無邪気な断絶
生まれてこのかた、数十年が経った。
昔から、変な子供だと言われてきた。そして、今もおかしい人間だと言われ続けている。
実際何もかもうまくいかなかったが、なんとか命の焚火を絶やさずに、生きてきた。
私は変わろうとした。そして、実際に変わった。
――しかし、周りは変わらなかった。何も、変わってやしなかった。
と、いうか、私はそのことに、ようやく気づいた、というのが、正しいのかもしれない。
よく、生成AIとの会話で『人間は、太古の昔から、身体の作りは全く変わっていないんですよ〜』と、心もないエセ知識を押し付けられる。
しかし、それは社会も同じではないだろうか?
AをすればBをしろ、と怒鳴られる。BをしていたらAに戻せ、と再び怒鳴られる。その中間のCを目指すと、お前には興味ない、消えろ、と言われる。
私は、世界とは『無邪気な断絶』のうえで成り立っていると思う。本性としての拒否をするのは、ネガティブ・バイアス、負の偏り、と言って、人間は、はじめに思った負の感情に、偏って偏っていく、という、狩猟採集社会から全く変わっていない、理があるのだという。
こんなご高悦を垂らしてはいるが、実際それで私はどうすればいいのかは分からない。
世の中を、端から味のないものと捉えるのは、私としては最適解だと思う。
でもその中で、味のある、運命の人と巡り会えるのが、唯一の存在根拠なのかもしれない。
ベタで強引なまとめかただが、そう言うしか、私にはできない。
無邪気な断絶