月の巫女~Ⅱ章 花月

月の巫女は水の民族の王子アレクセイが父親からやっと譲り受けた船で旅するお話です。船の名はライジェリアス号。出港してしばらくして船の仲間達は不思議な人物が乗り合わせていることに気づきました。

1:ガジョム



ライジェリアス号は、水の民族の商船である。しかし、膨大な荷を詰め込み季節の風と天候を占い、他船を出し抜き如何に早く目的地にたどり着こうとする商人船では無かった。
船旅を楽しむそんな仲間がのんびりゆったり海上を行く風を楽しんでいた。
その中に、異種族である地の民ホルトログ族の薬師がいつの間にか居座っていた。
ホルトログ族薬師の名は、ガジョム。年は、二十を過ぎたばかりだろう。性別は、異種族ゆえ、はっきりとは断言できないが、顔付きからして、男であろうことは間違いないと思われた。
面長の面に、整った目鼻立ちは、はっきり言って、美的である。中性的な美と言って良い。それは、彼の髪にも表れていた。生まれてから、一刀もしたことがないのではないかと思われる膝まで垂れた長髪。その色は、黒曜石に似た艶のある黒。肌の色は、黄褐色。唇は赤黄色。顔の印象をより強く押し出しているのが、黒い眉と黒く長い睫毛だ。
さらに、不思議と思えるのが、無謀さに垂らした髪だ。黒髪を編み上げることも束ねることもせず、後ろに垂れしていたが、どんな強風が吹き荒れても、櫛を入れたばかりのようにしなやかにそよぎ顔に掛かることが無い。
ガジョムは船乗りの仲間の中で一番背が高く、しなやかな線の細い姿態していた。細い肩からその長身を隠すように着込んだ繋ぎの服からも折れそうな細い腰が伺われたが、頑丈な男の仕事をゆうにこなし帆柱を巧みに登った。
見晴らし台からはるか遠くの島々を見渡すと、太くはっきりとした声が甲板にいる者の耳にはっきり届いた。さらに、厨房に入れば母親の味をはるかに超越した代物を提供した。その上、針仕事をさせれば、そこらの女達より手際良く繕い物を片付けた。
それが地の一族の特質なのかと、料理に舌鼓を打ちながら、当布で繕われた服を撫でながら、日に焼けた彼等の肌よりももっと浅黒い肌色をしたガジョムを横目で眺めた。そして日々を送るうちに彼の日常を知ると、その行動を密かに付け回す者が続出した。
船内の何処かに必ず居るこのガジョムは寝間を持たず厨房に居座り透明に近い水色の大きな瞳で船内を見回り炊事洗濯をこなし病人を観ると薬を調合する。
風を読み夜空を見上げ天候を占い、操舵室に居座り航海士であるガイと口論した。そしてガイが寝ている間、舵を取るガジョムが一日を誰もが到底真似ることが出来なかった。
何時寝て何時何を食べたかとライジェリアスの仲間達は、興味津津で噂し合った。だが、誰も知らない。そうなると、さらに執拗な視線がガジョムに降り注いだ。
穴が空くほど彼を見詰め続けた視線が、やっと気づいたのが新月と満月の夜、その姿が霧のように忽然と消えることだけだった。

2  妻は食い物

ガジョムは地の民族ホルトログ族として生まれた事に、後悔したことは無かった。しかし、王位憲章者の最下位とはいえそこに名を連ねていることが生まれを後悔させた。
それは月に一度四分の一日を我慢すれば終わる。
今日もまたその日が来たと、ガジョムは狭い厨房の薪ストーブの前で深い溜息を吐いた。その眼に食堂へ入ってきたガイが写った。いつもの渋面だが漂う雰囲気が違う。朝食をかっ食らう意欲漂う顔では無い。
「メシ。くれ」
いつもの言葉を投げるガイはいつもの様に豪快な食事がカウンターに並ぶと思った。だが、出てきたのはガジョムの顔だった。のけぞるガイにガジョムが言った。
「お前の望むものは、ここには無い」
その言葉に怒りを表したガイにガジョムは更に言った。
「女は食い物じゃない。それともお前等の世界では女は食い物か」
一瞬で上気した顔を見てもガジョムの表情は動かない。早朝の食堂に人の気配は無いが、これを口論する自信がガイには無い。
ガイは無言で踵を返した。その背に、言葉が飛んだ。
「家と妻は同じものか。家は船と同じ。妻は船では無いがお前の居場所を作るのか」
言葉が動きを止めたガイを振り返らせた。その目の前にガジョムが立っていた。大柄のガイよりまだ背の高いガジョムは息が掛かるほど間近にいた。唐突な現れ方をする事に慣れたはずだがやはり驚かずにはいられないガイは固まった。そんな姿にも物怖じしない気質はガイの首に掛かった琥珀を手に取った。
「これがお前の女か」
琥珀の中に白い混入物がある。初めて手にした時は白い点が散らばっていたと思ったが今は細い女人が腰を屈めてお辞儀をしているように見える。それを見ていると何故か心が締め付けられる。願わくばと思う心が今朝の夢を生んだのだと、琥珀をもぎ取ろうとしたその眼にガジョムのはたけた胸元が写った。ガイとは違う痩せた首筋から鎖骨の窪んだ肋が見えた。細く折れそうな指から琥珀を受け取った心が揺らいだ。
「女が男を食うのか。うん…。お前、俺に食われたいのか」
きょとんとしたガジョムの言葉がガイの脳裏を爆発させた。
爆音に誓い叫びを上げたガイが顔を隠すように一目散に逃げ出した。その意味をガジョムは半月後に気づく。この日から、ガイは病人を治すその力を脅威の業だと感じ取った。そして心を見抜く呪い師に近づいてはならないと悟った。それでも満月を堺にガジョムの視線が気になり、その姿を探す罪悪に満月に懺悔したい気持ちになった。
すると突然ガジョムが現れ期待通りの言葉を放った。
「お前は正しい。懺悔することは無い。月の出が待ちどうしい。お前と同じ」
その言葉の本質は探れなかったが単調な言葉が心を和らげていく。ガイがガジョムの本質を見ぬくのはまだまだ先の話だ。異種族の呪い師に心を取られては一大事と一目散に逃げ出したガイだが、身も心も捧げた事実を知るのもまだまだ先だ。が、その時の驚愕は今の彼の心境と変わらない。食堂を飛び出すその姿にいつものことかと眼にもくれない仲間達がカウンターに向かい声を掛けた。
「腹減ったー。メシくれ」
即座に大盛りメシがカウンターに並ぶ。いつもの光景が夕方まで続いた。

