめている時神に目を向ける。
「え?私の事?だって私は現代の時の神だもの。過去に生きる時神ではないのよ。だから流行の最先端をいくのよ。」
「わかったような……わからないような……。」
時神はピンク色のペプラムトップスにコバルトブルーのキュロットスカートを着込んでいて茶髪のショートヘアーだ。現代の若者という感じである。
「というか、おたくらも酒飲みにきたのか?残念だがもう酒が……。」
「お酒なぞいらぬ!なぜおぬしらはそうやっていつもやくざれるのじゃ!やくざれる前になんとか考えんのか!それだからおぬしらは……」
「あーうるせぇな。おたくはなんだ?俺のかーちゃんか?」
「あ、それ人間っぽいセリフですね!」
実りの神様が発した言葉により歴史神の眉間のしわが深くなり、それをよそに井戸の神様は実りの神様にピースをおくる。
「とにかく!お酒など飲んでいる暇はないのじゃ!」
「そういえばさっきからみなぎっていますけどどうしたんですか?」
井戸の神様はいつもよりもテンションの高い歴史神に向かい首をかしげる。
「アヤ、説明じゃ。」
歴史神は時神をつんつんとつつく。アヤというのは時神の名前らしい。
「ええ。説明が下手な歴史の神に変わって私が説明するわ。」
「下手って……へこむのぉ……。」
がっくりと肩を落としている歴史神を無視してアヤは話しだした。
「この辺界隈に新しい神様が人の手により作り出されたの。この時代には珍しい事でしょ?その神様がどうやらこないだこの界隈で亡くなった人間のおじいさんらしいの。本人は本意ではなかったらしいけど近所の人達から神様のように尊敬されていたみたい。その心が集まって彼は神様になってしまった。彼は神様になったけれど心は成仏してもうなくなっていて外見だけあるというふうになってしまったの。生まれたばっかりの神様。つまり精神レベルが赤ちゃんの神様が生まれてしまった。そこで彼を一人前の神様にしようとしているんだけど……。」
「外見じいさんのあかんぼをか!」
「そう。」
「やだぜ。なんでじいさんの面倒見ないといけないんだよ。わけわかんねぇよ。俺はそんなに暇じゃねぇんだ。おたくらでやりゃあいいじゃねぇかよ。」
「暇じゃろ!なんもやっておらんではないか。」
「ううあ……返す言葉がみつからねぇ……。」
アヤの申し出を軽く断った実りの神様だったが歴史神の言葉を聞いてつまった。
「あれですね……。ほら、八百万もいらない!って言っている神の集団が襲ってくるかもしれないですね。彼らにとって僕らも含めて新しい神様は邪魔でしかありませんし。有名どころの神達は人の信仰心とか関係なくなっちゃってますもんね。地球において絶対的な真理!みたいになってるからいつ消えてもおかしくない僕らとは雲泥の差ですね。」
「まあ、そう自虐的になってはいかぬ。何か行動すれば道が開けるかもしれぬじゃろ?」
歴史神が井戸の神様を慰めるが酒も入っているせいか井戸の神様の表情は暗い。
「じいさんのおもりでかよ……。」
実りの神様はやる気ゼロで余っている酒ビンに手を伸ばした。
「ダメよ。これ以上飲んだら明日頭痛くなるわ。」
アヤが素早く酒ビンを奪い取る。
「いいじゃねぇか。別に。なんもしねぇんだし。」
「何言ってるの。明日はおじいさんに会いに行くのよ。」
「勝手に決めんじゃねーよ。」
アヤを睨みつけた実りの神様はお酒のせいかうとうととし始めた。
「しっかりしなさい!」
それを見たアヤは激怒し、大声で叫ぶと実りの神様の頬に平手を食らわせた。
「いってえええええ!」
殴られた反動で実りの神様はごろんとその場に倒れてしまった。スナップのきいた平手だったので相当痛かったのではと予想される。
「ふう……目、覚めた?」
「な、な、何しやがる!いってぇじゃねぇか!……たく、こええ女だよ。それからいきなり豹変すんな!おっどろいた……。ああ、目は覚めたよ。おたく、意外に狂暴なんだな。」
実りの神様は驚きつつ目をパチパチとさせていた。
「狂暴なんて失礼な男だわ。」
アヤの怒りは冷めたのか今はケロッとしている。
「わかった。わかった。じいさんに会いに行くから今日はもう帰ってくれ。」
「え?行くんですか!」
「しょうがねぇだろ。ちょっと見に行くだけだと思えば安いぜ。どうせやる事ないしな。」
「まあ……ミノさんがそういうなら……。」
井戸の神様も実りの神様に渋々承諾した。
「よし。決定じゃな。明日、迎えに行く故、今日はゆるりと休むとよいのじゃ。」
「明日、ここにまた来るわ。じゃ。」
二人はこちらが承諾するとあっけなく夜道を帰って行った。
「……なんだったんだよ……めんどくせぇな。」
「おじいさんで赤ん坊なんてちょっと想像がつかないんですけど。あ、お酒なくなっちゃったんで自分の神社に帰ります。いつまでも千福神社(せんふく)にいるわけにはいきませんからね。」
「ああ。酔って転ぶなよ。イドさん。まったく酔いが覚めちまったぜ。」
井戸の神様、イドさんは実りの神様、ミノさんに笑いかけるとふらふらとした足取りで階段を降りていった。
誰もいなくなった神社の真ん中でミノさんは長いため息を漏らし、ごろんと横になった。
二話
翌日、まだ日が昇りきっていないというのに時神のアヤと歴史神が現れた。
「起きるのじゃ!行くぞよー!」
「む……?」
歴史神は神社の前でだらしなく眠っているミノさんを叩き起こした。
「品のない寝方をしているのね。ジャンプ失敗してつぶれた蛙みたいよ。」
「……どんなたとえだよそれ……。うるせぇな。」
アヤがやれやれと頭を抱えるがミノさんはごろんと寝返りをうっただけだった。
「ミノさん、ミノさん、起きた方がいいですよ……。寝耳にミミズですよー。」
ミノさんよりも早く叩き起こされたらしいイドさんが歴史神の横にひょっこり現れ、耳打ちをする。
「ああ?寝耳にミミズってやだな。それ。おたくもこんな夜明けから起こされたのかよ。別にじいさんに会いに行くなら昼でもいいじゃねぇか。めんどくせーな。」
ミノさんは一瞬睨んだが身体を起こし立ち上がった。
「よし。それでは向かうぞよ!」
歴史神は朝からテンションが高く、ニコニコ顔で走り去って行ってしまった。
「ヒメさんは朝から元気いいですね~。僕は低血圧ですよ~。」
「なんだよ。そのヒメさんつーのは。」
「歴史神のあだ名ですよ~。お姫様みたいでしょ?」
「ふーん。俺、朝飯食ってねーんだけど。」
「あきらめた方がいいですよ。ちなみに僕も食べてませんし。」
苦笑いを浮かべたイドさんにミノさんは「はああ……」と大きなため息をついた。
「あ、言い忘れていたわ。おじいさんは神社じゃなくてお墓にいらっしゃるから。」
「墓?……ああ、もう、わかった。わかった。どこへでも行く。」
ミノさんはアヤに連れられてゆっくりと神社から階段へと向かった。
「そのおじいさんってこの辺にあるお墓にいるんですか?」
階段を降りながらイドさんは歴史神のヒメさん、アヤどちらにしぼることなく疑問をぶつける。
「すぐそこよ。」
「街を抜けて少し山を登るがの。」
二人は迷いなく足を動かす。階段を降りて大きなスーパーがある道を歩き、マンションを抜け、山へと続く坂道を登っていく。
「で、俺らはじーさんに会ってどうすればいいんだよ。」
「守るのじゃ。」
「守る?」
「……つまり、人から生まれた神様を守るって事か?八百万もいらねぇって言っている神から守るだかなんだか……。だがよ、俺達、地球ができた理由的なものをお持ちになっている神に勝てる気がしねぇんだが。」
「まあ、そこはなんとかしようぞ。ワシも何か考える故……。」
ヒメさんは山を登りながら気難しい顔でうんうんと頷いた。
「おいおい。ノープランなのかよ。」
ミノさんが頭に手を置いて嘆いている時、アヤが声を上げた。
「ついたわ。ここの墓地にいるわよ。」
もうそろそろ秋の色が出てきているのかお墓は彼岸花や紅葉などで赤くなりはじめている。
お墓は山の中腹にあり、木で囲まれた静かな場所に沢山建てられていた。
「墓地なんて自分、はじめてです。」
「俺もはじめてだ。」
イドさん、ミノさんはものめずらしそうにお墓を眺める。
「ほら、あそこじゃ。」
ヒメさんがはじっこにあるお墓を指差す。紅葉の木が邪魔してお墓自体よく見えないが何か白いものを見たような気がする。
「なんかいるな。」
「行ってみればわかるわ。」
四人は紅葉の木の近くにあるお墓に近づいて行った。色々な種類のお墓がある中、敷地が広く、ひときわ大きなお墓があった。
「!」
そのお墓に一人のおじいさんが座っていた。白い着物を身に纏っていて顔かたちはゆでたまごのようにつるりとしている。目はゴマのように小さい。口元にたくわえた白いヒゲが年季を感じさせる。
「お?」
おじいさんは喜びの顔で四人をむかえてくれた。
「おはよう。おじいさん。」
「おはー☆鬼ごっこする?」
外見からは想像できないような言葉がおじいさんから出た。
「今度ね。」
アヤはうまくおじいさんと会話している。その横でミノさんは頭を捻った。
……つーか、あかんぼってしゃべれんのか?
なんでこのじじいはしゃべってんだよ……。今、しゃべってんのはじじいの魂か?
だけどうまれたばかりなんだろ?
そんな疑問をアヤにぶつけようとした時……
「ん?」
なんだが嫌な予感がした。
「どうしたのじゃ?」
「何かやな予感がするのだが……。」
「そういえば……何かに見られているような感じがありますね。」
「ワシにはよくわからぬが……。」
しばらく不吉な予感が二人の胸をうずまいた。アヤも何かを感じ取ったのかきょろきょろとあたりを見回している。ヒメさんに関してはきょとんと三人を見ている。
「な、なんか地面が不安定なんですが……」
「不安定?」
イドさんは地面に何か違和感を覚えたようだ。
「やばいわ……。みつかった。青天の霹靂ね。」
アヤはおじいさんを連れてミノさん達の影に隠れた。
「な!俺は無理だって言ってんだろ!」
ミノさんが叫んだ時、土の中から体格のいい男性の影が現れた。目も鼻も口もなくただ真黒な影である。足はない。地面にそのまま繋がっているようだ。
「なななな……すごいのに見つかってしまいました……。」
「あれは国之常立神(くにのとこたちのかみ)じゃ!大地をつくったとされる神!宇宙の本源神じゃ!」
「さすが歴史神だな……。で?どうすんだ?なんだか殺気っぽいのを感じるんだが……。」
「……ノープランじゃ!」
ヒメさんはビシッと胸を張った。
「こんな時にいばってんじゃねーよ!」
「とりあえず聞くけど、あなた達は何ができるの?足止めとかなんかできれば……。」
アヤはまずイドさんを見た。
「え?僕ですか……僕は……あ!水を出せます!」
「なんかいい感じね。で?ミノは?」
アヤは、今度ミノさんに目を向ける。
「ミノって……。ああ、俺はうどんを出せるぜ。あ、そばもごはんも。」
「まじめにやりなさい!」
「まじめだっ!ふざけんな!俺はうどんを出す事が一番得意だ!それが精一杯だ!」
ミノさんはフフン!と鼻をならして胸を張ったがこの状態では何一つ使えない。
とりあえずミノさんは手からきつねうどんを出してみせた。
「ほら、ちゃんとどんぶりにもデザインしたんだぜ。ダシは昆布と煮干しだ。すげーだろ。これ編み出すのに何年かかったか。」
「もう職人じゃない。それだけ暇だったのね……。」
自慢げに話すミノさんにアヤがふうとため息をついた。
「あ!じゃあ僕は……。」
イドさんは手からコップ一杯の水を出現させるときつねうどんの横に置いた。
「おお!きつねうどん定食のできあがりだな!よし、ご飯もつけよう。」
「何やってんのよ。こんな時に!」
ミノさん、イドさんは国之常立神をよそに色んな定食をつくっている。
「そうじゃ!そんな事をやっとる場合か!」
ビシッと言ったヒメさんにおじいさんはうんうんと頷く。
「……確かにこんな事やってる暇ねぇよな。」
ミノさんは一応つっこむと一歩足をそうっと出した。
「何する気?」
「イドさんの水の力にかける事にしようぜ。俺らは逃げる!」
「何言っているんですか!水の力って言っても僕はコップ一杯のお水しか出せません!」
「……。」
一同は黙り込んだ。これは本当にピンチだと悟ったらしい。
「え……水でバシャーっと派手にやってくれるんじゃねーのかよ!」
「無理ですよぉ。無茶言わないでください!」
国之常立神は動き出した。地面自体が大きく動いているような、波打っているような……そんな感覚になった。
まともに立ち向かったら勝ち目はない。
そうこうしている間に今度は地面からにょきにょきと腕のようなものが出てきた。すべて土でできているがとても固そうだ。人を守ろうとしているのかお墓には一切手をつけていない。お墓以外の通路、地面から触手のようなものが伸びている。
ミノさん達は恐怖心からか動く事ができていない。
……どいつもこいつも……私がやるわ……。
アヤは手を前にかざした。手からは鎖が飛び出し、まっすぐ国之常立神に向かって飛んで行った。
「おたく、何してんだ?」
「逃げるわ。」
国之常立神に鎖が巻きついていく。だんだんと身動きができなくなっていき、最後には完全に止まった。
「おお。時間停止というやつですね!」
「そう。そこの神様の時間を止めさせてもらったわ。でもすぐきれるからさっさと逃げましょう。」
「やるねぇ。アヤちゃん。」
「調子に乗らないで。」
にやにやとこちらを見ているミノさんをアヤはてきとうにあしらった。
……それにしても変ね。私の術が簡単に効くなんて……あれほどの神が……
「ああ、怖かったのじゃ……もう会いとうないのぉ……。」
一同は止まっている国之常立神から脱兎の如く走り去った。
とりあえず止まっている土の手の間をひたすら駆ける。おじいさんをミノさんが担ぎ、イドさんは手から出したお水を飲みながらひたすら山を下る。ヒメさんは一杯のうどんを持ちながら走っている。
「そうだ!このまま街の中へ行こうぜ!」
「それいいですね。」
「ウィンドウショッピングできるわね。」
「ワシ、携帯電話とやらを買いたいのじゃが……。」
「鬼ごっこ!」
ミノさんの提案に一同はそれぞれ思い思いの事をつぶやいた。
「おたくら、この状況でよくそんなのんきになっていられるよな!いいか!国之常立神は人には絶対に危害を加えない。と、いう事はだ。人がいっぱいいるところは安全という事だ。故の町の中だ!」
「ああ、そういう事ね。納得。」
「鬼ごっこ……。」
「僕は携帯電話に賛成ですね。はぐれちゃった時便利じゃないですか。」
「鬼ごっこー!」
「じゃろ?皆でおそろいを買うのじゃ!楽しいの。」
「鬼ごっこ!」
「本当に電話できるんですかね?メールも!楽しくなってきました!」
「鬼ごっこ?」
「ああ!うるせぇな!なんでこんな遠足みてぇになってんだよ!じーさんも鬼ごっこ自重しろ!」
こんなのんきな会話をしているがミノさん一同は全速力で山を駆け下りている。
ちなみに歴史神のヒメさんはなぜか空を飛んでいる。
しばらく走ると先程のスーパー近くに戻ってきた。行きよりも長い時間走ったような気がする。
「ぜぇ……ぜぇ……はあ……はあ……。」
「疲れたわね。」
「というかおたくはなんで汗のひとつもかいてねぇんだ……はあ……はあ……。」
アヤは汗だくのミノさんと正反対で涼しい顔をしている。
「本当はいけないんだけどちょっと時間操作をね。」
「あー!ずりぃぞ!そんなことできんのかよ!おたくもなんで涼しげなんだ?」
「はい?」
ミノさんは同じく隣で涼しそうにしているイドさんに目をむける。
「俺だけこんなかよ……。」
「ミノさんは体力がないんですよ。僕は元気なんです。」
「あーそうかい。ヒメさんはずっと浮いてたしな。」
「凄いじゃろ!この服装のおかげじゃ。高天原産じゃ!今の高天原はすごいメカメカしておるのだぞ。まあ、ワシは昔のものしか好きではないがの。」
「高天原とか行った事ねー。」
「僕もないです……。さみしいです……。」
嬉しそうなヒメさんにさらに脱力するミノさん、イドさん。
「だ、大丈夫じゃよ!きっと行けるからの!ほ、ほら、えーと……信じていればいつかかなう……頑張ればいける……えーと……苦しい時の神頼み!」
「歴史の神、意味が間違っているわ。どちらかといえば、辛抱する木に金がなるね。」
アヤに突っ込まれつつ、なんだか暗くなったミノさんをヒメさんは一生懸命に盛り上げた。
「とりあえず……町に?」
「……ですね……。」
二人はもう深く考えない事にして話題をもとに戻した。
喜んでいるおじいさんと一同はスーパー付近から少し歩いて松竹梅ヶ丘という名の駅の中へ入って行った。時刻はもうお昼を過ぎていた。
「うわー。すごいですねぇ!人がいっぱいです。あ、ゲームセンター!」
イドさんはテンションが高く、あちらこちらをキョロキョロと見回しながら感動したことを口に出している。駅はさまざまな店が入っていてパティスリーやカフェなど落ち着ける空間もあれば奥様方が戦争している激安パン屋さんや弁当屋さんもある。
「ところでこれから行く所がないの。だから結界があるミノの神社に行きたいのだけど。」
「ええ!俺んとこ?」
「とりあえずいいかしら?」
「……いいぞ。」
ミノさんはそっぽを向いてフンと鼻息を飛ばした。
「携帯買わないといけません!」
「そうじゃ!ケータイじゃ!」
「わかったわ。わかったから静かにして。」
アヤは騒ぎ出した二人を諌めた。となりでおじいさんがウトウトとし始めていたからだ。
「ったく、頭が春なじーさんだぜ。騒いだら寝るのか。で?誰がこのじーさん担ぐんだ?」
「大丈夫じゃ。この高天原産の羽衣で……」
ヒメさんは服の内部から水色の羽衣を取り出す。
「出た。高天原……。」
ヒメさんはスースーと寝息を立てているおじいさんの背にそっと羽衣をかけた。するとおじいさんがぷかぷかとその場に浮遊しはじめた。
「それがあるなら、あの神から逃げている時に出してくれればよかったんだが……。俺が担いだんだぜ?」
「まあまあ。」
「そろそろ行きましょうよ!」
イドさんはいち早く携帯がほしいのかそわそわとしている。
「わかったわ。行きましょう?」
アヤは一同に向き直った。ヒメさんはおじいさんを起こさないように慎重に羽衣を動かして誘導していた。
「それ浮いてんのに自分で動かさないといけないのかよ……。」
「う、うむ。し、しかたないのじゃ……これは旧式故……。」
操作がかなり難しいようだ。ヒメさんは額に汗を浮かべながら羽衣の先を右へ左へと動かしている。
「あー!どんくせぇな。俺に貸せ!」
ミノさんは羽衣の端を奪うとすいすいと歩き出した。
「おお!意外にできる男ではないか!」
「意外はよけーだ!ほら、いくぞ。」
おじいさんを引っ張りながらミノさんは進んでいく。外は太陽が出ているのだが、なんだか先程よりも雲行きが怪しい。
「これは雨が降りますよ。蛙が騒ぎますよ。井戸の中だっていうのに。」
「井の中の蛙な。そういえば蛙の神とやらが存在していたように記憶しているが、あれ、どうなったんだ?」
「今は蛙の神様は井戸を飛び出して大海原ですよ……。ミノさん……。井戸がないんですから……ね。井戸の神様がいるのに蛙さんは飛び出して行ってしまったんですよ!」
イドさんの表情が暗くなったのでミノさんは慌てて話を携帯に戻す。
「あー……悪かった。もうその話やめようぜ。ほら、携帯売ってるとこ近いぜ。」
目と鼻の先にある携帯ショップを目指し、一同は歩いている。道行く人は先ほどよりも減っていた。
「おお!携帯ショップだの!いっぱいあるのぉ……。」
「それ買うの私よね……?」
いち早く携帯ショップに入り込んでいるヒメさんにアヤはため息を漏らす。
ミノさんとイドさんも携帯ショップに無事たどり着いた。
「へぇ……いっぱいあるんですねぇ……。どれがいいですかね?」
「いいわ。私が選ぶからあなた達は触らないでちょうだい。」
アヤは手を伸ばしかけたイドさんを睨みつけるとてきとうに四台携帯を掴んだ。
時の神であるアヤ以外は人には見えない。アヤは人間と共に時間を管理している立場であるので人には見える。アヤ自身、ついこないだまで人間の高校生だったのだが時の神として覚醒した。時神は人間から徐々に神になっていく神様なのでこんなことが起こってしまうのだ。
「ええ……ちゃんと選ばせてくださいよ……。その気持ち悪いデザインの携帯はやめませんか?」
イドさんはアヤの持っている蛍光ミドリがベースで紫斑点がついている毒々しい携帯を嫌そうに見つめた。ちなみに札には『ドロドロスライム柄』と書いてある。
「なんでもいいじゃない。」
「それ、かわいくないのじゃ……。こっちのハート、ビーズの『きゃっきゃウフフンピンキー柄』の方がいいぞよ?」
ヒメさんはアヤに救いを求めるようにピンク色に輝く携帯を指差している。
「おたくらは……機能はどうでもいいのか……。」
ミノさんは別段興味がないのか並べてある携帯を眺めている。
「じゃあ、柄のないやつでいいわね。……すいませーん。」
アヤは二人の意見をほとんど聞かずにショップ店員さんを呼んだ。
「ああ!ちょっと待ってくださいよ!アヤちゃん!」
「せっかくの携帯デビューがこれではワシ悲しいのじゃがぁ!アヤよ……アヤよぉおお!」
騒いでいる二人をよそにアヤは携帯の手続きを進めている。
「おたく、このうるさい中でよくそんな普通に話進められるな……。」
店員さんと話しているアヤは当然ミノさんの言葉にも反応しない。
しばらく話し込んでいたアヤは携帯の箱を三個持ってミノさん達の元へ戻ってきた。
騒ぎ疲れたのかイドさんとヒメさんはぐったりと近くにあったソファーに座っていた。
「はい。」
アヤは一つずつ携帯の入った箱を皆に渡していく。
「ヒメ、この携帯が人に見えないようにしてくれるかしら?」
「わ……わかったのじゃ……。その携帯のこれからおこりうる歴史を消せばいいのじゃな……。」
「そう。そうすればその携帯には未来がなくなるから使い勝手もずっとそのままだし、未来を生きて行く人間にはまず見えなくなる。」
「ほいほい。ちょちょいのちょいと……。」
ヒメさんは人差し指をちょいちょいと動かす。
「それ、古いですね……。」
ヒメさんが発した謎の呪文を聞いてぼそりとつぶやいたイドさんはさっそく携帯を取り出した。
まわりの人々は驚いていない。どうやら見えていないようだ。アヤはほっと胸をなでおろす。
神格の高い神が持った物と電子機器だけは人間の目に映ってしまうようだった。その他は神が物を持った瞬間、その物は見えなくなる。なぜ、電子機器だけ人に見えてしまうかは謎であった。
「おい。これはどう使うんだ?」
ミノさんは柄も何もない真黒な携帯をクルクル動かしながらアヤに目を向けた。
「とりあえず、アドレス登録ね。……ここを押して……」
「全然わからねぇ。今おたく、何やったんだ?」
「今このボタン押しただけよ?」
ミノさんを含め、皆携帯電話を使った事ははじめてだ。それぞれ出た疑問をアヤにぶつけている。アヤは自分用の携帯を持っているので新たに買う事はしなかった。
あきらかに不自然な行動をしているアヤに周りの人が訝しげな目を向けている。アヤは何度か深いため息をついたが根気強く教えた。
「はあ……はあ……もうやだ。なんでアドレス交換するだけでこんなに時間かかんの……。」
「へえ……使おうと思えば便利だな。これ。」
「ですねぇ。楽しいです。」
「着メロ変えるのじゃ!」
疲弊しているアヤとは正反対に残りの三名はとても生き生きとした顔をして携帯と向き合っている。おじいさんは今でも熟睡中だ。
しばらく携帯をいじっていると外の天気がさらに悪くなった。もう太陽は厚い雲に覆われて出ていない。
これから台風がくるのかと言わんばかりの黒い雲と強い風が外を渦巻いていた。
「おい。そろそろ帰ろうぜ。」
「そうじゃな。これは一雨きそうな……」
「あなた達、なにのんきな事言っているの……。」
のほほんと会話しているミノさんとヒメさんにアヤは頭を抱えた。
「これは来ますね……。なんでこんなに襲われるんですかねぇ……。」
イドさんの発言でミノさんは我に返った。
そういえば……嫌な予感がする……また神か……?
