統合失調症歴四十年の軌跡
第一巻
会社の同僚・康子への想いを胸に、青年は彼女の誕生日に腕時計を贈る。優しく穏やかな日々の裏で、彼の精神は静かに蝕まれていた。初の当直勤務の夜、突如として現実が歪み始め、彼は幻覚や妄想の世界へと引きずり込まれていく。「幽霊が給料をゆすっている」と言い出し、被害妄想に支配された彼は、やがて街をさまよい、警察に保護されるまでに至る。彼女への純粋な想いと、理性を失う恐怖が交錯する、心の崩壊の記録。
第一章 東京
昭和53年、ひとりの若者が大東京の地に初めて足を踏み入れた。東京は、中学に上がった頃からずっと憧れていた場所だった。「高校を卒業したら東京に行くんや」と心に決めていた。そして、ついにその夢が叶った。新幹線の中で隣の席に座っていたのは、60歳くらいのおばあちゃんだった。おばあちゃんが「東京出て何するんや」と尋ねてきた。私は、小声で「テレビカメラマンになるんや」と答えた。思えば、高校を卒業してすぐに就職するつもりだったが、二社連続で不採用の通知を受け、就職を断念した。それから、テレビカメラマンを目指すことに決めたが、それは当時のアイドルオタクとしての熱狂が、まるで神のお告げのように導いた選択だったのかもしれない。運命を導いたのは、北九州・小倉のレコード店の店長だった。行きつけのその店で、ある日店長が「おめでとう」と声をかけてきた。何のことだろうと思っていると、福岡市で開催される総勢30人のアイドル祭りのチケットが当たったという。店長が密かに応募してくれていたのだ。出演者には武田鉄矢、榊原郁恵、伊藤咲子、そして安藤ユキコといった豪華メンバーが名を連ねていた。会場はディナー形式で行われた。ユキコちゃんがオレンジジュースの入ったコップを持って近づいてきた。その瞬間、まるで時間が止まったかのように感じた。彼女の笑顔がまぶしく、憧れの存在が目の前にいるという現実が信じられなかった。ユキコちゃんは軽やかに微笑みながら、目の前にコップを差し出した。
「どうぞ、よかったらこれ、飲んでくださいね。」
その声はテレビで聞いたままのやさしい響きだった。緊張で喉がカラカラだった僕は、無意識のうちにコップを受け取り、ユキコちゃんと視線を交わした。何か言わなければ、と思いつつも言葉が出てこない。
「今日は楽しんでくれてる?」とユキコちゃんが尋ねる。
「は、はい!すごく楽しんでます!」やっとの思いで声を絞り出す。
その瞬間、彼女はさらに微笑み、周りの空気が温かくなった気がした。数年後、安藤ユキコと再会するなんて、この時には夢にも思っていなかった。次の日、安藤ユキコのオンステージが福岡市の香椎スーパーで行われる。私はディナーショーに参加するため、全日空ホテルから電車を乗り継いで会場へと向かう。香椎駅から徒歩で歩いていると信号が赤の交差点に差し掛かった。立ち止まっていると横にタクシーが止まる。乗っているのは安藤ユキコだ。私は思わず手を差し伸ばし握手をしたのであった。おばあちゃんは世田谷区の娘の家へ行く途中で、東京駅から渋谷駅まで案内してくれた。私は東京北区にある滝野川まで行く道のりだ。渋谷駅から赤羽線に乗り継ぐ。電車の中は、通勤ラッシュに差し掛かり、満員の車両が揺れていた。人々は立ち並び、つり革を掴む手や、座っている人の膝の上に置かれたバッグが見える。周囲にはスーツ姿のビジネスマンや、カジュアルな服装の学生たちが混在し、それぞれの目的地へ向かうために静かに時を待っている。車両の内装は、清潔感のある白を基調にした壁に、窓際には広告が貼られている。窓からは流れる景色が見え、時折、青空とともに高層ビルや街並みが目に入る。車両が揺れるたびに、人々の体が互いに押し合い、時には誰かの足が踏まれることもあるが、みんな無言で耐えている。息苦しいほどの密集感の中で、誰もが自分の世界に没頭している様子だ。ドアが開くたびに、乗客が入れ替わり、新たな顔が車両に流れ込んでくる。急いでいるのか、焦った様子で車両に乗り込む人もいれば、のんびりとした表情で座席を探す人もいる。駅のアナウンスが響くたびに、乗客たちが意識を戻し、目的地が近づくのを待っている。滝野川駅に降り立つ。改札口を抜けると、すぐに商店街の中心地に出た。賑やかな声や買い物客の足音が響き渡り、様々な店舗が並ぶ光景が目に飛び込んでくる。鮮やかな看板や通りを行き交う人々の笑顔が、温かい雰囲気を醸し出していた。