殺人者は誰も殺さない

 生きる上で、選択というものは欠かせない。人はこの世に生を受けた瞬間から選択を積み重ね生きている。進むか、戻るか。右か、左か。何を拾って何を捨てるか。そういった類(たぐい)の、多くの選択。時には二択であり、時には三択であり、あるいはさらに多くの選択肢かもしれない。これらの組み合わせによって、人は人生に自由という無限を手に入れた。有限の数の組み合わせから無限が生み出されるのは、数学的にはよく知られた事象である。
 よって、人生には岐路がある。その節その節で選択を迫られる分水嶺が。
 時間が不可逆であり、一方通行で過去から未来に流れるものである限り、選択はやり直せず取り返しはつかない。一瞬一瞬の選択は極端に言ってしまえば人生を左右するものである。
 ちょうど私も今、大きな分岐に立たされている。
 部屋には一切の明かりがなく、窓から入る月明かりだけが室内を煌々(こうこう)と照らす。月明かりに照らされた壁には黒いシミが点々としているが、暗がりのせいでよく目を凝らさなければ血痕だとは気づけない。どす黒い血液をたどって目線を下に動かすと、そこには大きな血だまりと男女の死体に目が行く。大きく見開いた目は虚空を見つめ、あんぐりと開いた口は不平不満を漏らすことなくただ大きく開かれているだけである。
 私は、銃を構える。長年の相棒、MK23を。嘘のように大きな自動拳銃(オートマティック)は、黒光りする巨大な図体でもってその威力を誇示している。
 銃口が向いているのは、ひとりの少女。
 年端(としは)もいかない、か弱い少女。
 彼女の手にもまた、銃。銃口はこちらを向いている。
 護身用のものと思われる回転式拳銃(リボルバー)は、小さいながらも人を殺傷するには十分であろう。

 生きる上で、選択というものは欠かせない。
 私が迫られている選択は二択。
 有名なあの台詞を借りて言うならば、こうだ。

 『撃つべきか、撃たざるべきか、それが問題だ。』

   ◇◇◇

 時間軸を少し遡る。今からおよそ20時間前。
 私がいたのは今と同じように真っ暗な部屋だが、違うのは周囲を照らす青白い光が月光のものでなくモニターのものであるという点だ。外界との接触は私がこの部屋に入ってきた扉を除いてはない。中央には円卓があり、そこに円形に並べられたモニターは全て異なるものを映し出している。
「まるで何かのアニメみたいですね。」
 私は悪びれもせず右斜め前方のモニターに言った。「あれか、」モニターに映る男はうっすらと笑みを浮かべ、ロボットだか人造人間だかよくわからないものが出てくるアニメの名前を口にした。
「今度のターゲットは使徒ですか。」
 私はスーツの胸ポケットに手を伸ばし、そこからタバコを一本取り出して火をつける。私なりのジョークを飛ばしたつもりだったが、男は先程までと同じ表情で、まさか、というだけだった。
「仕事だよ。いつもと同じさ。」
「仕事ですか。いつも通りの。」
 まあ、この部屋に通された時点で気づいてはいたのだが、というのは言わないでおこう。

