06 その先の向こうに… ⑩

34章~36章

34

 木曜日。
 カコ、ナオ、ユウコ、そして乙音の四人は、ユウコの教室でお弁当を広げていた。
 カコが〝バスを待つユウコ〟の夢の話をしてから八日が過ぎていた。
 乙音がお弁当のメンバーに加わるようになったのは月曜日からで、カコが〝事故の夢をもう一度観ることが出来れば〟とおばさんに頼んで欲しいと相談してからだった。
 それに、音也の事件以来、ナオとユウコも乙音の秘密を知ったのだから、一緒にいる方が何かと都合がいい。
 何しろ乙音のそれは、時間なんてお構いなしだからだ。
「ねぇ、これからどうする?」とナオが箸を止めた。
 思い切って切り出していた、という感が強かった。
 いただきます、をしての、最初の台詞がこれで、それまでの四人はだた黙って口を動かしているだけだったのだ。
 カコの箸も止まった。
 ユウコは箸でおかずをひとつ摘まむと、乙音の前にひっくり返して置いてあるお弁当の上蓋の上に置いた。
 乙音は手を伸ばすと、それを摘まみ上げて口の中に放り込んだ。
「とにかく、わたしたちが観た夢の通りに……」
 ナオの言葉がそこで止まった。
「近い将来ジンジは事故に遭遇する。それを頭に置いて行動を起こすしかないと思うんだ」
 ナオの言いたいことを引き継いだのはカコだった。
 その言葉は、ある意味単刀直入であった。
「わ、わたしもそう思ってる」
 ナオは目を丸くしていた。
「やっぱりそうだよね、もしかしたら事故に遭わないかも……じゃ駄目なんだよね」
 ユウコも強く頷いていた。
 事故のことは考えたくない、でもそこが一番肝心なところなのだ。
「じゃあやっぱり、今できることは、ジンジを撥ねる車を見付けることだよね」とナオ。
 思っていることを言わなきゃ、何も進まない。
「それしかないと思う。それも雨が降る前にね」
 ナオの言葉を確かめるように、ユウコが返して続けた。
「逆に言えば、雨が降るまではわたし達には時間があるってことだよね。その前に(車を)見付けようよ」
「天気予報だと、しばらく雨にはならないみたいだよ」とカコ。
「わたしもそれ確かめた。テレビの天気予報だけどね……」
 ナオの言葉に、ユウコも見たと言った。
 どうやら三人とも、これから先の天気をしっかりと確認しているようだ。
「じゃあ。とにかく」とユウコが大きな声を上げた。
 教室の生徒たちが何事かと振り向いていた。
 ユウコは慌てて、何でもないよ、と手を横に大きく振った。
 もちろん箸を持っていない方の手である。
 それから机に前屈みになると
「雨が降る前に車を見付け出そうよ」と急に囁き声になっていた。
 ナオも身を乗り出すと、同じように小声になっていた。
「あと、この件が解決するまで、ジンジを絶対一人にしないこと。帰りは特に注意だよ。見張りながらみんなで一緒に行動するようにしないとネ」
 うん、と返事をするカコとユウコの声は、更に小さくなっていた。
 すると