3  代四位継帝リュージュア


ここはガジョムの居室の化粧室。水晶で出来た光まばゆく小部屋は、置かれた家具調度品だけではなく灰色の六人の女達の服まで輝かせていた。いつもの光景が何故か目を惹きつけると大鏡の前に立ったガジョムは自分の姿を見た。
確かに俺の鎖骨は綺麗だ。鏡に写った自分の姿を見詰めるガジョムはほくそ笑んだ。だが、それをそばにいる奴に悟られてはならない。
―真顔で正面を向いていなければことを仕損じる―
この言葉をくれたのは十歳年上の兄だ。兄も成人するまで無動に立ちつくす時を繰り返したのだ。
今日は新月の祭り。地界に住む者達の神聖な集まり。同族が顔を合わすための大切な場だ。王族として毅然とした姿を見せねばならない。叫びを上げそうな心地を抑え本日の志向は何であるかと苛立ったが兄の忠告に従い言葉を発してはならないと口を固く閉じた。それでも瞳は衣装箱の蓋が開くと刹那の動きを見せた。
―薄紫色の女衣装―
今回もかと周囲の心を読んだ。早く成人して欲しいと、それも子を産める方へ……。
支度を整える侍女達四人とそれを見守る二人の乳母。父方と母方から抜擢された気品ある侍女達がふた手にわかれてガジョムの身支度を始めた。平等を目的に五十年近く同じ顔が同じ場面を支配していた。
早くに成人した兄は良い。いつ成人するか分からないガジョムはいつまでこの修業が続くのかと思っていた。
地界の地の一族は中性体なのだ。同じ地界の海の一族は生まれた時から性が決まっているが、地の一族は違う。時がくればどちらかに変化する。しかし、変化せずに終わる人もあるかもとガジョムは嫌な予感が脳裏をよぎった。それは、ガジョムの顔にはっきりと現れた。
「姫様。本日のお召し物がお気にいられないのですか」
母方の乳母がガジョムの表情が一瞬変わったことを見逃さなかった。
「若様はご機嫌麗しゅうございます」
尽かさず父方の侍女二人が声を揃えて言った。
ガジョムの脳裏は十代の頃の最悪の記憶を今も鮮明にしまい込んでいた。それは襟を閉めた紐がきつかったことで始まった。父方が選んだ衣装を母方が着せ替える。その単純な仕草が壮烈な口論を生むとは思わなかったガジョムは不満を口にした。
祖を同じにする父と母は敵視する家系にあったのだが同じ満月に目覚めお互いを意識して結ばれた。一族が愕然としたことは間違いない。同じ満月に目覚めた者達が沢山いる中で特定の人をどうして見極められるのかとガジョムは兄にしつこく聞いたことがあった。
感じると笑顔を見せその時が来たら分かるのだと言うと兄は口を噤んだ。
兄の妻になった人は同じ地の一族だ。地の一族は、別名沈黙の一族とも呼ばれるように森海の薄暗い地上と地下の奥深い領域でひっそりと暮らしている。王都からはかなり外れた北の辺鄙な森でひっそりと暮らすその女人と祭りでも無いのに兄はどうやって巡りあったのだろう。呪い師になった今もそれは疑問だった。
疑問より目前の難問。目前では目的から逸れた口論が始まっていた。
「姫様の真っ白い肌には赤い色が良く映えます」
「いいえ。若様は緑色の瞳と同じ色の耳飾りがお似合いでです」
これを終わらせねば先へは進めない。ガジョムは真珠の耳飾りを指さして強く言った。
「私にはリュージュアと言う名があります。命じます。これからは、リュージュアと名で呼びなさい」
敵視する女達の戦いはこの言葉で一旦終止符を打った。
「はい、おおせのままに。代四位継帝リュージュア様」
名の前に余分な物がついてはいるが良しと頷いたガジョムは、また無言の境地を求めるように無動に立ち尽くした。
心を殺したように無表情で無動に立ち尽くし無窮の時を置く。その心境が呪い師の信念と同じだと感じた二十才の時、血族の止めるのも聞かず呪い師の門を叩いた。
「もっときつく締めた方がお似合いですわ」
言葉がガジョムの瞑想を割った。支度は仕上げに掛かっていた。
「そうですわ。この服には、腰の細い方がよろしいですわ。もっと締めて…」
「何をおっしゃいます。帯はゆったりと締め腰で止めるのです。この服は歩く時裾が揺れて優雅をまします。この方が若…リュージュア様にお似合いです」
ガジョムの前で向き女達の顔が、恐ろしい予感となって背を震わせた。ここ数十年平穏に過ごしてきたこの時間が悪夢の時となるのか。このまま目覚めることを知らず千年も生き続けたら…と蒼白の顔が声を放った。
「おやめなさい。私はビゾリエ様に会いに行かなければなりません。急がなければ式に遅れます」
侍女と乳母等の憤然の顔貌が一変した。
「ビゾリエ様に…」
侍女達はそそくさと自分達の仕事に戻った。それはガジョムの発した声ではなく、呪い師ビゾリエの名の賜物だった。
魔法の言葉より効き目がある。そう思ったガジョムは自身が呪い師だと何故か気づいた。何故気づかなかったのかと首を捻った。そして腰帯をきつく締められそうになった時、右の食指で空に円を描いた。
「帯はいかが致しましょうか」
侍女の一人がガジョムに聞いた。
「いりません」
「なりません。それは…」
乳母の二人が同じように叫んだ。また食指が動く。
「おおせのままに」
乳母は震える手で腰帯を外すとそのまま後退った。
胸元から二重になった薄衣の服は風を受けると空を飛ぶ羽になる。そう思った心が風をおこした。
広げた両腕の下で衣がはためいた。大いに満足したガジョムは両手首を縛っていた紐を解き長くたれた裾をつくった。はためく服に似合う袖が出来た。満足気に鏡を見詰めていた心が憂える心地を揺らした。何か物足りない。ふと顔を隠す頭巾がほしいと思い付いた。頭から長い髪を隠す頭巾。色は黒。
ガジョムはこれほど呪い師になれて良かったと感じたことは無かった。黒一色に染まった姿。満々の心地を抱いたガジョムが踵を返そうとした時、母方の乳母が叫んだ。
「姫様。いけません。そのお姿で外をお歩きになられては」
「私は誰に会いに行くと言った」
「ビゾリエ様に…」
「ビゾリエは何処にいる」
「地底講堂の中‥」
「お前は行ったことがあるのか」
乳母が首を振った。ガジョムは後の五人を見た。その中の一人がおずおずと口を開いた。
「私は行ったことがあります。占ってもらうために…」
「どんな所を歩いた」
「暗く湿った迷路のような通路‥上から滴り落ちる雨のような水滴…壁をはう虫達‥」
「私の髪に虫がはい、顔に雫が掛かっても良いのか」
「それなら。ビゾリエ様をこの場所へお連れされては。直ぐに使いを」
父方乳母が頭を更に垂れて言った。
「私は誰だ」
「代四位継帝。リュージュア様」
一同声を揃えて言う。
「意見するのか」
「とんでもありません。拝するお方を見失います」
乳母達六名は頭を垂れるとそのままの姿勢で後退った。
扉が静かに閉まるとガジョムは両手を高く上げ手を叩いた。今まで脳裏の隅に追いやられていた記憶が新しく塗り直された。地下へ降りるために上着が欲しかったわけでは無い。我を通したかった。
末席にいるが王位憲章者。王族に生まれて良かったと清々しい気持ちになった。そして、自身の内面が大いに変わったと気づかず握った杖で床を叩いた。

4 水鏡の予見



天界と地界。この二つが太陽を中心に向き合った世界を創っていた。天界と地界は普通交わる事が無く行き来出来ない。鳥族を除いては……。
だが、世界を作る源は時折不思議を生み出す事がある。月が生み出す陽炎。三年に一度満月の夜。この時、天界と地界は一瞬触れて離れる。それは異種族同士の恋が生まれる瞬間を作るのだった。