 さて、少々話が変わる。
 というのも、まるでフィクションのようなこの状況に対する釈明である。
 私は暗殺者である。殺し屋、という物言いは似てはいるが正しくない。私は金で主人が変わる殺し屋とは違い、国家権力という目に見えない主に仕える猟犬である。大まかなくくりで言うと一応国家公務員なのだが、仕事内容は大きく異なる。仕事は「内政的、あるいは国際的に危険な人物、もしくは著しく国家の利益を損なうものの排除」。要は、邪魔者は消してしまえ、という小学生でも思いつきそうな思想のもとに仕事をしている。対象はあるときは政治家だったし、あるときは市民の運動家だった。そういった人間――政(まつりごと)を為す上で厄介な人物――を掃除するのが私の仕事だ。
 そんな仕事あるわけない、と思われるかもしれないが、当然といえば当然のことで。私は今まで両手では数え切れない殺人を犯したが、これらは歴史の表舞台に出てくることはない。報道もされず、周囲に認知されることもない。政府の情報統制能力を舐めないほうがいい。彼らは人知れずその生涯に幕を下ろす。というか、下ろさせられる。強制退場だ。
 ただ、私とてそれは同じだ。
 私には戸籍がない。いや、戸籍上既に死亡している。これにはからくりがある。私の場合は、自衛隊の訓練中の事故死、ということになっている。前任が自衛隊であったし、その方が都合が良かった。同じような仕事をしている輩はほかにいて、私と同じような自衛隊上がり、警官上がりから、若者、老人まで様々である。小さな女の子もいるらしいというのはこの手の話が出るときのお決まりのジョークであるが、私はあまりこのジョークが好きではない。とにかく、彼らがどのような方法で死んだかは知らないが、全員が戸籍上既に死亡していることだけは共通である。まるでウォーキングデッドだ。世も末である。私も、死ねばまた誰にも知られず政府にもみ消される運命だ。やむを得ない。私はそういう選択をしたのだから。
 唯一気がかりなのは、戸籍上死んだ時に残してきた妻と幼い子供である。今でも無事であるという事実だけは伝えられるが、当然、面会などは許されない。私はすでに死んでいるので、当たり前と言えば当たり前だが。

 話を元に戻そう。
 モニターの男が手をかざすと、周りのモニターの画面がめまぐるしく変化する。びっしりと並んだ文字列と顔写真は、どうやら今回の対象を示しているらしい。全部で三人分の情報が、十数個の画面の中に所狭しと並んでいる。
 「男と女、それから、少女・・・ですか。」
 私は少し目線を落とし、感情が表れないよう慎重に声を発する。モニターに映し出されたのは、その三人。おそらく、家族。殺人は慣れたものだが、対象に子供が入っているのは気が引けてしまう。血だまりに捨ててきたはずの心が、何者かに締め付けられているかのように痛む。良心など、仕事の邪魔にしかならないのでどこかに捨ててきたはずだが。
 「そうだ。一家皆殺し、というやつだ。全く、かわいそうなことだ。」
 男は目を伏せて、全く心にも思っていないであろうことを口にした。
 この家族が、あるいはこの中の誰かが何をしたのか、私は詳しくは追求しない。追求したとて煙(けむ)にまかれるのが関の山だろう。
 この中の誰かが、国家から家族丸ごと狙われるようなことをやらかした、それだけだ。
 見せしめの意味を持つ暗殺の特性上、皆殺しはそう珍しいものではない。関係の薄いものも巻き込んで見せることで、その者の仲間や関係者を牽制する。政府が情報を隠匿するが、牽制されたものには確実にその真意が届くであろう。
 そうやって国家に仇なすものを減らしていく。割と効率のいいシステムではあるなと、私は思った。人口の減少も少なくて済むし、なにより隠匿のコストがかからない。

 その後しばらく、私はモニターを眺め続ける。モニターには国家権力をもって調べ尽くされた事細かな情報が載っている。その人物のプロフィールや詳細はもちろん、日常生活の細部にわたって調べ上げられている。何時に仕事に行くだとか、帰宅してからは何をしているだとか、休日は家族で外食をしているだとか。そしてその細かな情報を、一つ一つ頭に叩き込んでいく。他人の私生活を覗き見る趣味は私にはないが、これも仕事だと割り切ることにしている。そうやってすべての文字に目を通してから、再び男の映るモニターに目をやった。
「大体把握しました。もう削除して大丈夫です。」
 うむ、と男は頷き、目の前のキーボードに何かを打ち込む。そしてエンターキーを高らかにタップすると、男の映る以外のすべてのモニターが真っ暗になった。
 「では迅速かつ正確な仕事を期待している。」
 男がそう言ったので、私は国家公務員らしく45°の礼をしてその部屋を退出した。