「カコさん、ナオさん、ユウコさん、元気出して、いく、ぜったい、なんとか、できる」と声をあげたのは、三人の会話をすべて頷きで返していた乙音であった。
 三人の声が小さくなってしまったので、元気が抜けてしまったと勘違いしたのである。
「そうだよね、元気出さないといけないよね」とユウコが乙音に、少し大袈裟な笑みを作った。
「そうだよ。危ない未来がやって来るかもしれないって分かってるなら、みんなで何とかしようって思うのは当たり前じゃない。さぁ、元気だしていこうよ」とナオ。
「動かないと、何も解決しないもんね」
 カコも元気良く声をあげた。
 もちろん、教室のみんなが驚かない程度の大きさであった。
    *
「それじゃあ(さ)、どうやって車を見付ける?」
 ユウコがまた、おかずのひとつを蓋の上に乗せた。
 乙音は素早く拾い上げて口に入れた。
 続けてナオも、おかずを置いた。
「どこの、何ていう車かまったく分からないよね」
 中学生の女の子にとっての車とは〝便利な乗り物〟くらいの認識しかない。
 車種が分からないのは仕方のないことだ。
「白い車で、ドアの所にカタカナで大きく字が書いてあったよね。確か緑色で……あれは多分会社の名前だったと思う」
 カコもおかずを置いた。
 ナオがさっき置いたおかずは、とうに消えている。
 緑色で、太くて角張ってて……
 三人は今も話をしながら、夢の中身を思い出している。
 これまでも、何度も思い出そうと試みてはいるが、どうしても肝心なところが浮かび上がってこない。
 色々な場所で、心が一番落ち着くであろう、湯船に浸かっている時とか、寝る前とかも試しているが、集中すればするほど、その部分に霞が掛かったようにぼやけしまうのである。
「やっぱり、どっかで捜すしかないよね」とユウコ。
「仕事で使ってる車だったから、会社の名前が直ぐに目に入らないと駄目じゃない。だから今度、一回でも目にすれば、それだ!って絶対に分かると思うんだ」とナオ。
「わたしもそう思ってた」
 ユウコは言葉を切って、いったん牛乳を飲んで
「だからそう、それでね、考えたんだけど、別々にじゃなくて〝4人〟で一緒に捜した方がいいと思うんだ」と続けた。
「そうだよね。わたしもそれがいいと思ってた」とカコ。
 わたしも、とナオ。
 え?っと驚いた三人は、お互いに顔を見合わせた。
「なぁ~んだ、みんなそう思ってたんだ。それならさっそく始めちゃおうよ」
 ユウコの声がまた大きくなっていた。
「じゃあ、どこにするユウコ、そこまで考えてたんだから、もう決めてんでしょ?」とナオが訊くと
 ユウコは、えっへん、と鼻を膨らました。
「車の量が多い方がいいから、橘通りだと思ってるんだけど、どうかな?」
「それいいね、そうしよう」とカコとユウコは、即座に賛成した。
「それじゃあ、しあさっての日曜日に集まろうよ。いい?」
 一番早く集まれるのがその日なのである。
 二人に異存はなかった。
 それじゃあ、とカコは、左隣の乙音に向かって言った。
