祝・井上二葉先生「毎日芸術賞」受賞

祝・井上二葉先生「毎日芸術賞」受賞

 昨晩、床に就く前、ウェブ・ニュースを見ていたら、とても嬉しい一つのニュースが目に留まった。私の敬愛するピアニストの1人である井上二葉先生が、「第67回 毎日芸術賞」の音楽部門を受賞したというニュースである。日付を見ると今年1月のことである。こんなおめでたい記事がどうして今まで私の目に留まらなかったのか不思議でならなかったが、二葉先生と私を繋いでくれた日本フォーレ協会のホームページばかりを熱心にチェックしていたからかもしれない。
 記事には他の受賞者と共に撮影された記念写真が1枚と、ご自宅の練習室で撮影された二葉先生の近影2枚が掲載されていた。その主なる受賞理由は自身が行った独奏会と、エラールピアノ演奏会、そして2024年、ガブリエル・フォーレ沒後100年を記念し演奏会を開いたことである。そうは言っても、二葉先生がフォーレの沒後の大きな節目の年に演奏会を開いたのは、これが初めてのことではない。

 二葉先生は今から52年前の1974年、フォーレ沒後50年の年にイイノホールで、彼のピアノ曲の全曲演奏を行っている。この全曲演奏は日本初の試みであった。当時40代半ばに差し掛かり、円熟期を迎えていた二葉先生が取り組むには絶好のタイミング、巡り合わせであったと思われる。この演奏会の成果に対して福山賞が贈られている。それから半世紀を経た2024年、フォーレ沒後100年を記念し、二葉先生は再び大きな節目の年に記念演奏会を開いたわけである。

 私は昨年、「井上二葉先生のこと」と題したエッセイの中でこの演奏会について言及した。
 半世紀を経て、同一ピアニストがその2度の大きな節目の年に演奏会を開いたことは、「歴史的な偉業であると言っても過言ではない」と。その理由も書いたが、まずその年まで生きていなければならないという、本人にはどうすることもできない大きな前提が一つ。その次に健康でなければならないということ。そして、ピアノを演奏する技術と気力体力がなくてはならないということ。これらのハードな条件を全てクリアしていなければ、どうやっても開くことができなかった演奏会である。まだ若かった力漲る半世紀前の演奏会とは全く違った意味を持つ演奏会であるが、その二つは決して別物ではなく地続きであり、それが何よりの偉業なのである。
 二葉先生の偉業が、このような然るべきところで評価され認められて、今回の「毎日芸術賞」音楽部門を受賞したことは、私の抱いていた二葉先生への評価といってはおこがましいが、それが認められたような気がして嬉しかった。

 二葉先生の受賞の言葉として、いの一番に周囲の方々への感謝があった。ピアニストはあるところまでは教師に指導を仰ぐことはできるが、一人立ちした後は自分でその作品をひたすら勉強し、理解し完成させなければならない。正解は誰も教えてくれない孤独な作業である。自分で導き出すしかないのである。そういう立場になってからの方が圧倒的に長いピアニスト人生であった筈だが、やはりそこには名前こそ出なかったが、先にあげたラザール・レヴィ先生と、東京音楽学校(現・東京芸術大学)で指導を受けた最大の恩師である安川加壽子先生に対する感謝の思いが込められているのだろう。

 ピアニストとして一人立ちした後、自分のするべきこととして、フォーレの作品をとことん勉強し、それを聴衆に届けることだと思い、ライフワークとして半世紀以上に亘り演奏活動に取り組んできた。もちろん、他の作曲家の作品も演奏しているが、それでも自分の最も得意とする作曲家はフォーレだと断言してもいいくらい、一途に1人の作曲家の作品を演奏し続けてきたその心持ち、心意気は並大抵のものではない筈である。だが、二葉先生のその人柄を知ると、そんな大層な気負いなどなかったようにも感じる。簡単には理解できない、演奏できるものではないからこそ、ただただ一生懸命勉強をするしかないのだと。そして何より、「美しいと思うものに仕えて過ごせることは幸せなこと」という言葉に、私は酷く感銘を受けた。まず作曲家がいて、その作品があって、そして自分が存在するのである。その順番のどれが逆になってもいけない。その順番であるからこそ「仕える」という言葉が自然と口に出るのだろう。クラシック音楽への畏敬の念とでもいうのだろうか。

 何十年と追求し続けても尚、正解を見出すことのできない長い歴史を持つクラシック音楽の世界で約1世紀に亘り、文字通り人生を賭け作曲家とその作品に真摯に向き合い、ピアノと共に歩んできたその生き様に、私はただただ畏敬の念を抱きひれ伏すことしかできない。もしかすると、それは二葉先生が作曲家やその作品に抱く思いとある意味、同様のものと言えるのかもしれない。

 二葉先生の恩師である安川加壽子先生は、50代後半に体調の異変を感じ、リウマチの悪化のため61歳で惜しまれつつ演奏活動から身を引き、それから13年後、74歳でこの世を去った。
 安川先生が亡くなられた時、二葉先生は教育者としての安川先生を称えることが出来るか否かは、教え子である私どもの日常に懸かっていると語っている。その意味では、それから30年、亡き恩師の教えを守り、その人生もキャリアも遥かに超え、今もピアニストとして飽くなき探求と勉強を続けている二葉先生は、十二分に教育者としての安川先生を称え、その恩に報いることが出来たと言っても過言ではないかもしれない。

 私は二葉先生の存在とその生き方、(フォーレを中心としたその演奏を収めたCDがないため)耳にする機会は少ないが、そのピアノの音色に酷く感銘を受け、生きる勇気をいただき励まされている。きっとそれこそが、音楽を通してピアニストという芸術家が果たさなければならない、最大の使命であるのかもしれない。

祝・井上二葉先生「毎日芸術賞」受賞

2026年3月23日 書き下ろし
2026年3月25日「note」掲載

祝・井上二葉先生「毎日芸術賞」受賞

約一世紀に亘り、ピアニストとしてクラシック音楽と真摯に向き合い続けてきた井上二葉先生の、「毎日芸術賞」受賞によせて。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-03-25

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