 さて、時間を少し進めよう。
 時刻は夜。街灯はそこら一面を照らし、太陽が出ているあいだとは異なった表情を見せる。黒い闇に沈んだはずの街が人工の光に照らさて、部分的に息を吹き返す。これを見ると、街の人間がどの場所を必要としているかわかる。必要な部分には明かりが灯され、その他の場所では容赦なく真っ暗な闇が降り注ぐ。そのため、一本でも路地を入ると、ただ月明かりに照らされているだけというのも少なくはない。これも一種の選択であろうなどと、月光の下でぼんやりと考えていた。どこを使って、どこを使わないか、それを選択して徹底するシステム。無駄のないことである。
 ただ、小道も全くの無人というわけではなく、ひっそりと経営するバーから怪しげな露店まで、裏と呼んでも差し支えないような裏社会が展開されている。たとえどれだけ人類が発展し、科学技術や社会倫理が成長しようとも、こういった裏の世界はどこにでもついて回るのかもしれない。
 私はといえば、今まさに仕事へと向かう最中である。人通りのほとんどない小道を進み、今日の仕事先へと向かっていた。本日の仕事場「佐々(ささ)家」は、ここから歩いて十分程度の住宅地の中にある。街灯のさんざめく表路地とは違い、小狭い道をすり抜けてたどり着くそこは、閑静な住宅街で耳を済まさなければ生活音など聞こえてこない。そのため、私は相棒に消音器を取り付けるのを忘れなかった。これがなければ今日の仕事はやってられない。
 怪しげな露店をすり抜けて、私は歩みをすすめる。情報によると今日の夜、佐々一家は外食に出ているはずで、あと数分で帰ってくるだろうという頃である。そこまで急ぐ理由はないが、それと同じくらいに急がない理由もない。特に周囲の人間には目を触れず、黙々と足を進めていた。
 ちょうどその時だった。ちょっとそこの兄さん、と地面に腰を下ろしていた老人に声をかけられた。周りを確認するが兄さんと呼べそうな人物は私を除いていなかった。もっとも、私だってもうお兄さんと呼ばれるような年ではないのだが。
 「そう、あんただよ、あんた。タバコ、タバコ持ってんだろ。一本おくれよ。」
 そうやって老人は私に向かって手を差し出した。手には多くのシワが刻まれていて、見ると髪もボサボサで服装だってだらしない。ホームレスなのだろうか、と私は思考を巡らす。人にものを頼むのに少々上から目線なのは気になったが、特に断る理由もないので、私はスーツの胸ポケットからタバコを取り出すと、箱とライターごと老人に手渡した。
 「おお、お兄さん、ありがとね。」
 そう言って老人は一本を取り出し火をつけた。兄さんがお兄さんに変わったのは彼なりのちょっとした心境の変化であろう。特に言及はしない。
 「ふー、あー、生き返る。」
 彼はタバコをふかし、煙をスパスパさせながら恍惚に浸っている。生き返ってるのではなく寿命を縮めているのだというのは教えておくべきであろうか。私は少し考えたが、老人はそれも承知であるような気がしたので口は挟まなかった。
 「あ、お兄さん、お兄さん」
 老人はタバコを口にくわえたまま私に声をかける。
 「お兄さん、今から仕事だね。それも、大きな仕事だ。」
 どきり、とした。私は動揺が表情や様子に出ないように、体を硬直させた。この老人が、現在の自分に敵対するものとは考えにくいが、最悪の事態に備えてビジネスバッグに忍ばせた相棒までの距離を計る。見たところ、彼の付近に武器のようなものは見当たらないが。
 「いや、そんな、びっくりしたかな。いや、ね、私はね、こう見えても人間観察が得意だからね。」
 老人は驚かれたことに驚いたように慌てている。私はなるだけ微笑んだが、警戒は解かず右手の自由は確保している。最悪、銃口をこのしわくちゃな額に突きつけるために。
 「あの、ね、タバコのお礼。ひとつだけアドバイス。」
 老人がしゃべるたびに、小さな口からヤニにまみれた黄色い歯が見え隠れする。タバコ5本のお礼にアドバイス一つだけとはいささか不公平でないか、という疑問はここではしまっておいた。
 「選ばなきゃないよ、お兄さん。選択しなきゃいけない。」
 得意なのは人間観察ではなかったのですか、こちらは我慢がならずにつっこみをいれた。いつから未来予知の話になったのか。だが老人は得意気に笑った。
 「うん、人間観察。だからね、見えるの。ああ、この人こーなるな、ってのが。雰囲気というか、オーラ、っての? 死ぬ人はホントに、死相が見えるしね。それを踏まえてのアドバイス。あんた、選ばなきゃいけないよ、そして間違えちゃいけない。」
 「自分の人生ぐらいは自分で選んでいますよ。」
 私は老人の言葉を振り切ろうとした。だが老人は眉間にしわを寄せ、少し悲しそうな表情を浮かべた。実際は、これは哀れみだったのだと少しあとに知るのだが。老人は口を開いた。しかしその言葉は、そのたった五音は、それでも私の心に影を落とすには十分だったらしい。
 「―――本当に?」
 本当に何気ない言葉だった。だがその声には明らかに哀れみの色がこもっていた。そして私はといえば、ただ、何も言えずただ、立ち尽くしただけだった。本当です、その数語すら口から飛び出さなかった。そうして私は何も言わずに踵を返し、老人に背を向けた。
心のどこかで、土台が軋む音がした。

