或る物書きの遍歴ー一つの解としてのー
SF作家を夢見た青年が、数々の出会いを通して自らの「解」を探し続けた物語。
ある物書きの遍歴―一つの解としての― 著 樫本誠士
目 次
作家修業 一九七六
木村鹿乃 一九七七
能登の旅 一九八〇
再会 一九八〇~八
家庭人 一九八一~八三
青い眼の女 一九九九
浮き草 一九九九~二〇〇二
帰郷 二〇〇二
泰子の許へ 二〇〇二~二〇〇九
父の看取り 二〇一〇~二〇一三
晩年 二〇一四~
作家修業 一九七六
仕事帰りに高円寺で途中下車した。高円寺は六年前に住んでいた街だ。その頃、滑り止めで受かった大学物理科の一年次に在籍していた。当時私は、まだ受験の混迷のさなかにあり、大学に在籍していながら、他大学の医学部を受験していた。明らかに惰性で受験していたにすぎず、不合格はあらかじめ分かっていたとは後年言えることで、渦中にいた私はなかなか目が覚めなかった。
最終的に医学部への夢は諦めたが、次は一転して文学部に進もうと思い立った。しかし試験勉強は全くやらず、もちろん物理科の授業も受けず、もっぱら友人と話し込んだり、書店や喫茶店を巡っていた。当然ながら文学部の試験にも受かるはずはなく、二年間を無為に過ごしただけだった。
アーケード街にあるその書店は、高円寺時代の立ち寄り先の一つだった。そこでよく立ち読みをした。店主が寛容なのか、単に無関心だったのか知らないが、書架から書架へ本や雑誌を片端から拾い読みしても、自分が見えない影であるかのように、店主の視線を意識せずにいられた。敵意も特段の好意もない、中立的な雰囲気は、郷里の家の近所にあった書店の雰囲気によく似ていた。
私はSF雑誌の新人賞に応募していた。その日発売される雑誌で一次予選の発表があるのだ。そのニュートラルな書店で、結果を知るのが最善だと考えた。
新宿の紀伊國屋書店でもよかったのだが、駅から雑踏の中を歩かねばならず、混雑した店内で、SF雑誌を置いてある書架まで行くのが億劫だった。そこまでたどり着いたとしても、他の客と肘を接しながらページを開いて、結果を厳粛に受け止める雰囲気ではないと、私は予想した。一方、高円寺のその書店は、以前と同じ雰囲気をよく保っていた。
『奇想天外』は『SFマガジン』や『ミステリーマガジン』と並んで平積みされていた。あくまで何気ない素振りで、私は『奇想天外』に手を伸ばした。それでいて、いつの間にかリュックを床の上に下ろしていた。すでに内心は構えていたわけだ。
自分の名前は無かった。予想通りとも、予想外とも言えた。私は雑誌を書架に戻してリュックを担ぎ上げ、静かに店を出た。アーケード街を駅に向かっていた。予期した以上に私は落胆していた。あらかじめ可能性は半々だと思うことにしていた。それは空しい気休めでしかなかったと思った。寒々とした思いを噛みしめながら、右手の指先がズボンのポケットの中を探っていた。二つ折りした千円札に触れた。一次予選を通過していたら、雑誌を買おうと思っていた。千円札は喫茶「菩提樹」で一杯のコーヒーと釣り銭に変わることになった。
私はテーブルに頬杖を突いていた。
「どうしたの。顔色が悪いね」
ウエートレスの杏佳(きょうか)がコーヒーを置いた。
「溜息ばっかり」
杏佳はぷいと店の奥へ戻って行った。途中で常連客に話しかけられた。弾けるような杏佳の笑い声が耳障りだった。
私はジュークボックスから流れる荒井由実を聴きながら、窓の外の街明かりを眺めていた。今まで書き始めては途中で投げ出していた。今回は一か月かかって、初めて最後まで書いた。タイトルは「絵本の中の宇宙」。原稿用紙にして三十枚の小説だった。処女作短編ということになる。私が小学生だった頃、一九五〇年代後半から六〇年代にかけてアメリカとソ連が熾烈な宇宙開発競争をしていた。冷戦時代を背景に、宇宙やロケットに惹かれていく少年の成長をノスタルジックに綴った。自分の少年時代を題材にしたことで思い入れがあり、一次予選にも入らなかったことに少なからず落胆したことは間違いなかった。
「アルバイトは続いているの?」
また杏佳が来て私に話しかけた。
「続いてるよ」
「前に聞いたところ?」
「うん、特許事務所」
「どこにあるんだっけ」
「神田だよ」
「あ、そうか」
杏佳は盆を胸のあたりに持ったまま軽くうなずいた。
「正社員にはならないんだよね。君は作家を目指しているから」
「うん」
私は憂鬱に頷いた。小説を一つ書いただけだ。作家を目指していることに違いないが、気恥ずかしくて普通は大っぴらに人には言わないはずだ。前に杏佳と遊園地でデートしたことがあった。帰りに居酒屋で、自分の夢だとか喋ってしまったのだ。
文学部の受験も不首尾に終わり、文系への転身は諦めた。仕方なく三年次に籍のある物理科に戻り、単位をほとんど一から履修しなければならなかった。その結果、入学から卒業まで六年かかった。卒業するための最低限の勉強しかやらなかったので、SF作家になりたいと思いながら、尊敬するアーサー・C・クラークのような深い学識は身につかなかった。
大学を卒業してからも、私は特許事務所でアルバイトを続けていた。弁理士の資格を取ろうと考えたこともあったが、試験が超難関であることを知ってあっさりやめた。特許事務所に勤務しながら弁理士試験を二十年受験し続けている人がいることを知り、同じ時間を物書きになるために使いたいと私は思った。
勤務が定時に終わると真っ直ぐ西荻窪のアパートに帰った。部屋に入ると六時。座布団代りに敷き放しで薄くなったマットレスの上に横になる。少し体を休めてから立ち上がる。湯を沸かしてコーヒーを淹れる。座卓の上にコーヒーとタバコとライター、そして灰皿を定位置に置く。タバコを一本取り出して火をつけ、大学ノートを開く。昨日までの記述が一瞬目に入る。が、目は通さない。それでも昨日まで書いたくだりが少し記憶に上る。昨日書いたページに余白があっても、必ず新しいページを開く。真っ白のページに七ミリ幅三十行の罫線があるばかりだ。開いたページの上にタバコの煙を吹き付ける。傍らのコーヒーを一口啜る。2Bの鉛筆を握って左上から書き始めた。今日のコンディションで書いていく。日によって調子が変わっていてもいい。
私は自分が神経質で完全主義の要素があることを自覚している。だから一貫性を気にせず、その日その時の気分を修正せずに書くことにした。最後まで書き上げたら、推敲の段階で調整すればいいのだ。最後まで書き続けられるかどうかも分からないのに、細かいことに気を取られるわけにはいかなかった。最後まで書き上げることが肝心だった。
「絵本の中の宇宙」を書き上げた時、傑作をものにしたと思った。自分は天才ではないかと。一か月で一作のペースなら、作家デビューは近いと思った。が、後が続かなかった。自分の少年時代を書いたらネタが無くなったのだ。しかし考えてみれば、波乱万丈の人生を送ってきたわけでもなく、東京に来てからも、華々しい出来事や、思わず人に話したくなるような経験などは無かった。自分の来歴を題材にすれば、後は何も残らなかった。
その名刺は本棚の上にジャズ喫茶のマッチ箱などと一緒に置いてあった。名刺には「アステカ書房 鶴見吾郎」とあった。
翌日、仕事を一時間早退して出版社を訪ねた。集合ビルの三階の一角に「アステカ書房」とプレートが架かっていた。ドアをノックしたが返事がなかった。思い切ってドアを開けた。予想よりはるかに小さな事務所だった。書類で埋まったような机に向かって鶴見が一人いた。タバコを燻らせながら何か考え事をしていたようだ。ふと気がついたように、顎が大きなしゃくれた面長の顔が私の方を向いた。度の強い眼鏡越しに私を見つめる目があった。
「こんにちは」
私は気圧されてぺこりと頭を下げた。
「どちらさま?」
割れた声が唇の端から漏れ出た。
「ああ……以前に名刺を頂いた者です。と言っても、たぶん忘れてらっしゃると思います。五月に新宿で行われたSF祭りでした。隣にいらしてアーサー・C・クラークの話で盛り上がりまして、それから新宿の「ジャン・ギャバン」というバーで水割りを奢って頂きまして、その時に鶴見さんから名刺を頂きました」
私は一気に喋った。鶴見が首をひねった。
「その店で、SFの可能性について鶴見さんのお話というか、持論を聞かせてもらいました」
「うーん」
鶴見が宙を見た。あの時は途中で鶴見の知人が来たので、私は先に店を出たのだが、鶴見は長居して深酒したのかもしれない。それで私のことなど忘れてしまったのか……。
「その時に、書いたものを一度見せるようにと言われまして」
「そういえば……」
少し思い出したようだった。ようやく光が射した。私は少し安堵した。
「ああ、あの時の。たしかSF作家志望の人かね」
ひび割れた声で笑った。
「そうです。中村と言います」
「うむ。で、今日はどのような用件なのかな」
「書いたものを読んでいただいて批評をしてもらえればと思って持ってきました。実は奇想天外新人賞の一次で落ちたものです。応募したもので失礼かなと思ったのですが」
私は紙包みから原稿の束を取り出した。応募原稿は返却されないので、郵送する前にコピーしたものだ。
「読んでいただけますか」
意外にあっさりと鶴見は原稿を受け取った。
「いつとは約束できないが」
私は職場の電話番号を原稿の端に記入して渡した。
「よろしくお願いします」
頭を下げてアステカ書房を出た。階段を下りて通りに出た。原稿を読んでもらえるということが単純にうれしかった。まして相手はプロの出版人だ。どんな批評が返ってくるのか、楽しみであり怖くもあった。私は少なからず興奮していたのだろう、来た道と反対方向へ歩いていた。
三日後鶴見から電話があった。予想外に早かった。
「鶴見です……」
ひび割れた声が受話器から流れた。六時に神田の喫茶店「さぼーる」で会いたいと言った。
「出版社から?」
タイピストの木村さんが本立ての間から見えた。
「ええ」
「本になるといいね」
私は笑ってうなずいた。木村さんはすぐ書類に目を落とした。
「さぼーる」は出版社のすぐ近くだった。約束の二十分前に店に入った。入り口に近いボックス席に座り、ウエイトレスには後から連れが来ると言った。「木綿のハンカチーフ」が流れていた。えんじ色のソファのような椅子は居心地が良かったが、私は落ち着かなかった。採点結果を待つ受験生のような心境だったからだ。
六時過ぎに鶴見が店に入ってきた。椅子に座るとすぐタバコに火をつけた。
「早速だけど、読ませてもらった」
「ありがとうございます」
心臓の鼓動が速くなった。
「いかがでしょうか」
声がかすれた。
「悪くない。いやむしろ面白い。子供の頃から絵本や雑誌で宇宙にひかれていった主人公が、成長につれて宇宙への探究心をさらに深める。難しい知識を身につけていく。中学時代に手製のロケットを作って飛ばす。成長につれて宇宙への関心が進化していく過程が、米ソの宇宙開発史を時代背景にして語られる。これは、理科の好きな少年の、ビルドゥングスロマンと言っていい。率直に言って、とても新鮮だと思った」
鶴見は運ばれてきたコーヒーに砂糖を二杯入れミルクをたっぷり注いだ。
「宇宙への憧れを掻き立てる文章もいいし、戦後の日本の世相史を理系の切り口でとらえる狙いもいい」
鶴見が褒めている。しかし私はだんだん不安になってきた。果たして、鶴見はコーヒーカップを持ち上げたまま、
「ただ……」と言った。
私はどきりとした。
「これは小説というより自伝だね。会話も少ないし物語として致命的な点は、人間が描かれていないことだ。ノンフィクション風でこういう形式もあっていいと思うし、個人的には面白いと思うが、物語を期待する一般の読者にとっては、何とも物足りないものだ」
「はあ」
私はうなだれた。やはり駄目か……。
「この後主人公はどうなるのかね?」
「それを書いても意味がないと思います」
「なぜ?」
眼鏡の奥で鶴見の眼が光った。
「高校へ行ってから成績が下がりまして」
何でこんなことを言うのかと自嘲した。
「何年も浪人をした挙句ついに医学部は諦めて、やっと受かった大学の物理学科を二年留年してどうにか卒業しましたなんて……自分の暗い時代、冴えない試行錯誤の日々を書いたところで、出来の悪い私小説にしかならないと思うんです」
つい感情が入った。自己嫌悪を感じて私は俯いた。しばらく鶴見はタバコを燻らせてからおもむろに口を開いた。
「それを書くべきだとぼくは思う。清らかな少年時代なんだ、この小説は。だがそれだけじゃ物語の半分に過ぎない。その次の時代、君がたどった十代の後半も知りたいのだよ、読者は。つい最近まで騒擾を起こした連中も十代の前半までは君と同じように屈託のない日々だったに違いない。故郷を離れて大学へ進んだ頃から急激に変貌していったのだ。十代の終わり頃から彼らにとっての疾風怒濤、あるいは試行錯誤の時期となった。君もその渦中にいたのかな」
「いえ、私はノンポリと言うか、周辺で傍観していただけで……むしろ、自分の進路のことで悩んでいました」
「ふむ。それで今は?」
「SF作家になりたいと思っています」
「あ、そうか。そうだったね」
鶴見は笑いながら頭に手を置いた。
「SFは食えないよ」
「そうなんですか」
「SFだけで食っているのは数人だね。あとは教師やサラリーマン、翻訳の仕事などしながら書いている」
「……」
「特許事務所に勤めているんだよね。弁理士の資格を取ったらどうかね。物理出身だったら最も相応しい資格じゃないか」
それは一度検討してすでに結論を出していた。それで私は急いで言った。
「試験がすごく難しいんです。合格率が数パーセントなもんで」
「頑張って勉強すればいい」
「受かるまでに何年かかるかしれないです。私はSF作家になりたいのです」
「二年とか三年とか期限を設けるのさ。その間は弁理士試験の勉強に集中する。無事資格を取って生活の安定が得られたら、並行してSFを書けばいい」
「私は作家になりたいのですが」
鶴見は私の心中を見抜いて苦笑した。
「長い人生で二年や三年の回り道なんて大したことないが」とつぶやくように言い、
「仕事からネタが生まれることもあるんだが……。若い人は往々にして性急に作家になりたがる」
「でも自分は今、作家になることしか頭にないのです」
鶴見は軽くため息をつき「わかった。じゃあそれを前提としよう」。
「はい」
「では話を戻そう。この作品の時間軸を延長して、十代の後半以降を加筆したまえ。一人称のままでいいから、君の暗黒時代を同じ枚数書く。加筆して物語性が濃くなれば、今度うちが出すアンソロジーに載せられるかもしれない」
活字になるかもしれないという。私はまた息を吹き返した。しかし高校時代以降は正直書きたくなかった。
「SFにはならないと思います」
「君が困惑するのは分かる。有りのままを書けばSFではなくなるのではないかと。その通りだ。私小説でも青春小説でもいいのだが、うちはSFの出版社だ。作品のどこかにSFの印が無ければいけない。だからたとえば、理科少年だった主人公が、真っ直ぐ科学者を目指すのではなく、文学としてのSFに惹かれるようになり、独特のストーリー性に囚われていくといった過程を描けば、ある種のSF論として読めるだろう」
鶴見の言うことはすぐには理解できなかった。
「あとは君の腕次第だ。SFのFはフィクションのFであり、ファンタジーのFでもあるのさ」
鶴見はタバコを灰皿でもみ消し、コーヒーカップを仰いで底に溜まったコーヒーをすすり、テーブルの上の伝票を取った。
「予定があるから先に行くよ。原稿が仕上がったらまた持ってきなさい。それと、プロの作家になりたかったらSFだけにジャンルを限定しないことだ」と言って去って行った。原稿の入った紙袋がテーブルの上に残った。
――これっきり これっきり もうこれっきりですか――と、山口百恵の歌が耳に飛び込んできた。「SFの印」て何だろうと考えていた時だ。私はしばらく聴き入っていた。
鶴見は、理科少年だった主人公が、小説物語に囚われていく十代後半からの物語を書き加えることを助言した。題材的には私自身をなぞるほかなかった。他方、フィクションとして仕立てられるアイデアは、思いつかなかった。開いたノートの上で鉛筆を握りながら、一行も書けなかった。そうして日が過ぎた。何かしら書けないわけではなかったが、最低限SFでなければならないと釘を刺されていた。SFの印がないと採用されないと言われた。数多くのSF小説を読んで、自分の頭の中に生成されたSFらしい話を、私は書くことができなかった。既成のアイデアやストーリーの寄せ集めでしかなかった。それらを咀嚼して血肉になっていなかったのだ。鶴見の話はいったん忘れることにした。私は自分が書けることをシンプルに書くことにした――。
――科学者を目指していた「ぼく」は、異性への関心から勉強に身が入らなくなる。そんな時、書店で初めてSF雑誌を見つける。それがSFとの出会いだった。たちまちSFの虜となる。高校に上がると予備校のような雰囲気に嫌気が差して、ぼくはSFの世界に逃げ込んだ。学業がおろそかになり成績が急降下した。数学力を喪失したことに焦燥感を感じながら、ぼくは三年間を無為に過ごしてしまう。当然ながら志望大学へは進めず、浪人時代を経てやっと進学した夜学の物理科でも数学を挽回できず、科学者への途は断念する。
他方SFの読者に飽き足らなくなったぼくは、SFの書き手になりたいと思う。A・C・クラークら先人たちのSFは、自分には到達不可能なレベルにあり、手本にもならなかった。試行錯誤した末にぼくは一つの結論を得る。慣れ親しんだ本格SFを自分は書くべきではないということだ。
科学もしくは疑似科学を前提にしなくても、SFの魅力である独特の味わい、えも言われぬ不思議感を表現し得るのではないか。自分がよく知っている個人的な世界の中から、それらを見出そうとぼくは決意する。SFも広大な物語世界の一つの構成要素にすぎないのだ――。
一か月後加筆原稿ができた。私は再びアステカ書房を訪ね、厚みが二倍になった原稿を鶴見に渡した。翌日鶴見から電話があった。来年一月出版予定のアンソロジーに掲載する。校正のときに連絡すると言って電話が切れた。原稿の内容について鶴見は何も言わなかった。審査をクリアしたのか? 採用されなくても仕方がないと思っていた。原稿が活字になる嬉しさより、鶴見がSFの括りに入れてくれたことに感激した。
予定通り翌年一月に本は出版された。私は新宿の紀伊國屋書店に寄った。その日店頭に並ぶと鶴見から聞いていたからである。一階入り口の新書コーナーは素通りして、エスカレーターで二階に上がった。SFの新書、文庫コーナーに私は直行した。今月の新刊書という書架に「新人特集'77」が平積みされていた。
店頭販売の一週間前に、刷り上がったばかりの本十冊と、原稿料五万円が入った封筒を鶴見から手渡されていた。だから自分の小説が、モンドリアンみたいな絵で装丁された本の巻頭にあることや、掲載されたのは小説の後半部分のみであることを知っていた。だが盛り場の有名書店で、自分の小説が載った本を眺めるというのは、格別の喜びというものだった。
私は平積みされた一番上の本を取り上げてページを開いた。真新しいインクと紙のにおいが立ちのぼった。目次を見た。タイトルと自分の名前の活字が目に飛び込んだ。目次と本文を何度も往復しながら、私は自分の小説の二十ページ分をうっとりした気持ちでめくっていた。
隣に学生ふうの若い男が来て平積みの『新人特集'77』に手を伸ばした。SFファンなのだろう。ぱらぱらと全体のページを繰ってから一ページから拾い読みし始めた。私の小説を読んでいる。と、次の瞬間、彼は本を閉じて元の場所に戻し、別の本を手にした。結局本は買わず、その男は移動していった。私は失望した。しかし私だって彼の立場なら、書店の中を勝手気儘に見て回るはずだ。
その後も短編小説を採用してくれることがあった。一人の読者からファンレターが編集部宛に届いた。SF誌の書評で褒めてくれたことさえあった。細々と小説を書いていたが、原稿料は僅かで、作家として生計を立てることなど夢だった。それで相変わらず特許事務所でアルバイトを続けていた。
木村鹿乃 一九七七
十時ちょうどに木村鹿乃(かの)が清書し終わると、先生はそれをホッチキスで止めた。さらにクリップで一つにまとめ、黒い鞄に入れて事務所を飛び出していった。
部屋の中が急にしんとした。私は今日の調査項目を『電子卓上計算機』と決めて日誌に記入し、行先予定表のボードに「丸山ライブラリー」と書き込んだ。出かける前にふと気になってカバンの中を点検した。財布を忘れていた。ポケットの小銭入れには二、三百円しかないだろう。木村さんが流しで洗い物をしていた。
「木村さん」
木村が顔を向けた。
「すみませんが千円貸してもらえませんか。財布忘れて来ちゃったみたいで……」
布巾で手を拭くと木村は私に背を向けてハンドバッグを開いた。
「これでいい?」
千円札が三枚。
「あの、千円でいいです」
「これぐらい持ってなきゃ彼女とお茶も飲めないわよ」
「彼女なんていないですよ」
「あら、そう」
木村の目が笑っていた。
「じゃ、お借りします」
丸山ライブラリーは緑濃い公園に面したビルの一階にある。内外の科学技術分野の定期刊行物を網羅した、民営の会員制の図書館である。私は数種類の技術雑誌のバックナンバーを広げ、目当てのページに栞を入れながら、コピーの請求用紙にページナンバーを記入していった。視界の隅でちらちら動くものが見えた。窓の外、犬を連れた女が木立の中を歩いていた。ふと木村を思い出した。公園を歩いている女の白いロングシャツが、今日木村が着ていた白のブラウスを連想させたのだ。
――五月にしては蒸し暑い日だった。事務所の冷房はまだ入らない季節だ。木村の額に汗が滲んでいた。袖をまくった二の腕から香水のいい匂いが漂った。
次々と想像が湧き始めていた。私はラウンジのコーヒーサーバーに行き、紙コップにコーヒーを注いで、窓の近くのスツールに腰かけた。犬を連れた女はもういなかった。ある種の感情が起こり始めていると私は思った。
五月末の土曜日。その日は隔週の出勤日で仕事は昼までだった。所長は急の出張で昼前に出かけていった。事務所には戻らない。木村さんと二人きりになるのは珍しくなかったが、その日は部屋の空気に少し変化が生じた。土曜の午後の過ごし方など、私は木村と他愛のない雑談をしていた。よく喋る木村が意外だった。無口な人だと思っていたのだ。近辺のおいしいランチの店の話で盛り上がった後だったから、「今日お昼、うちで食べない?」と言われても、唐突な感じではなかった。
「カレーたくさん作っちゃって。食べ切れなくて困っているの。中村くんカレーが好きだってさっきも言ってたし」
確かにカレーのうまい店を一つ挙げたばかりだった。
「好きですね」
「辛いのはお好き?」
一瞬コケティッシュな表情をした。普段クールな人にしては意外で、それがひどく新鮮だった。
「辛いの、大好きです」
私はことさら大真面目に応えた。木村が笑みを浮かべた。
「スパイスを合わせて作るから、オリジナルよ」
「へえ、本格的なんですね」
などと相槌を打つうちに彼女の計略にはまっていった。もちろん自ら飛び込んだのだが――。
蒸し暑い曇り日だった。木村は商店街のスーパーに入った。私は店先の自動販売機でパインジュースを買った。木村が袋を下げて店から出てきた。
「お待たせ」
歩き出して私が持っているジュースに目を留めた。
「おいしそう」
「飲み残しで良かったら、どうぞ」
滴のついた冷たい缶を差し出した。まだ半分以上残っている。
「いただくわ」
木村は二口飲んだ。
「おいしい」
飲み口をハンカチで拭って返した。
「ありがとう」
「ここは、住みやすそうなところですね」
残りのジュースを飲みながら、私はありきたりなことを言った。
「都心から近いわりに自然が残っているわ」
商店街を過ぎて住宅街に入った。ここまで一本道のわかりやすい道だった。
「こっちよ」
木村はアパートとマンションの間の道を右に曲がった。正面に大きなケヤキが見えた。公園のようだった。良い目印ですねと私が言うと、
「この木で、初めて来る人も道を迷わないわ」
公園の手前で住宅街を左に折れ、ちょうど駅からの道と並行に進んだ。
鬱蒼とした木立の中に大きな洋風の家があった。木村は小ぶりの門扉を開け、郵便ボックスの中身を取り出して、所々ペンキがはがれた扉の鍵を開けた。
「借家なの。古い家よ。日当たりも風通しも良いことだけが取り柄だわ」
庭に面した応接間のような部屋に通された。木村はカーテンを開け、大きなガラス戸を開け放った。雑木林のような庭に面していた。部屋の中に風が入ってきた。
「凄く庭が広いですね」
私は驚いた。どれぐらいの広さだろう。
「そう?」
木村は関心がなさそうにうなずいた。
「あの……あれは?」
私は庭木の間に見える白いものを指さした。
「石膏のオブジェのような……」
「私の作品」
「木村さんの作品?」
「そう」
これも意外だった。今までそんな話は聞いたことがなかったからだ。
「コーヒー淹れるわね」
木村が部屋から出て行った。正面に小さな絵が一点掛かっていた。横の壁にも一点、振り返ると後ろにも一点。いずれも抽象化された人物が一人、二人、そして三人。
「お待ちどうさま」
木村がコーヒーとスーパーで買ったらしいチーズケーキを運んできた。テーブルの上に並べ終えると、傍らのストゥールに木村が座った。ライトグレーのTシャツと紺デニムの短いスカートに着替えていた。イメージがさらに変わった。元々ショートヘアだから大学生のように見えた。
「この絵も木村さんの作品ですか?」
「そう」
「木村さんて美術をする人だったんですね。意外でした。あ、気に障ったらすみません」
木村が肩をすぼめた。
「あなただって、アルバイトをしながら小説を書いているよね」
「その通りです」
「だから同じよ。タイピストは生計の手段なの」
「こんな大きなお屋敷に住んでいるのに」
「だからお金がかかるんじゃない」と微苦笑しながら立ち上がった。
「カレーを食べきゃ。おなかすいたでしょ」
その通りだった。十二時に事務所を出て、すでに一時半だった。
ダイニングキッチンで私たちは遅い昼食を取った。
「スパイスがすごく利いている」
私はコップの水を一気に半分飲んだ。
「辛いでしょ」
木村はこめかみに汗を浮かべながら、私のコップに冷水を注いでくれた。
私たちは熱心にカレーライスとサラダを口に運んだ。スプーンとフォークが皿に当たる音が響き、ひっきりなしに水を飲んだ。
「お代りする?」
「あ、はい」
木村は立ち上がって、空になった私の器にご飯とカレールーをよそった。私はハンカチで額の汗を拭った。もうその時には、私と一緒に食べるために木村さんはカレーを作ったのだと気がついていた。
「ずっと和文タイプの仕事なんですか?」
お代わりしたカレーを食べながら私は木村さんに聞いた。
「今の仕事は二年位かな。その前はずいぶん色んな仕事をしてきたわ」
私はスプーンを持つ手を止めた。
「大学を卒業して一部上場企業に就職。一年で退職して美大に入り直して、授業料を払うためにスーパーのレジ打ち、デパートの店員、スナックのアルバイト、清掃人、旅館の仲居もしたことがある」
「美大に入り直したというと」
「その前は女子大の文学部」
「文学から美術に方向転換したんだ」
「物心つく頃から文学も美術も好きだったわ。高校に入る頃から日本の近代小説に傾倒して文学少女になった。それでつい国文に進んだの。幼稚園から大学までエスカレーター式に行けたから、気軽な気持ちで国文科を選んだけど……クラスの雰囲気に違和感があったの」
「自分とおんなじ文学少女が周りに大勢いたとか」
「そうなの、その通りよ」と笑った。
「何だか妙に冷めてしまって、国語の教師を目指す気も無くなって、普通に一般企業に就職したの」
「あの、文学から美術に転じたのはどういう理由から?」
私にも縁のない話ではなかった。それどころか、少年時代から文学も美術も両方好きだった。十代の後半から小説により深く傾倒しただけだと思っていた。
「そうね……」
一呼吸置いた。
「静けさ、かな」
コップの水を一口飲んだ。
「言語が表現手段である文学って静けさに欠けると、ある時思ったの。言挙げ、物言いはもうたくさんって。文学は喧噪で饒舌過ぎると思い始めて嫌悪感を覚えるようになったのね」
「はあ……」
私は黙って聞くしかなかった。
「父が蔵書家で小さい頃から本に囲まれて育って、いつか自分でお話を作りたいと思うようになった。大きくなったら本を書く人になりたいと夢見たわ」
「小説家とか?」
「そう、小説家」
私を指差して笑った。私はただ苦笑するしかなかった。
「言葉はね、何でも明瞭にしすぎるのよ。まだ形にならない、もやもやとした感情や衝動みたいなものに性急に名前を付けずにいられない。既成の言葉を組み合わせて急いで解釈しようとする。その瞬間、戦慄のようなおののきや、いわく言い難い、わくわくするものがすり抜けてしまう。性急に言葉に置き換えようとして、繊細で微妙なニュアンスをすくい損ねているのじゃないかしら」
「……」
「文学はね……特に小説は意味を指示する言葉に依拠している。だから、表現が類型的になる宿命から免れ得ない」
「そうかも……」今度は小さな声で私はつぶやいた。
「その上商業ベースに毒されているのよ、今の文学は。どうしてこう、いつも同じ欲望を見せつけられるのかしら。さもなくば、もったいぶったメタファーばかりで空々しくって寒気がするわ」と言ううちに、本当に顔色が青くなり、木村は身震いした。Tシャツから出ている二の腕の皮膚が粟立った。
「あの、大丈夫ですか」
私は思わず声を掛けた。しばらくして木村は憑きものがとれたように脱力し、大息をついた。
「とにかく私は小説が大嫌い」
「ほとんど小説を憎んでいるみたいです」
それには応えず、木村は少し考えていた。
「賞を取って一夜でベストセラー作家になった人がいたわ。売れて駄目になったの、その人」
「売れて駄目になるって、小説の世界だけじゃないと思うんだけど……」
「もちろんそう、画家も同じ。商業主義に翻弄されて駄目になるケースは芸術のどの分野でもあるわ」
いったん言葉を切って水を飲んだ。
「絵というか美術作品は静かなの。小説のようにお喋りじゃない。言葉によって表現できない情動や衝動は、偶然によるアクションペインティングやパフォーマンスの形を通して表現される……」
独白のように語り始めた木村の口元を見ながら、私は、前に行ったことがある現代美術展で、鑑賞されることを拒絶しているような謎めいた作品群があったことを思い出した。
私が食べ終わると木村さんは食器を片付けて、果物とコーヒーを運んできた。テーブルに頬杖をつき、サクランボをほおばりながら木村が言った。
「中村くん、美術に関心ある?」
「少しだけ」
本当は大いに関心があった。上京してから、めぼしい美術展はすべて足を運んだ。中でもシュールレアリズムに惹かれた。どこかSFに通じるイメージがあったからだ。
「誰の絵が好き?」
「誰と言うより、シュールレアリズムの絵が好きかな」
「ダリとか?」
「そう。あとマグリットとか……あ、デルヴォーも」
「デルヴォー?」
木村が聞き返した。
「ベルギーの画家で……」
夢の中のように静まりかえった夜の街路を目を大きく見開いた全裸の女性が彷徨っている。それがデルヴォーの絵だ。濃密に描き込まれた黒や栗色の恥毛がひどくエロティックだった。
「ああ……デルヴォーね」
木村が皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「裸婦が好きなんでしょ? やっぱり男の人ね」と私の目をのぞき込んだ。
「はあ」
私は顔を赤らめて俯いた。
「ヌードなんて一つのフォルムにすぎないの」
「そうなんですね」
「私だって裸婦モデルをしている」
「え?」
「絵画教室のバイト。時々だけどね」
「そうなんですか……」
私はつぶやいた。
「ニューヨークへ行きたいからお金を貯めてるの」
と言ってコーヒーを一口飲んだ。私もコーヒーを飲んだ。少し間が開いた。微妙に空気が変化したように感じた。
「あの、庭の石膏作品は何を表現しているんですか」
私は話題を変えようと思った。
「ああ、あれはね……」
と制作意図を話し始めた。が、私は美術教室でポーズを取る木村の裸身を想像していた。木村のTシャツの胸ぐりから白い肌がのぞいていた。膝を組んだ太ももの半ばまでスカートがまくれ上がっている。
と、いきなり木村が立ち上がった。
「アトリエを見て」
私も慌てて椅子から立ち上がった。
「お昼ごちそうさまでした」
口の中でもごもごと礼を言った。
「どういたしまして。こっちよ」
北向きの部屋はカーテンが下ろされ、油絵の具の匂いが充満していた。美術教室ができそうなくらいの洋間の中央にいくつかのイーゼルと数点の家具が置かれ、窓の下や周りの壁沿いに描きかけのキャンバスや、作りかけの彫刻などが並べられていた。床はグレーのシートが敷き詰められていた。無数の絵の具の跡が落ちていた。溝のように深いシートの皺に私は足を引っかけた。木村が小さく笑った。
「ごめんなさい。借家だから床を汚したくないの」
「ここはいつまで借りていられるの?」
「家主がアメリカから帰ってくるまで、あと三年。彼女が帰ってくるタイミングで私はアメリカに行くつもりよ」
言いながら木村はカーテンを半分引き、窓を少し開けた。外気が入ってきた。田舎のような匂いがした。開いた窓から鬱蒼とした木々と青い空が見えた。まるで郊外の田舎のようだった。ポロックが住んだニューヨーク郊外のような空想が浮かんだ。
「ここに座って」
木村の声がした。空想から覚めた。振り向くと、彼女は白布を掛けたソファに座っていた。
「はあ」
「私の横に座ってみて」
と言って右手を座面に置いた。優しい言い方だったが、どこか有無を言わせない感じがあった。
「記念写真を撮る時みたいに私の横に座って」
私は彼女の隣に座った。カーテン越しに射し込む陽光が照明灯のように眩しかった。
「そう、そのままでいてね」
木村はソファから立ち上がった。トートバッグからデッサン帳と鉛筆を取り出し、折りたたみ椅子に座った。私と向かい合うと、デッサン帳を広げいきなり鉛筆を走らせた。
「じっとしててね」
子供をあやすような口調だった。木村の顔が私とデッサン紙を素早く往復し、鉛筆を持つ手がせわしなく動いた。これは予期しない展開だった。あまり居心地が良くないと私は感じた。木村の顔と瞼が上下するさまを、私は何分くらい見続けていただろうか――。
木村が椅子から立ち上がった。
「今の中村くんよ」
デッサン帳を私によこした。木村の目がいたずらっぽく笑っていた。そこには、上半身が引き伸ばされた人間がいた。その人間は記念写真の被写体のように座っているはずだが、その場から脱出したがっているかのように、膝に置かれた両腕から上半身が上に伸びようとしていた。肩が強ばり、宙を見る目に微かな焦燥感が漂っていた。荒い素描だったが、私の心情が的確に描かれていると思った。
木村がイーゼルに新しい紙を留めた。
「今度はここに立って。自然体で。そうね……心地よい風が吹き抜ける草原の真ん中に自分が今立っていると想像してみて」
言われるまま私は腕を後ろに組んで、右足に重心を置いて少し傾いで立った。安定した姿勢だった。私は草原の中にいるのだと意識した。木村さんの目が熱を帯びてきた。周期的に見つめられることに慣れてきた。木村は短時間で素描し、再び私に絵を見せた。人物から緊張と焦燥が消えていた。その代わり、過剰なまでの線の重なりが、うつろだが妙に陶酔した表情を浮かび上がらせていた。
「これがぼくなんだ」
「中村くんというリアルな人を通して、あらわになる情念を」と言いながら、木村は新しい紙に換えた。
「捉えたいの。だから……」