徒歩で30分ほど歩くと、新聞販売店の看板が見えてきた。ここが、就職先だ。身分は新聞奨学生。新しい職場に向かう道すがら、心の中には期待と緊張が入り混じっていた。新聞販売店の扉を開けると、軽やかなベルの音が鳴り響く。中に入ると、店内は所狭しと並んだ新聞や雑誌で溢れており、独特の紙の香りが漂っていた。棚には最新の新聞が積まれ、色とりどりの雑誌が目を引く。店主は温かい笑顔で迎えてくれ、私は自己紹介をしながら、これからの仕事について少しずつ教わることになった。彼の言葉には経験に裏打ちされた深い知識があり、業界の話や仕事の進め方について聞くうちに、ますますやる気が湧いてきた。店内の賑やかさや、新聞を求めるお客さんの姿を見ると、ここでの生活がどんなものになるのか、楽しみでならなかった。
販売店に着くと、目を引く大きなポスターが貼られていた。それは安藤ユキコのポスターで、彼女の魅力が鮮やかに描かれていた。ユキコの魅力は、まずその純粋な輝きと人懐っこさだ。静岡県出身の彼女は、自然体で人と接し、笑顔で周囲を温かく包み込む力を持っている。ミツミプロスカウトキャラバンの初代チャンピオンとして鮮烈にデビュー。
販売店に着くと、二階にある主任の部屋に案内された。仕事は明後日から始まるため、その晩は緊張が解けてぐっすり眠ることができた。翌朝、目を覚ますと、先輩たちが朝食をとっていたので、その席に加わった。すると、先輩のひとりがニヤリとしながら質問してきた。
「昨夜の布団、どうだった?」
何かあるのかと尋ねると、先輩は笑いながら「実はダニが棲みついてるんだ」と答えた。その言葉に、少し身震いしながらも、皆で笑いあう和やかな空気が広がった。その後、仕事の準備を進めるため、店内を案内してもらうことになった。新聞の仕分けや配達のルートを覚えることはもちろん大事だが、それ以上に大切なのは、先輩たちとのコミュニケーションだった。その日の午後、先輩たちに連れられて、新聞配達のルートを下見することになった。滝野川の街は思っていたよりも広く、曲がりくねった細い路地や急な坂道が多かった。自転車で回るには体力が必要そうだと感じながらも、これが自分の新しい日常になるんだ、と気持ちを引き締めた。先輩たちは慣れた様子で軽快に自転車を漕ぎながら、道順や配達先の特徴を教えてくれた。道端で挨拶を交わす人々の顔には、どこか親しみがあり、この地域の温かさが伝わってくる。配達ルートの確認を終えた頃には夕方になっていた。店に戻ると、主任が「明日から本格的に始めるぞ」と声をかけてくれた。その一言に、期待と不安が入り混じった感情が胸に湧き上がる。その夜もまた早めに布団に入った。ダニの話が少し気になったが、疲れが勝って、すぐに眠りに落ちた。翌朝、まだ暗い時間に目覚まし時計の音で起きると、店内はすでに忙しさに包まれていた。新聞の山が次々と運び込まれ、店の中は独特の紙の匂いで満たされている。先輩たちは手際よく新聞を仕分けていき、私はその動きを必死で追いかけた。初めての配達は、やはり緊張の連続だった。道に迷いそうになるたびに、事前に下見したルートを頭の中で思い出し、何とか指定された家に新聞を届けていく。夜明け前の静かな街に、自転車の音だけが響き、時折すれ違う早朝のランナーや犬の散歩をしている人々が目に入る。配達を終えた頃には、空はすっかり明るくなり、朝の清々しい風が肌をなでた。初日を終えて店に戻ると、先輩たちが笑顔で「お疲れさん」と声をかけてくれた。身体はクタクタだったが、達成感と少しの自信が心に広がっていた。これからの日々が少しずつ形作られていくのだと感じ、胸が高鳴った。
一週間が過ぎた。配達の道順もすっかり覚え、二日目からはひとりで配達をこなすようになった。配達部数は約三百部。朝の早い時間に新聞販売店へ行き、積み上げられた新聞の束を自転車の荷台にこれでもかというほど高く積み上げる。それを一つずつ、決められた場所へ配達していくのだ。自転車を漕ぎながら、細い路地や坂道をスムーズに通り抜け、無事に新聞をポストに差し込む。慣れてくると、少しずつ速く回れるようになった。ある朝、配達の途中でふと目をやった電信柱に、安藤ユキコのリサイタルポスターが貼られているのを見つけた。彼女の笑顔が印象的なポスターは、鮮やかなデザインで目を引く。ユキコのリサイタルが近づいていることを改めて実感し、思わず自転車を止めてじっと見つめた。