予期せぬ出来事 26
その①
7月1日(木)
その日は雨だった。
ちょっと強めの雨の中、会社までの道のり……まぁ、だいたい10分弱をボクは急ぎ足で歩いていた。
なぜなら、トイレ(大)にいきたかったからだ。
早く、早く……と差した傘の柄を強く握り締めながら足を運んでいたら
駅と会社のだいたい真ん中くらいの所にある「コーセー化粧品」の専門学校のところで、ボクは Suica を拾ってしまったのである。
水溜まりで靴をなるべく濡らさないように、下を向いて歩いていたから気付いたのだ。
それはチャック式で、小物が入れられるパスケースだった。
カタカナで Suica の表に名前が書いてあった。
持ち主は女性で、通勤用だった。
王子駅から東大宮の区間で、有効期限は11月までで7万円?(大体このくらいの金額だった)と印字してあった。
迷った。
小物を入れられる部分に、持ち主の連絡先が分かる物が入っているかもしれないと思った。
でも、女性物だし中を見るのはなぁ~と迷ったのである。
うう~、トイレ行きてぇ。
意を決したボクは「ご免なさい」をして中を確認した。
しかし中は……女性専用の鎮痛剤がたくさん入っているだけで、連絡できる手掛かりのような物は全く入っていなかった。
どうしよう?
会社が終わってから帰る途中に駅へ持ってゆくって作戦が一番楽なんだけど……
でも本人は、Suica が無いって気付いたら慌てるだろうしなぁ~。
だからなるべく早く届けた方がいいとは思うのだが、如何せんこちらにも外せない事情があるし……
うんにゃ、やっぱ出来るだけ早く持っていって駅から連絡して貰う方がいいよな!……と最終結論に達したのである。
ちなみに Suica は、中に本人の情報が入っているので、届ければ駅から持ち主に連絡してくれるようになっているのです。
でもそこにもうひとつ、ボクの前に大きな難関が立ちはだかっていたのでした。
会社から一番近い王子駅南口改札は無人で、駅員が在中しているのは中央口と北口だけなのである。
だから拾った場所から中央口までは、ちょっとばかし距離があるのである。
トイレ行きてェ~
それでも、南無三、と意を決したボクは駅へ向かうことにしたのでした。
長々と書いてしまったが、この間 Suica を拾って駅へ向かうまでの一歩を踏み出すのに30秒もかかっていなかった。
雨の中を、さらに速度を上げて中央口へ行き
「すいません、コーセーの前に落ちてました」と言って、パスケースを駅員に渡したのである。
それだけ言って、会社へ一直線。
お気に入りの音楽で気を紛らわしながら、走りはしなかったけど(走るとかえってお尻に刺激が……)急ぎ足で会社へ行ってIDカードで打刻して、2階のトイレへ滑り込んだのでした。
セーフでした。
自分の身を犠牲にしてまで善行を施したのだから、絶対いいことがあるに違いないと思って、ボクはその日を過ごしました。
でも結局、全然何も起きてくれなかったのでした。
その②
7月9日(金)
会社帰りの高崎線での出来事です。
毎週金曜日は、ボクの赤羽駅周辺散歩の日で、その日も街中ブラブラして、最後に本屋をひやかして高崎線に乗ったのでした。
ボクは、横並びの座席例の真ん中くらいの場所で、文庫本を開いて読んでいました。
ボクの左隣には20代の女性が並んで立っていました。
でもしばらくすると……
その女性が少しずつ、ボクの方へ寄ってくるではないですか。
電車の揺れで、身体がこちらに傾いたわけではありません。
明らかにボクの方へ、少しずつにじり寄ってきているのです。
そして終いには、身体がくっ付きそうな距離になっていました。
右に逃げようにも、右はムッサイおっさんがいるので絶対に行きたくないし……
おっさんか? 若い女性か? 身体を寄せ合うなら若い女性の方がいいに決まっています。
(お嬢さん、そんなにくっつかないでください)
表情は文庫本を読むフリをしていますしかし頭の中は、色んな妄想が渦巻いていたのです。
いくら何でも寄りすぎです。
それでも彼女は寄ってくる――
(駄目、駄目です。ボクには〝想い人〟がいます)
そう言ってやろうと彼女の方へ顔を向けると、その彼女の向こうに男の人が立っているのが目に留まりました。
男性は外国の人でした。
その外国の人も礼儀正しく、別に悪さをしようと電車に乗っているわけでは無かったのですが、その男性の纏(まと)っている香水が、ちょっと強烈だったのです。
電車に乗ったときから、なにか臭うなぁとは思っていたのですが……
ボクは、それでかぁ~、と思いました。
外国の人が次の駅で降りると、女性はボクから、あっけなく離れていってしまいました。
さようなら……
そしてまた、その次の駅では彼女の前の席が空き、彼女は座りました。
でもボクの前の席は空かずに、結局ボクは、自分が下りる駅まで、ず~と立ったままだったのでした。
その③
7月12日(月)
これも帰りの高崎線での出来事である。
東京方面からの電車は前、池袋新宿方面からの電車は後ろが、比較的空いている。
そして今日乗った電車は、東京方面からだったので、先頭の方の車両に乗ったボクでした。
