二階堂さん家の大家族~真夏の鎮魂歌~
ーかぐや姫。
ある所のお爺さんが竹藪の中で、金色に光る一本の立派な竹を見つけたそうだ。お爺さんがその竹を切ってみると、何と中から、10㎝にも満たない小さな女の子が眠っていたそうだ。子供のいなかったお爺さんは、その小さな女の子を連れ帰り、お婆さんと大切に愛情いっぱいに育てたそうだ。女の子は、【かぐや姫】と名付けられた。かぐや姫は、三ヶ月程で、それは美しい女性に成長したそうだ。その美しさには、誰もが魅了され、帝さへ骨抜きにされたそうだ。が、ある月の15日。かぐや姫は月の都のお姫さまで、月の都に帰る時が来たそうだ。だから、かぐや姫は育ててくれたお爺さんとお婆さんに手紙と着物を、帝に手紙と薬を置いて、天女たちと共に月の都に帰って行ったそうだ。
そんな話だったように思う。そして、そんな話の主人公である【かぐや姫】が自分の目の前にいたら、一体どんな反応をすればいいのだろうか。混乱して暴れるか、はたまた冷静に対処するか。
第一番 『月夜の晩に』
今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。
野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに 使ひけり。
名をば、さぬきの造となむいひける。
その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。
怪しがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。
それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。
「はい。これは最古の物語として有名な、あの〈竹取物語〉の冒頭の部分ね。夏期講習前期最終日に持って来いだわ!そう思わない?私ね、大好きなの、こ・れ!!」
と、どうでもいい様なことを、この蒸し暑い教室で言ってのける古文担当教員。その嬉しそうな笑顔に、暑苦しさが倍増だ。
「で、これを訳してもらうんだけど、誰がいいかしら?やってくれる人、いる?」
偏見ではあるが、国語教師というものは、眼鏡をしていて清楚な服装できれいな敬語を操りきっちりかっちりしているものだと思っていた。小・中の義務教育の中では、そういう人ばかりだった。だが、今目の前いる古文担当教員はどうだろう。夜の相手でも探すような目つきで生徒を見、暑いからとブラウスの第三ボタンまで開け、丈の短いスカートから見せる生足を擦り合わせ、厚ぼったい唇に指をあて、考えているようにしている。本当に考えてはいるのだろうが、どうにも胡散臭い。
「いないの?もう、積極性無いわね。」
あからさまに、がっかりしてみせる。そりゃ、そうである。教員達は涼しい職員室から、担当教科の時だけこの蒸し暑い教室に来て、60分授業するだけでいいのだ。だが、生徒はそうはいかない。この蒸し暑い教室で、60分授業を5コマ行うのだ。それも、一週間。その最終日である今日、5コマ目。誰も体力なんてものは残っていない。積極性を求めるなら、教室にクーラーを設置してからにしてもらいたい。ここは、古い田舎の高校であるため、設備がイマイチ整っていないのだ。
「先生よ、こちとら熱中症で死にそうなんだよ。」
「あら、それは大変ね。中谷君?きっとこれを訳せれば涼しくなるわ、やってくれる?」
「やらねぇよ。」
「できないの?」
「違う。俺の成績くらい把握してんだろ。」
学校一の不良(見た目だけ)であり、一年七組の委員長である中谷明。彼の成績は学年二位である。そんな中谷に、挑戦的な視線を送る古文担当教員である白沢絵李香。
「い・い・え!本来の私は、二年生の担当だもの。一年生の成績になんて興味ないわ。ごめんなさいね?」
「てめぇ」
「汚い言葉を使ってると、見た目だけじゃなくて、本物の屑になっちゃうわよ。」
暑さのせいもあるのだろ。普段の中谷はもっと温厚だ。だが、今は沸点が低く、今にも白沢に掴み掛りそうな勢いである。椅子を倒して、立ち上がり、白沢へと足を向けている。周りの生徒が、掠れたような声で落ち着かせようとするが、逆効果のようである。
「うるせぇ、黙れ。俺にさ」
「今は、昔。竹取の翁という者がいた。」