「乙音ちゃんも手伝ってくれるよね?」
 すると乙音は、メロンパンが口から飛び出さんばかりに驚いていた。
「え、え? わたしも、いい、ですか?」
「いいに決まってるじゃない」とユウコが、何度目かのおかずを置いた。
 口の中には、まだメロンパンが残っているのに、乙音はすぐに摘まんで放り込んだ。
 そして今度は、カコがおかずを置いた。
「乙音ちゃんが食べると思って、少し多めに作ってきたんだ」
「ぜ、ぜ、是非、します、うんにゃ、一緒に、車探し、させて、いただく、です」
 うろたえ騒ぐ乙音を、三人は、お願いね、と笑った。
「じゃあやっぱり、綺麗なトイレがある所がいいよね」とカコが提案すると
「そうだよね。それ大事だよね」と二人。
 遅れて乙音も、首を縦に大きく振っていた。
「デパートの前にしようよ。車も多いし、中のトイレは綺麗だしね」とナオ。
「トイレは大事だよね」と二人。
「信号もあるから、車が止まって見付けやすいかもね」とカコ。
「それ絶対大事、メモ取りやすい」とユウコ。
「車に電話番号とか書いてあるよねきっと……」とカコ。
「絶対だよ」とナオ。
 そうだよ、うん、うん、うん、と三つの顔が同時に頷き、少しだけ遅れて乙音が首を縦に振った。
「少し希望が見えてきたんじゃない?」とナオ。
「上手くいくかもしれないね」
 ユウコは嬉しそうだった。
 ナオとユウコの明るくて元気な声を聞きながらカコは、何故かジンジがボールを追いかけて走っている姿を思い浮かべていた。
 するとユウコが、こんなことを言い出した。
「なんかさぁ、ちょっと不謹慎かもしんないけど、わたし……少しだけワクワクしてるんだけど」
 カコは、はっ、としてユウコを見た。
 ユウコはどんなことでも良い方向に考える性格(たち)で、車探しも絶対に上手くゆくと考えている。
 やれば出来る……
 叶う……
 その気持ちが、今回に限らず、どんなときもみんなの強い支えになっているのだ。
「そう、わたしもそう」
 カコは、自分でも確かめるように声に出した。
「絶対、見付けようね」とナオ。
「ぜったい、です、母、言った、精一杯、やれば、不器用、でも、いつか、必ず、できる、なる、心で、思う、一番、大事、必ず、通じる、……?、通じる、どう言う、意味、……?」
 乙音は自分の言っている言葉に首を傾げているのに、三人にはしっかりと分かっていた。
    *
 それからは、いつもの楽しいお弁当の時間が過ぎていった。
 友だち、部活、男子のこと、取るに足らない小さな悩み、それと乙音のご飯の食べ方だった。
 ナオとユウコは、こんど絶対乙音に箸の使い方を教えると言い張った。
 あとおばさんの不思議な力のことなど……
 特におばさんの不思議な力については、盛りだくさんの話題だった。
 乙音に訊いても、乙音が答えられるわけもなく、それでも一所懸命に考えて、それでいってしどろもどろの答え方が可笑しくて面白くて、そして楽しくてしょうがない時間が流れていた。