   ◇◇◇

静寂のみがあたりを包み、この家の中の光源は月の光のみである。ひっそりとした住宅地に佇む一軒家は、まるでこの家に住む人間が一般人であるかのようである。彼らが国家という巨大生命体を敵に回したとなると、なかなかたくましい想像力を要する。私は意図的に思考をシャットアウトした。いや、しようとした。
 しかし、止まらない。
 思考という文字の羅列が止まらない。
 もはやただの有機物へと化した二つの骸(むくろ)を横に、私の脳みそは、ニューロンの連なりはその仕事を終えようとしない。
 雑念。そう呼ぶのが最もふさわしいだろうか。

 今のところ仕事は順調だ。厚生労働省の役員を装い家に侵入、玄関口に出てきた女を殺害し、リビングで横になっていた男の背中に三発の銃弾を撃ち込んだ。キシュッ、という消音器独特の音がやけに耳が残る。十数年も聞いてきた、既に日常へと組み込まれた音が、今日はやけに耳につく。そうして私は、なんだかべっとりとした感情が私にこびりついているのに気づいた。
 先刻の老人との会話が思い出される。老人の仕草、老人の表情、老人の問うた事。
 選択してきた。今までの人生で、自分の判断で。何を着るか、何を食べるか、好きか、嫌いか。そう、自分で選んできた。
―――本当に?
 そのたった一言が、呪いのように私を締め付ける。本当だ、そういえば済むだけのことなのに。
 選んできたろう、自分で。この仕事だって自分で選んだ。生き方だって自分で選んでいる。
―――本当に?