ガジョムは本心自分の未来が怖いと感じた。
恋とは無縁のガジョムは目覚めの相手より気になるのは……。
「お子…。貴方様のお子…」
ビゾリエは不審な声で頭巾が隠す顔を見た。赤く膨らした唇が見えた。
「そうだ。俺にも子供が持てるか聞きたい」
男言葉が板についてはいるが、首の細いガジョムの声音は女人に近い。
「なにゆえ、そのようなことを聞かれる」
「予見を受けてならぬか」
「予兆があれば…」
瞬時顔を覆う頭巾が消えた。王冠を戴いたきらびやかな姿を晒したガジョムがいた。その俯いていた視線が空に揺らぎビゾリエをとらえると言った。
「もう一つ、見てほしい」
真剣な眼差しがビゾリエから離れない。
「目覚めても呪い師でいられるか」
心底知りたい。眼差しがそう告げていた。夢遊の業を使い天界にいるガジョムが幻では無い実態で風を掴みたいと願っていると感じたビゾリエは水を満たした大樽の前に立った。そして、導いたガジョムに聞いた。
「一番の願いを言いなさい。王族でもなく呪い師でも無い貴方様の望み」
「私にも、目覚めの日がやって来るのだろうか」
「ああ。目覚めない者はいない。必ず目覚めはある。気づいたら契る相手の横に立っている。永久の時から地の一族は目覚めて相手を知るのだと心得ている」
「でも、子供を授からなかったら…」
「では、写そう。貴方様の望み」
樽に視線を向けたビゾリエはゆるりと両の手を広げて水を覆った。その指の下に白い蒸気が漂い水面を消し去った。
しばらくして蒸気が消え去ると銀色の水面が現れた。
水面から業を試みる両の手が遠のくのを待ち構え水鏡を覗き込んだガジョムは小さな声を漏らした。
―いた― 漆黒の髪を風に晒す姿。場所は天界だ。ライジェリアス号にいるのだと見取った瞳が更に先が見たいと真剣に水鏡を睨む後ろから声が飛んだ。
「兄者。難事があったのか」
声の主はビゾリエの弟子の一人ヒルドだ。
その声に瞬時、瞳を閉じたガジョムは何でこんな時に現れると怒りがこみ上げてきた。
拳を握りしめ邪魔された苛立ちを震える肩に表し眉間にしわ寄せてヒルドの顔を睨むが、いつもの笑顔が悪びれる様子もなくビゾリエに挨拶すると隣に立った。
ヒルドは弟子入りも早く年長なのに何故かガジョムのことを兄と呼ぶ。そしてガジョムが地下に降りると必ず現れては、用も無いのに肩に手を回してはじゃれついてきた。今もそうしようとする仕草を感じたガジョムは頭上にある冠を指さした。位を与った印。
「ああ、黄金の櫛ですね。とても良く似合う。今日は銀色の髪が一段と輝きを増して私の行く手を示してくれた。闇に迷うことなく貴方の元へ辿りつけた」
そう言ったヒルドはやはりガジョムの肩に手を回してきた。その手を叩き落としたガジョムが声を上げた。
「これは王位憲章者の証。拝する方の印だ。尊敬の意を表せ」
「いくら俺が平民だからって馬鹿にするな。王冠だろ。櫛の上に数えきれないぐらい乗っている赤い珊瑚が四位の位。お前は真珠が似合うんだから兄君の冠と交換したら…」
「そんなことしたら、叔父貴の蛍石まで載せられる」
声を荒げた態度から心底嫌な役割なのだと感じたヒルドは水鏡を指差して言った。
「平民と契を交わせば爵位は没収だ。ほら、見てみろ。僕らの子供が写っている」
はっとしてガジョムが樽を覗き込んだ。
ライジェリアス号だ。船の帆先。赤ん坊を抱いたガジョムが笑っていた。
「俺にそっくりだ。早く、目覚めの日を迎えたい」
そう言ったヒルドはガジョムの肩に手を回し頬に口付けしょうとした。刹那、頬に平手打ちが飛んだ。怒気を表したガジョムがこれ以上はない勢いで叫んだ。
「俺に触るんじゃない。この衣装を着せられるのに四時間も立たされていたんだぞ。四時間だぞ。いつもより二時間も短縮してここに辿り着いたのをまたあそこに立たせる気か。さわるな。乱すなー」
いきよいよく床に倒れたヒルドは頬を抑えながら立ち上がった。そしてガジョムの顔を指すと言った。
「乱れているよ。前髪」
前髪が一筋たれていた。髪に気づいた甲高い声が叫ぶ。
「お前なんか。嫌いだ。この世界でダダ二人だけしかいなくてもお前とは契らん」
「お前、呪い師だろ。髪ぐらい自分で直せ。ほら」
一筋前にたれた髪を指に絡ませたヒルドは短い言葉を呟いた。すると乱れた髪だけではなく両側に流れるようにしなだれた鬢髪までもが三編されて花びらのように冠の端を飾ざった。髪の変化に気づいたガジョムは両手で髪を確かめ心を和らげた。しかし、ヒルドの言葉が逆撫でた。
「目覚めたら嫌いな相手でも好きになるらしい。お前の親、そうだろう」
「親…。王と王妃だ。…」
と、叫んだガジョムだが言葉が続かない。乳母達の態度でわかる。父と母は犬猿の中だった。ガジョムの心が今度は沈み込んでしまった。
この二人の遣り取りの間ビゾリエは黙って水鏡が映し出す光景を見ていた。それに気づいたヒルドが声をあげた。
「俺達が目覚めたら誰と契るか見せてもらおうぜ」
そう言ったヒルドはガジョムの手を取った。しかし、取られた腕を振り払ったガジョムは、
「嫌だ」
と、言葉を残して消え去った。
神妙な心が現れたようにガジョムが消え去った場所に残存が残った。キラキラと輝く空気の層が消え去った人影をつくっていた。ヒルドはそれを撫でるように片手を伸ばすと消えてしまった。
「目覚める前はかなり不安定になるものなのですね」
ヒルドは独り言のようにそう呟いた。
「満月が近づくに連れ安定し目覚めを感じたら相手を得るまで眠れなくなる」
ビゾリエも独り言のようにそう言葉を返した。
「老師。そんなに心配されなくても…。予見の通り我君に生涯お仕えする心は変わりません。世界の均衡が破れ異境の大地に投げ出されても背負った予見に準じます」
「頼む…」
水鏡から眼をそらさないビゾリエが何を見ているのかと覗き見たヒルドはうわぁーと声を上げのけぞった。

5  代四位継帝の目覚め

 
地界に住む者達は満月の夜に目覚め伴侶を得る。目覚めることを成人したと言う。地の一族は両性体ゆえ、どちらかに変化するか分からない。いつ目覚めるのかも分からない。分からないからこそ目覚めることへの期待は大きい。

呪い師の長ビゾリエが弟であるライラッス王に密かに告げたのは代四位継帝の未来だった。
地下壕堂の狭い一室、突き出た岩椅子に座る二人は顔を寄せあってヒソヒソと語っていた。
「本人は…」
「目覚めの日まで気づきますまい」
「相手は地界の者か」
「いいえ」
ビゾリエの表情は暗い。長着の裾で握り締めた両手を隠し膝の上で頬杖を付く姿に覇気が無い。良き予見では無いと感じたライラッスは顔色を変えた。そして、怯える声で言った。
「まさか。鳥族」
神出鬼没の鳥族が乙女を浚いに来る事は少なくなったが無いとは言い切れない。自由奔放に地上で遊ぶ我が子が呪い師とはいえ、鋭い爪と風の翼を持つ非道な一族に襲われる可能性が無いともいえない。攫われやしないかと不安が胸に張り付いた。
「いや。地帝との調停がある以上鳥族は地界の者を襲うことは無い」
その言葉で不安は消え去ったが陰りが残った。
「地帝か・・・。今年は厄介な年回りだ。だが目覚めの日を迎えるのであればまずはめでたい」
そう言ったライラッスは相手はと聞いた。瞬時強張った顔がしばらく考えた後、首を振った。
「わかりかねます」
二人の密談はここで終わった。