中谷が、白沢と距離を詰めようとした時、その隣からゆっくりと声が発せられた。その声は、訳文を読み上げた。そして、その声は中谷のよく知る声であった。
「おい、て」
「野や山に分け入って竹を取り竹を取っては、いろいろな物を作るのに使っていた。名をさぬきの造といった。竹の中に、根元が光る竹が一本あった。不思議に思って近寄ってみると、筒の中が光っている。それを見ると、三寸ばかりの人が、とてもかわいらしい姿で座っている。で、どうですか。」
頭に血が上っている中谷は、怒りをぶつける対象を見失ったかのように、大層不貞腐れた顔をしながらその場に佇んでいる。白沢は、少しつまらなそうな顔をしているが、納得した様子である。
「いいわ。後、5分くらいだからもう終わりにしましょ?お疲れ様。中谷君は、二階堂さんを少しは見習ったら?」
「おい、」
白沢は、そそくさと教室を後にした。その後を追おうとしている中谷を男子三人で引き留めている。残された生徒(中谷以外)は、一斉に大きなため息を一つこぼした。
「ガキばっか。」
前期夏期講習も終わり、蒸し暑い教室から解放され、今度は燦々と照りつける太陽の中を帰っていた。
「おい、千歳。てめぇ」
そう言いながら、勢いよく肩を掴んだ。が、すぐに違う手によって頭を叩かれた。
「明、千歳に『ありがとう』でしょ?」
「な、何で、俺が」
「だって、千歳が訳してくれなかったら明、本気で先生に殴りかかってたでしょ?」
肩を掴んでいた手をゆっくり剥がしながら、
「白沢の殴られる姿は見たかったけど、明に殴らせるのはちょっと納得いかなかったんだぁ。それだけだし、謝罪はいらん。」
と小さく笑う。
二階堂千歳・中谷明・岡都美姫は母親同士が幼馴染ということもあって、本人同士も幼馴染である。保育園から現在に至るまでずっと一緒だ。千歳と明は犬と猿の仲で、その二人の仲介役が都美姫で、三人はこれまで成長してきた。そのため、明は都美姫に頭が上がらないらしく、注意されてしまった今は、苦虫を噛んだような顔をしている。千歳は我が道を行くタイプの人間らしく、明と違い、都美姫に頭が上がらないというわけではないらしい。
「その代り、アイス奢れ。」
「はぁぁぁ!?」
「あっ、それ賛成!!」
千歳と都美姫はハイタッチをする。明は千歳の頭を引っ叩いた。
「痛い」
「お前、俺が金欠なの知ってんだろ?」
「おう。知ってて言ってるからな。」
「立ち悪すぎだ、お前。あと、都美姫も賛成すんな。」
すると、都美姫は明の耳朶を思いっきり引っ張った。そのせいで、身長のある明は前のめりになって、つんのめりそうになる。
「もう、千歳のこといじめないの。」
「じゃぁ、お前が俺のこといじめんな!!」
「ひどい!!あたしがいじめっ子みたいに言わないでよ!!」
明と都美姫が言い合いをしている横を通りながら、千歳はのんきに言う。
「俺、ガリガリ君のソーダでいいよ。都美姫は?」
「あたし、コーラ味がいい!!」
「おいっ!!」
いつの間にか帰り道にあるセブン・イレブンの前まで来ていた。三人は千歳を先頭に店の中に入って行った。
「俺の人生って、何の得も無いよな。…はぁ。」
「ため息つくなよ。幸せが逃げるぞ。」
「うっせぇ。」
千歳は喉も渇いたな、と思いながらパック型のいちごみるくを眺めていた。
「ねぇ、今日満月なんだね!」
「満月?ふう~ん。」
その返答に、寂しそうな笑みを返す都美姫。千歳から予想していた返答とは、違う反応が返ってきたようだ。
「興味無さそうだね、千歳。」
「いや、別にそういうわけじゃないけど。いきなりだなって。」
「お団子、美味しそうだなぁって思ったら、去年のお月見のこと思い出しちゃって。それで、今日の月はどうなのかな?って、調べたら満月だったの。」
去年のお月見といえば、明の家でパーティーが行われ、白熱したお団子争奪戦が繰り広げられたものだ。確か、勝敗は50対5で千歳の勝ちであった。
「なるほどな。ほれ。」
「ありがと、明!!」
三人分の会計を済ませた明が、それぞれにアイスを渡した。
「おう。」
明は、嬉しそうに笑った。
「御苦労、明殿。」
が、すぐに苦虫を噛まされたような顔になった。
「必ずお前にハーゲンダッツの高いやつ奢らせるからな、覚えてろよ。」
「無理だな。」
千歳は、ここぞとばかりのドヤ顔である。
「なんだと、」
「だって、明より俺のほうが強いし。」
「はぁ?何言ってんだ、千歳。」
「そんなことより、今日一緒に月見ようよ!!」