35

 夕暮れの日差しの中、おばさんは立水栓に繋いだホースを使って庭に水を撒いていた。
 庭の中では、ユベールが所狭しと駆け回っている。
 おばさんは目尻にシワを寄せて、音也、を濡らさないように注意しているのだが、ユベールにとってはどうでもいいことだった。
 今は庭を飛び回って遊ぶことが大事で、身体が濡れることなど関係ないのだ。
 たっぷりと水を浴びた草木は、夕暮れの日差しを浴びてキラキラと輝いている。
 その草木の間を、ユベールは何か新しい物が発見できるかもしれないと期待しながら走り回り、ときおり立ち止まってはそこかしこを覗き込んでいた。
 驚いた虫たちが、草むらから何事かと飛び出してくる。
 見付けた、とユベールが飛び掛かる。
 捕まってはたまらないと逃げる虫たち、それを追うユベール。
 まだ学校から帰ってこないムーンを待ちながら、ユベールは一人で遊んでいるのだった。
    *
 入間家は細い幅の木板を縦格子にした塀で囲まれている。
 門も同じように縦板を繋ぎあわせた開き戸だ。
 いわゆる木戸である。
 庭を囲む塀の高さは大人の肩ほどだが、すぐ内側を木が覆っていて、中のようすはその間からしか見ることが出来ない。
 そこからは草花が生い茂っているのだが、庭の全てが覆われているわけではない。
 リビングの窓の前は剥き出しの土となっていて、三人が身体を動かせるくらいの広さがあった。
 それと木戸へと続く肩幅ほどの道もそうだった。
 不思議なことに、草花は、ある境から突然に生い茂り、塀まで広がって緑の領域を作っているのである。
 だんだんとでは無い、ある場所から突然に生い茂っているのである。
 土を盛って段差を作っているわけでもないし、レンガやブロックを使って区切っている訳でもない。
 まるで線を引いて区切りをつけているかのように、そこから群れているのだ。
 もっと観察してみると、茂っている所にも、手入れがされている場所と、されていない場所があることに気付かされる。
 されていない場所は、まだ手を入れていないだけで、これからやろうと考えているのか?
 それが意識的なのか?無造作なのか?は、傍目から見ても判断に苦しむところだ。
 しかし手入れのされていない(ように思える)場所には、ハッカ、カタバミ、タンポポ、アロエの他に、見慣れない草花が数多く茂っていた。
 カコたちが聞いた話によると、その中にチドメグサも生えているとのことだ。
 チドメグサを主流として作った軟膏を手のキズに塗るようにと、おばさんはジンジに渡していたのだ。
 そう考えると、手入れのされていないように見える場所も、意識してそうしているとしか思えない。
 雑然としているようで、整然としている。
 入間家の庭は、まるで小さな植物園のようであった。
    *
 庭の水撒きは午前中に一度、ムーンとユベールを学校に送り出した後に行う。
 朝はほぼ必ずだが、午後は庭の乾き具合を見ながら判断する。
 今日は晴れて日差しが強かったので、暑さを和らげるために打ち水を兼ねた水撒きをすることにしたのだった。
 水気を帯びた庭の上を風が渡ると、空気がヒンヤリとしてきた。
 頬を撫でる風に、おばさんは満足そうに、うん、と呟くと、立水栓の横にホースを片付けながら
「お家に入るわよ」と声をあげた。
 少し間を置いて、ユベール……とまた声を掛けたが、二度とも返事が返ってこなかった。
 いつもなら、まずは鳴き声で返してくるのだが、今日に限ってそれがなかった。
 どうしたの?と顔を上げて庭を見回してみるが、姿が見えない。
 ホースを片付けるところまでは確かにいたはずだったのだが……
 また呼んでみた。
 するとやっと、木戸の近くから気配が返ってきた。
 木戸の右側で、塀と塀が交差している角だった。
 草木がそこだけ、大きく、忙しそうに揺れていて、ユベールの背中がその間から見え隠れしていた。
「何してるの?」
 また何か、見慣れない虫でも見つけてチョッカイを出しているのだろう、と声を掛けながら近寄っていった。