一瞬間があった。
「ヌードになってくださる?」
乾いた声だった。予感がなかったわけではない。しかし少し唐突ではないか? 木村と目が合った。強い光を帯びてはいたが、強制でも懇願でもなく、むしろ穏やかな目だった。それでも私は躊躇った。いや、躊躇う振りをしなくてはならなかった。
「あなたという人の……ではなく、あなたという人を通して流れ出てくる、もっと深い感情を描きたいの」
言いよどみながら、木村は本心を絞り出すように言った。私は無言でこくりとうなずいた。木村が大きな紙バッグを持ってきた。
「服はここに入れて。脱いだらこのバスタオルを巻いてて」
と言って後ろ向きになった。画材を揃えている間に私は全裸になりバスタオルを纏った。木村が向き直った。
「バスタオルを取って」
私は裸像として木村の前に立っていた。ポーズはさっきと同じだった。私を見つめているのは、職場で同僚の木村さんではなく、画家としての彼女のはずだ。しかし私は動揺を抑えきれなかった。ぎこちない心持ちが身体の安定を欠いた。私の心中を察したのか、
「目を閉じて」
私は目を閉じた。
「あなたは今、人っ子一人いない海岸にいる。そして彼方の水平線を見ている。……そう、深呼吸して」
私は口から息を吐ききった。そして鼻孔から胸いっぱいに海岸の空気を吸い込んだ……。
「目を開けて」
目の前に木村がいた。木村が対峙しているのは単なるフォルムだろう。彼女がそう言ったのだから。しかし私は……。ペニスが自意識を持ち始めるように頭をもたげてくる気配がした。美術家としての木村さんに見られるのは少し慣れた。が、異性としての、タイピストとしての木村の視線にさらされていることが少しでも意識に上ってくると……。
「自然に身を任せて。あるがままの内なる自然に」
そう言われると、なおさら性器に意識が向かった。すでに充血して重く垂れ下がっていた器官が固くしこり、斜め前に緩やかに頭をもたげていった。どう振る舞えばいいのか分からなかった。木村さんは表情をぴくりとも変えず、鉛筆を走らせていた。私は泳ぐときに身体を水に委ねるように、身体の内から溢れ出る情動に身を任せようとした。せき止められていた欲望が解放され、身体の一点に向かって流れ出した。ペニスが固くエレクトし、脈打った。私はあるがままの状態で静止直立し、木村さんは画面と私とを忙しく見比べながら、しきりに鉛筆を動かした。紙の上で鉛筆がすれる音と消しゴムをこする音だけが聞こえてきた。
私は裸でいることにぞくぞくするような感じを味わっていた。ヌードモデルとして異性の目で子細に見られることを望んでいたのだと、今初めて気がついた。そして性的な自己愛があらわになることを、密かに願っている自分にも気がついた。
生暖かいアトリエの空気に馴染んでくるとともに、次第に器官が下がっていった。それと同時にデッサンも出来上がった。
「見てみる?」
イーゼルから外した絵を置いて木村は飲み物を取りに行った。絵の中心に男性器があった。それはダ・ヴィンチの解剖図のように、展開した状態から折りたたまれた状態までが描かれていた。そして性器の精密さに較べてやや粗い人物像が、あたかも男性器に付属するかのように描かれていた。あるいは、身体は、伸び縮みする精妙な道具の土台として見なされているようだった。そこには、自己愛に耽る陶酔した男性像はなく、男性の体の一部の可動部分が極端にデフォルメされていた。エレクトした器官が濃い輪郭で何重にもなぞられていた。むしろ、そこに木村の心象があらわに出ていた。木村も性器そのものに強く囚われているのかもしれない……。
木村さんがティーポットと二つのマグカップをテーブルに置いた。
「一休みしましょう」と言ってポットからマグカップにたっぷりと紅茶を注いだ。私はバスタオルを纏った姿でソファに座った。
「どうも、うまくいかない」
紅茶をすすりながら木村さんが漏らした。表情が冴えない。
「もう少し描いてみたら」
甘くしたレモンティーが胃の中を温めた。
「いいの?」
意外そうに顔を上げた。
「うまく描いて欲しいから」と私は言った。
「でも、寒くない?」
と言いながら、木村はすぐ新しい紙を取り出した。
「大丈夫。紅茶で温まったから」
私はソファにやや斜めに座った。両足を普通に開き、両腕は身体の横にきちんと揃えておいた。公園のベンチで休息している人のようなポーズだった。木村さんは下半身を少し右にひねるように指示した。その結果、左膝が曲がって右足が開いた。傾いた上半身を左肘が支えた。やや不自然な姿勢で、ベンチで休憩していると言うより、疲れ切って横になりたい人のようだった。木村は性器の形状を横から見たいのではないかと私は思った。それで私はソファの上にずり上がり、左手に頭を乗せて横になった。一度両足を揃えて屈曲し、左足を曲げたまま右足を伸ばしていくと、自然に性器が露出した。ソファをデッキチェアに、場所をプールサイドに置き換えたら、ホックニーの絵のようだと私は思った。
「それに右手を添えて」
私は聞き返すように木村さんを見た。
「大きくして」と木村が目を伏せて言った。もちろん意味はすぐ通じたし、即座に実行できたのだった。(自慰する少年)。そんなタイトルが浮かんだ。油彩か何かにするつもりだろうか……とぼんやり考える内に、いつの間にか私は微睡んでいた。ふと目が覚めると、私は〝あれ″が萎んでしまっているのではないかと思った。そうではなかった。しかし下半身にバスタオルが掛けられていた。
木村はいなかった。手洗いに行ったのかもしれない。傾いた陽が何かに反射してアトリエに射し込んでいた。何時だろうかとぼんやり考えながら、私はソファから立ち上がり、バスタオルを腰に軽く巻いた。床の上に絵が置かれていた。傍らのテーブルに腰掛けて絵を取り上げた。ホックニーではなく宗教画みたいだった。寝顔をうまく利用していた。画中の青年はうっとりと目を閉じていて、右手の中にエレクトしたペニスがなければ、昇天する殉教者のようにも見えた。しかし私は微睡みながらではなく、覚醒した状態の「自慰する青年」を見たかったのだが……。アトリエに戻ってきた木村が無言で私の背後に立っていた。
「すごく古典的だ」
振り返ると、木村さんの視線が私の下半身に向けられていた。
「もっとコンテンポラリーな感じかなと思ったけど……」
と言いながら私は木村の視線をたどった。私は体をひねって自分の尻を見た。タオルの合わせ目が青く汚れ、尻から太ももの裏にかけて青色がまだらに付いていた。
「テーブルに座った?」
私はうなずいた。
「まだ乾いてなかったのね」
私の尻に付いた塗料を拭こうとしたのか、木村は私が巻いていたバスタオルを手に取った。しかし、ふと動きが止まった。木村は雷に打たれたように立ちすくんだ。一呼吸置いてぴくんと頭を上げ、アトリエの中を素早く見回した。ソファから白布をはがした。次にソファを動かし始めた。
「手伝って!」
木村さんが叫んだ。
床に敷き詰めたシートにソファの足が絡まってひどく滑りが悪かった。私は両膝をついてソファを押した。ソファが壁際に移動した。次に木村さんはファスナーを一気に下ろしてスカートを脱ぎ、ソファの上に置いた。頭からTシャツを脱いでその上に重ねた。もどかしそうに下着も脱いで重ねた。
全裸となった木村は、半乾きの青いテーブルを動かすことにした。二人でテーブルの両端を持ち上げて窓際に運んだ。二人の両手や下腹に青い塗料が付いた。アトリエの中に、およそ五、六メートル大のスペースができた。次に木村は、ソファから剥がした白布を床に広げ始めた。ダブルベッド大の白い布をシートの上に広げ、皺を丹念に伸ばしていった。手についた塗料で布が汚れても木村は意に介しなかった。ツイスターゲームのようなポーズになっていても無頓着だった。憑かれたように作業に熱中していた。白布がきれいに敷かれると、布の端を一周するように床のシートにガムテープで貼り付けた。木村が白布の隅を指さした。
「ここに座って」
私は尻を下ろした。白布の上に薄い青い染みが二つ付いた。尻に付いた塗料がほとんど乾いていたのだった。
「もう一度あのテーブルに座って」
私は言われたとおり、窓際に移動させた青いテーブルに腰を下ろした。
「布の上にお尻を付けて」
さっきよりはっきりとした青い染みだった。だが木村さんは首を振り、「ダメよね、これは」と呟いて腰に手を当てた。全裸で仁王立ちした木村さんの黒い茂みが目に飛び込んだ。と、木村は部屋の隅に走って行き、青の塗料缶を提げてきた。缶の蓋を開け、じかに刷毛でテーブル面に塗料を塗った。テーブル面が青色に濡れて光った。
「ここに座って」
私は塗料が塗られたばかりのテーブルに尻を付けた。液体の冷たさとぬるりとした感触を尻に抱いた。
「そのまま、ここに」
木村さんが白布の真ん中を指した。布の上に尻をつけたらすぐ立ち上がるらしい。尻を付けた後にくっきりとした青い丸が二つ付いた。
「テーブルにお尻を押しつけて、もっと広い範囲に塗料を付けて」
と木村が注文した。その通りにすると、尾てい骨から尻全体、陰嚢の裏まで青い形になって白布に写された。木村は感銘を受けたようだった。
「そのまま布にスタンプして」
二度目は同じ模様が薄く付いた。そんなふうにして一回の塗料で三か所、私の尻の青い座面がマークされた。次に、私は塗り直したテーブルに覆い被さった。腹が冷たかった。そのまま布上で腹ばいになった。大きな楕円形の染みが大陸のように、上腕の染みが二つの離れ島のように写された。同様に三回スタンプした。
布の白いスペースが青い染みで三分の一ほど埋まったところで、木村がテーブルを塗り直して、テーブルに自ら尻を下ろした。私がつけた青いスタンプの横、あるいは重ねるようにして自分の尻のマークをスタンプしていった。木村のマークはハート型に似ていた。
全面青色になった木村の尻が、エロティックで滑稽だった。木村もテーブルの上に伏せて身体の前面に塗料を付け、布上に腹ばいになった。乳房が二つの丸になって大きな楕円形の上にくっついていた。
塗り直した直後はマークが鮮明だが、スタンプの回数が増えると薄れてくる。木村さんは画面全体の濃淡や染みの配置を考えてスタンプしていったが、偶然にできる模様も重視しているようだった。だから、全体の調和をどこかで考えていた木村自身が、いつの間にかトランス状態に入り、無心にスタンプする傍らで、私も同様に身体の各部分をスタンプしていった。二人の行為は宗教儀式のようだった。
私と木村は青い裸体となって、一面青く染まった布の上に並んで横たわっていた。
「いい気持ち……」
木村の胸がゆっくり上下していた。乳首が青く尖っていた。
「疲れました」
「そうね。でも快感」
木村は生気を帯びていた。今まで見たこともない表情だった。
「イブ・クラインみたい」
「え?」
木村が聞き返した。
「フランスの。青いスプレーを使った人」
「じゃあ、次は茶色のスプレーを使おうかな」
「ほんとに?」
木村が私の顔を見て笑った。
「どうしたの?」
「鼻の頭がピエロみたい。青い」と言いながら私の鼻に触った。
「全身青くなっちゃったね」
私は木村の体に触った。塗料が乾き始めて胸も腹も荒れ地の平原のようだった。指先が下腹部の毛に触れた。縮れたまま刷毛のように硬くなっていた。指が下腹部へ届いた。反射的に脚を閉じた。
「そこはもう乾いているでしょ」
目が合った。唇を合わせながら抱き合った。がさがさとした感触が異様だった。舌を絡ませてキスをした。互いの性器に手が伸びた。木村さんが私のペニスを軽く握りしめた。疼くような快感が走ったが、その中にちりちりとした痛みが混じっていた。彼女の掌に乾いた塗料がひきつれのように付着していた。木村さんは私の下半身に覆い被さりペニスの先にキスした。歯と舌先で感触を確かめた。一度口から放して、ペニスの付け根と睾丸を両手ですくうように持ち上げた。男性器の作りを調べているようだった。
私は木村さんの尻の後ろから手を差し入れて性器に触った。潤滑液が溢れていた。私の中の男性性が衝動的に体を操った。木村がその動きを察知して遮った。
「それはしないの」
木村さんが上半身を起こした。
「いい? それはしないから」
木村は再びペニスを口に含んだ。ゆっくり上下にスライドした。次第にピッチが上がった。ある時点で苦痛を感じた。私は木村さんを止めた。体を離した。荒い息をついていた。
――少し眠った。気がつくと木村さんが私の背中に体をぴったりくっつけていた。二匹の海老のようだった。日は落ち、アトリエは暗く、体も冷えきったまま私たちは床の上に転がっていた。
「ここでは名前で呼んでね」
「鹿乃さん?」
「鹿乃でいいわ。中村くんを虎太郎って呼んでいいかしら」
「ええ」
それから私たちは浴室に行った。鹿乃が浴槽に湯を張った。私たちはシンナーを含ませたタオルで体の塗料を拭き取った。背中や尻は互いに拭き合った。私たちは裸族の姉弟のように無言でその作業に熱中した。皮膚が白くふやけ、気化した溶媒でふらふらしていた。一緒に風呂に入りキスをした。シンナーの味がしたように思ったが、たぶん錯覚だったろう。
翌週月曜日、全く何事もなかったかのように私と木村さんは振舞った。以前と同じ同僚として、微妙な空気の違いも生じる気配が無かった。それは私より木村さんの方が徹底していた。土曜日のアトリエでの出来事は、木村さんにとって単に作品を制作する一連の過程に含まれた行為だったのかもしれなかった。とすれば、私はその協力者にすぎなかったのだろうか――。
一か月が過ぎた。七月初旬の土曜日で梅雨入り前の爽やかな日だった。その日所長は不在だった。十二時五分前――木村の声色が変わった。
「ねえ……」
その瞬間、いつかの土曜日のような展開になることを私は予期した。
「今日はうちでパスタを食べない?」
私に異存はなかった。
トマトソースで和えたパスタは酸味が利いて私の好みだった。よく冷えたワインではなく炭酸水がグラスに注がれた。熱々のパスタと冷たいサラダの後に葡萄を食べた。コーヒーを飲み終えると、
「準備するから先にアトリエに行くね」
と言って木村さんが席を立った。私はもう一杯コーヒーを飲んでからアトリエへ行った。アトリエの真ん中に真っ白の巨大な紙があった。厚手の紙をつなぎ合わせているようだった。そして紙の横に子供用のビニールプールが置かれてあり、その中のチョコレート色の液体を鹿乃が長い棒で混ぜていた。その液体はぬめぬめと光りながら渦巻き波打っていた。不吉な予感がした。果たして鹿乃が「この中に浸かるの。あなたもよ」。
「さあ、乾かないうちが勝負よ」
二人はアトリエから浴室に向かった。通路に養生のためのビニールが敷かれてあった。私たちは脱衣所で裸になりアトリエに戻った。鹿乃はビニールプールの塗料に足先から浸かっていった。
「冷たい!」
プールが浅いので、鹿乃は苦労して身体を曲げて横になり塗料の中に全身を浸した。全身が浸かると、鹿乃はすぐプールから出た。塗料を滴らせながら、首から下がチョコレート色になった裸体が紙の中心に伏せた。ひっくり返って仰向けになった。そうして体の両面で紙にマークした。それから左右に転がりながら茶色の跡を付けていった。
「今度はあなたよ」
顔だけ白い鹿乃が、チョコレート人形のように横座りして叫んだ。
塗料は冷たかった。温めたらどうだろうかと私はふと思った。水深が浅いプールの中で横になった。塗料のぬらりとした気色悪い感触が、体が浸かっていく先から拡がった。首から下がすっかり浸かると、私はすぐプールから起き上がって紙の上に行った。そして鹿乃のように紙の上で大の字になり、仰向けになり、転がった。
もう一度プールに浸かった鹿乃が、自分を紙の上で振り回すよう指示した。私は鹿乃が両手を組んだ輪に自分の両手の輪を連ねて、その場でくるくる回った。遠心力で鹿乃の身体が斜めに傾くと、つま先が紙の上を滑っていった。鹿乃の身体に付いた塗料が流れて紙の上に降りかかった。
私は鹿乃を回し続けながら紙の上を移動した。その内私は目が回り、紙の上で横転した。鹿乃が腹ばいになったまま紙の上を滑っていった。私は片腕を伸ばした格好で横たわっていた。
私が息を鎮める間に、鹿乃はまたプールに浸かった。そして私は鹿乃を腕からぶら下げて、大きな筆記具のように紙の上をなぞっていった。つま先から足の裏、膝、太腿と、太さの変化する茶色のサインペンのようにすり跡が紙に描かれた。紙に描かれる模様はすべて人体で付けられたモノだった。
制作は前回より早く終わったような気がした。
「終わった……」
鹿乃が呟いた。私たちは抱き合ってキスをした。
「浴室に行きましょう」
身体を離そうとした。が、二人の身体がぴったり固着していた。私たちはシャム双生児のようにくっついたまま浴室に向かった。シャワーをかけて少しずつ塗料を溶かした。どうしても水で溶けない部分はシンナーを垂らした。二人の体が分離するまでに時間がかかった。
「危なかった」
二人は顔を見合わせた。それから急いでシャワーを掛け合って大部分の塗料を流した。石けんで泡だらけになりながら残りの塗料を洗い流した。最後に鹿乃のふやけた手が私のペニスを握りしめた。それは制作に協力してくれたことへの謝礼なのかどうか、浴室のタイルの上に私は射精した。
三度目の制作は八月下旬の土曜日だった。その日鹿乃は休暇を取っていた。私は正午に仕事が終わると電車に乗り、鹿乃の家に向かった。
鹿乃は慌ただしそうだった。サンドイッチの昼食もそこそこに浴室へ行って裸になり、アトリエに入った。床に敷かれた紙は前回より一回り大きな紙だった。縦4メートル、横6メートルくらいありそうだった。そして部屋の端に小ぶりのバスタブが二つ置かれてあった。黄色と緑色の塗料がそれぞれ半分ぐらい入っていた。
「あそこにカメラを置いたわ。制作過程を一分ずつ撮影していくように設定してあるの」
黒い一眼レフカメラが天井近くに取り付けられ、レンズが私たちを見下ろしていた。何かの装置がカメラに組み合わされてあり、カメラから長いコードが壁を伝って伸びていて、鹿乃が持つリモコンスイッチに繋がっていた。
「さあ、始めましょう。最初に私が黄色に入ってドローイングするからね」
と言って鹿乃はリモコンのスイッチを押した。「パシャ」というシャッター音が響いた。リモコンを傍らに置くと、長い棒でバスタブの黄色の塗料を混ぜた。そうして濃度を均すと、鹿乃は浴槽の縁に両手を置いてバスタブをまたぎ、塗料の中にしずしずと身体を沈めた。
「冷たい温泉みたい」
くすっと鹿乃が笑った。温泉に喩えるなんて余裕だなと私は思った。全身が浸ると鹿乃はすぐ立ち上がり、バスタブを出て、黄色い飛沫を撒き散らしながら紙の上に走った。その間もカメラは十秒間隔で作動し続けていた。明らかに鹿乃はカメラの作動時を意識していた。紙の上に立った状態でシャッター音がすると、次に横になった。次のシャッター音。そうして一コマ一コマを意識しながら、紙の上で転がったり、仰向けになったりしながら鹿乃はファーストドローイングを終えた。
「次はあなた!」
私はもう一つのバスタブの緑の塗料を棒で均した。バスタブの縁に手を置く。シャッター音が響いた。私はいったい何温泉なのかと思いながら、冷たくぬるりとした緑色の液体に浸かった。バスタブの底に尻をつけて身体を下げた。曲げた膝が水面から出た。全身に塗料が付着すると私はバスタブを出て紙の上に走った。シャッター音がした。
「そこで止まって」
私は鹿乃が最初に立った場所から二メートル離れた場所で立ち止まった。シャッター音がした。
「黄のドローイングと交錯するような感じで、あとは自由に描いて」
私も鹿乃と同様に、シャッター音とタイミングを合わせ、仰向けから俯せ、そして横向きに転がって緑色のドローイングをした。
「はい。そこまで」
私は紙の外に出た。黄色と緑色の様々な形が白い紙の上で配置された。黄色い裸体の木村さんが少し考えた。下腹部の恥毛が黄色く毛羽立っていた。
「次は……」
間が開いた。
「あなた踊れる?」
「え?」
「社交ダンスは出来る?」
「少しだけ」
なぜ今ダンスなのか? 私は面食らった。
「じゃ、私がリードするわ」
「……」
「あのね。二人が塗料を付けてキャンバスの上で踊るの。その時塗料の飛沫が飛び散るでしょ。それで模様を付けたいの」
「なるほど……」
「じゃあ、始めましょう」
鹿乃がリモコンのスイッチを押した。シャッター音が響いた。私たちはそれぞれバスタブに浸かった。全身に塗料が付くとバスタブを出て、紙の中央で向かい合った。黄色と緑にコーティングされたマヌカンのようだった。私は木村さんのべとべとした腰に左手を添え右手で木村さんの左手を取った。怪しげなクラブのショーの始まりみたいだった。
「ウインナワルツよ」
「はい」
ウインナワルツは踊ったことがなかった。くるくる回ればいいのだろうか。
「いち、に、さん、いち、に、さん……」.
鹿乃が口で拍子を取った。が、すぐに足が合わず立ち往生した。組んでいた姿勢が崩れた。
「だめね。何が踊れるの?」
「ジルバ」
鹿乃が瞬時に私の両手を取った。
「スロースロー、クイッククイック、スロースロー、クイッククイック……」
鹿乃が拍子を取った。私もすぐに思い出して初心者のジルバを踊った。ジルバの方が塗料がよく飛び散るのではないかと思った。ジルバを踊りながら紙の上を移動していった。どれぐらい踊っただろうか。黄の点と緑の点が二人が向かい合って踊った箇所では濃く、回転したところでは円状に散らばっていた。最後に前にしたように、私は鹿乃の両手をつかんで彼女の身体をキャンバスの上で引きずり回した。
「もういいわ」
鹿乃が息を切らせながら言った。私たちはキャンバスの上から退場した。シャッター音が鳴り続いていた。カメラがずっと撮影し続けていたことをその時思い出したのだった。鹿乃がカメラリモコンのスイッチを切った。作動音が止まった。
「浴室へ」
私たちは急いで浴室に入った。鹿乃はシャワーで、私は浴槽に張っておいたぬるま湯で身体の塗料を落としにかかった。二人とも黙々と全身の塗料を流した。そして液体洗剤で泡まみれになりながら、残りの塗料を洗い落とした。鹿乃の両手が私のペニスをつかんだ。一連の作業の最後の工程のようだった。私は思わず鹿乃の手を押さえた。鹿乃が訝しんで私を見た。
「寝室に行きませんか――」
鹿乃が私の目を見つめた。小さくうなずいた。二人は脱衣所で体を拭いた。裸のまま廊下に出た。鹿乃は私を家の奥の寝室に導いた。扉を開けると少し湿っぽい空気が漂ってきた。ベッドが二つあった。窓は分厚いカーテンが下ろされていた。木村さんは一つのベッドカバーを外し、掛け布団を半分剥いだ。鹿乃は白いシーツの寝床に先に入り私を招き入れた。寝床でキスをして抱き合った。それから互いの体を探り合った。拭いきれなかった塗料が残っていた。無我夢中で時間が過ぎ――鹿乃が何度か声を上げ、私は果てていた。
そして九月下旬の土曜日――。
その日も鹿乃は年休を取っていた。正午に事務所を出て鹿乃の家に行った。パンケーキで昼食を済ませると、当たり前のように浴室に行き着衣を取った。その日は曇っていて肌寒かったので、二人ともバスローブを着てアトリエに入った。すでに準備は整っているようだった。鹿乃は最後の調整を妙に優雅に行っていた。制作開始までの時間を心から楽しんでいるようだった。
その理由はすぐ明らかになった。一眼レフカメラの横に、新たに八ミリフィルムカメラが追加されており、その時撮影されていたのだった。鹿乃がリモコンスイッチで八ミリの撮影を停止した。
「あなたには八ミリの撮影をお願いするわ。三分しか撮れないからワンカット五秒から八秒くらいで撮ってね」
一カット五秒だと百八十秒で三十六カット撮れると私は考えた。木村さんがアトリエの壁一面に貼った半透明のビニールシートの前に立った。
「八ミリスタート!」
私は八ミリのリモコンをオンにした。同時にスティルカメラのシャッター音が響いた。
「このビニールシートに、これからドローイングをしていきます」
鹿乃の口調が丁寧語になったのが、少しおかしかった。
「カット! 八ミリ止めて」
同時にスティルカメラの撮影を鹿乃が止めた。
「だいたい分かりますよ、ぼく。高校の文化祭で八ミリムービーを少し回しましたから」
「あら、そう。じゃあ、お任せしようかな」
「任せてください」
「要所要所は指示します」
「はい」
「次はバスローブを脱ぐところ」
「はい」
リモコンスイッチを入れた。二人がバスローブを脱ぎ捨てた。そしてカット。次は浴槽の塗料の中に二人が入るシーンだった。
延長ケーブルの先のスイッチを入れて浴槽に身を沈めた。浴槽から上がったところでカット。長めの八秒。私は青、鹿乃はオレンジ色になった。そして壁に貼られたビニールシートの前からスタート。シートに身体の前面をべったり付けてカット。
離れた場所で再スタートして、身体の後側を付けてカット。青とオレンジが混じり合わないように身体の横を付けて、カット。
青とオレンジのマーキングの隙間を埋めるように、二人の身体をシートに付けていってカット。最後にシートの傍らで二人が抱き合うシーン。軽くキスするシーンで最後のカットを撮り終えると、私たちは浴室に走った。
アトリエの片付けをして、ダイニングキッチンで海苔巻きを食べた。そして客用の寝室でベッドインしたのだった。
十月最後の土曜日の午後、私と鹿乃はデパートの食品売り場に行った。鹿乃がステーキ肉とワインとケーキを買った。デパートの大きな紙袋は私が持った。電車を降り、スーパーで野菜や果物を買い足して鹿乃の家に向かった。
「ランチにしてはすごく豪勢になりそうですね」
「そうね」
鹿乃が微笑んだ。
「こんなの食べたら制作に影響しません?」
「今日は制作しないの」
鹿乃が物憂げに返事した。その時に何かを感じなければならなかった。相変わらず私は人の心を読めず、些細な予兆に気づかなかった。もっとも、その時私が何か気づいたとしても、鹿乃はうまくかわしていただろうが……。
その日は好い天気で暑いくらいだった。鹿乃はジャケットを脱いで白いブラウスの腕にかけた。ケヤキの葉が黄色に色づき始めていた。初めて鹿乃の家を訪ねたときはまだ五月で、その時は一面緑の葉が茂っていた。
家に着くと二時近くだった。鹿乃はすぐ調理にかかった。副菜のマッシュポテトや人参といんげんのバター炒めを私も手伝った。
食卓の上に食器を並べワイングラスを置いた。副菜を盛りつけしておいた皿に、焼きたてのステーキ肉が盛られた。二つのグラスにワインが注がれた。私たちはグラスを合わせて一口飲み、フォークに刺した熱々のステーキ肉をほおばった。咀嚼して飲み込んで、ワインで口の中の脂を流した。
「どうして今日は制作しないの?」
「しばらくお休みしたいの」
「そうなんですか」
私は何の疑問もなく、反射的に相槌を打っただけだ。妙に口数が少ないと思いながら、微妙なサインを見落としていたのだった。食事が終わると、撮影した映像を見ようと鹿乃が言った。私たちはコーヒーカップを持って居間に移動した。厚手のカーテンを引いて照明を落とした。
「けっこう面白いかも……」
鹿乃が映写機をセットした。最初は、始めてカメラを設置したときの写真だった。二人の裸で始まり、次にバスタブに入って黄と緑を纏った二人が、コマ毎に様々なポーズで紙の上を移動していた。紙の上の塗りが増えていく内に、いつの間にか二人が手を取り合って動いていき、最後に緑の男が黄色の女を投げ飛ばしたかのように見えた。
露光不足のために、動く被写体が流れていた。当人たちは大まじめにドローイングしているはずだが、高い位置から広角で撮られた写真上では、小さな被写体たちの動きが漫画チックに見え、私たちは何度も笑った。次の写真も同じだった。違うのは床でなく、壁にシートが貼られていることと、二人の身体の色だった。青とオレンジだった。二色の男女が壁に向かってドローイングをしていた。そのアクションが、障壁に飽くなき挑戦を繰り返すヒトのメタファーのように見えなくもなかった。それは、八ミリムービーで見ると、さらによく伝わった。制作意図とは全く別のメッセージを与える可能性に、私たちは驚き感心したのだった。
「感想はどう?」
いつもの快活さで鹿乃が問うた。
「何というか……塗料まみれで色を塗りたくる身体性が、映像を通すと希薄になるね」
「でも、かえって写真や映画を見る人の想像力を刺激するんじゃないかしら」
「そうかな?」
「アニメのようなパフォーマーのちょこまかした動きの滑稽さから、リアルな身体性は見えて来ない。パフォーマー自身は、ドローイングしたときの身体的な視点と、レンズで切り取られた第三者的な視点と両方を知ることができる」
「作者の特権とも言えるね。小説も同じだ」
「肝心なのは、単なる鑑賞者にすぎなくても、写真や映画を通してパフォーマンスをする人の身体性を想像する助けになるってこと」
私たちは何度も繰り返して映像を再生しながらコメントし合ったり議論をした。それから風呂の湯を張り、別々に体を洗った。湯上がりにザクロジュースを飲み、鹿乃の寝室で私たちはベッドインした。鹿乃がいつになく情熱的だった。
月曜日、鹿乃は仕事を休んだ。火、水と休んで木曜日に所長から鹿乃が退職したことを知らされた。
土曜日、私は鹿乃の家に向かった。門扉が開いた。チャイムを鳴らした。応答がなかった。玄関は鍵が掛かっていた。郵便受けに三日分の新聞と電気料金の案内が入っていた。風の強い日で、足元に黄色の落ち葉が吹き流されてきた。その落ち葉を踏みながら私は鹿乃の家を去った。
二週間後、自宅に手紙が届いた。鹿乃からだった。成田空港でこの手紙を書いています――という書き出しで、急な展開に自分自身も戸惑っている。例のパフォーマンスを記録した写真とムービーを、知り合いのアメリカ人美術ジャーナリストに送ったところ、アメリカの美術誌に掲載されて話題になり、美術家支援で有名な財団が招請すると言っている。三年間の滞在費と制作費を支給してくれるので、ニューヨークに来ないかという話があった。米国滞在中の母からも間違いない話だと連絡があったので、思い切ってニューヨークに行きますという文言だった。自分の口から直接あなたに伝えられなかったのが唯一残念である。ごめんなさい。あなたを愛していました。でも危険な愛だった。別れた方がお互いのためだったとも思う。自分はニューヨークで新たな展開にチャレンジしていく。あなたも小説家を目指して頑張ってくださいという文句で結ばれていた。
――後日、その頃のことを思い出すことがあった。それは、全く予期し得ないことではなかった。何かのきっかけで、思いがけない方向に跳躍するのではないかという予感を、私は鹿乃から抱いていた。本当に私を愛していたのかどうかは分からない。文面だけかも知れなかった。が、手紙に書かれていたのだから本当なのだと思うしかなかった。
鹿乃がアメリカに去った数か月後、私は鹿乃の家を訪れた。翌年の三月だったと思う。鹿乃の家屋敷はきれいさっぱり無くなっていた。一面の更地だった。細かい砂利が敷き詰められていた。三百坪はあるだろう敷地の中心に「マンション建設予定地」と看板が立っており、境界に沿って杭が打たれ針金で囲まれていた。つい数か月前まで鬱蒼とした木立の中に古い洋館があった。私はそこで鹿乃と食事をした。全身塗料にまみれ、浴室で塗料を落とし、寝室でセックスをした……。
特許事務所は新しいタイピストを雇った。私は心機一転すべきだった。勤務中は仕事に没頭し、勤務後は小説執筆に集中しようとした。が、鹿乃と共有した日々の記憶が始終意識に上ってきた。抑えようもなく、鹿乃との行為の数々が、鮮やかなイメージで脳裏によみがえった。職場で机に向かっていると鹿乃の声さえ聞こえてきた。調査で外出して通りを歩いている時、不意に鹿乃の表情や仕草が目に浮かんだ。こんなことが四六時中起こった。仕事は苦労しながら何とかこなしていたが、小説は全く進まなかった。家にいられなくなった。少しでも時間が空くと、その時間を鹿乃と関わった時間の記憶で埋めていた。
私は帰宅する気がなくなった。新宿駅周辺の露天の新聞売りから風俗情報のタブロイド紙を買った。喫茶店で紙面の隅から隅まで目を通した。夜が更けると私は風俗街に向かった。
その店はファッションヘルスだった。タブロイド紙に写真が載っていた女の子を指名した。食費にして八日分の金を支払った。女の子は写真通りに可愛かった。サービスはルーチン化されていた。それが性ビジネスというものだった。射精は時間内に終わり、私は素早く服を着て店を出た。夜風が冷たかった。駅に向かう途中、お兄さん遊んでいかないと、おカマの姐さんに声を掛けられた。今済ませたところだと私は答えた。そうなのと笑い声が返ってきた。
ソープ店へも行った。結果はヘルスと同じだった。違うのは本番があることと、ヘルスより金が掛かるということだった。考えてみれば、私が事務所で申請書類をまとめ、先生の代わりに役所に出向いて出願手続きをするのと同じだった。仕事である以上、それは必ずルーチン化するし、そうでなければ、仕事としてやっていけないはずだった。服を着ながら私は、何とも言えない空しい気持ちだった。懐がさびしくなっただけでなく、何かが足りない気がした。
次にソープ店に行った時、私は女の子に自分のアイデアを提案した。その子ならMっ気がありそうだったし、積極的にプレイを楽しんでくれそうだったからだ。しかし私は、ルーチン化された業務に逸脱はあり得ないことに気づくべきだった。終わってバスタオルで体を拭いてもらっているときだった。
「今度、身体に絵の具を塗ってみたいんだけど……」
ソープ嬢の乳に触れながら提案した。
「身体に絵の具を塗ってどうするの?」
私の身体をタオルで拭きながら怪訝そうな顔になった。
「紙に拓本をするの」
「ふーん」
ソープ嬢は考えていた。
「絵の具を塗るのは、手とか足だけでいいの?」
「いや、おっぱいとか、お腹とか。あと、お尻も」
「変わった趣味のお客さんはけっこういるけど、体に絵の具を塗るっていうのは始めてだわ」
ソープ嬢は少し考えた。が、すぐ眉をひそめた。
「それって肌が荒れるんじゃないかしら」
「え?」
「だめ」
「別料金を払っても、だめ?」
「商品なのよ、女のお肌は。もらったお金で、次のお客が来るまでに元通りのお肌になる?」
「それは……」
「できないでしょ。だからだめ」
確かにそうだった。これ以上押しても見込みはなかった。
「また来てね。でも絵の具はだめよ」
ソープ嬢に見送られながら、私は次の手段を考えていた。風俗嬢はつねに肌を客に提供して生計を立てている。であれば、対象は肌を商品としていない女、つまり素人ということになる。手っ取り早い相手はウエイトレスの杏香しかいなかった。「菩提樹」へは足が遠のいていた。鹿乃と関わった頃以来だろう。
「久しぶり」
杏佳がコップの水を置いた。私はコーヒーを注文した。
「しばらく来なかったね」
コーヒーをテーブルに置きながら杏佳が言った。
「うん。忙しかったから」
「執筆は進んでる?」
「まあまあ。あ……いや、スランプか……」
「いったいどっちなの」
杏佳が笑った。店はすいていた。だから少し話ができた。
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
「え、何?」
「ここじゃ言えないから、晩ご飯でも食べながら……」
杏佳が小首を傾げた。
書店で待ち合わせて駅前の喫茶店に入った。
「ここの焼きソバ、旨いんだ」
と言いながら私はさっさと二人分注文した。風俗に通って金がなかったのだ。前に杏佳の機嫌を損ねたオムライスよりまだ安かった。定食屋に行けばもっと安くつくが、話などはできない。杏佳が呆れ顔だったが無視した。
「話って何?」
「最近美術をやってるんだ」
「そんなことしてたの」
「それで、アシスタントが必要になった」
「あ、分かった。モデルでしょ」
「ま、モデルとも言えるし、制作助手とも言える」
