di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~  第三部  第五章 金科玉条の紅を

di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~  第三部  第五章 金科玉条の紅を

こちらは、

『di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~』
第三部 海誓山盟  第五章 金科玉条の紅を
                          ――――です。


『di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~』
第三部 海誓山盟  第四章 金枝玉葉の漣と https://slib.net/124863

                 ――――の続きとなっております。


長い作品であるため、分割して投稿しています。
こちらに、作品全体の目次があります。
https://slib.net/106174

〈第四章あらすじ&登場人物紹介〉

〈第四章あらすじ&登場人物紹介〉

===第四章 あらすじ===

 暑い夏の盛り。ミンウェイをシュアンのもとに送り出し、ルイフォンとメイシアは草薙家に行ったまま。物寂しくなった鷹刀一族の屋敷で、リュイセンは次期総帥として業務に追われていた。
 ある日、怪しげな黒づくめの女が訪ねてきた。その正体は、女王アイリー。素性を隠すのと、先天性白皮症(アルビノ)の肌を守るための変装だった。
 アイリーは、義姉となったセレイエの死を確かめに来たという。どうやら彼女は、摂政である兄カイウォルからも、婚約者で異母兄であるヤンイェンからも、情報を制限されていたらしい。鷹刀一族はアイリーとは懇意にすべきだと判断し、リュイセンが『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』について語ることになった。

 セレイエから家族の話を聞いていたというアイリーは、初対面にも関わらずリュイセンに対して親しげで、先天性白皮症(アルビノ)の弱視もあって妙に距離が近い。無邪気なだけでなく、王族(フェイラ)の責任を果たそうとする彼女に、リュイセンは困惑と敬意を(いだ)いた。
 ふたりは『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』や、『ライシェン』の未来に関する意見を交わす。アイリーは「次代の王は自分のクローンとするから、『ライシェン』は父親のヤンイェンと暮らしてほしい」と告げ、リュイセンは戸惑う。ふたりの間で結論を出せるものではないので、ここで出た話はルイフォンに伝えるということで、お開きとなった。

 脱走してきた神殿への秘密の通路まで、リュイセンが車でアイリーを送ることになった。「ドライブは初めて」と喜ぶアイリー。彼女の言う『ドライブ』は、『助手席に乗って、恋人と仲睦まじく出掛けること』であるらしい。女王である彼女には一生、縁のないものだ。
 不憫に思ったリュイセンは、彼女の憧れである『恋人とふたりきりになれるような、穴場の絶景スポット』に連れて行ってやると、人造湖へのデートの真似事を提案した。大喜びのアイリーだったが、謎の襲撃者に遭ってしまう。
 襲撃者の正体は、兄である摂政の(めい)を受けた近衛隊員たちであった。アイリーの携帯端末の位置情報をもとに追ってきたのだ。女王(アイリー)と一緒にいる凶賊(リュイセン)を捕まえて、拉致犯に仕立てる魂胆だったらしい。
 アイリーは素直に近衛隊員たちと帰ることでリュイセンを逃がそうとしたが、リュイセンは「陛下には息抜きが必要です」と叫び、神業の刀技と高潔な姿勢で近衛隊員たちを黙らせた。

 無事、デートの真似事を続行できるようになったふたりは、とりとめもない話で距離を縮めながらドライブを続ける。道案内(ナビ)に使ったリュイセンの携帯端末は、今後、摂政に気づかれずに連絡を取る手段として、そのままアイリーのものになった。
 人造湖には他の観光客がいたため、目的地を獣道を抜けた先の小さな滝に変更し、真にふたりきりの場所に着いた。
 ふたりが滝に触れている最中に風が吹き、アイリーを庇ったリュイセンが、水をかぶってしまう。濡れたシャツを絞るために脱ぐと、彼の傷だらけの肉体を目撃したアイリーが悲鳴を上げた。
 アイリーは衝撃を受けつつも、傷を負った経緯をリュイセンに尋ねる。これをきっかけに、リュイセンは『過去の自分』のすべて彼女にさらけ出し、『未来(これから)の自分』は「鷹刀の最後の総帥になる」と宣言した。「諸悪の根源は『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』ではなくて、古くからの因習のようなものであり、自分はそれを断ち切るのだ」と。
 そして、王族(フェイラ)として、因習の犠牲になろうとしているアイリーに、「お前も『最後の王』になればいいんだ」と呟く。口にしてから、ことの重大さに慌てるリュイセンであったが、アイリーは、それこそが自分の採るべき道だと、「私も『最後の王』になる」と決意した。

