06 その先の向こうに… ⑫
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イケピン、シンコ、ポンタ、少し距離をおいてカコとジンジ、その後ろをナオとユウコ、そして最後尾をタカコとヒカリの九人が歩いている。
先頭をゆく男子たちは、傘をさして道幅一杯に広がって、ゆっくりとのんびり歩いている。
水溜まりを避けながら右へ行ったり左へ寄ったりしながらの話し声に、ときおり笑いが混じっている。
部活が早く切り上げとなってしまって、体力を発散する場を失ってしまい、少しでも動いていないとどうしようもないのだ。
しかし……
そんな男子たちとは対照的に、距離を置いて歩く後続は、誰も口を開こうとしなかった。
カコとジンジ、その後ろのナオとユウコも無言で歩いている。
そして最後に、今日はどういう訳か、仲間に入れないタカコとヒカリが、前を窺(うかが)いながら寄り添って歩いている。
*
嗚呼(ああ)もう、とどうにも居たたまれなくなったヒカリが口を開いていた。
「今日の三人は、どっか変ですよね。どうかしちゃったんですかね。タカコ先輩は知ってます」
すると、タカコは肩をすくめながら
「変だとは思うんだけど、何が変なのかがわたしにも分からないんだよね……」
いつもなら、三人とタカコとヒカリの五人で、窮屈なくらいに固まってお喋りしながら帰るのに、今日に限ってなんでこんな隊列なの? とタカコは首を捻っていた。
「カコとジンジも、妙だと思わない?」
ほら、とタカコは顎を反らした。
「そうですよね。ジンジ先輩の、今日はぜんぜん駄目だな……みたいな雰囲気がダダ漏れしてこっちまで流れてきてますよね」とヒカリはタカコに相づちを打った。
ダダ漏れと言う言葉に、そうだよねその通りだよね、とタカコは笑った。
「それって、カコさんに対してですかね?」とヒカリ。
決まってるじゃない、と返すタカコに
そうですよね、やっぱり……とヒカリは頷いていた。
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誰もいなくなってしまった夕暮れのグラウンドに、無数の雨が降っている。
こうやって見ている間にも、そこかしこに新しい水溜まりができてゆく。
やがて、そのひとつひとつがお互いに繋がり、大きな水溜まりへと形を変えてゆく。
雨が止んで晴れてくれれば、水(水溜まり)は何処かに行ってくれるかな?
そんなことを考えながら、カコはグラウンドの奥を見ていた。
南側(向こう)の、隅に寄せられているサッカーのゴールが、霞んでいる。
バックネットも、鉄棒も、バスケットゴールも……その全てが同じようにボヤけていた。
グラウンド全体が、息で曇らせたガラスを通して見ているかのように、白色の透明に見えていた。
そして気付いた。
不思議……なにこの感覚?
カコには、その雨粒のひとつひとつがはっきりと見えていた。
こんな感覚は初めてであった。
見えた? のでは無く、見える! と感じていた。
そして……周囲の〝音〟の全てが聞こえていた。
音が見えるのである。
どうして? と周りに目を向けた。
そこには、グラウンドを打つ雨音があった。
その中には、地面を打つ雨音があり、そして全ての、それぞれの物に当たる音があった。
今歩いている歩道のアスファルトを打つ雨音、アスファルトに出来た水溜まりを打つ音だってそうだ。
色んな音がある。
全てがそうだ。
目の前のアスファルトの水溜まりを打つ音は、グラウンドの水溜まりを叩く音とははっきりと違って見えた。
あ、これも……
木や草の、葉を打つ雨音も聞こえる、見える。
それも、歩いているこちら側の木や草とグラウンドの周囲に植えられている木々の音とは、また違っている。
それに混じって、雫が葉っぱから落ちる音、風に揺らぐ木々の幹がきしむ音、草の葉が擦れる音――
前をゆく男子たちの話し声。
旭東通りを行き交う車の音。
わたしの足音。
ジンジの足音。
ナオとユウコの足音と、二人のヒソヒソ声。
タカコとヒカリの、囁き声と足音まで聞こえた。
聞こえだしたら切りが無い。
そんな無限の音が混ざり合う中で……それでいて雨は、全てを包み込んで、自己を〝強く〟主張している。
でも? 何故音が見えるの? どうして? と考えているカコ自身がいた。
それを意識して不意に……
自分が、あること、に感じるていることに気付いた。
なに? とカコは胸に手を当てていた。
え?