「ふーん」
焼きソバが来た。盛んに湯気が立っていた。割り箸を割り、箸の先でソースが絡んだ麺をつまんだ。ふっと息を吹きかけて口に運ぶ。しばらく二人は無言で食べた。
「どうして文学から美術に変わったの?」
「変わったりしないよ。間口を広げただけさ」
「あれこれするより、一つに絞った方がいいんじゃないの?」
「余計なお世話だよ」
杏佳がむくれながらコップの水を飲んだ。
「それより、さっき言ったように手伝って欲しいんだけど」
「モデル? それともアシスタント?」
「だから両方」
「ヌードじゃないよね」
杏佳が顔を寄せて小さな声で言った。
「水着モデルだよ」
私も小さな声で返した。
「えー」
杏佳が露骨に顔をしかめた。
「他に頼める人がいないんだよ。だから頼む」
私は箸を置いて頭を下げた。
「やめてよ。こんなところで」
「モデル料は? いくら?」
「一万円て言いたいとこだけど、お金がなくて五千円で」
「考えとくわ」
三日後、杏佳からオーケーが出た。そして次の土曜日、私と杏佳は駅で待ち合わせた。
「何? その大きな荷物」
「制作に必要なものさ」
とだけ言って、ラブホテルが立ち並ぶ路地に入った。
「私たちそんな関係じゃないでしょ」
杏佳が拒否しかけた。が、他に場所がないからと説明して、しぶしぶ納得させたのだった。一番広い部屋をリクエストした。部屋に入ると、赤い布団が掛かったダブルベッドが丸い回転台の上にあった。天井から壁にかけて鏡を巡らせてあった。杏佳が目を丸くした。
私は縦二メートル、横三メートルの紙を敷けるスペースを探した。テーブルとソファを壁際にずらせば何とかなりそうだと思った。テーブルもソファもやたら重たかった。
「そっち持って」
ぶつくさ文句を言う杏佳をなだめながら、二人で苦労して家具を移動した。前に同じことをした。
「これでよしと」
巻いてあった紙の丸みを取るために一度広げて逆に巻いた。それを何度かして絨毯の床に広げた。寄せた家具に当たって紙の端がめくり上がった。間に合わせだから仕方がないと私は思った。何とか紙が敷けると、私は紙袋から青のスプレー缶とシンナー、拭き取り用のタオル、最後に古着屋で買ったつなぎとワンピースの水着を取り出した。
「これに着替えて」
「ほんとにするの?」
「当たり前だよ。何のためにこんなところに来たと思ってるんだよ」
杏佳は手にした水着をみつめたまま呆然と立っていた。
「さあ、早く着替えて。早めに済ませよう」
私は杏佳をせき立てた。
「断るんだった。今からじゃ遅い?」
「杏佳……」
私はため息をついた。
「五千円のバイトと思って、さ」
「分かった。浴室はここね」
やっと一段階をクリアした。
紺無地の水着に着替えた杏佳が浴室から出てきた。杏佳の水着姿は見たことがなかったが、今はそれを鑑賞する場ではなかった。私は杏佳と入れ違いに浴室に入り、塗料をすぐ落とせるように湯を入れ始めた。
「これ、ちょっと大きいんだけど」
杏佳が水着の裾を引っ張っていた。確かに杏佳の体型より一回り以上大きかった。以前の持ち主はよほど巨体の女だったのか。杏佳の後ろに回ってタグを見ると3Lだった。紺無地はこれしかなかったのだ。
「それを着て海へ行くわけじゃないからさ」
「この辺、ぶかぶかなんだけど」
ストラップから胸の辺りがだぶついて、かがむと乳房が丸見えになりそうだった。
「制作に影響はないさ」
「そういうことじゃなくて……」
「さてと、始めようか」
私は古着のつなぎを着込んで、青ラッカーのスプレーの蓋を取って振った。缶の中でかちゃかちゃという音がした。
「ここに立って」
杏佳を紙の真ん中に立たせた。スプレー缶を胸の辺りに向けた。杏佳がおびえた顔になった。右の乳房にしゅーっと吹いた。
「あー」
悲鳴が出た。次に左の乳房。
「あー」
すぐに紙の上に伏せさせた。紙の上に二つの青い円が描かれた。
「すばらしい」
次に腹にスプレーした。また「あー」と悲鳴が出た。その次は尻だった。紙の上に丸い円が二つ。その下に大きな楕円が一つ。隣に大きな円がハートのような形で描かれた。次に杏佳を紙の上に横向けに寝かせた。首から下、太ももまで一気にスプレーした。紙の上に横向きのシルエットが浮かび上がった。
「水着を脱いで」
「えっ」
杏佳が私を見た。
「水着の線が出るんだよ。体のシルエットをきれいに取りたいから水着を脱いで」と私はまくし立てた。
「えー」
杏佳の顔が半泣きになった。
「頼むから脱いで」
杏佳はしばらく躊躇っていたが、しぶしぶ水着を脱ぎだした。が、水着の上からスプレーされていたので、そのまま頭から脱ぐと、水着にしみこんだ青いラッカーが顔や髪に付くことになる。私は紙袋の底から鋏を取り出した。
「水着を切っていくから」
ストラップを切った。水着の両横を真っすぐ切り下ろすと簡単に体から剥がれた。裸体になった杏佳を、再度紙の上に横向きに寝かせてスプレーした。水着の線のない見事なシルエットが描かれた。ようやく満足できるマーキングだった。白い紙はまだ余白があった。
一度裸身にスプレーされると、杏佳はもう抗わず、次々とスプレーされ、紙の上に身体の各パーツを印していった。どれぐらいの時間が経ったのか、杏佳の全身が真っ青になっていた。
「終わりにしよう」
私は杏佳を浴室につれて行った。シンナーを染みこませたタオルで杏佳の身体を拭った。杏佳は別のタオルで乳房や腹のラッカーを落とした。石けんを泡立たせ残りの塗料を洗い流した。
何を話しかけても杏佳は無言だった。杏佳の心中で明らかに変化が起きていた。耐え切れなくなった私は浴室から出た。
杏佳が湯に浸かっている間に片付けをした。青く染まった紙を巻いて筒状にした。つなぎを脱いで、空になったスプレー缶や水着の切れ端と一緒にビニール袋に入れた。服を着終わった杏佳が浴室から出てきた。化粧をし直していた。五千円を渡した。杏佳は黙って受け取った。ホテルを出ると日が暮れていた。
「一人で帰るから」
硬い声だった。杏佳は早足で去った。寒々とした風が路地を吹き抜けた。残された私はうなだれ、駅に向かって歩きだした――。
能登の旅 一九八〇
三月、四国へ帰省することにした。大阪まで新幹線を使わず、信越線、北陸線と在来線を乗り継いで行くことにした。遠回りになるが金沢の街を見ようと思い立ったからだ。
市内観光をして金沢駅に戻ると午後七時過ぎだった。大阪行きの特急列車があった。東京から大阪までの乗車券を持っていたので、特急券は車内で購入するつもりで自由席の停車位置に並んだ。
向かいのプラットフォームに列車が入ってきた。停車すると行き先が「金沢」から「輪島」に変わった。金沢で折り返す普通列車だった。行き先表示の「輪島」を見ている内に、不意に能登半島に行きたいと思った。私は大阪行きの列から離れ、跨線橋の階段を急いで上がり、息を切らせながら駆け下りてその列車に乗った。しかし慌てる必要は無かった。発車まで二十分あったのだ。私はまた跨線橋を渡って駅のキヨスクに走り、駅弁と茶を買った。
ディーゼル音を響かせて、列車は金沢駅を出た。車内を回ってきた車掌から輪島までの乗車券を買った。時刻表を見ると、輪島は七尾線の終着駅だった。七尾線は穴水で能登線と分岐する。能登線の方が能登半島の先端に近い蛸島まで行くが、その時刻には能登線の列車がないことが分かった。七尾線は距離が短いが普通列車だから輪島まで三十一の駅に停車する。十一時四分輪島着まで三時間十九分の汽車旅となった。
私は幕の内弁当の包みを開けた。初めて乗る路線だったが、夜で景色は見えなかった。弁当を食べ終わると他にすることもなく、私はうとうとしながら列車の揺れに身を任せた。
終点の輪島駅に着くと、僅かな乗客は列車を降り、改札から駅舎を通って駅の外に出た。彼らはたちまち暗がりの中に消えていった。一人残された私は、白々とした街灯の下で途方に暮れた。駅前広場に客待ちのタクシーはなく、商店やビジネスホテルもすでに閉まっていた。
下駄履きの駅員が駅舎の木の雨戸を閉め始めた。コンクリートの三和土に下駄の音が響いた。今にも戸が閉まってしまいそうだった。私は慌てて駅員に近づいた。
「あの、今から泊まれるところはないでしょうか」
切羽詰まった状況を駅員はすぐ察したようだ。
「あそこなら……」
駅員は戸締まりを中断し、二十メートルほど離れた民宿まで行き、明かりの消えたガラス戸を叩いた。戸が開くと駅員が交渉した。すぐ私を手招きした。
「ここに泊まれるから」とだけ言うと、足早に駅に戻っていった。礼を言う間もなかった。玄関で靴を脱ぐと目の前に階段があった。気の良さそうな女将が二階に案内した。素泊まりで一泊二千円だった。湯を落としていたので風呂は入れなかった。朝食は仕入れをしていないといったん断られた。受験勉強をしている息子のカップ麺があるというので、それを頼んだ。寝床に入るとすぐ眠りについた。
翌朝、寝床で朝市を見に行く予定を思い出したが、面倒くさくてやめた。女将が朝食を膳で運んできた。ご飯とみそ汁、卵に海苔と熱々の鯵の開きまであった。自分たちの朝食のおかずを出してくれたらしい。
宿を出るとバス乗り場へ急いだ。宿の女将から聞いた観光バスに乗るためだった。
八時十分、能登半島を半周する観光バスが発車した。乗客は定員の半分ほどで、一人客は皆窓際に座った。バスは輪島の市街地を抜けて海岸沿いを走った。
途中で海岸沿いから右に折れ、山裾の史跡に着いた。平家の子孫が代々住んだという広壮な屋敷を見て回った。またバスに乗り、海岸沿いの道を北上して、とあるバス停で乗客らは降りた。
山道を七、八分上ると能登半島の先端の灯台に着いた。灯台の外壁が白く輝いていた。灯台のある断崖の上から広い海を見渡せた。写真など撮った後、乗客たちは来た道を戻った。バス停の近くに小さなドライブインがあった。土産物などを売っていて軽食コーナーがあった。バスの発車まで三十分あった。昼前だったので、私はパンを二個買って、レジでコーヒーを注文した。
もう一人女性の乗客がコーヒーを注文した。テーブルでビニール袋を割いて焼きそばパンを食べていると、中年の女店主がコーヒーを運んできた。陶器のカップで出されたコーヒーはインスタントだった。それがとてつもなく旨く感じられた。
「コーヒーがおいしい……」
向かいに座っていた女がつぶやいた。
「おいしいですね」
私も同意した。インスタントにしてはという意味を含んでいたのだが、
「生き返ったよう」と女は言った。
大げさだと思ったが、確かにここに来るまでコーヒーを飲む機会は無かったのだ。
「一杯のコーヒーをしみじみと味わったのは久しぶり。能登半島の最果てだからかな……」
女は独り言のようにつぶやいた。私は二個目のクリームパンの袋を開きかけてやめた。
「あの、よろしかったらどうぞ」
テーブルの上でクリームパンを押し出した。女は目を丸くした。少し慌てて「ごめんなさい、お昼は食べないの。でもありがとう」と言って微笑んだ。
「どちらからいらしたんですか?」
「東京です」
「あら、私も東京」
「実は今、帰省の途中なんです」
「どちらまで?」
「四国です」
「四国へは船に乗るんでしょう。今日中に帰れるんですか?」
「無理です。大阪で一泊しないといけない」
「そうなんですね。海があるのね……」
うなずきながら語尾が消え、深いため息をついた。女は物思いに耽っていた。上質そうな黒のコートとバッグ、薬指のリング。私より幾分かは年上に違いなく、何か事情がありそうな家庭婦人。私の人生と交差するはずもない。旅先で偶然行き会っただけの人――。
「そろそろバスに戻りましょうか」
女に声を掛けた。女ははっと現実に戻ったようだった。
「そうですね」
バスに戻り私たちは元の席に座った。バスは能登半島の内側の海岸沿いを南下していった。リアス式の湾で、バスから降りて観光した。入り江が入り組んだ海景に女がカメラを向けていた。女に声を掛けると写真を頼まれた。緑濃い小島をバックに女のカメラで写真を二枚撮った。ファインダーの中で女は陰りのない笑顔をつくっていた。
バスが終点の駅に着くと、金沢行きの列車に接続していた。金沢には午後六時過ぎに着く。列車は空いていた。私と女は通路を挟んで別々のボックスに座った。私は車窓を流れる景色を眺めながら、時々女を盗み見した。女は景色を見ているか、沈んだ表情で俯いていた。思い詰めた様子が気になった。駅に停車するたびに乗客が増えていき、いつの間にか私と女のボックスはすべて塞がった。
金沢駅で列車を降りると女が近づいてきた。ディーゼル音にかき消されまいと女は私の耳元に顔を近づけた。
「大阪行きの電車に乗るんでしょう?」
「はい。あなたは? 東京に帰るんですか」
「金沢で一泊して、明日は東尋坊に行こうと思っています」
「福井の東尋坊ですか」
「そう」
「東尋坊って、あの……」
私の反応を見て慌てたようだ。女が私のボストンバッグを引っ張って人の少ない場所に移動した。
「変な勘違いしないでね。観光に行くんです」
「すみません…」
私は頭を下げた。
「日本海側の海をずっと見ていくつもりです」
「ああ、なるほど。そういうテーマの旅なんですね」
「そうですよ」
女はようやく笑みを浮かべた。
「大阪行きが七時四〇分なんですが、早めに行って自由席に並びます」
「そう」とうなずいて、
「記念にあなたの写真を撮らせてください」
女がカメラを出した。
「は?」
「列車をバックに」
折り返して最後尾となる車両をバックに私は写真を撮られた。
「写真を送ります。住所とお名前を教えて。できたら電話番号も」
私はボストンバッグから手帳を取り出した。鉛筆で書いてページを引き破って女に渡した。
「なかむらこたろうさんておっしゃるのね」
「ええ。電話番号は職場のです。あなたの住所とお名前も書いてください」
手帳と鉛筆を女に渡した。女は「鷲津泰子」とだけ記した。
「わしづやすこさん」
「はい」女がうなずいた。
「住所は手紙に書くので省略します」
「分かりました」
私たちは跨線橋を渡って改札の前で別れた。
「ご機嫌よう」
女が手を振った。
「失礼します」
女は改札から出て不意に立ち止まった。後続の客とぶつかりそうになった。振り返って、
「写真、送るわ!」
と短く叫んだ。意外だった。マダムと縁がありそうだと思った瞬間だった。私は右手を高く上げた。黒いコートのマダムはすぐ人混みの中に紛れて見えなくなった。
再会 一九八〇~八一
七月末のある日、汗だくになりながらアパートに帰ると、一通の手紙が郵便受けに入っていた。差出人は鷲津泰子だった。ドアを開けて部屋に入ると昼間の暑気が充満していた。
座卓の上に手紙を放り投げ、窓を開け放った。ワイシャツとズボンを脱いでランニングとパンツだけになった。流しでタオルを濡らして固く絞り、顔から首、胸を拭いた。冷蔵庫から缶ビールを取り出して一気に半分飲み、ようやく私は畳の上にあぐらをかいた。
写真と手紙が入っていた。写真は列車をバックにした私だった。手紙の文面は短かく、能登半島のバスツアーが楽しかったこと。私と別れたあと、東尋坊や兵庫県の鎧の袖、余部鉄橋、鳥取砂丘と見て回ったと書かれていた。そして追伸で、十月、コンサートに一緒に行きませんかと誘っていた。
何のコンサートだろうか?
缶ビールの残りを飲み干しながら考えた。東京に来てから金を払って行ったコンサートはすべてロックだった。武道館や後楽園球場の不穏な喧噪の中に私はいた。マダム・鷲津泰子は、よもやロックではないだろう。ポップスか? それともジャズ。彼女に似合いそうなのはボサノバだろうかなどと私は想像した。
そして八月末の金曜日、マダムから職場に電話があった。明日の午後、新宿でコーヒーを飲みませんかと彼女は言った。弾んだ声が受話器から伝わった。翌日の午後、ようやくたどり着いたデパートの喫茶室でマダムが待っていた。マダムは私を認めると軽く手を挙げた。向かい合って座ると、彼女はコーヒーを二つ注文した。
「お久しぶりです」
「ほんとに。能登は三月でしたもの」
「五か月経ちました。お変わりないですか」
儀礼的に言ったつもりだったが、彼女は微笑を浮かべ「少しありました」とだけ言った。能登で見た物憂げな印象は全くなかった。穏やかな笑顔が目の前にあった。
「鷲津さんにとって、それは良い変化だったみたいですね」
彼女は笑顔でうなずいた。
コーヒーが運ばれてきた。
「おいしいですね」
「そうなの」
コーヒー皿に添えた彼女の左手の薬指にリングがないことに私は気がついた。
「中村さんはお変わりなかったですか」
「ぼくですか。変わりないです。相変わらず特許事務所でバイトをやっています」
「特許事務所でアルバイトしてらっしゃるのね」
そうか、話していなかった。そういえば旅行中は、コーヒーが旨いなど断片的な会話しかしていなかったのだ。
「給料が安いですが、時間が自由に使えますので」
「自由な時間を持てるのは良いですね」
と言って彼女は微笑んだ。
「あの、ひょっとして……」
と私は言いよどんだ。
「いいのよ。おっしゃって」
「鷲津さんの変化って、ご自分の身辺のことではないですか」
「ええ。正式に離婚して独り身になりました。子供を引き取ったので家族はいますけど」
「ああ、なるほど……」
能登で会った時は離婚する前だったのだ。何かわけがありそうに感じたのは、彼女が心中を整理していたのだと分かった。
「中村さんは、その自由な時間を何に使ってらっしゃるの」
と聞かれ、はっと現実に戻ると、私は反射的にこう答えた。
「小説を書いています」
「え? 小説?」
「はあ」
私は伏し目がちにうなずいた。マダムは少し驚いて、
「作家なんですか」
「いえいえ、その予備軍です。よちよち歩きのヒヨコ、いや、まだ孵化したとも言えないか……」
くどくど言いかけた。が、きょとんとした彼女の顔を見て私は慌てて、
「小説では生活できないので、特許事務所で働いています」
「そうなんですね」
マダムがうなずいた。少し間が開いた。物を書いているなんて率直過ぎたと私は後悔した。
「えーと、お互い元気なことが分かって良かったです」
と脈絡のないことを私は言った。マダムが屈託なく笑った。
「そうそう、コンサートのこと手紙で書いたの覚えてます?」
「ええ、もちろん」
「十月三日の金曜日なんですが……」
それはクラシックのコンサートだった。クラシックは生で聞いたことがなかった。しかもオペラだという。生の舞台はもちろん、レコードでもテレビでも、通しでオペラを聞いたというか、見たことがなかった。
「フィガロの結婚。モーツァルトの」
「……」
「モーツァルトはお好き?」
好きも何も聞いたことがなかった。
――いや、待てよ。交響曲四十番というのをラジオでよく聞いた。あれはモーツァルトではなかったか。不意にイントロの旋律が頭の中で流れ出した。
「好きだと思います」
彼女からの誘いは何としても受けねばならないと思った。
「まあ、良かった」マダムの顔がほころんだ。
「十月三日はスケジュールを空けといてください」
「はい、もちろん」
私は手帳を開いてメモした。
「ねえ、あれからどうしたの。大阪で泊まったの?」
マダムが三月の旅の続きを聞いてきた。
「ええ。大阪で泊まって……」
翌日奈良へ寄り道してさらに泊まり、翌々日郷里に帰ったことを私は話した。
私は一着しかないスーツを着込み、東京文化会館の入り口で鷲津泰子を待っていた。すでに日は沈み、公園は夕闇が迫っていた。腕時計を見ると五時半を過ぎていた。
めかし込んだ客が次々と会場に入ってきた。ドレスや着物姿の女性さえいた。客層も服装もロックコンサートとは大違いだった。ほどなく泰子が現れた。紺のワンピースに銀色のストールを羽織り、ネックレスを二重に掛けていた。
「お待たせ。今日は暑いわ」
彼女は立ち止まり、俯いてハンカチで額の汗を抑えた。バッグからチケットを二枚取り出した。入念に化粧しほのかに香水のいい匂いがした。泰子からチケットを受け取った。A席二万三千円。
「……」
一瞬絶句した。
「すごいチケットですね」
「ウィーン国立歌劇場だもの。S席だったら二万六千円よ」
私はため息をついた。八年前のピンクフロイドはS席でも二千円台だった。マダムはどうしてこんな高額なコンサート、いやオペラに自分を誘ったのか。私が行くかどうかも分からないのに、大枚をはたいて高いチケットをペアで買ったりするものだろうか。
ひょっとして彼女は音楽好きの裕福な有閑マダム? それで高額のチケットを頻繁に買えるのか。もしそうなら却って気が楽だ――などと考える間もなく、泰子に促されて座席表を見た。R二階、つまり舞台に向かって右側、一階の客席に張り出した席の、最前列だが舞台には遠い並び席だった。マダムはオペラグラスを二つ借りてきて一つを私に持たせた。 それから私たちはロビー(ホワイエというらしい)でオレンジジュースを飲んだ。
上演十五分前に私たちは席に着いた。バルコニーのような高みから下の客席がよく見渡せた。年配の客が多かった。遠目には地味な色のスーツやワンピースがほとんどだったが、とびきりフォーマルな姿がちらほら混じっていた。
私はマダムが買ってくれたプログラムに目を通した。フィガロが主人公で、その恋人がスザンナ。彼らが結ばれるまでのドタバタ喜劇らしかった。領主の権利で嫁入り前のスザンナの処女を狙う伯爵と、何とか阻止しようとするフィガロ。伯爵夫人と美貌の小姓の恋模様など織り交ぜながら、最後にめでたしめでたしでフィナーレとなる――。
プログラムをたたむと開演五分前の案内があった。客席が満席になった。照明が暗くなった。オーケストラピットの袖にスポットが当たり、年老いた長身の指揮者が現れた。拍手がわき起こった。
「カール・ベームよ」
マダムが囁いた。カール・ベームは知っていた。何年前だったか、ウイーンフィル東京公演のチケットを友人の猫田が苦労して入手したことがあった。発売前日から行列ができた。現場で即席の名簿ができて、二時間ごとの点呼までに戻れば良かった。その時私は猫田に一晩付き合った。その時のウィーンフィルの指揮者だった。
指揮者が指揮台で客席にお辞儀をした。オーケストラに向き直って指揮棒を振り序曲が始まった。これは聞き覚えのある旋律だった。序曲が終わると静かに幕が上がっていった――。
一幕が終わり休憩になった。ほっとした。正直疲れていた。歌手の表情をオペラグラスで追いながら字幕は肉眼で見なければならなかった。近視が進んで字幕が読みづらかった。
「ホワイエに行きましょう」
私たちは階段を降りた。泰子がシャンパンとサンドイッチを買った。よく冷えたソーダのような酒が胃にしみた。
「おいしい」
泰子がつぶやいた。思わず私は笑った。
「どうして笑うの」
泰子が不思議そうに問うた。
「能登でコーヒーを飲んだときと同じだから」
「え?」
「灯台下のドライブイン。あそこでコーヒー飲んだじゃないですか」
「ええ。あなたも一緒だった」
「そのときあなたがおいしいって言ったんです」
「それが?」
「言い方が今と全く同じ」
「そう?」
マダムは知らない振りをしてサンドイッチをほおばった。
「それより、オペラ初体験はいかが?」
「すばらしいです。衝撃的です」
「ちょっと大げさじゃない?」
そうかもしれない。が、誘ってくれた泰子への義理ばかりでなく、私は少なからず感動していたのだ。
「いや本当に。こういう音楽というか、舞台を見るのは初めてですけど……」
交響曲のような器楽曲より、オペラのような声楽の曲が自分の好みかもしれないと私は思った。そこには人間の愛憎のドラマがあり、磨き抜かれた歌唱が持つ力かも知れなかった。
「お気に召してうれしいわ。三大オペラハウスの引っ越し公演は私も初めてなの。これこそ本場ウィーンのオペラの響きというか香りというか……」
マダムはうっとりした表情を浮かべた。私たちはシャンパンを飲み干して席に戻った。そして二幕が始まった。フィナーレは怒濤のような重唱で幕を閉じた。そしてカーテンコールが続いた――。
東京文化会館を出るとすでに十時近くだった。駅に向かいながら私は彼女に言った。
「オペラ歌手って、歌うだけじゃなくて、演技もしなくちゃいけないから大変ですね」
「舞台芸術だから。歌はもちろん、お芝居もして、時にはダンスも踊るのよ」
「ミュージカルに似てません?」
「それはそう。だって起源はオペラですもの」
信号が青になり、私たちは横断歩道を渡った。国電に乗り神田で乗り換えて新宿で降りた。その間私はオペラとオペレッタ、ミュージカルの共通点と相違についてマダムの説明を聞いていた。
西口改札を出て高層ホテルのコーヒーハウスに入った。彼女がパスタを、私はピラフを注文した。グラスにビールを注ぎ合って私たちは乾杯をした。
「おいしい」
とマダムが言った。くすりと私は笑った。
「また笑うんだから。能登のコーヒーの時と同じなのね?」
「同じです。ごめんなさい。もう笑いません」
「いいのよ。でも、あなたも一緒においしいって言えば?」
私たちは同時にビールを飲み、小さな声で唱和した。
「おいしい……」
私たちはくすくす笑った。
雰囲気から察して私たちは、カップル以外の何ものでもなかった。二人ともそう感じていたに違いない。遅い食事を終えて駅に戻ると十一時を回っていた。別れ際に私は今月開催の美術展を提案した。もちろん彼女は同意した。その美術展は十月十八日が初日で土曜日だったので、デートがあっさりと決まった。
そしてその日、私と鷲津泰子は公園の奥まった美術館で落ち合うことになった。私は半地下にあるロビーで待っていた。黒のジャケットとジーンズの泰子が自動ドアから入ってきた。ジーンズが新鮮だった。
「先週と同じ公園の中です」
「そうですね」
私はすまして言った。そんなことは先週から分かっていたのに。
「私たちはどれを見るのでしょうか」と泰子が聞いた。無理もなかった。四つの展覧会が同時に開催されていたのだ。
「コンテンポラリーアート展です」
「ああ、あそこね」
泰子の視線の先に黄色の看板があった。私たちは入り口でチケットを買った。今日の払いは私だ。この後の飲み物も食事代も私持ちのつもりだった。
順路に従って美術館の三階から二階まで歩き続け、あっという間に一時間が過ぎた。が、泰子には長く感じられたようだ。
「少し休みましょう」
二階の休憩所の椅子に並んで座った。
「疲れた?」
「疲れたわ。でも、あなたはまだまだ大丈夫そう」
「そうでもないです」
「こういう美術展はやっぱり疲れますかね」
「そうね。でも、入ってすぐの水を張った作品は面白かった」
それは高さ一メートル、縦五メートル横十メートルほどの、一見して漆黒の直方体の造形物だった。だが造形物の表面に顔を近づけてよく見ると、それは水だった。構造物の上縁すれすれまで黒い水を湛えていたので、風のない室内では水面に波紋が生じず、磨き上げた鏡面のように見えるのだった。重厚な金属かコンクリートの構造物のように見えて、上部の数センチだけ水を張れるようにした貼り合わせの直方体に過ぎなかった。意表を突く仕掛けが面白かった――。
「あれ見て」
私は棟続きの建物の屋根を指さした。
「え、どこ?」
「あそこの屋根の上」
「カラス?」
「よく見て」
屋根の上に止まったカラスは微動だにしなかった。やがて泰子が気がついた。
「あれも作品?」
「そう。ここに作品タイトルがあるよ」
窓の横の壁面に小さなプレートが架かっていた。
「二羽のカラスだって。ということは……」
泰子は窓に近づいて頭を巡らせた。
「あ、あそこにもいた」
もう一羽はバルコニーの手すりの上に止まっていた。
「面白い……」
泰子がつぶやいた。その横顔があどけなく、私は好ましく感じた。振り返った泰子が私の視線に気づいた。一瞬見つめ合い、自然に手をつないだ。残りの展示は足早に見てまわり、最後に喫茶コーナーでコーヒーを飲んで美術館を出た。
「食べて帰りましょう。今日はぼくの奢りです」
「はい。では、遠慮なく奢っていただきます」
新宿駅ビルの一角に、割合安いレストランを見つけていた。私たちはビールと良心的な値段のディナーセットを注文した。食事の後は先週と同じように改札の前で私たちは別れた。
二週間後、私と泰子は郊外の公園にいた。朝から天気が良くて日なたでは暑いくらいだった。私たちは公園のベンチで泰子の作ったサンドイッチと魔法瓶に入れた紅茶で昼食にした。
午後は池で貸しボートに乗った。日が陰り空模様が気に掛かったが、ボートに乗りたいと泰子がせがんだのだ。オールを漕ぐ私の前に泰子がいた。チェックのブラウスにダークグレーのスカート。ベージュのカーディガンを羽織った泰子が無邪気に微笑んでいた。
油のように滑らかな水面の上で微睡むように船が進んだ。映画のワンシーンのようだと私は思った。午後の時間がゆっくりと流れていた。こんなに寛いだ時間は久しぶりだった。ずっと続けば良いのにと私は思った。
しかし幸福は常に長続きしないものだ。泰子が空を仰いだ。表情が曇った。私の首筋に大きな滴が落ちた。ぽつぽつと水面に波紋が生まれた。俄に空が暗くなり、大粒の雨が激しく水面を打ち始め、無数の波紋が広がった。
二人とも傘は持っていなかった。私は懸命にボートを漕いだ。乗り場に戻る頃に私たちはすっかり濡れてしまった。岸から上がると大きな木の下に逃げ込んだ。が、さらに具合の悪いことに、ゴロゴロと雷鳴がし出した。
私たちは池の端の東屋に走り込んだ。雨宿りするカップルが他にも二組いた。飛沫を立てて大粒の雨が地面を叩いていた。やがて雨の勢いが収まると、一組のカップルが小さな折りたたみ傘一つを開いて東屋を出た。もう一組はレジャーシートを頭から被って出て行ったので、残ったのは私たちだけになった。ほどなく雨脚が弱くなった。公園の出口が見えていた。泰子が足踏みし始めた。
「寒い?」
「寒いしトイレにも行きたい」
公園の公衆便所は近くにあった。一緒に走り二人とも用を足すと東屋に戻った。しばらくすると小降りになった。泰子が震えていた。
「大丈夫?」
「寒い」
「どこかで休んでいきましょう」
泰子が青い顔でうなずいた。私たちは公園を出た。駅までは緩やかな上り坂だった。道のりの途中に安いホテルがあったような気がした。
通りと交差する路地の奥にラブホテルがあった。泰子を熱い風呂に入れようと思った。着替えの心配は後回しだった。受付で金を払って部屋に入った。古びた旅館風の部屋だった。すぐ浴室に行き、浴槽の蛇口を一杯ひねった。石組みの浴槽に湯が溜まり始めた。泰子が濡れたブラウスの腕を組んで洗面所でたたずんでいた。スカートの裾から滴が落ちた。
「まず、服を脱ぎましょう」
「そうね……」
と言いながら泰子が一瞬躊躇った。
「着てたらかえって寒いでしょう? はい、よーいどん!」
泰子が笑った。濡れて身体に貼り付く衣類を苦労しながら私が脱ぎ始めると泰子も脱ぎ始めた。濡れた衣類が二つの脱衣籠に入り、私たちはバスタオルを纏った。
布団が敷かれた部屋に石油ストーブがあった。私はつまみを回してストーブの芯を出し、点火スイッチを押した。炎がゆらめいて黒いすすが出た。慌てて芯を引っ込めた。火が安定すると耐熱ガラス越しに青い炎が輝いた。石油の匂いが鼻をついたが二人とも気にしなかった。
ストーブの前にバスタオルを二枚敷いて、私と泰子は自分の衣類を拡げた。二人とも素裸になったが、濡れた衣類を敷くためにバスタオルが必要だったのだ。私たちは衣類を広げて並べた。脱いだ順に並べると効率が悪いので、衣類の形を考えながら、重ならないように組み合わせなければならなかった。泰子は巧みに配置したので、最後にショーツを置いてもスペースが少し余った。私のブリーフを横に置かせてもらった。ストーブの前でそのような作業をしているうちに身体が少し温まった。浴室に行くと、湯はまだ浅かったが入れないこともなかった。
「一緒に入りましょう」
泰子が言った。
「いいの?」
「今は二人ともお風呂に入る場合よ」
「はい」
湯の熱が四肢の隅々まで染み渡っていった。「はあ」と二人同時に声が出た。私たちは笑った。湯口の下は熱かったので、浴槽の反対側で私たちは身体を寄せ合った。間近に互いの顔があった。唇が触れ合い湯の中で抱き合った。ペニスが勃起した。なだめるように泰子がそれを撫でた。
風呂から出ると私たちはフェイスタオルで身体を拭いた。そして並べられた二つの布団に入った。別々の布団に入ったのは、もちろん儀礼のようなものだ。布団にくるまってしばらく天井を眺めていた。服が乾くまでどれぐらいの時間がかかるのだろうか――。
「そちらの布団に移動してもいいですか」
泰子は声を出さずに笑っていた。無言でうなずいた。私は泰子の布団をめくって泰子の横に滑り込んだ。そうして私たちは結ばれたのだった。
雨はやんでいた。延長の部屋代は泰子が払ってくれた。すでに日が暮れて気温も下がっていた。服はまだ湿って冷たかった。風呂に入り直して十分温まっていたが、いつまで保つのか不安だった。
駅に向かう道すがら泰子が夕食を提案した。近くの暖房の利いた店でお腹を満たして衣服も乾かそうというアイデアだった。そこで私たちは駅近くのゆっくり居られそうなレストランに入った。
毎週デートをしたわけではなかったが、会う度に私たちはホテルに行った。デートの体裁も取らずホテルに直行することもあった。
――そうして半年経った。ゴールデンウイークの後の土曜日だった。私と泰子は朝から電車を乗り継いで海岸に来た。曇った日だったが、泰子は日傘を差した。砂浜に出ると何組かの家族連れがレジャーシートを敷いて弁当を食べていた。渚に小さな波がひいては寄せ、ウインドサーフィンをする若者が沖を目指していた。
私たちは松の木の陰にビニールシートを敷き、泰子が作った弁当を開いた。私は海苔で巻いたおにぎりをほおばり、タコの形をした赤いウインナソーセージを箸でつまんだ。
「可愛い形だ」と言って口の中に放り込んだ。泰子が魔法瓶から紙コップに熱いお茶を注いだ。
「昔はお弁当に毎日入れたの」
泰子がしみじみと言った。
「……」
「上の子が好きだったの。幼稚園の頃だった……」
今まで詳しく話さなかったことを泰子が語り始めた。去年の三月末に離婚して二人の子供を引き取ったこと。上が女の子で高校二年、弟が中学二年。夫だった男性とは大学時代に知り合って卒業後結婚した。
いろいろなこと(詳しく言わなかった)があって、五年前から夫婦間が冷め切った。子供や生活のために離婚を躊躇っていたが、決定的なこと(としか言わなかった)があって、別れることにしたと泰子は話した。
子供が十八になるまで養育費を払うと約束したが、向こう(前夫)も再婚して家庭を持ったらしいので、いつまで続くか分からない。生活のために去年の四月から学習塾を始めたと泰子は言った。十年前に父が亡くなったが、父が家具商をしていた店を改装して塾にした。スペースがあるので生徒を増やしたいと思う。自分は小中の教員資格を持っていて小学校は全教科教えられるけれど、もともと文系なので中学になると数学が難しい。まして高校の数学や物理、化学は自分には到底無理だと泰子は言った。
「それでね……」
泰子は私の膝の上に拳を置いた。
「中学生や高校生に数学や理科を教えられる人を探しているの」
私は黙って海を見ていた。ウインドサーフィンをする二つの頭が波間で交互に上下した。
「あなたに講師をお願いできないかなと思って」
「……」
何と答えていいのか分からなかった。特許事務所でアルバイトをしていることは、もちろん泰子は百も承知していた。時間が空いているのは土、日か平日の夜ということも――。
「無理なお願いだと思います」
急に丁重な言葉遣いになった。
「あなたはどうお考えですか」
私は空いている時間を泰子に言った。
泰子の眼が輝いた。
「じゃあ、金曜日の夜だけでも……お願いできますか?」