「これは風雨を支配する神、天御柱神(あめのみはしらのかみ)だわ。人がまつらなければならなくなった鬼神。ここで台風でも起こす気なのかしら……。」
アヤがつぶやいた刹那、一陣の猛烈な風がミノさん達を襲った。
「……!」
「うわあああ……!」
「おい!イドさん!アヤ……!」
ミノさんが叫んだ時にはイドさんとアヤが空へと舞っている状態だった。偶然なのか人間は一人も飛ばされていない。
ミノさんとヒメさんは携帯ショップ近くにあった電柱にしがみついたため飛ばされずに済んだ。
おじいさんはミノさんが羽衣を掴んだまま離さなかったので無事だった。
風は一陣だけであとはぽつぽつと雨が降ってきたのみだった。
イドさんとアヤは先ほどの竜巻のような風にとらわれたまま遠くへと飛ばされて行ってしまい、もう姿も見えない。
「あーあー……どーすんだよ。これ。」
「とりあえず、電話してみるのじゃ。」
ヒメさんは携帯を取り出すとアヤのアドレスを開いた。
「おい。竜巻にとらわれてんだぜ。電話なんてとれんかよ……。」
プルルル……プルル……
ヒメさんはツーコールくらいで携帯を切った。
「むりっぽいの。つながらん。」
「当たり前だ!」
やれやれと首をふったヒメさんにミノさんはツッコミを入れた。
それからあまり間を開けずにアヤからの着信があった。バイブと共にヒメさんの携帯がけたたましく鳴る。
YO♪だんご!おはぎ!くさだんご!YO♪だんご!おはぎ!くさだんご!YO♪
「はい。歴史の神じゃ。」
「って軽く流したけど、今すげー着メロ鳴ったな。こんな着メロどこで手に入れたんだ。」
「え?今、どこにおるのじゃ?……ふんふん。……ふんふん。……ほーい。」
ヒメさんはアヤと何回か言葉のキャッチボールをした後、電話を切った。
「で?なんだって?」
「あれから風が消えて地面に落とされたらしいのじゃが大丈夫との事。すぐに合流したいそうじゃがけっこう飛ばされたみたいだからのぉ、そんなにすぐに戻れんらしい。だから先に戻ってろじゃと。」
「はあ……怪我はなさそうなんだな?」
「今はイドさんが冷たい風のせいか腹を壊したらしくての、厠にいるそうじゃ。」
「……なんて緊張感のないやつらだ……。」
ミノさんが頭を抱えた時、今度はミノさんの携帯に着信があった。
イドさんからだ。
ラブロマンス♪二人の心はラブロマンス♪いやん❤うふん❤……
「俺だ。」
「おぬしこそ、なんじゃその着メロ……。ドン引きじゃ……。」
「うるせぇな。設定の仕方がわからなかったんだ。……とと、なんだ?俺だ。」
ミノさんはヒメさんとの会話をやめ、イドさんに話しかける。
「あの……今、修羅場なんですが……聞いてくれますか……。」
イドさんは苦しそうに言葉を紡ぐ。
「なんだよ。おたく、いまどこいんだ?厠か?」
「は、はい……。便座に座っています。」
「そんな所からかけてくんじゃねぇ!」
「あの……便座が温かくて……それに……トイレにウォシュレットというものがついていまして……水が……こう……いいところに……」
「うるせぇ!切るぞ!」
ミノさんは携帯を乱暴に切った。
「なんじゃ?何を怒っておる?イド殿になにかあったか?」
「なんもねぇよ……。」
そのときちょうどおじいさんが目覚めた。おじいさんは雨に当てられて濡れている事に気がつき目をまたしょぼつかせた。
「やばい。泣きそうじゃ!」
「とりあえず、建物の中に入って雨宿りしてから帰ろうぜ。」
二人は泣きそうなおじいさんと共に近くにあるビルの中に入って行った。
三話
イドさんはトイレからやっとの事で出る事ができた。
「ふう……大変な事になってました。」
「……まあ、いいわ。それ以上何も言わなくていいわよ。」
ここは駅近ビルから少し離れたスーパーの前。駅とは正反対でまわりは静かだ。裏が山で人通りも少なくとても過ごしやすい。先程の台風じみた風はもうなくなっていたが雨は降っている。
……しかし、あの風を起こした神は一体何がしたかったのかしら……
……わざわざスーパーの前で下してくれるなんておかしすぎるわ……
……偶然……かしら?ま、今はいいか。
考え込むのをやめたアヤはスーパーのトイレから出てきたイドさんを呆れた目でむかえた。
「それより、天御柱神(あめのみはしらのかみ)や国之常立神(くにのとこたちのかみ)って確か思兼神(おもいかねのかみ)を筆頭とするグループの神様じゃなかったかしら?」
「そうなんですか?思兼神ってあの切れ者、知恵者、現在けっこうな神を支配する、高天原東の長、通称東のワイズですよね。」
「あら。意外に詳しいじゃないの。そうよ。長老が持つ知恵を霊的存在にした神様ね。現在はかなり上位のランクの神様らしいわ。何回も転生しているらしいし。しかし、人の知恵から生まれた神がどうして我々を、おじいさんを襲うのかしら。」
「とりあえず、夕飯何か買いましょう?」
イドさんは真剣なアヤに向かいニコリと笑った。
「呑気ねぇ。」
頭を抱えたアヤはイドさんと共にスーパーへと足を運んだ。そこで激安の鰈を見つけ今晩は鰈の煮付けにすることに決めた。途中、イドさんがおもちゃのロボットで遊び始め、アヤが買う事になるという痛手を負ったが平和な買い物になった。
その平和もつかの間、二人はスーパーから出て驚いた。外は大雨と竜巻が渦巻いていた。
「えっと……これは……。」
「とりあえず、スーパーに戻りましょう。こんなんじゃ帰れないわ。」
呆気にとられつつもスーパーに足を向けた二人だったが神様がそれを許さなかった。
「うわあああ!」
突然吹いた一陣の風により二人はまた高々と空に舞い上がってしまった。
「見て。天御柱神よ!」
アヤは飛ばされながら竜巻の中心にいる男に目を向けた。
男は着物を着ており、竜巻の目のあたりで座禅を組んでいる。顔は鬼のお面をかぶっているのでよくわからなかった。鬼のお面は鉄製か銀製かここからではよくわからないが金属性のようだ。
「あのお面も高天原産ですか?」
「そう考えるのが妥当じゃない?高天原って意外に最新式のメタリックなのね……。」
「で、どうしますか?」
「どうしたいかしら?」
「できれば穏便に……。」
イドさんは恐々と天御柱神を見上げる。
「争いはごめんだわ。時間を止めるからさっさと逃げましょう。」
アヤは先ほどと同じように時間の鎖を竜巻ごと巻きつけ時を止める。風はぴたりと止まり、アヤ達は止まった風の上に足をつけていた。
「風の上に立つというのは初めての経験です……。」
「常に動いている風が止まると物質の流れも止まるから立てるのね……。」
アヤは足元を見ながら身震いした。意外に自分達は高い所にいた。遥か下の方にスーパーが見える。
「しかし……天御柱神の時間は動いてますね……。」
「彼には効かなかったのよ!」
アヤはこちらを睨みつけている天御柱神を怯えた目で見つめる。天御柱神は無言で右手を挙げた。
「やばい!」
アヤがイドさんの手をひいて走り出した。竜巻の上を走るとはなんとも奇妙な光景だ。
ゴゴゴゴ!と雷鳴が轟いたと同時にまっすぐに雷がアヤ達の近くに落ちた。雷はそのまま地面までつききって道路をえぐった。
「はわわわ……。」
すっかりおびえきっているイドさんにアヤは笑いかけた。
「あ、良い事思いついたわ。」
「いいい……いいことってなんですか?ロボットもう一台買ってくれるとかですか?」
「あのねえ……あなた、この状況で何を言っているの?……いい?」
二人が作戦会議を始めた段階でも天御柱神は容赦なく雷を飛ばしている。
「よ、よし。わかりました。」
イドさんは決心したように飛んできた雷の前に立った。そのまま両手を広げてコップ一杯分の水を出現させ、それを板状に引き伸ばす。それを認めたアヤは水の時間を止めた。
高速で迫ってきた雷は止まっている水に吸収される事なくきれいに跳ね返った。
跳ね返った雷は見事、天御柱神に直撃。
「……っ!」
天御柱神の低い呻きが聞こえた。
「今よ。逃げるわ。」
「何か逃げてばかりですね……。もっとガーンと敵を倒す……」
「何?じゃあ一人で残ればいいわ。」
「じょ……冗談ですよ……。ゴットジョークです。流してください。」
アヤは小さくなっているイドさんの手を引きながら竜巻から飛び降りた。
「……。」
アヤは地面にぶつかる寸前で自分達に一瞬だけ時間停止をかける。地面からジャンプしてまた地面に足をつけたくらいの衝撃で二人は地面に降り立った。
「はあ……はあ……これが所謂フリーフォールというやつですか……心臓が死ぬかと思いましたよ……。」
「そうね……。まったく次から次へと……虎口を逃れて竜穴に入るね……。さ、逃げるわよ。あの神達がこんな弱いわけないから少し不気味よね。」
アヤが止めた時間はもう戻り始めている。いまのうちに遠くへ逃げておきたい。
「その前にちょっと厠へ……。さっきのフリーフォールでお腹が……」
「ダメ!逃げるのが先!」
「ああ……ちょっとま……」
アヤは急激に顔色の悪くなったイドさんを容赦なく引っ張って行った。
しばらく逃げて先程の駅近ビル付近まで戻る事ができた。そこでイドさんはまた用を済ませ、すっきりとした顔でお腹をさすりながら出てきた。
「ふぅ……かなり危ない状況でした……。男子トイレの便座って少ないんですねぇ。」
「それは他の男に聞きなさい。私に言わないでちょうだい。それ以上言ったら締めるわよ。」
「ご、ごめんなさい……。」
イドさんはアヤの睨みに委縮した。
「この辺は曇りのようね……。雨は降っていないわ。」
「そうですね。やはり天候を操っていた彼らのせいだったようです。しかし、びしょびしょになりましたねぇ……。台風の中走ったんですもんねぇ。」
二人の身体はかわいそうなくらい濡れていた。アヤは自慢の服が濡れて不服そうな顔をしている。
「あんまり見ないで。下着透けてるかもしれないから。」
「え?下着ですか?」
イドさんはとぼけているようで鼻の穴は広がっていた。それはアヤの鉄槌により消える。
「痛いじゃないですか……。いきなり殴るなんて……せめてグーは……」
「……なんだかいやらしい雰囲気を感じたものだから。」
頬を涙目でこすっているイドさんから目を逸らし、アヤは恥ずかしそうに下を向いた。
「……?」
その時イドさんが空をふっと見上げた。
「どうしたの?」
「……来ました。今度は西の剣王軍です。」
「西の……剣王って……」
「ええ。ミノさん達を狙っているのでしょう。急ぎましょう!」
イドさんは素早くアヤの手を握ると走り出した。
雲が晴れたのでミノさんとヒメさんとおじいさんはのんびり神社へと向かっていた。
「後はここの階段を登れば安全だぜ。」
「お腹すいたのじゃ……。」
「ごはんは~?」
ミノさんはさすがにげっそりしてきたヒメさんとなんだか楽しそうなおじいさんに目を向ける。
しかしその目は一瞬で前へ向き直った。眼前に見える階段の所に見知らぬ男が一人立っていたからだ。彼はこちらが見えているようだ。男は最新式のメタリックな甲冑に身を包んでいた。
「なんだ?おたく?参拝か?俺は神様に祈られるほどたいそうなもんじゃねぇぜ。」
「あ、あれは健御名方神(たけみなかたのかみ)と熱田大神(あつたのおおかみ)じゃ!」
ヒメさんが目を見開いて叫んだ。ヒメさんは二人の神の名を呼んだが立っているのは一人だ。
「……?」
ミノさんが悩んでいるとヒメさんが丁寧に補足説明をしてくれた。
「あれじゃ、健御名方神が持っている剣、あれが熱田大神じゃ。」
「なるほど。で?俺達ピンチなんじゃねぇのか?」
「じゃな……。のう、ミノ殿。ここはカッコよく戦ってみてはどうじゃ?ワシは隠れておる故。」
「おいおい、勘弁してくれ。俺はうどんしかだせねぇって……」
そこまで言った時、ミノさん目がけて熱田大神を振りかざした健御名方神が迫ってきていた。
ミノさんは冷や汗をかきながらぎりぎりでかわす。
「う……し……死ぬ……。」
ミノさんが避けた所はミシミシと音を立てて一直線に亀裂が走っていた。
「がんばれー!ミノ殿!ワシは翁と応援してる故―!」
「がんばれー!負けるなー!」
「っちょ……おたくらー!」
いつの間にか遠くに移動しているヒメさんとおじいさんにミノさんは救いの目を向けた。
よそ見をしている暇もなく熱田大神から赤い光線……レーザー光線が飛び出す。
地面がえぐられ一直線にその光はミノさん目がけて飛んできていた。
「うおわあああ!なんだそりゃ!そんなのありかよ。」
ミノさんは必死でレーザー光線を避ける。一気に赤い光が突き抜けたと思うとミノさんの後ろで大爆発を起こした。
「ひぇえええ!助けてくれー!俺はうどんしか出せないって言ってんだろーがあああ!」
「大丈夫じゃ!奇跡は起こる故―!」
「がんばれー!まけるなー!」
遠くで応援している声。なんだか運動会で走っている子供を応援する親のようだ。
「ちょ……ちょっと黙ってろ!」
ミノさんは全神経を集中して飛んでくる斬撃とレーザー光線をギリギリでかわしている。
その時、ヒメさんの携帯が鳴った。
「お?」
YO♪だんご!おはぎ!くさだんご!YO♪だんご!おはぎ!くさだんご!YO♪
マヌケにもヒメさんの着メロが鳴る。ついでにミノさんのポケットに入っていた携帯も鳴る。
ラブロマンス♪二人の心はラブロマンス♪いやん❤うふん❤
「うるせええええええ!こんな時に何がラブロマンスだ!馬鹿野郎!」
ミノさんは怒りながら携帯を地面に投げつけた。
「アヤ!どうしたのじゃ?夕飯鰈の煮付けにする?カレーがいいのじゃ。」
「何の会話してんだよ!夕飯よりこっちの事話せぇえええ!」
着信はアヤからだったらしい。ヒメさんは残念そうに電話に出ている。
「うむ。それでの、今、ミノ殿がむっきんむっきんで襲ってきた者をバッタバッタと倒してくれる故、心配はいらないのじゃ。」
「おい!ふざけんな……。」
ミノさんはレーザーを紙一重で避けながら先程叩きつけた携帯を拾い、イドさんに決死の思いで連絡を入れた。
「はい。イドさんです。ああ、ミノさん大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫じゃねぇ!今すぐ助けてくれ!」
ミノさんはなるべく緊迫感が伝わるように叫んだ。爆音がまたすぐ後ろで響く。
「なんかすごい音がしてますねえ。あれみたいです。えーと……あの有名な映画知ってます?あのパニック映画なんですけど……。」
「その話、後でいいか?後でいいよな!俺は今それどころじゃねぇんだ!うわっ。とりあえず速く……うおっ!」
ミノさんは顔すれすれに飛んできたレーザー光線をかわす。いままで避けられているのが奇跡のようだ。神様にも火事場の馬鹿力というものがあるらしい。
「すぐに向かいますからちょっと待っててくださいよぉ!コップ一杯のお水を提供いたしますからぁ!」
そこでイドさんからの電話は切れた。ミノさんは愕然とした。
……そうだ。あいつが来ても役にたたねぇ……。
「って……うわあ!」
少し呆けていた時間が命取りになったかミノさんの目の前には剣先が伸びていた。
や、やばい。これは本当に……
……し……死ぬ……
ダメだと思って目を強くつぶった。
「……。」
しかし、予想していたダメージはいつまでたっても襲って来なかった。恐る恐る目を開ける。
「……お!」
いつ来たのかヒメさんが悠然とミノさんの前に立っていた。
「……やめよ!退くのじゃ……。ワシを怒らせるな……。」
ヒメさんは健御名方神を見据えながら恐ろしいほど低い声でなだめるように言った。
急降下してくる何かに押しつぶされそうな感覚とびりびりとした空気がミノさんを襲う。
な、なんだ……?これは……ヒメが発した息……。
「……。」
健御名方神は手を止めると無言で消えた。消えたと同時に神社付近にのんびりした雰囲気が戻ってきた。
「ひ……ヒメ……?今のって……」
「ゴットレインじゃ。雨のように降りそそぐ息。古くから生きるものは言雨(ことさめ)と言う。今じゃほとんど使えぬ者ばかりじゃが、歴史の神故、ワシは長生きじゃから言雨を使える神から歴史を盗めばできるのじゃよ。」
ヒメさんはニコリと笑ってミノさんを振り返った。
「おいおい……あるなら初めから使ってくれ。しかし、すげーな。おたく、意外にやり手の神だな。」
「意外て……まあ、よいわ。しかし、おぬしこそやるではないか。軍神相手によーやったのう。」
「なんとも言えねぇ……。死ぬかと思った。」
腰が抜けたのかミノさんはその場に崩れ落ちた。
「ん?」
座り込んだ前方に何か紙切れのようなものが落ちているのをミノさんは発見した。
「おお!これは。」
ミノさんが紙切れに手を伸ばそうとした時、ヒメさんがひょいっとそれを感動しながら拾い上げた。呪文のようなものがびっしり書かれている。
紙切れというよりお札のようだ。
「なんだ?それ。」
「グランドセレスには嬉しいお知らせじゃ!」
「グランドセレスとかカッコよく呼ぶな。普通に地上に住む神でいいだろ。で?何が嬉しい知らせなんだ?」
ヒメさんは興味のなさそうなミノさんの前にお札を突きつける。
「これはのぉ、高天原へのチケットじゃ!そうじゃな、簡単に言えばギャラクシーヘブンリー……エー、ゴ―トゥ……」
「無理に英語使うな。高天原のチケットが一番簡単だ。」
「むぅ……。まあ、そういうものじゃ。通行手形というべきものじゃな。」
ヒメさんはおもしろくなさそうな顔でミノさんを見た。
「それがあれば高天原に行けるんだな?」
「まあ、一応のぅ。これは神格の高い神しか持たぬのじゃがグランドセレスなワシ達がばれずに入れるかは不明じゃ。」
「なるほど。」
ミノさんが頷いた瞬間、遠くで戦況を見守っていたおじいさんがぐずり始めた。
「やべぇ。」
「ど、どうしたのじゃ。翁よ……。」
二人は慌てておじいさんの傍へと駆け寄って行った。
「やる事がハデね……。」
アヤは唸った。もう少しで神社につく一本道で神に足止めをくらってしまった。
「あれは経津主神(ふつぬしのかみ)ですね……。西の剣王軍です。いやあ、よく狙われますねぇ。僕ら。」
「そんなのんきな事を言っている場合ではないわ。相手は剣神よ。」
経津主神は長剣を携えた偉丈夫でおそらく銀でできているだろう鎧を身に纏っている。
お互いしばらく睨みあいを続けていたが先に足を踏み出してきたのは経津主神の方だった。アヤは咄嗟に時間を止める。
しかし、アヤの力では抑えられなかった。剣神、経津主神はアヤが巻きつけた時間の鎖を引きちぎると無抵抗なアヤに襲いかかった。
「……うそっ!」
やばいと感じたアヤは二、三歩後ろに退いた。
「ほい!」
と急に近くでイドさんの声がした。イドさんはアヤを抱えると危なげに長剣をかわした。
近くを轟っ!と長剣が通り過ぎる。
「ふぅ……助かったわ。」
「いきなり女の子に手をあげるなんて感心しませんねぇ……。西の剣王軍。」
「……イド?」
経津主神を見るイドさんの目は明らかにいつもと違った。いままで見せたことのない鋭い目つきに変わり無言の威圧を剣神につきつけている。イドさんは抱えていたアヤを下ろした。
経津主神は戸惑ったように止まっている。イドさんの威圧は空気を震わせた。
「まずいな。まさかお前がここにいるとは……。」
経津主神が初めて口を開いた。
「……。」
「失敗か……。いくらなんでも来るのが速すぎる。だがこちらにも……」
経津主神はそうつぶやくと音もなく消えていった。
「ふぅ……危なかったですねぇ。あー怖かった。」
イドさんの瞳はもとの優しさに戻っていた。
「あ、あなた、今の……眼気……。それもかなり強い……。」
「効いてよかったですよ。僕、むかーしから生きていましてねぇ。」
「できるならやりなさいよ!こっちがマジで戦っているのが馬鹿みたいじゃない!」
アヤはのんきなイドさんをポカポカと叩いた。
「い、いた……痛いです。なんかだんだんマジになってませんか?力が……。すいません。あれ使うの本当疲れるんですよ……。」
イドさんがため息を漏らした時、遠くで声が聞こえた。二人は声の聞こえた方を向く。
ミノさんとおじいさん、そしてヒメさんがこちらに向かって走って来ていた。
「おい。おせぇぞ!何やってたんだ!」
「すいません。ミノさん。こちらも色々と襲われてまして……。」
疲労の溜まった顔をしているミノさんにイドさんは頭をかきながらあやまる。
「そっちは大丈夫だったみたいね。こちらも心配なかったわ。」
「アヤ!大丈夫じゃったか?それより……鰈とはどういう事じゃ……。」
ニコリと笑ったアヤに落ち込んでいるヒメさんがオロオロしながら詰め寄ってきた。
「安かったのよ。」
「……おなか……すいた……。」
アヤがふぅと息をつき、おじいさんは目をウルウルさせながらその場に座り込んだ。
「わあ……翁!大変じゃ。なんでも良い故、何か食べ物を……」
ヒメさんがおじいさんに近づこうとした瞬間、一同一斉に腹が鳴った。
「あ……。」
ヒメさんとアヤは顔を赤くしてうつむく。
「あ、これ、屁じゃないですよ?お腹が鳴っただけですよ?言っておきますが屁ではありません。屁の音って違うでしょ?屁はぐーって鳴らないでしょ?屁は……」
イドさんはさきほどから屁を連呼している。そのうち、耐えきれなくなったアヤがイドさんに勢いよくチョップをして黙らせた。
「ま、まあ、とりあえず……メシか?」
ミノさんは地面に埋めり込むように倒れているイドさんを呆れた目で見つめながらアヤに向かい言った。
「そうね。今すぐ家に帰って鰈の煮付け作ってくるわ。」
「アヤの家に皆で泊まり込めたらよいのじゃがなあ……。」
「歴史の神、あなたは人間の住む1Kのアパートに神様を上げるって言うの?何かあったらどうすんの?」
「ワシは……皆でお泊りできて楽しいがのぉ……。」
すねるようにイジイジ小石をいじり始めたヒメさんをアヤはため息交じりに説明した。
「あなた達は神様でしょ。寝ている時とかに寝ぼけて変な力使われたらアパート中に迷惑がかかるの。それから、あなたはそこの男神と1Kの部屋で一緒に寝れるって言うの?」
アヤはビシッとミノさんとイドさんを指差す。
「いやあ……僕は別に何にもしませんよ。紳士ですから。」
「おたく、自分で紳士とか言うか?まあ、するとかしないとか置いておいて確かになんか問題でも起きたらやべぇよな。それに女の部屋なんかにいたら落ち着けなくて俺は寝られなさそうだ。」
イドさんは頬を染めながらクネクネしているがミノさんは腕を組みながら少しテレを隠していた。
「そうじゃなあ……。確かに男神は危険物故……うーむ。」
「危険ってなんだよ。わいせつ物みたいに扱うんじゃねぇ。」
気難しい顔をしているヒメさんにミノさんは眉間にしわを寄せてふんと鼻息を漏らした。
「と、いうより、今日は皆さん、ミノさんの神社に泊まるんですよねぇ?結局一緒なのでは?」
イドさんは頬をポリポリとかきながらアヤに向き直る。
「だ、ダメって言ったらダメなの!じゃ、じゃあ夕飯作るから神社の中で待っててちょうだい!」
アヤはオロオロしながら逃げるように一本道を走って行った。
「……あー、あれはあれだ。」
「そうですね……。」
「あれじゃな……。」
三人は遠くを見る目で走り去るアヤを見つめ、同時に
「部屋、片付けていないんだ……。」
とつぶやいた。
しばらくしてパーカーに短パンとラフな格好でアヤが鍋を抱えながら戻ってきた。一同は神社への階段を登り切ったところで待っていた。おじいさんはヒメさんと鬼ごっこをしている。
「持ってきたわ。」
「おお!待ってました!」
「実りの神として食物は大歓迎だ。」
イドさんとミノさんがホクホク顔でアヤの元へと走ってきた。もうすっかり外は暗く、神社内はあかりがないため、真っ暗なので人は入って来ない。
アヤは鍋を神社の御賽銭箱の前に置くとヒメさんとおじいさんを呼んだ。
「ごっはーん♪」
「ああ、翁!待つのじゃあ!」
なにやら楽しそうな二人はすぐに鍋の方へとやってきた。アヤは鍋の蓋を開ける。
鰈の切り身が五きれ煮つけにされていたが普通の煮付けとは違った。
なんというか色、そして匂いが普通じゃない。
「お、おい。これ……何入れた?なんでこんな茶色でドロドロしてんだ?」
「え?ああ。家にカレールーがあったからミックスしてみたわ。」
「……。」
アヤはふふんと得意そうに笑ったが一同は言葉を失っていた。
「大丈夫よ。カレールーは何にでも合うから。」
アヤは絶句している一同に紙皿を配り、割箸でそれぞれの皿にカレーに染まった鰈の煮付けを置いて行く。
「こ、これはカレーの鰈の煮付け……じゃな?」
「ダジャレかよ……。」
「何よ。文句あるの?だいたいあなた達がわけわかんない事を言うからよ。……食べてみなさい。おいしいから。」
アヤは首を傾げている二人をよそに鰈の煮付けを頬張った。
「本当ですね。これ、おいしいですよ!」
先程から黙々と食べていたイドさんは感嘆の声を漏らす。それを見ていたミノさん、ヒメさんも鰈の煮付けにとりあえずパクついた。
「おお……なんだこれ、うまっ。」
「おいしい……のじゃ……。翁よ。今食べさせてやる故な!」
二人がガツガツ食べ始めたのをみてアヤは微笑んだ。
「あーん……。」
ヒメさんは丁寧に骨をとってやった鰈の煮付けを箸でおじいさんの口へ運ぶ。
「うまーい。」
「そうじゃろ?」
ニコニコ顔のおじいさんはどこからどうみても若い妻を持った……しかも結婚したてのじいさんだ。
「そろそろ新妻に遺言を言ってきそうな感じだよな。」
ミノさんはあきれながら二人のやり取りを見ている。
「皆!ちょっと食べながら聞いて。」
と和やかなムードを変えたのはアヤだった。
「なんじゃ?」
「……?」
ヒメさんとおじいさんは黙ってアヤの方を向いた。イドさんはむしゃむしゃと鰈の煮付けを食べる事に集中している。
「今日、襲ってきたやつらの事なんだけど、東のワイズ軍と西の剣王軍。西の剣王軍はおじいさんを狙って来ていたみたい。だけど、東のワイズ軍は一体何をしにきたのかしら。」
「……そりゃあ、あれなんじゃねーか?俺らが人からつくられた神だからさ……。邪魔で……。」
「今のいままで私達を見向きもしなかった東のワイズがなんでいきなり襲ってくるのよ。私とイドだけ狙われるなんて事あるかしら?あの時、近くにおじいさんもいたのよ。」
そう言われればそうだ。襲うなら全員まとめて消しにかかるのが普通だろう。もし、分散させるのが目的だったとすれば東のワイズ軍はなぜミノさん達を個別に襲いに来なかったのか。
「あれじゃないですか?西の剣王軍が襲ってくるのを知っていて東のワイズ軍は手出しができなかったというのは……。」
イドさんはうまうまと鰈の煮付けを食べながら会話に参加する。
「どうじゃろうなあ。手出しができなかったというわけじゃなく、観察しておったのかもしれぬぞ。のう、イド殿。」
ヒメさんが煮つけを食べながら鋭い瞳をイドさんに向ける。
「そうですねぇ。そういう事も考えられますねぇ……。」
イドさんは腕を組みながら唸った。
おじいさんは鰈の煮付けを食べ終わり、ウトウトと寝始めていた。
「あ、翁!ちゃんと歯を磨いてから寝るのじゃ!お水はそこにある故!」
ヒメさんはどこから出したのか歯ブラシをおじいさんに渡し、神社の中にある水道を指差した。
「眠い……。」
おじいさんは目をこすりながらフラフラと水道場に歩いて行った。ヒメさんは「しっかり磨くのじゃ」と叫んでいる。
「東のワイズと西の剣王の事は考えたってしょうがねぇから、これからの事を考えようぜ。」
ミノさんはほぼ骨の鰈をしゃぶりながら発言した。
「そうね。」
「ああ、そうじゃ、高天原に行ってみぬか?チケットがある故な。」
ヒメさんは紙切れをひらひらとなびかせながらニコリと笑った。
「おたく、バカか?死ににいくようなものじゃねーか。」
「どうしてじゃ?行きとうないのか?」
ヒメさんはきょとんとミノさんを見つめる。ミノさんは頭を抱えながら説明した。
「だからそういう事以前にこちらには人間がいるが向こうには敵しかいねぇじゃねぇかって事だ。」
「大丈夫じゃよ。きっと大丈夫じゃあ!」
「おたくの大丈夫には何の根拠もねーんだよ!」
ヒメさんの目はなぜか輝いている。
「……歴史の神、あなた、ただ行きたいだけでしょ。」
アヤもミノさんもあきれた顔をヒメさんに向けた。
「いいんじゃないですか?僕も行ってみたかったんです!高天原!ヒメちゃん!行きましょう!ぜひ!」
「おお!イド殿!イド殿はわかってくれるのじゃな!やっぱり行ってみたいよの!」
ビシッと立ち上がったイドさんはヒメさんと手を取り合いながら結束を深めた。
「おたくら、少しはこの状況わかろうぜ……。」
「いや、高天原に行くのはいいのかもしれない。」
頭を抱えているミノさんの横でアヤは真剣な顔ではっきりと言葉を吐いた。
「おたくも何感染してんだよ……。」
「とりあえず、聞きなさい。高天原の勢力は三つ、西の剣王、東のワイズ、北の冷林(れいりん)。その他に南の無法地帯。無法地帯と言ってもどの勢力にも染まらない神が住んでいるってだけ。東のワイズと西の剣王の情報を仕入れたいのなら高天原に行って南に隠れるのが一番ね。ここより安全なんじゃないかしら。まあ、そこでおじいさんが立派な神様となるまでこちらには戻って来れないようになるのだけど。」
「なるほど。おたく、ずいぶんと詳しいな。」
「調べたのよ。一応神の端くれである以上ね。」
「じゃあ、行くことに決定ですか?決定ですよね?やったー!やりましたよ!高天原に行けますよ!ヒメちゃん!」
「わーいじゃ!旅行の準備しないと……お土産買いたいからお金と……おやつじゃな!」
イドさんとヒメさんはミノさん達の会話を聞き、勝手に行く気になっている。
「あなた達、遠足じゃないのよ……。」
「で?結局行くのかよ。これ。」
ミノさんがいまいち乗り気じゃない雰囲気を出すとヒメさんとイドさんはうるうるした瞳をこちらに向けた。
「行かないんですか……?」
「行かないのか……。」
「あー!わかった。わかった。行くから落ち着け。これ以上俺の神社で騒ぐな。」
ミノさんは観念したと手をひらひらと降ってみせた。ヒメさんとイドさんの表情がパッと明るくなる。
「やったああああああ!」
「だから騒ぐなっつってんだろ!うるせぇええ!」
ヒメさん達の声は静かな夜の街に大きく響いた。それに連なりミノさんの怒鳴り声が重なる。
それを聞きながらアヤはふうとため息をついた。おじいさんはヒメさんの言いつけを守り一生懸命に歯磨きをしていた。
その夜、夕食の片づけをした一同は睡眠に入った。ヒメさんとアヤとおじいさんは社内で眠り、ミノさんとイドさんは社付近にある大きな木のそばで眠りについた。
ふっと眠っていたミノさんの目が開いた。
……あー、なんか起きちまった。ねっむ……寝よう……
ミノさんが目を再び閉じかけた時、遠くで何やら話し声が聞こえてきた。
……なんだ?