ムーンのリングが、熱を持っていた。
*
そんな不思議そうな顔をして歩いているカコに、何か面白いモノでもあるのか? とジンジは、同じようにグラウンドに目を向けていた。
すると……
なんだこれ? とジンジは目を凝らしながら、手の甲で鼻を擦っていた。
ジンジが感じたのは、音ではなく〝匂い〟だった。
しかし、でも……と思う。
雨ってこんな匂いだったけ? と疑問が沸いてきたのだ。
視線がその先へと動いた。
向こうの、南側のサッカーゴールが霞(かす)んでいた。
バックネット、鉄棒、バスケットゴール、その全てが雨で霞んでいる。
そしてその匂い……
雨には、雨独特の匂いがある。
しかしこれが、今のこの匂いが、雨が降った時の匂いだった(け)か? とジンジは思ったのだ。
雨は、全てを包み込む。
その雨が包み込んだ、心が落ち着く〝匂い〟が、ジンジは好きなのだ。
学校に向かって歩きながら眺める雨――
朝、自習が始まる前に眺める雨――
授業を聞きながら、先生に気付かれないように、みんなにも黙って窓から眺める雨――
教室を移動しながら渡り廊下で眺める雨――
突然に降り出した雨――
グラウンドに出れなくて、仕方なく教室でシゲボーと弁当を食べるながら眺める雨――
夜、自分の部屋に寝っ転がって、窓から眺める雨――
色んなときに、いろんな場所で雨を眺める。
そのときどきに感じる雨の匂いなんだ、と今回も最初は思っていた。
でも……
今日の雨は、少し違うような気がする。
雨の匂いなのは確かなんだけれど、いつも思っているような、感じているような雨の匂いじゃない。
じゃあその違いは何(なん)なんだ? この雨は何なんだ? とジンジは首を傾げていた。
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傘を持つ手に震えが伝わってきて、なに? と顔を上げると、横から覗き込んでいるカコの顔があった。
「何度も首を捻ってたよ」
カコは傘の親骨の先で、ジンジの傘の生地を突ついたのだ。
そうだったのか? とジンジは、考えごとしてたんだ、と曖昧に答えていた。
考えごとをしていたなんて、自分では全くそう思っていなかった。
すると
なにを考えてたの? と訊かれた。
ジンジは間を置いて、分からない、と今度は意識して頭を横に振った。
そして今度は、なにが? と訊かれた。
どうやれば上手く伝えられるかなぁ、と思いながら、ジンジは傘を肩に担ぐようにして空を見上げた。
雨は学校を出たときと変わりなく、ゆっくりと降り続いている。
ジンジは、このさぁ、と一旦間を置いて
「この雨の匂いなんだ」と言った。
「雨の……匂い?」
「いつもの雨の匂いとは違うような気がするんだ」
「雨に匂いがあるの?」
カコはそう訊きながら、ムーンのリングに意識を向けていた。
ジンジが首に掛けているユベールのリングが影響を与えているのかしら? と考えていると
ジンジは強く、ある、言った。
そんなにムキにならなくてもいいのに、と思いながら
「じゃあ、晴れの日とか、曇りの日とかもあるの?」
するとジンジは、ある! とまた言い切っていた。
カコは続けて、季節が変わるときの匂いとかも? と訊いたあとに
季節ならわたしもそうだ、匂い(音)を感じる、と思いだしていた。
ジンジは、ある! を繰り返した。
「じゃあ分からないって言うのはなに? 雨は雨の匂いなんだけど、いつもの雨の匂いと違うってことななの?」
確かに、季節の音はある、と思う。
突然に、肌に感じる感覚が「あ、変わった」と知ることがあるからだ。
多分それが季節が変わったときの音なのだろう、とカコは自分の中で納得していた。
それは確信に近いものだ。
「どこが違うの?」とカコは訊いた。
「それが分かれば苦労しないさ」とジンジ。
だったら今見えている雨の音は、前にわたしが見たことのある音なのかしら?