 アイリーを秘密の通路に送るべく、神殿に近づいた際、リュイセンは筆舌に尽くしがたい『恐怖』を味わった。原因は、鷹刀一族を〈(にえ)〉として喰らい続けた、〈冥王(プルート)〉。それを見たアイリーは、〈冥王(プルート)〉の破壊を心に決める。
 そして、いよいよ別れのとき。リュイセンは、自分を見つめるアイリーの目が、恋する乙女のそれだと気づく。異性に免疫のない彼女がデートの真似事をすれば、錯覚するのは当然だった。
 アイリーへの気持ちを既に自覚していただけに、リュイセンとしては、たちが悪い。「お前は俺に、夢と理想を見ているだけ」と突き放してしまう。しかし、「見くびらないで!」とアイリーはリュイセンに抱きついた。彼の刀傷を優しく撫で、ちゃんと彼を見ているのだと、強引に口づける。
 今日一日を振り返り、「どうして、これが恋ではないと言えるのか」と詰め寄るアイリーに、リュイセンは、はっとする。立場を背負った自分たちは、逃げることはできないし、逃げる気もない。自由な恋人たちにはなれないけれど、だからこそ、特別な絆を築けるはずだ、と。
 そして、ふたりは『共犯者』になろうと決める。『自分の運命を、自分で決める共犯者』に。


===『di;vine+sin;fonia デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』===

 主人公ルイフォンの姉セレイエによる、殺された息子ライシェンを蘇らせる計画。
 王の私設研究機関〈七つの大罪〉の技術で再生された『肉体』に、ルイフォンの中に封じたライシェンの『記憶』を入れることで『蘇生』が叶う。
 また、生き返った『ライシェン』が幸せな人生を送れるように、セレイエはふたつの未来を用意した。
 ひとつは、本来、ライシェンが歩むはずだった、父ヤンイェンのもとで王となる道。
 もうひとつは、愛情あふれる家庭で、優しい養父母のもとで平凡な子供として生きる道。
 セレイエは、弟であるルイフォンと、ヤンイェンの再従妹(はとこ)であるメイシアを『ライシェン』の幸せを託す相手として選び、ふたりを出逢わせた。

『di;vine+sin;fonia』という名称は、セレイエによって名付けられた。
『di』は、『ふたつ』を意味する接頭辞。『vine』は、『(つる)』。
 つまり、『ふたつの(つる)』――転じて、『二重螺旋』『DNAの立体構造』――『命』の暗喩。
『sin』は『罪』。『fonia』は、ただの語呂合わせ。
 これらを繋ぎ合わせて『命に対する冒涜』を意味する。
 この計画が禁忌の行為と分かっていながら、セレイエは自分を止められなかった、ということである。


===登場人物===

鷹刀(たかとう)ルイフォン
『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』を託された少年。十六歳。
 亡き母キリファから〈(フェレース)〉というクラッカーの通称を受け継いでいる。
 父親は、表向きは凶賊(ダリジィン)鷹刀一族総帥イーレオということになっているが、実はイーレオの長子エルファンの息子である。
 そのことは、薄々、本人も感づいてはいるが、既に親元から独立し、凶賊(ダリジィン)の一員ではなく、何にも属さない『対等な協力者〈(フェレース)〉』であることを認められているため、どうでもいいと思っている。
 端正な顔立ちであるのだが、表情のせいでそうは見えない。
 長髪を後ろで一本に編み、毛先を母の形見である金の鈴と、青い飾り紐で留めている。
 亡くなる前のセレイエに、ライシェンの『記憶』を一方的に預けられていた。