ミノさんの意識は朦朧としており立ち上がる事はできなさそうだ。しかたがないので寝ながら耳を傾ける。
「昼間の騒動はおぬしの仕業じゃな。うまくやったのぅ。出し抜かれたわ。そして先程は何故ワシに肩入れをしたか?」
……ヒメか?この声は……
「ふふふ。」
もう一人の相手が低い笑い声を漏らした。会話しているのは男か。
「まさかおぬしほどの神がこんなところにおるとは……のう、龍雷水天神(りゅういかづちすいてんのかみ)よ。」
「……。」
会話はそこから先は聞き取れなかった。ミノさんの瞼が限界を超えたのだ。
ミノさんは寝息を立てながら深い眠りへと入って行った。
四話
「ミノさーん。起きましょうよー。朝ですよぉー。」
イドさんがミノさんを激しく揺すっている。ミノさんは揺すられている事も気がつかないくらい熟睡していた。普段から何にもしていなかった神様が急に活動的になったせいで疲れたのだ。
「うるせぇな。起きてる。ここは食物に困った人間が祈りに来るところだ。受験合格を祈るなら別の所へ行けよ。いちいち、学問の神まで問い合わせるのがめんどくさいんだよ。直接行けって。ほら。」
「完全に寝ぼけてるじゃないですか!」
ミノさんの目は半開きだが完全に眠っている。イドさんがやけくそにミノさんを揺すってみるがミノさんは全く起きる気配がなかった。
「みーの―!」
そんな時、イドさんの横をすり抜けて何かがドサッとミノさんの上に乗った。
「みーのー!みーの!起きろー♪起きろ―♪」
ミノさんの腹あたりに馬乗りしている人物は即興で作ったらしい歌を歌いながらドスンドスンと座ったり立ったりを繰り返している。
「あー!うるせぇ!そして痛てぇ!降りろ!くそじじい!」
ミノさんは乱暴におじいさんを押しのけると頭を抑えながら起き上った。
「お!起きました。ありがとうございます。おじいさん。」
「あ!みーのが起きたぁ!」
おじいさんは朝からテンションが高くそのまま遠くにいるヒメさんの元へ走り去って行った。
「あのじじい……。」
「ああ、おはようございます。ミノさん。ヒメちゃんとアヤちゃんはあそこで待ってますよ。」
イドさんは先ほどおじいさんが走り去ったところを指差した。神社の鳥居の所でヒメさんとアヤは何か会話をしながらミノさんを待っていた。
「ああ、わりぃ。昨日は色々ある一日だったから久しぶりに疲れたんだ。」
「いえ。まだ夜明けですから起きるのには早いですよ。」
周りを見回すと確かに薄暗い。朝日はかすかに出ており、冷たい風が頬をなでる。
鳥の鳴き声だけがわずかに聞こえる実に静かな夜明けだ。
「こんな早くから行くのか?」
「そうみたいです。」
ヒメさんが遠くで早くこっちに来いと手招いている。ミノさんは重い腰を上げて歩き出した。
「遅いのじゃ!いつまで寝ておる!」
「おたくは朝一が一番テンション高いのか?」
瞳が爛々と輝いているヒメさんにミノさんは寝不足の顔を向けた。
「さあ、行くわよ。歴史の神から聞いたの。高天原に目立つことなく行くためには朝一で乗り込むのがベストと。朝は沢山の神が高天原へ入って行く。私達はそれに紛れて侵入するのよ。」
「なるほど。」
アヤが頷いたミノさんにフード付きコートを投げる。
「おい。なんだよ。これ。」
「フード付きコートよ。着た方がいいわ。」
よく見るとイドさんは着ていないが他の面々はコートを着てフードをかぶっている。
ミノさんはなんだかわからないまま、とりあえず皆にならってコートを着た。
「お。あったかいな。これ。」
「これをかぶる事で顔を隠し、私達は家族神になるの。チケットは一枚しかないから家族で一つの神と思わせるのよ。イドは私達を連れて歩く長役をやってもらう。」
「ワシがやりたいと言ったのじゃがアヤがワシじゃあちんちくりんにしか見えんと言うのじゃ……。しかたないのぅ。」
ヒメさんはトホホとおじいさんの頭を撫でまわす。
「皆、しばらく帰って来れないと思うけどいいの?」
改めてアヤが一同を見回しながら確認を入れた。
「僕は構いません。」
「ワシもよいぞ。」
「あー……俺もいいぜ。乗りかかった船だからな。」
「おでかけー♪」
一同のそれぞれの笑顔を見たアヤはニコリと微笑むと頷いた。
「では、ワシが高天原への門を開く故、しばし待たれよ。」
ヒメさんはそっと目を閉じ、お札を空に向かって掲げる。
「オープンー!セサミ―油ぁあああ!」
「!?」
ヒメさんの発した謎の呪文により一同の身体は光に包まれた。光は一瞬だった。
その一瞬でミノさんは違う世界に飛ばされたのだと実感できた。人々の……いや神々の話声が聞こえてくる。ミノさんはそっと目を開けた。
「って、何よ。そのセサミ油って、ごま油じゃない。何その開けゴマ的な……。だいたい、変な呪文なんて唱えなくてもチケットを空にかざせばよかったんでしょ!」
「うー……そうなのじゃが……こう……なんか雰囲気的なものが……ほしいじゃろ?だが、言った後でなんかこう……もっといい言葉がなかったのかと……うう……赤面じゃ。」
近くでアヤとヒメさんがぼそぼそと何か言い合っていた。ミノさんはとりあえず状況を把握する。まわりは様々な神様でひしめき合っていた。地面は石畳でまわりに建物などはない。神々がただおとなしく何かを待つように立っているだけだ。前方にはやけに機械的なつくりの大きなドアがあった。その双方には鉄か銀かでできた壁がどこまでも続いていた。
「あれが入場ゲートじゃ。あれが開くまでまだ少し時間がある故、皆ここで待っておる。」
ヒメさんは頬を赤く染めながらミノさん達に説明をする。
「フードかぶっていた方がいいか?」
「そうじゃな。翁もほら、かぶるのじゃ。フードが脱げておるぞ。」
「ほえ?」
石畳をいじっていたおじいさんにヒメさんはフードをかぶせてあげた。
「ああ……今更ながら自分、緊張してきました……。皆さんの命運を僕が……僕が背負って……。」
「落ち着きなさい。イド。あなたがダメだったら私達もなんとかするから。」
前方のドアを見たり地面を見たりとそわそわしているイドさんにアヤは力強い瞳を向けた。
刹那、周りの神々が騒ぎだした。前の大きなドアが音もなく横にスライドして開いていた。
「ききき……きました……。」
完全に色を失っているイドさんにおじいさんがポンと背中を叩いた。
「いーど!がんばっ!」
「ガンバって今はちょっと古いですよ。おじいさん。誰に教わったんですか?」
「イド殿、ガンバっ!」
ヒメさんもおじいさんにならい背中をポンと叩く。
「ああ……ヒメちゃんですね……。」
やれやれと首を振ったイドさんは覚悟を決めたように周りの神々と共に歩き出した。
「おい。ほんと、大丈夫なのか?イドさんで……。イドさんは高天原なんか来た事ねーんだぜ。」
「大丈夫よ。たぶん。あの神、ああ見えて凄い眼気を出せるの。」
「眼気?」
「まあ、いいわ。とりあえず行くわよ。」
アヤがさっさとイドさんの後について行ってしまったため、ミノさんも慌てて後に続いた。
入場ゲートとやらは銀色の鎧を身に纏った神が数名立っており、大きなモニターが設置してある。その他、認証システムや身分が勝手に調べられてしまう機械なんかも置いてある。よくわからない機械の他、機械という機械が何もない所でパソコンのディスクトップが現れる謎の機能まで備わっていた。よく見るとまわりの神々は何にもない空間を指でスライドして笑い合っている。おそらく目には見えないが目の前にタブレット機能の何かがありそれでメールなどをしているのだろう。携帯電話でしか連絡手段のないミノさん達とは生活がかけ離れている。
「う……ちょっとちょっと、ヒメちゃん……。これ非常に厳しいのではないですか?」
「た、確かにのう……まさかここまで未来化が進んでおるとは……。」
「高天原は人間の先を行く世界。恐ろしいわね。で?どうするのよ。身分を調べる機械があるんだけど。」
「無理だな。いくらチケットがあっても中に入れねぇだろうよ。」
三人は半ばあきらめムードでその場に立ちすくんでいた。
「いけますよ。僕が頑張ります。ダメだったら全力で逃げましょう!」
「いどー!がんばー!」
相変わらずのんきに応援しているおじいさんにニコリと微笑んだイドさんは三人の反対を押し切りゲートまで足を運んだ。
「おいおい!誰かあいつを止めろ!ここはナントカランドじゃねぇんだぞ。」
ミノさんが小声で焦った声を上げる。
「無理じゃな……。イド殿はもう入りこんでおるし……。」
「ミノ、逃げる準備もしておくわよ。」
もうここは当たって砕けろ!な気持ちでアヤ達はイドさんに続いた。一同の周りに電子文字が浮かぶ。そのまま解析するように数字が流れた。身分を調べているに違いない。ミノさん達の頬に汗が伝った。結果は目に見えている。
ビービー!と警告音のようなものが響いた。ミノさん達をまわっている数字は緑色から赤色に変わりデンジャラスマークにエラーが発生していた。
「曲者だ!」
と銀の鎧が大声を上げたと同時にドタドタと他の鎧達もミノさん達の周りに集まってきた。
イドさんは恐る恐るこちらを向くと
「あ……やっぱダメでしたー。」
と笑ったが笑顔が引きつっていた。
「お、おい……。これは……」
「逃げる方にしぼった方がよさそうね……。」
銀の鎧達が剣の柄に手をかけながら近寄ってきていた。
「や……やばいのじゃあ……!」
ヒメさんも蒼白でおじいさんをかばいながらじりじりと後ろに下がっていく。
「しょうがないですね。わかりました。」
と急にイドさんが独り言のようなものを漏らし、前に進み出た。鎧達がさらに警戒を強めるのを見ながらイドさんは堂々と歩いて行く。
そして一人の鎧の前まで来ると口を開いた。その瞳はもはやいつものイドさんではなく、昨日アヤが見たイドさんだった。
「……お前、僕を誰だと思っている。そこをどけ。僕は忙しいんだ。ふむ。あの機械じゃあ反応しなかったか。それとも西の剣王からなんか言われているのか?僕を通すなとでも。どうなんだ?そこのところ。」
イドさんは恐ろしく冷たい声で語っていた。そこにいるのがイドさんではないようなそういう感覚をミノさん達は感じた。銀の鎧はただ震えていた。何か強大なものを見るようなそんな目でイドさんを見ているがイドさんの瞳までは見る事ができない。
「……おい……。お前。ちゃんと僕の目をみて答えろ……。」
「い、いえ。い、いますぐお通しします……。……様……。」
鎧は最後まで言葉を紡ぐ事ができなかった。呼吸は荒く、今にも気を失ってしまいそうだ。
まわりの鎧達も同様にイドさんの気に当てられガチガチと震えていた。
「い……イド……。」
アヤは底冷えするような空気の中やっと言葉をつぶやけた。
「しまった……。言い過ぎましたか。……あ……皆さん。通してくれるそうです!行きましょう!」
イドさんは一瞬しまったと顔をしかめたがミノさん達に向き直り、いつもの調子で微笑んだ。
「お、おたく、すげーんだな。よくわかんねぇが。」
「凄いでしょ!僕の特技なんですよ!」
イドさんはそのまま颯爽と高天原内へと駆けて行った。もちろん、もうなんの機械も反応を示さない。
「ふむ。これは凄いの。ああ、翁、泣かなくてもよいのじゃ。彼は味方故な。」
おじいさんはイドさんがよほど怖かったのかしくしくと泣き出してしまった。ヒメさんはおじいさんの肩をそっと抱くとイドさんに続き歩き出した。
「彼は……もしかすると……。」
「アヤ?」
「え?いえ。なんでもないわ。」
アヤは悩んでいた顔を元に戻すとヒメさん達の後をついて行った。
「……変なやつだ。」
ミノさんは腕を組むと周りの鎧達を警戒しながらアヤ達に続いて歩き出した。
鎧達は何か話し合っているようだった。それはミノさん達の耳には届くことはなかった。
一同は高天原内へ入る事ができた。なぜ入れてくれたのかは説明がつかないが状況的に結果オーライといったところか。いや……このシチュエーションはなにか問題事に巻き込まれる前兆のような気がする。
「ふむ。このゲートは北の冷林の領土のようじゃな。」
「北の冷林?」
ヒメさんが腕を組みながらうーんと唸った。高天原内はゲートの機械化とはうってかわってだだ広い荒野だった。枯れた草と枯れ木が寂しく風で揺れている。
「なんだよ。ここ。なんにもねぇじゃねぇか。」
「うー……東京ほにゃほにゃランドとは全然違うじゃないですか……。もっとこう歓迎されているみたいな……Welcome to ほにゃのにゃlandみたいなのを期待していたんですが。」
「それ、けっこう危ない発言よ。大人の事情で色々と。」
一同は歩く気力を失ってしまった。
「なあ、なんで他の神は入ってこないんだ?」
ミノさんはあたりを見回す。自分達以外にゲートを通っているはずなのに誰一人ここにはいない。
「先程からゲートを通る者を見てきたのじゃが……ゲートの前にもやもやがあってチケットによって映し出される場所が違ったぞよ。なんかこう、鏡みたいなのがあってじゃなあ……。」
「なんだそれ。つまりなんだ?一つの入り口から多数の場所へ行けるって事か?」
「そういう事じゃろ。このチケットは北のチケットだったらしいの。ワシらは北にワープしたんじゃな。」
「はあ……。」
一同は深いため息を漏らす。
「っ!」
突然ミノさんが目を見開いてあたりを見回しはじめた。
「どうしたのよ。ミノ。」
アヤが訝しげにミノさんに話しかける。
「おい。じーさんは!じーさんはどうした!」
「!」
そういえばいない。ゲートは一緒に通ったはずだ。
「ヒメちゃん、さっきまで一緒にいましたよね。どうしたんですか?」
「し、知らぬ……ワシは知らぬ!先程まで一緒にいたのは事実じゃが気がついたらおらんかった……。」
イドさんの問いかけにヒメさんはいつになく取り乱していた。
「……ではあれは……西の剣王軍ではなかった……という事ですね……。はかられた。」
イドさんはヒメさんに聞こえるような声でつぶやいた。ただ、声は小さかったため、必死で探しているミノさんやアヤには聞かれていなかった。
「おのれ……冷林……はかりおったな……。もう少しのところで邪魔しおって……。あれは確かに西に行く手形じゃったのに……。」
ヒメさんの身体から言雨と眼力の入り混じったものが飛び出す。ズンッと重圧と威圧が荒野一体に広がってゆく。
「っ!」
ミノさんとアヤは立っている事ができなかった。見えないプレッシャーに押しつぶされるように両膝をついた。わからないが頭を下げなければならないと身体が言っている。このまま立っていると呼吸器官まで止まってしまいそうだ。冷や汗が二人の身体を濡らす。二人はそのまま、抗えず両手をつき、頭を地面に押し付けた。
……なんだこれ……俺が……ヒメに頭を下げている?
これではまるで神に助けを懇願する人間のようだ。ミノさんはそこで気がついた。
……こいつは……目の前にいるこいつは……人間界で生活している神とは神格が違いすぎる。
なぜ……
なぜ……
こんな化け物がこんなところにいる!
「ヒメさん?やめたほうがよろしいのでは?彼らが死んでしまう。」
ミノさん達が必死で呼吸を紡いでいる中、横から澄ました声が聞こえた。イドさんだ。
イドさんはこの重圧をものとも思っていないのか平然とヒメさんに近づいて行く。
「あ……。」
ヒメさんは状況を把握して力を消した。ミノさん達は急に力が抜けその場にばたりと倒れ込んだ。
「はあ……はあ……。お、おたく……何者……だ。」
「え……えと……大丈夫じゃったか?すまんのぅ。歴史の神故、いままで盗んだ力が……」
「ちげぇだろ。今のは……。おたくは……何者だ?」
戸惑っているヒメさんをまっすぐ見据えてミノさんは静かに言葉を発する。
「そ、それは……あ、それよりアヤが……」
ヒメさんはミノさんから目を逸らし、となりで痙攣しているアヤに目を向けた。
アヤは苦しそうに震えていた。瞳から恐怖の感情が入り混じった涙が流れている。
「ア、アヤ!おい!しっかりしろ!」
「……。」
ミノさんはアヤを揺すったがアヤは目を見開いたまま、気を失っていた。
「アヤちゃんは人間により近い神です。さすがにこれは耐えられませんよ。アヤちゃん、大丈夫ですか?」
イドさんがアヤの近くに座り、アヤを揺すった。ふとアヤの身体に力が入った。瞳が動く。
「な……なに……今の……」
アヤが唇を震わせながらヒメさんを見つめる。
「す、すまぬ……アヤ。わ、ワシは……。」
ヒメさんは声を震わせ取り乱し、後ずさりするとこの場所から……この荒野から音もなく消えた。ヒメさんが消えた後、風に乗って「すまぬ……」と小さな声が流れて行った。
「な!き、消えやがった!どこ行ったんだ!」
「歴史の……神……一体何者なの……。」
二人はしばらくヒメさんのした行動が信じられなかった。ヒメさんがいなくなった大地をじっと見つめる。
「彼女は……」
しばらく呆然としているとイドさんが迷うように口を開いた。
「彼女は西の剣王軍……武甕槌神(たけみかづちのかみ)の側近ですよ。」
「たっ……たけみかづち……。西の剣王軍!」
「なるほど……ね。これでわかったわ……。あなたの正体も……。」
アヤがまだ震える瞳でイドさんを見つめた。
「……なんと、僕の正体に気がつきましたか。鋭いですねぇ。」
イドさんはやや嘲笑的に言う。正体を知ってしまったアヤはあまりの恐怖にイドさんの瞳を見る事ができず下を向きながら話しはじめた。
「あなたは……東のワイズ軍方でしょ。本当は高天原初めてじゃないのよね?猫をかぶっていたんでしょ。何にも知らないふりして。歴史の神も最初から……ッ!」
「やっぱりばれてましたか……そうですね。僕ははじめてじゃあありませんよ。ヒメちゃんは本当に久しぶりのようですがね。計画は台無しです。」
「計画……。」
「すべて僕が考えたように進んでいたんですよ。多少誤算もありましたが。ヒメちゃんも僕の考えを先読みして邪魔してきましたがね。つまり、僕とヒメちゃんは敵同士です。だか、彼を欲しがっているのは東西だけではなかった……北の冷林は手出しして来ないと思っていたのですが……これが誤算でしたね。」
イドさんは別に切羽詰った様子もなく淡々と言葉を紡いでいく。
「一つ、あのおじいさんを他の神々が狙う理由は何?人間から生まれる神をただ抹消したいからって理由じゃないでしょ。私達と会わせた目的は何!」
アヤが矢継ぎ早に質問をする。ほとんど叫びに近い声だった。それだけ目の前にいるこの神が怖かった。
……この威圧が……コップ一杯の水しか出せない神だというの?
震えながら言葉を発しているアヤにイドさんはいつもの調子で笑った。
「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。僕は別に君達を殺そうなんて思ってないですから。今は大概の神がそう思っていますよ。昔は違いましたがねぇ。神様の戦国時代なんてものは、本当は昔からあって人が信頼を寄せなくなったらその瞬間、その神は消えるんです。それが耐えられない信仰心が少なく、生まれたばかりの神は創生時代からいる神に助けを求める。そんな事を昔からしていたから勢力が分かれたんですよ。」
「……その話はもういいわ。おじいさんはなんなの?答えなさい!」
アヤの元気は空回りしていた。イドさんと話している気がまるでしないからだ。
先程からミノさんは事の成り行きを見守っている。
「……。今話した事は僕の気まぐれです。いままで騙してきたのでせめてものと。そして気が変わりました。僕はここでお暇します。」
イドさんの身体が急に透け始めた。
「ま、待ちなさい!」
アヤは必死で手を伸ばすが恐怖心が身体をうずまき、イドさんまで手を伸ばす事ができない。
イドさんは一瞬だけいつものイドさんとして微笑むと風になって消えた。
……カレーの鰈の煮付け、おいしかったですよぉ……
風に乗ってマヌケにも声が響いた。その声はコダマしながら遠ざかって行った。
冷たい風だけが取り残された二人の横を通り過ぎて行く。
「……なあ、イドさんは敵なのか?」
先程からイドさんの話を黙って聞いていたミノさんが困った顔でアヤを見つめる。
「……今の段階ではわからないわ。あの時、東のワイズ軍が襲ってきたでしょ。それは西の剣王軍が来るかどうかをためしていただけだったんだわ。」
「わりい、よくわかんねぇ。」
「あの時、私とイドが飛ばされたでしょ。あれはイドが天御柱神(あめのみはしらのかみ)や国之常立神(くにのとこたちのかみ)にわざと指示したのよ。あの神は自分がおじいさんから離れた時、西の剣王が来るかどうか試していた。……いや、西の剣王もおじいさんを狙っているのか確かめようとしたと言うべきね。西の剣王軍はイドの考え通り、ミノ達の前へ現れた。とたんに彼は待ってましたとばかり私を連れて走り出したわ。おそらく、トイレにこもったりしていたのは時間稼ぎね。」
「なるほど。しかし、ヒメが西の剣王軍だとするとなんで俺達の戦闘を止めたんだ?イドさんがいねえんだからそのままやりゃあいいじゃねぇか。」
「おそらく歴史の神は予想外の展開に焦っていたはずだわ。彼らが歴史の神かそれとももっと上の神かの言葉を無視して暴走したのよ。ヒメはイドに踊らされている事に気がついていたからおじいさんのそばからずっと離れなかった。彼らが来たのは誤算だったんじゃないかしら。」
「それで……ワシを怒らせるな……か。もう一つ、気になる事がある。高天原のチケットだ。あんな都合よく落とすか?しかもヒメさんはしつこく高天原へ入る事を言ってきたぜ。」
ミノさんの言葉にアヤはハッと目を見開いた。
「彼らはチケットを落としたんじゃなくて置いて行ったんだわ。歴史の神に敬意を払って高天原へ帰る一人分のチケットを置いて行ったんだ。歴史の神は高天原へ帰るのは久しぶりとイドが言っていたわよね。歴史の神は西の剣王、武甕槌神が自分を呼び戻そうとしているととらえたのね。そこで歴史の神は彼らが暴走してきたわけじゃない事を知った。武甕槌神が彼らをよこして、歴史の神に仲間がチケットを渡しに来たという事を遠回しに教えた。武甕槌神はイドの作戦を逆に利用したんだわ。それがわかった歴史の神は高天原へ行く事を強要した。きっとついでにおじいさんもいただく気だったんだわ。」
「そうか。だから昨日の飯の時……あの二人はもうお互いをわかっていたんだな。じゃあ、なんでイドさんも高天原へ行こうなんて言い出したんだ?」
「それはさっきのでわかったわ。歴史の神は最近の高天原を知らない。イドはそれを逆手にとっておじいさんを東のワイズ軍へ連れて行こうとしたんだわ。イドは自分から長役をやりたいってあの時言ってきたの。私は許可した。そしたら、すかさず歴史の神がその役をやりたいなんて言うから私はあなたじゃ、ちんちくりんに見えるわと言ったのよ。今考えたら私は彼女に恐ろしい事を言ったと実感できる。おそらくそれも見込んでイドは立候補してきたのよ。」
アヤは震える手を押さえた。
「そんで、イドさんは西に行くチケットでどうやって東に行こうとしたんだよ。」
「あの態度から見て、銀の鎧を脅すつもりだったらしいわね。だけどここでまた誤算が生じた。銀の鎧を纏った神達は西の者ではなく、北の冷林の配下だったって事。イドも歴史の神もあれだけ見えない攻防戦を繰り広げたのに結局は北にすべて持っていかれた。」
「そんなになるまであのじじいは大切なのか?殺す気はなさそうだったぜ。争奪戦って感じだった。」
「……そうねぇ。そこがわからないのよ。」
二人は一度言葉を切った。荒野の冷たい風が二人の髪を揺らす。
「これからどうすんだよ。」
「私はすべてを知りたいわ。あのおじいさんの謎も。だから北の冷林の所へ行く。おじいさんは冷林に捕まったと考えていいから。」
「馬鹿!死ぬ気かよ!相手は高天原の神だぜ!」
「大丈夫よ。私とミノが力を合わせれば。」
「なんで力を合わせる事に勝手にしてんだ!おたくは!」
ミノさんが必死の顔でアヤを止めるがアヤは決意の目をミノさんに向けた。
「……マジかよ……。お前、配下のイドさんやヒメを怖がっていたじゃねぇか。現にまったくかなわなかったんだぞ!」
「大丈夫よ。」
「おたくの大丈夫もなんの根拠もねぇんだよ!」
ミノさんはやれやれと立ち上がった。
「……?」
「なんだよ。いかねぇのかよ。」
「いえ……行くわ!」
ミノさんが差し出した手をアヤはがっしりと掴み、ゆっくりと立ち上がった。
五話
とは言ったものの、北の冷林とやらはどこにいるのか。一面荒野に取り残された二人には予想もつかなかった。とりあえず、歩いてみる事にした。
「高天原はじめてなんだがいきなり迷子な気分だよな。」
「そ、そうね。ほんとまいるわ……。」
イドさんやヒメさんがいた時はけっこうなんとかなっていた。今はなんともならない。
通り抜けてきたゲートはもうとっくに消えている。
「おたくは北の冷林についてどこまで知っているんだ?」
「……高天原行った事ないんだからわかるわけないじゃない。」
「意外に事情通だったじゃねぇか。西といい、東といい。」
「それはあなたが知らなすぎたのよ。」
「そうかあ?」
二人はまた無言で歩き出す。
「!」
歩き出した刹那、アヤの肩がビクッと跳ね上がった。
「どうした?」
「あれ……オオカミ?」
「オオカミ?」
ミノさんはアヤが見ている方に目を向けた。前方で何匹かのオオカミが匂いを嗅ぎながら何かを探している。そのオオカミ達は現世にいるオオカミとは違った。まず、色が真っ赤だ。燃えるような赤い毛並をしている。
「あれも神かなんかなのか?」
ミノさんがぼそりとつぶやいた。それがヒキガネとなったか匂いを嗅いでいたオオカミ達が一斉にこちらを向いた。匂いの元凶を見つけたと言わんばかりにミノさん達に向かって飛びかかってきた。
「ミノ!なんとかしなさいよ!あいつら襲ってくるわ!」
「だから……俺はうどんしかだせねぇんだって……。」
「い、いいわ。うどんを……長いうどんを出して!」
「は?おたく、さっきの言雨で頭おかしくなったのか?」
ミノさんはアヤの言っている意味がわからなかった。
「いいから早くしなさい!」
アヤが噛みつく勢いで言ってきたのでミノさんは頭にハテナが浮かんだ状態のまま蛇のように長いうどん数本を出して見せた。
「しっかり持ってて。」
アヤは冷や汗をかきながらうどんの時間を止めた。その瞬間、ミノさんが「お?」と声を上げる。
「……固くなった。乾麺みてぇだ。」
「手を離したら終わりだから。」
「と、いう事は……おたくはこれを使って俺に戦えって言っているんだな?」
「そうよ!」
オオカミ達はもう眼前に迫っている。
「あのな、俺はそういう技術何にも持ってなくてだな……。」
「じゃあ、あなたは何ができるっていうのよ。せめてそれでオオカミと雌雄を……」
「死ねって言ってんのかよ!オオカミの餌になれって?」
「その時は私も一緒に餌になるわ。」
「はあ……おたくには負けるぜ……。」
ミノさんは深いため息をつくとてきとうに乾麺をぶんまわしはじめた。予想していた通り、オオカミにはミノさんの攻撃は一切当たらない。
「……やっぱ無理ね……。」
アヤはやれやれと手を動かすとオオカミ達の時間を華麗に止めた。
「って、おたく!できんならやれよ!は・じ・め・か・ら!」
「そのまま、乾麺でぶったたいて戦闘不能にすれば楽だわ。」
そこからは武神や軍神が見たら泣いてしまうくらい情けないミノさんの攻撃がオオカミを襲った。
「ミノミノうどんアターック!ミノミノうどん顔面突き!ミノミノうどん爆砕陣!ミノミノダークスラッシャーうどん!ミノミノえーと……」
「もうそれくらいにして。ダサい技名叫ばないでちょうだい。恥ずかしい。」
アヤは泡を吹いて倒れているオオカミ達を無情にもつついているミノさんにあきれた目を向けた。
「ふう、こんなもんか?……たく、いきなり襲ってくるなんてどういう神経しているんだかな。」
「あなたも止まっている相手をぼこぼこにしてどういう神経しているの?」
「まあ……それは……あれだ。なんか強くなりたかったんだ。」
ミノさんがしょぼんと頭を下げる。アヤがふうと頭を抱えた刹那、どこからか声が聞こえた。
まったく次から次へとここ二、三日忙しい事だ。
『余の犬は全滅……。困った。おぬしら、何してくれる。』
少年の声だった。
「だ、誰だ!」
「犬?このオオカミの事かしら。」
アヤの問いかけに少年の声は丁寧に答えてくれた。
『うむ。余の犬。人間の匂いに反応。故に共に来てもらう事になる。』
答えてはくれたが何を言っているのかさっぱりわからなかった。
「……は?」
ミノさんは思わず聞き返してしまった。
『人に命を吹き込まれ、人につくす神よ。何故高天原へいるか。』
「え……えーと……それは……」
少年の問いかけに二人は黙り込んだ。
『爺の連れか。否か。』
「じーさん?確かにさっきまでじーさんと一緒だったがおたくが考えているじーさんと違うかもしれないぜ。」
ミノさんがどこを見るでもなく声に答える。
『やはり。』
少年の声はそこで途切れた。
「おい!なんだってんだ?」
「ミノ、あの声、冷林って事はないわよね。」
「わかんねぇ。だったらやべぇよな。共に来てもらうって言っていたぜ?」
二人が軽く会話を交わした時、遠くの空から先程のオオカミが飛んできていた。
先程のオオカミと違い、こちらはかなり大きい。
「あれは敵なのかしら?」
「うーん。殺気立ってねぇし、違うんじゃねぇか?俺は嫌な予感しかしねぇが。」
とりあえず二人は様子を見る事にした。大きなオオカミは地面に降り立つとゆっくり歩いてこちらに向かって来た。そこでまた少年の声がする。
『若神よ。乗れ。』
大きなオオカミは二人にこうべを垂れて背中へと促した。
「おい。アヤ、乗れってよ。どうする?」
「どうするって……。」
どこに連れて行かれるかもわからないのに易々と乗るなど愚の骨頂だ。二人はしばらくそのまま立ち尽くしていた。そのうち、しびれを切らした少年かオオカミが何か術を使い、無理やり二人を背に乗せた。
「うおお!待て!待て!俺達は乗るなんて言ってねぇぞ!」
「そ、そうよ。行くなんて言っていないわ。」
二人が焦っているとまた少年の声が響いてきた。
『おぬしらに選択権は無。』
ほぼ一方的に二人を乗せたオオカミはそのまま空へと舞い上がって行った。二人はしばらくオオカミに向かい騒いでいたが空に舞い上がった時点であきらめた。
「ミノ、これは当たって砕けろよ。」
「砕けたら意味ねぇだろ……。」
二人の不安な面持ちを残したまま、オオカミは高速で高天原の空を滑って行った。