ポスターには「安藤ユキコリサイタル」と大きく書かれており、日程は今週末。場所は市内のホールだ。その週末、学校の友達と一緒に安藤ユキコのリサイタルへ行くことになっていた。友達もみんなユキコのファンで、リサイタルを楽しみにしていた。新聞配達の仕事をこなす一方で、週末のその日が待ち遠しく、心の中でカウントダウンをしている自分がいた。日曜日、コンサートから帰ってくると、先輩が待っていた。「今日からアパートに引っ越しするぞ」と言う。嬉しい気持ちと少しの緊張を抱えながら、私たちはその足で新しいアパートへと向かう。無造作に止められた数十台の自転車が並ぶ中、古ぼけたアパートが目の前に現れた。外観は経年劣化が目立ち、時代を感じさせる佇まいだ。先輩が誇らしげに声をかけてきた。「家賃七千円のアパートだ。」いくら昭和の時代とはいえ、家賃七千円は安いと感じた。共同トイレに共同の自炊場、シンプルな生活が待っている。先輩に案内されながら部屋を見せてもらうと、しかし、肝心の鍵がないという。「鍵があってもなくても、一緒だぞ」と先輩は笑う。
「え、本当に?」と驚く私。先輩が少し足で蹴ると、ドアは簡単に倒れてしまう。その様子に呆れつつも、少し笑ってしまった。隣の部屋との境はベニヤ板一枚だけで、プライバシーなどあったものではない。このアパートでの新生活がどんなものになるのか、期待と不安が入り混じった気持ちが心を満たしていた。部屋にはもちろん、安藤ユキコのポスターが貼られていた。彼女の明るい笑顔が、毎日私を励ましてくれる。専門学校は山手線の上野駅の近くにあり、通学も便利だ。しかし、半年も過ぎると、学生の数は半分に減ってしまった。授業についていけない者も多く、新聞奨学生の仲間の中にも、先輩に誘われて毎晩酒を飲み過ぎて退学に追い込まれる者が出てきた。放送の専門学校は、いわば遊びのようなもので、実習は面白くて刺激的だった。一年目は、田舎にも帰ることさはなかったが、東京の生活に慣れ、夢を追いかける日々が楽しかった。しかし、2年生の半ばを過ぎると、就職戦線が始まり、周囲の雰囲気が変わってきた。学生たちは焦りを抱え、自分の進路を真剣に考えるようになる。
「みんな、就職どうするの?」と友人たちが話し始める。私も不安を抱えながら、次第に現実を受け入れなければならないと感じていた。将来への期待と恐れが入り混じり、何を選ぶべきか悩む日々が続く。安藤ユキコのポスターを見つめながら、彼女のように自分の夢を実現させるために、何ができるのかを考える毎日だった。私は学校へ行くと、実習を除いて大半を爆睡して過ごしていた。起きているのは、仕事をしているときだけだ。それも当然のことだ。朝の三時に起こされ、朝食を食べてから一時間かけて学校へ通学し、その後は夕刊の配達、新聞のチラシ入れ、集金、営業と、まるで休む暇がない。授業中に爆睡するしかないのだ。そんな境遇にありながら、販売店の先輩の中には大学受験を目指している男もいた。彼の部屋からは毎日、英語の発音が聞こえてきた。彼は夜遅くまで勉強し、朝早く起きては再び勉強に励む姿が印象的だった。「どうやってそんなに勉強できるの?」と尋ねると、彼は「夢があるからさ」と笑って答えた。
その言葉を聞いて、私は少し考えさせられた。夢を持っている人は、どんな苦労をしても乗り越えられるのだと実感した。私も安藤ユキコのように、何かに情熱を注げる存在になりたい。自分も夢を持ち、彼のように努力するべきだと思うようになった。しかし、今のままでは何も変わらない。自分の目標を見つけるために、少しずつでも動き出さなければならないと心に決めた。
映像制作の道を進むための選択肢が広がってきた頃、私は自分がどこに向かっているのかを考えることが多くなった。学校での実習や友人との交流を通じて、映像の魅力に惹かれながらも、現実とのギャップに悩んでいた。自分が本当に求めるものは何なのか、何を実現したいのか、それを明確にすることが難しかった。