※『ハッカー』という用語は、本来『コンピュータ技術に精通した人』の意味であり、悪い意味を持たない。むしろ、尊称として使われている。
 対して、『クラッカー』は、悪意を持って他人のコンピュータを攻撃する者を指す。
 よって、本作品では、〈(フェレース)〉を『クラッカー』と表記する。

メイシア
『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』を託された少女。十八歳。
 セレイエによって、ルイフォンとの出逢いを仕組まれ、彼と恋仲――事実上の伴侶となる。
 もと貴族(シャトーア)藤咲(ふじさき)家の娘だが、ルイフォンと共に居るために、表向き死亡したことになっている。
 箱入り娘らしい無知さと明晰な頭脳を持つ。すなわち、育ちの良さから人を疑うことはできないが、状況の矛盾から嘘を見抜く。
 白磁の肌、黒絹の髪の美少女。
 王族(フェイラ)の血を色濃く引くため、『最強の〈天使〉』として『ライシェン』を守ってほしいというセレイエの願いから、『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』に巻き込まれた。
 セレイエの〈影〉であったホンシュアを通して、セレイエの『記憶』を受け取っている。


[鷹刀一族]
 凶賊(ダリジィン)と呼ばれる、大華王国マフィアの一族。
 約三十年前、イーレオが、王家および王家の私設研究機関である〈七つの大罪〉と縁を切るまで、血族を有機コンピュータ〈冥王(プルート)〉の〈(にえ)〉として捧げる代わりに、王家の保護を受けてきた。近親婚を強いられてきたため、血族は皆そっくりであり、また強く美しい。

鷹刀イーレオ
 凶賊(ダリジィン)鷹刀一族の総帥。六十五歳。
 若作りで洒落者。
 かつては〈七つの大罪〉の研究者、〈悪魔〉の〈獅子(レオ)〉であった。

鷹刀エルファン
 イーレオの長子。次期総帥であったが、次男リュイセンに位を譲った。
 ルイフォンとは親子ほど歳の離れた異母兄ということになっているが、実は父親。
 感情を表に出すことが少ない。冷静、冷酷。

鷹刀リュイセン
 エルファンの次男。十九歳。本人は知らないが、ルイフォンの異母兄にあたる。
 父から位を譲られ、次期総帥となった。また、最後の総帥になる決意をしている。
 黄金比の美貌の持ち主。
 文句も多いが、やるときはやる男。『神速の双刀使い』と呼ばれている。
 ミンウェイを愛していたが、彼女の幸せを思い、彼女を一族から追放し、緋扇シュアンのもとに行かせた。
 その後、女王アイリーと出逢い、恋のような愛のような、曖昧な感情を(いだ)くようになる。なお、アイリーとの関係は、『恋人』ではなく、『共犯者』であると、ふたりで決めた。

鷹刀ユイラン
 エルファンの十歳以上は年上の妻。レイウェン、リュイセンの母。銀髪(グレイヘア)の上品な女性。
 レイウェンの会社の専属デザイナーとして鷹刀一族の屋敷を出ていたが、ミンウェイがシュアンのもとへ行ったため、総帥の補佐役として再び屋敷に戻ってきた。
 ただし、服飾の仕事が忙しいときには、草薙家にある仕事場に詰めっぱなしになるため、行ったり来たりの生活をしている。
 ルイフォンが、エルファンの子であることを隠したいキリファに協力して、愛人をいじめる正妻のふりをしてくれた。
 メイシアの異母弟ハオリュウに、メイシアの花嫁衣装を依頼された。

草薙チャオラウ
 鷹刀一族の中枢をなす人物のひとり。イーレオの護衛にして、ルイフォンの武術師範。
 無精髭を弄ぶ癖がある。
 主筋であるユイランを、幼少のころから半世紀ほど、一途に想っている、らしい。