しばらく何もない荒野が広がっていた。動物と呼ばれるものがいるのかどうかはここからではよくわからない。人影も今の所見ていない。人影と言ってもおそらく神なのだろうが。
北の冷林の領土というのはこんなにもさみしいものなのか。高天原ゲート前にいた神達は東か西か南に足を運んでいる事だろう。そして技術が発達しているのも東か西か南に集中しているらしい。
「なんというか……さみしいわね。何にもない。」
「確かになあ。西の奴らはレーザー光線とか銀の鎧とかありえねぇもん装備していたぜ。」
「そうだわ。携帯、歴史の神やイドに繋がるのかしら……?」
「い、今はやめとけよ……。連絡してどうすんだ。おたくは……。」
そんな会話をしているとミノさんの携帯が鳴った。
ラブロマンス♪二人の心はラブロマンス♪いやん❤うふん❤
「ミノだ。」
アヤが声を殺して笑っているのを一瞬睨んだミノさんは耳に意識を集中させる。
「ああ、ミノさんですか?僕ですよ。イドさんです。」
「何の用だ……。」
携帯から呑気な声が聞こえてきたのでミノさんは警戒を強めた。
「そんな怖い声出さなくてもいいじゃないですか……。北の冷林の元へ行って何するんですか?それが聞きたいんです。合流できるのなら僕も合流したいんですけどそうもいかないので。」
「てめぇ、まだ仲間面する気か。」
「ひどいですねぇ。……僕は……一度もミノさん達の敵になりますって言っていませんが……。」
「うぐ……。」
確かにそうだ。イドさんは一度も敵になったとは言っていない。ただ、こちらの気持ち的に裏切られたと錯覚しているだけだ。彼の本心はまだよくわからない。
「仲間とかそういうのはいいの。なぜそんな事を聞くのかしら?」
ミノさんが詰まったと感じたアヤは素早くミノさんから携帯を奪うと鋭い声を発した。
「そうですねぇ……僕はおじいさんの行方を捜していまして……北の冷林の元にいるのは確かだと思うんですけどいらっしゃらないので……。」
イドさんは困った声でつぶやいた。
「そう。残念ね。今あなたはどこにいるの?」
「僕ですか?僕は冷林の所にいますよ。」
「……。」
アヤは急に黙り込んだ。しばらく何かを考えている素振りを見せている。
「どうした?アヤ。」
ミノさんは黙り込んだアヤを心配そうに見つめた。
「そう。私達はいま荒野を彷徨っているわ。どうすればいいかわからないの。教えてくださる?」
「おいおい、これから冷林のとこに行くんだろが……。」
ミノさんの小声を手で押さえたアヤはイドさんの発する言葉を待つ。
「……あれ?これから冷林の所に行くんじゃないんですか?」
「誰が冷林の所へ行くって言ったのかしら?」
「ここらへんだったら冷林しかいないですからね。行くのかなと思っただけですが。」
イドさんは相も変わらずのんきな声で話しているがアヤの眉間にはしわが寄っている。
「冷林の所へ行けばいいのかしら?」
「そうですね。行ってもらえますか?待っているんで。」
「わかったわ。きるわよ。」
アヤは電話を素早く切った。不安そうな顔をしているミノさんにアヤは説明をはじめた。
「ミノ、イドは冷林の所にいないわ。」
「どういう事だ?さっきいるって言ってたぜ。」
「よく聞きなさい。イドは私達が招かれて冷林の元へ行っている事を知らないの。最初に言ってきたのは冷林のもとへ行っているかカマかけたのよ。と、いう事は彼が冷林の所にいると言うのは嘘。もしかすると近くにいるのかもしれないけど冷林に会えてはいない。おそらく、なぜかは知らないけど彼は私達なら冷林に会えると思っているのよ。だから、冷林のとこに行っておじいさんを見つけてほしいんだわ。」
「あいつワイズ軍だもんな。冷林のとこにいられるわけねぇか。しかし、なんであいつは俺達なら冷林に会えるって思っているんだ?」
ミノさんの言葉にアヤは詰まった。
そういえばなぜ、私達は冷林の元へ招かれているのか……。
『今話していたのは東の者か?』
沈黙を破ったのは少年の声だった。
「そうよ……。」
『余の国は人間が作り出す世界。人間から生まれし神の国。』
「じゃあ、冷林っていうのは人間の祈りから生まれた神なのか?」
『……近い。』
ミノさんの言葉に少年は真摯に答えた。
「じゃあ、私達が招かれているのって……。」
『おぬしらが人間からつくられし神故。人々から祈られし神……次々と生まれゆく神。一人でもこんな神がいてくれればと祈る事により神はここに生を受ける。』
「……俺達は……。」
『もとはこの世界の住人なり。ただ、生まれてすぐ地上に落とされる故、ここの記憶は皆無。』
「ここ、来た事あったんじゃねぇか……なあ?」
ミノさんはあきれた顔をアヤに向ける。
「そうね。あなたはそうかもしれないけど……私は……。」
アヤは口ごもりうつむいた。
『時の神は別。時の神の生は人間から始まる。徐々に神格を賜る。』
「そうなのか……。」
「そう。私は人間の母親から生まれたのよ。こないだまで普通の学生だったの。」
アヤはふうとため息をつくと遠くを眺める目でどこまでも続く荒野を見つめていた。
「ま、俺も全くここの事知らねぇし、気にすんなって。」
「うん。」
ミノさんの励ましでアヤは顔を上げると微笑んだ。
『ここに神がいないのは皆、地上にいる故。その中で神格の高い者は高天原の地を踏む権利を有する。おぬしらにはそれが無いが……。』
少年はそこで再び言葉を切った。
「どうした?」
『後は直接話す。』
「ミノ……。」
アヤがミノさんの服を引っ張りながら前を指差している。
「ん?」
ミノさんもアヤの見ている方向に目を動かした。目の前には一面ガラス張りの高層ビルが堂々と建っていた。まわりの荒野とアンバランスなそれは太陽の輝きを反射してキラキラと輝いている。
「あれか。……なんつーか……こう……鳥居とかそういうのないのか?高天原って……。」
「鳥居は神域を現す結界のようなものよ。人間界では人間と神をわけるために必要だけどここははじめから神しかいないのだからいらないのよ。」
「なるほど……。」
大きなオオカミは足先を器用に使って地面に降り立つと高層ビルに向かい走り出した。
「おそらく、この近くにイドがいるはずよ。」
「俺達が来るのを待っているのか?」
ミノさんがあたりに睨みを利かせはじめるがどこにも人影が見当たらない。
『東の者、西の者入れない結界有。』
「結界が張ってあるのか。」
「イドはいないみたいね……。」
ミノさんとアヤは風を感じながら高層ビル前までやってきた。オオカミは高層ビルの自動ドアを潜り中へと消えた。
「な、なんと言えばいいかしら。これは……就活みたいね……。」
「就活?なんだそれ?」
「ま、いいわ。行くわよ。」
アヤの冗談はミノさんにはまったく伝わらなかった。アヤは素早く心を入れ替えミノさんと共に自動ドアから中に入って行った。
「あら?ずいぶん可愛らしい子達ですわね。」
自動ドアを潜ったミノさん達は目の前に立っていた女性に驚いて思わず飛び上がってしまった。
一番初めに目に入ったのは髪の毛である。なんというか……キノコなのだ。キノコの傘のような髪型をしている。どんなワックスを使っているのかわからないがキノコからビシッとまっすぐ腰辺りまで固まった髪が伸びている。瞳は真黒で瞳以外はよくわからない。外套の襟で顔の半分を覆ってしまっているからだ。外套の下から赤色の着物が鮮やかに映る。帯は黄色で帯紐も黄色。帯揚げは紫だ。成人式の着物よりも地味なものだがこれはこれで生える。
肩にオオカミを纏わせているその女性は丁寧に二人にお辞儀をした。
「あ、あの……」
ミノさんは凄い髪型だなと言おうとしたが言葉を発する事ができなかった。
「こちらですわ。」
女性は丁寧な言葉遣いで二人を促した。口元が見えないので少し不気味だ。
二人は緊張しながらも女性の指示に従い歩いていく。
「申しおくれましたわ。わたくし、天羽槌雄神(あめのはづちおのかみ)と申します。機織りの祖で木綿と麻の布を作りましたの。」
ふふっと微笑む女性は当然ながら偉い神様である。
「機織りの……祖……。」
二人は途端に言葉を失くした。ここは北の冷林という偉い神様の居城であり、ここにいる神は皆当然ながら神格でいえば上過ぎる。それを改めて知ってしまったので二人は声を発するどころか指の一本も動かす事ができなかった。ミノさんに至っては完璧なロボット歩きになっている。
「そんなに緊張しなくてもよろしくてよ。あら、大宮能売神(おおみやのめのかみ)、リーちゃんの所に行く途中ですわ。」
天羽槌雄神はミノさん達に微笑みかけた後、通り過ぎた美しい女性、大宮能売神に丁寧にあいさつした。大宮能売神はふふっと微笑んで手を振ると歩き去って行った。
「お……大宮能……売神……様……。」
ミノさんは先程のロボットダンスがさらにロボット化していた。顔からは冷や汗が吹き出し、頬をしきりにつたっている。
「あら、そこの狐耳の彼の先輩ですわね。百貨店の神様、食物神。市場の繁栄を司る神ですわ。」
きょとんとしているアヤに天羽槌雄神は丁寧に説明してあげた。
「……俺、いままでの所業を悔いるぜ……。ダラダラ……グダグダしてたなんて言えねぇよ……。」
ミノさんは相当ダメージが大きいのかがっくりと首を落としてアヤの後を歩いている。
天羽槌雄神は近くにあったエレベーターへ二人を促した。一体どういう階数計算しているのか一番上が「無」とよくわからないボタンになっている。その他のボタンは何語だかわからない。
天羽槌雄神は一番上にある「無」のボタンを押した。エレベーターのドアが閉まり、ロケットのような速さでエレベーターは上に上がっていく。
「うおわああ!」
あまりの速さにミノさんとアヤは北の冷林の居城であるにも関わらず完璧すぎる絶叫をあげてしまった。
それと同時に降りる時はどうするんだと頭が叫んでいた。これはフリーフォールよりも凄い落ち方をするに違いない。
「あ、そうですわ。わたくしの事、アマちゃんとお呼びくださいまし。」
「わ、悪いがそれどころじゃねぇ!」
天羽槌雄神、アマちゃんはエレベーターの事をなんとも思っていないのかニコリとこちらを向いて微笑んだ。
……なんで笑ってられるんだよ……
なぜだかわからないが意識が飛びそうだ。
「ああ……もうダメ……ああん……」
アヤがなんだか悩ましい声を上げ始めた。
「へ、変な声あげんじゃねぇよ……。」
二人が気を失う寸前、エレベーターが急停止した。二人は一メートルくらい上に浮き上がった後、衝撃で床に叩きつけられた。
「つきましたわ。あら?」
つぶれたトマトのように床にめり込んでいる二人を見てアマちゃんが首をひねる。
「……。」
二人は首をひねっているアマちゃんを横目で見ながら起き上った。
「き、気持ち悪……う……。」
「アヤ、ここで吐くなよ……。ここは北の冷林の……」
ミノさんとアヤがフラフラしながら立ち上がると同時にエレベーターのドアが開いた。
明るい狭い部屋がまず目に飛び込んできた。
「よく来た。余がリーの代わりを務める者なり。」
目の前に目つきの悪い少年が立っていた。少年は外見的に十歳過ぎてはいないだろう。
水色の水干袴と烏帽子をかぶり、烏帽子に入らなかった黒髪を後ろでまとめている。
「この声……。おたくがさっき俺達と話していたんだな。」
「是。」
少年は無表情でこくんと頷いた。愛想のない少年らしい。
「ああ、紹介いたしますわ。現在リーの代わりを務めます天之御影神(あめのみかげのかみ)、ミカゲ君ですわ。ミカゲ君は鍛冶の祖神ですわ。」
ミカゲ君って……
二人はアマちゃんの軽さがよくわからない。偉い神様を君付けちゃん付けなんてできるわけがない。二人は目を合わせてとりあえずミカゲ様と呼ぼうと決めた。
二人は再び目線をミカゲ様に戻す。ミカゲ様の先に大きな椅子が一つとその椅子になにやらぬいぐるみのようなものが置いてある。置いてあるというよりも座っているという方が正しいか。
ぬいぐるみは人型クッキーのような形をしており、全身水色だ。そして奇妙な事にそのぬいぐるみには目も鼻も何もなかった。顔の部分にはナルトのような大きな渦巻きがペイントされている。
「な、なんだ。あれは……。」
「なんだかわからないけど椅子に座っているのだから神様じゃないかしら?」
二人がこそこそ話し合いをしているとミカゲ様が椅子に向かって颯爽と走って行き、椅子の後ろにまわるとこちらに来いと手招いた。よく見ると椅子の後ろは全面ガラス窓だ。
二人は恐る恐るミカゲ様に従い、歩き出した。
「冷林、神称リー。」
ミカゲ様がぬいぐるみを指して素っ気なく言い放った。
「え……ええ?」
二人が戸惑っているとミカゲ様は素早く椅子の裏に隠れるとしゃべりだした。
「わたしは冷林。北の冷林とはわたしの事。そなた達よ、よう参った。」
あきらかに少年の声である。
「お、おい。これはゴットジョークか何かなのか?」
「し、知らないわよ。」
ミノさんが反応に困り咄嗟にアヤを見るがアヤもどうすればいいのかわかっていなかった。
ミカゲ様は椅子の裏からのそのそと出て来、ぬいぐるみの横に立ち言葉をまた発する。
「冷林は歓迎しておる。」
「そ、そうですか……。」
ミカゲ様は腹話術をしたいのかしら……?乗ってあげるべきか……
今のは明らかにそこのぬいぐるみがしゃべったのではない。ミカゲ様がしゃべったのだ。
あまりに二人が困っているのでアマちゃんはしかたなく説明する。
「えーと、とりあえず、あそこにいらっしゃるのが冷林なのですわ。」
アマちゃんはぬいぐるみを指差してふうとため息を吐く。
「先程ミカゲ君が言っていたでしょう?余はリーの代わりだと。つまりそういう事なのですわ。」
「よ、よくわかんねぇんだけど。」
「……今はそう……リーちゃんには魂がないのですわ……。」
アマちゃんはぬいぐるみを悲しそうに見つめた。
「魂が……ない?どういう事だかわからないけど、だからイドが『北は手出しして来ないと思った』と言っていたのね。」
ふんふんとアヤは何度か頷いた。その時もっとも聞きなれた声が耳に入ってきた。
「みーのー!あーやー!あいたかったー!」
「お、おじいさん!」
ドタドタと走ってきたのはおじいさんだった。満面の笑みを浮かべアヤに抱きつく。
「おい、じじい!その外見でそれやったら変態だぜ。」
ミノさんはやれやれとおじいさんを見たが顔つきはほっとしたものになっていた。
アヤはおじいさんの頭をなでながら今後の事を考える。
……これからどうすればいいかしら……冷林のところにいるのがベスト?
アヤが何気なくアマちゃんを見上げると、アマちゃんが困った顔をこちらに向けた。
「あの、その爺の事なんですが……それがリーちゃんの魂なんですの。」
「え?」
ミノさん、アヤはいきなりの発言で目を丸くした。
「ですから、リーちゃんの魂はその爺なんですの。」
「そんなわけないわ。このおじいさんは人間の祈りから生まれた……」
「そう、ですからその魂が……」
しばらくしてアヤは一つの考えにたどり着いた。
「おじいさんはもう成仏していて魂がないから……何があったかわからないけどおじいさんの中に冷林の魂が……」
「そうですわ。」
「で、でもこれは神様としてリセットされたおじいさんが外見を残したまま生きているんでしょう?違うの?だって歴史の神がそう言っていたのよ!」
「おいおい、そのヒメが西の剣王軍だったんじゃねぇか。信じられるか。」
「……。」
アヤは黙り込んだ。
「俺は最初から変だと思ってたぜ。そのじじい、精神が生まれたばかりのあかんぼなのになんでしゃべれる知能があんだ?とな。ずっと不思議だったが俺はこれでわかったぜ。冷林が中にいやがったんだな。つーことは、このじじいは……れ、冷林……か?」
ミノさんは「ひいい」と謎の悲鳴を発しながらおじいさんから距離をとった。
「そうとも言えるし違うとも言える。今は記憶を持たない。」
先程から黙っていたミカゲ様がぼそっと言葉を発した。
「記憶を……持たない……。まあ、それはいいとしてなぜ、おじいさんの魂を冷林に入れてあげないの?」
「できぬ。爺が拒む。」
「拒む?」
アヤがミカゲ様の返答の続きを待っていた時、ミノさんの携帯がマヌケにもまた鳴り出した。
……ラブロマンス♪二人の心はラブロマンス♪いやん❤うふん❤
うんざりした顔のアヤと無表情のアマちゃんとミカゲ様を控えめにみたミノさんは携帯に耳をあてる。
「おぬしら、今、冷林の所におるのじゃな?いますぐ逃げよ!はよう!」
「おい、誰だ?ヒメか?」
「そうじゃ!もたもたするでない!早うするのじゃ!」
「ヒメ……お前の言葉はもう信じられねぇんだ。」
ミノさんはヒメさんの焦った声を無視して携帯の通話をきった。
「歴史の神から?」
「ああ。いますぐ逃げろって。」
「いますぐ逃げろ?」
ミノさんの言葉にアヤは首を傾げた。
それからミノさんの携帯には何度も例の着メロが鳴った。しかし、ミノさんは取る事はなくすべて切ってしまった。
すると今度はアヤの携帯に連絡が入った。アヤはすかさず携帯をとった。
「歴史の神じゃ……。アヤ、ミノ殿が全然でない故、アヤに……」
「なんで逃げろって言ったの?」
「冷林の元へいるのは危険じゃ!危険なんじゃ!」
ヒメさんの焦った声を冷静にアヤは受け止めた。
「なにがどう危険なのかしら?」
「冷林方についておる神はおぬしらも飲み込もうとしておるのじゃ!」
「……どういう事よ?」
先程からアヤの言葉をただ聞いていただけのアマちゃんの肩がビクッと跳ね上がった。
「どうした?」
「結界が破られましたわ。」
「うむ……ぬかった……。余はこちらに気をとられ過ぎていた。」
「ミカゲ君……。」
アマちゃんの不安そうな顔をミカゲ様は無表情のまま見つめた。
「今はしかたあるまい。」
ミカゲ様がそうつぶやいて目を閉じた瞬間、椅子の後ろに広がるガラスがパリンと音を立てて割れた。
「きゃあ!」
驚いたアヤは携帯をそのまま切ってしまった。ガラスの破片が飛び散る。
「な、なんだ?」
ミノさんは震えながらしがみついているおじいさんをかばいながら割れた窓ガラスを見つめた。
「北の冷林様、ごきげんようです。僕は龍雷水天神(りゅういかずちすいてんのかみ)、神称、イドさん……です。」
太陽を背に割れた窓ガラスの淵に立っていたのはイドさんだった。逆光で表情はよくわからなかったが今は何の力も感じない。
「イドさん!」
「龍……あなた、竜神だったのね……。」
「そうですねぇ。水神と呼ぶ方がいいかもしれません。おじいさんも救出しましたし、そろそろ行きましょうか?ねぇ?」
イドさんはただ唖然としているミノさんとアヤに優しい微笑みを向けた。
「東の者か……。余の城から出て行ってもらう。」
ミカゲ様が声のトーンなく淡々と言葉を発するとどこにいたのか窓の外に沢山の神々が現れた。
アマちゃんは着物の袖から無数の糸を勢いよく出してイドさんを捕まえようとしていた。
「ふう、ただでは行かせてくれませんよねぇ。ならばこちらも。」
イドさんは飛んできた糸を華麗にかわすと部屋の中に侵入した。イドさんの後ろからは人間世界で出会ったあの神々を含むワイズ軍が冷林軍と戦っている。
竜巻、雷、氷や火炎などが窓の外で渦巻きはじめた。もちろん、俗世界にいた時とは規模が違う。
イドさんはアマちゃんに向かい弾丸のようなスピードで水の弾を発射した。アマちゃんはしなやかな肢体でそれをかわす。
「い、イド!」
アヤが何かを言う前にイドさんは口を開いた。
「アヤちゃん、これは戦争です。殺す気でいかないと自分がやられちゃいますからねぇ。」
「そんな事を言っているんじゃないわ。あなた、今の攻撃、当てる気がなかったわね。」
「……!」
アヤの言葉にイドさんは意外だと目を見開いた後、ふふっと笑った。
アマちゃんはイドさんを睨みつけると糸を束ね、鞭のようにしならせながらイドさんに向けて振るった。イドさんはまた軽やかにかわす。
「そうですねぇ。女神に手をあげない、これは主義です。僕の中の紳士です。ただし、僕の気に触れたらどうなるかわかりませんが。」
……余裕ってか……。こいつ、あの女神を挑発してやがる。
ミノさんはおじいさんを後ろに隠しながらじっとイドさんを睨みつけていた。
「ずいぶんと舐められたものですわ……。」
アマちゃんは細い糸をイドさんの周りに張り詰める。
「これはこれは……触れたら痛そうです。」
針金のような糸は時に刃物以上の切れ味を出す。身動きできなくなったイドさんにアマちゃんは針のような鋭い糸をイドさんの心臓に向けて飛ばした。イドさんは糸が身体に食い込むのをまるで感じていないかのように突っ走った。飛んできた針のような糸を紙一重で避け、突っ込む。イドさんの身体のあちらこちらから血が噴き出しているがイドさんの足が止まる事はない。
「うわっ……いってぇ……。」
ただ突っ立っているだけのミノさんの方がムズムズしてきていた。
糸を抜けたイドさんは止まることなくアマちゃんを襲う。水の槍に雷を纏わせたものを出したイドさんはアマちゃんに突進して行く。
……おいおい……紳士はどこ行ったんだよ……
ミノさんは焦りつつも動くことができなかった。目の前で戦いを繰り広げている神はミノさんがどうこうできるレベルではない。今は目をつぶって震えているおじいさんをなんとかして守る事が一番大事だ。そして……
俺よりも若輩のアヤを守らないと……
ミノさんにも一応、使命感というものはある。度胸はアヤの方が上かもしれないがせめて形だけでも先輩になりたい。
「あ、アヤ、逃げようか?」
「何を言っているの。ここで逃げても意味ないわよ。」
アヤは毅然たる態度で勝負の行方を見守っている。
アマちゃんの首にイドさんの水の槍が迫る。刹那、人影が窓から飛び込んできた。
イドさんの水の槍は思い切り弾かれて遠くに飛んで行き、バシャっと床に広がった。
「!」
アマちゃんの前には刀を構えた男が立っていた。
「栄次(えいじ)!遅すぎますわ!」
「……。」
栄次と呼ばれた男は髪をポニーテールに結び、着流しに袴姿だ。長身な為、すっきりとした立ち振る舞いに見える。目つきは鋭く、戦乱の世から直接出てきたような男だ。
刀を構えた彼はそのままよろけたイドさんに斬りかかった。
「え……栄次……?時の神……過去神!?な……なんでここに……。」
アヤの顔色が先程と打って変わって真っ青に変わっている。
「?」
栄次と呼ばれた青年は斬りかかる手を止めてアヤを驚きの目で見つめた。
「あ、アヤ?」
「あなた……過去を守る神のはずでしょう?なんでここにいるのよ……。」
「……俺は神格が高い。高天原に住む権利を有している。そして今は呼ばれたから来たんだ。」
栄次がアヤに答えた時、イドさんが素早く動いた。ミノさんとアヤとおじいさんの手をそれぞれ握るとその場で一回ジャンプした。電子数字がイドさんの周りをまわり、座標を提示する。
「?」
「まずいですわ!」
過去神の栄次はきょとんとしていたがアマちゃんの方は焦りの声を上げた。アマちゃんが必死に手を伸ばしたが四人の身体は透けてその場から消えてなくなった。
「ワープ装置を使ったか。よい。追うな。西もいずれ動くだろう。」
ミカゲ様は相変わらず無表情のまま、退きながら戦っているワイズ軍を見つめた。
六話
「わりい、とりあえずなんか食っていいか?朝からなーんも食ってねぇんだ。」
ミノさんが生気のない声でつぶやく。
「あなたね、知らない所、しかもイドに連れられているっていうのになんでそんなに呑気なの!」
アヤは隣を歩いているミノを睨む。
ここは正直どこだかわからない。高層ビルと色々電子化された物達が連なり、道路は普通の道路なのだが歩かなくても勝手に動いてくれる。すれ違う神々は空間をタッチしながら電子新聞を読んだりテレビを見たり現世にはありえなかった事を普通に行っていた。
奇妙な事にこんなに機械化しているのになぜか神々の格好は和服だ。
「それはいいとしてですね、なんで僕がおじいさんをダッコしなければならないんですかという疑問がですね……。」
二人の前でよろよろしているイドさんの腕の中には先程お昼寝を始めたおじいさんがいる。
「いいじゃない。それくらい持ちなさいよ。なんか怪我も治っているし。」
イドさんの怪我は一体何をしたのか跡形もなく消えていた。
「あの……これ、おかしくないですか?なんかストーリー上のノリというんですかね……なんかその……。」
「何言っているの。あなたがさっき『行きましょう』って言ったのよ。こちらは了解していないのだけれど、しかたないから連行されてあげるわ。どこに行くのかわからないし。」
戸惑っているイドさんの横でミノさんは手から出したうどんをひたすらすすっていた。
「ですが、僕がおじいさんをそのまま連れて行っちゃうかもしれませんよ?」
「そういう事言う人ほど大丈夫なのよ。……ミノ、私にもうどんちょうだい。」
ミノさんがうどんをすすりながら新しく手から出したうどんをアヤに渡す。
「ああ、いいですねぇ。僕も食べたいんですが手が空いていなくて……。」
イドさんの手はおじいさんを抱えていてうどんを持つことはできなさそうだった。
「それよりもよぉ、ここはどこなんだ?」
うどんのだし汁まできれいに飲んで満足げな顔を見せているミノさんはイドさんに鋭い声を発する。
「ここは東のワイズ軍のテリトリーですよ。すごい機械化進んでいるでしょう?この状況に慣れていたのでいきなり現世の携帯を使った時は全然わからなかったですよ。」
「あら、あれは本当にわからなかったのね。もうほとんど信じられないけど。」
「なんかアヤちゃん僕に厳しくないですか?」
アヤがイドさんに目も合わせないのでイドさんはさみしそうにミノさんに目を向ける。
「知らねぇよ。戸惑っているんだろ?おたくが敵なのか味方なのかわからないからな。」
「僕はミノさん達の味方ですよ?」
「そうかよ。じゃあ、最後まで味方でいろよな。」
ミノさんはやれやれと前方を見上げる。眼前にはひときわ大きく、見た目ゴージャスな建物が建っていた。建物といってもビルではなく、日本の城だ。落ち着きの欠片もないくらい金色で赤い宝石が散りばめられている。金閣寺を悪い意味で進化させてしまったような感じだ。
「なんだよ。あの眩しい城は……。ハデすぎじゃねぇか?」
ミノさんは眩しさに目を細めながらため息交じりに声を発する。
「えー……まあ、それは否定しません……。ワイズは最近ああいうのにハマっているらしく……。」
イドさんの発言でアヤの顔色が曇る。
「ワイズ?東のワイズの事?あなた、やっぱり私達をワイズ軍に連れていくつもりだったのね。」
「あれ?言っていませんでしたっけ?」
「言っていないわ。」
「あ……でもとりあえず会ってみてくださいよ!悪いようにはしませんから。」
そうこうしている間に城が近づいてきた。落ち着かないがなかなか存在感はある城だ。
動く道路は城門の前できれた。イドさんはそこからフラフラと歩き出す。後ろをアヤとミノさんが続いた。イドさんはいそいそと自動ドアから中に入る。
「……金閣寺みたいな城に自動ドアがついてるってなんだ?」
「……。ワイズの性格がわかるような気がするわ。」
ミノさん、アヤは半ばあきれながらイドさんに続いた。自動ドアを潜った瞬間、爆音で謎のラップが聞こえてきた。
―君の心にどきゅんなビート!一緒に食べよう弩級のハート!そんな君は度胸のニート♪
「うわあ!なんだ!なんだ!」
「何このダッサいラップ!」
二人は城に入った瞬間に大音量のラップを聞き、思わず外に出てしまった。
「ああ、大丈夫ですよ。これはBGMです。流していいです。ワイズの趣味ですから。」
「……。」
イドさんが二人を見て微笑んだ。ミノさんとアヤは東のワイズがどんな神様なのかさらにわからなくなった。
城内一階はロビーのようだった。床は木の床板だ。ここは和風な雰囲気を残しているらしい。
イドさんは先に進むと奥にひっそりとあったエレベーターの前で立ち止まった。
「城の中にエレベーターがあるのかよ……。」
「ええ。こちらですよー。あれ?おじいさん起きたんですか?」
ラップがあまりにもうるさかったのかおじいさんが目を覚ました。華麗にイドさんから飛び降りると真ん丸な目をパチパチさせながらさっきから聞こえている謎のラップを口ずさみはじめた。
「やめなさい。うるさいわ。」
アヤが鋭い声を出した刹那、ミノさんの身体が蒼く光り始めた。
「!?」
「ミノ、あなたなんで光っているの?」
「そういうおたくだってなんか気持ち悪いくらい光っているぜ。」
アヤもよくわからないがミノさん同様、蒼い光が纏い始めた。
「よくわからないけど、なんか力が湧いてくるわ。力が抜けるところなんだろうけど。」
「確かに……今なら上位の神にも勝てそうな気がするぜ……。」
「おじいさんの影響ですね……。おじいさんは人間の信頼を一心に受ける神。その力を『人間からつくられた神』に渡す事ができるんですね。おじいさんは無意識でやっているようですが。」
イドさんが微笑みながら戸惑っている二人を見据える。
「なんでいまさらなんだよ。」
「おそらく人間界の歌が媒体となったんですね。いま流れている歌はまったく売れていない人間の歌手のものです。ストリートライブでCDを無料で配布している段階の歌手ですね。ワイズはこれが今お気に入りらしくて……。まあ、たぶんですが今流れている歌を口ずさんだ事により起こったんだと思います。僕はなんともありませんし。」
イドさんは別段驚く事もなくエレベーターの一番上のボタンを押した。一番上のボタンは「天」とよくわからないボタンになっている。
自分達が光っているのにイドさんはまったく変化はない。ミノさんとアヤはイドさんが自分達とは違う系列の神である事を改めてわからされた。
「おいおい。こんな光ったまま、ワイズの所に行くのかよ?」
「うーん。どうしようもないですからねぇ。」
「勘弁してくれよ……。」
ミノさんががっくりと首を垂れる暇もなく、エレベーターは上昇を始めた。今度のエレベーターは冷林の所とは雲泥の差で静かに快適に上昇をしている。しばらくすると周囲がいきなり宇宙になった。
「うおっ。」
「きれいだわ。」
星々がキラキラと輝く。まるでプラネタリウムにいる気分だ。二人は美しい幻想を味わった。
そして知らないうちに身体にまっていた蒼い光りは消えていた。
気がつくと月がこちらに向かって近づいてきていた。おじいさんは月には目もくれずキラキラ輝く星を一個一個数えている。
「そろそろですね……。」
イドさんはなんだかうんざりとした声を上げた。刹那、エレベーター内に例のラップの爆音が響いた。
―君の心にどきゅんなビート!一緒に食べよう弩級のハート!そんな君は度胸のニート♪そこにえがくは心のアートぉおお!