カコは言い方を変えた。
「それもそうね。じゃあ、もしかしたら(今の匂いは)前に嗅いだことがある匂いだから、違っていると感じたとか?」
ジンジの目が丸くなっていた。
当たってたらしい。
「そっか、そう言うことだ! 前に嗅いだことがあるんだ。だから変だと思ったんだ」
ジンジは、ナイス、と親指を立てた。
「じゃあ、その前っていつだ?」
わたしが知ってるわけないでしょ、と肩をぶつけてやろうとしたが、傘が邪魔をした。
「そうだよな、カコが知ってるわけないよな」
すると今度は、ため息と一緒に言葉を繰り出した。
「その前がいつだったか?」
雨の匂いなんだから
「雨の時だったのは間違いないんだけど……」
ジンジは大量の匂いを身体に溜め込むべく、深呼吸を繰り返した。
変な思い出し方をするんだネ、とカコも目と耳をすましていた。
すると、カコには更にも増して雨の音が見えた。
言われて意識してみると、やっぱりいつも感じているのとは違うような気がする。
不思議……と思いながら、ジンジが言っている〝匂い〟とはそう言うことなんだと理解した。
街の匂い(臭い)、グラウンドの臭い、渡り廊下の臭い、学校の校舎の臭い、教室の臭い、机の臭い……
臭いはそれ自体が持っているもので、それ自体が放ち、包み込む雰囲気の臭いであり〝見える音〟なんだと思いながら、無意識のまま、カコは足下に目を向けていた。
歩道は、そこかしこに小さな川を作っていて、それがあっちとくっ付き、こっちとくっ付きしながら、少しずつ大きくなってゆく。
大きくなった流れの音が、今にもゴーゴーと聞こえるようだった。
「このまま雨が降り続いたら、(後田川が)氾濫しちゃうかも……」と独り言のように言葉が出ていた。
「だな。今回は溢れる前に帰れてよかったよな」とジンジも、独り言のように返していた。
それを聞いて、カコはジンジに問いかけていた。
「ほんとにそう思ってるの?」
するとジンジは、思ってないのが分かっちゃったか? と笑った。
カコは、分かるよ、と返事をした。
ジンジはへへッと返した。
「そうだよなぁ。大雨になってくると、それが楽しみなんだよなぁ」
雨で川が氾濫しそうになると、先生たちは職員室に集まって会議を始める。
その間、当然授業は自習に切り替わる。
しかし生徒たちは、特に男子は自習どころではなくなるのである。
「でも匂いがなぁ」
後田川が氾濫して溢れた水が、グラウンドより低い土地の校舎の方に流れて来てしまうと、下水道の汚水と混ざり合って悪臭を放つのである。
「この前は確か……」
「おばさんのときだったよ」とカコがポツリと言った。
「そうか、あん時か――」
ジンジはさっきと同じように心持ち顔を上げて喉を開くと、また大きく息を吸った。
すると「!」と気付くことがあり、カコの正面に向き直っていた。
「そうか。あん時の匂いに似てんだ」
「あの時って、川が氾濫しそうになったときのこと?」
うん、とジンジ。
「でも今日も、氾濫してないよ」
結局、おばさんの悪戯の前回も、後田川は氾濫しなかったのである。
「そうじゃ無いよ。あの時、みんなが消えてしまったときの、雨と霧の中にいたときの匂いに似てるんだ」
「おばさんが降らせた雨と霧の匂いが似てる……って言うことなの?」
そう、とジンジ。
カコは小さく鼻を膨らませ、意識して音を吸ってみた。
でも……
「分んない。あのときわたしはパニクッてたから良く覚えてないよ」
カコは首を傾げた。
「あんときはオレもそうだったけど、でも分かるんだ。確かにあんときの匂いに似てる」
じゃあ、とカコは、気持ちの中で胸に手を置いて、ムーンのリングを意識した。
すると……
確かに、普通の雨の匂い(実際はカコにとって音なのだが)とは、ほんの少しだが、どこか違うような気がしないでもない。