そんなある日、学校の帰り道、偶然にも安藤ユキコのリサイタルのポスターを再び見かけた。彼女の笑顔が映るポスターは、私にとって励ましの象徴だった。彼女の歌声には、何か特別な力があると感じていた。音楽や映像を通して人々の心に響く存在になりたいと、ますます思いを強くした。その後、友人から「安藤ユキコのライブに行くんだけど、一緒に行かない?」と誘われた。嬉しい気持ちと少しの緊張を抱えながら。私はその提案を受け入れた。彼女のリサイタルは、私にとって特別な意味を持っていたからだ。ライブ当日、会場に着くと、興奮が高まった。周囲には同じように彼女のファンと思われる人々が集まっており、その熱気に包まれた。音楽が始まり、彼女のパフォーマンスが幕を開けると、私はその瞬間に全身が震えるのを感じた。彼女の歌声が会場を満たし、観客たちの心を一つにする。私もその一部として、彼女の音楽に浸ることができた。ライブの終わりが近づくにつれ、ふと横を見ると、昔の友人が立っているのに気づいた。大学時代の同級生で、私と同じように夢を追いかけている仲間だった。お互いに驚き、喜び合った後、しばらく会話を交わした。彼は最近、映像制作の会社で働いており、私もその業界を目指していることを話した。
「夢を追うのは大変だけど、楽しいよ」と彼は言った。その言葉に心を打たれ、自分も彼のように情熱を持って進んでいこうと決意した。ユキコの歌が響く中、彼と再会できたことが、私にとっての新たな希望の象徴となった。ライブが終わった後、私は友人と共に食事をしながら、これからのことについて話し合った。彼は映像制作の現場での経験や、どのようにして自分の夢を実現させているかを教えてくれた。それを聞きながら、私は自分もその道を歩んでいくことができるのではないかと感じた。学校に一番に求人が舞い込んできた。その組織は、豪通というテレビ業界の制作のドンと並ぶほどの力量を持つ企業で、ドラマやバラエティー番組を手掛けているとのことだった。学校内でも注目を集め、同僚の中からも二人が立候補することになった。私もその波に乗ることにした。これが私の夢に向けた大きな一歩になるかもしれないと、期待と不安が交錯していた。面接の前の日、緊張を和らげるために、同僚が私の部屋で寝ることになった。彼は私の親友で、互いに支え合いながら夢を追いかける仲間でもあった。夜になり、二人で資料を見直し、面接の想定問答を考えながら、緊張感を和らげるための軽口を叩いた。
「東通の面接、受かるといいな」と彼が言うと、私は「受かる自信がない」と笑い飛ばした。彼は「お前は十分にやってきた。自信を持て」と励ましてくれた。そんな言葉が嬉しくて、心の中で少しずつ自信が芽生えてくるのを感じた。翌朝、早く起きて準備を整えた。髪を整え、スーツを着ると、なんだか緊張が増してくる。面接会場に向かう途中、同僚と一緒に自転車を漕ぎながら、自然と心が高ぶってきた。彼と一緒だと心強いし、互いに励まし合えるからだ。会場に着くと、少し緊張が和らいだ。建物の外観は立派で、内心の期待と不安が入り混じっていた。ドアを開けて中に入ると、待合室には他の候補者たちがいた。みんな同じように緊張しているようだった。名前が呼ばれ、面接室に入ると、面接官の視線が集まった。数人の面接官がテーブルに座り、私に笑顔で迎えてくれた。緊張をほぐそうと、私は思わず笑顔を返した。面接が始まると、最初は自己紹介から。自分の経験やこすれまでの活動について話すうちに、少しずつ緊張がほぐれ、自然な流れで話すことができた。
「あなたが映像制作で大切にしていることは何ですか?」という質問に、私は迷わず「観る人の心に残る作品を作りたいです」と答えた。その言葉が面接官の心に響くと信じて、精一杯自分の思いを伝えた。面接が終わり、同僚と一緒に外に出ると、彼が「どうだった?」と尋ねた。私は「悪くはなかったと思う」と言いながら、心の中で安堵の気持ちが広がっていくのを感じた。まだ結果はわからないが、この経験を通じて自分の夢に一歩近づいた気がした。数日後、学校に結果が届いた。ドキドキしながら待っていると、教員から連絡が入った。「おめでとう、君たち三人とも合格だ!」その瞬間、嬉しさがこみ上げてきた。思わず同僚と抱き合い、喜びを分かち合った。夢を追いかける仲間と共にこの道を進むことができる。それが何よりも嬉しかった。しかし先生から一言付け加えられた。私だけやる気が買われての試用期間半年付きだと説明される。入社の日、心の中には期待と不安が入り混じっていた。私は新宿のスタジオアルタでのバラエティー番組専属としての業務に決まったと聞き、心の中で小さくガッツポーズをした。ドラマ担当の同僚たちを送り出し、胸を躍らせながら会社のドアを開けた。
統合失調症歴四十年の軌跡