 ぎゅうっと、銃のグリップを握る力が強くなる。
 血液と臓物の匂いが充満する生臭い部屋を、私は気配を消して歩く。まだ終わっていない。対象はあと一人残っている。あの真っ暗な部屋の、無機質なモニターを思い出した。あの画面に映し出された少女、彼女を殺してこの仕事は終わりだ。余計な思考は仕事の腕をにぶらす。事が終わるまでは、無駄なことは考えたくなかった。いつもどおり、そう、いつもどおりさ。私は私に言い聞かせる。
 いつもどおりだ。殺人する機械になれ。全身の細胞を、組織を、殺人へと向かわせよ。経験を、知識を、思考を、勘を、すべてを用いて引き金を引け。そこに疑問が割り込む余地はない。
 私の全てを駆使し、殺人を犯せ。
 私は先程までよりも五感を一層鋭くする。今では若干の空気の振動でさえ、痛く感じる。
 風が吹いている。窓がガタガタといい、室内を空気の塊が通り抜ける。どこか窓が開いているのだろうか、さっきまではない風の流れだった。私は風の源流を探りそちらへと向かう。
 がたがたと窓が揺れる。私は窓を覗き込んだ。一面黒の壁の中に、四角い枠がうっすらと彩を持って佇む。そしてそこには、自分自身の姿が映り込んでいる。
 はっ、と、私は鼻を鳴らした。
 窓に映りこんだ自分の姿が、滑稽に見えて仕方がない。私は真っ暗な影であった。そこに一切の生気はない。死者だ、直感的にそう思った。私は死者だ。選択を放棄した死者だ。死者が死者を作りながら、あたかも生きているように振舞う。私は、いつぞやも思ったのと同じ感想を抱く。
―――まるでウォーキングデッドだ。世も末である。

 背中に気配を感じて、私は振り向いた。
 そこには、銃を持った少女が一人。まだ幼さが残る年端もいかない少女だが、資料の写真よりも少し大人びた顔つきになっている。その少女はカタカタと震える両手で、大事そうに回転式拳銃を握っている。
 私は銃を構える。銃口は少女の額の真ん中に向かい、その鉄槌が下ろされるのを待っている。
 難しい問題ではなかった。撃つか、撃たざるか。
 二択などではない。一択だ。
 私は引き金を引く。指を数センチ動かす、そういう命令が脳から発せられ、電気信号が指まで伝わる。鉄槌が下ろされ、銃口から鉛の金属片が射出される。一瞬遅れてキシュッという音が耳へと届く。そうして弾丸はまっすぐに少女へと向かう。
 だが、銃弾が穴を開けたのは少女の額ではなかった。鉛玉は少女を見向きもせず、天井へと突き刺さる。
 私は理解ができなかった。何故、当たらなかった? 狙いは確かに、少女の脳天だったのに。
 そしてもうひとつ、あることに気がつく。
 なぜ、彼女の拳銃から硝煙が立ち上っているのだ?

 その刹那、床と天井が傾いた。そうしてその並行が徐々に歪んでいく。少しして、左胸からじわじわと熱いものが伝わってくる。血だ。私の心臓から赤い鮮血が一斉に吹き出している。そこまで来て初めて、私は自分が撃たれたのだと理解できた。
ドスッと、私は床に倒れこむ。心臓に穴をあけられ制御のきかなくなった私の体は、容赦なく私を床に叩きつける。徐々に視界は色彩を失い、視野は徐々に黒い何かで満たされていく。
 意識を失うまでの数秒が、永遠にも感じられた。
 少女はというと、腰を抜かして床にへたりこんでいる。ポロポロと大粒の涙が溢れているその瞳は、ただ漠然と虚無を見つめている。だが不思議と、彼女の震えは止まっている。月明かりに照らさた彼女は、いささか幻想的であった。先程まで彼女を包んでいた恐れは消え失せ、今はこんなにも美しく佇んでいられる。引き金に指がかかったままの右手は力無くだらんとぶら下がっている。彼女は今なにを思うのだろうか。おそらく初めて、殺人を犯した彼女は。その心境は、察するを置いてほかはあるまいが、それは、私の想像力なんかで埋め尽くされるようなものではないだろう。
 だが少女よ。私は君が羨ましい。
 彼女の、明確に保たれた殺意が羨ましい。私を殺すという、彼女自身の選択が羨ましい。その選択は生者にしかできない、それができた君が羨ましい。何も選んでこなかった、ただ言われるがままに殺人を重ねてきた私の、ただのねじれた妬みである。
 私は少女のこれからを想像する。端的に言って、彼女は罪には問われない。彼女が殺した人物は、大昔に訓練中の事故で死んでいる。さしずめ彼女は、ゾンビを殺した保安官とでも言ったところだろう。この殺人事件はいつも通り抹消される。彼女は国に保護されるのだろうか、もしかしたら新たな暗殺者として育て上げられるかもしれない。あるいは記憶をごっそりと挿げ替えられて普通の少女として生きていくのだろうか。その先は想像できない。
 彼女はこの先、有限個の選択を重ねていくことだろう。そうやって、無限の未来を作っていく。その無限を想像するだけの想像力を私は、残念ながら持ち合わせてはいない。
 視界はどんどん狭くなっていく。意識の中は黒い何かで満たされ、私がどんどん失われていく。タイムリミットが近づくのがわかった。だが不思議と恐怖はない。