それが多分、あのときの匂いなのだろう。
カコは「そう言えば……そうかもネ」と呟いたが、まだ半信半疑でもある。
「はっきりとは分らないけど、いつもの〝音〟とは違うような気がしないでもない……」
カコが音を感じるようすを黙って見ていたジンジは、ウンウンと二度も首を縦に振った。
「そうか。ならやっぱそうなんだ。違うんだ」
「でもネ。違いは分かっても、いつもの雨の匂いは何(なん)なの?って訊かれたら、何て言えばいいのか分からないよ」
「そうなんだ。でも普通じゃないんだ。オレにも、そこの違いははっきりと言えないんだけど、でもこの匂いは確かにあのときの匂いに近いと思うんだ」
「似ているって言うのね――」
「そう、似てる。似てるけど……でもそれとは違うと思う」
ジンジは、何が違うんだ? と頭を、今度は横に振った。
「ちょっとしたことでもいいから、なんでも思うことを言葉にしてみてくれよ」とジンジはカコにお願いした。
「しいて言えば、あん時より少し臭(くさ)い匂いが混じってる……て言えばいいのかなぁ?」
「臭い匂い」とカコは、首を傾げながら自分の中で繰り返した。
「そうなんだよ。氾濫してないんだけど臭いんだ。氾濫。ドブの匂い。臭い。何て言えばいいのかなぁ~。匂いだろ、悪い匂い。汚れた空気。悪い空気。ああ~言葉が出てこねぇ」
ジンジは、傘を放り出して頭を掻きむしりたい衝動に駆られていた。
よっぽどそこの所が気になるんだね、とカコは再度、水の臭いの音に意識を集中した。
すると、ある言葉が浮かび上がってきた。
「ねぇ、その悪い空気って〝瘴気〟って言うんじゃない」
掻きむしり衝動が爆発する寸前で、ジンジはギョっと顔を上げた。
「今、なんつった」
「悪い空気は瘴気」
カコはゆっくりと言った。
「そうかそれだ! 瘴気だ!」
カコには、ジンジの頭からビックリマークが飛び出してきたのかと思った。
「え? でも何でそんな言葉が出てくんだよ」
カコは、フンと鼻を鳴らした。
「わたしも色々と勉強してるんだよ」
ジンジが答えを見付けられたことが嬉しかった。
「おばさんやムーンやユベールと、お知り合いなんだよ。自分も勉強しとかなきゃあと思ってね……」
図書館か? の問いに、カコは笑って頷いた。
なるほどそりゃそうだ、とジンジも頷きながら
「あんときと違って、今日のヤツ(匂い)には瘴気が混じってるんだ。ほら、もっかい(もう一回)意識しながら嗅いでみろよ」とカコをせき立てた。
カコは深呼吸をした。
すると、何か混じっている……と意識して初めて、そこに微かな異物を捕らえる音として見付けることができた。
それが瘴気なのだろう。
しかもそれは、グラウンドだけでは無かった。
雨が降っているこのあたり一帯、町全体が瘴気に包まれているのが分かった。
「じゃあ、誰がこんなことを?」とカコはジンジに訊いていた。
返ってくる答えはとうに分かっていた。
「決まってるさ、きっとあの男だ」
やっぱりそうだよね、とカコはジンジを見た。
「瘴気の雨を振らせてるんだ。今日は何かある、かもな?」
今日と聞いて、カコはギョっとなった。
これだけ大がかりに、瘴気の雨を振らせているのだ、当然と言えば当然だ。
「気を付けなきゃあ、な?!」
視線を受けて、ジンジもカコを見返していた。
音が見えたとき、いつもの雨音とは……何となく? と感じたのは正解であって、瘴気のせいだったのだと――
そしてふいに〈夢は現実になる。未来は観たとおりのことが起こる〉と登校中に男にすれ違いざまに言われた言葉が蘇ってきた。
あのとき突然降り始めた雨も、きっと同じ匂いだったのだと――
カコはジンジに、全てを打ち明けてしまいたい衝動に駆られた。
でもそれをしてしまうと、カコたちが観た未来と、また違った結末に流れてしまうかもしれない。