彼女の願いを断る気持ちはなかった。泰子の手助けになりたいと思い始めていたからだ。それで翌週から金曜日の六時に泰子の勉強塾を手伝いに行くことになった。執筆にも影響は少ないだろうと私は考えた。それに実のところ、しばらく小説書きから遠ざかっていたので、金曜以外毎日でも塾を手伝えないこともなかった。だがその時は、週一日以上時間を割く約束はできなかった。四六時中机に向かって原稿を書いている、あるいは書くべきだという理想化されたイメージが私の頭の中にあり、実際は時間を無駄に過ごしていることが多いのだが、それでもその空いた時間は、容易に譲れないと感じていたのだった。
翌々日、金曜は残業ができなくなりましたと所長に告げて了承を求めた。所長は少し考えてからうなずいた。
仕事が終わると私は神田の書店へ行き、中学と高校の数学と理科の参考書を購入した。泰子から必要経費として一万円預かっていた。それからアパートに帰って大急ぎで復習を開始した。高校は後回しにして、まず中学校の数学に取りかかった。中学の数学はすぐ思い出した。中学の理科は半ば暗記物だった。毎日復習を続けたので、木曜日の夜にはひと通りさらえていた。
金曜日、私は特許事務所の仕事を定時の五時で終えた。新宿から京王線で下高井戸まで行き、泰子から教わった通り世田谷線に乗り換えて松原で降りた。たった一駅だった。改札を出ると泰子が待っていた。私を認めると微笑した。薄化粧で普段着だった。デートではないのだと改めて思った。
「お腹空いてるでしょ?」
並んで歩き始めると泰子が聞いてきた。
「うん、まあね」
「軽めだけど、夕食を用意しておいたわ」
「それはどうも」
「時間は無理じゃなかった?」
「全然大丈夫。すんなり来られたさ。それより、ざっとだけど、中学の数学と理科をおさらいしてきた」
「本当? うれしいわ」
「あ、そうそう。参考書を買ったお釣りを返さないと」
「今はいいの。他にまだ必要なものがあるかもしれないし」
駅から五分ほど歩いた。一軒の商家の前で泰子が立ち止まった。明かりがともった摺りガラスの引き違い戸があった。中から子供らの元気な声が聞こえてきた。そこから入るのだろうと思った。が、違った。
「こっちです」
店の横の木戸を開けると奥に居宅の玄関があった。泰子が玄関の引き戸を開けた。土間に黒のローファと白のズックが行儀良く並んでいた。泰子が素早くサンダルを脱いだ。
「上がって」
廊下の先からテレビアニメの音が聞こえてきた。
「中村さん、こっち」
「じゃりン子チエ」の音声が聞こえる部屋に入った。食事をしていたらしい女の子と弟らしい男の子がこちらを振り向いた。
「娘の鮎子と息子の鶏太です」
言いながら泰子がテレビを切った。二人が箸を置いた。
「今度塾で教えてくださることになった中村さん」
「こんにちは」
「こんにちは」
姉弟がかわるがわる頭を下げた。あらかじめ泰子が言い聞かせていたのだろう。
「今日から教えてくださるの。中学生たちはもう来てるかな?」
「何人か来たみたい」
姉の方が答えた。
「中村さんは、中学と高校の数学と理科を受け持ってくれるの。ママが教えられない教科をカバーしてくださるのよ」
姉と弟が顔を見合わせた。
「今行ってる塾はどうするの?」と姉が言った。
「辞めてもいいわ。ウチはこれから高校生も対象にするんだから」
「ああ、良かった。今の塾は遠くて通うのが大変だったんだ」
姉が胸をなで下ろした。
「中村さんは理系の大学出身で数学や物理、化学にも強いの。そうですよね」と泰子が私に振った。
「そうですが、私自身が高校の復習をやらないといけませんので、今すぐにという訳にはいかなくて。早くても来週位からですかね」
私は内心焦っていた。高校時代、数学も物理も成績は良くなかった。しかも長い浪人時代にさらに学力が低下したのだ。高校生に教えるのは容易なことではない。が、内心の不安は微塵も見せなかった。
「数学や理科は本来得意な分野なので、復習すれば大丈夫です」
と言ってから、私は姉に質問した。
「鮎子さんは文系それとも理系?」
「理系です」
「この子、国公立の薬学部を志望してるんです」
「ほう」
鮎子に向けて「でも数学が苦手なのよね」。
「そうなんですね。それで鶏太君は?」
「分からないです」
「なかなか進路が定まらなくて」
「高校へ行ってから決めてもいいんじゃないかな」
私など二十歳過ぎても定まらなかったと言いたかった――。
小さな応接間のような洋室で、出前のカツ丼を食べながら気持ちが沈んでいった。さっき泰子は鮎子に他の塾を辞めていいと言った。ということは、鮎子の数学や理科を私がサポートしなければいけないということだ。
時間的余裕はないと思った。教科書の範囲で数学を教えるのは難しいことではない。大学で数学を勉強したので、高校生よりは見通しが良い。だが受験数学はカテゴリーが別なのだ。大学入試は限られた時間で多くの問題を解いて計算をしなければいけない。解答テクニックなどは、数多く問題を解いて初めて身につくものだ。しかしそれこそ私が最も苦手とする、オーソドックスな受験数学の勉強そのものではないか。数年前に放棄したはずの受験勉強を、なぜ今になってやらなければいけないのか。私が受験の混迷から抜けられなかった最大の要因だった数学――。
そういう巡り合わせなのか?――運命の神がもし存在するならば、途中で投げ出した数学を、もう一度やり直してけじめをつけよと命じているのかと、暗い気持ちで私は箸を置いた。
中学生相手に数学を教えるのは案に相違して楽しいものだった。泰子の提案で、まず学校の宿題をやらせた。できなかった問題を私がヒントを出して解かせた。授業がよく理解できないという子には、より基本的な単元まで戻らせた。分からなければ分かるところまで戻って、少しずつ基礎から地道に勉強するよう説いた。調子に乗って「数学に王道なしだよ」などと生徒に言った。とんでもない噴飯物の台詞だった。
その日は数学と理科を教えた。仕事が終わると九時近くだった。泰子が紅茶とケーキを出してくれた。茶封筒が添えてあった。謝礼だと泰子が言った。どこかで見た光景だと思ったら、坊さんにお布施を出すスタイルに似ていた。
帰りは下高井戸まで歩いた。途中で封筒を開けた。千円札が三枚入っていた。相場がいくらなのかわからなかった。駅近くまで来た時だった。後ろから声がした。
「虎太郎さん」
泰子が自転車で追いかけてきたのだ。自転車から降りると私と並んで自転車を押した。
「今日はありがとうございました」
「あんな感じで良かった?」
「もちろん。私の思った通りだったわ」
「そうなの? どこが?」
「あなたの教え方。数学の苦手な子には手取り足取りって感じで、噛んで含めるような教え方。あれならどんな子でもよく分かるんじゃないかしら」
「それは自分自身苦手な科目だったから。どこでつまずくか分かるんだ。僕自身妙に潔癖症なところがあって、少しでも違和感があれば、そこから進めなくなってしまう。数学的手順に慣れていないだけなんだけど」
「こんなこと言ったらすごく失礼だけど、私あなたを少し見くびっていたかもしれない。ごめんなさいね」
「へへ」と私は頭を掻いた。
「あ、それよりこれ、どうも」
ポケットからさっきの茶封筒を出した。
「大してお礼ができなくてごめんなさい」
「いえ、十分。それよりお子さん良い子たちだね」
「そう?」
泰子はうれしそうだった。駅に着いた。
「ではまた、来週」
と私が行きかけると、泰子は神妙に「お願いします」と頭を下げた。
私は翌日から高校の数学をやり直し始めた。練習問題も必ず全部解いていった。理解し難い箇所が出てくると、仕事帰りに神田の書店に寄って別の参考書を買った。そうして次々に参考書を買い足していったので、私の本棚の一番手に取りやすい棚は高校の参考書で占められた。そんなある日、友人の猫田がアパートに来た。仕事帰りでスーツを着ていた。自分で座布団を敷き、あぐらを組んでネクタイを緩めた。
「久しぶりだな」
タバコに火を付けた。
「三月以来だ」
と言いながら部屋の中を見回した。本棚の真新しい参考書で目が留まった。
「おいおい、俺と同じ仕事でも始めたのか?」
猫田は四月から私立高校の数学の教員の職を得ていた。
「特許事務所はどうした。転職したのか?」
「知り合いの塾を手伝ってるのさ。転職じゃない」
「ふーん。数学が苦手な君がね……」
猫田は鼻から器用に二本の煙を出しながら皮肉っぽく言った。
「何かわけがありそうだ」
勘のいいやつだと思った。それでも私はすっとぼけていた。
「何もないさ。知人に頼まれて金曜の夜だけ塾で教えているんだ」
猫田は首を振った。
「あーあ、知り合いってのは女だろ? しかも惚れているときた」
「……」
「やっぱりな。教師じゃなくて、誰が好き好んで高校数学の勉強なぞするもんか。よほど強い動機でもなきゃやらないよ。参考書なんか教師の俺よりたくさん持っているじゃないか。普通は金曜日の夜なんて、塾でガキ相手に数学教えているより、気の利いた店で酒でも飲んでるだろうよ」
「まあ、そのとおりだ」
私はあっさりと認めた。
「だいたい君は数学を蛇蝎のように憎んでいたじゃないか。そんなやつが中高生相手に教えるなんて、とんでもない話だ」
「いろいろ事情があってさ」
「そりゃそうだろ。そこらへんを聞いてやるから酒でも飲ませろよ」
引き下がりそうもなかったので、仕方なく私は流しの下に隠してあったスコッチを取り出して卓の上に置いた。グラス二つと氷、あり合わせのつまみが並んだ。私はオンザロックで口の中を湿らせた。
「その人は俺より八つ上の三十九歳。世田谷に住んでいる。離婚して高二の女の子と中二の男の子を女手一つで育てている」
猫田がうなずきながらグラスを傾けた。私は泰子との出会いからのいきさつを手短に猫田に話した。
「……とまあ、そんなところだ」
「え? もう終わりかよ」
「それ以上聞いてどうする?」
「そうか、聞くだけ野暮ってことだな」
と、意外にあっさり引き下がった。
「それより、三角関数の問題なんだけどさ、分かんねえところがあるんだ」
栞がいっぱい挟まった数ⅡBの参考書を本棚から引き抜くと、猫田が露骨に嫌な顔をした。
「ちょっと教えてくんないかな」
開いたページをちらと見て猫田は大息をついた。
「人がいい気持ちで酒を飲んでいる時によ」
と言いながらも結局、猫田は私がつまづいた問題をすらすらと解いたのだった。それから対数の問題、極限、数列と続き、数Ⅲの微積分へと移った。夜が更ける内に三杯目のロックは氷が溶けて、最後に猫田がグラスをあおった時は水っぽい酒になっていたはずだ。
「やれやれ、とんだ災難だ。もう二度と来ねえぞ」
と言い捨てて猫田が帰った時には、すでに十二時近くだった。
泰子の学習塾に五月の第二週から通い始めて三か月が過ぎた。毎週金曜日の六時から勤務したが、夏休み中は高校受験の中三の生徒のために、日曜の午前も塾で教えた。その間に私は数Ⅰと数ⅡBはかなり自信を付けた。と言っても、少し込み入った大学受験問題は相変わらず解けなかったが……。
それで泰子には、秋に新しく高校生を募集する際に、高三の受験生を除外するよう頼んだ。当面は一、二年生を対象に、学校の授業についていけることを塾の目標にしたのだった。泰子の娘の鮎子を実地に教えてみて分かったことだ。まず教科書に沿って簡単な問題を解かせる。それができたら次に薄い問題集で少し計算を早くさせて解かせる。薄い問題集はすぐ終わる。一冊仕上げると本人は達成感を味わうので、もう少し難しい問題集に掛かれるのだった。そうやって少しずつレベルアップをしていき、三か月後には得意科目になった。数学の飲み込みが早いので、今後志望ランクを上げることも可能だと思った。
一方、弟の鶏太は部活のサッカーに打ち込み始めたので、勉強は二の次になった。感性は豊かだがこつこつやる勉強は苦手だった。それで数学や英語は遅れ気味で、国語や暗記物の社会が得意というか好きだった。大学に進むためには英語は必須なので、夏休み中は泰子が鶏太に英語を復習させることになった。泰子は大学時代に留学経験もあり、英語は最も得意な教科だったのだ。
九月に入ると、新聞折り込みのチラシを見た高校一、二年生がぽつぽつと塾に入ってきた。七八月中に私も猫田の助けを借りて数学の難問をたくさん解いた。飲み代が大分掛かった。泰子から預かった参考書代をはるかに超えたが、すべて自前だった。しかしそのおかげで、高校生らに不安感を与える心配はなくなった。
九月の最初の金曜日、初めて高校生に数学を教えた。一年生二人と二年生一人に教えたが、首尾は上々だった。塾が終わると、いつものように泰子がケーキとコーヒーを出した。
「高校生どうだった?」
と泰子が聞いた。
「うまくいった。十分準備したからね」
「よかったわ」
泰子が喜んだ。
「そのチーズケーキ飽きてこない?」
泰子がカップにコーヒーを注ぎながら言った。
「うん、まあ」
私はフォークの先であまり熱意なくケーキをつついていた。
「次は違うのにするね。リクエストある?」
泰子が自分のカップに残りのコーヒーを入れた。
「うーん。たいがい食べたからね」
「じゃあ、また新しい店を探しとこ」
と言いながら泰子はカップを口元まで持っていって、いきなりうっとえずいた。片手で胸を押さえた。
「大丈夫?」
「なんか急にむかむかして」
「病院で診てもらったら?」
「そうね」とうなずいた。
泰子は一度咳払いして、
「あのね、虎太郎さん。前から考えてたんだけど、週四日来てもらえないかしら?」
「それは無理だよ。夏休み中の週二日でも疲れちゃって。執筆もできないし昼の仕事にも差し支えるよ」
また嘘をついた。執筆は五月以来してなかった。
「そうよねえ」
泰子はため息をつき、カップの中のコーヒーを恨めしそうに見た。
「大好きなコーヒーなのに」
「だから、明日でも病院に行きなよ」
「そうするわ」
泰子に見送られながら玄関を出た。泰子が付いて出た。小さな声で、
「だから明日は少し遅れるかも……」
「分かった」
土曜日は新宿でデートの予定だった。一か月ぶりだった。夏休み中は塾が忙しくてご無沙汰していたのだ。
翌日、私は新宿駅ビルの書店で泰子を待っていた。発売されたばかりのSF誌に手が伸びた。コンテストの結果が載っているのだ。今年も佳作ばかりで入選はなかった。自分の作風はこの雑誌の傾向に合わないと思っていたので、佳作に選ばれた四人の名を見て動揺することもなかった。だいたい自分は今書いていないのだから、どんな感慨も湧くはずがなかった。羨望も嫉妬も。
いつの間にか泰子が横に並んでいた。私は雑誌を書架に戻した。
「何か食べに行こうか」
「もう少し本を見てなくていいの?」
「うん、いいんだ」
「喫茶店でいい?」
「いいよ」
「サンドイッチが食べたくなっちゃった」
同じフロアの喫茶店に入った。サンドイッチと、私がコーヒーで泰子はレモンティーを注文した。
「そうか、コーヒーじゃないんだね」
昨日のいきさつを私は思い出した。
「ここに来る前に病院に寄ってきたの」
「で、どうだった?」
泰子は不思議な微笑を浮かべた。
「お、め、で、た」
「え?」
「妊娠三か月だって」
「……」
全く予想できなかったことではない。しかしショックでないと言えば嘘だ。私はおそるおそる泰子に尋ねた。
「どうするの?」
「産むことにしたわ」
「……」
「ずいぶん悩んだけど」
私はサンドイッチをつまんだ。全く味がしなかった。
「あのね、あなたはお腹の赤ちゃんのお父さん。一番自然なのは、お母さんになる私とお父さんになるあなたと、生まれてくる赤ちゃんが一緒に暮らすことなの。二人で子供を育てるのが一番いいの」
「確かにそうかも知れないけど……」
私はうなだれるように俯いた。
「これは私の考えだけど……」
泰子は世田谷の家で私が一緒に暮らすことを提案した。泰子の二人の子供、鮎子と鶏太には、状況を受け入れてもらえるよう説得する。そうして下地を作ってから、私がアパートを引き払って世田谷の家に引っ越す。さらに塾の専任講師になることなど――。
「お腹が大きくなっても塾で教えることはできるでしょう。でも、出産予定日の二週間前から産後は最低一か月塾に出ることはできないわ。その間大学生も雇って、数学と理科はあなたに教えてもらって……」
「ちょっと待って……」
泰子の夫になることに異論はない。彼女が好きだし、お腹の中の子供に責任がある。が、泰子の二人の子供、鮎子と鶏太の父になるのは少し荷が重いと感じた。
「二人の父親にならなくてもいいの。大きなお兄さん的な存在でいいのよ」
「ふーん」と私は生返事をした。
しかし、泰子が塾で教えられない数か月の間、自分が毎日塾で教えなければならないとしたら、特許事務所は辞めざるを得ない。その間の生活費は大丈夫なのか?
泰子は笑いながら言った。
「それぐらいの蓄えはあるわよ。それと私が復帰したら、本格的に中高校生向けの別クラスを作ろうと思うの。そうすれば増収が見込めるわ」
今は書いていないが小説の執筆は続けられるのだろうか? 表情を曇らせた私の心中を察して泰子が言った。
「今まで通り執筆できるような環境を作るから、その点は安心してね」
それでも私はまだぐずぐずと躊躇った。
「ね、私たち一緒に暮らしましょう」
と泰子が諭すように言った。不安な要素はいろいろあった。しかし結局私は「うん」とうなずいていた。
九月末の日曜日、私は泰子の家に引っ越した。
アパートの部屋を出る前にがらんとした部屋を見回した。ここに五年いた。見果てぬ夢の数々。身を焦がす妄想に耽った日々。酒を飲みながら友人と語らった時間――思い出が次々と浮かんできた。独身時代はもう終わったのだと思った。
「そろそろ行こうぜ」
猫田がトラックから引き返してきた。
「ああ、行こう」
トラックは新しい転居先に向かった。
家庭人 一九八一~八三
猫田がトラックを泰子の家の前に着けた。玄関から泰子と泰子の母が出てきた。あいさつもそこそこに猫田が荷下ろしを始めた。本が段ボール二つと衣類がプラスチックの衣装箱一つ、身の回りの日用品や食器類などで段ボール二つ。他はスティールの本棚一つに電気スタンド。こたつ兼用の卓と座椅子で、玄関脇の応接間と廊下に並べて置いた。
来る途中、テレビと冷蔵庫と食器棚を猫田のアパートで下ろした。食器棚は猫田に譲った。テレビと冷蔵庫は猫田の後輩が後日引き取ることになった。上京以来使ってきた布団などはごみ回収業者に渡した。
身一つというわけではなかったが、私としては最低限の荷物だった。私が越してくることになったので、鷲津家でも片付けをしたようだった。
居宅部分の一階の、泰子が寝起きする六畳間に続く四畳半が私のために充てられた。子供たちは二階にそれぞれの部屋があり、泰子の母の鶴子(つるこ)は一階の端の日当たりの良い部屋を使っていたので、私という闖入者による住み替えはなかった。
早速段ボールを開けて、運んできたスチールの本棚と元から部屋にあった本棚に自分の本を並べた。こたつ兼用の卓と座椅子を置いて、電気スタンドと筆記用具を卓の上に置くと書斎らしくなった。本棚の一段を占めた参考書を見て泰子が目を見張った。
「また本が増えたね」
猫田が苦笑しながら言った。
「中村は高校教師の私より勉強しているかも知れません」
「まあ」
「猫田には数学で分からないところを教えてもらってるんだ」
「いつもお世話になっております」
泰子が丁寧に頭を下げた。
「いえいえ」
猫田が手を横に振った。そして感慨深げに、
「それにしても……」
「何だよ」
「お前、ほんとに結婚するんだなと思えてきた」
「当たり前じゃないか」
三人で笑った。
ひととおり荷物が収まると泰子の母が呼びに来た。
「皆さん、お昼ご飯にしましょう」
ちょうど昼の十二時だった。十時に西荻窪のアパートを出て、杉並区のごみ回収業者と中野の猫田のアパートを回るだけなら車で一時間もかからないが、猫田のところで時間がかかった。車の入らない路地の先のアパートの二階まで冷蔵庫を運ぶのに手間取ったのだ。
食卓に大きな寿司桶が置かれていた。出前で頼んだらしい。泰子と泰子の母がすまし汁の椀と茶を運んだ。一同が食卓に着いた。さっきから気になっていたことを私は泰子に聞いた。
「鮎子さんと鶏太くんは?」
「二人とも部活なの。帰りは三時頃」
少しほっとした。
泰子に促されて猫田が最初に寿司を取った。次は私だった。四人の箸が交互に伸び、桶の中の寿司が次々と消えていった。桶が空になると、カップに入った水羊羹が並んだ。と、急に思い出したように猫田が居住まいを正した。
「虎太郎くん、泰子さん、このたびはご結婚おめでとうございます」
と猫田が頭を下げたので、私たちも慌てて「ありがとうございます」と返したのだった。
「ときに式はどちらで?」
猫田が私たちに問うた。泰子が私をちらと見てから、
「区役所に婚姻届を出して、近くの神社にお参りするだけなんですよ」
「それはシンプルで良いですね」
皮肉な口調でなく猫田はもっともらしくうなずいた。
「そのあと四国の虎太郎さんのご両親にお会いして、結婚の報告を兼ねて食事会をする予定なんです」
「なるほど」とうなずきながら、猫田は水羊羹をプラスチックのスプーンで口に運んだ。
この日の昼食もお披露目のようなものだったと、後になって私は気づいたのだった。食事が終わると猫田には帰ってもらった。猫田が立て替えたトラックのレンタカー代金を払おうとすると、「結婚祝いだ」と言って受け取らなかった。「良かったな。がんばれ」と言って猫田はトラックを発進させた。
その日のうちに細々とした品物もあちこちの引き出しに収まった。三時に鮎子と鶏太が珍しく一緒に帰ってきた。二人は私の書斎となった部屋を珍しそうに見回した。本棚に整然と並んだ参考書を見て目を丸くした。
「この本借りてもいい?」
鶏太が中学の理科の参考書を指さした。
「ああ、いいよ。中学の理科はもう頭に入ってるから」
「すげえ」
と鶏太が本棚から一冊引き抜いた。
「これは?」
鮎子が少し遠慮がちに数ⅡBの参考書に触った。
「使っていいよ。これはとうに終わったさ」
「うひょー、虎太郎さん頼もしいね」などと生意気な口をきいた。
「今の鮎子なら、こっちがいい」
私は別の参考書を渡した。
「いいの?」
「うん」
にぎやかな部屋を泰子の母の鶴子が覗いた。
「良かったねえ、お前たち」と言って、
「お腹すいたろ。お寿司があるんだよ」
「お寿司、お寿司」
と言いながら本を抱えて二人は台所に走った。
――その日の夕食時。五人がテーブルを囲んだ。お昼の寿司と比較すれば、ごく普通の夕食だった。と、鮎子と鶏太が 席を外し、階段を走り上がって二階からそれぞれ紙袋を一つ提げてきた。鮎子が紙袋から大きな花束を取り出した。
「ママ、虎太郎さん。結婚おめでとう」
鮎子が花束を差し出した。私と泰子は食卓の上で一緒に受け取った。
「ありがとう」
「ぼくからはケーキ」
鶏太がリボンの掛かった菓子箱をそのままテーブルに置こうとした。
「鶏太、箱を開けなきゃ」
鮎子が言った。鶏太がリボンを解いて箱を開けた。鮎子はデコレーションケーキを皿の上に載せた。『結婚おめでとう』とチョコレートクリームで書かれてあった。
「ママ、虎太郎さん、結婚おめでとう」
「ありがとう」
と繰り返しながら、泰子は溢れる涙をハンカチで拭った。それを見て私も鼻がつんとした。手の甲で目尻を拭った。
「私からも……。虎太郎さん泰子おめでとう」
と鶴子が菓子箱を食卓に乗せた。
「え? ありがとう」
泰子が驚いた。
「ありがとうございます」
私は頭を下げた。
「おばあちゃん!」
箱を開けた瞬間、鮎子が素っ頓狂な声で叫んだ。
「これ、ケーキ同じだよ」
鮎子がケーキを取り出して皿の上に置いた。『結婚おめでとう』のメッセージが入った全く同じケーキが二つ食卓に並んだ。
「同じ店だったんだねえ」
と鶴子が申し訳なさそうに言った。
「たくさん食べられていいじゃん」
と鶏太が言った。鮎子も「そうそう」とうなずいた。
「これは豪勢だね。一個丸ごと食べちゃおうかな」
と私が言うと、
「ええっ! だめー」
と鮎子と鶏太が露骨に嫌な顔をした。それを見て泰子と鶴子が大笑いした。今は鷲津家の誰もが、私の食いしん坊ぶりを知っていたので、子供たちが真に受けても不思議ではなかった。
「冗談、冗談」と私は慌てて取り消したのだった。泰子が目配せした。私と泰子は立ち上がって、宣言した。
「これよりケーキ入刀を行います」
パン切り用の包丁を二人で持ち、二個のケーキに順に五つずつ切れ目を入れていった。切り終わると、ぱちぱちと三人が拍手した。スパークリングワインの栓が空けられた。が、それを飲むのは私だけで、残りの四人のグラスにはジュースが注がれた。私たちは「乾杯!」と言い合ってポテトサラダと豚カツのおかずと、食後はケーキを食べながらグラスを傾けたのだった。
その夜、私と泰子は夜具の上で天井を見ながら枕を並べていた。
「長い一日だったね」
「ご苦労さまでした」
「つくづく良かったと……思う」
「え?」
泰子が顔を向けた。
「君と一緒に暮らせることがさ」
すると泰子が布団をめくって畳の上ににじり出た。そして寝間着のまま正座した。私も布団から出て正座し、泰子と向かい合った。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
泰子が頭を下げた。私も「こちらこそ、よろしくお願いします」と頭を下げた。二つの頭がぶつかりそうになった。私たちはくすくす笑いながら布団の中に戻った――。
翌週の水曜日は大安だった。私と泰子は区役所へ行き婚姻届を出した。泰子が私の姓、中村を名乗ることになった。泰子の二人の子供、鮎子と鶏太とは養子縁組をしなかったので鷲津姓のままである。婚姻届を済ませて区役所近くの神社にお参りをした。
週末私たちは空路四国へ渡った。実家へ行って泰子を父母に引き合わせた。電話で母には話してあったが、頭の固い父の反応が気がかりだった。が、意外に父は上機嫌で泰子を迎えた。その日の宴でも、父は泰子を嫁として親戚(七人出席した!)にお披露目してくれた。会が引けたあと、母は私に耳打ちした。
「あんた、一人息子取られたって、最初はお父さんえらい剣幕だったんよ」
「すんません、ありがとう」と私は頭を下げるしかなかった。
「でも良かったね」
母が満面の笑みで祝福してくれたのが一番うれしかった。
一か月後の十月末付で、私は特許事務所を退職した。私の後任が決まると仕事の引き継ぎをした。最後の勤務日に所長が退職金を出してくれ、ささやかな宴を開いてくれた。
十一月から塾の講師に専念することになったのは、泰子の出産への備えからだった。泰子が産休の間、塾の運営は私がやらなければならない。出産予定日は三月二十七日だが、準備が早ければそれに越したことはない。泰子が不在の間の最大の問題は英語だった。私に英語は教えられない。中学一、二年ならまだしも、中三以上、高校のレベルとなるとお手上げだった。そこで産休の間は、私の親類で英文科に行っている大学生に来てもらうことにした。
塾頭として私がすべきことを、泰子と相談しながら私はノートに記していった。初めにスケジュールを泰子が決めた。三月初めから四月末までの期間である。教室の開け閉めや清掃から始まって、泰子はこと細かく指示した。来春のプリントの作成や教材の確保は、泰子が準備していくことになった。
春休み中、塾生には旧学年の復習をさせて、新学期が始まったら、新しい教科書に沿って教えていくことになる。生徒は一年ずつ進級するが、進級した先の学年の内容は、教える側からすれば毎年同じである。ある意味楽とも言えた。もっとも子供らは学年によって色が違うといわれるように、その年の生徒の傾向に応じて微妙に教え方を変えねばならないが、泰子が復帰するまでは前年の教え方を踏襲することにした。
金銭の管理は重要だった。生徒から月謝をもらって月謝袋に領収印を押す。集めたお金を銀行口座に入金する。そこから講師の給料や諸経費(広告費、光熱水費、通信費、コピー機のリース料、教材費など)を支払う。泰子の実家だが、泰子の母、鶴子には教室の家賃として月三万円支払っていた。
勤めをやめたからといって、昼間ぶらぶらしているわけにはいかなかった。四畳半の自分の部屋で中学高校の数学と理科の準備をする。午後になると小学校の低学年が来始め、時間が経つにつれて次第に高学年が来る。五時半を境に中学生が来るので、その前に軽い食事をする。五時半から八時までは中学生、六時から九時半までは高校生の時間である。泰子のお腹が次第に大きくなるにつれて、私は小学生の指導を手伝うことになった。そのため小学校の教科書も必ず目を通した。
中高生の教科は泰子の英語と私の数学で時間をずらしていたが、教室の真ん中で開閉できる仕切りを作ったので、教室を二つに分けて、並行して二教科を進めることも可能になった。講義式でなく個別式の指導なのでそれができるのだった。
九時半に塾が終わると遅い夕食をとる。泰子の英語がある日は鶴子が夕食を作ってくれた。私がこの家に来て専任講師となって(泰子とのデートがなくなったので)、土曜日の午前は塾を開いて、午後と日曜日を休みとした。土日は一家で食卓を囲んだが、平日の夜、数学を持つ私は毎日夕食が遅かった。
十二月のある日、私は泰子と二人で食卓に着いた。その日は数学と英語があり、他の家族はとうに夕食が終わっていた。私は一人でビールを飲んだ。二人だけの夕食はその日の反省会でもあった。鶴子の得意料理の煮物を箸の先で泰子がつまんだ。泰子は機嫌が良かった。
「生徒が増えてきたね」
「喜ばしいことだ」
「次第に数学のウエイトを増やしていこうね」
「なんで?」
泰子がじれったそうに言った。
「だから前から言ってるように、私の産休対策じゃない」
「あ、そうだった。君の英語指導ができなくなっても、数学の手厚い指導で生徒らを惹きつけておくという作戦だったね」
「そうよ。だから、あなた頑張ってね。あ……」
「ん?」
私は箸を止めた。
「また動いた。この子よく動くわ」
と丸くなった腹をさすった。
「男の子かな」
私も泰子の腹に掌を当てた。スイカのような腹の内から掌を押し返す動きがあった。不思議な感じがした。もう一つの生命の鼓動だった。これが自分の子供なのだとしみじみ思った。
十二月、一月と過ぎ、泰子の腹が前に突き出してきた。一目で妊婦と判る体型となり、私から見るとことさら重たそうに見えたが、本人はさほどでもなさそうだった。つわりがなくなってからよく食べるせいか、今は全体にふっくらとしていた。コーヒーも飲めるはずだが、カフェインの影響を気にして滅多に口にしなかった。
二月に入り、私の親戚回りで英文科三年の女子大生、猿渡環(さわたりたまき)が泰子と一緒に英語を教え始めた。環はおとなしい子だが教員志望で熱心だった。一日で泰子が合格点を出した。三日で生徒の名を全員覚えて、各人の学力に合わせたきめ細かな教え方ができるようになった。中高生らは年齢の近い環にすぐなじんだ。これなら泰子が復帰しても、大学在学中は臨時で来てもらえそうだと泰子と話した。
二月末、その日の塾が終わって私と泰子、環の三人で遅い夕食を取った。食後に泰子が紅茶と珍しくケーキを出した。
「明日からよろしくお願いしますね」
泰子は環に頭を下げた。
「はい」
環も生真面目に頭を下げた。
「明日から頑張っていきましょう」
私は環にというより、自分に向かって励ました。
「それにしても、こんな夜更けにケーキなんか食べてたら、ますます体重が増えちゃうぞ」
と泰子に言うと、
「お腹の子が欲しがるの」
と言ってちょろりと舌を出した。
「ほんとおいしいですよね」
環の眼鏡の奥の目が溶け出しそうだった。
こうして三月一日から、私は塾頭代理として環とともにフル回転したのだった。
泰子は経理をしながら、新学期の生徒募集のチラシの作成など雑務をこなしていた。そのため私は教えることだけに専念できた。泰子が休んでいる間に生徒が辞めることもなく、むしろ新学期の生徒募集の感触は良かった。数学の評判が良いと生徒から聞いて嬉しかった。
昼は塾の準備をしながら鮎子と鶏太の勉強を見た。鮎子は今年高三で、いよいよ受験に本腰を入れなければならない。国立大の薬学部を狙うが、無理なら私立の薬科大で決まった。どちらにしても数学と化学と英語の三教科は必要なので、これらに重点を置くことになった。
一方鶏太は中三となり来年高校受験だった。私と泰子の指導で英語と数学の成績は大分良くなった。文理どちらでも選択できるように、全教科で万遍に点が取れるようにしなければならないと私は思った。
慌ただしい最中の三月二十日、予定より一週間早く泰子が出産した。女の子だった。母子とも元気で私はほっとした。産院から家に電話すると鮎子と鶏太と鶴子がやってきた。泰子はさすがにやつれた様子だったが、家族が来るとうれしそうだった。
「元気そうで安心」
鮎子が泰子をねぎらった。
「妹ができてうれしい」
ベッドの泰子に覆い被さるようにして言った。
「女の子のベビー服を買わなきゃね。そうだ、お祝いに私が買ってあげよう。それにガラガラも要るね」と鶴子が言った。
「玩具とか家になかった?」と泰子が言った。
「あるわけないでしょ。鶏太が赤ん坊の時で十五年も前だよ」
鮎子が笑った。
「三人目ができるなんて思わないから、捨てちゃったかな」
「そうよ」
「ママが元気で良かった。早く赤ちゃん見たいよ」
鶏太がせき立てた。
数分後、新生児室から再びにぎやかに病室に戻ってきた。
「可愛いね」
「どっちに似ているのかしら」
三人は興奮気味に喋った。
「名前は? もう決めた?」と鮎子。
「まだよ。虎太郎さんに任せてあるの」
「決めた?」と今度は私に向いた。
「いやあ、これから考えます。男の子か女の子か分からなかったし、塾の方が忙しかったから、何にも考えてないです」
「まあ、なんてこと」
泰子が呆れた。
「早く名前をつけて」
「そうだね」
「大丈夫、そのうち虎太郎さんが決めてくれるさ」
鶴子がなだめるように言った。
「ええ。出生届は二週間以内ですから、その時までには」
「えー?」
鮎子と鶏太が呆れ返った。が、実はその時不意に名前が浮かんできたのだった。そして三日後区役所に出生届を出した。私と泰子の間の長女となる子の名前は「中村蛍」となった。産院で思いついたのは、蛍の光だった。三月は卒業式の月である。その三月にちなんだ唱歌の歌詞から一字取って蛍として、よみは「けい」とした。蛍は、泰子と婚姻した私の戸籍では長女だが、戸籍を違えて泰子の三人目の子供となった。
そして姉と兄は、この新しい妹をとても可愛がった。とくに鮎子は泰子の手助けという以上に、甲斐甲斐しくオムツを替えたりミルクを与えたり世話を焼く。そのさまは、祖母の鶴子を感心させた。しかし考えてみれば、鮎子は高三で年齢も十八になる。中学時代の同級生で母になった者もいた。鶴子の娘時代まで時代を遡らなくても、十代で子供がいても不思議はなかった。
その年は私にとって一つは塾の拡大と増収、もう一つは蛍の誕生と育児に明け暮れた年だった。
そして翌年、鮎子は何と関東の国立大の医学部に合格した。家からは通えないので大学の寮に入った。入学すると家庭教師のアルバイトに励んだ。夏休みは塾で講師を買って出て、得意の数学や英語を教えた。鶏太は高校に上がるとようやく志望を決めた。私立大の経済学部へ行って商社に就職したいと言った。鶏太は定期的に実父と会っていたので、実父に勧められたのかも知れなかった。もっとも本人は相変わらず勉強は熱心ではなく、高校で硬式テニス部に入り、夏休みも連日の練習で真っ黒に日焼けしていた。
蛍はすくすくと育ち、一歳を過ぎた。泰子がこれまで以上に塾に関わっていたので、育児は祖母の鶴子に任されることになり、必然的にお婆ちゃん子になった。