その車両の横並び4人掛けのシートに、半端なく太った30代の男女が並んで座っていました。
二人とも、気持ちよさそうに眠っています。
その両端に座っている乗客は、とっても窮屈そうにしていましたが、そんなのお構いなしに、二人はダランと身体の力を抜いて眠っていました。
ボクは、その太った女性の前に陣取って本を読むことにしました。
そして、電車は大宮駅に停まりました。
すると……
ボクの右側で眠っていた男性が、おもむろに立ち上がって、一人で下りてしまったではないですか――
そこでやっと、ボクは、夫婦か恋人同士だと思った男女が、実は全くの赤の他人だったことを知ったのです。
二人の寝ている姿がとてもお似合いに見えていたのですが……
結局残された女性は、ボクと同じ駅で下りたのでした。
だろう判断は良くないなぁ~、と思いました。
ただそれだけの話です。
その④
7月28日(水)
その日の夕方、京浜東北線で事故が発生した。
ちょうどボクが帰ろうかなと考えていた時間の30分ほど前である。
すぐさまネットで調べてみると、京浜東北線は上下線とも不通で、復旧の見通しは立っていないとのことだった。
しかし高崎線は、遅延ではあるが動いている、という情報も得た。
このまま王子駅に行っても、京浜東北線が動いていないのであれば……と、ボクは尾久駅まで歩いて、そこから直接高崎線に乗ることに決めた。
尾久駅は上野と赤羽の間にある駅で、会社からだと歩いて15分弱の所にある。
復旧を考えて、ボクは予定の退社時間を、もう30分ほど遅らせて会社を出た。
尾久まで歩きながら、電車混んでるかなぁ? 大混みだったそん時は、もう2.3本遅らせるかなぁ~などと考えながら歩いた。
駅に着いてホームに上がると、タイミング良く高崎線が入線してきた。
しかもそんなに混んでいない。
ラッキー!!とボクは電車に飛び乗って、そのまま読書に耽った。
そこまでは良かった。
でも鉄橋を渡って埼玉に入ると、電車の窓に水滴がポツリポツリと……
(雨だどうしよう、傘持ってきてねぇよ。降りる駅に着くまでに止んでくれないかなぁ~)と考えながら、ボクの目は本の活字と窓を行ったり来たりしていた。
しかし、駅に着いても、雨はまだ降り続いていた。
(〝善意の傘〟があればそれを借りよう。でも無かったらコンビニで傘を買うしかないな)とボクは電車を下りた。
〝善意の傘〟ってのは、駅の改札を出たところにあって、急な雨で困った人が自由に借りて、後で返却する無料のレンタル傘のことだ。
「お困りの方はこの傘を使ってください。お使いになった方は後日お戻し下さるようお願いします」と貼り紙がしてある傘立てなのである。
(傘あるかなぁ~? でもこの雨だからもう無いかも)と思いながら、あまり期待しないで行ってみると……ありました。
一本だけ残っていた。
でもちっちゃ!
一本だけ残っていたのは、子供用の傘だったのです。
雨は小降りにはなっていたが、家まで20分も歩いたらずぶ濡れになるし、背中に抱えている無印リュック鞄の中のモバイルは濡らしたくないし……
決断は早かった。
ボクはお借りします、と箱に礼を言って、ちっちゃい傘を持って外に出たのでした。
駅前の明るい場所は傘を差さずに急ぎ足で歩き、街灯だけの薄暗い場所まで行ってから、ボクは傘を開きました。
そして声を出して笑ってしまいました。
ボクが借りた子供用傘には、ムーミンの絵がプリントしてあったのです。
ムーミンやら、スナフキンやら、ミーやらムーミン谷の仲間たちが傘の中ではしゃいでいるではないですか――
ボクは ♪ねぇムーミン、こっち向いて♪ って唄いながら雨の夜道を家まで歩いたのでした。
※嘘です! ムーミンを唄いながら帰ったのは本当のことではありません。
でもお陰で、身体も鞄も濡れなかったし、言うこと無しのムーミン傘だったのでした。
翌朝、綺麗に畳んで善意の傘立てに戻しておいたのは言うまでもありません。
その⑤
7月?日(?)
その出来事に遭遇したのは、何日だったかは覚えていない。
でも晴れていたので、梅雨が明けた後の出来事だったのは確かである。
その日もいつも通りの朝で、ボクは王子マクドで珈琲を楽しみながら、出来事や思い立ったことをモバイルに綴った後に店を出た。
会社へ向かう道の途中に、駅のロータリーがある。
そこに一台の自家用車が停まっていた。
自家用車は後部座席のドアが開いていて、女性が中に上半身だけを入れて何かやっていた。
荷物の整理でもやっているのだろう。
ボクは、その横を通った。
ここで、あえて言わせてもらうことにする。
その女性の横を通ったのは、決して故意ではない。
いつも通りのボクの通勤路であるロータリーに、たまたまその女性の車が停まっていただけなのである。
そんでもって、この「予期せぬ出来事」を読み続けてくれている読者の方は、もう大体想像がついているはずである。
女性はボクに、半尻を見せてくれたのでした。
見せていただきました。
ご馳走さまでした。
短いシャツ着て思いっ切り前屈みになれば、お尻から背中まで見えるのは当たり前なのです。
そうかこれが、その①のご褒美なのか……
おしまい
予期せぬ出来事 26