そうなると、三人が知らない未来が起こるかもしれない。
それが怖い……
そのとき、後ろから声がした。
43
最初は誰が、何を言っているのか分からなかった。
「ねぇ見て!」
しかし、次の声ははっきりと聞こえたし、誰が言ったかも分かった。
先頭の三人の男子が足を止め、振り返った。
カコとジンジも振り返っていた。
振り返った先で、興奮したナオが、傘を持つ手を揺らしながら旭東通りを差していた。
最後尾のタカコとヒカリが、何事か? とその先に目をやった。
あっ、と次に声をあげたのはカコだった。
「あ、あれ」とユウコは大声をあげていた。
「なんなの、どうしたの?」
タカコが声をあげる。
何だ? どうしたんだ? と男子たちが慌てて引き返してきた。
ナオは、タカコやイケピンたちの呼びかけを無視したまま、車道に目を向けたまま動かない。
そして……
みんなが目を向けたその先の旭東通りには、一ツ葉の方に向かっている1台の白い車があった。
*
全員が注視する白い車は、ドアの横に、緑色でデカデカと文字が書いてあるだけの、どこででも見かける営業用の軽自動車だった。
車はノロノロと、一ッ葉の方へ向かって流れてゆく。
何故ならその前を、廃車寸前の軽トラックがゆっくりと走っているからだ。
営業車は、前のボロ車を追い越すことが叶わず、しかたなく後に続いていたのだ。
「○○商事株式会社」
カコが叫ぶ。
「ニィ、キュウ、の、ハチ……」
ユウコが電話番号を読み上げようとする。
車はゆっくりと移動しているが、雨に邪魔され、反対側となるこちら側の歩道からは確認が難しかった。
やがて車は、昭和町交差点を超えて行ってしまった。
「住所も良く見えなかった」
ナオが肩を落として、残念そうに呟いていた。
「でも、絶対あれだったよね」
自分で確信の頷きをしながら、ユウコは興奮していた。
「間違いないよ」とナオ。
二人が興奮して話すようすに
「何なの? あの車がどうかしたの」とタカコ。
イケピンとシンコ、そしてポンタまでも二人を取り囲んでいた。
二人は互いに顔を見合わせて、しまった、という表情になっていた。
「ううん、なんでもない。ごめん。何でもなかった」
ユウコは、首を横に振りながらタカコに返事をして、男子たちにも笑ってみせた。
「見間違いだったの。三人が知ってる人の車かと思ったんだ」
ナオはわざとらしく、肩をすくめていた。
「ほんとかよ? それにしちゃあスゲぇ大声だったぞ」とシンコ。
「会社の名前も叫んでたじゃんかよ」とイケピンが詰め寄ると
「ほんとに何でも無いんだってば……」
ナオは、最後の言葉の〈ば〉を強調してイケピンを見上げた。
イケピンは、ナオの言葉と目に押され、そのあとは無言で顎を引いていた。
ナオの、それ以上は質問しないで……を理解したのである。
「そ、そうなの。知り合いのおじさんの車が時々この道を通るって、ちょうど今、三人で話してたばっかりだったの。そしたら偶然にも、その車が現れちゃったもんだから驚いちゃって」と今度言ったのはカコだった。
まるで、結果ありきの理由を後付けしているようだった。
そうそう、とナオとユウコが傘を揺らした。
そんな、下手なお芝居のような笑い? を受けながら、うンにゃ、こいつら絶対何か隠してる!……とイケピンとシンコには確信に近いものがあった。
体育館の横に集合して来たときの、微妙な不機嫌さ? とは違う表情を三人がしているからだ。
どうしてかは分からないが、今の笑いは、もういいのかな? 機嫌は治ったのかな? と思えなくはない。
だったらもっと、詳しく訊いてみてもいいのではないか? と二人は思うのだが、考えるだけで行動には起こさない。
女心と秋の空で、いつまた(別の方向に)機嫌が悪くなるか分からないからだ。
もしそうなったら堪ったもんじゃない。