塾の特別クラスが軌道に乗ると私には欲が出た。この一年で数学と理科の指導に磨きをかけて、偏差値の高い大学の合格者を出そうと思った。意欲のある者はさらに上を目指すよう促す。もう一つ意欲のなさそうな者は高すぎる目標とのギャップから苦しんでいる場合が多く、手頃な目標に設定し直すと、手が届きそうで意欲が湧いてくるのだった。困るのは親に欲があり、自分の子は特別と思い込んでいる場合である。医学部へ行くには明らかに学力不足で、高三の新学期から勉強しても間に合わないのに、何とかならないかと泣きついてくる母親。三代続く開業医でどうしても孫を医学部に入れたいとやってきた祖父。
四月から医学部受験の相談が急増したのは、もちろん鮎子が国立大の医学部に合格したからだろう。現役時の合格可能性が五分五分で不合格になった場合は、学力がアップして翌年合格する可能性はある。その場合でも一浪に限る。それ以上浪人を重ねても学力が上がる可能性は低くなる。つまり合格の可能性は下がっていく。これは私自身の経験によるものだ。自分の経験などを相談者に話すわけではなかったが、私が得た教訓から、高三の四月の時点で合格の可能性が極端に低い場合は現実的な進路、つまり医学部を諦めて合格可能な大学なり学部を目指すことを勧めた。納得のいかない母親は他の予備校へ行った。塾に入る生徒が一人減ることになったが、生徒のためを思えば、私は母親の欲に加担する気はなかった。一方、学力不足の孫に開業医の四代目を継がせたい祖父には、資産が許すなら寄付などして私立の医大へ入れることを勧めた。最低限の学力は必要なので、塾で学力を引き上げることを請け合った。もちろん、特別の授業料が必要になることを説明したのだった。
何人かの医学部志望者やその父母らと話しているうちに、私自身が医学部を受験してみようかという考えがふと湧いた。医学部に合格した鮎子に数学と物理、化学を教えたのは私である。理系の科目に限っては、すでに私は医学部に合格できるレベルである。あとは英語、国語、社会だが、これらの中で国語は古典のみ勉強すれば、現代文などは小説書きの自分は点が取れるのではないか。社会も短期で合格点までいけると思った。問題は英語だが、泰子から特訓を受けたら一年で何とかなるのではないか――。
一瞬本気で私は検討した。が、すぐに断念した。今や私は塾で泰子と並ぶ二本柱の一つだった。私と泰子の稼ぎで家族全員の生計を立てていた。医学の道へ進んだ鮎子を経済的に支えねばならない。二年後には弟の鶏太も大学へ進む。私立の文系に進むにしてもまとまった学費は必要だ。私が医学部に入ると大学で六年、医師国家試験を経て二年臨床研修を行うので、最低八年は実質無収入となる。せっかく努力して塾を拡大したばかりだった。かつて医学部進学を夢見て高校卒業後の四年間を無駄にした私だったが、今はもう家庭人だった。実の娘ではないにしても医師への夢は鮎子が果たしてくれることになった。それでいいのだと私は思った。社会人で医学部に入り直す者も確かにいた。しかし私に医師になる強い動機はもうなかった。思い返せば、受験時代だって医師になる明確な目的があったわけではない。
年月が経ち、医師ではなくプロの作家になることが私の夢となった。今は生活に追われているが、いずれ執筆を再開しようと思った。医師は誰でもなれるだろう。だが「私の小説」は私にしか書けないのだ。
夜、枝豆をつまみながらビールを飲んでいた。一歳になる蛍が「パアパ」と、よちよち歩きしながら私の傍らに来た。
「ほらほら、オムツを替えなきゃ」
と泰子が追いかけてきた。たちまち泰子につかまって蛍はおしめを替えられた。
「どうしたの深刻な顔して」
「え? 深刻に見えたかな」
「うん」
オムツを替えてもらった蛍はそのまま床の上にぺたりと座り込んでおもちゃで遊び始めた。
「考えてみれば、ずっと小説を書いていないなと思って」
「そうね」
「そろそろ再開しようかな」
「必ず書いて。あなたのライフワークなんだから」
「毎日少しずつでも書くべきなんだ」
私は半ば自分に言い聞かせていた。だが実は書くことがなかった。ネタを思いつくとそのつどノートに書き留めた。だがアイデアのままで話が発展しなかった。ネタごとにページを替えるので、ノートをめくるとタイトルと数行の文章以外は余白ばかり続いた。そのうちノートに記述すること自体がまれになり、最後のページから何か月も間が空いた。
西荻窪時代は毎日書いていた。気楽な独身だったからとも言えるし、他にすることがなかったとも言えた。今は妻と子と三人の家族の生計を立てるために長時間働いている。特許事務所に勤めていた頃よりずっと忙しくなった。だから腰を据えて書けないのだと私は思いたかった。しかしそれだけでもなかった。家庭人としての生活に満足していたのだった。剥き出しの自分に向かわざるを得ない孤独感は結婚によって解消され、プロの作家になりたいという野心が薄れていた。というより、家庭という劇場で夫であり父であるという役回りをこなすことに夢中だったのかもしれない。
ノートを開いて鉛筆を握った。しかし何も思いつかず、僅かな語句も湧いてこなかった。いつの間にか私は机に伏せて眠ったらしい。誰かが私の背中を叩いていた。小さな柔らかい拳だった。耳元で「パアパ」と言った。蛍の顔が目の前にあった。私はノートを閉じて蛍を抱き上げた。蛍がけらけらと笑い声をあげた。泰子は仕事中だった。外はまだ明るかった。久しぶりに蛍を連れて散歩に出かけようと思った。
「ちょっと蛍と散歩に行ってきます」
夕飯の準備をしていた鶴子に声を掛けた。
「はあい」
と鶴子が振り返った。
「蛍ちゃんパアパと一緒に行っといで」
蛍に小さな靴を履かせて通りに出た。昼の暑気が和らいでしのぎやすかった。六月の梅雨の合間だった。蛍の手を引いて近くの公園へ行った。蛍を膝に乗せて滑り台を滑った。きゃっきゃと蛍は喜んで何度もせがんだ。夕焼けが空をピンク色に染めていった――。
青い眼の女 一九九九年
「何してるの。こんなところで」
蛍が自転車に乗ったまま眩しそうに私を見ていた。夕日が顔を赤く染めていた。私は鉄棒から手を放して着地した。
「懸垂。全然できない」
「ふーん」
蛍は関心がなさそうに俯いた。
「部活はいつまであるんだい」
「今日で終わりだよ。じゃ家に帰るね」
蛍はハンドルを握り直すと走り去った。
泰子が夕食を食卓に並べていた。
「お帰りなさい。公園で蛍と会ったんだって?」
私はコップに麦茶を注いで一気に飲んだ。
「うん。部活が今日で終わったって」
「夏休み前に引退のはずだったんだけど、九月の上演の準備とかで延びたのよ」
「熱心だよな」
蛍は小中学生時代は内気でおとなしい目立たない子供だったが、高校に入ると演劇部に入って芝居に打ち込んでいた。
「あの子は本気で演劇の道に進むつもりなのかな」
ガラスの鉢に盛られたそうめんを、そばちょこのつゆに浸して二人ですすっていた。
「そうみたい。劇団の研修生になりたいらしいよ」
「大学は?」
「さあ? 受験しないかもしれないって。一度、蛍からパパに話すようにって言っといたんだけど」
「そのうちぼくからも聞いてみるか」
「そうして。あ、それと、鮎子たち十五日にうちに来るんだって。義明さんも一緒だそうよ」
「二人が一緒に病院を休めるのかい」
「科が違うから大丈夫みたい」
「今年もうちで泊まるのかな」
「それがディズニーランド近辺のホテルに泊まるらしいの」
「ああ、それはいい。去年は鶏太の一家と重なってうちは大変だった。そう言えば鶏太は今年帰らないんだって?」
「何でも会社の山荘が信州にあって、お盆の頃は一家で過ごすんだって」
「へえ、それはいいなあ。涼しいだろうな」
二人は茶を飲んでいた。
「今年はパパの書斎にエアコンを入れますか」
「ああ、何とかやりくりして買おうか。それよりお義母さんの具合はどう?」
「暑さで食欲が落ちてるの。病院だから冷房が利いているんだけど……」
八十二になる鶴子は七月の上旬から再入院していた。再発したがんが進行していた。
夕食はそうめんだけで済ませた。夏休み中は夜の部が六時開始で、九時半に終わる。そのあと晩酌を兼ねて遅い食事を取ることになる。
六時前だが特に学習の準備はしない。事務室で教材を揃えた。すぐ終わった。十六年も教えていれば要領は完全に頭の中に入っている。時間まで事務室にいた。一人でいると、いつの間にか彼女のことを考え始めていた。
――四月の第一週だった。一人の母親が塾に相談に来た。息子が希望の高校に入れたのは良いが成績が下から数えたほうが早いので、この先授業に取り残されないか心配している。息子に基礎からみっちり勉強を教えて欲しいと言った。
子供を伴わず母親が一人で相談に来ることは珍しかった。小規模ながら地域の有名塾となった私たちの塾に、息子が入れるのか母親は危惧したのかもしれない。しかしそれは杞憂というものだった。確かに医療系進学クラスが売りだったが、それだけでは経営が成り立たないので「わしづ塾」は相変わらず小中学生から、医療系以外の高校生まで幅広く生徒を募集していた。その中には成績の悪い者も当然いたので、男の子の入塾はすぐ認めたのだった。
母親と話をしながら、私は彼女の眼に魅入られた。白目が青かった。青みがかった白目と藍色の瞳の二つの眼が、不思議な居心地をもたらしてくれるのだった。あまり私が長く見つめたためだろう、彼女は目を伏せて苦笑いした。私は慌てて入塾申込書とボールペンを机の上に出した。彼女はペンを取って記入した。
「では明日からでもお子さんを来させてください」
「分かりました。よろしくお願いします」
と頭を下げて彼女は立ち上がった。また目が合った。魔法にかかったような気分で私は彼女を玄関まで送った。
引き返して机の上の申込書を確かめた。保護者欄に白鳥奈津(しらとりなつ)とあった。母親が自分の名前を書いて何ら不思議はない。それだけで夫がいるかどうかの判定はできない。――亭主持ちか否か。何歳なんだろう。三十代の後半? 私は申込書の筆跡を眺めながら、彼女の身の上をあれこれ想像し始めていた。
七月半ばの夕方、公園で鉄棒をしていると黄色い小型の車が止まった。公園には私しかいなかった。運転席の窓ガラスが下りた。サングラスをした女が手を振った。私は車に駆け寄った。
「先生?」
女はサングラスを外して私を見上げた。白鳥奈津だった。
「こんにちは」
私を見つめる眼が、空の青を映しているようだった。たちまち私は不思議な世界に入り込みかけた。
「悟が期末テストでいい点を取りました。そのことを言いたくて……」
現実の世界に戻った私は、
「それは良かったです。彼はよく頑張っていますから、じきに学年で上位にいけるでしょう」
とお世辞を交えて言った。
「ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。あの、これ差し上げます。よろしかったらお店にいらしてください」
と言って奈津はコーヒーチケットの綴りを差し出した。
「これはどうも」
奈津は会釈すると車を発進させた。右手にコーヒーチケットがあった。喫茶「ジムノペディ」と印字された茶色の紙片をホチキスで綴じてあった。紙面に住所も電話番号もなかった。家に帰って職業別電話帳を開いた。その名の喫茶店が隣町にあった。電車を乗り継いで十五分ぐらいで行ける場所だった。
その後一度だけ公園前の道路で黄色い車を見かけた。やはり夕方時分だった。公園にいれば彼女の車が通りかかるかもしれない。淡い期待感を持った。だが雨の日に鉄棒はできないし、確率の低い偶然を、中学生のように公園で待つ根気は私になかった。
こちらから店に出向けばいいのだが、その頃あまり外出しなくなっていた私には、何かもっともらしい理由が必要だった。見知らぬ街の喫茶店で小説のアイデアを得るというのはどうだろう。すばらしいインスピレーションが湧くかもしれない。そんな言い訳めいた説明を、泰子から求められるはずもなかったが、一定のシナリオに沿っている方が気が楽だった。あるいは、罪悪感が少なくて済んだ。
八月の土曜日の午後、私は電話帳の住所を頼りに駅から商店街を歩いた。炎暑が路面から立ち上って耐え難かった。次の交差点で引き返そうと思った目の前に店はあった。ジムノペディと書かれた洒落た看板が扉の上に架かっていた。学生らしい二人連れと入れ違いに私は店に入った。扉のベルが連続して鳴った。ウエイトレスがテーブルの上を片付けていた。シックな雰囲気の店だと思った。私は壁際の席に座り、アイスコーヒーを注文した。カバンからノートパソコンを取り出してテーブルの上に置いた。アイスコーヒーを運んできたウエイトレスに尋ねた。
「わしづ塾の中村と言う者ですが、白鳥奈津さんいらっしゃる?」
「少しお待ちください」と奥の厨房に入った。
「いらっしゃいませ」
エプロン姿の白鳥奈津が出てきた。満面に笑みを浮かべていた。私は急いで視線を逸らせた。いきなり魔法にかかりたくなかった。薬が少しずつ効いていく時のように、魔法に掛かる状態を意識したかったのだ。
「息子がお世話になっております。今日はお仕事ですか?」
パソコンのことを言っていた。
「ああ、これですか。趣味で文章など書いていますので……」
言いながら思わず奈津を見上げた。まともに眼が合った。青くなかった。一度視線を外してからもう一度見た。正確にいえば、青味が薄くなっていたのだった。私の戸惑いなど知らぬかのように、
「パソコンで文章を書かれるんですね。パソコンは苦手で、私は触ったこともありませんわ」
と話す奈津の白目は限りなく普通に見えた。私は落胆した。彼女の青い眼を見に来たのだ。彼女の不思議な眼を見つめて、ここではない世界にひととき浸りたかった。私は平凡な眼の女と当たり障りのない話だけして帰った。パソコンの入ったカバンがやけに重かった。
ジムノペディに毎週足を運んだ。落ち着いた調度の内装や、BGMの小音量のピアノ曲が気に入ったのだ。奈津を呼び出すことはせず、本当に小説を書こうとしていた。奈津に会いに行くための方便が、執筆に着手するきっかけになった。家とは別の環境に身を置いたのが良かったのだろう、十二枚の掌編小説が書けた。以前会った時の奈津は、体調の加減でたまたま白目が青くなったのだと思うことにした。普段は青い眼をしていないことはこの前分かった。
九月に入り、最初の土曜日にジムノペディへ行った。休業していた。仕方なく店の前で引き返そうとしたその時、黄色の車が私の横に止まった。サングラスをした奈津だった。運転席の窓ガラスを下した。
「すぐ店の扉を開けますから、ちょっと待ってて」
と言って車を店の裏に入れた。しばらくして扉が内側から開き、奈津が私を招き入れた。店に入るとむっとして暑かった。
「すみません、冷房がまだ利かなくて」
「いえいえ、店閉めてたんだから」
「こちらへどうぞ」
店の奥のカウンター席で、後ろは厨房だった。
「いいんですか。今日はお休みなのに」
「用事は済ませました。せっかくいらしたんですから、お茶でも入れましょう」
奈津は音響装置の電源を入れ、サングラスをしたまま厨房に入った。ジムノペディの旋律が流れた。
「店の名前の曲ですよね。サティがお好きなんですか」
「ええ、まあ……」と奈津は曖昧に答えた。
「この曲を店で聴くのは初めてです」
「開店と閉店の時だけしかかかりませんので」
奈津は笑いながら言った。冷蔵庫からボトルを取り出した。グラスを二つ並べて透明なグリーンの液体を注いだ。上からガムシロップを垂らしてマドラーでかき混ぜた。
「どうぞ、召し上がって」
ペパーミントの香りが鼻腔を抜けていった。のどが渇いていたことを思い出した。
「すごくおいしいです。砂漠の中でオアシスを見つけたみたいだ」
「大げさですよ」
奈津が笑った。
「冷蔵庫で冷やしておいただけなんです。リフレッシュしたい時にいろんなハーブティーを飲んでいます。もう少し飲まれます?」
「はい」
「二杯目は大人の飲み物にしましょう」
グラスに氷を入れ、青い瓶に入った酒とペパーミントティーを注いで軽く混ぜ、レモンを絞った。
「どうぞ」
奈津が私の前にグラスを置いた。一口飲んだ。初めて飲む味だった。ミントと柑橘系の味が絶妙に合っていた。
「おいしいですね。お酒はジンですか」
「ジンの一種でボンベイ・サファイアといいます」
「これは夏向きのドリンクですね」
「はい」
奈津もグラスを傾けた。カウンターを挟んで私と向かい合って座っていた。
「サングラスはずっと掛けたままなんですね」
気になっていたことを私は言った。
「どうしてサングラスをしているのか、虎太郎さんお分かりになりますか?」
奈津は私を名前で呼んだ。思いがけず心がざわめいた。
「うーん、眩しいから? でも今、室内ですよね」
「この蛍光灯から紫外線が出ています」
と厨房に直付けの蛍光灯を指した。その明かりを消した。ダウンライトの白熱球の光だけになった。それから奈津は後ろ向きになり、サングラスを外すと私に向き直った。正面から眼が合った――。
青いと認識する暇もなく、この世ならぬ世界に私は跳んだ。気がつくと異郷の空を漂っていた。そこでは天上の青のような白目の空に藍色の瞳が雲のように浮かんでいた。何とも言えない脱力感。どれぐらいの時間、私は異世界に入り込んでいたのだろうか。十秒か二十秒。それとも……。
指先がグラスに触れた。中身が半分残っていた。少し氷が溶けたようだ。いつの間にか奈津はまたサングラスをしていた。あの眼にフィルターが掛けられていた。私はたった今眠りから覚めた人のようだった。
「虎太郎さん」
遠いところから呼びかけられたような気がした。
「はい」
反射的に立ち上がろうとした。が、力が入らず、また椅子に座った。
「お水を差し上げましょう」
水の入ったグラスが置かれ、私は半分ほど飲んだ。少ししゃんとした。息を深く吐きながら首をぐるぐる回した。さらにすっきりした。
奈津は流しでグラスを洗っていた。
「少しお酒に酔われたのかもしれませんね」
「いや、それはないです。あなたの眼のせいですよ。あなた自身がよくお分かりのはず」
奈津はさらりとかわして、
「今日は特に青いです。朝起きた時からこうなの」
「日によって違うのですか」
「そうなんです。ちょっとしたきっかけで色が消え、それから少しずつ青みが増します。ある日熟睡すると、翌日は極端に青くなっていて。それで、今日みたいにお天気のいい日は外は耐え難くて、サングラスが手放せません」
「すごく眩しいのでしょうね。でも、室内では蛍光灯の紫外線防止だけじゃないでしょう」
サングラスは眼の色を隠すためではないか。意図せず他者を惹きつけることがないように――。
「あなたは十分自覚していらっしゃる」
奈津は微笑しながらうなずき、拭き上げたグラスを棚に並べた。そろそろ帰る潮時だと思った。私は椅子から降り、テーブルの上に置いてあったカバンを取った。
「もうお帰りですか」
「また来ます」
「来週も土曜日、ぜひいらしてくださいね」
奈津は営業用の笑みで私を送り出した。
翌週からカウンター席に座ることにした。その日は先客がいた。五十代の銀縁の眼鏡をかけた男性で音楽雑誌に目を通していた。私が端の席に座るとちらと見た。ドリップコーヒーを淹れていた奈津が私に軽く会釈した。サングラスは外していた。
「ブレンドコーヒーを」
「はい」
視線が合った。青くなかった。軽く失望しながら、ある意味ほっとした。私は店の週刊誌をラックから一冊持ってきた。今日は早めに店を出ることになるだろう……。
ドビュッシーのピアノ曲が終わると男性は椅子から降り、手慣れた感じで音響装置に触った。グノシェンヌの旋律が流れ始めた。
男は店のオーナーなのか? サティは彼の趣味だろう。彼がオーナーなら、奈津は雇われママということか。それとも……、考えたくはなかったが、奈津の亭主か、あるいは〝いい人〟なのかもしれない。駅までの道すがら、気鬱になりながら、あれこれ要らぬことを私は考えていた。それから店へは足が遠のいた。
十月の第一週の土曜日。前回と同じ時刻に店の前まで行った。予想通り本日休業の札が扉に掛かっていた。試しに把手を引くと扉が開いた。中は薄暗く、厨房の明かりだけともっていた。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
サングラスを掛けた奈津が湯を沸かし始めた。彼女の応対にやや陰りがあるように思えた。それが気になった。
「私が来たのはまずかったのかな」
「え、どうしてですか? 虎太郎さんをお待ちしていましたのに」
「どうやら招かれざる客ではなかったようですね」
「そんなわけないじゃないですか」
と初めて笑みを浮かべた。奈津はハーブティーをガラス瓶から選んでポットに入れた。湯が沸騰するとポットに注いだ。湯の中で茶葉が膨らんだ。耐熱ガラスのカップを二つ並べ、茶漉しの上から交互にポットの茶を注いだ。
「どうぞ召し上がって」
華やかな花の香りがした。口に含むと微かに甘かった。
「ラベンダーですか」
「ラベンダーにローズヒップとレモングラスをブレンドしています。心が静まります」
内心を見抜かれたような気がした。
「奈津さん」
「はい」
この前カウンターにいた男は誰かと聞きかけてやめた。
「あの、お酒をリクエストしてもいいですか」
「ええ、もちろんですわ。何にしましょう」
「普段カクテルとか飲まないので、お任せします」
奈津は少し考えて、
「ジントニックはいかがですか」
「ああ、それで」
奈津の男関係など知らないほうが良いのかもしれない。こうして店の休業日に茶や酒をふるまわれて、彼女の眼を鑑賞するだけで満足すべきだと思った。だが同時に、その眼を独占したいと考え始めている自分がいた。
ライムの小片をグラスの中に浮かべると、奈津は二つのジントニックを両手に持ち、カウンターを回って私の横に来た。
「どうぞ」
と右手のグラスを手渡された。珍しく無造作な渡し方だった。奈津はそのまま私の隣に座った。香水の匂いがほのかに漂い、私は少しどきどきした。グラスを軽く合わせて口をつけた。ジントニックは飲んだことがあるが、これはハーブの味がした。サングラスを奈津は掛けたままだった。眼の色が分からない。
「先週、校内実力テストがありまして」
唐突だったが息子の悟のことだと思い出した。
「成績が下がりました」
声のトーンが下がった。
「夏休み、彼は塾を休んでいましたね。何か事情があったのですか」
奈津は少し考えていたが、
「八月は前の主人の実家へ行っておりました。山形の温泉のある田舎町で、従兄弟たちと山登りや釣りをして遊び呆けていたようです」
と最後は苦笑いした。
「ほう。じゃあ悟君も、お父さんの実家でずいぶん元気になったことでしょう」
悟はがっちりした体格に似ず、覇気のなさが気になっていた。
「そうですね……」
後はため息になった。
「何か気がかりなことでも?」
「向こうで暮らしたがっているみたいなんです。祖父母もいますし」
「そうですか」
それ以上、奈津の家庭の事情に踏み込む気はなかった。黙ってグラスを傾けた。
「あの子、外見と違ってすごくデリケートなところがあるんです」
「難しい年頃なのかもしれませんね」
私は無難に応えた。人生相談に乗る気はなかったが、彼女に前夫がいることがはっきりした。それと一人っ子らしい息子が、別れた両親の間を行き来しているらしいことも。
「もう一杯いただけますか」
「ごめんなさい。気がつかなくて」
厨房に戻ると奈津は手早くカクテルを作った。
「ジンライムです」
「ジンが少し濃くなりましたね」
「はい」
平然と奈津はグラスを傾けた。カウンターにいた男が別れた夫かどうかは依然不明である。男と悟は似ていないような気がした。要らぬ勘繰りをするより目の前の奈津に聞くべきだと思った。
「この前カウンターにいた人、前のご主人じゃないですか」
奈津が小首を傾げた。
「半分白髪で丸眼鏡の、サティの曲をかけた男性」
「いいえ。あの人は常連さんです。自分で勝手に好きな曲をかけたりして、困った客なの」
私は胸をなで下ろした。奈津目当てに来ている客の一人だろう。少し沈黙が続いた。グラスを傾けた。氷が溶けてジンが少し薄くなった。
「悟が山形に行っちゃうと、私は一人きり」
とつぶやいて奈津はジンライムを飲み干した。空になったグラスを置くと、奈津は椅子から降りて扉の前へ行った。扉に鍵を掛けてカーテンとガラスの隙間から通りを覗いた。
「あらら。夕立かな」
カーテン越しに稲妻が走った。数秒おいて雷鳴がとどろいた。いつの間にか周囲が暗くなり、雨が地面を叩き始めた。この雨では当分店から出られまい。それは好ましい事態に違いなかった。嵐であれ雷雨であれ、奈津と二人きりで閉じ込められるという状況は私を昂ぶらせた。
奈津が私と向かい合って座っていた。サングラスを外した。稲妻がしきりに閃いた。その光が眼に入らないように、奈津は両掌で眼窩の上と左右を覆い、私にもそうするよう指示した。そして奈津は思い切り顔を近づけてきた。化粧の匂いのする鼻が触れる直前で停止した。今や私の両手と奈津の両手がつながってトンネル状になった。互いの二つの眼は数センチの距離で見合っているはずだった。その近さでは、眼という感覚器官を意識することなく、直接奈津の脳と連結されたようだ――。
――私の肩の上に奈津の頭が凭れかかり、彼女の両手が辛うじて私の肩を支えていた。そうして二人は椅子の上で何とか均衡を保っていた。奈津の両目が開いた。青くはなかった。しかし私は驚かなかった。それは当然なのだ。視神経を通して私の脳と奈津の脳が繋がった。二人の意識が一つの回路となって同一の経験をした。それは途方もない感覚だった。 雌雄の性をはるかに超えた、限りなく死に近い法悦だった。個の存在である境界を越えて一つに融合すればそうなるだろう。そのようなことがどうして可能なのか私には分からない。一つ言えることは、彼女の眼が青い時に魂の合一が可能となる。合一が解けて切り離された時、彼女の眼から青色が失われるのだった。
雨はやんでいた。黒い雨雲の切れ端が東の空へ流れていた。甘美なけだるさと痛いような切なさがさざ波のように寄せてきた。そのたびに私は小刻みに震えながら駅に向かっていた。
吹っきらなければ……。この感覚を家まで持ち帰るわけにはいかないと思った。奈津を消し去って泰子を呼び戻そうとした。しかしその努力はあまりうまくいかなかった。帰宅すると泰子が待ち構えていた。
「お疲れさま。執筆は進んだ?」
「今日はあまり書けなかった。すごい雷雨で気が散ってさ」
自嘲気味に頭を振った。こんな何気ないはずのやりとりがいちいち胸を刺した。が、泰子は上の空で聞き流した。
「ああ、そうだったわね。悪いけど私今から病院へ行きます」
話が一転してほっとした。
「義母さん、具合が悪いのか?」
泰子は浮かない表情だった。
「今日も全然食べてないって電話があって。母さんが好きなマスカットでも買って行きます」
泰子は慌ただしく玄関へ降りた。
「蛍が帰ってきたら夕飯一緒に食べといて」
靴音が遠ざかっていった。柱時計が一つ時を打った。五時半だった。七時か八時頃までは病院にいるだろうと思った。義母のことに気を取られていて助かったと思った。でなければ、普段と微妙に違う何かを感じ取っていただろう。少し早いと思ったが、冷蔵庫からビールを一本取り出した。鍋に作ってあった煮物を肴にビールを飲み出した。一本空けると眠くなり部屋でうたた寝をした。いつの間にか蛍が帰宅して食事も済ませたようだった。泰子は八時半に帰ってきた。
「義母さん、どうだった?」
「やせ細っていくばかり。マスカットは食べてくれたけど。そろそろ身内を呼んだほうが良いってお医者さんに言われたわ」と泰子は涙をこぼした。
翌日、私も鶴子を見舞った。義母は輸液と導尿の管で繋がれていた。天気のいい日で血色はいいように見えた。
「母さん、虎太郎さんよ」
「お義母さん、こんにちは。今日はお元気そうですね」
「来てくれてありがとう」
と弱々しく言った。しばらく私の顔を見ていたが、いつの間にか目をつむっていた。
「ずっとウトウトしているの。あなたが来たのも夢の中かも」
奈津が言った直後だった。鶴子が眼を見開いて、
「お前たちのことが一番心配なんだよ。ほんとに大丈夫なのかい?」
とはっきりした口調で言った。
私と泰子は一瞬顔を見合わせた。泰子は慌てて、
「何言ってるの。大丈夫に決まってるでしょ。心配しないで」
と苦笑いしながら言った。
「そうかい。それならいいんだけど」
とだけ言うと鶴子は眼を瞑り、たちまち寝息を立て始めた。
病院からの帰り道だった。
「あんなこと言うから驚くじゃない。母さん意識がすごくはっきりする時があるのよね。少し惚けてしまった方が本人も楽なんだけど」
「そうだね」
私は苦笑しながら応えた。が、内心は、病んだ老人の妄言などではなく、痛いほど真実を言い当てていると思った。
相変わらず私は、土曜日の午後ジムノペディに通った。そのことで泰子は全く疑念を感じていないようだった。私が小説を書くために喫茶店に通っているのだと、信じて疑わなかったのだと思う。執筆が目的というのは半ば嘘だったが半ば真実でもあった。現に月初めの土曜日以外は、僅かずつ私はパソコンで文章を入力していたのだ。成果と言えるほどの文章ではなかったが。
奈津はサングラスの日とそうでない日があった。サングラスは眼が青いときのためだ。青くない日はサングラスを掛けない。眼が青くないことの意味を考えると私は憂鬱になった。私以外の者と〝関係〟を持ったのではないか。あるいはひょっとして、普通の男女の営みでも、眼の青がなくなるのではないか? 次々に思い浮かぶ想像が私を悩ませた。
小春日和が続いた後の雨の日だった。私は肩から提げたカバンが濡れないように気遣いながら傘を差して駅から歩いた。店の扉に休業の看板が下がっていた。今日は扉をノックした。扉が開いて奈津が迎え入れた。サングラスだった。ひとまず胸をなで下ろした。いつも通り奈津は奥のカウンター席へ私を導いた。
「今日は肌寒いですから、体の温まる飲み物にしましょう」
コーヒー豆を挽き始めると香ばしい香りが漂った。挽き終わったコーヒーの粉をドリッパーのフィルターに入れてポットから湯を注いだ。サーバーに濾過されたコーヒーが落ちていった。二人分のコーヒーが溜まると温めたカップに入れた。湯気の立つコーヒーに砂糖を入れて混ぜ、その上からウイスキーを注いだ。次に冷蔵庫からボウルを取り出した。ラップを外して生クリームをスプーンでたっぷりとカップの上に浮かべた。
「どうぞ、召し上がって」
生クリームをかき分けるようにしてウイスキー入りのコーヒーをすすった。
「おいしいですね」
「アイリッシュコーヒーです。でもウイスキーは普通の国産なの」
「私には違いが分かりません。ここのコーヒーはおいしいですが、これは大人のコーヒーですね」
微笑みながら奈津は唇に付いたクリームをナプキンで拭いた。そして、
「悟が山形の高校に転校しました」
と言った。私ははっとした。そういえば悟は塾にずっと来ていなかった。奈津の息子のことなど私はまるで気にかけていなかったのだ。が、恥じる気持ちは全くなかった。
「お父さんの郷里を選んだのですね」
「祖父の果樹園を手伝いたいと言い出しまして。自分はいったい何のために息子を引き取ったのか分からなくなりました。悟が別れた主人の実家へ行くということは、私の手中から失うことになるのかもしれない。でも、田舎から戻ってきた悟の様子を見ていたら、山形へ行くのが最善の選択かもしれないと思うようになって……」
奈津は手の中のカップを見ながら淡々と話した。
「子供はいずれ親元から巣立たねばなりませんのに、親だっていつまでも子供に依存しているわけにはいきません」
奈津はカップをカウンターに置いた。コーヒーがまだ残っていた。代わりにグラスを棚から二つ出した。氷を砕いてグラスいっぱいに満たして、さっきのウイスキーを注いだ。氷が溶けて動き、琥珀色の液体がグラスを満たした。
「気分を変えてオンザロックはいかが?」
奈津がグラスを置いた。
「いいですね」
奈津は自分のコーヒーカップの中身を捨てて手早く洗い、ステンレスの水切りの上に伏せた。
「つまり奈津さんは一人になったということですね」
私に含むところは全くなかったと断言してもいい。奈津は少し考えてから、
「幾通りかの返答ができますね。取りあえず、私には何人かの友人がいますとだけ申し上げておきましょう」
私が考え込んでいる間に奈津は厨房から出て音響装置のスイッチを入れた。ジャズピアノが流れた。
「私の身の上をいろいろ想像されているように、私も虎太郎さんのことを想像しています。私と虎太郎さんは眼を通して一つの宇宙を共有することができます。未知の世界を共同で探索している同志とでもいうべき関係です」
奈津はグラスを傾けてウイスキーを一口飲んだ。
「この関係は誰とでも成立するわけではありません。稀有な現象であり関係でもあります。私は虎太郎さんのそういう方面の感受性にすごく関心があるのです」
「そういう方面と言うと?」
「霊的な……」
と言うと言葉を切り、
「だから、私たちはあくまでも霊的な関係でいられるし、ずっとそうあるべきなんです」
奈津はことさら怜悧な言い方をした。霊的なつながりばかりでなく、性的なエクスタシーまで共有しているではないかと私は言いたかった。が、私たちはまだ内心を吐露し合う関係でもなく、奈津は分析学者のような物言いをして自分の内面を隠していると感じた。だからその後の展開は全く予期しないものだった――。
奈津がサングラスを外した。私と奈津はスツールに座ったまま向き合った。キスするときのように青い眼が接近してきた。
――と、動きが止まった。
「今日で三回目?」
奈津の口から漏れ出る息が鼻にかかった。私がうなずくと奈津はいったん身体を引いて頭を垂れた。それから正面に向き直って両目を閉じた。時間が止まったように静止した。その間彼女の中で大きな変化があったようだ。痙攣みたいにぴくんと身体が二度揺れた。頬に赤みが差してきたと思うと奈津の眼が開いた。見たこともない妖しい青い眼で私を見つめながら静かに服を脱ぎ始めた。
「あなたも脱いで」
唖然として言葉も出なかった。予想外の急展開だった。が、奈津はするすると上下の衣類を脱いでカウンターの上に重ねた。青い眼の魔術がすでに効き始めていたのだろう、私も自動的に衣服を脱いでいた。私たちは全裸となり、この後滑稽ともいえる手続きを終えた時には、スツールに座った私の上に交合した体勢で奈津が乗っていた。いつかこうなると予感していなくもなかった。私たちは抱き合ったままキスをし、それから奈津の青い眼が私を捉えた――。
浮き草 一九九九~二〇〇二
すっかり暗くなっていた。空腹を感じてベッドから起き上がった。五時過ぎだった。何もしなくても腹は減るらしい。夕食を仕入れに行こうと思った。小さな市で、三日も滞在すれば大方街の様子が分かった気がした。手頃な大衆食堂とコンビニが二つあった。靴下を履き、ワイシャツの上にセーターとジャンパーを着てホテルを出た。日が暮れると、九州とはいっても十二月の末は寒かった。冷気が足元から這い上がってきた。
家を出て一か月が経ってしまった。一週間で帰るつもりだった。どうしてこういう状況になってしまったのか私は心中を整理できなかった。自分で選んだ行為という自覚もなかった。筋書きも思いつかぬまま私はボストンバッグ一つ提げて東京駅に向かったのだった。
帰宅した時家には誰もいなかった。拍子抜けがした。と同時に安堵した。書斎に入り、ベッドの上に寝転がった。眼を瞑ると先刻の感覚が押し寄せた。
――私と奈津はスツールの上で抱き合っていた。どれぐらいの時間そうしていたのだろう。女の下肢を乗せた太ももが痺れていた。身体が離れると女の股間から精液が座面に流れ落ちた――。
柱時計が五つ鐘を打った。五時。やけに大きな音で私は我に返った。
――やってしまった。
予感はあった。いつかそうなるかもしれないと。
私は押し入れからボストンバッグを出した。最初にノートパソコンを入れた。次に着替えと、洗面道具に電気カミソリ。預金通帳と印鑑、キャッシュカードとクレジットカード、免許証と健康保険証――。
その時自分はいったい何を考えていただろう?