 しかし……ユベールは虫を相手にしているのではなかった。
 一心不乱に、土を掘り返していたのである。
 おばさんは、ユベールの作業を邪魔をしないように上からそっと覗き込んだ。
 土の中から何かが姿を現そうとしていた。
 するとユベールが、ナゥ、と啼いた。
 音也だったら、見付けた、と言ったに違いない。
 横に並んで屈み込んだおばさんを、動きを止めたユベールが見上げた。
 それっきり動かない。
 これを取れ、と言っているのだ。
 おばさんは、それを手に取った。
 それは……大人の親指くらいの大きさに丸められた紙であった。
 紙は和紙で出来ていた。
 まだ新しく、地中の虫に食べられたようすはない。
 埋められてから、それほど日数が経っていないようだ。
 和紙は、中央部分を黒い紐で結んで綴じられていた。
 おばさんは顔を近付けて、細かな所まで観察した。
 黒い紐は丹念に編み込まれたもので、ムーンやユベールが首に巻いていたリングの編み方に似ていた。
 和紙の片方の端から鉛筆の先が覗いている。
 おばさんは鉛筆を抜き取った。
 鉛筆は短く、使い古されたもので、ハンドル付き手回しや電動の鉛筆削りでは、削り部分の穴の中に潜ってしまい、取り出せなくなるほど短かった。
 おばさんは紐を抜き取り、丸められた和紙を広げた。
 和紙は人の形をしていた。
 そして……人形(ひとがた)の胴体にあたる部分には、カコの名前が筆で書き込まれていたのである。
 ここは……とおばさんは顔を上げて、埋められていた場所を確認する。
 木戸の右側、南側の格子塀と西側の格子塀がぶつかる角、人形の紙が埋められていたそこは、家の中心となるリビングから庭を向いて正確に〝南西〟の位置であった。
    *
「他にもあるの?」
 おばさんは呟くように、まるで独り言のように声を出していた。
 心なしか声が震えているのが、自分でも判る。
 ユベールは駆けだした。
 その先は、おばさんが予想していた方角のひとつだった。
 ユベールは、南側の格子塀と東側の格子塀が接する位置に向かった。
 リビングから(庭を)見て、左端の角となる〝南東〟の場所だった。
 行ってみて気が付いた。
 そこは普段はあまり踏み込まない場所であり、草で覆われているはずなのに、そこだけ地面が見えている。
 最近誰かが入り込んで邪魔な草を抜き、土をいじったに違いない。
 カコの人形が埋められていた〝南西〟の場所のすぐ左横には木戸があり、人が通る場所だ。
 だから無造作に掘り返したままにしていたら、直ぐに見付かってしまう。
 しかし今回の左奥は、普段は人が近付かない場所である。
 だから埋めた本人も、気付かれないだろう、とそのままにしておいたに違いない。
 そこには、髪留め用のピンを包(くる)んだ人形が埋められていて、今度はナオの名前が書かれていた。
    *
 ユベールが次に移動した場所は、リビングの窓の前に立ってから庭を見て、右後方の角だった。
 西側の縦格子と家の裏側となる北側の縦格子の角となる〝北西〟の場所に、ユベールはユウコの人形を掘り当てていた。
 ユウコの人形にはチビた消しゴムが包まれていた。
 鉛筆、ヘアピン、消しゴム、それぞれがその人物を特定づけられる、その人がこれまで使っていた〝物〟が、和紙を切り取って作られた人形に包まれていたのである。
 あの男が、何かを意図して埋めたことは疑いようがなかった。
 そして三人のそれらの物を、どうやって手に入れたのか?も、おばさんには容易に想像できた。
 男は、生徒たちが教室にいない時間を見計らって潜り込んだのだろう。
 体育や、技術・家庭の時間で、教室を離れなければならない授業のときだ。
 その時間を見計らって、カコ、ナオ、ユウコの持ち物を盗み出したに違いない。
 また、学校に侵入するのも、あの男にとっては造作もないことだ。
 かりに学校の教師や職員に声を掛けられたとしても、相手の意識を一時的に操ることが可能だからだ。
 相手は男を同じ教員か職員、または存在していない人として認識させられていたに違いない。