それは二人にも、よ~く分かっている。
しかもこの雨だし……と、結局二人は沈黙することに決めてしまった。
と……そこに、痺れを切らしたポンタが口を開いていた。
「ねぇ、もう帰ろうよう」
ただ突っ立っていてみんなを眺めることしか出来ないポンタは、何もすることがないのである。
反対にタカコとヒカリは、もっと訊きたい、ほんとのことを教えて、と三人の女子たちに不満そうな顔を向けている。
それを無視してか、それとも気付かなかったのか
「そだな。帰ろう」とシンコが真っ先に、身体の向きを交差点の方に変えていた。
やっぱり無視なのだろう。
声に促されて、イケピンも踵を返し、やがてゆっくりと歩き初めていた。
ポンタは二人を追いながら、イケピンはナオに、シンコはユウコに、多分明日にでも今のことを訊くんだろうなぁと思った。
じゃあオレは誰に訊けばいいんだ?
しばらく思案したのち、後で二人に訊けばいいか、と気持ちを切り替えていた。
俺も彼女欲しいよぉ、とポンタは、強く願っていた。
逆に、諦めきれないタカコとヒカリは、いつの間にかジンジの傍まで来ていた。
タカコが、何か知ってるの? と訊いた。
しかしジンジは、全然、と首を横に振るだけだった。
何? とポンタが振り返る。
ジンジも分からなんだって、とタカコはポンタに返していた。
そしてタカコとヒカリは、先頭の男子たちに合流した。
*
タカコには分からないと言ったが、ジンジは……
おい、ちょっと待ってくれよ、ナオとユウコは何を言ってんだよ。
カコは何を言ってんだよ。
知り合いの車の話をしてたって? 何の話だよ。
オレは今までカコと二人で、この雨の臭い、瘴気の話をしてたんだぞ。
そしたら突然、ナオが車を見付けたって叫んだんじゃないかよ。
今日、今まさに何かが起こりそうなんだぞ……
ジンジは後方の三人に振り返った。
女子たちは、お互いの傘が重なり合っているのも構わずに、窮屈に固まっている。
ちぇ、何だよ。
問いただそうと割り込む余地なんて、何処にも無い。
どうすんだよ……
ジンジは前を歩く三人の男子とタカコとヒカリ、後ろの三人の女子の間に挟まれるかたちで、一人で昭和町交差点に目を向けていた。
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「行っちゃったね」とナオが言う。
そだね、とユウコはナオに返し、カコを伺っていた。
カコは、何も言わずに、ジンジと同じように昭和町交差点の方に顔を向けていた。
するとナオは、カコの視界に割って入っていた。
カコが、なに? と目線を戻すと
「何か引っかかってるんでしょう」と訊いていたのはユウコだった。
カコは、戸惑いながら、交互に二人を見た。
その顔は、今の事に、どこか納得がいかない思いを隠しているかのようだ。
それに二人は気付いたのだ。
ユウコが、言いなさいよ、とカコを押した。
ナオも、さぁ言って、とカコを促した。
するとカコは、半分無理矢理に笑みを作り、口を開いていた。
「たしか……あのとき、夢の中の車は一ツ葉の方から走ってきたんだよね」
逆にトラックは一ッ葉に向かって走っていて、交差点の中で営業車とすれ違った。
トラックが跳ね上げた雨水は営業車の視界を奪い、運転を謝ってジンジを撥ねたのである。
え?……とユウコは額にシワを寄せていた。
「そうか、確かにそうだった」
「今の車は逆から来たよね」と言うナオに
カコは、うん、と言った。
「だとしても、車はもう行っちゃったんだから、今日は事故は起こらない……てことになるんじゃないの?」とユウコが返すと
「トラックも見てないし、夢のとおりなら、そうなるよね」とナオ。
二人はジンジの姿を探した。
ジンジは三人に背を向けて、少し先で立ち止まっていた。
ボンヤリとした後ろ姿だった。