さて、ヒルドの方は水鏡が写した喫驚の事実をガジョムの兄である第二継帝シアンに自慢げに語った。
第二継帝は叔父である第一継帝へ。それは彼等の婦人へ、婦人は侍女へ。城内はこの噂話が広まるのに小一時間は掛からなかった。
「ビゾリエ様が予見された」
「代四位継帝様が成人される。そして五人のお子に恵まれる」
噂話には尾鰭がつくのか。城内を一周した噂話がライラッスの耳に届いた時、ビゾリエの予見が一変していた。
「ビゾリエ様が予見された。代四位継帝様は五人の伴侶を娶られ十人のお子を抱かれる。お子は継帝であらされる」
喫驚のビゾリエとライラッスは二人の密談を聞かせてやりたくなった。だが、それは止めた。
これは地の一族の願いだと二人は思った。地の一族は長寿であるが子に恵まれない。一人か二人、異種族婚を持って三人の子を得られる。ビゾリエの妻は名もない海の一族だった。そのため爵位を返上し弟に王位を譲り三人の子の父となった。だが悲しいかな短命種の妻は子供達の成人を見守ると直ぐに亡くなってしまった。それからビゾリエは二度目の妻を得た。地の一族の妻だ。ガジョムは思う。それならはじめから二人が目覚め四人の子供に恵まれた方が良いと…。

さて、周り巡りビゾリエの元に戻った代四位継帝の未来。その噂を聞きつけた地上二階地下三階造り水晶宮殿に住まう者達はもちろんホルトログ各地に散らばっていた呪い師達も大広間を埋め尽くした。それだけでは無い。伝達係の森の精フルールも各地から祝伝だけでなく疑問苦情を持って浮遊していた。はっきり言って、大混雑の水晶宮は新月祭ではなくなっていた。
王妃であるリュージュアの母ジルは王であるライラッスに詰問した。
「この乱れ飛んだ噂話は何なのですか。直ぐ様噂の根本を正しなさい」
ジルが眉間に怒りを表し鋭い声を上げる元は飛び交うフルールにある。フルールは光玉だ。彼等同士が揺れると爆音爆光する。大広間に立つ人の間をごちゃごちゃと飛び回るフルール達の擦れ合う爆発はとてつもなく迷惑な習性だった。それだけでも何とかしたい。伝令を渡し群がるフルールを一掃しなければ混雑が暴動へと発展する。

ビゾリエとライラッスは地下壕堂の水鏡の前へ慌てて立った。
「何という厄介な噂が飛び交ったことか。噂の元を作った犯人を探し出して鳥族の餌にしてやる。継帝の価値をなんと思って軽々しく噂の種にするとは・・・」
ビゾリエは彼の名で広まった噂を撤回せねばならない。不満が口を吐く。
「それより本当は知っているのだろう。伴侶となる相手の正体」
ライラッスは水瓶を睨み付けるビゾリエを突きながらそう聞いた。
「いや、知らぬ」
即答が好奇心で高まった胸を消沈させた。そうかと息を吐いた声が胸に支えた思いを呟いた。
「誰でも必ず訪れる日なのに、これほど注目されるとは…」
水鏡に波紋が広がりガジョムの姿を揺らしていた。ビゾリエは両の食指を水面に立て業を鮮明にしようと試みたが波紋は更に広がり銀の水面が透明の水に戻ってしまった。
顔を見合わせた二人はしばらくの間無言であった。不思議と気の合うこの二人は一つ違いだ。そのためか、お互いの考えている事が良くあたる。
―まずは、フルール―
水瓶を見詰めていた二人は顔を上げた。先に口を開いたのはビゾリエだ。
「当たり障りのない勅語を持ち帰れせる。ひとまず上に行き王妃の機嫌を取り戻したら、新しい水鏡で占ってみる事にする」

リュージュアの兄である第二継帝シアンは妻と第三継帝である我が子を抱き大広間のバルコニーに立った。もちろん継帝の証王冠を頭上に載せ満面の笑みで眼下の騒ぎを少しでも沈めるために家族で手を振った。そして現れた叔父第一継帝と大げさな抱擁を繰り返しながら言った。
「南の樹海の領主になられるとお聞きしましたが継帝の返上はなしですよ。この場が寂しすぎる。奥方様もお子様方もお美しいゆえこの場が寂しくてならない。領主殿の喪明けが待ちどうしい……」
「もちろん、民のために尽かさねば…。妻子もこの場に立つ名誉を誉と思っている。だが我妻は一人娘。領主の座を継がねばならない。仕方の無いことだ」
「そうですね。いつ妻方の爵位を継ぐか分からない。私の妻も北の樹海の領主の子。どのような立場になるか……」
二人はにこやかに顔を見合わせ目下に手を振った。その二人の片手には木片が握られていた。肩幅ほどの長さがある木の根っこ。色も太さもお互い違うが確実に呪杖だ。継帝と称される者は必ず呪い師の門を叩いていた。そして密やかに業師に成るために心身を鍛えていた。が、リュージュアのようにはっきりと宣言し大ぴらに活動した継帝は今までいなかったのだ。そのためか代四位継帝の人気度は高い。
呪杖を手にした二人は見晴らし台に現れたライラッスに中央の席を譲るとすみやかに天幕に身を潜めた。そしてライラッスの言葉を聞きながら、両の手に握った呪杖に呟いた。
「代四位継帝は次の満月に成人する。今月は真夢月故にホルトログの大地に異変なきようにフルール達に限界令を言い渡す。各地に散り危険を察知せよ」
ライラッスのその言葉で大広間から溢れ宮殿内にいたフルールの大半が消え去った。それだけでなく呪い師の大半も消えていた。
安堵したライラッスは弟と息子を振り返り顔色を変えた。にこやかに笑う二人がいた。だが実体ではない。二人に出し抜かれてはならないと笏を呪杖に持ち替えたライラッスは言葉を放った。

6   リュージュアは暁月、妻は五人


ホルトログ大陸に住む地の一族は彼等の王宮を水晶宮と呼んでいた。水晶宮は今の所地上二階地下三階の宮殿である。大陸の中央にある小高い岩石の内部を、削り取りながら掘り進み続けている。
沈黙の一族と言われる彼等は地下を根城としていた。鉱石を精製・錬金する巧みな手業を生業としていたからである。金銀銅、水晶鉄石炭・・・。地中に埋まるすべての鉱物が、彼等の手に掛かれば全く別な物に生まれ変わった。彼等は地下から溢れる毒水を清水へと生まれ変わらせる技術も持っていた。そして何より優れているのは―――。

