「風、薫る」の女たち
3月末よりスタートした朝の連続テレビ小説「風、薫る」を観ている。大好評に終わったらしい前作「バケバケ」がどれだけ素晴らしいドラマだったのか、私は観ていなかったから分からないが、とにかくWebニュースを見ると、前作とは違い展開が遅いとか、全体的に暗いとかそれは惨憺たる評価である。視聴率もかなり悪いらしく、歴代ワーストナンバーワンも時間の問題、というような記事を目にしたりもした。
今時、朝の慌ただしい時間にゆっくりテレビを観ることの出来る人は一握り。録画機も普及している現在では、何もその時間にわざわざテレビの前に座って、リアルタイムでドラマを観ようという人もそんなにいないのではないか。第一、ドラマを製作しているNHK自体がアプリを用意し、一週間見逃し配信のできるサービスを提供して、見逃したらそれを使って観るようにと盛んに宣伝もしているのだから、視聴率も何もあったものではない。
私は前作「バケバケ」が「ゲバゲバ」だと思い込んでいたぐらいだった。今回の「風、薫る」も看護師の話であるから興味のない人にとっては、「風邪、治る」 だと思っている人もいるかもしれない。つまらない駄洒落はさておき、毎日観ている者にとっては外野の意見など、この際どうでも良い。仮にもし展開が遅いとか、雰囲気が暗いなどと思っていながら観ていても、いつかそれらがパッと霧が晴れたように華やぐ時が来る。それがドラマというもの。始まってまだ一月であるから、そう急ぐことはない。
あくまで個人的な見解だが、明治初期がどんな時代だったかということをある程度の時間をかけて、視聴者に説明的な意味も含めて見せなければ、その後に展開するストーリーに説得力がない。あの時代をきちんと理解出来ている現代人がどれだけいるのか、太平洋戦争のことでさえどこと戦争したんですかなんていうような若い人がいるというくらいだから、女の自立がどれだけ不可能に近いものであったか、女が結婚してもその結婚が失敗に終わったらどれだけ過酷な人生になるのか、まずは知ってもらわなければならない。
前作の「バケバケ」を観ていた人は、同じ時代背景だから何かと分かっているから、飛ばしてしまっても問題ないと思うだろうが、テレビドラマは視聴者が初めて観るものという前提があって製作するのだから、こういった重複する場面があることや描き方の相違があるのは仕方がない。第一、同じ時代でも切り取る角度や場面、人物によって見え方が随分違うのである。
ドラマについてあれこれ語るつもりで書いたわけではないが、この一ヶ月、「風、薫る」を観てきて最も印象に残ったシーンが一つあった。 それは根岸季衣が演じる鶴吉の母・貞が、初孫の環と別れた後のシーンである。
当時、男児誕生こそが女の手柄、家の安泰とされていた時代。貞は初孫が女児だったことで、男児を産まなかった嫁のりんと、孫の環にきつくあたっていた。しかし、子宝というくらいであるから、女児である環に対しても祖母らしい愛情が次第に湧いてきたのだろう。これからずっと一緒に暮らすであろう筈の環の好物である小魚の佃煮を環のために作ったが、当の環は自分に懐かず、しまいにはりんと二人で再び家を出た。目論見外れた貞は落胆し、鍋に残った小魚の佃煮を一人侘しく食べていた。そこに、親の心子知らずの大酒飲みのバカ息子・亀吉が「女のくせに偉そうに」と息巻いてやって来た。
元はといえば、亀吉の酒量の酒癖が悪いところや、りんに対しての横柄な態度などが離縁の原因である。それだけでも腹立たしいのに、年老いて息子にしがみついて生きていくより他に道がない貞は、自分が蔑まされているような気持ちになったのだろう。亀吉の頭を叩きながら、「おらも女だ、女でババアだ、くそババアだ」と喚き散らした。この時点で嫁であるりんは環を連れて家を出た後だったが、それでも女という同じ立場が嫁と姑という関係を超えた瞬間だったのかもしれない。同時に、明治初期の女がどういう立場にいてどういう扱いを受け、如何なる屈辱に耐えて生きていたかを、明治という新時代を生きながらも登場人物の中で最も古いタイプの、時代に取り残されていくだろう女である貞と、あのシーンに籠めていたように思う。
女が手っ取り早く金を稼ぐ手段はここに書くまでもなく、そういった手段しかなかった。そういった男のやらしい眼差しや、社会の色目が絶えず女を苦しめていた。男尊女卑が当たり前の時代であったあの時代にあってさえ、それでも自活の道を模索し、人生をかけて生きた女たちがいたのである。そういった女たちの奮闘を体現するように、19世紀最後の年の1899年(明治32年)、川上貞奴は日本初の女優となり、迎えた20世紀早々の1901年(明治34年)、与謝野晶子は歌集「みだれ髪」で歌壇に登場、それから10年後、間もなく明治が終わろうとしていた1911年(明治44年)、女性解放運動家の平塚らいてうは雑誌「青鞜」を創刊した。
明治も後半になる頃には女たちの意識も少数だが大きく変わり、その志は迎える大正という新たな時代を生きる女たち、その代表格であった新劇の女優・松井須磨子や歌人の柳原白蓮らへと繋がって行くのである。
そうとは知る由もないりんと直美が、これからどんな女の人生を歩んでいくのか、ゆっくり見守りたい。
「風、薫る」の女たち
2026年4月26日 書き下ろし
2026年4月29日 「note」掲載