 なんてことはない。死者が死に帰るだけのことなのだから。

 私はうっすらと開いた、焦点の合わない目で少女を見つめる。少女もまた、私を見ている。彼女は何かをつぶやくように口を動かすが、私の耳には全く入らない。私の意識は薄れていく。私は最後の力でかろうじて動きそうな口を動かした。

 ―――さて、少女よ。生きている者よ。
 ―――いつか来たる彼(か)の岸(きし)から、お前の選択を見させてもらうとするよ。

そう言って私は、広く横たわる無限の闇へと身を投げた。

   ◆◆◆

 生きる上で、選択というものは欠かせない。

 時間を少しだけ戻させてもらう。およそ24時間前、昨日の話だ。
 ターゲットの写真を見せられた時、私は驚いた。驚いた上で、その驚きが表に出てこないよう努力した。出来たかどうかはよくわからないが。
 写真の男は死んだはずだった。私がまだ3つにもいかない時に。訓練中の事故で。
「どうだろう、受けてくれるかな。」
 この男は、と私は思う。この男は全てを知っているのだろうか。モニター越しに私をのぞきながら、嘲笑っているのだろうか。私にはわからない。
 だが私は、頷いた。イエスといった。
 私は、自分で選んだのだ。彼を殺すことも。この仕事をすることでさえも。
 三年前病床に伏した母を救うために。

 そうして、私は撃った。ある家族に紛れ込んで、彼らを殺しに来た標的を殺すという、複雑なお膳立てまで用意された。国としては、邪魔者を二人一気に排除できるからいい、ということらしい。あまり深く詮索することはしなかった。
 とにもかくにも私は撃った。銃を握るのは訓練の時以来だったし、人に向かって撃つのはもちろん初めてだった。
 でも私は撃った。母の手術代とその後の最先端医療と引き換えに。
 私は人を殺した。
 でもいいんだ。私が選んだから。
 それに、と私は思う。それに、この人は私が殺さなくてはいけない。ほかの誰でもいけない。

 目の前で倒れた男は、恨めしそうに私を見ている。私はといえば、人を撃った恐怖と、上手くいった安堵と、なんだかよくわからない気持ちが相まって、ボロボロと涙がこぼれてくる。まだ手には、拳銃の反動がジーンと残っていた。
 男はごもごもと口を動かす。何を言っているのかは聞こえない。もしかして、私のことを覚えているのかなと思うと、やっぱり申し訳なくてもっと涙が出てくる。
 でもね、私が選んだから。生きる上で、選択というものは欠かせない。私は、母と生きるために選んだんだ。
 だから、と私は頑張って口を動かす。
 だから、せめてもの贖罪に。

 「ごめんね、お父さん・・・」

 そう言うと、目の前の男は目を閉じた。そうして、もう二度と動くことはなかった。

殺人者は誰も殺さない

最後までお読みいただきありがとうございました。

殺人者は誰も殺さない

生きる上で、選択というものは欠かせない。 私は選んだ。人を殺すということを。 何かを得るためにはきっと、何かを捨てなければならないんだ。それができるから人間は自由なんだ。

  • 小説
  • 短編
  • アクション
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-07

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