36

 おばさんは、この〝方法〟に思うところがあった。
 三体の人形を眺めながら、最後は北東ね、と声を掛けると、ユベールは家の真裏となる北側の格子塀と東側の格子塀の角へと走っていた。
〝北東〟は陰陽道でいう、いわゆる鬼門である。
 逆にカコの人形が埋められていた南西は〝裏鬼門〟と言われている。
    *
 入間家の鬼門の角には柊(ヒイラギ)が植えられていた。
 柊は、冬に白い小花が集まって咲いて甘い芳香を放つ、モクセイ科モクセイ属に分類される常緑小高木の一種である。
 棘状の鋸歯をもつ葉が特徴で、邪気を払う縁起木とされているのだ。
 その柊の根元にも、丸められた和紙が埋められていた。
 和紙の両端からは、黒い髪の毛が覗いている。
 しかし……おばさんはそれを手にするなり
「違う、何故?」と漏らしていた。
 束ねられた髪の毛は、彼女自身のものでは無かったからだ。
 おばさんは紐を抜き、和紙を開く。
 今度の和紙は人形ではなく、ただの長方形で、そこには何も書かれていなかった。
 三つ目を掘り出したところまでは、最後の鬼門に埋められているのは自分の〝何か〟だと思っていたのだが……
 おばさんは、埋められていた四つの〝それ〟の意味をハッキリと理解していた。
「だまされた」
 ユベールがおばさんを見上げて啼いた。
    *
 結界とは……
 ある領域内を守る目的で、何らかの手段や道具を用いて、霊的もしくは魔術的な〝防御〟を施すことをいう。
 例えば、修行者(あるいは霊的な能力を持つ者)が、その力を用いて外からの悪霊を〝中に進入させない〟壁を作り上げるのも結界のひとつである。
 今回の場合は、入間家の……つまりおばさんの張った結界(塀)の内側に、もうひとつ別の結界が作られていたということだ。
 その道具となるのが、カコ、ナオ、ユウコの三人の人形と、それぞれの身近な持ち物だ。
 そして、男の髪の毛である。
「やってくれたわね」
 おばさんは、自分自身に毒突きながら駆けだしていた。
 男は結界の中にもうひとつ自分の結界を作り上げることで、おばさんとカコ、ナオ、ユウコに〝間違った考え〟を植え付けていたのだ。
    *
 おばさんは玄関へ飛び込み、そして直ぐに出てきた。
 手には木箱を持っていた。
 ユベールを治療したあの木箱である。
 おばさんは庭の中央に木箱を置き、四つの辺がしっかりと東西南北を差すように調整した。
 そしてその中に、掘り出した四つを丁寧に並べて置いた。
 すると再び、おばさんは慌てて家の中に入っていき、戻ってきた時には手にマッチ箱を持っていた。
 箱の前に両膝をつき、マッチを擦り、火が安定するのを待って、箱の中の四つの和紙に移した。
 和紙は土の中に埋められてたために湿気ってはいたが、やがて炎をあげた。
 同時にカコの鉛筆、ナオのヘアピン、ユウコの消しゴム、男の髪の毛が炎に包まれた。
 おばさんは炎を見詰めながら箱の前に正座をし、両手の指を組んだ。
 複雑に絡んだ、見たこともない奇妙な組み方だった。
 炎を凝視する――
 臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前、ゆっくりと一語一語はっきりと、九つの言葉が口から流れでた。
 ひとつの言葉を放つと同時に、指を組み替える。
 言葉とともに、九つの印を結んだのである。
 それはいわゆる九字護身法(くじごしんほう)と言われるもので、九字の呪文と九種類の印によって邪気を払う作法だった。
 そしておばさんは、最後の〝前〟の印を解くと、両手を炎の上にかざした。
 掌を、炎が舐めるように炙った。
 おばさんは歯を剥き出して食いしばり、再び九字の言葉を唱えた。
 すると……言葉とともに炎がおばさんの手から離れていった。
 それはまるで、透明なガラス板を炎の上から押さえつけたかようだった。
 炎は潰れ、前後左右に流れていったのである。
 おばさんは続けた。
 全てが燃え尽き、炎が消えるまで言葉を続けた。
 やがて箱の中は、鉛筆の芯、焦げて縮んだ消しゴム、すすけたヘアピン、……そして灰だけとなっていた。
    *
 大きく、ひとつの呼気が、おばさんの身体から漏れるように流れ出た。
 息が、灰にかかる。
 灰は静かに舞い上がり、ユラユラと揺れて彷徨った。
 そして……灰の中から四匹の蟲が姿を現していた。
 直後に、ユベールが箱の中に飛び込み、次々と蟲を貪った。
 蟲は、よほど強烈な力を持っていたのだろう――
 貪るそばから、ユベールの尾は天を衝き、先端から根元まで一気に二つに別れていた。
 ニャウ
 もっと食べさせろ、とおばさんを見上げるユベールの右目だけが……金色に輝いていた。
 ポツリ
 一滴の雨粒がユベールの額を叩いていた。
 それが、二つ三つと数を増やしていった。

 ⑪へ続く……

06 その先の向こうに… ⑩

次回⑪の掲載は、2週間後の4月24日(金)を予定しています。
ご意見、ご感想、お待ちしています。
質問も、歓迎です。
syamon_jinji@proton.me

06 その先の向こうに… ⑩

夕方、乙音の帰りを待っていたユベールは、庭の隅である物を掘り出していた。……ちょっと不思議な物語。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-04-10

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著作権法内での利用のみを許可します。

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