逃げ出そうと思ったことは間違いない――青い眼の女から、妻から、妻の味方である娘から。自分を取り巻く容易ならぬ(とその時は思い込んだ)状況から、取りあえず遠ざかるべきだと――。
本当に家出になってしまう。それでいいのかと私は自分に問うた。一週間で帰るつもりでバッグにはセーター一着と三日分の下着しか入れていなかった。急に思い立って旅行がしたくなったのだと、後で言い訳ができるように――。
奈津との関係が発覚したわけでもなく、私はあくまでも執筆のためにジムノペディに通っていて、それが方便であろうと、外形は無事平穏に保たれていた。が、内心は奈津との関係が続くと危険だと感じていた。奈津との交わりで到達する恍惚は、男女の普通の営みをはるかに超えていた。たぶん、奈津にとっても同じに違いなかった。それゆえ破局が来るだろうと私は予感していた。いっそのこと破局に至ってもよかったのではないかと、後日思ったこともあるが……。
結果的に私自身と妻と娘、それと奈津を守るために自分が身を引いたのだと思うことにした。手前勝手な理屈だが、そう思い込むしかなかった。
ほとぼりを冷ますために一週間では短く、一か月必要だと私は思った。一か月家を空けても何とか言い訳はできるのではないか。しかし現実に一か月が過ぎると、次第に家に帰るのが億劫になってきた。日一日と過ぎていくにつれてなおさら帰れなくなった。
「旅に出ます」とだけ走り書きしたメモを食卓の上に置いてきた。妻も娘も驚愕したことだろう。私自身があてもなく家を出てきたのだから、妻たちも捜しようがないに違いなかった。胸が痛んだが連絡はしなかった。彼らの落胆が目に見えるようだった。が、私は無理にでも家族のことを考えないことにした――。
テレビをつけると「男はつらいよ」を放映していた。見るというほどでもなく、映像を眺めながらコンビニ弁当を肴にビールを飲んでいた。寅さんは柴又に一度は帰るが必ずまた旅に出た。身内と喧嘩をして家を飛び出す時は、二度と帰るまいという気持ちだったろう。しかし月日が経ち、望郷の念に駆られ、所持金も乏しくなると柴又に舞い戻った。
私はどうだろう? 日に日に妻子の許に戻ることを延ばすうちに、ついには帰れなくなるだろうという予感がした。私が家出をした直接のきっかけは不倫ということになる。さらに言えば、世田谷に故郷の思いはなく、(あくまで自分にとって)災厄になりかねない場所でしかなかった。望郷と言えば、生まれ故郷の四国だった。
沿線の市や町を巡るうちに新年を迎えた。松の内を過ぎてから、温泉で有名な市の湯治宿に腰を据えた。腰痛を治すために逗留すると女将に言って自炊宿に投宿した。毎日三回温泉に浸かった。近くのスーパーで食材を買い、宿の炊事場で自炊した。
そうして二か月が過ぎ、春が来て四月になった。所持金が二割減った。アルバイトでもしようかと思ったが、五十を過ぎた中年男に好都合な仕事はなかった。選り好みしなければあったのだろうが、いつの間にか浮き草のような暮らしに馴染んでしまい、あくせく働く気が失せてしまった。金が続く限り安穏な暮らしをしていようと思った。これこそ私が長年夢見た生活だった。好きな時に温泉に入り、好きなものを食う。合間に街をぶらぶら歩いて商店を覗いたり、行きつけの喫茶店で女店主と世間話をした。温泉町は九州でありながら方言が少なかった。昔から関西との交流が多かったためらしい。外国人も多く住み、温泉目当てのアジアからの観光客も多いと聞いた。私は魚の旨いこの土地がすっかり気に入ったのだが、結局三年も滞在したのは別の理由からだった。
温泉三昧も三か月が過ぎるとさすがに退屈した。それで演歌を聴きに行くことにした。演歌に関心はなかったが、喫茶店でチケットを売っていて、歌手のファンだという店主に強く勧められたからだ。
「オペラが好きだったら、きっとお気に召すわよ」
彼女は半ば強引にテーブルの上にチケットを置いた。私は売れ残った昼公演のS席を一枚買い、当日はバスで中心街のホールへ出かけた。客席は五十代、六十代以上の中高年層で埋まった。私の隣の席が空いていた。幕が上がりバンド演奏が始まる頃に、見知らぬ女が慌ただしくやってきて空いていた席に座った。息を弾ませていた。歌は期待した以上に良かった。声楽家のような声量と声質で、オペラ歌手のような表現力だと思った。私は思いのほか歌に魅せられて、二時間ステージにくぎ付けとなった。アンコールが終わると私はトイレに走った。用を足しながら帽子を忘れたことに気がついた。ホールに戻りかけた時に呼び止められた。
「これお忘れでしょう」
と目の前に私のキャップを差し出した。
「ああ、そうです。ありがとうございます」
隣の席にいた女だった。帰る客でロビーはまだ混雑していた。よく私を見つけたものだと思った。
「良かった」
ほっと息をついて女が微笑んだ。連れもなさそうで、私はお礼にコーヒーでも奢りましょうと女に言った。女は笑顔で同意した。店内はコンサートの余韻に浸っている客がいっぱいで、辛うじて空席を見つけた。
「あなた、開演過ぎてから走ってきたね」とからかうと、女は笑いながら、本当は休みのはずが仕事が入り、早めに切り上げさせてもらったが時間がなかったので、タクシーで駆けつけて、階段を駆け上がったと言った。この歌手の歌を聴くと体の中から力が湧いてくるとも言った。
小一時間ほど談笑して外に出た。日はまだ高かったが、私は思い切って酒を誘った。一度行ったことのある居酒屋だった。女は温泉ホテルの従業員だと言った。年は四十代の半ば、滅法酒の強い女で亀井(かめい)由香(ゆか)利(り)と名乗った。アクセントに関西訛りがあり、大阪辺りで水商売でもしていたのだろうと私は想像した。私は湯治で長逗留をしている作詞家だと言った。
「有名な人なんですか」
「いやいや。ぼくはコマソンオンリーだから。それに東京ローカルのラジオ局だけで流れてるから一般の人は知らないと思うね」などと適当なことを言った。「ここへ来たのは、忙しくて体調を崩しちゃったから」とも。
由香利は身の上話は一切せず、ただホテルの仕事がきついせいで体のあちこちが凝る。温泉に入ってほぐしていると言った。調子に乗った私が自分は指圧ができると言うと、由香利は「今度してもらおうかな」と真顔で言った。
由香利の公休日に二人で外湯巡りをすることにした。食事をして一日の終わりにラブホテルへ行った。指圧をするためだったが、もちろんそれだけで終わるはずもなかった。凝り性の泰子相手に指圧やマッサージをしていたからツボは心得ていた。指圧をすると体つきの差異に気づかされた。由香利の体はごつごつして逞しかった。十分ほどで寝息を立て始めた。三十分ほど施術をすると本当に熟睡していた。泰子と同じだった。隣で肘枕してテレビを見ていると由香利が目を覚ました。
「ああ気持ちが良かった」
と布団の上で手足を思い切り伸ばした。
「それは良かった」
私は由香利の浴衣の帯の端を握った。由香利が驚いた目で私を見た。帯の端を引っ張った。「あらら」と由香利は目を丸くしながら、帯がほどけて前合わせが開くさまを見ていた。
由香利は従業員寮に住んでいた。私も自炊とはいえ宿住まいでは金が続かない。町はずれの安いアパートの六畳一間を借りた。古い家で敷金一か月以外は礼金も保証人も不要だった。宿代とホテル代が要らなくなった。最低限必要な生活用品や電気製品は中古か格安品を買った。夏に向かう時季で、古びた畳の上に由香利が買ってくれたい草カーペットを敷いた。その上で横座りした由香利は屈託なく笑いながら、
「誤解しないでね。あんたと所帯を持つ気はないわ」
小料理屋を開業する資金ができるまでと由香利は前から言っていた。
「分かってるよ。俺だって事情てものがあるんでね。実は売れっ子の作詞家というのは嘘なんだ」
「そんなことは初めから分かってた」
「え? どうして?」
「嘘ですって顔に書いてある。あんた正直すぎるんだよ」
伸びあがって洗面台の鏡で自分の顔を見た。由香利が横を向いて吹き出した。緩んだ口元が可愛かった。それが合図のように私は由香利ににじり寄った。それも約束ごとのように身をかわそうとする由香利を私は押し倒した――。
「扇風機が要るな」
「そうね」
汗を拭き拭き衣服を着ると、二人は部屋を出てアパートの斜め向かいにある公衆浴場へ入った。そこも温泉だった。
夏になると由香利と海水浴に行った。レンタカーで三十分ほどの海水浴場だった。日が傾く頃に女はパラソルから出た。人目を引くような派手な水着だった。腰ほどの深さまで海に浸かった。大きな波が来ると由香利はけたたましい悲鳴を上げて私にしがみついた。夜、女を抱くと日焼けした肌が火照っていた。扇風機がせわしない音で生暖かい風を送っていた。
「あんた普段は何してるの」
ある夜、焼酎を飲みながらテレビを見ていた由香利が聞いた。
「小説のネタを考えている」
「またまた」
「嘘じゃない。これは本当なんだ」
由香利は少し考えて、
「だったら、ヤング劇場のお芝居の筋書きとか書いたら?」
「いで湯坂の大衆劇場か。じいさんばあさんらが見に行くところだろ?」
「いいじゃない。アルバイトぐらいした方がいいわ」
「余計なお世話だ」
私の剣幕に由香利は首をすくめてみせた。
九州に来て三年が過ぎ、年の瀬を迎える頃に金が底をついた。そろそろ潮時だと思った。部屋を引き払うことにした。僅かな家財道具の数点を由香利にやり、残りは処分した。もともと大した荷物などないが、がらんとした部屋を由香利は見渡した。午後の出勤前で髪を結い紺の制服を着たままだった。
「寂しくなるね」
目尻の涙を指先で拭った。私は由香利を抱擁した。
「奥さんがいるんだろ。早く帰ってあげなよ」
私は驚いて抱擁を解いた。
「女は勘が鋭いのさ」
もう行く時間だった。私はボストンバッグを一つ提げて由香利とアパートを出た。通りに出ると由香利は手を挙げてタクシーを止めた。
「いつかどこかで。それまでバイバイ」と言うとドアが閉まった。ガラス越しに手を振っていた。私はバスで港に向かい、四国行きのフェリーに乗った。
帰郷 二〇〇二
門扉を開けて敷石を踏んだ。庭木の枝が野放図に伸び、庭石に苔が生えていた。脚立が置いてあり、剪定鋏が地面に転がっていた。何日もそのままに違いなかった。私は鋏だけ拾って、玄関の内側に置いた。それから「ただいま」と奥に向かって声を掛けた。
実家に帰るのは五年ぶりだった。三和土で靴を脱いで廊下を通り茶の間に入った。母と顔が合った。表情がない。変だった。父が振り返って「おう」と言った。
「虎太郎が帰ってきたぞ」
父が母に言った。
「母さん、ただいま」
返事がなかった。うつろな表情に衝撃を受けた。
「ぼくだよ! 虎太郎だよ」
母の顔が初めて変化した。口元が緩んだ。
「よう帰ってきたなあ」
母は意外に大きな声で言った。にこにこしながら私を見つめた。
「さすがに息子は分かるんやな」
「え? どういう意味?」
「母さん惚けてしもうてな」
言いながら父はプリンをスプーンですくい、母の口元に持っていった。母はスプーンを口に含んだ。母の首に小さなエプロンが掛かっていた。プリンをこぼしたのか茶色の染みがあちこちにあった。
到底信じられない光景だった。頭の固い父なら分かるが、聡明だった母がどうしてこうなってしまったのか。
「いつから?」
「二年前だったか、粗相するようになってな」
「……」
言葉が出なかった。
「それが、自分でも情けのうてショックだったんじゃろう。度重なるうちに、家事はおろか、身の回りのこともできんようになって」
もっと早く帰ればよかった。自分が温泉地で三年遊んでいた間に……。
「もともとプライドの高い人やけん、惚けの方へ逃げ込んでしもうたんかもしれん」
母は一言も喋らずプリンをおいしそうに食べていた。
「食欲は旺盛なんじゃ」
父がつぶやいた。
「そういえば五年ぐらい前だったか……」と続けた。
「陶芸をやらんようになった。市の文化講座へ熱心に行っとったんやけど、行かんようになってな。母さんに聞いたら嫌な人がおるから言うて。その頃から少しずつ痴呆が進行していたのかもしれん」
「……」
母は私の理解者であり続けた。小説家になるために郷里に帰らないと決めた時も、一人息子の私が泰子と結婚した時も、母は父をなだめてくれた。その母が……。
「父さんが世話してるのか?」
「ああ。ヘルパーさんが毎日来てくれて、掃除、洗濯、食事は昼と夜のおかずを二人分作ってくれるんじゃ。そういえばそろそろ昼飯の時間やな」
と言って父は冷蔵庫からラップのかかった二人分のおかずの器を取り出した。ラップでくるんだご飯も冷凍庫から二個取り出して、それぞれ電子レンジで加熱し始めた。
「そしたら、ぼくは外で食べてくるわ」
私が行きかけると、「ちょっと待て」と言って父が茶箪笥の引き出しから手紙を出してきた。
「ずいぶん前に届いた泰子さんからの手紙じゃ。お前のことを聞いてきとるが、これはどういうこっちゃ」と上目で私を見た。
「すぐに読んでみい」
気圧されて私は封筒の中身を取り出した。
時候のあいさつの後、無沙汰を詫び、虎太郎さんが小説の取材旅行に出たが、想を練るのに我を忘れる人で、なかなか家に連絡しないので困ります。四国へ行くかもしれないと言っておりましたので、実家に立ち寄ることがあれば、お土産を託そうと思っていましたのに、準備が整わないうちに出発してしまった。もし本人が実家に寄ることがあれば、世田谷の家の方へ連絡するようにお伝えください――といった内容だった。
さらに、蛍が高校を卒業して劇団に入ったこと。世田谷の家族は皆元気であると言い、私の父母の健康状態を気遣うなど、普通の手紙の体裁を崩さないように気を配りながら記されていた。
文面からはいくつかの意味をくみ取ることができた。私が家出をして行方知らずであることを知られたくないということだ。夫の親に要らぬ心配をさせたくないし、夫婦間のことは内緒にしたかったのだろう。切手の消印は二〇〇〇年の六月だった。私が家出して半年後のことだ。それから二年半が経っている。泰子からは手紙が一通あったのみで電話も無かったようだ。だから、父は事情をよく分かっていないに違いなかった。
「お前、家出とったんか」
「ああ、この時は一か月くらい信州へ取材に行った。その後すぐ東京へ帰ったんだけど。泰子は心配性だから、こんな手紙出したんだ」
と私は笑って見せながら嘘をついた。父は訝しげに「それならそうと泰子さんも連絡してくれたら良かったのに」とこぼした。
「だいたいお前も何じゃ。この三年間、うちに電話一本もしておらんだろが」
と怒りだした。
「泰子が鶴子さんの看病にかかりきりで、ぼくが一人で塾を切り回して忙しかったんだ」と言ったが三年前のことで、塾の件も事実ではない。
「鶴子さん、そんなに悪いんか」
「ああ」
「歳はいくつや?」
「八十五」
生きていればだがと私は心の中でつぶやき、泰子の手紙の他の文章が気になった。蛍はやっぱり劇団に入ったのだ。大学進学は断念したのだろう。自分が原因だったのかもしれない。さすがに胸が痛んだ。私を憎んでいるだろう。
「それで、今回はどういうわけで帰って来たんじゃ?」
「九州へ取材に行って、その帰りだよ」
「そうか」と父は軽くうなずいたきりだった。母に薬を飲ませることを思い出したのだ。何種類もの薬を机の上に並べだした。いたたまれない思いで私は外に出た。ラーメンを食べると所持金は千円札が二枚と硬貨だけになった。
二階に上がった。自分の部屋である。昔から何一つ変わっていなかった。母が惚けてから掃除をすることもなかったのだろう、部屋は湿っぽい埃の匂いがした。窓を開けた。しばらく開けたままにした。十二月に入ったばかりの天気のいい日で寒くはなかった。
本棚のガラス戸を開けると、酸化した紙の臭いが鼻をついた。百科事典は別巻だけ棚に収まりきらず横に寝かせてあった。三十三年前のままだ。
――確か最後の巻のはず。棚から取り出そうとしたが、本がくっつき合って引き剥がすのに苦労した。手に取ると表紙がべとべとした。本の端を棚に置いてページを繰った。自動的に手が動き、百三十五頁を開いた。千円札が挟まっていた。伊藤博文の紙幣を取り、本を棚に戻した。次に机に向かい、椅子に座った。脇の引き出しの三番目を開けた。白い厚紙の小箱。気が急きながら蓋を開けた。記念硬貨が三枚。千円が二枚と百円が一枚。千円札と合わせて三千百円見つかった。かつて受験生だった自分から三十三年後の自分への援助だった。情けないような、ありがたいような心持ちだった。
本立てに教科書と参考書と問題集が並んでいる。数Ⅲの問題集を開いた。あちこちに赤線が引かれていた。ぐちゃぐちゃした鉛筆の書き込みもあった。半分ほど行ったところに私が突き当たった壁があった。忍耐力の限界がそこにあった。考えることを投げ出した境目だった。そこから末尾まで書き込みのないきれいなページが続いた。その後の部分は塾の講師になって解いたのだった。教える側はすべての問題の解法を知っていなければならない。受験数学は受験生の思考を問うというより、むしろ多数の問題に当たれる忍耐力を問うものだ。しかしすべての受験生が数学だけに忍耐力をつぎ込むことは難しい。塾講師の仕事は問題の解法を効率よく生徒に教え、彼らの時間を節約させることだ。そのためにはすべての出題に対応できる知識が必要だった。
今受験生に戻れたら、数学だけなら国公立の医学部に合格できる点を取れるだろう。九州で三年遊んだが、二十年数学を教えてきたのだ。
しかしその時私は、本来自分が進みたかった道を思い出した。それは宇宙物理学だった。少年時代から天文学者にあこがれていた。仮に受験時代にタイムスリップしたら、私は医学部ではなく理学部を受験するだろう。そうして大学の物理数学をやり直すだろうと――。
その日の夕食後、私は父に金を無心した。父は静かに首を横に振った。
「あかん」
代わりに封筒から一万円札を二枚出して机の上に置いた。
「今夜の夜行バスで東京に帰れ。そしたら嫁はんが待っとる家があるでないか。グズグズせんと早う帰ったれ。母さんはわしが世話しよるけん、心配するな」
私は机の上の二万円を取り、急かされるように立ち上がった。
「ありがとう。そしたら行くわ」
「おう、そうせえ」
「母さん、さよなら」
母はきょとんとした顔をした。
「母さん、虎太郎が帰るぞ」
「ほな、父さんも元気でな」
「おう」
私は人形のような母に手を振った。廊下に置いたままのボストンバッグを提げて、駅のバス乗り場に急いだ。幸い空席があった。品川バスターミナル行きのバスは午後九時半に発車した。
泰子の許へ 二〇〇二~〇九
バスが品川に着いた。喫茶店で朝食を取り山手線に乗った。新宿で京王線に乗り換えた。都心と反対方向に向かう電車はまだ混んでいなかった。空席を見つけて座ると眠気に襲われた。バスの中ではよく寝られなかった。狭いシートのせいばかりではない。どの面下げて帰ってきたと言われて返す言葉はない。これまで郷里と東京は何度行き来したか分からないが、こんな気の重い上京は経験したことがなかった。カーテンの隙間から下り車線のトラックの車列を眺めながら私はそう思った。
自分が蒔いた種だから仕方がないとも言えた。父が二万円くれたのは意外だった。東京まで一万円。仮に泰子の家に行かず、また別の土地へ旅に出ることは、一万円の範囲で可能だった。どうすると問う声が聞こえた。世田谷へ行かず上野駅へ行こうかとも思案した。思案したが決心がつかなかった。だから下高井戸で降りて改札を出ると、駅前の喫茶店に入りコーヒーを注文した。踵を返してまたふらりと他所の地、例えば東北辺りに流れて行くことも不可能ではない。コーヒーを半分残して伝票をつかんだ。表に出てから、足が自然に家の方を向いた。何も考えずに歩いていた。町並みを抜けて公園の横を過ぎると家並みがある。手前から二軒目。三年も不在だったとは思えなかった。ちょっと不在にしただけだ。玄関の戸を開けた。
「ただいま」
小さな声しか出なかった。返事はない。テレビの音声が聞こえた。茶の間に入ると泰子が台所にいて、振り返った泰子と眼が合った。
「ただいま」
私はつぶやくように言って頭を下げた。泰子はまた背を向けて洗い物を続けた。私はその場に座り込んでテレビを見た。朝の情報番組で女性キャスターが芸能ネタを大仰に喋っていた。茶箪笥の上に先代の写真と並んで、鶴子の真新しい写真が並んでいた。私は黙って手を合わせた。
どれぐらいの時間が経っただろうか、ふと水音が止まった。みかんの入った盆を座卓の上に置きながら泰子が私の横に座った。テレビの音量を小さくしてチャンネルを変えた。ゴルフの録画だった。解説者の音声が流れた。私は身を縮めていた。泰子が静かに口を開いた。
「小説は書いているの」
「いや、書いていない……」
意表を突かれた。そんなことを聞かれるとは思わなかった。
「と言うか、金がなくなってさ、パソコンを売っちまったんだ」
私は少し安堵して気が緩んだかもしれない。
「だから書いていないんだよな、これが」
と不用意に軽口になった。
「そう」
泰子がつぶやいた。しばらく間が空いた。そして低い声で「出てって」と言った。私は身を固くした。聞き返すまでもない。
「出てって」
押し殺した声で泰子が繰り返した。私はうなだれた。泰子はじっと座卓の一点を見つめながら「出てって」ともう一度言った。私はうなだれたまま立ち上がり、玄関へ向かった。上がり框に腰掛けて靴を履いた。立ち上がろうとした時だった。泰子が走り出てきて両拳で私の背中を叩いた。
「ばか、ばか、ばか、ばか……」
途中で泣きだした。幼児のように泣きじゃくりながら叩き続けた。ついぞ見たことのない感情が溢れていた。私はじっと耐えるしかなかった。そんなことで気が済むのならと思いながら、私は泰子に向き直った。泰子は私の胸を叩いた。
「ぼくが悪かった。済まない。泰子」
乱打し続ける泰子の両腕を私はつかんだ。肩を落としてすすり泣く泰子を抱擁した。
「済まなかった。済まなかった」
泰子を抱きかかえるようにして茶の間に戻った。まだゴルフの中継をしていた。私は画面をぼんやり眺めていた。泰子はティッシュで涙を拭き拭き鼻をすすり上げていた。自分らは老いたと、その時私は思った。私が五十三で泰子は六十一。去年還暦を迎えていたわけだ。彼女の年齢の節目に私はそばにいてやれなかった。不憫と愛おしさが込み上げた。泰子の許に戻ってまだ三十分。三年間の償いは容易にできるはずもなかった。が、これからは二人で一緒に人生を歩むことになると感じた。二十年前に結婚して以来、この時ほど夫婦の絆をリアルに感じたことはなかった。私も泰子も無言だったが、二人がいる時間の流れを静かに噛みしめているようだった。
電話が鳴った。泰子が受話器を上げた。
「あ、はい。……そうなの。主人の母がすっかり良くなって。そう、ついさっき帰ってきたの……」と鼻声で私を見た。しばらく話が続いた後、
「今日から? ちょっと待って」と受話器を押さえ、
「翔太くん、教えられる?」
「え? 翔太くんて?」
「鈴木さんちの下の子、今高一」
「えーと」
私は面食らった。
「大丈夫みたい。うん、試運転的に。三年ブランクがあるけどしようがないわ。うん、うん、じゃあ、五時に。はい、分かりました」
と言って泰子は受話器を置き、ティッシュで鼻をかんだ。
「犬の散歩してる時に、あなたが公園の前を通るところを見かけたんだって。お母さんの看病でしばらく主人と別居てことにしていたの。うちの母は一昨年の二月に亡くなったけど……」
私は仏壇の前に行き頭を垂れ、線香をともして故人の位牌に手を合わせた。
「すみませんでした」
泰子にも頭を下げた。
「君にも申し訳ないことをしたね」
泰子は俯いてから、静かに口を開いた。
「もう済んでしまったこと。あれこれ言うのはよしましょう」と泰子は自分に言い聞かせるようだった。
「これからは私たちの未来を考えましょう。あなたが帰ってきたから蛍は念願の一人暮らしを始めるでしょう。そうしたら私とあなたと二人だけ。好きなことをして二人で人生を楽しみましょう」
「そうだね、うん、うん」
私は何遍もうなずいた。が、「蛍が一人暮らし?」と眉をひそめた。
「蛍は高校を卒業して劇団に入ったの。ところが稽古場が遠くて。私が心配で家から通ってくれてるんだけど、本当は稽古場の近くに部屋を借りたいはずなんです」
私は黙ってうなずいた。手前勝手に家を出て三年間不在にした。二時間前まで家に帰るかどうしようかと迷っていた自分が、今、掌を反したように蛍の身の上を案じている。笑止千万だと感じた。
五時から高校一年の鈴木翔太に数Ⅰを教えた。指導要領の改訂がなかったので、三年前の教材がそのまま使えた。一時間半後「ありがとうございました」と礼をして翔太が帰って行った。
蛍は十時過ぎに帰宅した。茶の間を素通りして自分の部屋に籠もってしまった。泰子が携帯電話のメールで知らせていたらしい。蛍は私と顔を合わさないようにしていたが、数日後、私がたまたま朝食をとっていると、慌ただしく食堂に入ってきた。私を睨み、泰子が作った弁当を急いで取ると玄関から走り出た。泰子と眼が合い、「ぼくを憎んでいるようだね」と言うと「当たり前でしょ」と泰子が言った。
「蛍が十八から二十一までの三年間、父であるあなたはいなかった。私はもういいのだけど、あの子は決して許さないわよ」
「それを言われたら、ぼくは何にも言えなくなる」
「そうね。自分のことより私や母を気遣って、蛍にはずいぶん負担をかけたから」
「……」
「あなたたちが和解するまで、ずいぶん時間がかかるでしょうね」
それが事実であることを、その後ずっと思い知らされることになるのだった。
ほどなく蛍は埼玉に引っ越した。劇団の仲間らと共同で稽古場の近くに一軒家を借りた。昼は芝居の稽古に打ち込み、夜は居酒屋でアルバイトをするらしい。私が家出をしなければ大学へ行くことも可能だったろう。蛍は大学へ行かないと意思表示をしていたが、私がいれば何かのきっかけで翻意することもできたのだ。
蛍がいなくなると二人きりになった。私は新しく執筆用のパソコンを買い、ぽつぽつ文章を書き始めた。それはSFなどではなく、小説と呼べるかどうかも分からなかった。発表のあてもなく、ただ虚心に一番身近な自分のことを題材に書き始めた。そういう年齢になったのだ。内容を泰子に聞かれても、曖昧にしか答えられなかった。それでも泰子は心底うれしそうに私を見ていた。
盆や正月に家族が子供連れで揃うと一時にぎやかになった。そんな時、敢えて泰子が私を茶化して家出の話題を持ち出すことがあった。鮎子も鶏太も笑うほかなかったが、一人蛍だけは座を外した。
塾は最盛期より大分縮小したが、堅実に二人で切り盛りした。私が復帰したことで収入が安定すると、昔のように二人で美術館や音楽会に出かけレストランで食事をした。春と秋には塾を休業して泊まりがけで温泉に行った。
私が東京に戻って二年後、郷里の母が亡くなった。七十九だった。暑い夏で父がドライブに連れ出した翌朝、心不全で急死した。母は陶器の人形のように冷たく白い肌で眠っていた。父が八十二と高齢のため、急きょ私が喪主となり、通夜、葬式、初七日と慌ただしく行事をこなした。一度東京に帰り、四十九日には再度帰郷して法要と納骨を済ませた。
年を重ねながらも塾の経営は順調で、穏やかな日々が続いた。私は細々と文章を書き続け、泰子は次に行く旅行の計画を立てていた。私が泰子の許に帰って六年たった。その年はひときわ暑い夏だった。八月に北京オリンピックがあった。秋口から泰子が身体の不調を訴えた。私も泰子も単に夏負けだと思っていた。墓参りに帰ってきた鮎子が泰子の病気を疑った。鮎子の紹介状を持って総合病院で受診した。肺に悪性の腫瘍があった。母の鶴子が子宮がんだったので検診を欠かさなかったが、進行性のがんで転移があった。抗がん剤のみで治療を行ったが効果がなく緩和ケアに移った。そして診断から半年後に泰子は亡くなった。六十八歳だった。病床の泰子とはいろいろな話をした。病気になる前よりはるかに多くのことを話したに違いなかった。泰子は徐々に衰弱していき、私の話にうなずくだけになった。最後には唇の動きで反応した。
まだ比較的元気だった頃、泰子名義の財産の相続が話題になったことがあった。泰子は私と子供三人で分割するように言った。しかし私は断った。私は一人っ子で郷里の父が亡くなったら家屋敷を相続することになる。だから泰子の財産は子供三人で分けたらいい。それと、私はまだ商業出版で本を出す夢を捨てていないと言った。泰子はその日が来るのをこの目で見たかったと寂しそうに微笑んで手を差し伸べた。痩せて骨ばった泰子の手を私は握った。
「書き続けてきっと本にしてね」
「うん」
「脇道に逸れちゃだめよ。ずっと書き続けないと、あなたはいなくなっちゃうんだ」と息を切らしながら言った。うんとうなずきながら、急に込み上げてくるものがあった。私は窓の外へ顔を向けた。
「私の眼を見て約束して」
泰子の眼から涙が溢れ出ていた。
「わかった。約束するよ」
涙が次々とこぼれ落ちるのを私は抑えることができなかった。
父の看取り 二〇一〇~一三
泰子の一周忌法要を終えた直後に、父が骨折で入院したという知らせがあった。私は帰郷して病院を訪れた。尻餅をついて腰椎を圧迫骨折したと医師から説明を聞いた。二か月の入院が必要だという。入院中にリハビリをするが、退院後自力で歩行するのは難しいだろうと医師は言った。高齢で骨が脆くなっていて筋力も低下しているらしい。入院中に必要な物は病院で揃えていて、その支払いを済ませると、完全介護なので私がすることはない。傍らの椅子に座った。食事もとれているらしく血色が良かったが、ひときわ眼が落ちくぼんで見えた。
「具合はどう?」
「動いたら痛い。コルセットをしとるが、じっとしとらなあかんのじゃ」
「尻餅ついたんか」
「おう、庭木の手入れをしよってな。敷石の上に尻餅してしもうた」
私は驚いた。
「脚立の上から?」
「まさか。しゃがんどったんじゃ」
「そうか、気い付けないかんな」
「東京はみな元気か」
そういえば父にまだ話してなかった。
「実は、泰子が去年亡くなったんだ」
「え? 亡くなった?」さすがに父も驚いた。
「何で亡くなった?」
「肺がん。見つかった時にはもう末期だった」
「そうか。それは残念だったな……」
「うん」
「まだ若かっただろ?」
「六十八だった」
「そうか……気の毒なことじゃな」
と言うと、父はナースコールのボタンを押した。
「中村寅夫さん、どうしました」
看護師の声がインターフォンから流れた。
「小便が出ました」
看護師が来てオムツを替えた。その時はまだ、自分が父の世話をすることになるという実感が湧かなかった。入院期間は二か月で、私には東京で片付けなければいけない用事があったからだ。
その日のうちに東京に帰り、数学塾を閉鎖することを生徒の親に連絡した。塾生募集のポスターを剥がし、電話局に電話して、塾で使っていた電話の廃止と、次年度の職業別電話帳から広告を削除するよう依頼した。塾で使った事務機器や教材、机椅子なども処分した。
家と土地の所有権は、泰子が亡くなった年に相続手続きを済ませ、子供三人が三分の一ずつ共有することになった。預金は大した額もなく、遺言通り家財の処分費用と、当面の私の生活費として私が相続した。家と土地は近所の不動産屋に売却の仲介を依頼したが、すぐに買い手が見つかるわけでもなく、管理を兼ねて私が住んでいた。
しかし父が自力で歩行するのが困難になった以上、私は郷里に帰って退院後の父の面倒を見なくてはならない。その準備のために、早く帰郷しなければいけなかった。自分の持ち物を整理して最小限の荷物にした。泰子の遺品は子供たちが引き取った。私は泰子の写真を荷物の中に入れた。数学の参考書はとても使えないだろうと思いながら、数学教師の猫田に電話した。
「ありがとうよ。でも要らねえから捨てちまえ」と猫田は即答した。
「それより君はもう東京には戻って来ねえだろ。送別会をしてやるよ」と言って電話を切った。
電話をした翌日の夕刻、猫田と新宿駅近くの居酒屋にいた。生ビールと焼き鳥を注文して差し向かいに座った。
「お互い年取ったな」
猫田はめっきり薄くなった頭を撫で、「君は白くなるんだね」と言った。猫田は私より一つ下で三月定年退職となる。四月から再雇用で教員を続けるらしい。給料が半分以下になるとぼやいた。反面勤務時間が減り、稀少レコードの蒐集に没頭できると満更でもなかった。猫田は独身で扶養家族がいない気軽さがあった。私がなぜ東京へ戻らないと思うのか猫田に尋ねた。
「もともと君は個人的に泰子さんを伴侶としたのであって、泰子さんは中村家の嫁でもないし、君自身も鷲津家を継ぐ婿ではない。だから泰子さん亡きあと君はフリーなんだ。郷里で父上の世話をするという。しごく常識的かつ自然の流れだ。そういう流れからしたら、今後君が東京に舞い戻ることはないと思うんだ」
「そうかもしれない」私は焼き鳥を咥えた。
猫田の新潟の両親はまだ健在らしい。介護が必要になったら近くに住む妹が世話をするだろうと言った。
「だから俺は東京に居続けるつもりだ」
「君自身が年取ったらどうするんだ? 俺の親父みたいに八十何歳とかになって体が弱ったら」
「それは中村にも当てはまるだろう。俺は何にも考えちゃいないさ。そんな辛気臭いこと言ってないで飲もうぜ。久しぶりに中村と会ったら、それが送別会なんてね」
「時が経つのは早いものだ。いつの間にか四十年」と私がつぶやくと「ああ?」と猫田が聞き返した。
「俺たち大学で知り合ってから四十年になるよな」
「うん」
ジョッキをあおりながら猫田が返事をした。
「あっという間の四十年だったよな」
「そんなことねえだろ。お互いいろいろあったじゃねえか。泰子さんがあの世で嘆いているぞ」
「ああ、そうだな……」
確かにいろいろあった。それぞれの時代に何人かの女と時間を共有し喜怒哀楽を共にした。結婚して家庭を持ちながら、それを半ば壊した。作家を志したが書けなくなり、今は個人史のような文章を細々と書いている。目覚ましいことは何一つなく、気がつけば齢はすでに六十を過ぎた。残された時間はあまりない。郷里で父を介護しながら、泰子と約束したことを実行し続けることになる。シンプルなものだ。言い換えれば、それしかなかった。
「何だかんだ言ってもさあ、二十年後なんてすぐ来るとは思わないか」
猫田が目をむいた。
「おいおい、二十年とか四十年とか簡単に飛躍するなよ。タイムマシンじゃあるまいし。これからの二十年だって、試行錯誤と濃密なディテールってものがあるんだ。そう考えようよ」
注文した焼酎のロックとさつま揚げを従業員が運んできた。ちょっと可愛い娘だった。これも人生のディテールってやつか……。
「で、執筆はどうなんだ? 書いてるのか」
「SFは書けないから、自分のネタを私小説っぽく書いている」としか言えなかった。
「それはいい。徹底して書き尽くしたらいいじゃないか。私小説でも自分史でもいいさ。自分ネタを書き尽くして、一度空っぽになればいい。それで新しいネタが入って来なくなれば、その時は物書きをやめろ。以後文筆など一切無縁で生きていけばいい」
「なるほど。空っぽになる、か」
「俺なんか大分前からがらんどうだ」と、猫田は評論家を目指していた二十代の夢をとうに捨てたと言った。互いの心境を述べ合うと話が途切れた。大学時代の仲間の近況を話すうちに、猫田は急に落ち着かなくなった。気配を察してお開きを提案した。猫田が支払いを済ませて店から出てきた。
「今日はありがとう」
「上京することがあったら連絡してくれ」と猫田が携帯電話の番号を名刺に走り書きして新宿駅で別れた。まだ早い時刻だったので、私は帰宅してからも家の中の整理をした。
父が入院中に介護認定を受けると、私は居宅介護事業者に連絡した。担当者が自宅に来て、電動ベッドや車椅子のレンタルや風呂場、便所、廊下に手すりを取り付けることを決めた。
翌日ケアマネジャーが来て、デイサービスを週三回利用すること、デイ以外は訪問ヘルパーが自宅に来て掃除、洗濯、清拭や食事の世話をしてもらうことにした。
父は二月末に退院した。私は中古の車を買って病院まで迎えに行った。病院の車椅子で駐車場まで父を運び、肩を貸して父を車に乗せた。自宅に着くと、車から父を降ろして車椅子に乗せ、門から玄関口まで運んだ。そこで車椅子から父を降ろし、父のズボンのベルトを後ろからつかみながら敷居をまたぎ、三和土を摺り足で進んだ。靴を脱ぎ散らして式台から框にようやく上がった。廊下をまたのろのろと進んで父の居室に入った。真新しい電動ベッドを見て父の顔が曇った。
「こんなもん要らんがな」
吝嗇な父らしい反応だったが、レンタルであることや自己負担は一割であることを説明するとしぶしぶ納得した。その日から居宅介護が始まった。
昼前にヘルパーが訪れ、掃除とオムツの交換に清拭をして、私が買ってきた食材で父の昼食と夕食を作ってくれた。
トイレは居室から近く、手すりを伝って何とか自力で行けたが、間に合わないことがあった。オムツの交換は「小」の方は私もすぐ慣れたが、「大」の方はついに慣れることがなかった。便が出ず自分で勝手に下剤を飲むのでトイレに間に合わない。そういうときは最悪だった。オムツを交換している最中に次々と便が出てくるのだった。活性炭入りのマスクを二枚重ねたが、強烈な臭気が鼻を刺した。特に夜中に「大」の処理で起こされると、おむつを交換してから横になっても眼が冴えて眠れなかった。下剤は父の手の届かないところに隠した。それでもいつの間にか私の知らないところから取り出して飲んでいた。