地上に顔を出す水晶宮の地上二階部分には大小様々な窓が付いた小部屋が幾つか並んでいた。
その一室にガジョムはいた。外壁の壁全体が窓となった小部屋。昼であれば深緑の森が草原のように眼に写り、高くそびえ立つ山脈が白く霞んで見えるはずだが、今は夜陰の窓から天空に上がった新月の細い輪があるだけだった。
真っ暗な空に金糸で縫い込んだような月。一人静かに見上げていたガジョムは、胸が何故か締め付けられる不思議な感覚に眼をうるませた。
「リュージュア。皆が待っている。姿を見せなければ母上が心配される」
忽然と現れた声。待っていたかのように清涼な声でガジョムは答える。
「兄上。同じ月が天界も地界も照らすのに何故行き来出来ないのですか。我らは天界の人を知るのに天界の人は我らを知らない。天の一族は自由に二つの世界を抜けられるのに我らの一族は何故天をまたげないのだろう」
窓に面した長椅子に座る後ろ姿は振り返る事無く窓の外を見ていた。
「謎があるから人はそれに脅威を感じ、畏敬と畏怖で自然を見つめる。自然の中に調和出来ず孤立した彼等は壊すことは得意だが生み出すことは不得意。そして短命で脆い…。だから、守りの鞘が必要なのだろう」
知らないことが幸せなのだと、静かに語るはガジュムの兄シアン。整然と座る姿が嫌に暗いと感じたシアンは俯いた顔が瞼を抑える仕種に瞠目した。つかさずその顔を覗き込んだ。そこには涙を溜め気だるさを表した面があった。シアンは即座に呪杖をかざしていた。
彼の単純な業で眠りに落ちた事を確かめた顔が曇った。奇妙だと感じた。目覚める前の変化とはだいぶ違う。心の病ではなく身の病だと感じたシアンは声を発した。
「ヒルド。そこに居るのだろう。姿を見せて命に従え」
一陣の風と共にヒルドが現れた。手に長い呪杖を握り真剣な眼差しをシアンに向けると一礼した。
「代四位継帝の影を命じる。広間の見晴らし台に立ち笑顔を振りまけ。だが喋ってはならん。喋りはジル王妃に任せるのだ。彼女以外は皆影だ。皆多忙ゆえいらぬ騒ぎは遠慮願う。分かったか。それなら代四位継帝の名誉のために口を閉ざせ‥」
行けとシオンは首をしゃくった。その眼は鋭く継帝に選ばれただけに射竦める強さがあった。ヒルドは喉を鳴らすと後退るように消えた。
シアンは長椅子に居るガジョムを見た。瞳を固く閉じて寝ていた。シアンは今までこれほど無防備で寝入る兄弟の姿を見たことが無かった。全身で喜びを表し快活に動き回る性質は、休むことを知らず地を駆けまわり人中に入り、祭り騒ぎを起こし細やかな事で涙した。それが愛おしくてならず天界に興味を表した時も止めなかった。自分の主義を通す生き方を誇らしいと思っていた。今やつれた姿を眼にしたシアンは止める時が来たのだと感じた。

さて地下二階、迷路のような地下壕にあるビゾリエの工房。押しかけた第一継帝プリウスは長兄ビゾリエを前に言った。
「もしかすると地帝の悪戯かもしれん」
「悪戯・・・。リュージュアの目覚め自体が、地帝が作った幻か」
ビゾリエは否定するようにプリウスに問うた。
「地帝ならやりかねない。弱冠二十歳の若造のくせに、魔術だけは父親譲りの老巧の使い手だ。あの鳥族の王ギルバーヂアでさえ彼を恐れる」
声を張り上げるプリウスは大広間の見晴らし台に自分の影残し即座に長兄ビゾリエの部屋へ駆けつけた。彼の胸が占める疑問は、第四継帝の成人と蔓延った風聞。
「我らがリュージュアの目覚めを待ち望んでいる以上に、地帝も待っている。彼は魔導師。まやかしを見せられているのかもしれん」
その髭を震わすその濁声に導かれて姿を表したのは地の一族の王ライラッスだ。
ライラッスは兄と弟の遣り取りの輪に入るために声を上げた。
「鏡だ。水だ。兄上、占ってくれ」
「そうだ。もう一度見てくれ。リュージュアの未来を。本当に暁か。五人の妻を娶り十人の子供を得るのか」
プリウスは真剣な顔付きでそう言った。ゲッと叫びそうになったビゾリエはそんな絵空事を信じているのかと怒り出した心中を抑えた。それでも瞳が鋭く光ったのを捕らえたプリウスは、
「やはり、地帝の悪戯…か」
と苦虫を潰した顔をなでた。
「地帝では無い。お前等の傑作じゃ。人間の男じゃあるまいし、何故に五人も妻がいる。一人で十分。お互いを慈しみあえる真実の伴侶は一人だ。わしのように寡夫になればどうしようもないがのう」
ビゾリエはふてくされた顔で配色を見せた二人を睨んだ。そして杖を握った腕を戸口へと振った。

