Anti Gravities

 俺には重力が見える。もう少し厳密に言うと、すべての力のベクトルが見える。

 だいたいこんなことを言うと、三分の一の人が笑って、もう三分の一が口をあんぐりとさせて、残る三分の一が友達の欄から消える。何も俺が嘘をついているわけでもなんでもないのに。
 今、俺の前には三人の男が立っていた。そしてそいつらの重心から真下方向にまっすぐ矢印が伸びている。真ん中にいるちょっとガタイのいい奴は少々矢印が長い。
 神様がいるってんなら神様が、そうでないってんなら神様じゃない誰かが、俺に能力をくれた。
 俺には、物理的な力、いわゆる力積ってもんが目に見える。ベクトルとして。
 なんだかこんな物言いをしていると、空想と現実の入り乱れた中学生だとでも思われそうだがそうではない。高校三年生。すなわち受験生。これでも結構真面目だし成績も並みぐらいにはいい。だからこんなところで変な奴に絡まれている場合じゃないのだ。
 真ん中の男が徐々に歩みを寄せてくる。歩くたびに地面からの反発力が上向きの矢印になって足を貫く。正直、目の前でそれをされると鬱陶しい。おまけにゴリラみたいな顔をニヤニヤさせて近づいてくるもんだから二倍鬱陶しい。
 男が歩みを早めた。と同時に彼の右足に体重を乗せてためる。普通ならあまり気にしない動作なのだろうが、右足を貫くベクトルがグーンと伸びるので馬鹿でも気づく。
 ああ、そのまま殴りかかってくるんでしょ。いつものパターン。俺は自分の重心を移動させて彼の進路から外れる。そのまま男の拳は豪快な音を立てて空を切った。なんでこの手の輩は会えばすぐに殴りかかってくるのか。ちょっとは学習して闇討を仕掛けたりでもしないものかと、俺は全く意味のないことを考えた。まあ、原因はわかってるのだが。
 俺はこの特殊な体質のおかげで、他人より少しばかり喧嘩が強い。だから一度だけ、本当に一度だけ、親友の喧嘩に手を貸した。それがいけなかった。
 それ以来、俺の噂を聞きつけた他校の不良が集まり、俺に喧嘩だの決闘だのをふっかけてきた。最初は断っていたが、ある時からもう断るのも面倒くさくて受けることにした。もちろん、無傷で圧勝。それ以後も色々な輩が喧嘩を売ってくる。ただ、彼らは丁寧に一人ずつ順番に襲いかかってくる。なんと見上げたスポーツマン精神だ。おそらくその気遣いと努力の何パーセントかを正しい方向に使えば、彼らは素晴らしい人間になることだろう。俺は迫り来るベクトルの嵐を避けながら、俺は割と正常に思考を巡らせていた。

 ただし、と俺は思う。ただし、彼らの進むべき方向はそっちじゃない。
 彼らはベクトルの選択を誤った。

 男は踵を返し、再び俺に向かってくる。向こう側を向いていた矢印が再びこちらを向くので、避けるのは容易い。そうして、よろめいた彼の土手っ腹に一本のベクトルを打ち込む。俺の拳と彼のわき腹の接地面からグーンと矢印が伸びた。そうして男はそのまま、脇腹を抱え込み地面に転げる。
 彼らはこんなところで油を売ってる場合ではない。
 家の手伝いでも、将来のための勉強でも、それこそボクシングジムにでも行ってきちんとした指導者に教えてもらっていたほうがよっぽど有益である。少なくとも、こんな訳も分からない奴に喧嘩を売っているよりは。
 彼らがそうしないのは、きっと彼らも何かに縛られているからであろう。家庭環境か、周囲の影響か、自分で決めたよくわからないルールなのかは知らないけれど、彼らも何かに縛られて生きている。目に見えない、そう、例えば重力のような何かに。そうして、なぜだかわからないが俺に喧嘩を売るという行動に至らざるを得ない。
 違うのだ。
 本当は、彼らはもっと自由に生きられるのだ。見えない力に逆らって生きればいいのだ。楽なままに、気持ちのいいままに縛られて生きるのか、お前達は。
 知ってか知らずか、男は立ち上がりこちらをぎらりと睨みつける。違うって、そんな生き生きとした顔を見せるのはここじゃない。
 男は後ろの残り二人に目配せした。下向きの矢印が心なしかさっきよりも長い。
 その刹那、二人の矢印がギュンと伸びた。大きく拳を振りかぶるが、その拳の中心方向に小さな矢印が伸びていくのがわかる。
 ああ、ここでも割と俺は冷静。
 前言撤回。彼らも彼らなりに学習していたらしい。

 結果だけ言うと、流石に三人相手はしたことがないので、矢印のうずを無事回避するのは不可能だった。俺は何本かの矢印を被弾したが、ほぼ同等程度にはダメージは与えた。
 現在の情勢、ドロー。
 ただし、俺は知っている。俺は自分のベクトルを変えると、全力で小道へと逃げ込む。とほぼ同時。
 「そこの君達、何をやっている!!」
 ほら。やっぱり。警察様のご登場。遅いっつうの。
 とりあえず、声が聞こえなくなるところまで全力で脚を回す。ちらっと消えかけた視界からは、三人の警察官に取り押さえられていた三人組が見えた。

 全く、いい迷惑だ。誰だ俺にこんな力をくれたのは。
 力のベクトルが見えるなんて、よくわからない能力。俺にこんな力いらない。所詮矢印が見えるだけ、現実は全く穿(うが)てない。
 俺は現実を打開する力が欲しい。
 この矢印が見えるようになってわかったことがある。目に見えるベクトルなんか、そんな大したことはない。
 問題は目に見えないもの。人はこれらに縛られる。
 例えば、家族、友人、学校、受験、進路、部活、意地、プライド、もっと広く言うならば、哲学、政治、あとは生死とか。そういった、何か。
 現実で俺達を縛る、目に見えない下向きの矢印。
 俺は足を回転させる。心臓の拍動が強くなり、息が上がって少し息苦しさを覚える。足を地面に着くたび、矢印が足を貫く。鬱陶しい。
 地球上で生きている限り、重力に縛られる。当たり前だ。それどころか、心だって目に見えない重力に縛られる。それが時には人を死に至らしめるほど、追い詰めるのだ。
 俺は、現実を穿つ力が欲しい。
 目に見えない重力に反抗する、上向きの矢印。
 無重力が欲しいわけではない。重力がないと地に足がつかないことぐらい知っている。
 俺が欲しいのは、この下向きのベクトルを打ち消す上向きの力。時々体をふっと軽くしてくれるような、そんな力。どこにあるのかは知らないけど。

 俺は足を進める。全身のエネルギーを使って、前向きの矢印を生み出す。ハアハアと息は上がって、足には軽い疲労感がある。少し、俺から伸びる下向きの矢印が大きくなったか。それでも俺は足を止めない。俺は探している。現実を打破する上向きの重力。俺は足を止めない。
 いつか目前に現れるであろう上向きの重力を。逆行する重力を。そんなものを探して。
 俺は、強く地面を蹴り出した。

Anti Gravities

お読みいただきありがとうございました。

Anti Gravities

地球には重力がある。それだけじゃない、もっと、こう、目に見えない何かもある。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • アクション
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-02-19

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