風呂は週三回のデイサービスの際に入れたが、家でも入りたがったので、湯を張って父を風呂に入れようとしたことがあった。が、裸の身体を介助するのは難しく危険を感じて止めた。
父は少しずつ痴呆が進んでいた。昼よく眠るので夜寝られず、幻覚幻聴もあって、深夜頻繁に起こされるようになった。メンタルクリニックで診察を受けて処方された精神安定剤を飲ませた。日中、私が目を離した隙に裸足のまま家から出ていったことがあった。近所の人の通報で大事にならずに済んだ。私自身が不眠症になったので、父が受診したクリニックで睡眠導入剤を処方してもらった。
居宅介護を始めて一年近く経った翌年、気晴らしに東北へ旅行をしようと思った。一泊二日の日程だが、早朝に出て夜遅く帰宅するので、三泊四日のショートステイを施設に頼んだ。
前日の夕方父を迎えに来てもらい、私は当日の朝、高速バスを乗り継いで大阪空港まで行き、花巻空港まで空路で行った。奮発して観光タクシーを予約してあったので空港からタクシーに乗った。一日目は花巻の町と宮沢賢治ゆかりの名所を巡り、有名な温泉に泊まった。二日目は遠野を巡って夕刻、飛行機で大阪空港へ戻った。再び高速バスを乗り継ぎ、夜遅く帰宅した。そして翌日の夕方、父は家に帰ってきた。不機嫌だった。
デイサービスは抵抗なく行くのだが、ショートステイは泊まりがあるのが嫌なのかと思った。その後も、父を騙してショートステイを日程に入れ、旅に出た。そうしなければ私が持たなかった。安い宿でも夜はゆっくり眠れた。
要介護度が上がると、デイサービスやショートステイの日数を増やすことができた。二年目のある日、ショートステイ先から連絡があり、父が脱水症状を起こしているので、病院で緊急に処置をするよう要請があった。父を乗せた施設の車に同行して病院で診察を受けた。医師からは居宅の介護はもう無理である。入院して容体が改善したら併設の老人保健施設に入所するように指示された。
その時点で居宅介護が終わり、以後父は老健施設に入所となった。一年後特別養護老人ホームに入るまで、父はそこにいた。週一回父を見舞って数語言葉を交わし、父が食べやすい菓子や飲み物などをスーパーで買って看護師に渡した。施設のイベントにも行き、父と一緒に参加した。クリスマス、誕生会などだ。
父が入った特別養護老人ホームは、父の生まれ故郷に近い山間部にあった。が、そこに父は三か月しかいなかった。一月に入所して四月に亡くなったからだ。
三月末に父を訪ねると部屋が特別処置室に変わっていた。介護士に聞くと、痰がよく絡むので痰を吸引する機械がある部屋に変わったと言った。父の両手の平に布が巻かれていた。硬縮が始まっていて、指先が掌に食い込むのを防ぐためだと言った。その時私は不吉な感じがしたのを覚えている。一週間後の朝、父は亡くなった。眠るように息を引き取ったらしい。九十一歳だった。父らしい死に方だと思った。
晩年 二〇一四~
眼下に初夏の海がある。手前は淡く沖は濃い青色だ。海岸に打ち寄せる白い波が樹木の間から見えた。北は隣の別荘の屋根で視界が一部遮られるが、直下の海岸から南北に続く陸の先端までは海岸線がよく見通せた。
オペラグラスを海に向けると白い波頭が見えた。海上は風があるのだろう。貨物船らしい船影が二つ沖を進んでいた。その遥か向こうは四国だが、今日は見えなかった。大型の双眼鏡が欲しいと思った。
テラスのサッシを開いたまま部屋に戻った。残りのコーヒーをサーバーからカップに注いだ。FMラジオからロマン派の交響曲が流れていた。曲名はわからない。パソコンに数語入力したところで着信音が鳴った。スマートフォンの画面を見た。田中和雄からだった。
「甘夏あげるわ」
「どうも、すみません。すぐ行きます」
私は玄関の前に止めてあった軽トラックを走らせた。と言っても、僅か三十秒ほどの距離である。畑の近くの日除けの陰の中に麦藁帽を被った田中夫婦がいた。畑仕事が終わったところらしい。
「暑いねえ」
私がトラックを降りると、タオルで汗を拭きながら田中和雄が言った。
「いや、全く」
車のドアを閉める間もなく、妻の芳枝がクーラーボックスからコーヒーとウーロン茶の缶を取り出した。
「どっちがいい?」
「あ、すみません。ではウーロン茶を」
私は滴のついた缶の蓋を開けて一口飲んだ。
「ま、ここへ座って」
と言いながら田中は手製の木のベンチに座った。頃合いの高さのこれも手製のテーブルがある。そこへ缶コーヒーを置いた。
「夕方ここでビールを飲んだら最高だわ」
「そうでしょうね」
「お盆はここでカラオケ大会するんよ」
「こんなところで、近所迷惑じゃないですか」
「大丈夫。ご近所の皆さんを誘うから」
「なるほど」
「今年は中村さんもおいでよ」
「そうよ、来て来て」
芳枝が唱和するように言った。
「カラオケは苦手なんで」と私は頭を掻いた。
「この前、おたくの家の前通りかかったら、中村さん演歌歌うとったやないの」
「え?」
「車止めてしばらく聞いてたんよ」
「えー聞かれてたの?……参ったな」
「カラオケの音量上げてたもん、そら聞こえるわ」
「中村さん何歌うてたん?」
芳枝が夫に問うた。
「無法松の一生やね」
「そうです」
「うわあ、それ歌うて」と芳枝は言ってから、
「でも誰の歌?」
「村田英雄。盛り上がる演歌やで」
本当はオリジナルでなく女性演歌歌手がカバーした歌を私は気に入っていたのだが――。
「そや、甘夏積むんやった」
本来の用事を思い出すと、田中はビニール袋三つの甘夏みかんを私の軽トラックの荷台に載せた。
「すみません、いつもありがとうございます」
「見かけは悪いけど味は変わらんから」
「ありがたいです」
「酸っぱいのはマーマレードにしたらええのよ」と芳枝が言い足した。
「それより野菜はどう? もう収穫できてるはずやけど」
「ナスもキュウリもおかげさまで立派な実がなって。自分が育てたからかもしれないけど、味が濃くて本当においしい」
「ミニトマトは?」
「去年と違ってきれいな実がいっぱいです」
「いい成績みたいやね」
「ああそれと、シソは庭の端っこで葉がたくさん。食べきれません」
田中の顔がほころんだ。
「田中さんの指導のおかげです」
「いやあ……」
と言いながら田中が照れ笑いを浮かべたが、さすがにうれしそうだった。
「これからもちょくちょくアドバイスさせてもらいますわ」
「いや頼もしい限りで」
私は軽く頭を下げた。
「お父さん、責任重大」
芳枝が傍からひやかした。
「秋は玉ネギでも植えてみますか。それと白菜とか、もちろん苗からだけど」
「白菜か、いいですね。鍋にもってこいだ。でも、プランターの白菜なんかすぐ食べ切っちゃうよね」
「そりゃね」和雄が笑った。
「来年は畑を作ろうかな」
「面積が増えると手間も正比例するよ。中村さんは他にすることがあるんじゃなかった?」
――確かに。野菜作りは少量に甘んじて、ささやかな楽しみの一つとしてとどめておくべきだと思い返した。私は田中夫婦に 礼を言い、軽トラックに乗った。
「カラオケ大会、八月十三日だからね」
芳枝の声が飛んだ。私は片手を挙げて田中の農園を後にした。
父が亡くなった翌年、南紀で中古別荘を入手して移り住んだ。太平洋に面した高台の別荘地で、各戸に温泉が引かれ、空と海が過半を占める景色に強く惹かれた。建物は二階建てで小さい庭がついていた。二階のバルコニーからは太平洋が一望できた。
下見板張りの黒い外壁に破風と窓枠の白がマッチして、一目で私は気に入った。持ち主が高齢になって手放したと聞いた。
父が遺した財産で購入し、最低限の修理を施した。耐震化の補強と、高台で雨風がよく当たるので、屋根と外壁を補修して塗装し直した。
家の内外の補修が終わって入居した早々、例年より早い台風に見舞われた。夕刻紀伊半島に再上陸した頃には勢力が衰えていたが、それでも大量の雨と強風が屋根や外壁を叩いた。夜半には収まり、雨戸を開けると分厚い雨雲が東へ流れていくのが見えた。
翌朝庭に出ると、飛んできた木の葉と小枝が散らばっていた。もともと庭は雑草だらけだったので、しばらく放っておくことにした。
庭といっても猫の額ほどのスペースで、前住者は芝を張っていたのかもしれない。二階のバルコニーの下はタイルを張ったテラスで、煉瓦を積んだ囲いの中にステンレスの流しを据えてあった。少し離れた庭の真ん中に木製のテーブルとベンチがあった。テーブルは煉瓦の台の上に角材を四角に組み、炉の部分を空けて、大型の七輪を三方から金具で頑丈に固定してあった。台風に直撃されても飛ばされないためで、入念な備えにつくづく感心したが、それらの設備を利用しようとは思わなかった。一人でバーベキューなどする気になれなかったのだ。
ただ、テラスの床を遊ばせておくのはもったいないような気がした。そこにプランターを置いて野菜など植えるのにちょうどいいように思われた。そこで枝豆、シソ、ミニトマトを植えた。ネットで検索して苗を買うことにした。車輪付きのプランターと土、肥料を買い、スコップなどの道具も揃えた。梅雨の時期で雨が多すぎるときはプランターをバルコニーの下に入れ、天気のいい日は日差しの中へ出した。
葉や実に虫がつくと丹念に割り箸で取り、追肥も忘れずやった。ネットで調べたとおりに育てたつもりだが、どういうわけか枝豆は鞘が実らず、ミニトマトは実が割れてしまった。シソは無事収穫できたが、シソだけではビールのつまみにもならず、てんぷら以外おかずにならない。経験のない者が野菜作りなどするより、スーパーで買ったほうが安くつくと思った。それで意欲が萎えて根を抜いた後は放置してあった。
九月に地区の防災まつりという行事があった。コミュニティセンターへ行くと入り口で「南海トラフ地震津波への備え」という冊子を手渡された。別荘地は第十三海岸地区だった。「想定される地震の規模はマグニチュード八~九。震度は六~七。津波の高さは最大八メートル~一六メートル」とあった。我が家は耐震化の補修はしたが、建物ごと斜面が崩れないだろうかと心配になった。
広い駐車場に防災用の大型テントがいくつも張られ、その下で防災用具や非常用食料、近郊農家の野菜や果物、手作りのパンや菓子、木製の日用品や手芸品まで即売していて、さながらバザーのようだった。
野菜にすぐ目が行き、ナスとキュウリとトマトを買った。トマトなどは到底素人が栽培できないような色つやと大きさでつい手が伸びたのだ。気の良さそうな主人に代金を払いながら、プランター栽培で失敗したことを話した。プロの農家だろうと思ったら、同じ別荘地で菜園をしているという。私が関心を示すと、彼は言った。
「よかったらうちの畑を見に来る?」
それが田中和雄との出会いである。広い畑を見せてもらい、奥さんが淹れてくれたコーヒーを飲みながら話をした。私より一歳下だが、五十歳になった時に会社勤めを辞めてこの地に移住した。隣接する区画をすべて買って自家農園を始めたと言った。私の話を聞くと、田中さんは枝豆は水が足りず、トマトは水が過ぎたのではないかと言った。そして枝豆をプランターで栽培するのはやめた方が良いと言った。
「枝豆は実ができて取ってしまったら、その木は終わりです。本来、畑で何本も植えるものなんですよ。それにプランターでは痩せた実しかできません」
「そうなんですか」
「プランターならナスやキュウリがいい。一本でも次々に花が咲き実がなって楽しめるから。ミニトマトもそう。だから来年はこの三つを植えることをお勧めします」
「なるほど。参考になりました」
「でも、シソをどうして植えたんですかね?」
田中が首を傾げた。
「ひょっとして、シソがすごく好き?」
「そういうわけじゃなくて、ネットで調べたら育てやすいとあったので」と私が言うと、「ああ、そうでしたか」と田中は笑いながらうなずいた。
「シソなど庭の隅に一つ二つ種を蒔くだけでいいんですよ」
その後、田中とは別荘地の懇親会でたびたび顔を合わせた。酒を交えながら互いの趣味や経歴などを当たり障りのない範囲で話した。五月にナスとキュウリとミニトマトを植えると早速見に来てくれた。あれこれ助言してくれたお陰で、今年は見事な実がなったというわけだ。
そして、お盆のカラオケ大会で私は女性演歌歌手の持ち歌を三曲も歌った。三曲目などは、飲みすぎてぐだぐだに崩れたが、聞く方も同じに違いなかった。
秋に白菜と玉ネギを植えた。相変わらず田中は様子を見に来てくれた。余った肥料や農薬をくれた。その甲斐あって冬には白菜が、春には玉ネギが採れた。白菜をざくざく切って鍋料理にすると、そのみずみずしさと甘さに感動した。玉ネギはベーコンと一緒に炒めたり、かき揚げにした。これも旨いとしか言いようがない。思い描いた通りの食卓だった。しかしプランターでは 収穫量は少なく、そればかり食べているとすぐに食べきってしまった。
庭を畑にするイメージが時々頭に浮かんだが、それは実現しない夢だと分かっていた。人生の残り時間は少なく、野菜作りより優先順位の高いことが私にはあった。それは小説を書き続けることだ。泰子と交わした約束でもあり、固い種子のような信念となっていた。
妻の泰子と父と、二人続けて看取った後も慌ただしく日々が過ぎた。ここに移り住んだのは、執筆に最適な環境だと思ったからだ。東京からも郷里からも離れ、喧噪も知己もなく、ただ海と空が間近にあるだけだった。晴天の日中は光が満ち溢れ、夜は空一面振り撒かれたように星々が瞬いた。
私はテラスに面した机の上でパソコンに向かって書いた。水平線に浮かぶ白い雲や、細く延びる蜃気楼のような陸を眺めていると、文学の決まりごとから離れて、何でもどのように書いてもいいのだと思えた。
上京して大学に進学した頃からのでき事を節目ごとに書く。個人史のようなものだが、猫田が言ったように自分ネタを書き尽くそうと思った。そのあとネタが浮かばなければ小説は書くまいと決めた。今も小説とは言い難いものだが、心の底に澱のように溜まったものを、とにかく吐き出さなければならなかった。創作などではなく、単に人生の中で置き忘れたこと、し残したこと、実現できなかった夢などを、取りあえず文章にして表現したかった。
三月、泰子の七回忌で東京へ行った。空港は別荘から車で八分の距離である。東京便だけ一日に三便あり、羽田空港まで一時間少々である。羽田空港から電車を乗り継いで、世田谷にある屋内霊園に行き、私と鮎子と蛍の三人で法要と墓参を済ませた。鶏太は海外勤務で不参加だった。
蛍はアルバイト勤務があると言って先に別れ、私は鮎子と鷲津家があった場所を見に行った。不動産業者は家を解体して駐車場にしていた。いずれマンションか何かが建つのかも知れなかった。跡地に立ってみても、敷地の形をした舗装面があるだけで、往時の暮らしや生活感情を思い出すことは困難だった。早々に立ち去り、電車を乗り継いで渋谷に出た。
「一応法事なんだからさ、お茶でもしようよ」
駅の雑踏の中を歩きながら鮎子に提案した。
「そうね。お腹すいたしスイーツでも食べようか」
妹と歩いているような気がした。鮎子は泰子の連れ子で、私とは親子というより兄妹に近い年齢の開き具合であった。
「鮎子、いい店知らないか?」
「知らないわよ。高校を卒業してから東京には住んでないって」
「そういえばそうだ」
「あそこへ行ってみようか」
三年前にできた新名所の商業施設が目の前にあった。二階通路を通ってビルに入り、フロアガイドで見つけた店がある四階までエレベーターで上がった。ショーケースに色とりどりのケーキが並んでいた。吸い寄せられるように鮎子が店に入り私も続いた。幸いすぐに空いたテーブルに案内された。ケーキと紅茶を注文した。
「四年ぶりかな。お互い年取ったね」
「私去年で五十になりました」
鮎子がすまして言った。
「虎太郎さんはいくつ?」
「六十六」
「別荘で一人暮らしは大変でしょ。食事とか苦労してない?」
「いや全然。野菜とか自分で作ったりしてさ。知り合いもできていろいろ教えてもらってるんだ」
「ふーん。案外エンジョイしているみたいね。執筆の方は?」
「順調だね。晴耕雨読じゃなくて雨書き、雨筆? なんてね」
「楽しそうね」
鮎子は軽く受け流した。ケーキと紅茶が運ばれてきた。
「その後医院はどう?」
「それが、なかなか大変なの」
地域医療を目指して外科医の夫と埼玉で開院したが、典型的なベッドタウンで新規開業が多く競争が激しいらしい。医学生の息子のための先行投資かと思ったが、継いでくれるかどうかは分からないと鮎子は悩ましそうに言った。ケーキを食べ紅茶を飲みながら、鮎子は医院の経営の難しさをひとしきりこぼした。
「蛍のことだけど……」
鮎子が話題を変えた。フォークを持つ手が止まった。
「あの子、今日は少し喋ったでしょう」
「うん」
法要と墓参を済ませて建物から出る時だった。ママと同じ墓に入るのかと蛍が私に尋ねた。もちろんそのつもりだと私は答えた。承継者がいなくなっても永代供養するという墓を私は購入したが、それは子供たちを煩わせないためだ。蛍は納得したようにうなずいた。
「なんであんなことを聞くのかな」
「確認したかったのよ。この先ずっと母の傍にいてくれるだろうかって。蛍は不安なの。また母を置き去りにして、どこかへ行ってしまいそうで」
「そんなわけはない」
「虎太郎さんはね……」
鮎子は言葉を探していた。
「危なっかしいというか……定まらないところがあるのね」
鮎子の言葉が胸を衝いた。
「何かしら不穏なものを感じさせる。そういうところが、女の人は気になるのかもしれないね」
鮎子は少し皮肉っぽい笑みを浮かべていた。
「そんなこと、今まで誰にも言われたことがなかったよ」
私は鷹揚に受け流した。この年である。あと四年で七十だ。それにしてもどうしてそんな話題になるのかと思った。泰子が亡くなってから六年が経つ。奈津との件など十六年も前のことだし誰も知らないはずだ。別府で由香利と知り合ったが、それも今は昔の話だった。
「母のことは忘れないでという思いが蛍は強いのね」
「鮎子はどう思ってるの」
「虎太郎さんはふらりと鷲津の家にやってきた人なの。だからまた、ふらりとどこかへ行っちゃうかもしれないと、私は思ってる」
と言ってふっと笑った。
「あのね、次行くとしたら、それは老人ホームだよ」
と私は言い、二人で声を出さずに笑った。
「ところで蛍は相変わらず役者業をやってるのかな」
「時々映画やテレビに端役で出ているらしくて。忙しくて私は見ないけど、下の娘がチェックしてるわ」
「彼女なりに頑張ってるんだ」と私はうなずいた。
喫茶店を出て鮎子と別れ、猫田に電話した。六時に新宿の喫茶店で会うことになった。呑兵衛の猫田が喫茶店を指定したのは意外だった。
店に入ると猫田が片手を上げた。思ったより元気そうだった。コーヒーを注文するとウエートレスがメニューを下げた。
「猫田が喫茶店なんて奇妙じゃないか」
「酒を控えてる」
神妙に言った。
「どうした。病気なのか?」
「二年前に健診で典型的なメタボと言われてな」
「そうは見えないが」
「内臓脂肪が溜まってたんだよ。中村はウエスト何センチだ?」
「七十九かな」
「当時俺は八十八だった。八十五以上はメタボなのさ。それだけじゃなくて、あと三つのメタボ基準が全部合致してたのさ」
「それで酒を控えたのか」
「酒の量ばかりじゃなくて、俺の場合居酒屋で食事することが多いだろ。酒の肴のようなものに偏る。結果、野菜が決定的に不足するのさ」
「酒飲みの食習慣ってやつだ」
「そう。だからまず、酒は一日一合。週二日は休肝日にした。努めて野菜を食べる。毎日電車一駅分歩くことにしたんだ」
「なるほど。それで改善されたのか」
「二年前から実行しているからな、今はウエストもようやく八十二まで絞れた」
「それはすごい。猫田にしてそこまで本気にさせた理由は何だ?」
「それは……誰だってやっぱり健康になりたいじゃないか」
今までの猫田の生き方から考えると、実に不自然に聞こえた。
「他に理由があるんじゃないか」
「さあてね」
猫田が首をひねった。
「嫁さんでももらったのか」
「いやいや、嫁さん……なんかじゃなくて」
と手を振りながら顔が緩んだ。
「やっぱり、そうなんじゃないか」
と問い詰めると、あっさりと認めた。
「年取ると拙速だよな。時間がないからかな」と言いながら、中学高校と同級で夫に先立たれた未亡人と交際していると言った。中高と好きだった人だ。相手に子供がいるので入籍はしない。彼女も一人暮らしだが、孫の世話があって今はまだ一緒に暮らせないが、週の後半彼女が俺の方に来ると猫田が言った。
「妻問い婚の逆バージョンだ」
「同級生か。いいもんだな。それにしても猫田はずっと独り身だと思っていたが……」
猫田は素直にうなずいた。
「俺もそう思っていた。奇跡みたいな再会だったとしか言いようがない」
と言いながらカバンの中から一枚のモノクロ写真を取り出した。
「彼女か?」
猫田は黙ってその写真をよこした。ショートカットの黒髪。制服を着た色白
の美少女がこちらを見つめている。少し焦点が定まらない目がミステリアスだ
った。
「高校時代の写真だな」
「いや、中学。この写真が俺は好きなのさ。卒業アルバムからスキャンした」
と言って猫田はカバンにしまった。
「現在の写真は?」
「ない」
「ないの?」
「そういえば撮ってなかったか。今度会わせるよ」
「いや、まあいいけどさ」
「中村は今一人か?」
「ああ」
「機会を作って良い人を見つけろよ」
境遇が一変したらここまで人間は変わるものかと感心した。猫田を祝福する
気持ちに変わりはないが、私にも人生上の節目というものがある。
「今はいいんだ」
当分の間他者に煩わされたくなかった。
「そうか。じゃあ、そろそろ……」
気もそぞろに猫田が腰を上げた。私も立ち上がりながら「今日は彼女がいるのか」と聞いた。
「そうなんだ」
猫田は照れ臭そうにうなずいた。今日は俺が払うからと私は伝票を取ってレジへ向かった。支払いを済ませて外に出るととっぷりと日が暮れていた。
「じゃあな、元気で」
「彼女によろしく」
猫田と別れ、私は宿へ向かった。
翌日秋葉原へ行った。電気街とは反対方向に向かい、万世橋を渡って百メートルほど歩いたビルの一
階に目的の店があった。望遠鏡や双眼鏡を扱っている光学機器専門店である。店に入ると望遠鏡や双眼鏡
をフロアに展示してあった。
目当てのものは一目で見つけた。ホームページで見て気になっていたのだ。口径十センチで倍率二十五倍の双眼鏡と、ビデオカメラの三脚をセットにしたものだ。見るだけと思っていたが、現物に触って店員と話をするうちに欲しくなった。セット価格で割安だった。無金利のローンも組めるので、思い切って買った。税込みで七万円近くだった。
普段の生活レベルから考えると高価な買い物と言えた。だが本格的なものは一式五、六十万。口径の大きい彗星探索も可能なものなら、一式数百万円はするのだから、つましい買い物だと思うことにした。双眼鏡と三脚合わせて重さが八キロ以上あり、梱包もかさばるので配送を頼んだ。
東京から帰った翌日に荷物が届いた。梱包を解いて三脚を立てた。水準器で水平を合わせた。ケースから双眼鏡を取り出して三脚の雲台の上に載せた。台のネジを締めて四キロ以上ある双眼鏡を固定した。リビングの床の上にそれは堂々と鎮座した。
外国製の双眼鏡なので、不具合の有無をすぐチェックするように店から指示されていた。部屋の中で設置などしたら、景色をガラス越しに見るしかない。そのまま二階のバルコニーに運ぼうとしたが、上下で八キロあり、しかも上が重い。双眼鏡を外して三脚と別々に運び、バルコニーで再度双眼鏡を設置した。
早速双眼鏡を、湾曲した陸岸の先端にあるリゾートマンション群に向けた。ピントリングを回して左右の接眼部の視度調整をした。肉眼では建物が四つだが、二十五倍の倍率で見ると建物は六つあった。重なり合って四つに見えていたのだ。赤い屋根の建物やマンションの窓がよく見えた。光軸のずれはなかった。建物の輪郭に青色の縁取りがあったが、その程度の色収差は事前に聞いた通りだった。
次に双眼鏡を海上に向けた。オペラグラスで一隻の船影を見つけ双眼鏡の接眼部をのぞいた。コンテナ船が目の前にあった。視野の中を船が素早く横切っていくので、雲台のハンドルをパンし続けて追った。色とりどりのコンテナが積み木を重ねたようだった。他にも油送船らしい船や、赤いタンクに白地で大きくLNGと記した貨物船が行き交った。
沿岸に近い海では漁船だ。夕暮れ時に沖に向かう数隻の漁船があった。彼らは夜間、明かりを使って漁を行い、明け方港に戻ってくる。日中はカツオ漁の船が早朝から漁に出て夕方港に戻った。
双眼鏡は飛行機を見るためでもあった。
地元の空港から羽田へ行く飛行機は離陸して上昇しながら左旋回するのだが、近すぎて動きが速く、手持ちのオペラグラスの方が見やすかった。
関空発の飛行機は、紀伊半島上空で高度三千メートル以上に上昇しており、動きがゆっくりしていたが、双眼鏡で見る場合は、バルコニーの上で仰向けになって、手持ちで空に向けることになる。四キロの双眼鏡を両腕で支えなければならず、手振れもあって短時間しか見られなかった。
それは天体を見る場合も同様で、天頂付近の銀河や惑星を、四キロの双眼鏡を手持ちで見続けるのは辛かった。それでも夜半、ベランダに寝て双眼鏡を頭上に向けると、銀河の星々がごく近くに感じられた。腕が痺れて僅かな時間しか星夜を楽しめなかったが、少年時代を思い出すには十分な時間だった。当時私は家の物干し台に寝転んで夜空を眺めた。星空に集中していると、上下左右が星空となり、宇宙空間の中で漂っているような浮遊感を味わったものだ。
五十年以上の時を経て、その頃の感覚がよみがえった。私は思い切ってフォーク式の架台を買った。品物が届くと三脚から雲台を外して新しく買った架台に取り換えた。展望台の双眼鏡のように楽に動かせて、対物レンズを真上に向けても安定していた。その場合接眼レンズが下を向くので、レジャー用のリクライニング椅子兼ベッドを買った。夜は寒いのでダウンを着たり、カイロを身につけた。冬はさらにシュラフに入って、長時間銀河の流れを見続けた。少年時代と同じように一人で宇宙を漂っている感覚に浸ることができた。
南紀に住んで五年目の夏、珍しく蛍から電話があった。会って話がしたいと言った。昔と変わらない低いトーンだった。何の話か電話では言わなかった。訝しく感じたが、思いがけずうれしさが込み上げた。軽トラックで空港へ迎えに行った。朝一番の便だった。到着口から出てきた蛍は相変わらず無表情で、小さなリュックを背負っていた。空港の建物から一歩外に出ると蛍は眩しそうに顔をしかめた。
「日差しが強いんだ」
声が硬いと感じた。私も思わず声色が力んだ。
「東京より緯度が南だから。空気が澄んでいることもある」
「ふーん」
「小さい飛行機だから揺れたろ?」
「でもない」
軽トラックに蛍を乗せて家に向かった。
「空気感が全然違う」
蛍は独り言のようにつぶやいた。滑走路の下のトンネルを抜けて上り坂を上がりきると空港全体が見渡せた。山道に入って数分で家に着いた。
「ここだ」
「空港からすごく近いんだね」
「便利だろ」
玄関の扉を開けた。蛍はリビングに入ると、全面窓から見える景色に目を奪われたようだった。
「その辺に座って。今お茶でも入れるから」
蛍はサッシを開けてテラスに出た。
「コーヒーでいいのかな?」
と少し声を上げた。蛍は振り返って、
「え? あ、私コーヒーは飲まない」
「だったら紅茶か、それともハーブティーとか」
「じゃあ、ハーブティー」
と言ってまた海景に向いた。私もテラスに出て、春に植えたミントの葉を収穫した。鋏で枝を三本切り、一掴みほどのミントの葉を持ってキッチンに直行した。鍋で湯を沸かして水洗いしたミントの葉を入れた。爽やかな香りが立った。菜箸で混ぜながら少し煮立てた。火を止めて、鍋ごとボウルの水に浸した。二回水を換えて鍋の中のミントティーを冷まし、氷を満たしたグラスに注いだ。蛍がリビングに戻ってきた。ストローを添え、二つのグラスを盆に載せて運んだ。蛍は二人掛けの籐の長椅子に座った。その前の小さなテーブルにグラスを置いた。私は愛用の木の折りたたみ椅子を置いて座った。
「先に飲みな。のど渇いてるだろ」
蛍はうなずくとグラスを持ちストローを吸った。味を確かめるように一口飲み、あとは一気に半分飲んだ。
「おいしい」
私はグラスから直接茶を飲んだ。冷たく清涼な液体が喉を潤していった。鼻腔から爽やかな香気が抜けた。蛍にミントティーは不都合だったかもしれない。思えば奈津が好んだドリンクだった。しかし私と奈津とのことなど蛍が知るはずもなく、私はその記憶を追い払った。
「話って?」
「ああ、ママから預かったものを、パパに渡すために来たんだけど……」
「ママから預かったもの?」
蛍はリュックから花柄のファスナーケースを取り出してテーブルに置いた。 私はケースを開けた。銀行の預金通帳が二冊と印鑑が入っていた。名義は私だった。新しい方の通帳を開くと残額が百五十万あった。最後の入金は二〇〇八年九月一日の一万円だった。古い通帳を開いた。一九八三年の七月から毎月一日に五千円、そして時々一万円が入金されていた。私が家出していた間も欠かさず五千円ずつ預金されていた。
「これは……」
通帳をケースに戻しテーブルの上に置いた。私は一つため息をついて目を瞑った。私のために二十五年以上金を積み立ててくれていたのだ。あの世の泰子に私は呼びかけた。君は何のためにこんなことをしていたの。泰子は黙って微笑んでいた。
「ママが亡くなる一か月前のことで」
蛍が話し始めた。私は目を開いた。
「ママが死んだ後の家のことは、パパが整理してくれるから大丈夫。心配しないでって言ってから……」
私はうなずいた。
「パパには内緒であなたが持っててと言って、このケースごと渡されたの。中見たら大金だし、私には荷が重いと思ったけど、ママの最後の頼みだから絶対に引き受けなくちゃいけないと思った。ママはこのお金はパパが本を出版するときの足しにするためだから、その時にパパに渡すようにって。もし十年以上本が出なかったら、その時は使途を問わずこのお金を渡すようにって、そうママが言ったの」
と言って蛍はファスナーケースを私の方へ押し出した。
「まだ十年経ってないけど、もういいかと思って。ママもいいって思ってるはずだって。ママからの言伝です。受け取ってください」
私は頭を下げた。蛍に、そして泰子に。
「ありがとう。いただきます」
「ふーっ。やっと肩の荷が下りた」
蛍はグラスのミントティーと氷をストローでかき混ぜて飲んだ。
「それともう一つ」
蛍を見た。
「私、結婚するの」
「え?」
「七月の末に。相手は同じ劇団の人。ずっと付き合ってたんだけど家庭をもつことにしたの。実は赤ちゃんがいるんだ、お腹の中に」
「そうか……それは二重におめでとう」
言われてみれば腹部が少し出ていた。男は鈍感なものだと思った。
「式はいつ?」
「式はしない。劇団のみんなが何か考えてくれてる」
「そうか。それで、役者業はどうするの?」
「続けるわ。しばらく休業することになるけど」
話を聞きながら相槌しているうちに、私ははたと気が付いた。
「ちょっと待って」
私はリビングの端の箪笥へ行き、引出しからのし袋を取り出した。トイレに行くふりをして財布の五万円を入れ、水引きを掛けて筆ペンで「お祝い」と書いて下に「虎太郎」としたためた。ついでに梨を切って皿に盛り、金封と一緒に盆に載せて戻った。梨の皿をテーブルに置いて、のし袋を蛍の前に置いた。蛍の目が丸くなった。
「え? そんなつもりじゃないんだけど」
「少ないけど、お祝いだ」
「いいよいいよ。パパも大変じゃない」
と両手を振って真顔で拒絶した。
「父として蛍には何一つしてやれていない。こんなことで罪滅ぼしにもならないだろうけど、せめてこれくらいはさせて欲しい」
「そんな、もらえないわ」と蛍は首を振り続けた。
「そう言わず、頼む。受け取ってくれ」
と頭を下げた。さっきは金を受け取る際に、今は金を受け取ってもらうために。蛍もさすがに折れた。
「じゃあ、ありがたくいただきます」
と言ってリュックに納めた。梨を一切れ食べて、
「本の出版はどうなったの? 夢はまだ消えてない?」
「私の生きがいだから。ママには商業出版で本を出したいと言ったけど、ほんとは難しい。プロの物書きじゃないからね。劇団員の蛍にはよく分かるだろ?」
「うん。商業演劇じゃないうちのような劇団なんて、基本みんな自腹」
「実は自費出版で本を出そうと思っていた。たとえ自費でも、とにかく一冊本を出したいと思ったのだが、費用が足りなくてどうしようかと悩んでいた。だからこのお金は本当に助かる」
「よかった。ママも喜んでいるよ」
と微笑んだ。蛍が初めて見せた表情だった。
「じゃ、そろそろ行くから」
と言って蛍は立ち上がり、リュックを背負った。
「え、もう帰るの? 何時の飛行機だっけ?」
「飛行機は乗らない。京都の友人と会って、明日新幹線で帰るの」
蛍は電車で京都まで行き、友人宅に泊まって翌日新幹線で東京へ帰るのだと言った。
「駅まで送ってもらえる?」
「分かった。何時の特急かな」
「電車じゃなくて、バスで大阪まで行って、大阪から電車で京都まで行く予定なんだけど」
「駅から高速バスは出ていないよ」
「そうなの?」
「ちょっと待って」
スマートフォンで調べた。私がよく魚を食べに行く「とれとれ市場」に高速バスの乗り場があった。
「今からだと十一時七分のバスも何とか間に合うけど、十二時三七分にしなよ。昼飯を奢るから。魚が旨いんだ」
蛍は少し考えて「じゃそうします」と言った。
軽トラックに蛍を乗せて食事に向かう途中、私はATMで預金を下ろした。さっきお祝いに使って現金がなかったからだ。「とれとれ市場」に着いて駐車場に車を停めた。日差しが暑かった。まだ十一時過ぎで食堂はすいていた。刺身の盛り合わせとタコの酢の物を注文した。二人の会話はほとんどなく、黙々と食べると食事はすぐ終わった。蛍に弁当でも持たせて、早い方のバスに乗せた方が良かったかと少し後悔した。時間が余るのだ。自販機でアイスコーヒーを買ってパラソルの下に座った。しかしそこも暑く、寛げる場所ではなかった。
家で蛍と話をした時に流れた時間は悪くなかったが、今は違和感があった。だから言い出せないでいた。私から切り出して蛍に謝罪しなければならない話だ。バスが出る時刻まで半時間あった。私も蛍もスマートフォンを操作し続けた。そのうちバスが来た。蛍はリュックを肩にかけて立ち上がった。私は停留所まで送った。
「じゃあね、バイバイ」
「元気でな。彼氏によろしく伝えて」
バスが発車した。蛍が窓から手を振った。
小説はでき上がっていた。四百字詰め原稿用紙にして四百枚。SF風の自伝小説でタイトルは「過去はいつも今」と付けた。
実は前年大阪で催された、自費出版で有名なアルプス出版の出版相談会に参加していた。出版社が費用を持つ商業出版はプロの作家でないと難しいと聞き、自費出版のおおよその費用などを聞いた。自分には費用が高額と感じてその日は自費出版を固辞した。
後日、馬居と名乗るアルプス出版の企画担当者から連絡があった。原稿を送るよう依頼され、パソコンに保存してあった原稿データを送った。それがきっかけで、馬居から自費出版を熱心に勧められた。しかしその時は費用を捻出できず、出版の話は立ち消えになった。
本が出版される一番の近道は、著名な出版社の文学賞を受賞することである。間違いなく本になり広く読まれる。しかし賞を取ることは極めて難しく、自分には縁がないと思った。それで地方の文学賞に応募することを思い立った。しかし応募規定に合わせるために原稿をかなりカットしなければならず、それはそれで悩ましいことなので、書き直しの作業が難航していた。
あれから一年が経つ。アルプス出版の馬居に連絡して、前年提示された費用が有効か問い合わせた。泰子が貯めてくれた金を使う時だった。アルプス出版が前年の条件に同意して契約が成立した。原稿は企画担当の馬居から編集担当に送られた。本文と表紙カバーなどの校正を経て半年後に本になった。書店に配本され、著者分が私の手元にも送られてきた。
梱包を解いて一冊手に取った。当たり前だが真っさらの本である。表紙と背に、タイトルと著者である私の名前がある。帯は編集者が人目を引く文章を書いた。表紙を開くと見返しと扉。目次をめくると本文である。ぱらぱらとページを繰った。真新しい紙の匂いが立ち上った。中頃に注文・売り上げカードと、愛読者カードの葉書が挟まっている。そして奥付に著者名、生年と出身地、経歴。書名と発行年月日。ひととおり確認し終わると、私は泰子の写真の前に一冊置いて手を合わせた。
次にスマートフォンで本の写真を撮り、SNS(ソーシャルネットワークサービス)にアップロードした。間髪を入れず〝友だち〟の一人が〝いいね〟を返してきた。郷里の知人だった。
別荘自治会の集会があると、出版社から送られた販売促進用のチラシを配った。野菜作りを指南してくれている田中和雄にはサインした本を贈呈した。地元新聞社へ行って紙面で紹介してもらえるよう頼んだりもした。