 新たな清水を求めて通路を隔てた隣の小部屋へと移った。そこは巨大な岩をくり貫き部屋を作る途中にある。正方形に掘り抜かれ磨かれた天井とは違い、床は瓦礫が散乱し岩盤が突き出たままになっていた。作業途中で放おって置かれたのであろう。それでも部屋の中央で水の滴る音がしていた。三人は水の溜まった岩の割れ目に眼を止めると頷きあった。そして水の湧き出るその場所に腰を下ろした。
いい場所だと三人はつるりとした壁を撫で、そこに嵌めこまれたように床から低く突き出た岩棚に出来た水たまりを囲んだ。
地の一族は長寿だ。二百年以上の時を生き、その自らの体験を鮮明に記憶出来た。この地の一族の最も優れたものは脳裏が持つ莫大な記憶である。見聞きしたすべての記憶を分類して脳裏の奥、迷路のような記憶の宮にしまい込み必要とあれば即座に引っ張り出せた。しかし彼等はこの能力を卑下していた。それは、鳥族に絡んでいた。千年程前に起こった鳥族の反乱。地の一族が持つ記憶が仇となった。
その時から、要らない記憶は消し去ることが一番だとされた。人間のように年を取るごとに記憶を少しずつ消し去り自分は年を取ったと周りに知らしめる。それがとても良い生き方だと。
ビゾリエとライラッスはすでに百才を越えていた。末弟のプリウスは彼等とは二十ほど歳が離れていたが年の差を感じた事が無かった。だが、二人の兄達を前にしたプリウスは彼等の頭上にふさふさしたものがなくなったと見て取ると自慢の髭を撫でた。顎を隠す髭は同じ色艶に同じ毛並みでふわふわと胸まで垂れていた。それは三人を兄弟だと示していた。弟と同じように髭を撫で付けたライラッスは息を吐くとビゾリエに聞いた。
「本当に目覚めが訪れるのか」
「あのような感情の乱れは変化を前にして起こるもの。違いなく目覚めは今月・・・」
「今月…」
即座に渋面を呈したライラッスとプリウスが同じように呟きを漏らした。見つめ合う三人の面持ちにはっきりとした影が差した。
「今年は三年に一度の‥真夢月…」
プリウスは身を震わせ小さな声で言った。
「地帝の魔が冴える日だ」
ライラッスもそう言うと祈るように両手を組んだ。そして今度は語気を強めて言った。
「もし花月ともなれば、地帝が黙ってはおるまい」
そうだとビゾリエは頷く。だからこそ予見の業を使うのは、地帝の魔手が届かない地下の奥深い密室で行ったのだ。だが、それが漏れた。
ビゾリエは動きを止めた。思い当たる人物がいた。
弟子のヒルドだ。彼が噂を流した。地上近くではびこった話が地帝に感づかれたことは確か、とすると。ビゾリエはニヤリと笑った。
「噂とは面白いことよ。事実をねじ曲げて真実を隠す。これほど見事な逸話は無いな」
その満足そうに笑う顔を驚いたように見入ったライラッスは怒りに満ちた声を震わせながら叫ぶ。
「亡霊兵士アクタがここへ攻め込んでくるやもしれないのに兄上は何故笑っていられるのですか。地帝は魔術師だ。我らが太刀打ち出来るはずがない。力ずくで浚いに来よう。地帝が我らをあざ笑うために魔を使ったとしたらこの水晶宮は……」
「地帝が恐ろしいなら、花月と偽って地帝の元に嫁がされては…」
とビゾリエ。
「馬鹿な。黒の城へ我が子を差し出すなどと。沈黙の一族の謂れが泣く。我らはどんな困難に会おうと耐え忍ぶことを誇りとする種族だ。地帝の脅しには屈せぬ」
「その通りです、兄者。一族の象徴である継帝を差し出すなどと。黒の一族に屈した事になる。ホルトログの大地が地界から消え去る事になったとしても屈服することは無い。我らには古代から続く大地の守護がある。大地が我らを見放さない限り、種族の誇りと血の絆を守りぬく」
ライラッスに続きプリウスもきっぱりと言い切った。
「その意気じゃ。心配するな。我ら呪い師が命をかけて、地の領域にはアクタ一匹通しはしない。森の精フルールも警戒を怠ることはない。彼等の習性が危険を感知してくれる。だが、優秀なフルールを何匹か手元においておこう。さすれば、城の備えは万全じゃ‥」
ビゾリエは楽しそうに顔を綻ばせると両手を擦った。この目前で両の手をすり合わせる仕種はビゾリエが真剣に何かを思い巡らしている時の仕種だ。脳裏が深い思考にあり興味深い何かを反芻していると。この仕種が止まったと見るとライラッスが口を開いた。
「暁か、花か、予見は何を指した」
その顔は真剣そのものだ。喉を鳴らしてビゾリエを直視していた。
暁月と花月。中性体の身が目覚め男女どちらかの性を得る。暁は男を指し花は女を差す。成人したガジョムがそのまま継帝を維持するかよりどちらの性を取るかの方が興味津々であった。
「先の水鏡には映らなかった」
と言ったビゾリエは居住まいを正すと決められたように左右に座る二人を交互に見た。それから目前の場所に視線を移したが、直ぐに目下の清水湧く四角い堰板を指でなぞった。
「リュージュアは目覚める事の不安はかなり大きい様子だ。先ほどの水鏡に余韻を残していたらしい。それが波紋となって業を消し去った。今度は確かだ。リュージュアの憂鬱を取り去るためにあの子の未来を写し出せ」
三人は同じ心で水鏡を見詰めた。だがいくら待っても鏡はガジョムの姿を写さなかった。
「何故だ。予兆が無い。確かに先の鏡は双子を抱くリュージュアを写した」
「双子。リュージュアの子は双子なのか。それが事実ならば相手は海の一族」
ライラッスが喜びの声を上げた。
「では何故見えないのですか。兄者。やはり、地帝が魔を放って事実を曲げているから鏡が写さないんだ。地帝の悪業だ」
プリウスは身を乗り出し水鏡を指差して叫んだ。眉間にしわ寄せたビゾリエは清水を睨みつけていた。その上に影が揺れた。
すでに座り込んだシアンがいた。彼は水面を見詰めるビゾリエに静かに言った。
「目覚めではなく身の病ではないのか」
「病……」
顔を上げたビゾリエは、目前に対面して座るシアンに真意はと聞いた。
「今、居室で寝ている」
「寝てる」
三兄弟が同時に声を上げた。
「満月では無い新月の夜に…奇妙だ」
ライラッスが首を傾げながら言った。
「心に巣作るものがある。地界では触れたことの無い奇妙なものだ。天界の病魔が身に蔓延っている」
「天界に実体は無い。天界と地界を往来しているのは影だ。影が病に犯されるとは摩訶不思議な…」
ライラッスだけでなくビゾリエもプリウスも首を傾げた。天界と地界には時空の隔たりがあり、たやすく往来出来ない。実体では無い幻を送り込み、視覚と体感を味わい傍観を楽しむのだ。呪い師はその幻を影と呼んでいた。
「影が病に侵さるとは見たことも聞いたことも無いが、兄者達はご存知か」
不審顔の三兄弟はお互いの視線を絡ませシアンを直視した。その顔はリュージュアを写し取ったように極似していた。違いがあるのは髪だけだ。シアンの髪は灰褐色の巻き毛。それを肩で揃えていた。
地の一族は成人してもほとんど体型が変わらない。男と女の体型にほとんど大差は無い。女人化した者が、いかっていた肩をゆるやかななで肩に変え、腹回りの肉を腰に落とし幾分肉付きが良くなるぐらいのものだ。それ故、成人した男女は髪型を変える。男は肩で髪を揃え、女は肩を細く見せるために髪を結い上げた。成人前の者は長髪を伸びに任せていた。
強い眼光を受けてもシアンの面は割れない。真顔が正面のビゾリエを見ていた。
「天界の船に影を送られてすでに一年……。アレクセイは二十歳になられたのか」
「そうです。リュージュアは二十年彼等を見てきた。愛着は一入でしょう・・」
シアンが眉を落としてそう言った。この言葉には深い意味があった。真夢月がもたらした二人の出生。
「天界がリュージュアの身体を蝕むのであればアレクセイと関わることを止める」
「シアン。お前がいくら諭したとしても聞き入れるリュージュアではない。しかし、天界がもたらした病魔となれば話が違う。我らが諭す。それでも従わねば、ライジェリアスを…」
ビゾリエの瞳が鋭く光った。三人は無言に頷いた。
「それより厄介なのは地帝の心。彼の方は若いゆえにリュージュアの気持ちは分からないだろう…」
とライラッスが重い口調で言った。
「目覚めは確かだ。ただリュージュアは身の病に侵されている。満月までに身を清めなければ相手を見出だせず絶望感が身も心も蝕む」
とシアンが叫ぶがプリウスは強く首を振る。ライラッスの方は深く考え込んだ。そして深い溜息を吐き配色を見せた顔が口を開いた。
「天界の病魔が目覚めと見せかけているのか」
「確かに目覚めだ。間違いは無い」
とシアン。対するプリウスが叫ぶ。
「目覚めでは無く地帝の流涎が見せた幻だ」
この口論は夜明けを迎えても続いていた。その間、瞳を閉じたビゾリエは目の前で合わせた両手を擦り合わせていた。
そこへ役目から開放されたヒルドが姿を表した。彼は城内を掛け捲った噂話を知らない。神妙な四人が真剣な顔付きで向かい合って口論した気配が、岩屋に重なる側壁に塗りこまれた水晶の明かりを影のように暗くしていた。その鬱憤漂う気配を捕らえたヒルドはガジョムが絡んでいると悟った。彼は四人の冠者に恐れることなくビゾリエの横に腰を下ろすと水鏡を覗いた。
そこには何故か不思議な物が写っていた。
「コネアの花」
ヒルドの叫びに四人の視線が一斉に水面を向いた。
水鏡には特定の時にしか実を付けない木を映し出していた。人の背丈よりやや高い幹の太い枝に小さな蕾のような葉が枝先を隠すように生い茂る木。その繁茂の枝に掌を広げたような赤い花が見えた。六枚の花びらをつけた真っ赤に燃えるように見えるその花が寄り添うように二輪咲いていた。
「コネアの花は二つ。真夢月は人間を地界に招くのか」
「二つ…ということは招かれるのは女。今度の満月はホルトログの地に人間を招く事になる」
ヒルド以外の四人は二十一年前の記憶を捲っていた。二人の人間が地界へ招かれた。そしてその後起こった悲しい出来事。思い出したくない記憶がやはり鮮明に蘇った。四人は頭を垂れた。
「二十一年ぶりに真夢は人を招くか……」
ビゾリエは呟いた。沈み込んだ雰囲気を感じ取れないヒルドが言う。
「地の一族と人間が交わるのか…。初めてだ。どんな子が生まれるのだろう」
「それは当人同士が考えることだ。それともお前が目覚めるのか。ヒルド」
ヒルドは首を大きく振ると言った。
「まだ、予兆を受けていない。それより、黒の城にある実をどうやって手に入れるんだ」
ビゾリエはニヤリと笑うと言った
「その役を御前に頼む日が近い。さてと、我らは代四位継帝を見舞ってくるか」
「うっ、地帝の城へ乗り込むのか。あの亡霊アクタが待ち受ける城へ…」
「その日は近い。身も心も鍛えておけ。」
この言葉を残してビゾリエと三人は消え去った。これは彼等の本心では無いが、噂の元をつくったヒルドにささやかなお仕置きをしたのだ。
残されたヒルドは座り込んだ。地帝と呼ばれる黒一族の王はまだ座について間もない若輩者だ。それでも地界随一の魔術師だ。亡霊を操り雷と嵐を呼び獰猛な鳥族を怯えさせる地帝。彼に挑む奴はこの世界には誰もいない。それが、俺になるのかとヒルドは背を震わせた。