「うるせえぇ!そして意味がわからねぇ!」
「この幻想にまったく合わないわ。やめて。なんか癖になってくるし……。」
二人が苦しむのをよそにおじいさんは楽しそうに歌っている。
「もう少しですよ……。まったく……ワイズだけでなく他の神もこの曲が気に入っているってどういう理由なんですかねぇ……。」
イドさんは不服そうに何かぶつぶつとつぶやいている。そうこうしている間にエレベーターのドアが開いた。
「YO☆」
「うわあああ!」
ミノさん達は目の前に立っていた神様に驚いて思わず声を上げた。その神は幼女の姿をしており、原色が色々混ざっているニット帽のようなものをかぶって赤色の着物に下は白い袴を着ている。そして何よりも特徴的なのはレンズが二等辺三角形のサングラス。
つっこみどころいっぱいな奇妙な格好である。
「YO☆YO☆ナス食べてショーユゥ昼顔ライダー音大!ソトマ引いてハンバーガーダイズぅぅ!私はトンカツライブのアルパカ足踏み!イッツミルク☆」
少女は謎のラップを発しながらこちらの反応を待っている。
「……。えーと……。」
つっこむところはいっぱいあるのだが何にも言葉を紡ぐ事ができない。
「あの……ワイズ……空耳で英語のラップを歌うのやめてもらえますか?」
「だってなんて言っているかわからないんだもんYO☆」
イドさんが少女に向かいワイズと言った瞬間、ミノさん達の顔色が変わった。
「思兼神って……女の子だったのかよ。」
「この状況でつっこむところそこじゃないわよ。」
二人はしばらく呆然と東のワイズを眺めていた。東のワイズはきょとんとした顔を二人にむけている。部屋は暗く、広い部屋なのか狭い部屋なのかよくわからない。それからこの暗い中、サングラスをしているとはどういうことか。
「おい、龍雷水天、こないだはよくも水をかけてくれたものだな。」
ワイズの後ろから別の声がした。渋い男の声だ。
「あー……天御柱神ですか……。北からもう戻ってきたんですか?ていうか、あれ、ちゃんとあやまったじゃないですか。」
イドさんが頭をかきながら声に答える。刹那、風がワイズ達の前を通り過ぎ、イドさんの目の前に鬼の仮面が現れた。
昨日イドさんとアヤが竜巻の中で出会った神だ。どうやらコップ一杯の水をぶっかけた事にご立腹のようだ。
「こちらは人に危害を加えないように頑張っていたというのにお前は呑気に俺に水を……水を……」
「もういいYO☆。お客が困っているYO☆」
静かに怒っている天御柱神を戸惑った顔でワイズがなだめる。
「ミノさん達が困っているのはワイズのせいですよ。」
「なんでだYO☆。私が何したっていうんだYO☆ご立腹だYO☆」
イドさんの言葉によりワイズの眉が吊り上った。
「ああ、わかりました。すいません。あなたは何もしてませんよ。それよりもほら、本題を。」
イドさんのフォローで機嫌を直したワイズはミノさん達に向かい挨拶をした。
「うむ。ああ、えーと、私は東のワイズこと、思兼神(おもいかねのかみ)だYO☆。」
そこで天御柱神が素早く部屋の電気をつける。パッとミノさん達の視界が明るくなった。
部屋は意外に狭く、畳が敷き詰められている床の真ん中に洋風の椅子がちょこんと置いてある。
そのすぐ横にどうやって生えているのか、もみじの木が紅色の葉をつけている。
ミノさんとアヤは不思議な部屋に目を奪われていた。
「ああ、これは紅葉だYO☆。今から本格的な秋が訪れるYO☆。」
―い、いや、そういう事じゃなくてだな……。な、なあ?―
ミノさんはちらりと横目で見つつ、アヤに助けを求める。
―私に聞かないで。ここは神の国よ。なんでもありなんじゃないの?―
「あ、それからとりあえず音楽でも聞く?カッコいい歌見つけたんだYO☆あ、おいしいお菓子も……」
「歌もお菓子もいいですから、本題を進めてください!あなたはさっきから何がしたいんですか?」
東のワイズ相手に珍しく戸惑っているイドさんはなかなか新鮮だった。
「ごめん。何を言おうとしたのか忘れちゃったYO……。」
「ワイズ!」
「うう……イドちゃん怖いYO……。天御柱―!」
ワイズはいそいそと天御柱神の後ろに隠れる。
「天御柱神に隠れるなんて卑怯です!」
イドさんはワイズに厳しい目線をぶつける。
「龍雷水天、思兼神はふざけているんだ。本気で怒るな。」
やれやれとため息をついた天御柱神はそっとワイズを見つめた。
「と、いう話であって、本題に入るYO☆」
ワイズは天御柱神の後ろから飛び出すとにこりと笑って話し始めた。
―な、なんなんだよ……この神は……―
ミノさんはまた戸惑い、アヤに目を移す。
―だから知らないわよ。いちいちこっち見てこないで。―
おじいさんは知らぬ間に紅葉の元におり、葉っぱに向かい手を伸ばしている。
「単刀直入に言うYO☆。今回の元凶は冷林だYO☆」
「!」
「これはすべて冷林が仕掛けたものなんだYO☆。あの無邪気な爺をつくったのも冷林だYO☆」
「どういう事よ?」
「あの爺は冷林の力をうけて神になったんだYO☆。ミカゲらは知らないけどNE☆」
「そういえば、ミカゲ様はおじいさんが冷林って言っていたわ。魂が冷林とか。」
「うん。まあ、それは間違いじゃないYO☆ただ、北の者は爺が信仰を集めたのと冷林の転生が同時期に起こった為の事故と考えているようだYO☆」
ワイズは楽しそうに指を動かしている。
「ごめんなさい。よくわからないわ。」
「えー、だから……うーん。飽きたYO……。ラップ調にじゃべっていい?」
ワイズは口をとんがらせながら天御柱神を見た。
「ダメだ。ちゃんと説明してからじゃないとダメ。」
天御柱神がなだめるようにワイズに言葉をかけている。父と娘という感じが一番近い。
「うー……だから、ね?冷林がぁ……転生するんだYO……それで、タイミング良く爺が神になったから皆、冷林が爺の中に入っちゃったと思っているんだYO……。でも実際は冷林が狙って中に入ったんだYO。本人は記憶ないみたいだけどNE。で、我々はなんかよくめんどー事を持って来る冷林を封印しちゃおうかなーなんて考えていてNE☆何考えてんだかわかんないけど今現在記憶を失くしているから、この際。」
「なるほど。今のはわかりやすかったわ。じゃあ、私達に力をくれているのは冷林なのね?」
「うーん……冷林にそんな力ないからそれは爺の力じゃないKANA☆」
「結局なんなのよ?」
「わかんないYO☆」
「……。」
しーんとした空気が部屋に流れた。
沈黙に耐えきれなくなったミノさんが最初に口を開いた。
「なあ……ワイズさん、あんたは俺達の仲間なのか?」
「ワイズさん?ははは!それ斬新ー!気に入ったYO☆仲間になろう☆」
ワイズはニコニコと微笑むと難しい顔をしているミノさんの手をとった。
「仲間になろうって……おいおい……。」
ミノさんはため息をつくと先程からむすっとしているイドさんに目を向けた。イドさんもミノさんに視線を移す。
「一つだけ言っておきましょうか。冷林の封印はおじいさんと共にです。それでも我々を仲間と言いますか?」
「龍雷水天、余計な事は言うな。」
イドさんの発言に天御柱神が強引に入り込んできた。
「まあ、いいですけど。」
イドさんはそこから何も言わず黙ってミノさんとアヤを見据えた。
「助言?ありがたいわね。」
「僕の立場上、それ以上言われたらやばいですね。」
「だってイドは私達の仲間じゃない。おじいさんを守るグループでしょ?」
アヤの発言でワイズ達の表情が曇った。
「アヤちゃん……。」
イドさんは恐る恐るワイズと天御柱神に目を向ける。
「ふーん。イドちゃんは封印に協力してくれないんだNE☆」
「俺に水をかけといて思兼神を裏切るのか!」
「えー……えーとその……」
イドさんは救いの目でミノさんを見つめる。
「俺見たってしょうがねぇだろ。」
困った顔をしているイドさんにアヤは堂々と言い放った。
「仕返しよ。さっき騙したから。それにさっき、あなたは仲間だって自分で言ったのよ。中途半端に私達の肩を持とうとするとこうなるわ。」
アヤはキッとイドさんを睨みつける。
「ここはアヤちゃんが黙認してくれると思ったのですがねぇ……。一応、アヤちゃん達を騙すためにああいう風に言ったんですよ。」
イドさんは慌ててワイズを説得した。
「じゃあ協力してくれるんだNE☆」
ワイズの表情がパッと明るくなった。
「……うまく逃げたわね。」
「……。」
イドさんはアヤを一瞬だけ睨みつけた。
刹那、地震のような揺れが一同を襲った。
「ああ、剣王軍が来たYO☆。冷林はほんとやっかい事ばかりだYO……。」
「剣王軍だって!」
ワイズの一言で天御柱神は慌てて空間をタッチし、アンドロイド画面を出すと城全体にいる神々に連絡を入れはじめた。
「西の……剣王……武甕槌神。」
「俺達も巻き込まれたらやべぇぞ……。おい、くそジジイ!紅葉触ってないでこっち来い!」
「んー?」
おじいさんは相も変わらずのんきに返事をし、ひょこひょこと素直にこちらに向かって歩いてきた。
「よし、戦闘態勢だYO☆。」
ワイズが近くのボタンを押した。すると静かに壁と天井が動き始めた。
「な、なんだ!」
ミノさんが叫んだ頃には天井は開いており、青空が見えている状態だった。壁もどこかに折りこまれ床だけになっていた。上空を沢山の銀色の鎧達とロボットスーツに身を包んだ者達がハヤブサの如く通り過ぎる。手に持っている大型の刀やレーザー銃がギラリと太陽に照らされて光っていた。
「……一応、逃げましょうか?」
イドさんがこそこそとミノさん達に耳打ちをしてきた。外はもうワイズ軍が放つ竜巻や雷の光りと剣王軍が放つレーザーと刀から放たれるカマイタチでごっちゃごちゃだ。
「おたくはこんなんでどうやって逃げるって言うんだ。」
「信用するわよ。」
ワイズは指揮をするので精一杯で天御柱神はもう戦場に飛んでいる。誰もこちらを見ていない。
イドさんはそれを確認するとそっと目を閉じた。イドさんの周りをケムリが包む。
「!」
しばらくしてからイドさんではないもののシルエットがはっきりとケムリに映った。
そこに佇んでいたのは一匹の龍だった。一般の龍よりは少し小さいかもしれない。だが、四、五人ならば乗せるのはたやすいだろう。
「乗ってください。」
龍になったイドさんがミノさんとアヤを誘導する。
「わー!かっこいいー!」
おじいさんはこういう時だけ行動が素早いのかもうイドさんに乗っている。
「あ、ああ……しかし、すげぇな……。龍なんて見たことねぇし……。反応に困るぜ。」
「彼は竜神だったわね……そういえば。まあ、いいわ。とりあえず乗りましょう。」
二人はオドオドしながらウネウネ蛇のように動いているイドさんの背中に乗った。うろこで思ったより背中は固い。
「かてぇ……座り心地は最悪だな。」
「そう言わないでくださいよ……。じゃあ、行きますよ。」
イドさんが空へ舞いあがった。龍のしなやかな体がまるで水の中にいるように空中を泳ぐ。
「わああ!すっごいいい!かっこいいいい!」
一人テンションの高いおじいさんの声が響き渡った。
「すごい……。龍に乗って空を飛べるなんて思わなかったわ。」
「そ、そうだな。けっこう怖ええけど。」
二人は呆然と遠ざかって行く城を眺めていた。途中、ワイズがこちらに気がつき何か言っていたがイドさんが戻る事はなかった。
いや、戻れなかった。襲ってくる剣王軍から逃げていたからだ。優雅に舞っていたのは飛び立ってから二、三秒だけだった。
「うわあ!ビームはやめてほしいですね。龍バージョンのイドさんだとちょっと避けにくいです。」
イドさんの横すれすれをレーザー光線が通り過ぎる。イドさんの身体が激しく揺れ、乗っているアヤ達は気分が悪くなった。
「ちょっと!もっと優しくなんとかして!」
「そうだぜ……。気持ち悪くなってきたじゃねぇか。」
「無理です!僕も必死なんで!アヤちゃん、たくましいミノさんにつかまってキャー怖いってやってください。ギャップ萌えします。ああ、なるべくかわいい顔で。」
「馬鹿言ってないでなんとかしなさいよ!だいたい、こんな蒼い顔してゲーゲーしている神様に頼れって方が無理。」
「なんかすごい失礼な言葉が聞こえたぞ……今。」
「ミノさんもっとしっかりしてくださいよ……。アヤちゃんが困ってるじゃないですか。」
「とにかくイドは前を向いて避けなさい!」
イドさんは斬りつけてくるロボット達を避け、レーザー光線を結界で弾きとギリギリの防衛をしている。ミノさんはおじいさんの服を掴んで落ちないように気を配り、アヤはタイムストップをかけて剣王軍の動きを弱めている。
「あー、それから言っていませんでしたが……僕、龍になれるの三十秒だけなんです!」
イドさんの言葉を聞き、アヤ達は一斉に青ざめた。
「何その最後の必殺技的なの!やめなさいよ!いきなりそんな事言うの!」
「おいおい、今何秒たったんだ?そろそろやべぇんじゃ……」
ミノさんがふっと言葉を切った。
「ああ、限界ですぅ……。」
気の抜けた声を残しイドさんはもとのイドさんに戻った。
「馬鹿ヤロー!こんなとこで……戦場のど真ん中で……いきなり龍をやめんじゃねぇえええ!」
「きゃああああ!」
「おお?」
アヤは絶叫を放っているがおじいさんは今も楽しそうだ。イドさんは素早くおじいさんが離れないように着物を掴んだ。
「ちょっ……あ、アヤ!」
アヤは絶叫を放ちながらギュッとミノさんに顔をうずめていた。レーザーが二人のすぐ横を通り過ぎる。
「あ……いいですねぇ……僕、そっちがよかったです……。アヤちゃんがデレました!ついに!」
「デレた!?」
ミノさんの間抜けな声を残し、一同は真っ逆さまに地面に向かい落ちて行った。しかし、一同の落ちている感覚はすぐになくなった。
「……?」
ミノさん達は恐る恐る目を開ける。なんだか知らないがアヤ達はプカプカと浮いていた。余裕の出てきたアヤは頬を赤く染めながらバッとミノさんから離れた。
「おぬしら……何を恥ずかしい会話をしておるのじゃ……。」
「ヒメ?」
ミノさん達の目の前にはヒメさんがいた。ヒメさんもフヨフヨと空を浮いている。
どうやら高天原の衣のおかげで浮いているらしい。ミノさん達の下にも大きな布が浮いている。
「あ、あれは事故よ。事故。で?歴史の神は私達をどうするつもりなのかしら?敵はイドだけよね?」
アヤは照れを隠しながらボソボソとつぶやいた。
「一度剣王の元に来てもらおうと考えておるのじゃが……。イド殿、おぬしはどうするのじゃ?」
ヒメさんはいつもの表情でイドさんを見つめる。
「僕ですか?じゃあ、僕も同伴させてもらいましょうか。」
イドさんの反応をみてヒメさんは大きく頷いた。
「やったの!これでまた皆でお話しできるの!とりあえず、剣王のもとに来てもらってからじゃな。翁―❤歴史の神じゃよ!」
「ひーめーだあああ!」
笑顔で叫ぶおじいさんにヒメさんも笑顔で応じた。
「おたくは一体なんなんだよ……。」
「歴史の神じゃ!」
ミノさんの不安げな問いかけにヒメさんはきっぱりと答えた。
「そういう事じゃなくてだな……。」
「……まあ、とりあえず、西の剣王にも会っておくのがいいんじゃない?歴史の神、あなたも私達の仲間なんでしょ?」
アヤの言葉にイドさんの肩がビクッと動いた。
「んー?もちろんじゃ!」
「あー、言っちゃいましたね……。」
イドさんは頭を抱えた。
「なんじゃ?」
「なんでもありません。」
「地獄の勧誘がスタートしたな。」
きょとんとしているヒメさんにミノさんはやれやれとため息をついた。
七話
一向はヒメさんの謎の衣により、西の剣王の土地までやってきた。西は自然の豊かなところだった。和風の家々が並び、山々は赤や黄色に色づき、紅葉と銀杏がひらひらと空を舞う。
地面では色づいた草とススキが風に揺れて心地の良い音を出している。
「しかし、すげぇな。その衣、ワープできんのかよ。」
「西はすでにメカではなく自然のものを発展させるのじゃ!」
ヒメさんは持っていた衣をそっと羽織ると歩き出した。
「いや、違いますね。剣王もそうですが剣王側の神々が機械を使いこなせないんです。さっき襲ってきたロボットは金属系の祖神がいたからこそできる技ですよね?金山(かなやま)夫婦神と金屋子神(かなやこがみ)が確かそちらにいたはずです。」
「うう……否定ができぬ……。」
イドさんがしれっと言ったのに対し、ヒメさんはがっくりと首を落とした。
「まあ、でも西は自然が多くていいですね。東も少し行けば山だらけですが。やはり山神がしっかりしているのでしょう。」
「そうじゃな。東はあんまり山神がおらんかったのぉ。北の神々はほぼ俗世界にいるからようわからんし。」
ヒメさんが唸った隣でおじいさんは楽しそうにトンボを追いかけている。
「そういえば、西の剣王はおじいさんをどうするつもりでいるの?」
アヤは楽しそうなおじいさんを見ながらヒメさんに質問した。
「翁と冷林を引き裂いて冷林を復活させるのが目的らしいのじゃ。ワシは反対しておる。引き裂くという事は翁を消すという事じゃからの。まあ、確かに翁の魂が冷林と分離しても翁は成仏するだけじゃが、現段階で神となっておる翁をそう易々と成仏させるのはどうかと。冷林の勝手で翁が苦しむのはおかしいじゃろ?」
「あなたはじゃあ西の剣王を裏切っていると?」
「……否定はせぬ。」
ヒメさんは少し顔を曇らせて小さくつぶやいた。
「なるほど。私達を連行するのはあれね、裏切っているのを知られないためね。でも、西の剣王はあなたの事、わかっているんじゃないかしら?」
「……。」
ヒメさんの反応を見てアヤはまだ何かあるなと思った。
「ま、よくわかんねぇけど、目の前に日本の城みてぇのがあるぜ。」
ここで場の空気を読んだミノさんが前方に見えるしっとりと落ち着きある城を指差した。紅葉の赤と銀杏の黄色が白い城壁を美しく浮き出させる。
「ああ、あれじゃ。剣王の城はの。落ち着きあるじゃろ?」
「そうですね……。ワイズとは大違いですよ……。彼女ももっとなんとかしてくれるといいんですがね……。」
イドさんはその美しい城をうっとりと眺めていた。
「なんか威圧が違うな。踏み込むの、ためらうぜ。」
二、三歩下がり始めたミノさんをアヤが乱暴に押し返す。
「さっさと歩いて。」
「……ふぅ……おたく、少し手厳しすぎやしねぇか……?」
「こっちも必死なの。後ろにさがったら負けよ。」
よく見るとアヤの手は震えている。相手は武甕槌神だ。ついこないだまでただの高校生だったアヤにとっては単純に恐怖だろう。
……そりゃあ、そうだよな……。俺なんて何百年神やってんだよ……。なさけねぇ。
ミノさんは一瞬、目を細めるとアヤの頭にそっと手を置き、そのままアヤを追い越し歩いて行った。
「お?なんかミノさんがかっこいいですよ?」
「かっこいいのじゃ!みの!」
「み~の~♪」
イドさん、ヒメさん、おじいさんは勝手に盛り上がりはじめた。
「うるせぇ!これじゃあ、緊張感もへったくれもないじゃねぇか!」
ミノさんは頬を赤くしながら叫んだ。
「ちょっと自分かっこいいとか思いませんでした?思いましたよね?」
イドさんが揶揄するように言った。横ではおじいさんがススキをいじっている。
ミノさんは不機嫌そうに歩いて行ってしまった。
……無理してるわね……。ほんと、人間みたい。
「……ミノ。気をつかってくれてありがと。私は……大丈夫よ。」
アヤは不機嫌さがにじみ出ている背中に向かい声をかけた。
「……。」
ミノさんは一瞬立ち止ると振り返らずにまた歩き出した。イドさんとヒメさんは微笑みながらミノさんの後を追う。おじいさんもススキを一本持ちながらヒメさんを追った。
……頼りないけどあなたがいるから何とかなるって思えるのよ……ミノ。
アヤは口に出さずに心でつぶやくと歩き出した。
城門をくぐって紅葉が落ちるきれいな庭に出た。苔むした岩と澄んだ池がある。その池に赤く色づいた紅葉が鮮やかに浮いていた。
「こっちじゃ!」
ヒメさんは庭の先にある障子戸を指差した。
「え?あそこが玄関的なとこなのか?」
ミノさんは期待外れだと言わんばかりの表情をつくっている。おじいさんは落ちている紅葉をとりあえず拾っていた。まるで庭の掃除屋だ。
「ま、まあ、これもこれで風流ではありませんか……。」
イドさんもはっきりとは出ていないが浮かない顔をしている。アヤは黙ったまま走り去るヒメさんについていった。
障子戸を開けるとどこからか話声が聞こえた。
「タイムカード押してないの何回目?まったく困るんだよねぇ。君みたいのがいると!」
「あ、すんません。タイムカードの押し方わっかんなくて。へへ。」
なんか怒っている方の声は男だ。もうひとつのあやまっている方は女の声だった。
「全然反省の色が見えないんだよねぇ!君は!それがしもタイムカードの押し方頑張って覚えたんだよねぇ!君も頑張りなさい!」
……タイムカードってそんなに頑張って覚える事あったっけ……
アヤは小遣い稼ぎにやっていたバイトの事を思いだしてみた。思い出すも何もふつうにまっすぐに押すだけだったように記憶している。
ヒメさんが履物を脱いで中に入る。一同もそれに従った。ここは土足禁止らしい。長い木の廊下があり、両脇に障子戸が連なっている。ヒメさんは一つの障子戸の前で止まった。
「ただいま帰ったぞよ。」
そして躊躇なく取り込み中の神達がいる障子戸を開けた。
「うわっ!誰っすか!」
最初に声を上げたのは女の方だ。彼女は袖のない忍び装束のような着物を着込んでおり、ニット帽をかぶっていた。黒い長い髪が鮮やかなニット帽から浮かび上がる。どこか不気味さを感じる雰囲気だ。
そして奇妙な事に彼女は縦に線を引っ張ったような目をしており、とても人間には見えなかった。
まあ、ここにいるのは人間じゃなくて神様なんだろうが……。
「剣王、タイムカードとやらは無理にやらなくてもよいのではないかとそう思うのじゃが。」
ヒメさんは胡坐をかいて座っている男を剣王と呼んだ。男は髪を左右で結っており、緑色の水干袴を着こんでいた。パッと見、邪馬台国の男性を連想させる。口周辺にヒゲが生えている事から若くは見えない。まあ、彼らの歳なんてまったくあてにならないのだが。
鷹のように鋭い目で男はヒメさんを睨んだ。
「無意味だが意味がある!」
「それ、意味ないのか意味があるのかどっちなんすか?あたしにはちょっとわからないっすね!ね?ヒステリーちゃん。」
大きく頷いている剣王に目が縦棒の女が複雑な表情でヒメさん達に助けを求める。
「ヒステリーじゃのうてヒストリーじゃろ!ニッパーよ、少し英語を勉強せい。」
ヒメさんはドヤ顔で女にピシッと言い放った。
……まあ、あなたもあんまり変わらないけどね……
アヤはそう思ったが黙っておいた。
「あー!あたし、ニッパーっす!最近お色気に目覚めたー、麗しのニッパーっす!どーもどーも!よろしくっす!誰だか知らんけど。」
ニッパーと名乗った女はミノさん達一人一人と握手をするとにっこりほほ笑んだ。
「それよか、このおっさんが武甕槌神なのかよ……?」
ミノさんはテンションの高いニッパーの話をそこそこ聞きながらヒメさんに詰め寄った。
「そうじゃ。」
ヒメさんはきっぱりと言い放った。
「ああ、そうだ。今日のごはんのことなんだけどねぇ、デザートに芋を出す事に……」
「芋?芋はデザートじゃないっす!おかずっす!」
間の悪いタイミングで剣王がまったく関係のない事を話しはじめた。それに反発するニッパー。
「あのな!俺達を無視するんじゃねぇ!」
さすがのミノさんも武甕槌神相手に怒鳴ってしまった。
「君ねぇ、あんまり大きな声を出すんじゃないよ。ここは事務所なんだよ?って、あれ?君達誰だい?って、龍雷水天……君は何をしにきたのかな?」
剣王がやっとミノさん達に気がついた。
「僕ですか?僕はノリです。」
「ふーん。相変わらずわからないねぇ。君は。」
「ええ。でしょうね。」
「君はワイズを裏切っているんだろ?そしてそこの狐耳とかわいらしいお嬢さんの味方でもない。それがしにも君が何を考えてんのかよくわからないんだよねぇ。」
「……。」
剣王の言葉にイドさんは黙り込んだ。アヤの視線がイドさんに向く。
イドさんは挑発的な威圧を剣王に突き付けている。しかし、剣王の表情は変わらない。
「まあ、まあ、それよりここに時神の未来神を呼ぶっす!」
「!」
ニッパーの発言でアヤの顔がまた蒼くなった。
「あなた……何言って……。」
「プラズマくーん!」
ニッパーはアヤの言葉をさえぎって叫んだ。
「はいはい。ここにいるよ。……ってアヤ!」
呼ばれたと同時に部屋に入ってきた青年はアヤをみて驚いた。
「湯瀬……ぷ……プラズマ……。」
青年は赤い髪を肩先で切りそろえており、目の下に赤いペイントをしている。上は紺色のセーターで下は黒のズボンだ。おしゃれとは言えないラフな格好をしていた。
「誰だ?」
ミノさんは首を傾げながらアヤに目を向ける。
「時神、未来神。未来を司る神。時神は三人で一人なの。過去神、現代神、未来神。私はこの中の現代神にあたるわ。」
「へぇ……時の神ってひとりじゃねぇんだな。」
ミノさんがそこまで言った時、おじいさんが浮き上がっている事に気がついた。
「!」
おじいさんは意識があるのかないのかわからないが手を広げ、蒼い光に包まれながら浮いている。
「おい!じじい!どうした?いつから浮けるようになったんだ?」
「な、なによ?おじいさん!どうしたの?」
ミノさんとアヤはおじいさんに声をかけるがおじいさんの反応はない。そしておじいさんはそのまま床に倒れてしまった。
「おい!なんなんだよ!ギャグか?」
「おじいさん!」
「……。」
アヤとミノさんがおじいさんをゆするがおじいさんは起き上りもしなければ目も開けない。
それをじっと見つめているヒメさんとイドさんに表情はなかった。
「おお!あれっすか?もう過去神に会ってるんすか?」
「む?ニッパーよ、ミカゲから聞いておらぬのか?」
ニッパーの驚きの声にヒメさんは眉をひそめた。
「聞いてないっす!娘っすけど聞いてないっす。兄貴の方には言ってるんすかね?」
「娘!?あんな子供みてぇなやつに?そういえば確か息子はいたか。」
ニッパーの言葉にミノさんが驚きの声をあげた。
「ミノ、突っ込むところは今、そこではないわ。」
アヤはミノさんをちらっと見ると息を吸い、ヒメさんの方を向いた。
「どういうことよ。おじいさんはどういう状態なの?」
「時神に会う事で翁が冷林だったころを思い出しているのじゃよ。」
「……?」