出版社も契約時の条件で全国紙に一段の広告を載せた。大阪の梅田へ所要で行ったときには、配本リストにある書店を訪ねた。ターミナル駅の一階に紀伊國屋書店があり、自分の本を探し出してスマートフォンで写真を撮った。二十代の頃に、自分の短編が載った本を新宿の紀伊國屋書店に見に行ったが、私の著書ではなかった。短編集の書き手の一人にすぎなかった。しかし今、目の前の書架に収まっている本は紛れもなく私の本だった。商業出版でないのは残念だが、現に本になり、名の通った書店で対面できるのは、何にも代え難い喜びだった。
本を出したことによる反響などは皆無だったが、地元新聞の文化欄で取り上げてくれた。郷里の知人がブログで好意的に紹介してくれたのもうれしかった。売り上げ増につながったのは一部地域だけで、結局本はあまり売れなかった。
何事も思い通りにいかないものだと、この年になって改めて思い知らされた。人は皆、自分中心に生きている。多かれ少なかれ自惚れの池にはまり、旨い大きな魚を獲る夢を見る。だが獲れた魚は思いのほか小さく、小骨だらけで肉は少ない。
私は少なからず落胆したが、私個人のデータでしかなかった小説を、紙の本として流通出版したことの意義を改めて嚙みしめた。他者に読まれることで作品が私一人のものでなく、読んだ各人のものになった。それによって私の内面の風通しが格段に良くなった。
その結果、私は次の段階に進めることになったのだ。私は自分の人生を材料に自伝的な小説を書いた。作中で自分ネタを大半使った。九年前に猫田が言ったように、自分ネタがなくなった時に、別のネタで小説が書けるかどうか。言い換えれば、新しい題材を見つけられるかどうかだ。何もなければ書くことはできない。書けなければ物書きをやめるほかない。
ネタ帳を開いて作品になりそうなアイデアを探した。短編が一つと中編になりそうなのが一つあった。どちらも幻想的な物語である。他のネタは作品にする意欲が湧かなかった。時代にそぐわないか、私自身が関心を持てなくなっていた。
南の島が舞台の物語を短編に、未来の架空の国の首都を旅する一家の物語を中編に仕上げて、ファンタジー系の文学賞に応募した。賞を取って本にしたいという野心がまだ残っていたのだ。いずれも二次選考まで行ったが、最終選考に残らなかった。もちろん気落ちはしたが、出版社の評価なら仕方がない。作品に弱点があったか、作風が時代のニーズに合っていないか、それとも両方だったのかもしれない。
試しに応募しただけなので、賞が取れるまで応募し続けようとは思わなかった。そんなことをしていたら、本になるまで何年かかるか分からない。だいいち年数をかけたからといって受賞できる保証もない。少数だが私にも読者がいたので、手っ取り早く彼らに読んでもらうためにネットで配信することにした。
二つのネタを小説にしたので、いよいよ私は新しいネタを考えなければならなかった。何でもかんでも、苦し紛れに与太話までSF仕立てにして、原稿用紙十枚から二十枚程度の短編を書いた。もちろん普通の小説も書いた。小説が完成すると投稿サイトにアップロードした。少数の読者がSNSでレビューしてくれた。「売り」は、相変わらずSFっぽいファンタジーだった。私は科学雑誌や本などで最新の自然科学の動向に接しながら、使えそうなアイデアを好きに利用して法螺話を書いていた。
その日は朝から文章が進まなかった。コーヒーを淹れ直し、軽くストレッチをして続きを書こうと椅子に座った時だった。スマートフォンが警報音を発した。五秒後にテーブルの上のコーヒーカップがカタカタと音を立てた。部屋の中の様々なものが小刻みに音を立て始めた。地震だった。縦揺れだった。時間を数えた。十秒くらいか。横揺れが始まった。さらに十秒。次第に揺れが大きくなった。書架の本がばたばたと落ちた。コーヒーカップがテーブルから床に滑り落ちた。カップが割れてコーヒーが床に飛び散った。固定していない食器や調理具が続けざまに落ちた。私は玄関へ行こうとした。揺れはさらに激しく、家全体がギシギシと音を立てて軋んでいた。嵐の海に揉まれる船の中みたいだった。私は右に左によろけながら何とか玄関のドアまでたどり着いた。ドアを開けて外に出た。
目の前の電柱が揺れていた。電線がビュンビュン音を立てて振動していた。大揺れしている軽トラに乗り、キーを回した。エンジンが掛かると、私は山道を上がり切って、企業の保養施設の駐車場に車を入れた。災害時の避難場所だ。管理人が座り込んでいた。私は車から降りて管理人に近づいた。地面の揺れが続いていた。足元のコンクリートに亀裂ができた。
「二度目のが大きかったねえ」
管理人が大きな声で叫んだ。
「二度目だって?」
意外だった。
「気がつかんかったんか? あんた車に乗ってたから分からんかったんやな」
そういえば車が異様に揺れた時があった。あれが二度目の大きな揺れだったのか。
「これは震源が近いな」
管理人が叫んだ。
私はまた車に乗ってエンジンを掛けた。
「どこへ行くんや。まだ余震があるぞ」
駐車場に次々と車が入って来ていた。知り合いの顔があった。
「中村さん、どこへ行くの?」
「うちの家。壊れてないか見てくる」
と、私はまた軽トラを走らせた。道を下ると、土地も家も無事だった。危惧した山崩れもこの辺では起きていない。下の方でサイレンが鳴っていた。国道沿いに設置されているスピーカーが津波を警告していた。家に入った。本や食器など固定していなかったものが床に散らばっていた。二階に上がり、物置に入れてあった双眼鏡と三脚を取り出してバルコニーでセットした。まだ余震があったが倒れることはない。双眼鏡を海に向けた。多数の漁船が沖に向かっていた。津波を避けるためだ。
私は南の太平洋へ双眼鏡を向けた。水平線に目を凝らした。十秒も経っていなかったと思う。水平線上に一直線の白い筋が見えた。津波だった。双眼鏡から目を離して肉眼で見た。微かに白い線が見えた。漁船はすべて沖に避難したようだ。何分で来るのだろう。双眼鏡で見ると白い筋が波頭であることがよく分かった。距離感がないので、いったいどれくらいの高さの波なのか分からなかった。水平線上に次の波が立っていた。最初の波は肉眼でも明らかだった。二十五倍の双眼鏡は一〇キロ先を四百メートルの距離まで拡大する。沖から陸に向けて海面が盛り上がり白い波頭が近づいていた。
肉眼でもすでに陸岸の端から端まで白い筋が接近する様子が見えた。もう間もなく第一波が到達する。寝室のラジオをつけ、ボリュームを上げてバルコニーに戻った。アナウンサーが気忙しく津波の到来を警告していた。沿岸部で波高八メートルから二〇メートルと言った。やけに幅があると思った。第一波が海岸に迫っていた。ここから直下は樹木が邪魔をして海岸は見えないが、左方の海岸に波が押し寄せてくるのが見えた。そこは標高が低く、国道の下まで波が来ていた。さっきまで岩だらけだった海岸を海水が満たした。車が数台走っていた。二波、三波が来たら国道まで波が行くかもしれない。警報音と防災放送が繰り返しスピーカーから流れていた。
海がせり上がるように第三波がやってきた。二番目の地震が引き起こした津波と合成されたのだろう。第三波は国道を軽々と越えて町に入り込んだ。恐るべきことが起こっていた。長い陸岸に沿って標高の低いところは次々と津波に浸食されていた。そこには多数の家並みがあり、人々の生活の場所である。かつて見た映像を再生して見ているようで現実感がなかった。しかし紛れもなく、今、眼前で起きていることだった。
私の目の前の樹木の間から直下の波の奔流が見え、海が間近に迫っているように感じられた。まさかここまでは来ないだろうと高をくくっていたが、急に恐怖感を覚えた。双眼鏡で左手前方の陸岸を見ると、津波は海沿いのリゾートホテルの中層階まで達していた。シミュレーション映像のような信じ難い光景だった。その辺りは入り江ではなく海に突き出ているので、波高はまだ十五、六メートルで収まっているのだと思った。
この別荘地の一帯も半島で、海に突き出ている地形なので同程度の波高だろう。この辺りは標高六十から八十メートルだから大丈夫だと自分に言い聞かせた。しかし国道の下の県道は完全に水没したに違いない。半島から裏手に回りこんだ湾内は、直接太平洋には向いていないが、陸から反射した津波の被害を避けられまい。そこは海浜にホテルが立ち並ぶ一大観光地だが標高が低いのだ。
この地域だけでも未曾有のことが起こりつつあった。しかし二十年以上前から予想されていたことだ。有史以来、いやそれ以前から繰り返し起きている海洋プレートの衝突の結果だった。
数か月前から小規模な地震が頻発していた。大きな地震が差し迫っていると予知されてから、この地域では災害への備えが徹底して進んでいた。家屋の耐震化は入居時にしてあったので、私は家具の固定をさらに強化して、三か月分の食料と飲料水、プロパンガスの予備と灯油を備蓄していた。自治会が管理会社に掛け合って自家発電装置も設置していた。この地域では決して特別な備えではない。二十年も前から学校や公共施設が高台へ移転したり、住民が避難できる塔が作られた。素早く山の上に逃げ出せる避難ルートも複数設置された。
それでも甚大な被害となった。西日本全体に及ぶ広い範囲が地震と津波に見舞われたからだ。広範囲の災害の場合、国内各地からの緊急の救出も支援も派遣が難しくなる。数か月から一年近くは、自力で再建しなければならなくなるのだった。
この地域が幸運だったのは、山上に空港があったことだ。自衛隊や外国からの救援隊や物資が次々と空輸された。そのため早期に救援の手が届いた。それでも沿岸の多くの市や町が津波で破壊され、住人が住む家と家財を失ったことに変わりはなかった。身の回りの物を持ち出す暇もなく、多くは学校の体育館や公共施設の大広間で寝起きした。そこには自家発電装置が備えられ、寝具や飲料水、食料が備蓄されていた。ストックは三か月分あった。いずれ仮設住宅が作られるが、どれぐらいの日数がかかるのか見通しは立たなかった。身を寄せる先のある者はよかった。しかし多くは身内や親戚も被災しており、一時避難先の体育館などで起居するほかなかった。
自治会では空き別荘の所有者の承諾を得て、避難家族の仮住居とすることを決めた。また、「ふれあいホームシェアの会」を立ち上げて、会員の別荘を一時的に被災者とシェアする形で受け入れするよう呼びかけた。さらに別荘地随一の農園王である田中は、全ての遊休地を畑にするよう提案した。会員が野菜を生産して自給度を高めたら、その分より多くの食料を被災者に回せる。そのために自分は自治会員に種や苗を無償で提供する。栽培について可能な限り支援するといった話だった。会が終わり、駐車場に出ると田中が追いかけてきた。
「中村さんのところも、一人ぐらいだったら受け入れできる?」
いつになく生真面目な表情だった。
「避難所で一人きりで精神的に参ってる人なんやけど」
「ああ、私にできることなら協力します」
「六十になったばかりの女性」
すぐに返事はできなかった。
「芳枝の知り合いで、ずっと昔に離婚してて。娘さん一家が名古屋に住んでるんやけど、そこも地震で被害を受けてるんやね」
「そういう事情なら、受け入れたいと思います」
「つまり、受け入れオッケーやね」
「ただ……」
「何?」
「一人暮らしの年寄りとはいえ、一つ屋根の下で女性と同居というのは……」
「同居じゃなくてシェア。ボランティアの間貸しと考えてよ」
私はうなずいた。
「で、その人は了解してるの?」
「了解してるから、あんたに話しているんだよ。ほら、芳枝が連れてきた」
芳枝さんと女が軽自動車から降りたところだった。私たちの方へ近づいてきた。
「中村さん、こちら鵜飼さん。コミセンでフラを習っている仲間なの。避難所の生活で体調を崩してしまって。しばらくシェアさせてあげて」
と芳枝が言った。
「鵜飼(うかい)優子(ゆうこ)と申します。よろしくお願いします」
女が頭を下げた。ジャージー姿で両手に紙バッグを提げていた。
「中村虎太郎です。こちらこそよろしくお願いします」
私もキャップを脱いでお辞儀した。
「もう少し早く事情を聞かせてもらっていれば、うちへ来てもらってたんやけど、すでに一家三人の受け入れが決まった後で、うちは無理なんよ」と田中が言った。
「分かりました。狭い家ですが、鵜飼さんとシェアしましょう」
「受けてくれはると思ってたけど、やっぱりほっとしたわ」
田中の頬が緩んだ。女が控えめに微笑した。
「では早速行きますか」
と和雄が促した。
「荷物とかは」
私は女に聞いた。
「これだけなんです」
と両手の紙バッグを示した。
「みな流されてしまって」
私は黙ってうなずくしかなかった。
その日から鵜飼優子との共同生活が始まった。吹き抜けの二階の寝室にはベッドが二つある。その部屋を優子の居室にすることにして、私が使っていたベッドを下のリビングに下ろした。ベッドを解体して、部材を一つ一つ下ろした。優子が手伝った。何度も申し訳なさそうに「すみません」と言った。
残ったベッドを壁際に移動した。マットに掃除機をかけてパッドを敷いた。シーツを掛けて、枕と掛け布団を置いた。さらに、来客用に買ってあったパジャマを包装紙から取り出して布団の上に載せた。優子が目を見張った。
「ちょっとしたペンションみたいでしょ」
私は冗談めかして言ったつもりだが、
「ほんとに。すてきです」と優子の眼が潤んだ。
ベッドを階段から遠い位置に移動しても、階下からの目隠しのためのパーテションが必要だと思った。が、ホームセンターも被災して当分入手できる見通しがなかった。
「そんなこと大したことじゃありませんわ」
と言って優子はベッドの端に腰掛けた。テーブルと椅子と姿見はそのままにした。小さな箪笥は中を空にした。
「家具はそのまま使ってください」
「はい。ありがとうございます」
作り付けのクローゼットは半分ずつ使うことにした。早速優子は救援物資の防寒コートと、芳枝さんからもらった服二着をハンガーに掛けた。居室づくりが一段落すると私は夕食の準備にかかった。プランター栽培の白菜に長ネギ、エノキに鮭缶の中身をそのまま入れたシンプルな鍋だ。ダイニングテーブルの上に熱々の鍋を置いた。白ワインを開けて二つのグラスに注いだ。
「今夜はウエルカムパーティーということで」
優子とグラスを合わせた。彼女はワインを一口飲み、
「ああ、おいしい」
名状し難い表情を浮かべた。その夜は震災のことはほとんど話さず、ひたすら食べてワインを飲んだ。食事が終わると風呂の湯をボイラーで水から沸かした。別荘地の給水はすぐ復旧したが、温泉の配管が壊れたままだった。しばらく風呂に入っていないという優子は入る順番を私に譲り後からゆっくり入った。そのあと二階のベッドですぐ眠ったようだった。翌朝洗面を済ませた優子が階段を下りてきた。
「よく眠れました?」
「はい。久しぶりによく眠れました」
と晴れやかな表情だった。
「朝食にしましょう」
私は田中家から届いたばかりの卵でハムエッグを作り、冷凍してあった食パンをトースターで焼いた。バターと自家製のジャムを冷蔵庫から出し、コーヒーメーカーで淹れたコーヒーを大振りのマグカップに注いだ。
「わあ」と優子は小さな歓声を上げた。ささやかな朝食だったが、震災で日常を断ち切られた彼女にとって、一つ一つが暮らしの再発見に違いなかった。
食事をしながら優子が仕事机の方を見て言った。
「あそこで執筆されてるんですね」
私が小説を書いていることを田中が話したのだろう。
「そうです」
「どんな小説を書いていらっしゃるんですか」
最近書いているものを私は手短に話した。
「私、小説はあまり読まないのですが、何だか関心が出てきました」
「まあ、小説なんて無理に読まなくてもいいと思います」
自嘲したわけではなく、それは本心だった。
「中村さんて有名な方なんですか」
私は急いで首を横に振った。
「とんでもない。私のウエブ小説の読者なんて、せいぜい数十人ぐらいですよ」
六年前に本を自費出版したことや、その後は主に短編小説をネットで発表していることなどを話した。優子は微笑しながらいちいちうなずいていたが、それほど関心があるようには見えなかった。
キッチンが一つなので食事を交代で作ることにした。備蓄した食料は二人が消費すると残りは一か月分だった。救援物資が配給されていたが、生野菜が不足していた。プランター栽培では到底間に合わず、荒れ放題の庭を畑にしようと私は思い立った。電話で田中に相談した。意外な返答だった
「やめとき、中村さん。今から開墾なんて、土づくりで最低三か月はかかるし大変な労力だわ。体が持たんよ。どうしても畑やりたいんだったら、地面掘って土留めの枠を作る。畑の土を買って入れてもらう。そしたらすぐにでも種蒔きできるわ。でも金がかかるし、あんた経験ないからやめといた方がええ」
「……そうですか」
「野菜だったら、そろそろ出回ってきてるし」
自力で野菜を増やそうと意気込んでいたが、青果物が流通し始めたのなら話は別だ。田中が続けた。
「この前は畑作りを呼びかけたけど、皆引き気味でさあ、ようやく一人二人希望者が出てきて畑作りを始めたら、道路が復旧して流通が再開されたってことなんよ」
「よく分かりました。畑作りはやめときます」
「それがいいって。それより、執筆はどうなん?」
「いやあ、震災以来書いてなくて」
「そっちの方を再開してよ。私もウエブ小説読んでるから」
田中が読者だったとは聞いていなかった。
「うちの野菜分けてあげるわ。優子さんもいることだし」
ある意味私は安堵した。自給自足の夢は夢として、本当は体力が続くのか危ぶんでいたのだ。それでも畑作りを思い立った理由は、自力で食材を得たいということと、優子を畑仕事に誘ったら、彼女の気が晴れるかもしれないと思ったからだ。
優子は家に来た当座より、日が経つにつれて元気がなくなっていった。やるせなさそうに物思いに沈み、深いため息をついた。テレビも見なくなり当番の家事や食事以外は二階の自室に引きこもった。震災の後遺症だとしたら畑仕事どころではなかったことになる。
その日の夕刻、不意に優子は眉間に深い皺を寄せて一点を見つめた。私は彼女の前に座り話しかけた。
「ねえ、優子さん」
彼女は私の方を見た。両目が深い悲しみを湛えていた。
「あの、ボランティアの心理士がいるらしいんで……」
と言いかけると、
「そっとしておいてもらえませんか」
と言ってすぐ二階へ上がった。夕食は私の当番だった。冷凍しておいた鶏肉と田中家の卵と玉ネギで親子どんぶりを作った。刻み海苔を散らし、水菜の和え物を添えた。優子を呼びに行くとベッドで横になっていた。彼女の背に声をかけたが食欲がないと言った。私は盆に料理と茶を載せて机の上に置いた。
翌朝盆を取りに行くとどんぶりは手つかずだった。和え物と茶が半分減っていた。朝食も食べなかった。ずっとベッドで横になっていた。
ほとんど何も食べない状態が二日続いた。このままでは衰弱してしまうと思った。私は意を決してボランティア本部に電話した。その日の午後、若い女性がやってきた。臨床心理士の河村と名乗った。状況を事細かに話すと彼女はノートに記録した。それから私は二階へ行き、優子に事情を話した。
「誰とも話したくありません」
とつぶやいたが、いつの間にか件の心理士が身をかがめるようにしてベッドに近寄ってきた。
「話したくないって言ってるのに」
か細い声で優子が抗議した。
「二人にさせてください」
河村心理士が私に言った。私はベッドから離れた。二時間後心理士が下りてきた。かすかに笑みを含んでいるように思われた。
「明日また来ます」
とだけ言って心理士は軽自動車で帰った。その日の夜も次の日の朝も優子は何も食べなかった。午後、河村心理士が小さな紙袋を持ってやってきた。何も食べていないと告げると、心理士は軽くうなずいて二階へ上がった。二時間後心理士が階段を下りてきた。
「明日また来ますね」と言った。
「何か食べないといけないと思うんですがね……」
「クッキーを食べていらっしゃいます」
「え? クッキー?」
「私の手作りです」
「お菓子ですか」
「何の変哲もないクッキーです。鵜飼さん洋菓子がお好きなんですね」
虚を突かれた気がした。私もスイーツは好きだが、クッキーの缶詰は備蓄していなかった。
「明日はマカロンを作ってきます」
「それは良いんですが……」
材料費が気にかかった。
「今日鵜飼さんから材料費をいただきました」
河村心理士は毎日紙袋を手にしていた。中の菓子を私はあれこれ想像した。三日目のカウンセリングが終わると心理士が帰り際に言った。
「今日はお夕飯をいただくとおっしゃいました」
私は二階へ行った。優子がベッドサイドに腰掛けていた。
「ご迷惑をおかけしてすみません」
と頭を下げた。私はさっきまで心理士が座っていた椅子に座った。
「鵜飼さん、いや名前で呼ばせてもらいます。優子さん、遠慮は無しにしましょう。災害の時は助け合って生きていかねばなりません。まして共同生活をしているメンバーであれば、相棒が支えるのは当然のことですよ」
年齢を重ねることが良いことの一つに、若い頃なら偽善に聞こえるようなことをそれらしく自然に言えることだ。
「すみません」
「お互いさまですよ。私が不調の時はあなたに助けてもらうことがあるかもしれない」
「はい」
優子はこくりとうなずいた。
「ときに優子さん。夕食は何が食べたいですか」
優子が口ごもった。
「ほら遠慮せずに」
「お寿司」と小さな声で言った。
「ちらしですか。それとも握り?」
「握り」と申し訳なさそうに言い、「お魚を買ってきていただいたら、私が作ります」。
「あなた体調が十分じゃないでしょう」
「いえ大丈夫です。郷里の魚寿司を食べたくなりました」
私は軽トラックを走らせて「とれとれ市場」へ行った。小ぶりの鯵が揃っていたのでマグロの切り身と合わせて買った。鯵は握り寿司用に調理してもらった。家に戻り、買った食材をビニール袋ごと優子に渡した。優子はマグロを冷蔵庫に入れ、鯵の切り身は塩を振ってバットに並べた。次に米を研いで炊飯器のタイマーをセットすると私に言った。
「虎太郎さんは執筆でもしてらして」
「はい」
私はキッチンの隅でコーヒーを淹れ、デスクのパソコンを開いた。執筆が中断してから再開までブランクが長すぎた。まだ流れを取り戻せず、一日二、三行しか書けなかった。優子は魚の下準備をしながら調理の合間に二階へ行き、ラジオを聴いた。私は以前書いた箇所を手直ししつつ、新たな文章を少しずつ紡ぎだした。
優子が四回目キッチンに立った時、魚の準備ができたようだった。ご飯が炊きあがると優子は寿司桶に移してすし飯を作り始めた――。
「少し早いですけど夕飯にしましょうか」
と優子が声を掛けた。書くうちに時間を忘れていた。今日は昨日よりも書き進められた。
二人で食卓に向かった。大皿に鯵の寿司とマグロの寿司が二色に分かれて整然と並んでいた。
「おお」
私は目を見張った。すぐに冷蔵庫から吟醸酒を取り出した。
「優子さんも飲まれますか?」
「はい、少しいただきます」
鯵の寿司は酢がよく利いていた。六割がた優子が食べ、マグロの方はほとんど私が食べた。優子は昨日までとは別人のような食べっぷりだった。その日を境に優子は食欲を取り戻した。二日後に河村心理士が言った。
「これから三日ごとの相談になります」
年が変わると心理士の訪問は週一回になった。優子はほとんど回復したように見えたが心理士のフォローは続いた。優子は家事の当番をきちんと実行し、プランターの世話までした。ただ、外出はできなかった。食材や生活に必要なものは私一人で町へ買い出しに行った。復旧は順調に進み、日常生活で不自由を感じることはないほど物が出回り始めた。
優子が私の家に来て三か月が経った。一月のある日、河村心理士が満面に笑みを浮かべて言った。
「訪問は今日で終わりました。今後は必要なときにビデオチャットで相談することになります」
「本当にお世話になりました」
私は深々と頭を下げた。
「いえ、私だけじゃなく、中村さんもお力になったんですよ」
その夜、夕食の後優子が話をしたいと言った。何となく予期しない訳ではなかった。食卓を片付けて私はコーヒーを淹れた。
「実は私、そろそろおいとまをしたいと思います」
「はい」私はうなずいた。
「ずいぶんとお世話になりました。ご心配もおかけしました。おかげで心身ともに、まだ完全とは言えませんが、よくなりました。名古屋の娘が転居した先で一時落ち着くことになりました」
「そうでしたか、それは良かったです」
次の日、私は軽トラックの助手席に優子を乗せて、高台にある町の中心へ出かけた。優子は町役場と銀行と郵便局へ行き必要な手続きをした。それから道を下り、優子の住居があった地区へ行った。かつて町並みだった一帯は瓦礫が取り除かれて、建物の基礎と電柱だけが残っていた。
「あそこです」
優子が指さした。コンクリートの基礎だけだが、住んでいた者には容易に分かるのだった。家の跡まで行って車を停めた。優子はガラス越しに見回した。
「降りないの?」
「ええ、これでいいです。帰りましょう」
その夜優子は、復旧したJRで大阪に出て、近鉄線で名古屋に行くことを話した。ここを立つ最後の晩は、田中家でお別れ会をすることになったので、それに先立って私の家で二人ささやかな宴をした。優子が作った魚の寿司と煮しめだった。二人で吟醸酒を飲んだ。少し酔いが回り優子はほんのりと赤くなった。そしてぽつぽつ話し始めた。
「私看護師なんです。あの日は訪問看護の日で、保健師とペアで寝たきりのお年寄りのお宅に行きました。たまたま私の家から遠くない地区でした。清拭をして床ずれの治療をして、オムツを替えて、投薬指導もして、帰り支度をしている時に地震が来ました。言葉に言えないすごい揺れで、家は潰れなかったのですが、家具は倒れ窓ガラスが割れて、私らは患者さんを守るのが精一杯でした。二人で患者さんに覆い被さって。地震が収まったら津波でしょう。平日のお昼で家の人はいなくて、海が近いですからね。二人で患者さんを抱きかかえて車に乗せて。男性の体格のいい人で、本当に苦労して車に乗せました。さあ車を出そうと思ったら隣の家が倒壊して進めない。保健師が車をバックしました。塞がった道を何回も迂回してようやく広い道に出たら波が来るのが見えて。波に追いつかれないように坂道を上がって何とか助かりました」
優子は一気呵成に喋ると、ぐい飲みの酒を飲み干した。
「その時思い出したんです。家に猫がいるって。外出する時は家に閉じ込めてたんです。家にちーちゃんがいる。ちーちゃんが……」
優子が嗚咽した。涙が止まらず顔がぐしゃぐしゃに濡れた。私はタオルを渡した。優子はタオルを顔に押し当てて嗚咽し続けた。少し落ち着くと優子はタオルを取って丁寧に折りたたんだ。
「三重にいた頃に迷い込んできて、十二年になりますからお婆ちゃん猫でした。私や娘がいつも話しかけていたから言葉が分かるんです。私が落ち込んでいるときは寄り添ってくれて、心配そうに私の目を見上げるんです」とまた涙が溢れ出した。
「津波の三日後、芳枝さんと一緒にちーちゃんを捜しに行きました。家そのものが跡形もなく流されていて。ちーちゃんは逃げ出せたのかもしれないって芳枝さんが慰めてくれたんですが……。生死が分からないからお墓も作れないんです」
優子は折りたたんだタオルで目尻を拭った。
「避難所には身内が亡くなったり、行方不明の方が大勢いらっしゃいます。猫のことなど誰にも話せません。一人で悔やんでいました。窓に隙間をあけてやっていれば逃げ出せたかもしれないのに……」
優子はしばらく目を瞑って俯いていた。やがて顔を上げた。落ち着いた口調で、
「しばらく娘の家にいます。落ち着いたらそこで仕事を探してみようと思います」
「そうですか」私はうなずいた。
「中村さんには本当にお世話になりました。この家に来た日は心底ほっとしました。ベッドメークをしてくれた時、ペンションて虎太郎さんおっしゃったけど、私は豪華ホテルだと思いました。それと夕食の鍋。ワインなんか飲んでいいのって、涙が出るほどでした」
「いやいや……」
「災害に遭うときは、いとも簡単に日常生活が失われるんですよね。だから生活の再建というのは、ごく当たり前の日常を取り戻すことなんです」
「そうでしょうね……」
私は被災者とは言えない。僅か数キロの距離で運命が分れた。
「ここでの生活が当たり前の、だけど貴重な日常を思い出させてくれたんです。それとあなたのお節介、いいえ機転で河村さんの派遣をお願いしてくれて。河村さんは私の塞がれた心の蓋を開けて、哀しみを外に解き放つきっかけを作ってくれました――」
出発前夜、田中家で送別会が催された。食べて飲んで、カラオケはなしで、しかし寛いだ雰囲気のうちに会は終わった。優子はそれほど飲んだように見えなかったが、やはり酔っていたに違いなかった。なぜなら家に帰って二階へ上がる時に私にハグしてキスしたからだ。
翌日私は駅まで優子を送った。荷物は紙袋ではなく、芳枝から餞別にもらったスーツケースだった。列車が来て優子が乗り込んだ。座席に座ってからも優子は手を振った。列車が動きだすと、優子は立ち上がって手を振った。列車が遠ざかっていくのを見届けて私は帰途についた。
家に戻ると家の中ががらんとした感じだった。一人で暮らして広いとは思わなかった空間が、妙に広々と感じられた。元来私は一人で住まう家としてこの家を入手した。それから十二年、細々と小説を書いてきた。プランターで野菜の栽培をしながら、海や空を眺めて、一人だけの晩年を過ごしてきた。過不足ない身の丈に合う暮らしを心掛けた。過ぎた欲望も深い虚無感も入り込まないように律してきたはずだった。
ところが異性の他者と三か月同居して、微妙に心境が変化していたのだった。同居人が去って、私は思いがけない喪失感を味わった。真実寂しいと思った。優子を異性として愛したというより、同じ屋根の下で時間を共有し合う仲間として、私は彼女を愛していたのかもしれなかった。その仲間がいなくなった。今後もシェアしませんかと、どうして優子に言えなかったのか。仮に断られても、提案することはできた。だが、そもそもそういう考えが思い浮かばなかったのだ。私は自分の感性の鈍さ迂闊さを責めた。
一週間後、優子から手紙が届いた。便りが遅れたことを詫び、――慌ただしく日が過ぎましたが何とか落ち着きました。別荘にいた三か月の間に本当の意味で回復できたと思います。だから当地でもすぐ仕事を見つけることができました。娘の家にいつまでもいられないので、近いうちにアパートでも借りて転居したいと思います。虎太郎さんも執筆を頑張って、いい作品を書いてください――とあり、私への謝意を記してあった。
文面からは、新しい環境に飛び込んでいく女の気概のようなものが感じられた。優子には私と同居する気などもともとなかっただろう。彼女はまだ若いのだ。私は安堵した。そしてまた、元の生活に戻った。あるいは戻そうと努めた。が、何もかもが元通りになったわけではなかった。
SFが書けなくなったのだ。奇想をひねり出して法螺を吹く意欲が湧いてこなかった。ひょっとして想像力が枯渇したか。思えば自分もいい年である。老いたことが原因なら仕方がないとも言えるが……。
パソコンを閉じてテラスに出た。風もなく日差しが温かかった。プランターの長ネギと白菜が育っている。今夜は鍋にしようと思った。
テラスから庭に出た。目に入るのは空と海と南北に延びる陸岸だ。ここに住んでいれば日々目に入る風景である。ただ、南にあったマンション群は今はない。津波で浸水して取り壊されたのだ。自然界の僅かな変動が人間の営みに多大な影響を及ぼす。太古の昔から繰り返されてきた。ヒトのみならず地球上の生物全般がそうだった。
私は空に向かって思い切り伸びをした。そして深呼吸をした。太平洋を渡ってきた風が肺を満たした。私は生きている。生きていること自体が思いがけない幸運なのかもしれない。それでよしとすべきなのだろう。私は長ネギと白菜を土から掘り出して部屋に戻った。
別荘に仮住まいしていた最後の世帯が仮設住宅に入居すると、自治会の総会が開かれ、「ふれあいホームシェアの会」は解散した。田中和雄が会長の任から解かれた。続いて「ふれあいホームトークの会」が提案され、言い出しっぺの田中和雄が初代会長に就いた。
総会終了後は慰労会となった。ビールを注いで一巡した田中が私の横に来た。私のグラスにビールを注いだ。
「三か月間ご苦労さまでした。優子さんは元気だそうです」
「それは良かった」
「芳枝にメールがあって。今は郷里の三重で仕事をしているらしい」
「そうですか」
優子が去って二か月が過ぎた。去る者は日々に疎しと言う。特段の感慨は無かった。ただ、猫を亡くした喪失感とどうやって折り合いを付けたのかと思った。
「それで相談なんやけど」
また唐突な話だろう。
「何?」
「芳枝の知り合いで、やもめ暮らしの長い女性がおるんやけど、その人と茶飲み友だちにならへん?」
――やはりそうだった。
「ふれあいホームトーク第一号ってわけ?」
田中が笑いながら
「そうそう、そうなんよ。趣旨はさっき説明したとおりで、対象は単身の高齢者」
「それはありがたいけど、どんな人なの?」
「われわれと同世代で保健体育の先生だった人。神奈川からボランティアで来て、こっちに住みついたんよ。趣味が多い人やから話が合うと思います」
と言うと田中は集会所の出入り口に向かって合図をした。「あとは芳枝にバトンタッチします」と彼は私の後ろに回って、私の背中を押すようにした。
白髪で銀縁眼鏡の婦人が白い割ぽう着で立っていた。ふっくらした品のある笑みを湛えて大鷹(おおたか)百合(ゆり)と名乗った。慰労会の準備を手伝っていたらしい。何を言おうかと逡巡していると、
「中村さんの素敵なお家へ百合さんを連れていってあげて」
と芳江に促された。
百合は「ぜひ見たいです」と笑っていた。
「あんまり期待されると困りますが」
私は百合を家に招じ入れた。百合は頭を巡らせて一階から吹き抜けの二階へとぐるっと見渡した。
「いいお家……」
百合がテラス窓に歩み寄った。庭越しに見える風景に魅せられたようだ。私は室内で育てたペパーミントで茶を淹れて百合に出した。それから二階へ行き、バルコニーで双眼鏡の景色を見せた。百合は船を見たがった。一階へ戻って温泉を引いている浴室を見せ、最後にテラスに出た。百合がプランターを指して「田中さんからお話を伺いました」と言った。百合が庭のバーベキュー台を見つけた。
「ここでバーベキューができますね」
「ええ、でも私はしたことないです」
「え? どうして?」
一人でバーベキューなどする気がないと言うと、百合は微笑を浮かべてうなずいた。
リビングに戻って百合と私はコーヒーを飲んだ。
「そこで執筆されてるのね」
ノートパソコンを置いた机を指した。
「私なんかが押しかけたら、執筆の邪魔ですよね」
「いえ、逆ですよ」
現在スランプで書いていないこと、百合さんが来て一緒にお茶を飲んだり話をしたら気分転換になると私は言った。それは本心からだった。百合を住居まで送って行き、いつでもいらしてくださいと私は言った。
交流が始まった。互いの住まいを行き来して「ふれあいホームトーク」の趣旨そのままにお茶を飲んでお喋りをした。百合は音楽が好きだったので、二人の好きな音楽をかわるがわる流しながら互いの趣味を語り合った。ほどなく百合と食事を共にするようになった。
春になるとバーベキュー炉に火が入る日が来た。百合はそれが楽しみだったと言った。ワインを飲みながらじゅうじゅう焼ける肉を百合は次々に平らげた。
何という食べっぷり、そして何という夕べだったろう。茜色に染まった水平線。その上に三日月と星。海に漁船の明かり。そして庭から見る我が家は、光が窓から漏れだして、それは愛おしいスイートホームそのものだった。
ワインですっかり酔っ払ってから、百合を自宅に送っていけないことを言い合った。が、もちろんそれは虚言で、酔い醒ましに温泉に入っちゃお、混浴でと百合が言い出したのも、浴槽に温泉を満たして洗い場にマットまで準備しておいたのも、互いに黙契するところがあったからである。
私たちは衣服を脱ぎ散らかして湯に浸かった。湯の中では年相応に神妙だった。が、湯から出てからがいけなかった。私と百合は、体を洗いながらやんちゃなハイティーンのように卑わいな冗談を大声で言い合い、互いに触らせながら身体の各部位を批評し合った。幸い浴室は広く、行為の妨げにはならないので、必然的にセックスに至ったのだったが……。
三日後、百合がヨガマットを持ってきた。居間に二つ並べて広げ、その上で回春体操というものを教わった。百合が考案したものらしい。彼女は避難所ではもっぱらエコノミークラス症候群対策の体操を教えていた。ボランティアに来て回春体操を指導するのは初めてだと言った。
「これを毎日朝夕実践したら一か月後は大丈夫」
と百合が太鼓判を押した。自然の中で体操をしたらさらに効果的と言うので、庭に芝を張ることにした。業者に依頼して芝を張った。芝の養生が終わった三か月後、青々とした芝の上で私たちは回春体操を行った――。
夏の夕べだった。百合は二階のベッドでうたた寝をしていた。私は頭に浮かんだイメージを、自動筆記のように手書きでメモしていた。小説が書けないでいることを、その時私は忘れていた。今まで書いたことのない物語だったからかもしれない。
それはジュニア向けのSFだった。波乱万丈の、センスオブワンダーに充ちた冒険物語で、それでいて哲学的な味わいの小説になる予感がした。百合との刺激的な物語を重ねるうちに、いつの間にか私は物書きに復帰していた――。
或る物書きの遍歴ー一つの解としてのー