7  リュージュアは赤彩,重篤です


真夢月は天界と地界が触れ合う日。天界の人間が地界へ引き付けられ帰れなくなる奇怪な現象だった。そして帰れなくなった者達は必ず目覚めた者を伴侶として住み続ける。アレクセイの父アスラも真夢月に引き寄せられ海の一族の領域に紛れ込んでしまった。だが、それが幸福をもたらすとは限らない。しかし不幸だとも言い切れない。

「赤彩だ」
ビゾリエが叫んだ。その一言があっという間に水晶宮を駆け巡った。ジルの部屋にガジョムの二人の乳母と四人の侍女が駆け込んだ。そこには宴を終え窮屈な衣装から開放されたジルが彼女の侍女達と何処で食事を摂ろうかと話し合っている所だった。
「あら、お前達。代四位継帝はまた地下の工房に籠もられたのね。放って起きなさい。もうすぐ成人と聞きました。伴侶を得たなら今までのように自由に遊びまわることもできなくなるわ。それより新しい鉱石が見つかったそうよ。どんな味なのか試したいけど、ちょっと怖いから誰かに頼みたいの」
ガジョムを思わせる面立ちのジルは朗らかにそう言いと、クスッと笑い肩を竦めて見せた。そして胸を押さえたまま荒い息を整える彼女達に眉を潜めた。
地の一族に上下関係はない。公式祭典のための肩書きを背負う者達はその時期だけは煩雑な仕事を熟さなければならないがそれが終われば一階の住民だ。はっきり言って王族に生まれるより平民に生まれる方が気楽に何もすることがない。自分達の趣味に勤しみ腹がへれば地下にある食料を取りにいけばすむ。食べるためにあくせく働くことはない地の一族は気楽に生きていた。
新月の宴を終えた開放感が王妃と日常を共にしている女人達の心を浮き立たせていた。彼女達は床の柔らかな織布に寝そべり声を上げて笑いあっているところだ。カジョムの乳母達は今宮内で駆け巡る異変を口に出来ず立ち尽くしたままでいた。
「さあ、食事に行きましょう」
そのジルの声にガジョムの侍女達がその場に崩れ落ちるかいなや慟哭を上げた。

ガジョムの居室は地下一階の光差さない暗室だが、天上の雲の中にいるような明るさに包まれていた。黒曜石から抽出した艶玉とスワブの手根糸を織り上げた透かし編みの掛布が天蓋寝台を覆っていた。黒色の掛布をめくったその瞬時、ビゾリエは叫んだ。
「赤彩だ。目覚めとは別に赤彩の影がはっきり現れている」
呪い師は薬師だ。ガジョムの寝顔を覗き込んだビゾリエは刹那に死を予見した。そして固唾を飲むと胸からフルールを取り出した。茜色のフルールをゆっくりと身動きもせずに眠っている額に乗せた。ただ呆然と立ちすくむライラッス等三人は問う言葉がない。紅色のフルールが紫を呈し白色に変わった時、シアンが声を上げた。
「死彩……。馬鹿な。そんな兆候は無かった」
フルールの本質は危険を察知する。ガジョムの額から離れ空を浮遊するフルールは白色のまま寝台を照らしていた。白色の明かりは横たわる身体がいつもの桜色に輝く肌色はなく緑掛かった肌色をしているのを見せ付けていた。その肌の色は体内に病魔を取り込んだ時に見せる変化だ。通常であれば薬師が調合した石で病魔を取り除くのであるが、緑がかった顔を見た四人は溜息をつかずにはいられなかった。
確かに顔色の変化が死相を見せていた。
「水鏡に予見が映らないはずだ。このままでは逝く‥」
とビゾリエ。声を詰まらせて問うはライラッス。
「兄者。もう一度予見できぬか」
首を振るビゾリエ。彼の裡では知る怖さがあった。未来を知る怖さ。
「リュージュアは自分の未来を感じていたのか。子供を持てるか気に止んでいた」
そうだろうとシアンはビゾリエに頷いた。そして聞いた。
「地帝も事態を捕らえているのか」
「感じていると見ていい」
ビゾリエはヒルドを呼んだ。

「ただの赤彩でしょう。悪い石を食べてお腹を壊したか。風邪引いたか‥。薬師に任せておけば直ぐに治ります。逆縁騒ぎはごめんです」
ジルは成人すると知った侍女達がその手からガジョムが去る悲しみが大げさな騒ぎを装っていると真剣に取り合わなかった。だが、その場にヒルドが現れ事の重大さを告げられ喫驚した。だが彼女は、気絶するような女では無かった。自ら地下壕へ走り出来るだけの鉱石を呪い師たちと集め始めた。
ライラッスは一家の家長だ。家長は呪い師が行なう治癒の立ち会いをせねばならない。どんな結果になろうと事実を受け止めるためにその場にとどまった。シアンも同じだった。
ビゾリエの手には彩りの鉱石が握られていた。
「この病魔にどの石が合うか分からないが試すしか無い。まずは成人した者が好むこの石を…」
そう言ったビゾリエは一握りの蛍石をガジョムの胸に置いた。蛍石はそのまま胸の上で何の変化も見られなかった。次に黒曜石が胸を飾った。それも変化はなかった。次は水晶。透明・紫・黄色と載せるが気配はない。緑柱石、孔雀石、石炭から香木、更には海の珊瑚に真珠と……。単品では駄目だと分かると石を組み合わせた。
その日から三日三晩、地下に眠る鉱石のすべてを組み合わせる作業を延々と続けた。
しかし治癒の石は見つからなかった。
蒼白の面が土色を呈した時、ビゾリエは首を振った。シアンはガジョムの身体に縋って声を上げた。ライラッスはこの事をどう受け止めて良いかと天上に向かって声を張り上げ、プリウスは膝を崩し床に倒れると地面を激しく叩いた。
「後は地帝に縋るしか無い……」
とビゾリエは言った。
―地帝―
三人の動きが止まった。彼ならガジョムの命を救ってくれる。だが……。命永らえたとしても一生黒の城からは出る事が出来ない。自由奔放に生きる身が牢獄の暮らしに耐えられるのか…。深く考慮するライラッスは銀の髪を撫でるシアンを見た。
「この子は最後まで地の一族だ。ここでこのまま夢を見させてやりたい。新月まで何も変わること無くいつものリュージュアだった。滑稽に侍女達を手玉に取っていた。目覚めを感じていたはずだ。それなのに…何故…」