「そうだよ! きっと」
今日は事故は起こらないんだ、とユウコは、そうだよきっと、を繰り返した。
「そう言うことに、なっちゃうのかなぁ。でもなっちゃうんだね」とナオも半分頷いていた。
疑問が残っているカコも、二人の言っていることは理解できるし、夢の通りに事が起こるなら、理屈ではそうなる、今日ではない……
しかしそれでも、どうにも分からないという表情を、カコは二人に残したままだった。
「でも何かが引っかかってるんでしょう?」と言ったのはナオだった。
ユウコがナオを見る。
カコがナオを見る。
「納得できない事があるなら、どんなちっちゃなことでも言っとかないと、後で後悔するかもしれないよ」
ただなんとなくそう思ったんだ……とナオはカコに微笑んでいた。
「そうなんだよね、カコが思うんだから、その疑問はとっても大事だと思うよ」
ユウコもナオと同じことを考えていたようだ。
カコは、ようよう口を開いた。
「さっきジンジと話をしてたんだけど、この雨って、あの男が降らせているんじゃないかって……思ったの」
あの男が? どうして? と二人は表情で訊き返していた。
「前に、おばさんの悪戯で、二人が霧の中でが消えちゃったことがあったでしょう」
「あの時は……おばさんが学校の回りに〝結界〟を張って雨を降らしたんだよね」とナオ。
結界の雨の中で、みんなはおばさんの悪戯に付き合わされることになった出来事だ。
「あの時に降ってた雨の感じに似てる……ってジンジが言ってた」
カコあえて、匂いや瘴気という言葉は使わなかった。
「カコもそう思うの?」と訊くユウコに
「似てると思う。そう思ったら、わたしが始めて男に会ったときに降っていた雨もそうじゃなかったのかな?って」と答えていた。
「あの時もだったの?」
「多分、だったと思う」
カコはまた、ジンジの方に目を向けた。
ジンジは男子たちとタカコとヒカリから、少しだけ距離と取って立っている。
「だったらやばいじゃん。あの男が結界を張ってるんだったら、こんなもんじゃ終わんないよね。この後もぜったい何か仕掛けてくるよネ」
ユウコが声をあげた。
その声に、またみんながこっちを見た。
それでも見ているだけで、なに? と寄ってくることは無かった。
ユウコは、二っと歯を見せて、シンコに笑いかけていた。
シンコは、苦笑いを半分だけ送ってきた。
その苦笑いで、まだなのかよぉ? と催促しているのが分かる。
ユウコは、もう少し、と親指と人差し指で5ミリほどの隙間を作って見せていた。
するとシンコは、そっか……と大袈裟に肩を落として見せた。
それから、周りのみんなに何か言った。
もう少し待ってやろうぜ、と言っているのだろう。
不思議なことに、誰も先に帰ろうとしないのである。
*
「おばさんの時の結界も、あれだけの準備をして作ったんだから、あの男だってそれなりの準備をしてるわけでしょう? だったらそんなに何回も、こんな大掛かりな結界が張れるわけないよね。今日はこれで終わりってわけは無いよね」とナオ。
車を見付けられたのも、偶然ではないのかもしれない、仕組まれているのかもしれない。
そうだよね、よく考えてみればそうだよね、とユウコは、シンコを真似しながら肩を落とした。
そして空を見上げた。
カコとナオも傘を担ぐようにして顔を上げた。
「だったら準備も何も出来てないじゃん。せっかく車を見付けたと思ったのに、調べようもないし、どうしたらいいの?」
ユウコは、 いっそ男子たちに全部打ち明けて協力してもらおうか? それとも今から帰る道を変えてみよっか? とも言い出していた。