「過去、現在、未来すべての時間を今、冷林がみているのじゃ。冷林が蘇ったところで翁を消す。そうすれば冷林が返ってくるのじゃ。北とはそういう意味で連携しておる。」
「私をおじいさんに会わせたのも……そのためだったと?」
「そうじゃな。」
アヤはなんの表情もないヒメさんを睨みつけた。その時、ずっと黙っていたイドさんが口を開いた。
「あれですか。後は時神三人集めると出現すると言う過去、現在、未来が干渉しあわない空間を出すつもりですね。過去を生きる時の神、今の世を生きる時の神、そして未来を生きる時の神……絶対に会うはずのない三人が会った時に起こるあの空間……。時間のないあの空間を。」
「……それは言わないでほしかったのじゃがな……。言ってしまったらアヤが空間を出してくれなくなってしまうではないか。やはり東のものはどこまでも邪魔をするの……。」
ヒメさんはイドさんを鋭い目で睨みつけた。
「まあ、まあ、いいよ。いいよ。そこのお嬢さんくらいそれがしが……」
剣王はアヤに向かい笑いかけた。刹那、重たい空気がアヤを襲った。重圧。プレッシャーだ。
「うっ……。」
「こうやってしまえば済む事だからねぇ……。ヒメちゃん。」
剣王の言雨は強烈だった。アヤはもちろんの事、ニッパーやヒメさん、未来神プラズマ、ミノさんもその場に立っていられなかった。
ただしイドさんだけは平然と立っていた。
「さすがですね。剣神、軍神と有名ですからね。あなたは。」
「しかし、君はどこまで神格が上なんだね?それがしは……」
「無視しないでよ……私が……そんなに弱いわけないじゃない……。」
剣王が最後まで言葉を紡ぐ前にアヤの声が遮った。
「ん?」
アヤはその場に立っていた。今にも崩れ落ちてしまいそうな膝を必死で押さえながら剣王を見据えている。そして少し笑ってみせた。
「思い通りに……なると……思っていたら……大間違い……よ。」
「アヤ……立つな……。やつは武甕槌神だぞ……。」
近くにいたミノさんが苦しそうにアヤを見上げたしなめた。
「だから……何よ……。」
アヤはぼやける視界を必死で正常に戻しながら剣王を睨みつけている。
「あっはははは。」
急に剣王が笑い出した。笑い出したと同時に周りの空気ももとに戻った。
一同、一気に力が抜け、その場に崩れた。
しかし、アヤだけは立っていた。
「何よ。こんなの……たいしたこと……ないじゃない……。」
「無茶はやめた方がいいねぇ。お嬢さん、膝がガクガクしてんじゃない。唇も震えているし、顔色も悪い。少し触ったらもろく崩れてしまいそうだよ。だが頑張る女の子は嫌いじゃない。もう、君を思い通りに動かそうなんて思わないから安心するといいよ。」
「ちょっ……それじゃあ、空間がでないじゃないっすか!」
調子を取り戻してきたニッパーが剣王に対し叫んだ。
「もういいよ。それがしはどうでもよくなった。冷林がどうなろうとほんとは知ったこっちゃないんでねぇ。」
「剣王……はじめから何にもせんと思ったら……今回の件、はじめから手をひくつもりじゃったな……。」
「まあ、さっきは遊んでみただけだしねぇ。だいたい今回はヒメちゃん、ニッパーが勝手に動いているんじゃない。それがしは知らないから参加するも何もできないのー。ニッパーがそれがしの指示なしに現世に行っちゃうし……もうめんどくさいからほっといたんだけど。」
「ウソっすね。剣王はあたしらが何してたか知ってたんすよ。」
「なんだい?君達はさっきからお咎めがほしいのかい?それがしが今回の件を知っていた事とするなら君達はどうなるかな……。」
「……。」
剣王の一睨みでヒメさん、ニッパーは黙り込んだ。
「ああ、それと、たぶんだけどねぇ、それを確認しにきたんだろう?龍雷水天。」
「……ええ。まあ。」
イドさんは複雑な顔で言葉を濁した。
「しかし、ミカゲもそれがしが動くと考えているのかねぇ。それとも……。」
剣王がニッパーに目を向けた刹那、火柱がアヤ達を襲った。
「あつっ!な、何!」
「ひ……火だ!」
「やっぱり剣王は動いてくれなかったっすか……。ヒステリーちゃん。逃げるっすよ。」
火焔を操っていたのはニッパーだった。ヒメさんは大きく頷くとまずは倒れているおじいさん、そしてアヤとプラズマの手を素早く握った。ニッパーの炎がミノさん達の視界を奪っている間、ヒメさんは衣を上に投げるとアヤとプラズマ、おじいさんと共に跡形もなく消えた。
そしてそれを確認したニッパーもその場から忽然と姿を消した。
「いやー……やられました。」
「どこに行ったかは大方予想できるけどねぇ。」
イドさんはポリポリと頭をかき、剣王はやれやれとため息をついた。
「あ、アヤ!じじい!」
ミノさんはどこにともなく叫んだ。しかし、どこからも返答はなかった。
「まいったわね。」
アヤ達はヒメさんに連れられ空を浮いている。おじいさんの意識は戻っていない。
ちなみにここがどこなのかどうして飛んでいるのかアヤ達にはわからなかった。
「まさかアヤに会うなんて思わなかったよ。あれだろ?栄次もいるんだろ?このへんに。」
未来神プラズマは隣を飛んでいるアヤに話しかけた。
「栄次……さっき、冷林のところで会ったわよ。ところで、あなたは未来を守る使命があるでしょ?なんで現代にいるのよ。」
「呼ばれたんだよ。それだけ。」
「あなたは未来がみえるのよね?結末、どうなるのよ?」
「知らないよ。俺はここ最近はじめて高天原に来たんだ。ほんとはもうとっくにここに入れる神格はあったんだけどどこに行っても俺の居場所は変わんないから俗世にいたんだ。だからここの未来は知らない。」
「そう……。」
アヤはそこで言葉をきり、今度は前を飛んでいるヒメさんに目を向ける。
「ねぇ、歴史の神、あなた何がしたいの?さっきから言ってる事めちゃくちゃじゃない。」
「なにがしたい……とな。」
アヤの質問にヒメさんは少し止まった。
「聞き方が悪かったわね。あなた、冷林に対してすごく怒ってたみたいだけど仲間なのね?」
「あれはもうひとりの冷林に対する怒りじゃ……。」
「もうひとり?」
「東のワイズの他、ワシの邪魔をしてくるのがもうひとりおるのじゃ。それは冷林と名乗った者……出会った事はない。しかし何度も何度も邪魔をされておる。手違いだとワシは言ったがミカゲの方は知らぬという。つまり偽冷林じゃ。しかし、先程は奇妙じゃった……。」
「?」
「高天原へ入る時、あれは確かに西のチケットじゃった。しかし、ワシらは北へ飛ばされた。そこでおかしいと感じたのじゃがまあ、ミカゲが呼んでおるのじゃろうとその時は思ったのじゃ。だが、翁が消えていた……。きっと偽冷林の仕業だとまわりに言雨をふりまいてみたが反応はなかったのじゃ。そしてしばらくした後、翁がミカゲのもとへいるという……」
「それってミカゲ様が偽冷林だったって事じゃない?」
「いや、ありえぬ。ミカゲは結界の外で翁を見つけたがどうすると相談をしてきたのじゃ。それに同じ志を持った者同士、なぜ邪魔をしあわなければならぬのじゃ。」
ヒメさんはアヤの意見をはっきりと否定した。先程からプラズマは黙って話を聞いている。
「それもそうだけど……。あ、じゃあ、私達がミカゲ様のところにいる時にかかってきた電話は何よ。」
「あれは、イド殿が『東のワイズ軍が今、冷林のもとへ向かっている』とワシに電話してきたからじゃ。おぬしらをはやく逃がしたかったというのもあるがミカゲに気がついてもらいたかったのじゃ。しかし、あれはワシの電話が遅かったの……。じゃが、冷林はすべてを飲み込もうとしておるというのは本当の事じゃぞ?まあ、あの時はアヤ達を冷林から遠ざけるための口実になってしまったのじゃがな。」
「じゃあ、イドは……やっぱり東のワイズの味方ではない……。」
「それはワシにはわからぬ。」
「それと、冷林がすべて飲み込もうとしているというのは?」
「……冷林の考えじゃのうてミカゲ達の考えじゃ。ミカゲ達は冷林が事故で翁の身体の中に入ってしまったと思うておる。実際は冷林が翁の身体に入ったのじゃ。」
「それは知ってるわ。」
「今の冷林、翁がどうして神として保たれておるか知っておるか?」
「それは知らないわ。」
「それはアヤ達時神の時間の力とミノ殿の力じゃ。」
「私達と……ミノ?」
ヒメさんの言葉にアヤは首を傾げた。
「ミノ殿は現在、もっとも人に近しい神。穀物神は常に人間とかかわっておる。人が穀物を食さなくなる事はない。絶対になくてはならぬものじゃろ。参拝するものは少なけれどミノ殿は人とのつながりがあつい神でもある。つまり縁があるのじゃ。」
「それが?」
「冷林は人の一生を守る神……人との縁を糧としておる神なのじゃ。つまり冷林は……」
「今現在ミノの力を奪っている……ってこと?」
「そういう事じゃ。ミノ殿の力と時神の不変の力で今の冷林が成り立っておる。冷林がなぜ、翁の中へ入ったのかそれはよくわからないのじゃが冷林にもおそらく何か考えがあったと……。」
「でもおじいさんも神なんでしょう?私達はおじいさんから力をもらったのよ。」
「そこはワシも知らんかったが……どうやら翁は人間に祈られてできた神に力を与えるようじゃな……。わからぬ……これでは力が拮抗しておるではないか……。冷林は力がほしかったわけではないのか……。」
後半はほぼヒメさんの独り言だった。
「それから、あなた、さっきと言ってる事違ったわよね?おじいさんも助けるんじゃなかったの?」
「うむ。そうじゃな。あの時はニッパーと剣王がいた故、ああ言っただけじゃ。」
「……。」
アヤはまだ裏があるとヒメさんをみて思った。
「で?俺らはどうなるわけ?えーと……ヒメさんだっけ?」
プラズマはどうでもいいと言わんばかりの顔でヒメさんに言葉をかける。
「ミカゲのもとに行ってもらうのじゃ。そして過去神と共にあの空間を出現させる。」
「俺達を脅す気か?」
「……。」
「ま、いいけどな。」
プラズマの問いかけにヒメさんは何もしゃべらなかった。
「……アヤを助けにいかねぇと……。」
「おそらく冷林……ミカゲのところでしょうね。」
ミノさんは立ち尽くしていた。炎はニッパーが消えたと同時に跡形もなくなった。
どこも焦げてはおらず、いままで燃えていたことが嘘のようだ。
「あのビルのとこか?」
「そうですよ。」
焦っているミノさんとは裏腹、イドさんはのんびりと答えた。
「龍雷水天、はやく動いた方がいいんじゃないの?ニッパーはわからないけどもう一人の彼女は何かやらかすよー。」
「助言ありがとうございます。西の剣王。」
「つれないねぇ。君のメンツの為にそれがしは動いてないってのにさ。」
「……。」
剣王は笑いながら言葉を発したがイドさんは剣王を睨みつけた。
「なんだい?感謝してないのかい?だってそれがしが動いたらやばいでしょぉ。君にとっては。」
「そうですね。感謝はしてますよ。……ミノさん、行きましょうか。アヤちゃんを助けるんでしょう?」
「え?ああ。」
剣王の言葉を軽く流したイドさんはミノさんに向き直った。
それを見据えながら剣王はイドさんに言葉をかける。
「ワイズはどうしてるんだい?あの子は動いているだろう?それとも君が動かしているのかい?」
「!?」
イドさんの顔色が変わった。
「図星かい?」
「……やはりおわかりでしたか……。」
「騒ぎを大きくしておいた方が自分は見つかりにくい、そう考えての事かい?」
「……。」
「ワイズは知ってるよ。」
剣王はにやりと笑った。
「なんですって?」
「君はワイズを甘く見ているようだねぇ。ワイズは君に情けをかけてわざと動いているんだよ。知識の神を君ごときが動かせると思ったら大間違いだよ。冷林を封印したいのはマジみたいだけどねぇ。」
「……そう……ですか。おそらくワイズの事ですから他には漏らしてないと思いますが万が一あのことが神達に漏れてしまったら……。」
イドさんの顔色は悪い。剣王はイドさんの弱みを何か握っているらしい。
「大丈夫じゃないかねぇ。あの子は気まぐれだから君がどう動くのか楽しんでみているはずだよ。」
「……ならいいのですが。み、ミノさん、行きましょうか。」
先程とうってかわってイドさんは蒼い顔でミノさんを見つめた。
「ああ。大丈夫か?イドさん。」
「大丈夫ですよ……。」
イドさんは元気のない顔でミノさんの手をとると一度ジャンプした。
ワープ装置を作動させるためだ。
「あ、龍雷水天―!……そこの狐耳、耳を塞いどいてねぇ。」
「?」
剣王はイドさんを呼び、その後思い出したようにミノさんに耳を塞ぐように言った。
ミノさんはなんだかわからないまま耳を塞いだ。
剣王が何かイドさんに言っていた。ミノさんはまったく聞こえなかったが口の動きでなんとなく言っている事がわかってしまった。
「……。」
イドさんは渋い顔で剣王をキッと睨んだ。
微笑んでいる剣王を残し、ミノさんとイドさんの身体は透けて消えて行った。
ミノさんは剣王の言葉を心で反芻した。それだけ剣王の言葉が謎だった。
―年頃の娘さんだねぇー
剣王はどうやらそう言ったらしい。
これは一体どういうことなのだろうか……。
い、イドが女なのか……
いや、それは絶対にない。あいつは男だ……。
なんだ……心が女なのか……。
いや、それはない。あいつはあきらかに女の子に興味を示す健全な男神だ。
と、すれば……
おいおいおいおい……
ま、まさか……娘がいるとか言うんじゃねぇよな……
ミノさんは苦い顔をしているイドさんの顔をなんとなく思い出してみた。
八話
結界が張ってあるとのことだったがヒメさんは普通にミカゲ達がいるビルに入っていた。
ビルは東のワイズ軍が襲ってきた時そのままの形で残っていた。窓ガラスは割れており、壁は半壊の状態だ。
「遅かったっすね!」
ニッパーはロビーのところでニヒヒと笑っていた。
「そちもうまくまけたようじゃな。」
ヒメさんはニッパーを一瞥すると後ろに立っている人物を見つめた。
「過去神、白金栄次。そしてミカゲ。アマ。」
「改めて言わなくてもよろしくてよ。」
「うむ。」
ミカゲ様とアマちゃんが真剣な顔でヒメさんを見て頷いた。
「プラズマ……アヤ……。」
過去神、栄次はせつなげな表情で二人を一目見、目を伏せた。
「時神として会っちゃいけない俺達が顔合わせちゃったな。」
プラズマの言葉に栄次は顔を曇らせた。
「そうだな。俺達は会ってはいけなかった。」
「……。」
栄次の言葉にアヤも目を伏せた。
時神三人は再会を喜んではいけなかった。決して交わってはいけない時間が交わってしまうからだ。過去、現在、未来が混ざり合うとどうなるか彼らはよく知っていた。
……あの空間は私が楔だ……。私が動かない限りでない……はず。
アヤは心の中で何度もこの答えをまわしていた。
時間のないあの空間は過去でも未来でもなく今、もちろん、三人そろっている事が条件だが現代の神であるアヤが開こうとしないかぎりでない。アヤはそれを知っている。
……だから私は抵抗もせずにこうやってついてきたのよ……。
しかし、アヤの予想はすぐに崩れた。
「それではさっそくヒステリーちゃん、やってくれっす!」
「わかっておる。」
クスクスと笑っているニッパーを一瞥するとヒメさんは手を横に広げた。
すぐに周りの空間がゆがみ始めた。
「え?」
アヤが不安な顔をプラズマと栄次に向ける。二人もアヤが動かないと出ないと思っていたらしい。顔には出していないが明らかに狼狽していた。
そうこうしている間にミカゲ様のビルは時間のない空間に変わってしまった。
割れた窓や崩れかかっている壁はなくなりただの真黒な空間になった。
「どうして!?なんでこの空間がでるのよ!なんでよ!」
アヤは取り乱して叫んだ。
「ワシは歴史を守る神……。流史記姫神(りゅうしきひめのかみ)じゃ。この建物の歴史を奪えばアヤが持つカギをワシでも開ける事ができる。」
「そんな……。」
「しかし奇妙じゃな。アヤが開く気がない時部外の者が開くことはできん。過去神、未来神が開く気でなければワシも出せんかった。アヤが開く気ならば未来神、過去神の感情なしに開くのじゃが。」
ヒメさんは蒼白のアヤから目を離すと栄次とプラズマに目を向けた。
「……。」
二人は黙り込むとヒメさんから目を逸らした。
「なるほどのぉ。おぬしら、うんざりしておるのか。」
「……。」
栄次はヒメさんの問いかけに何も答えなかったがプラズマは口を開いた。
「そうだな。もう自分が生きるのにもうんざりだし、人間の歴史を見続けた俺は人の醜さを知ってる。そろそろいいかなとは思っているよ。このまま人もろとも消してくれ。」
「なに……言ってるのよ……。プラズマ!」
「俺……何言ってんだろうね。」
プラズマを悲しげな目で見つめるアヤにニッパーが眉をひそめた。
「そこの、未来神、今なんて言ったっすか?人もろとも消してくれ?どういう事っすか?」
「だってあんたらは冷林を殺すつもりなんだろ?」
「!?」
ヒメさん以外の神々に動揺の色が浮かんだ。
「な、何言ってんすか!あたしらは冷林の復活を……。」
「ニッパー……今、はっきり証明されましたわね。歴史の神は冷林を殺すつもりなのですわ。」
戸惑っているニッパーにアマちゃんは冷静に言葉を紡ぐ。
「未来神、見えたのか否か。」
ミカゲ様が鋭い瞳でプラズマを睨みつける。
「見えたって未来が?……まあ、うん。いままで真っ暗だったのに今、いきなり見えた。俺、ここの事何にも知らないのになー。ここまでくればわかっている可能性は冷林の消去をしようとしている事だけ。そこから先は多様なパターンがあるみたいで俺はわからない。」
「なるほど。未来神が予想を的中させてしもうたか。まあ、そうじゃ。ワシは冷林を消したいのじゃ。今、ワシの計画を知った事で意味はない。ここまできたらワシの勝ちじゃな。ミカゲ、ニッパー、アマ、協力痛み入る。」
「何が痛み入るよ……。」
アヤはにこりと微笑んだヒメさんを睨みつけた。
ヒメさんはアヤを軽く無視すると意識がいまだ戻らないおじいさんの元へ近づいて行った。
「ところで……。」
ミノさんはイドさんに声をかける。
「どうしました?」
現在二人は冷林のビル付近に到着していた。今は荒野を歩いている。
「おたく、娘がいるのか?」
「!?」
ミノさんの問いかけにイドさんの顔がさっと青ざめた。
「いるんだな。」
「……。剣王の口で何を言っているのかわかりましたか……。」
「ああ。わかった。」
イドさんは進めていた足を止め、しばらくその場で固まっていた。
ミノさんも静かにイドさんの背中を見つめていた。やがてイドさんが何かを決心するように口を開いた。
「娘なんですけど……単刀直入に言うと……その……ミノさんも会っているんです。」
「全く単刀直入になってねぇぞ。俺には心あたりがねぇ。」
イドさんがまだうじうじと考えているのでミノさんは言葉を急かした。
「だからその……ヒメちゃんが……僕の……。」
「なんだって?」
はじめは衝撃すぎて頭が回転しなかった。
「だから、ヒメちゃんが僕の娘です。」
「っ!」
ミノさんは驚いてしばらく言葉を失った。
……ヒメが……イドさんの……むすめ……。
ただ茫然と立ち尽くしているミノさんにイドさんは構わず言葉を続ける。
「はっきり言うとヒメちゃんの方は僕の娘って事を知りません。ヒメちゃんは今、流史記姫神と名乗っていますがそれは俗世の人間が決めたことです。時代が流れ、人々からヒメちゃんは歴史を守る神とされました。彼女の本当の名は龍史記姫神です。本来は僕と同じ竜神なんですが長い年月で彼女は歴史を守る力を手に入れました。人々は神の本来の語源を時代のニーズに合わせて変えているそうです。」
「なんだよ……つまり、ヒメは人間によって力を変えられたって事か?」
「いや、本来の竜神の力も持ってます。ただ、僕が封印しただけです。」
イドさんの言葉にミノさんは眉をひそめた。
「どういう事だ?」
「僕は……実は昔、人間に害をなす竜だったんです。あの頃は人を襲ってばかりだった。ずいぶん前の事なのでどうしてそんな事をしていたのか今はわかりません。そして僕は一度スサノオ尊に倒され封印されました。」
「スサノオ尊に!?一体いつの時代だよ……それ。」
ミノさんの驚きを鼻で笑ったイドさんはさらに言葉を続ける。
「それから僕は人間の信仰により、彼の地を守る龍の神とされました。また、水の神とも言われ、井戸に住む神とも言われました。神社も新しく人間によりつくられ祀られました。そんな時、僕に娘ができました。あの時は嬉しくて先の事なんて何にも考えていなかったんです……。しばらくして自分は気がつきました。昔の歴史が消えるわけではない。今はこういう風になっているが昔はこうだったと人々に受け継がれている。」
イドさんはそこで言葉をきり、悲しそうな顔をミノさんに向けた。
「……。」
「どういう事だがわかりますか?」
「わからねぇな。」
「うう……少しは気持ちを察してくださいよ……ミノさん。僕はハンパない数の人間を殺している。その汚名を娘が受け継ぐなんて僕には考えられなくて……。」
イドさんはまた言葉を切った。先を言いたくないようだ。
「あれか。それで親子の縁をきったのか。ヒメが物心つかないうちに。」
ミノさんの言葉にイドさんはゆっくりと頷いた。
「娘がいくら人間にご利益をもたらしてもバックに僕がいたら……あの竜神の娘だったら関わると厄をもらうかもってなるじゃないですか。人は恐れて娘が暴走しないように祀るでしょう。娘はそんな事微塵にも思っていないのに人から怖がられる。なんだか……かわいそうで……。」
「そういう事か。じゃあ、ヒメはどうやっていままで生きてきたんだ?」
「僕が裏でサポートしてました。剣王は嫌いでしたが娘を剣王に預けるとまず危険がないので娘を剣王に渡しました。そして自分は東に渡りました。ヒメちゃんの近くにいない事で他の神に気づかれる事なく彼女をサポートできました。僕がワイズのもとにいるのはそういう理由からですよ。彼女は頭がいい。どうすれば一番いいかいつも即座に理解してくれる。ふふ……子は三界の首枷ですよ……ほんと。」
イドさんは一度下を向くとミノさんにそっと目を向けた。
「理由はわかった。というかおたくは今回何がしたいんだ?」
「娘を……ヒメちゃんを止めたいんです。彼女は冷林を消そうとしている。調べている中で冷林を消そうと動いていたのはヒメちゃんだけみたいですからねぇ。」
「なんでそれがわかるんだ?」
「わかりますよ。いままでそれを必死で調べていたんですから。偽冷林にもなって。」
イドさんの言葉にミノさんは「ん?」と首をかしげた。
「もうこの際だから語っちゃいましょうか。」
イドさんはすっきりとした面持ちで再び歩きはじめた。ミノさんもそれに従う。
「冷林があんなことになったのはまったくの偶然でした。どうしてあんなことになったのか、僕にはいまだにわかりません。まあ、それは置いておいて高天原のゲートをくぐる以前に僕はヒメちゃんに偽の冷林がいるとちらつかせておきました。ゲートをくぐった時におじいさんを消したのは僕です。ヒメちゃんは見事僕の策にはまってくれて偽冷林がおじいさんをさらったと思ってくれました。」
「それでヒメは怒ってたわけか。で、おたくはそんな事をして何か得をしたのか?」
「ヒメちゃんが冷林の仲間なのかを調べたかったんです。はっきり言ってあの時は剣王軍が普通に動いてましたから。僕はミカゲ達に見つかりやすい所にさらってきたおじいさんを放置しました。案の定、ミカゲ達はおじいさんをすぐさま保護しました。ヒメちゃんは驚いた事でしょう。偽冷林に連れて行かれたはずのおじいさんが本物の冷林方にいるのですからね。」
イドさんは少し微笑んでから先を続けた。
「僕が冷林側を観察していた時、頭にハテナが浮かんでいるヒメちゃんを見つけました。おそらくなんで本物の冷林のところにおじいさんが送られているのかを必死で考えていたのでしょう。そこで僕はヒメちゃんが剣王軍にいながら冷林方と通じているという事を知りました。あの時ヒメちゃんはきっと動揺していたんだと思います。……僕はそれを見ながらミノさん達に連絡を入れました。ミノさん達が冷林方のビルに入って行くのを見届けてすぐワイズに連絡を入れました。冷林方が冷林を生き返らせようとしていますよと僕は言いました。するとワイズが『それはやばいYO』とか言いながらすぐに軍を手配してくれました。でも僕がやりたかったのはおじいさんの奪回ではない。あのビル内に過去神がいるかどうかを確かめたかっただけなんです。」
「過去神はいたな。」
「ええ。それを確認した後に、手ぶらで帰ると怪しまれるのでおじいさんとミノさん、アヤちゃんをつれてワイズに会おうとしました。」
イドさんの言葉にミノさんはふんと鼻をならした。
「じゃあ、なんでワイズさんのとこにいる時、俺達をかばうようなマネしたんだよ?」
「あれは軽い時間稼ぎです。冷林方から剣王軍に渡るはずだったおじいさんがワイズ軍にいるんですからヒメちゃん達は奪還に来るだろうと思いました。そしておそらく西にいるであろう未来神におじいさんを会わせようとするはずだと踏んだ。未来神の未来予知がミカゲ達に万が一知られたらやばいですから北を裏切るつもりなら未来神は西に置くとヒメちゃんの考えを読みました。剣王軍が襲ってきたら未来神は西にいるという事になり、北に未来神をおかなかったという事はヒメちゃん達と冷林方の考えがまるっきり違うのだということで……。剣王に会いに行く途中、ヒメちゃんはこんな事をもらしました。西の剣王を裏切っていると。自分がおじいさんを助ける方であると。僕はそれを聞いて頭をひねりました。剣王軍は名目上、おじいさんを消すという考えのもと動いている軍です。……もしかしたらと善の考えも出ていたんです。ヒメちゃんが剣王を裏切り、ミカゲ達を騙し、冷林とおじいさん両方救うつもりなのではないかと。そのために全員を騙しながら時神達に会わせようとしていたんじゃないかと。」
イドさんの微笑みにミノさんは胸が痛くなった。
「期待は見事に裏切られちまったな……。剣王軍を勝手に動かしていたのはヒメで現在、アヤと未来神を連れて過去神のいるあのビルに向かっているという事は……。」
「ヒメちゃんがおじいさん、冷林共に消そうとしている確率が高いですね……。だいたい冷林を消すなんてそんな事をしたら人が消えてしまう。だからワイズは冷林を消すのではなく封印といい、剣王はおじいさんを消して冷林を元に戻すという考えなんですよ。」
「……おい。前……。」