「ただいま。」
誰の返事も返ってこない。今は、二階堂家には誰もいない。
「俺も一緒に行きたかったなぁ。一人で行くの、あんま自信無いんだよな、本当。」
千歳は幼い頃、両親の離婚を機に、母子家庭となった。はじめは、寂しかった。本当に、心にぽっかりと穴が空いたようだった。次第に千歳は塞ぎ込むようになっていき、笑顔も消えていった。しかし、それからである。今までは、親の気が向いたときにしか会うことのなかった親戚一同に毎年会うようになったのは。夏休み・冬休み・春休みと長期の休みになると、曾お爺ちゃんの家にみんなで集まって過ごすのだ。それからというもの、だんだんと千歳も明るさを取り戻していった。大家族で過ごす時間が千歳の心を温かく包んでいった。今の千歳があるのも、たくさんの愛情で育ててくれている母と明るく温かな大家族との時間のおかげである。そのため、千歳にとって大家族で過ごす時間が何よりの宝物なのだ。
「あっ、ビーフジャーキー頼まれてたんだった。あぶない、あぶない。」
去年までは母と一緒に行っていたのだが、今年は曾お爺ちゃんの家のある町内会で大きなお祭りがあるらしく、その手伝いに母も駆り出され、夏期講習のあった俺は母とは別に後から行くことになったのだ。なので、明日一番の新幹線で向かう手筈になっている。都美姫から月を見ようと誘われたが、今日はゆっくり休みたかったし、断ってしまった。
“そっかぁ。残念だけど、また今度ね?”
悲しそうな顔の都美姫を思い出すと胸が痛むが、さすがに疲れてしまった。それに、そのあとのことを思い出すと胸の痛みがむかつきに変わった。
“そういえば、恭介さんも来るのか?よろしく伝えといてくれよな。”
“どうなの?恭介さんとは?”
“まだ、気持ち伝えてないの?”
“女の子なんだし、俺っていうのやめたら?恭介さんも、そのほうが魅力的に思うと思うよ?”
“一人称変えたところで、魅力のない奴は変わりゃしない。無駄なあがきになっちまうさ。特に、千歳の場合はな!!”
“お前、意外に恥ずかしがり屋のビビりだもんな。”
“恭介さんは、一人称が私で、美人で、おしとやかで、清らかで、落ち着いてて、少し天然なところがあって、可愛くて、女の子らしい人が好きだと思うぜ?”
“もっと、女を磨いてからだな。磨く女があれば、の話だけどな!”
“まぁ、気まずくならねぇようにな!!”
“だめだよ!!もっと、積極的に攻めていかないと!!取られちゃうよ?いいの?”
と、二人にからかわれながら帰宅したのを思い出し、さらに疲労感Maxである。
「あいつら、俺で遊びやがって。何が、『積極的に攻めていかないと!!』だよ。全く、人の気も知らないで。」
都美姫と明は、それは生き生きとした顔で帰って行った。腹が立つことこの上無い。
「帰ってきたら、100倍にして返してやるからな。」
と、言いつつも、明の言う通りである。ー俺は、ビビりだ。
恭介とは、本家の孫で、後々は跡を継ぐかもしれない人である。今年の春から、大学の門を潜った。口数は少ないが、面倒見がよく、物腰柔らかで、小さい子たちの世話係りをしている。千歳にとっても、兄のような存在であった。そして、千歳を一番気にかけて、温かく包んでくれたのは恭介である。千歳は恭介に返しきれないほどの大切なものを貰ったように思っている。が、中学二年の冬。自分が恭介に抱いている気持ちが世間でいう、≪恋心≫であることに気が付き、兄から想い人へと変わった。最初は、自分の気持ちに戸惑っていたが、都美姫と明の励ましによって、最近自分の気持ちを受け入れられるようになったのだ。
「恭兄も、もういるのかな。…会いたいような、…会いたくないような、」
千歳は、複雑な思いを抱えつつ、明日のための準備をするのであった。
その夜だった。
“助けて”
“お願い”
“月には帰りたくないの”
“ここにいたいの”
“心を失いたくないの”
“お願い”
“助けて”………“千歳”
千歳は、飛び起きた。頭の中に響いた声に名を呼ばれた。そして、驚く間もなく、千歳は部屋を飛び出していた。どうしても行かなければならないような気がして、仕方が無いのだ。どこに行けば良いのかわからないけど、行かなければ。
「行かなきゃ、あそこで、…待ってる。」
あの子が待ってる。千歳には、そう思えて仕方なかった。
二階堂さん家の大家族~真夏の鎮魂歌~
さぁ、始めようか。