「何故、何だ~」
と全然違う意味で叫ぶ奴らはライジェリアスの食堂にいた。厨房に向かい大声を張り上げるライジェリアス号の仲間達は今日も元気で空かした腹を満たすために食堂にいた。だが、待てど暮らせどガジョムの姿が現れない。空が朱色に染まる頃やっとその存在が船に無いこと気づいた。そして青ざめた。怫然としたアルグがお気に入りの窓側のいつもの席に座り厨房を睨みつけていた。その顔は爆発寸前である。
それを知らないリンカが腹を満たすために扉を開いた。すると後ずさる仲間達がリンカの横を行く。それも今まで見せたことの無い強張った笑みを見せてだ。その顔の意味……。
リンカは操舵室から転勤になった。ナルも洗濯場から厨房へ転属となった。アルグの食欲を満たすために酢漬けの蓋を開けるはめになった。この悲しい転属が大いなる不満をつのらせ、とんでもない事態を引き起こすのである。真夢月が誘う三日日。誘われた当事者達は楽しい真夢月を過ごすが残された者は……。今はそれを知らないリンカは叫ぶ。
「ガジョム。帰って来てこい~」

帰って来い。ライラッスも叫んでいた。
ビゾリエは部屋を埋める岩石の山を一見した。地界の大地にあるすべての鉱石が積み上げられていた。唯一つを除いて。
もう打つてがないと分かると手が握り締めていた柘榴石が自然と落ちた。
呆然とした心地だけがその場にいる者達の心を包んでいた。ライラッスは一人静かにその場を後にした。ジルにこの事をどう伝えればいいのだと重い足取りで部屋を後にしたライラッスは二の足を踏み王妃の部屋を打扉出来なかった。
無動の時を見つめる中にシアンが呟いた。
「最後の望みは何だったのだろう」
「ああ、叶えてやりたい…」
そう言ったプリウスは土色と化したガジョムの唇に赤い色を差した。シアンは呪杖を両の手で握り締めると元の肌に戻せと強く念じた。が、肌の色は土気色したままであった。
ビゾリエは銀色の髪を結い上げた。そして代四位継帝の冠をガジョムの胸に置いた。すると、冠が揺れた。ビゾリエは眼をこすった。
「食べた!」
三人をかき分けて寝台に駆け寄ったヒルドが叫んだ。ガジョムの胸には冠についていた珊瑚の赤い玉飾りだけが散らばっていた。

8  婿殿は肉に魚に草を食う


「金だ。金」
ヒルドがこの上もないと言うほど喜色を表し床を踏み鳴らして叫んだ。
「赤子が食べる金を食べた。金だ」
ビゾリエ、シアン、プリウスは呆然としてガジョムの胸元を覗き込んだ。金の冠が掻き消え、何位を表す赤い珊瑚の飾り玉だけが薄紫の夜着の上を彩っていた。
即座に消えたヒルドが抱えきれない金塊を腕に抱えヨタヨタと現れた。それを待ち構えたシアンがリュージュアの胸に投げ捨てるように置いていく。瞬時に金塊が消え失せた。
ヒルドの腕から抱えてきた金塊がすべてなくなった。残ったのは小さな塊。ヒルドは彼が握る金の塊をガジョムの胸に置こうとした時薄桜色をした腕が動いた。その指は金塊を摘むと口に放り投げた。むしゃむしゃと動く口が嚥下したかと思うと大きく寝返りをうった。
「満足したようじゃな」
ビゾリエは言った。頷く者達は涙ぐんでいた。
「さてこれから忙しくなるぞ」
ビゾリエは両手をすりあわせてニンマリとした笑い顔をシアンに向けた。その場にライラッスはいない。まだ王妃の部屋を打扉出来ずにいた。それ故、ビゾリエが発した驚く言葉を聞き逃した。
「花月だ。間違いなく、花月。それも、金を食べるほどの花月だ」
「それはどういう事だ」
「赤子が欲しがる物を欲しているということは、その身体が新しく再生されるということ。どんな変化を見せるかは本人次第」
「生まれ変わる……。あたらしい身体に…」
と呟くシアンが息を吐いた。
「私が不用意に眠らせてしまったのが、この騒ぎの原因だったのか……」
シアンは済まないとその場に居る者に誤った。
「気にすることはない。それよりこれからじゃ。コネアの実が必要なのは、リュージュアだ。生まれてくる双子のために」
シアンとプリウスは驚きの声を上げた。
双子を産むのは海族と決まっていたが、地界の者同士の子供には再生の実であるコネアは必要ない。必要なのは、異世界同士の組み合わせの子を宿した者と生まれた子供……。
「するとリュージュアの相手は…………」
「!」
プリウスとシアンは口を開けたお互いの顔を見合わせた。まさかの言葉が口を吐いた。
「忙しくなるぞ。婚礼だ。花月衣装。華燭の典に似合った真っ白な白亜の布と真珠。蜜月に相応しい部屋も必要だ。南側にまだ岩場を残していたな。そこなら部屋が五つ程取れる。あそこを削ろう」
ビゾリエは一人で興奮して、一人で喋っていたが彼を見詰める二人は納得していた。
「純白の布は女達に譲り、俺達は部屋造りだ。暇を持て余している者たちを掻き集め、大小五つの部屋造りに取り掛かるぞ」
それは俺の仕事だと言いたそうなプリウスが大きく頷く。はっと思い出したかのように、ビゾリエが言った。
「それより一番やっかいな事がある。婿殿の食べ物。我らは石を食べるが彼等は雑食だ。肉に魚に草を食う。」
「まるで鳥族だな。何か一つにはならないのか」

その言葉を発したのはプリウスだ。彼はシアンに睨まれ肩を竦めて小さくなった。この場に鳥族の名を持ち出してはならないとビゾリエも呆れたように首を振る。
「華燭の宴だ。婿殿にあったものを出さねば会食の儀が成らん。式が先に進まず破談となったら如何にする。今度は本当にリュージュアが死んでしまう」
「会食は婿殿が整えるものだが我らが用意しても構わなければ今宵、北の領土で狩りする。兎で良ければ何匹か用意できる…だろう」
と狩りなどやったことのないシアンが言った。それに答えビゾリエは言う。
「構わん。構わん。こちらですべて整え婿殿が迷い込まれるのを待とう」

水晶宮はビゾリエの予見で上や下への大騒ぎとなった。今度は、本当だと大きく口を開いたシアンが触れ回った。
女達は真剣に白く輝く布を織った。顔を綻ばせ、寝台を飾るための新しい夜具を選んだ。
男達は愉快に岩を削った。そして慣れない狩りに、悪戦苦闘した。
それから夜景を見上げた男女は会食のために新しいメニューを考えた。

ガジョムは清々しい朝を迎えた。
自分が十日間の熟睡にあったことを知らず、大きく伸びをすると化粧室の鏡の前に立った。そして胸元を止めた紐を緩めて叩けると、俺の鎖骨は綺麗だとにこやかな笑みを浮かべた顔を鏡に写した。それから身体の線を手でなぞり胸の柔らかさを両の掌で確かめ寝間着に張り付くようにある乳首を指で押さえると、うふふと笑った。


花月                       完
                                                  真夢月へ続く

月の巫女~Ⅱ章 花月

月の巫女~Ⅱ章 花月

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-05-17

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 1:ガジョム
  2. 2  妻は食い物
  3. 3  代四位継帝リュージュア
  4. 4 水鏡の予見
  5. 5  代四位継帝の目覚め
  6. 6   リュージュアは暁月、妻は五人
  7. 7  リュージュアは赤彩,重篤です
  8. 8  婿殿は肉に魚に草を食う