ミノさんがイドさんの話を半ば聞きながらイドさんに前をみるように促した。
前方には冷林が住むビルが建っている。太陽があたっているのにビルの中はわずかの光りもない真黒な空間だった。
「冷林のビルですね……。」
二人はひっそりと静まり返っている半壊したビルを見上げた。
ヒメさんはゆっくりと歩き、おじいさんの前に立った。
そのままおじいさんに触ろうとした瞬間、燃え盛る炎がヒメさんを襲った。
「……っ。」
ヒメさんがひるむと今度は炎を掻い潜って日本刀が複数的確にヒメさんを狙い飛んできた。
ヒメさんは素早く避け、手を前にかざした。炎は強風に当てられたかのようにヒメさんのまわりを流れて消えた。
「ヒステリーちゃん……あたしらを騙してたっすね……。」
「そうじゃな。そうなるの。」
ヒメさんは苦笑をニッパーに送る。
「冷林は生き返らせる。そちは神格が上。争いは避けたい。」
動揺を隠せないニッパーとは対照でミカゲ様は落ち着いた瞳でヒメさんを見据える。
炎と刀を出現させたのはニッパーらしい。ミカゲ様は鍛冶の祖であり、火の神だ。娘のニッパーも同じような力があるようだ。
「ミカゲ君……。そうですわね。争いたくはありませんがわたくし達の邪魔をするというのならば容赦いたしませんわ。」
アマちゃんはミカゲ様の隣でそっと構える。
「ワシはしたい事をするだけじゃ。おぬしらに用はもうない。」
ヒメさんが言雨を放った。まわりの空気が重圧により地面に叩きつけられた。
それと同時にヒメさんのまわりに無数の刀、剣が現れる。
「あれが……いままで歴史の神が見てきた過去使用されていた武器達……。」
未来神プラズマがヒメさんを見てそうつぶやいた。
「俺の刀も……彼女にはなんの感情もなく振り回せるのか。」
過去神栄次は左腰に差してある鯉口をそっと撫でた。
「あなた達は……ヒメがする事をただ見ているだけなの?」
アヤが言雨に耐えながら時神二人に問いかけた。
「俺は別にどちらでもよいのだ。俎上の魚……長く生きすぎた……。もう、生きるか死ぬかそういう判断ができなくなったのだ。それに俺は過去の者だ。現代の事に首をはさめん。」
栄次はアヤに向かいそう言うと鯉口を触っていた手をそっと離した。
「俺も未来の者だし何もできないね。ここで人が消える事になったら俺はまっさきに消える。俺はかけをすることにしたよ。結局自分の未来は見えないから。」
プラズマは腕を組んだまま、まったく動こうとはしなかった。
「時神って自分の事ばっかりよね。やっぱり最低だわ。」
「俺達は人間を救えるわけじゃない。人間が持っている時間、時計を守るだけだよ。」
プラズマの言葉にアヤは目を伏せた。否定したかったがその通りだと思ってしまった。
「……歴史の神は……人の歴史を守るはずなんだがな……。末の露、本の雫と言われる人のな。」
ミカゲ様に対し牙をむくヒメさんを栄次は複雑な表情で見つめた。
ヒメさんは様々な刀、剣をミカゲ様達に容赦なく飛ばしている。それらは暗い空間に散らばって刺さった。ミカゲ様は一本の刀に炎を巻きつけ飛んでくる刀剣を弾き、アマちゃんは糸で刀剣の動きを止め、ニッパーもミカゲ様と同様に刀剣を弾いている。ミカゲ様達が苦戦している間、ヒメさんはおじいさんに手を伸ばした。その時、何を思っていたのかヒメさんが一度ミカゲ様達を振り返った。ミカゲ様がニッパーを守って戦っていた。
「……後ろに退け。娘。そちはまだ名のない神。余の力と剣王の力で保つ娘よ。あれにはかなわぬことを知れ。」
「……お父様……。」
ニッパーは静かに父親の背中を見つめていた。
ヒメさんはせつなげな表情を一瞬向けたがそれは一瞬だけで次にはニッパーを鋭い目つきで睨みつけていた。
「最悪じゃ……。人間くさい事を……堂々と……。子は三界の首枷とはよく言ったものじゃ。」
ヒメさんはそうつぶやくとおじいさんに触れた。気を失ってまったく動かなかったおじいさんの周りに突如光の柱が走った。
「冷林の魂……いでよ!」
ヒメさんが叫ぶと光の柱はやがてひとつの球にまとまった。その光の球は果てしないエネルギーで満ちており、人間の心を集めたような温かさを感じた。
「冷林の……魂?」
アヤは呆然とその光の球を見つめていた。それは見とれてしまうほどきれいだった。
「魂が肉体に宿るまでにさよならじゃな。」
ヒメさんは冷徹な笑みを浮かべるとミカゲ様達を襲っている刀剣の中から一本を取り出し、光の球目がけて袈裟に振り下ろした。
「っ……!」
ミカゲ様達が息を飲む音がした。アヤ達時神は光の球から目を背ける事ができず、ただその光に見とれていた。
すぐにその光は遮られた。
「な……なぜじゃ……。」
光が遮られたのは人の影がヒメさんと光の球の間に入っているからだ。その人物はヒメさんの刀を素手で止めていた。逆光でよく見えないが聞いた事のある声が耳に届いた。
「縁神(えにしのかみ)様を……どうか……」
「お……おじいさん?」
アヤは驚いて声を上げた。ヒメさんの前に立っていたのはおじいさんだった。
おじいさんは声質共に先程までのものとは異なり、年相応のものになっている。
そして刀を受け止めている手から血がポタポタと滴っていた。
「な……なぜじゃ!翁が……。魂を切り離したというに……どうして……。」
「……日穀信智神(にちこくしんとものかみ)様のおかげです……。わたしがここにいるのは。彼がわたしに力をくれています。」
おじいさんの言葉にヒメさんがそっと目を細めた。
「……そうか……ミノ殿じゃな……。おぬし、生前ミノ殿を慕っていたのじゃな?」
「ええ……昔は食べるものに困っていまして……よくお願いしていましたよ。」
おじいさんは焦っているヒメさんとは対照で落ち着きのある笑みを向けた。
その間、冷林の魂は肉体に向かい飛んで行った。
「誤算じゃった……。あの男を先に始末するべきじゃったか……。」
ヒメさんが嘆いた時、真黒な空間の中に魔法陣が出現しミノさん達が現れた。
「噂をすればなんとやらじゃな……。」
「……あなたは……。」
顔を曇らせたヒメさんの横でおじいさんが肩を震わせながらミノさんを見つめていた。
「ん?なんだ?じじぃ?起きてんじゃねーか!いきなりぶっ倒れたからびびったぜ?てか、なんだこの真っ暗な空間は!……アヤも無事か!」
ミノさんはあちらこちらを見ながら矢継ぎ早に口を動かした。
「私は無事よ。来るのが少し遅かったわ。」
「それはイドさんに言え。」
アヤの言葉にミノさんはイドさんを指差した。
「僕ですか……。押し付けですか……。まあ、でも冷林は生きています。なんだかわかりませんがおじいさんも目覚めているようですし。」
イドさんは頭を抱えながらつぶやいた。
「だいたい、おたくがこの空間になかなか入れなかったのが問題だろ?」
「それは無理ですよ……。ここは時間がなくて、歴史もない。いまや、架空の生き物である龍だからこそ、この空間の綻びに割り込めたんですよ。」
「なるほどな。たしかにここ、なんも感じないな。」
ミノさんが唸った時、おじいさんが歓喜の声をあげた。
「あなたは日穀信智神様では?死んでから拝めるなんて……こんなこと……」
「なんだよ。じじい。気持ち悪いぞ。どこで覚えたその言葉使い。」
にこやかな顔をしているおじいさんにミノさんはあきれた顔を向けた。
「ミノ!あのおじいさんは生前の方のおじいさんよ。冷林じゃないわ。」
「んん?」
アヤの言葉にミノさんは頭を捻っていた。
「もう……説明が面倒だわ。」
「アヤちゃん、そんなこと言わないで下さいよ。ミノさんがかわいそうでしょ?」
ため息をついたアヤにイドさんがフォローを出す。
「うるせぇな。よくわかんねぇがあれは冷林じゃねぇんだな?」
「そういう事よ。」
アヤがそこまで言った時、沢山の刀剣がミノさん達に襲いかかってきた。
「冷林はワシが倒すのじゃ……。邪魔をするでない!」
重い刀剣が勢いよく黒い空間に落ちて行く。ミカゲ様達がこちらを守ろうと走り出すがミカゲ様達にも刀剣が迫る。
「あれは歴史に刻まれた今は亡き刀剣。時間停止はできないわね……。」
アヤは時間停止ができなければ何もできない。しかし、冷静な目でヒメさんを観察していた。
イドさんは動かない。ヒメさんをじっと見つめている。
ミノさんはアワアワと焦りながら飛んでくる刀剣を避けていた。
栄次は腰に差している刀を抜き、刀剣を弾く。金属の重たい音が暗い空間に響いている。
プラズマは小型のナイフを器用に使い、襲い来る刀剣を受け流している。
そんな中、完全に狙われているのはミノさんだった。
「ひ、ヒメ!おたく、なんで俺を殺そうとしてんだよ!おわっ!」
ミノさんは紙一重で刀剣を避けている。
「おぬしが……邪魔をしたからじゃ!」
「なんだかわかんねぇよぉ……!」
ヒメさんの鋭い声でしょぼくれたミノさんは理解できないまま走り回っていた。
「ミノ!うどん出しなさい!」
アヤの言葉にミノさんが「うえええ!」と謎の叫び声をあげた。
「またあれかよー!」
ミノさんはそう言いながらも長いうどんを出現させた。アヤはそれに素早く時間停止をかける。
しかし、うどんは硬くならなかった。
「あ……ここは時間のない空間だったわ。これ、できないわね。」
「おーい!これどうすんだあああ!」
ミノさんはコシのあるうどんを丁寧に抱えながら走り出した。
「置いて走ればいいじゃない……。」
アヤがふうとため息をついた時、アヤの足元すれすれに刀が刺さった。アヤはその刀を握って持ってみた。かなりの重さがあり両手で持っていても腕を上げる事さえできない。
「アヤ。刀はそう簡単に持てるものではない。これは人を殺すためのものだ。簡単に持てるものではないのだ。」
栄次はアヤから刀を奪い軽々と一振りするとその場に突き刺した。
「あなたは死にたいんじゃないの?」
「神ができない事……それは自殺だ。」
「芥川龍之介の小説でそんなセリフあったわね……。」
栄次は芥川龍之介をおそらく知らないだろう。アヤはあえてこう言った。自分勝手に死のうとしていた彼がこんな事を言い出すのが滑稽だったからだ。
「完璧な事故でないといけないんだ。自分勝手に死ぬのは人間だけだ。」
プラズマは栄次の横で言葉を続けた。
「あなた達はなんでそうなのよ。あの神みたいになれないの?」
アヤは走り回っているミノさんを指差す。
「……なんだお前、あの男神に惚れているのか?」
栄次の言葉にアヤの顔が真っ赤になった。
「そんなわけないでしょ。なんで今の話でそこにいくのよ!あなた達も傍観してないで彼みたいに何か行動を起こしなさいって言ってるのよ!」
「ふふふ……。」
刀剣は相変わらず飛んできている。その中でプラズマは愉快そうに笑っていた。
「なにがおかしいのよ。」
「いいね。退屈しないで。俺も自分の時代で彼を探してみようかな。」
プラズマはそう言うとアヤの前に立った。栄次も刀剣を弾きつつ前に出た。
「今回はあの女神を止めるために動く。お前が少なくとも今、楽しそうにしているのだ。俺達も消えるわけにはいかなくなった。」
「別に……楽しそうに……なんか……。」
アヤは顔を赤くしてうつむいた。それを見て軽く微笑んだ彼らはミノさんに向かい走って行った。
ミカゲ様はそんな様子を横目で見ながらイドさんが気にかかっていた。
「僕が気になりますか?ミカゲ。」
イドさんは大量の刀剣の雨を素早く避けながらミカゲ様のもとにいつの間にか来ていた。
「東の者よ……。おぬしは何を考えている。」
「まあ、色々ありますが今回は味方ですよー。西の剣王軍の幹部が暴れているんで落ち着かせろとのワイズの命令でついてきただけです。まあ、実際はおたくのお子さんとあそこで暴れている彼女が西の軍を勝手に動かしていたようですが。」
「あの流史記はリーを殺す。人を消す。如何してそのような所業を……。」
「……僕が知るわけないでしょうに……。」
イドさんはミカゲ様の質問に対し、おかしそうに笑った。
刀剣を避けていた刹那、ヒメさんの身体が何かにうちつけられたように宙を舞い地面に叩きつけられた。
「なっ?」
ミノさん達はいきなり倒れたヒメさんに目を丸くした。
「……リーだ。リーが来た。」
「え、縁様……。」
トーンのないミカゲ様の言葉におじいさんは尊敬の意を見せた。
ミカゲ様の視線の先には人型クッキーのような身体で顔のパーツがなく代わりに渦巻きが描いてあるぬいぐるみのようなものが立っていた。人型クッキー、冷林は何の言葉を出す事なく、いまだ立ち上がる事のできないヒメさんに攻撃をしていた。白く光る触手が鞭のようにしなり、ヒメさんを叩きつけている。
「……!」
イドさんは咄嗟にヒメさんの前に立ち、冷林の攻撃を止めた。
「う……イド殿?ワシを助けるなぞ……やはり何を考えておるかわからんの……。」
ヒメさんは不意打ちのダメージを背負いながらふらりと立ち上がった。
「ただの気まぐれです。」
イドさんは表情なしにそうつぶやくと冷林の攻撃を手から出した水で受け流した。
「あなた、やはり冷林を消すつもりですわね!」
「東のワイズを裏切るっすか!このまま冷林に手を出したら許さないっす!」
ヒメさんをかばうイドさんにアマちゃんとニッパーは敵意の目を向けた。
ミカゲ様は冷林を守るべく、刀を構えながらイドさんに斬りかかっていった。
それに乗り、アマちゃんが糸を巧みに操り、ニッパーが炎でイドさん達を襲う。
「ワシが狙うは冷林のみじゃ。その他はいらぬ!」
ヒメさんは重い言雨を放つとまたも刀剣を出現させた。アマちゃんの放つ糸を刀剣が切り裂き、ニッパーの炎はイドさんが放つ水の弾ですべて消える。その隙を狙い、ミカゲ様はイドさんに斬りかかり、冷林はヒメさんに攻撃をしかける。
「そちが戦う意は……。」
「僕の中にある大事なものを守るため……でしょうかね!」
ミカゲ様の刀を水の槍で弾いたイドさんはいたって真面目に答えた。
「ふむ。わからぬ男よ。」
「それよりも襲ってくるのやめてもらえます?」
ミカゲ様は火柱をたてながら踏み込んで刀を振り、イドさんはそれをしっかりと受け止める。一体どういう仕組みでできているのか水は貫通する事なくしっかりと刀を捉えていた。
「流史記は冷林が脅威と判断した。そちは人間にあだなす凶悪な龍……。ここで消せるならば……。」
「凶悪な龍……。」
ミカゲ様の言葉を聞いていたヒメさんはぼそりとそうつぶやいた。
襲ってくる光の触手を刀剣で斬りながらヒメさんは笑い出した。
「人間を滅ぼす龍……ふふっ。愉快じゃ。イド殿、標的を冷林にすれば人などすぐに消え失せる……のぅ?」
「……。」
ヒメさんの言葉にイドさんは何も言う事ができなかった。
最終話
「あれが冷林か。」
ミノさんが恐々と冷林を見つめている。
「ぬいぐるみそのものだったんだわ。……それよりもなんで冷林軍とイドが戦っているのよ!イドは結局何がしたいわけ?」
戦いが激化しているのを遠目で見ながらアヤは大きなため息をついた。
「さあな。なにか大事なものでも守ってんじゃないのか?」
「なんか知ってるの?」
「……俺はあいつの事を何一つ知らねぇさ。」
アヤが探るような目をしてミノさんを見たがミノさんは構わず今度はイドさんを見つめていた。
「……あの……。」
急に近くでおじいさんの声が聞こえた。気がつくとすぐそばにおじいさんがこちらをうかがいながら立っていた。
「うわっ!びっくりしたぜ。じじい……。」
「あの争いを止めてください!日穀信様!」
ゴマのような瞳でおじいさんはミノさんに詰め寄った。
「だから、俺は……戦闘は得意じゃねぇんだよ。人を喜ばせたりする事はできるが傷つける事はしたくねぇんだ……。」
「止めるだけでいいんです。わたしも日穀信様の為に力を精一杯出します。」
おじいさんの必死の顔に押され、ミノさんは複雑な顔を向けた。
「簡単に言いやがって……。」
「心配するな。俺も手を貸す。」
「あ、俺も。」
ミノさんの不安な顔に時神過去神栄次と未来神プラズマは力強く答えた。
「あれじゃあ、やったらやり返す喧嘩みたいよね。快刀、乱麻を断つよ。止めましょう。」
アヤはおじいさんに向かい頷いた。おじいさんはアヤに頷き返すと祈り始めた。
するとミノさん達の身体が蒼く光出した。
「おお!力が湧いてくる。やっぱすげえな。」
ミノさんの感嘆の声におじいさんは優しい微笑みを向けた。
「行くわよ。」
「ああ。」
アヤ達は剣やら水やら火やら糸が入り混じってヒートアップしている喧嘩に堂々と割り込んで行った。アヤは時間の鎖を出現させ、冷林側、イドさん、ヒメさんを拘束しようとするが彼らの神力が高すぎで動きを少し鈍らせる事で精一杯だった。
栄次はミカゲ様と刀のぶつかり合いをしている。
「何故、おぬしが関与してくるか。」
「俺はきまぐれだ。」
栄次の言葉にミカゲ様は顔を曇らせた。ミカゲ様は刀をうむ方で使う方ではない。長年刀一本で戦乱を生き抜いてきた栄次と戦うのは分が悪かった。
「おぬしは自分の時が止まってから幾度……戦を経験したか……。」
「俺は先代と代わってから……何百年生きているかわからん。平安くらいからじゃないか。」
栄次は刀を大きく振り下ろした。ミカゲ様はそれを見て、すかさず間合いに入るが栄次は刀を下ろした格好のまま、すばやく後ろに退いてかわした。
「……。斬り合いになれておるな……。」
「まあな。大きく振りかぶるのは自殺行為だ。振りかぶった後、体勢をたてるのに隙ができる。だがその自殺行為もうまくやれば斬られることはない。」
「……。普通の人間にはできぬ。」
「俺達時神は人間上がりだが……人間ではないのだ。」
栄次は疲れた顔をミカゲ様に向けると苦笑した。
……強い者と戦う、昔はそういう考えがあった。だが今はもうどうでもいい……。
夢もない……。俺は長く生きすぎた……。
ただ、今の楽しみとしては……時神現代神になりたてのアヤが楽しそうに笑っているのを見る事だけだ……。未来神プラズマは俺より長く生きている。あいつは何を思っているのか。
……俺にはわからない。あまりわかりたくもないが。
栄次は刀を振るいながらそっとプラズマの事を想った。
一方プラズマは左手に銃と右手に小型ナイフを握りニッパーとアマちゃんに向かっていた。
「あんた、何っすか!色々関係ないっすよね?こちらが呼んでおいてあれっすけど、おとなしくしててもらえないっすかね!今は特に!」
ニッパーはプラズマに牙をむき、炎を飛ばしてきた。プラズマは小型の剣を振った。風がプラズマの周りをまわり、炎は消えた。その後、後ろから迫ってきたヒメさんの刀剣を銃で弾いていく。
「なんすか!それ!刃物で炎が斬れて……銃弾で刀剣を弾く?」
「これは今の時代では未来の道具だよ。珍しいだろう?」
驚いているニッパーをみてプラズマは楽しそうに微笑んだ。
……まだ若い。こんな無邪気な表情ができるなんてね……。
「まったく余裕そうですわね。」
アマちゃんがそっと指を動かした。刹那、プラズマに細い鋭い糸が巻きついた。
「……糸?」
「そうですわ。ただし、動いたら身体がきれますわよ。」
アマちゃんの一言でプラズマの動きが止まった。それを横目で見たニッパーはイドさんに向かい攻撃を仕掛けて行った。
「動いたら身体がきれる……ねぇ。そんな事ないと思うよ。」
プラズマはなんのためらいもなく歩き出した。
「!」
プラズマの身体は傷つくことなく、糸があるとも感じさせない歩きでアマちゃんの方に向かって行った。
「実は未来では丈夫な服ができたんだ。」
「……そう。じゃあ……わたくしも消える事になるのかしら?」
「それはないと思うよ。自然な素材を愛する者もいる。おまけにあなたは神の中でも有名だ。」
プラズマは堂々とアマちゃんの前に立った。アマちゃんはすかさず構えた。
「わたくし、肉弾戦はできませんの。喧嘩をしたら一方的になりますわね。」
「あなたは機織りの祖だろう?それなのに何故、人を傷つけるような糸を張る……。」
「え?」
プラズマはあきれた目でアマちゃんを見据える。
「あなたは闘う必要がないだろう?人に着るものをあたえる立派な仕事があるじゃないか。まして肉弾戦なんて……喧嘩なんて……あなたはできなくていいと思うけど。俺は機織りの祖に手をあげる事はできないな。」
「……正論ですわ。ですが収集がつきませんのよ。」
アマちゃんはもう闘う気はないらしい。やれやれと手を振って頭を抱えた。
「ようは……あなたは関係ない。争っているのはミカゲと冷林と流史記だけなんだ。」
プラズマはそう言うと呆然と立っているアマちゃんに背を向け、いまだ、過激な争いをしている彼らのもとへ走って行った。
……俺はなんでこんな真面目に動いてるんだろう。人の感情、表情、人格はもう見飽きたってのになあ。争いも同じような事ばかりで俺からすれば真新しい事なんて何一つないのに。
今思う事は……あの元気な穀物の神が俺の時代で生きているだろうかという事だな。
あいつを見ていたらしばらく飽きなさそうだ。
俺の寿命があとどれくらいか知らないが流れゆく時の道楽とさせてもらうか。
未来神プラズマは楽しげに笑った。
イドさんはいきなり襲いかかってきたニッパーに手を焼いていた。ニッパーは炎を体中にたぎらせて匕首(あいくち)を振り回す。しかし、剣の使い方がめちゃくちゃでイドさんにあたる事はない。
……うーん。この子はまだ未熟ですねぇ……。僕としてはあまり傷つけたくはないですね。
こうやって避けているだけでいいでしょう。
イドさんがそう思っていた時、ヒメさんの剣がいっせいにニッパーに向かい飛んで行った。
「!?」
ニッパー自体はきょとんとしており、避けようとしない。いや、攻撃がみえていても避けられないのだ。イドさんは素早くニッパーの前に立つと刀剣を水の槍ですべて弾いてやった。
「なっ……!なんで……」
ニッパーはイドさんの行為を単純に驚いていた。
「ミカゲの娘、君は僕には絶対にかなわないですよ。今の刀剣をすべて自分でなんとか処理できれば僕に傷をつける事はできるかもしれませんが。」
「……っ。」
イドさんの視線を悔しそうに受け止めたニッパーは闘う手を止めた。
「ものわかりのいい子ですね……。神格の違い、わかりましたか?」
「……あたしの負けっす……。ヒステリーちゃんと比べ物にならないくらい神力が違うっす……。今更、神格の違いがわかるなんて……あんたが手をあげたらあたし……。」
「僕は争いたいわけではありません。それから身体は大事にしないといけませんよ。」
イドさんは落ちこんで今にも泣きだしそうなニッパーに優しく声をかけた。
「イド殿!彼女は敵ぞ!何をしておるのじゃ!」
その時、ヒメさんが声を荒げて叫んでいた。どことなく気が立っている。
「何を?」
イドさんはヒメさんを何食わぬ顔で見つめた。
「やはりおぬしもワシの敵じゃな……。」
ヒメさんは刀剣の狙いをイドさんに向けた。そのままイドさんに刀剣を投げつけようとした。
刹那、イドさんのまわりに重たい空気が振りまかれた。イドさんの冷たい瞳がヒメさんを射抜く。
「いい加減にしろ……。」
「うっ……。」
イドさんが乱暴に放った言雨でヒメさんは膝をついた。いままで見せたことのないイドさんの力がそのままヒメさんに伝わった。ヒメさんは立っている事もできず、ただ震えあがりながらイドさんを見つめていた。
ヒメさんだけではなく他の神々もイドさんに恐怖心を抱いていた。誰もが手を止めた。
しかし、冷林だけは動いていた。動けなくなったヒメさんに向かい、光の触手を振り上げる。
光りの触手がヒメさんにあたる寸前にイドさんがヒメさんを抱きかかえて避けた。
「な……なぜじゃ!おぬしの行動がわからぬ……わからぬ……。おぬしは何がしたいのじゃ!」
ヒメさんはイドさんに抱かれながら不安と恐怖が入り混じった声で叫んだ。
「……ヒメちゃん、もうやめましょうよ。なんでヒメちゃんが人を消したいのかわかりませんがこんな事をしちゃダメなんですよ。」
「だ、黙れ!冷林さえ消せれば……。」
ヒメさんはイドさんから無理やり離れると刀剣を冷林に向けて放った。
「まったく聞き分けのない……。」
イドさんは冷林に向かっていく刀剣の前に立ちはだかり水の槍を出現させた。
「そこをどくのじゃ!イド!」
「ヒメちゃん……。」
ヒメさんの叫びをせつなげにイドさんは受け止めた。
「おい!イドさん!」
その時、ミノさんがいきなり声をあげた。イドさんの背中に冷林が放った光りの触手が迫っていた。ミノさんは咄嗟にイドさんのもとまで走っていた。
「ちょっ……ミノさん?危ないですよ!うわっ!」
「うるせぇえええ!こらぁああ!もうやめやがれぇええ!」
ミノさんは驚いているイドさんを突き飛ばすと板挟みの中心地に入り込み叫んだ。
ミノさんの身体の輝きがさらに増し、お互いの攻撃をきれいに相殺した。光りの触手と刀剣は跡形もなく消えた。
「え?」
「え?」
一同はいきなりの事で皆ぽかんと口を開けていた。一番驚いていたのはミノさんだった。
「え?なんか消えたぞ……。え?」
「み、ミノさんの神力がヒメさんと冷林を上回ったんですね……。一瞬だけ。」
「俺すげええ!」
イドさんの言葉にミノさんはよくわからずこんな言葉を口にしていた。アヤはあきれて頭を抱えた。
するとミノさんの輝きがさらに増し、時神三人、過去神栄次、アヤ、未来神プラズマの身体からも蒼い輝きが強くなった。その蒼い光りは空間全体を覆い尽くすものに変わった。
そのとき……おじいさんの笑顔をみたような気がした……。
「まーだかなー♪」
どこからか少女の声がする。
「まーだかなー♪」
先程よりも少女の声が鮮明に聞こえる。
少女は和室に置いてある座布団に座っていた。髪をツインテールで結んでいる可愛らしい少女だった。歳は六歳くらいか。
「もうちょっとでできるぞー。」
今度は少女の声ではなく歳のいった男の声だ。和室の奥から鼻歌が聞こえてくる。
「おなかすいたー。じじ、なんか手伝う?」
「いいよ。いいよ。みーちゃんはそこに座ってな。せっかく来てくれたんだもんなあ。じじがうまいもんつくってやるからなー。」
みーちゃんというのは少女の名前で男はじじと呼ばれているらしい。おそらく祖父と孫娘だ。
男は何か料理を作っているようだ。
「あたしね、小学生になったよ。じじにもらったランドセルで学校行ってるの!」
「そうかい。そうかい。そりゃあよかった。みーちゃんが学校行くとじじ寂しいな。なかなか会えないのにもっと会えなくなってしまう。」
「大丈夫だよ。じじ。あたし、お休みの日に来てあげるから!」
「そうかい。そうかい。楽しみにしてるよ。」