「男子に手伝って貰うって言っても、何て説明すればいいの? 乙音ちゃんや音也くんの秘密まで説明しなくちゃならなくなっちゃうかもしれないよ。それから今日は、これから道を変えたとしても、今度はそこでは何が起きるか分からないんだよ。わたし達が持ってる、たったひとつの〝切り札〟は、無限にある未来の〝そのひとつ〟を知っているってことだけってことなんじゃないの?!」
ナオが一気にまくし立てていた。
ユウコは唸りながら
「やっぱそうだよネ。唯一〝知ってる未来〟を利用しない手は無いよね」
今言ったことは忘れて、とうなだれた。
するとカコが言った。
「ナオの言う通り、ひとつの事故を知ってるってことは、これが逆にチャンスになるんじゃないかって思うんだ」
「そう、今は何もしないのが、ベストになるってことだよね」とナオ。
「うん……だからそれを〝崩さないように〟しないといけないんだと思うの。そして、仮に何かが起こったとしても、外に広がる〝波紋〟を最小限に抑えながら、わたし達だけでジンジを助ける方法を考えるしか無いと思うよ」とカコ。
「そう言うことになるんだよね。やっぱり……でも何とかするって、どうしたらいいのよ?」
ユウコは、また空を見上げた。
今度のそれはは、睨み上げだった。
男が、意図的に降らせている雨は、いつ止むとも知れず、ゆるくゆっくりと降り続いている。
そう思うだけで、出口の無い迷路に迷い込んでいるような気分だった。
45
「ちっくしょう」
男は運転していた営業用軽自動車の中で独り言を呟くと、ワイパーのスイッチを強に変えた。
「早く帰って、報告書を書かないと」
昨日までにやっつけなければならない報告書をまだ提出していない。
いくら何でも、上司は明日まで待ってはくれないだろう。
早く会社に戻って、上司が帰宅する前に提出しなければならない。
上司は、定時になると後は任せたと部下に言ってすぐに帰ってしまうからだ。
男は左腕の時計に目を走らせた。
「書く時間が無くなっちまう」
焦った男はアクセルを強く踏み込んでいた。
降りしきる雨の中、車のタイヤは水飛沫を派手に跳ね上げながら旭東通りを橘通り一丁目にある会社へと向かっていた。
しかし男は、一度はアクセルに力を加えたものの、慌ててスピードを緩めていた。
そして「危ない、あぶない」と独りごちながら、車内に掛けてある絵に触れていた。
子供が描いた絵である。
男が営業車を使う時には必ず、娘が描いてくれた絵を、紐つき透明ケースに入れてラジオのスイッチに掛けているのだった。
何故なら、そこが一番目に止まる場所だからだ。
絵の中の幼い娘の笑った顔が見える。
画用紙にクレヨンで描かれた絵は、黄色い太陽の下で、母と娘と自分が仲良く手を繋いで笑っている絵だった。
それを畳んで、娘の顔が見えるようにして、プラスティックのケースに入れ、紐を通してぶら下げるようにしているのだ。
目の前の、昭和町交差点の信号が赤になった。
車はゆっくりと止まった。
*
「もう、そろそろ行くぞ」とイケピンが声を上げた。
何度目かの信号を待っていた男子たちは痺れを切らしていた。
「信号、変わったよ」とシンコがみんなに見えるように傘を持ち上げた。
すると、ナオが突然足を止め、ユウコの腕を摑んでいた。
どうしたの? とユウコはナオを見る。
ナオの目は大きく開かれ、交差点の先を見ていた。
交差点の先で信号待ちをしている車に、カコも気付いていた。
三人はその車のドア横に、緑色で文字が書かれているのを見た。
さっき走って行った営業車と同じ会社の車で、今度の営業車は、一ツ葉の方からやって来ていた。
まさか……と三人は振り返った。
背後から、大型のトラックがそこまで迫ってきていた。
⑬へ続く……
06 その先の向こうに… ⑫
⑬の掲載は、5月22日(金)を予定しています。ご意見、ご感想、お待ちしています。
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