普通のどこにでもある祖父と孫娘の会話だ。どうやら核家族で祖父とは一緒に住んでいないらしい。
「はい、できたー。寒くなってきたからお鍋にしたよー。みーちゃんおまたせ。」
男は大きな鍋を抱え、少女がいる和室に入ってきた。
男はまぎれもなくミノさん達といたおじいさんだった。
「じじー!お鍋だ!わーい!」
少女は無邪気に喜び、それをみたおじいさんは顔にしわをつくりながら微笑む。
「ごはんもいっぱいあるからなー。いっぱい食べで大きくなるんだぞー。」
おじいさんは少女の頭に手を乗せると優しくなでた。
「はーい。」
少女は鍋の具材をおたまですくい、小皿に盛りつけるとハフハフ言いながら食べ始めた。
「うまいか?」
「うん!うまーい!」
おじいさんは白いごはんを炊飯器からお茶碗にうつし、少女の前に置いた。
「ごはんも食べなー。」
「うん!」
少女は楽しそうに食べる。おじいさんはそれを見ながらちょこちょこ鍋の具材を食べていた。
「じじもいっぱい食べればいいのにー。」
「じじはな、体が悪いからそんなに食べられないんだ。みーちゃんがたっくさん食べていいんだよ。」
「うん……。」
少女は悲しげに下を向くとまた笑顔で食べ始めた。
「じじが病気の事……ママから聞いたか?」
「……うん。」
少女は食べながら悲しそうな笑顔を向け答えた。
「なあ、みーちゃん。神様はいるんだぞ。」
「なあに?いきなり。」
「昔な、じじ、ごはんに困っててな、食べ物の神様にお願いに行ったんだ。」
「食べ物の神様?」
「そうだ。そしたらな、いままでいっぱい食べてこれた。」
「でも今のじじは食べられないよ?」
少女のきょとんとした表情におじいさんは笑った。
「いや、今はみーちゃんがいっぱい食べられている。それでいいんだよ。」
「ふーん。よくわかんない。」
「そうか。そうか。よくわかんないかー。でもな、お茶碗に残ったご飯粒は食べような。一生懸命作ってくれた農家の人と、食べ物の神様に失礼のないようにな。」
「うん!」
少女は素直にお茶碗に残ったご飯粒をきれいにかき集めた。
しばらくして鍋の中身がほぼ空になった。おじいさんは手を合わせて何かつぶやいている。
「じじ?どうしたの?」
「すべての食べ物に感謝してお礼を言ったんだよ。ほら、みーちゃんもごちそうさま。」
「うん。ごちそうさまー。」
紅葉と銀杏の葉が落ちる中、おじいさんと少女の顔は白く輝いていた。
少女とおじいさんが会ってからしばらくたった。その日は記録的豪雨だった。
カッパを着込んだままの少女は涙にくれていた。母親と思われる女と手を繋ぎ病院のベッドに座り込んでいた。
ベッドには安らかに眠っているおじいさんがいた。
「もう一か月と持たないと言われていた中、一年持つなんて本当にこれは凄い事なんですよ。癌は思ったよりも進行が遅かったみたいですね。」
「そう……ですか。」
隣にいた医師の発言に女は涙を流しながらつぶやいた。少女は何が起こっているのかさっぱりわからなかったがおじいさんがもう二度と起きてこないのだという事はわかっていた。
それゆえ、女を困らせまいと何も聞かなかった。
少女がまだちゃんと理解しないまま、葬儀が行われた。葬儀には少女が見たことも会った事もない人達が沢山来ていた。誰もが遺影の前で涙し、言葉をかけている。
その人達が誰かは知らないが少女はおじいさんを大切に思ってくれている人が沢山いる事に気がついた。
少女の母親と思われる女にその人達はしきりに話しかけていた。
「私は色々助けてもらって……」
「わたしもあの時にすごくお世話になって……」
言葉は皆涙声で何を言っているのかよくわからなかったが少女はじわじわと死についての実感が出て来てしまっていた。
その夜、少女は大人達の会話には入れてもらえず、一人布団の中に入っていた。
なんだかとても寂しかった。
「じじ……。」
なんとなく叫んでみても当たり前だが返答はない。もう二度と会えないという実感が少女の心を苦しめた。少女の瞳に涙が絶えることなく流れた。今日は寝むれる自身がなかった。明日をむかえるのがたまらなく怖かったのだ。
「じじ……。もう一回会いたい。」
そうつぶやいた時、おじいさんが言っていた言葉を思い出した。
……神様はいる……
「神様……いるならじじに会わせて……おねがい。」
大人は亡くなった人に会いたいとは思うが心の底からは願わない。倫理が邪魔をするからだ。だが、この少女はそのことがわからなかった。死というものがなんなのかわかりかけてはいるもののはっきりとはわかっていなかった。わかりたくなかったのかもしれない。
そして彼女の祈りは縁様である冷林に届いてしまった。
少女の頭に何かが入り込んできた。声でも映像でもないそれは少女の瞳を輝かせた。
「神様!会えるの?じじに!今夜だけ?」
少女がそうつぶやいた時、目の前におじいさんが現れた。
「じじ!」
おじいさんは笑いながら少女を見つめていた。少女はおじいさんに抱きつこうとした。
だがおじいさんは少女の手をすり抜けてしまった。
「あれ?」
「じじは……」
不思議な顔をしている少女におじいさんが口を開いた。
「じじはもうみーちゃんといられない。だけどじじはみーちゃんをずっと空からみているよ。じじのために会いたいって言ってくれてありがとうな。」
おじいさんはそれだけ言うと煙のように跡形もなく消えた。
「じじ……。じじー!うわああああん!」
少女はわかりたくもなかった事をはっきりとわかってしまった。もう二度と会えないという言葉の意味を心から。
……もうじじの家に行ってもじじはいない……
……もう二度と会えない……
……どこにもいない……
どこにも……いない
少女の泣き声で母親と思われる女が慌てて入ってきた。暗かった部屋に電気が灯る。
「ごめんね。一人にして……どうしたの?みーちゃん。」
「じじが……。」
「じじ?」
「じじがあたしに会いにきたの。」
「……そっか……。じじがね。じじ、なんて言ってた?」
「お空からみてるって……。」
「そっか。まったくお父さんらしいわ……。」
女は少女を抱きしめると涙声でつぶやいた。
「じじは……皆のこころにいるんだね。」
少女の発言に女は驚きの表情を見せた後、そうだねと微笑んだ。
「……なんの縁か……。時神の力と食物神の俺の力でじじいの過去を見ちまったようだな。」
蒼い光は消え空間は時間のない空間から廃墟ビルの空間に戻った。
ミノさんは複雑な表情をイドさんにむける。
「なるほど……そういう事でしたか……。という事は、冷林は力がほしかったわけではなく、少女の願いをかなえたと……。」
イドさんはちらっとミカゲ様を見る。
「事故でもなかったか。リーはお人よし故……。」
ミカゲ様はどこかホッとした顔をしていた。おじいさんの記憶で皆、戦いをしていた事を忘れているようだ。ミノさんはいそいそとアヤ達がいるところに戻ってきた。
「みーちゃん元気してるかなー。」
おじいさんがしみじみとミノさんを見て言った。
「そういやあ、みーちゃんって名前なんて言うんだ?」
「……みのりですよ。日穀信様。」
「そうか。良い名前だな。」
「わたしはもう思い残す事はないんです。もう成仏したいと思います。」
「だが、じじい、おたくは神様なんだぜ?生前、おたくを信頼してた人間が多かったみたいだ。」
「そうですか。それはけっこうなことです。ですがわたしは神様になって生きようとは思いません。」
おじいさんはにこりと微笑んだ。
「そうかよ。」
「ええ。実体化してみーちゃんに会えたのも縁様が入り込んで下さったおかげですし、わたし単体では何もできません。」
「……。」
「縁様、わたしの魂を解き放ってくれませんか?」
ミノさんから目を離したおじいさんは遠くで立っているだけの冷林を見つめた。
冷林はひとつ頷くと手を上にあげた。するとおじいさんの身体が透け始めた。
「ありがとうございます。縁様。一度、みーちゃんに会わせて下さって感謝しています。」
冷林はおじいさんの言葉にまたひとつ頷いた。
「おい、じじい、ほんとにこれでいいのか?神になればみーちゃんだかを見守れるんだぜ?」
「……みーちゃんは人が死ぬという事を理解しました。あの子は強い。こうやって一つ一つ学習して大人になるんです。自分で立ち向かえる。わたしは必要ありませんよ。」
「孫馬鹿だな……。」
「そうかもしれませんねぇ。日穀信様、消える前に一生のお願い聞いてくれますか?」
「ん?ああ。俺にできる事だったらいいぜ。」
「みーちゃんを……みのりを代わりに見てやってください。」
「だからそれはおたくがやればいいだろ。」
「あの子はおそらくわたしが見えてしまう。そうするといつまでもわたしから出られなくなる。日穀信様なら見えないでしょう。」
「ああ、そういう事か。まあ、いいぜ。死ぬまでみてやるよ。」
「よかった……。」
おじいさんはいままでで最高の笑みを浮かべると他の神々が見守る中、白い光に包まれ消えて行った。
「本来は消えなければならなかった魂が冷林によって現世に残っちゃったというわけね。」
おじいさんが消えてからアヤはぼそりと口を開いた。
「おたく、感動してんのか?」
「何言ってんのよ。人の生なんてこんなものよ。」
「へん、たかが十何年しか生きてねぇおたくに何がわかるってんだ。」
「まあ……そうよね。」
「なんだ?やけに聞き分けいいな……。」
アヤがそれ以降何も話さなかったのでミノさんも黙った。
アヤにも何かそういう経験があったのかもしれない。ミノさんは聞きたくもなかったので聞かなかった。
「……空間はなくなったわけだがまだ色々解決してなさそうだな……。」
過去神栄次もアヤのもとに戻ってきた。
「あの女神、なにか納得いってないな。顔つき的に。」
未来神プラズマも頭を抱えながらアヤの顔を見た。
「……そうね。でもきっと理由は単純よ。」
「……?」
アヤの発言に一同首をひねった。
「人間なんて……滅べばいいのじゃ!こんな事を何度見続ければよい!ワシは……すべてを見続けているだけ!それしかできぬ!心にもうおらぬ者を描き、嘆きを微笑みに変えるのは人間だけじゃ!そんな苦しみをなぜワシは見続けなければならぬ!ワシは正しい。人を消滅させ苦しみから救おうと考えておるのじゃぞ!何故邪魔をする!」
ヒメさんの言雨がビル全体に振りまかれる。しかし、重くはない。威圧もない。
アヤは何も感じなかった。ヒメさんの言雨はぽっかりと穴が開いているようだった。
「何をいまさら。あなたは歴史を守る神でしょう?何を小さい事でぐちゃぐちゃ子供みたいに言っているんですか?あなた、そこらの人間の子供と言っている事変わりませんよ。」
イドさんはヒメさんを厳しい目つきで睨みつけた。
「……ワシはもうこんなのは嫌じゃ……。人と共に消滅したかったのじゃ……。」
ヒメさんの瞳から涙が落ちる。
「じゃあ、僕が消してあげましょうか?」
「お、おい!イドさん!」
イドさんの言葉にミノさんが慌てて声を上げた。
「ミノさん、黙っててください。」
「……っ。」
イドさんの鋭い言雨にミノさんは黙り込んだ。イドさんは再びヒメさんに向き直る。
ヒメさんは口を開けようとはしなかった。
「龍雷水天が直々に消してあげましょうと言っているのです。何故黙り込んでいるのですか?口があるでしょう。しゃべりなさい。」
「……。」
ヒメさんは口を開かない。どこかふてくされたような子供っぽい顔つきでイドさんを睨みつけている。
「父上が……。」
「……?」
ヒメさんがか細い声でつぶやいた。
「父上がくると思ったのじゃ……。」
ヒメさんの目からは絶えず涙がこぼれる。イドさんは顔を曇らせた。
「母上はもうこの世にはおらぬ。だが父上はまだおるそうじゃ……。いくら探しても父上の痕跡は見つからぬ……。大きな騒動を起こせば父上が来ると……。」
「あなたはお父さんに自分を止めてほしかったのですか?」
「……。」
ヒメさんは黙ってうなずいた。イドさんはやれやれと頭を抱えた後、ヒメさんを思い切りひっぱたいた。乾いた音がビルに響く。あまりの音にミノさん達は目を見開いた。
「お、おいおい……。」
ミノさんはオドオドとアヤを見つめる。アヤこそなんだかわからず顔を曇らせながらミノさんを見つめ返していた。
ヒメさんは思い切り倒れた後、叩かれた左頬を手で押さえながらイドさんを睨みつけた。
「何するのじゃ!ワシも神格の高い神ぞ!こんな事が許されると……」
「ほんっと馬鹿ですね!あなたのお父さんはあなたに汚名がいかないように必死だというのに!あなたはこうも呑気に……。」
「……?おぬし……父上を知っておるのか?」
ヒメさんは今までで一番怒り顔なイドさんにきょとんとした顔で聞く。
……いや、もう気づけよ……。
ミノさんはそう思ったがイドさんのためを思い、ため息だけで済ました。
「ええ。知ってますよ。もう死んでしまいましたがね。」
「死んだじゃと!」
「ええ。僕が最後を見届けました。」
「そんな……。じゃあワシはどうすればいいのじゃ……。」
ヒメさんはその場に崩れ落ちた。
「お父さんに会えると思ってからの剣王の裏切りですか?それにもう冷林には許してもらえない。ワイズにも迷惑をかけている……。あなたは高天原在住の神々から罵倒され西の剣王からの罰で何をされるかわからない。辛いですねぇ。守ってくれると思っていた父親はもう死んでいる。」
「……。」
ヒメさんは震えながらその場にうずくまった。ヒメさんは後先を何も考えていなかったらしい。
彼女は唯一身を置いてくれた剣王を裏切った。もう行く所も逃げ道もなく孤独だ。
それが本当にわかった彼女は震えながら泣いている。
冷林、ミカゲ様達からは冷たい視線がヒメさんに注がれていた。
子供のようにいたずらをして叱られるだけだったら楽だった。取り返しのつかないいたずらは罪となり永遠に残ってしまう。彼女はそれに気がついた。
「どうすれば……ワシは……そんな……」
「……。」
ヒメさんの独り言にイドさんは黙っていた。
……何やってんだよ。あいつは!娘だろ!助けてやれよ!なに死んだことにしてんだよ!
ミノさんは叫びたい気持ちを押さえて二人を見守った。それを横目でみたアヤはミノさんの服を引っ張った。
「な、なんだ?アヤ。」
「あんた、何か知っているの?」
「知ってるって?え?い、いやー、し、し、知らねぇなあ……。何のことかなあ……。」
「あ、そう。」
アヤはミノさんの下手くそな演技を見て聞くのをやめた。とりあえず言いたくないという事だろう。そう受け止めた。
「先程……言っていた人を消したいというのは……自分はあんなに愛されていないと思えてむなしくなるからですか?」
「……。」
ヒメさんは素直にイドさんの言葉にうなずいた。
「子供の妬みのようですね。」
「……。」
ヒメさんは否定しなかった。しばらく沈黙があった後、ヒメさんがか細い声でぼそぼそと何か話しはじめた。
「イド殿はどうしてワシの心が読めるのじゃ……。」
「さあ。なんででしょうねぇ。」
イドさんは白々しく上を向く。
「……。」
ヒメさんは冷林の方を向くと膝を折り、頭を地面につけた。
「許してくれとは言わぬ。ただ……謝罪申し上げる……。ワシは歴史の神として不相応な事をした……。」
ヒメさんの肩は震えていた。冷林に殺されることを覚悟していたのかもしれない。
しかし、冷林は何もしなかった。ひとつ頷くと廃ビルから消えて行った。
「ほんとリーちゃんはお人よしですわ……。そこの女神、あなたは許された。よかったですわね。わたくし、しばらくあなたには会いたくないですわ。そして次、こんなことをしたら容赦いたしませんことよ。」
アマちゃんはヒメさんを睨みつけると冷林と同じように消えた。
「今回は我らにも非があり。娘よ。行くぞ。」
ミカゲ様はいつもの無表情でヒメさんを見るとニッパーを促した。
「えーと……ヒステリーちゃん。あたしは騙されてもそこそこ許してあげるっすから!」
「馬鹿者。」
ミカゲ様の鉄の尺がビシッとニッパーの頭を打つ。
「うう……痛いっす……。」
ニッパーは涙目で頭を押さえうずくまる。
「剣王の側近、かの流史記姫神になんという言葉遣い。剣王の元に行ったと思ったらこれか。非行娘が。」
「うわああん。ごめんなさいっす!親父じゃなくて……お父様。」
あまりに鋭いミカゲ様の眼気にニッパーは委縮し、しくしくと泣きはじめた。
「後で仕置き故、覚悟せよ。」
ミカゲ様はそう言い残すと消えて行った。ニッパーも慌ててワープする。
「だからお父様の所にいるのは嫌なんすよー……。」
ニッパーの悲しげな声は風に流れて消えた。
ヒメさんは最後まで頭を下げ続け、ニッパーが消えたと同時に頭をあげた。
悲しそうなどこかうらやましそうなそんな顔をしていた。
そんな横顔を見ながらイドさんはそっと目を伏せた。
「よく……言えましたね。ヒメちゃん。」
「な、なんじゃ?気持ち悪いのう……。」
イドさんはヒメさんの頭をそっと撫でた。
「いやあ、なんとなくです。」
「やめんか!なんじゃ!気持ち悪い!おぬしはなんでそう……」
「ちょっと心が温かくなるかなあと思いまして。」
イドさんの笑顔にヒメさんはなんとも言えない表情をした。
「ところでイド殿、東のワイズに謝罪に出向きたいのじゃが……連れて行ってもらえないじゃろうか……。」
「いいですよ。ついでに剣王の所にも行きましょうか?一人じゃお仕置き宣告も怖いでしょう。」
「う、うるさいのう。罰なぞ怖くないわい。」
「まあ、そこにいる彼らも行ってくれるそうですから大丈夫ですよ。」
イドさんの発言にミノさん達の目が見開かれた。
「はあ?俺らも行くのか?」
「私達は関係ないわよねぇ?」
ミノさんとアヤは大きなため息を漏らしたが残りの時神達はクスクスと笑っていた。
「いいではないか?最後まで見届けてやろう。」
「まあ、どうせ剣王もワイズもなーんも考えてないと思うけどね。」
過去神栄次と未来神プラズマは苦笑いをヒメさんに向けた。ヒメさんは涙で濡れた瞳を潤ませ嬉しそうに微笑んだ。
イドさんはヒメさんの手を握るとミノさん達の元へ歩き出した。
その時、ヒメさんは感じていた。父親の背中、ぬくもりを……。
もしかしたら……と言いかけたがなぜか恥ずかしくて声にならなかった。
一応、ワイズと剣王に皆で謝りに行った。
ワイズは冷林を封印できなかった事にご立腹だった。その非難の矛先はイドさんにいき、イドさんが罰を受ける事となった。
ワイズ曰く、なぜもっとうまくやらなかったんだYO!イドちゃんは下手なんだYO!とのことで。
西の剣王の側近、ヒメさんが来ることに対しても出迎える感じではなかった。
やっかい事はもういやだYO!剣王と喧嘩は面倒だからはやくどっか行くんだYOとのことで。
あやまる暇もなく、箒で掃かれるみたいに外に追い出された。
ワイズなりの優しさであるとミノさん達はとらえた。
その次に剣王のもとへ行った。
剣王は相変わらず部屋でゴロゴロしており、出向いた一同になかなか気がつかなかった。
ヒメさんは軍を勝手に動かした事その他を必死で謝ったが聞いているのかいないのか。
イドさんは苦渋の表情で剣王を睨みつけていた。
まあ、とりあえず、めんどくさいから罰はトイレ掃除一週間ねぇ~。
とのことで。
ミノさんが小学生か!と突っ込んでいたがこの件はこれで流された。
ヒメさんに何か降りかかる事はなく穏便に終わった。
そしてミノさん達は早々に現世に戻され、高天原へ入る事はなかった。
「いやーしかし、今回はまいったぜ。俺、もう疲れてなんもできねぇよ。」
「ミノさん、ありがとうございます。なんにも言わないでいただいて。」
ここはミノさんの神社、ミノさんは石段のところでゴロゴロしており、イドさんは横に座っていた。
「しかし、おたく、娘に厳しくねぇか?」
「親の愛を知らずに育ってしまったのは僕のせいです。あの子はうっすらと僕の事を覚えていたみたいですが。僕自身もどう接すればいいかわからなくて……。」
「まだまだガキって事かよ。」
「否定はしませんねぇ。人間の子供と同じです。親に叱られたくてやった大きないたずらです。ただ、彼女の場合は人間の子供と同じにはできません。まわりの神々に多大な迷惑をかけ、人を消滅させようとした。これは歴史の神失格ともいえる絶対にやってはいけない事です。たまたま、今回、冷林が気まぐれで動いた事がいたずらの原因になったんですから冷林もそこの所わかっていて今回見逃したんだと思います。」
「だろうな。」
二人は落ちゆく紅葉を眺めながら冷たい風に縮こまった。
「彼女は子供ですが僕の力を受け継いでいます。そこらの神には負けないでしょう。それも原因です。少し天狗になってたのかもしれません。その陰で歴史の神の重さに耐えられなかった。そういう時に頼りたい親族が彼女にはいない。僕も複雑です。」
「もう娘だって言っちまえよ。」
「もう……言えませんよ。」
「そうかよ。ヒメのやつ、おたくに褒められたり怒られたりしてんの満更でもなさそうだったぜ。」
「ふふ……。新手のプレイだと思われているのですかねぇ。」
「さあな。」
「あ、ミノさん。」
イドさんが懐からお酒を取り出した。
「ん?」
「どうです?」
イドさんがミノさんの前にお酒をかざし微笑んだ。
「おたくみてぇな神と酒飲みかわすなんて今じゃ怖くてできねぇよ……。」
「まあ、いいじゃないですか。」
イドさんがニヤニヤ笑った時、一人の少女が鳥居をくぐって中に入ってきた。
「ん?あの娘……。」
「おじいさんとこの孫娘さんですねぇ。」
ツインテールの少女は賽銭箱にお金を入れると熱心にお願いしていた。
「……いっぱい食べれますよーに。」
彼女はそうお願いしたようだ。少女はお願いした後、後ろからついてきた母親と思われる女のもとに楽しそうに走り去って行った。
「元気そうじゃねぇか。よかったな。」
「あの子は問題ないですよ。人間は強い生き物ですから。」
ミノさんとイドさんは石段に座りながらニッコリと笑った。
少女とすれ違うようにアヤとヒメさんが鳥居をくぐってきた。
「あら、さっきの子、もしかして。」
「ああ、おたくらか。そうだ。あのじじいの孫だ。なんかうちに来たんだよな。食物神なんてこの世界じゃ沢山いるんだけどな。」
「よかったじゃない。信仰が増えて。これでしばらく生きてられるわ。」
「グサッといま刺さったぜ……。そうだ……俺、今けっこう危機だったんだ……。」
アヤの一言でミノさんの頭ががっくりと垂れた。
ヒメさんは珍しく言葉を話さなかった。
「ヒメちゃん、アヤちゃん、元気してましたか?」
イドさんはニコリと二人を見上げる。
「ええ。ものすごく疲れた以外、何もなかったわ。イド、なんかワイズから罰を与えられていたみたいだけど……どうしたの?」
「えー……まあ、ひどい目に遭いました……。エロいダンスやれってワイズから強要されまして……男がやるもんじゃないと思ったのですが……足を限りなく出して上半身裸でワイズにアタックして……ああああああ!サブいぼ立ってきました!」
イドさんは顔面蒼白で悶え苦しんでいる。
「エグイ事やらせるわね……ワイズ。まあ、でもあんた、美男子だし女子は喜ぶわよ。」
「ワイズは完璧に楽しんでいましたがね……。天御柱神とかはそれから口聞いてくれなくなりましたよ……。」
「まあ……ドンマイってとこね。」
落ち込んでいるイドさんの背中をアヤはぽんぽんと叩いた。
「イド殿……。」
ひときわ暗い声を出したのはヒメさんだった。
「ん?なんですか?ヒメちゃん。」
「イド殿はもしかして……ワシの……」
「……。」
イドさんとミノさんの息を飲む声が聞こえる。
「兄だったりせんかの?」
ヒメさんの一言でミノさんとイドさんは同時にズッコケた。
「兄?おたくはどうしてそういう発想になるんだよ!もっとあんだろ!別の!ほら!」
「ミノさん、いいですよー。もう。僕はヒメちゃんのお兄ちゃんじゃありません。」
ミノさんの必死の叫びを軽く流したイドさんはきっぱりと言い放った。
「そうじゃの……。」
ヒメさんはがっくりといかにも悲しそうな顔でイドさんの横に座った。
「でも、でもですよ?僕はヒメちゃんが困っていたらきっと助けてあげますよ。アヤちゃんもミノさんも困ってたらヒメちゃんを絶対に助けてくれます。」
イドさんがヒメさんを優しく慰める。
「ええ?俺らもそういうのに入ってんのかよ。俺、ヒメに勝てねぇんだけど。」
「ま、いいじゃない。暇しないわよ。」
戸惑っているミノさんにアヤはふふふと笑った。ヒメさんは輝かしい笑みを向けると急に元気になった。
「おお!じゃあ、これから皆で誓いの鬼ごっこじゃな!」
「何だよ……それ……。」
「ミノさん、やりましょ!」
「意味わかんないけどたまには運動も悪くないかしら。」
アヤ達は重い腰を上げて大きく伸びをした。その時白いものがふわりとアヤの横に落ちた。
「おいおい……雪降ってきたぜー。」
ミノさんが紅葉に紛れ降ってくる雪にため息をついた。
「もう冬なのね……。」
「じゃあ、積もったら雪合戦に変更じゃな!」
「だからなんでそうなるんだよ!」
「詳細は携帯メールで送る故!」
「ああ、すっかり忘れてたわね……携帯。」
アヤ達が楽しそうに会話をしている中、イドさんは空を見上げ冷たい空気に目をそっと閉じた後ヒメさんに何か箱を手渡した。
「なんじゃ?ムキムキロボット一号?」
「そうです。オモチャですよ。あげまーす。」
「む……いらぬがせっかくだからもらっておくのじゃ。これをかわいく改造するのじゃ!くまさんとかつけてかわいーく❤」
ヒメさんはニコニコと神社を走り出した。
「あれ?こういうのがほしいんじゃないんですかあ……。女の子は難しいなあ……。」
イドさんはミノさんをちらりと見た。
「俺見たってしょうがねぇだろ。」
そのやり取りをみてアヤはヒメさんとイドさんの関係がわかり、クスッと笑みをこぼした。
ヒメさんが叫びはじめたので一同はヒメさんに向かい走り出した。
紅葉は落ち、白い雪が舞う。
おじいさんは皆の心に生き、神々はそれを見守る……。
その神は愛を妬んだ……。
人々の歴史を読んでむなしくなった……。
何もかも壊そうとした。
だが、その神は気がついた。
自分も愛を求めていることを。
神々の戦国時代は続く……
彼らは助け合い生きている……この世に住む人間のように……
旧作(2010年完)本編TOKIの世界書一部「流れ時…3」(時神編)
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