料理長
 鷹刀一族の屋敷の料理長。
 恰幅の良い初老の男。人柄が体格に出ている。

キリファ
 もとエルファンの愛人で、セレイエ、ルイフォンの母。ただし、イーレオ、ユイランと結託して、ルイフォンがエルファンの息子であることを隠していた。故人。
 天才クラッカー〈(フェレース)〉。
〈七つの大罪〉の〈悪魔〉、〈(スコリピウス)〉に人体実験体である〈天使〉にされた。
 四年前に当時の国王シルフェンに『首を落とさせて』死亡。
 どうやら、自分の体を有機コンピュータ〈スー〉に作り変えるためだったらしい。
 ルイフォンに『手紙』と称し、人工知能〈スー〉のプログラムを託した。

〈ケル〉〈ベロ〉〈スー〉
 キリファが、〈冥王(プルート)〉を破壊するために作った三台の兄弟コンピュータ。
 表向きは普通のスーパーコンピュータだが、それは張りぼてである。
 本体は、人間の脳から作られた有機コンピュータで、光の(たま)の姿をしている。
〈ベロ〉の人格は、シャオリエのオリジナル『パイシュエ』である。
〈ケル〉は、キリファの親友といってもよい間柄である。
〈スー〉は、ルイフォンがキリファの『手紙』を正確に打ち込まないと出てこないのだが、所在は、〈(スコリピウス)〉の研究所跡に建てられた家にあることが分かっている。

鷹刀セレイエ
 エルファンとキリファの娘。表向きはルイフォンの異父姉となっているが、同父母姉である。
 リュイセンにとっては、異母姉になる。
 生まれながらの〈天使〉であり、自分の力を知るために自ら〈悪魔〉となった。
 王族(フェイラ)のヤンイェンと恋仲になり、ライシェンという〈神の御子〉を産んだ。
 先王シルフェンにライシェンを殺されたため、『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』を企てた。
 ただし、セレイエ本人は、ライシェンの記憶を手に入れるために〈天使〉の力を使い尽くし、あとのことは〈影〉のホンシュアに託して死亡した。
 女王アイリーのことは、義妹(いもうと)として、とても可愛がっていた。

パイシュエ
 イーレオ曰く、『俺を育ててくれた(ひと)』。故人。
 鷹刀一族を〈七つの大罪〉の支配から解放するために〈悪魔〉となり、三十年前、その身を犠牲にして未来永劫、一族を〈(にえ)〉にせずに済む細工を施して死亡した。
 自分の死後、一族を率いていくことになるイーレオを助けるために、シャオリエという〈影〉を遺した。
 また、どこかに残されていた彼女の何かを使い、キリファは〈ベロ〉を作った。
 すなわち、パイシュエというひとりの人間から、『シャオリエ』と〈ベロ〉が作られている。

鷹刀ヘイシャオ
〈七つの大罪〉の〈悪魔〉、〈(ムスカ)〉。ミンウェイの『父親』。医者で暗殺者。故人。
 妻のミンウェイの遺言により、妻の蘇生のために作ったクローン体を『娘』として育てていくうちに心を病んでいった。
 十数年前に、娘のミンウェイを連れて現れ、自殺のようなかたちでエルファンに殺された。


[王家]
 白金の髪、青灰色の瞳の先天性白皮症(アルビノ)の者が多く生まれる里を起源とした一族。
 王家に生まれた先天性白皮症(アルビノ)の男子は必ず盲目であり、代わりに他人の脳から『情報を読み取る』能力を持つ。
 この特殊な力を持つ者を王としてきたため、先天性白皮症(アルビノ)の外見を持つ者だけが〈神の御子〉と呼ばれ、王位継承権を有する。かつては男子のみが王となれたが、現在では〈神の御子〉が生まれにくくなったために女王も認めている。ただし、あくまでも仮初めの王である。

アイリー
 大華王国の現女王。十五歳。四年前、先王の父が急死したため、若年ながら王位に就いた。
 彼女の婚約を開始条件(トリガー)に、すべてが――『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』が始まった。
 素直で純粋な性格。とても良い子であるが、王としての威厳がまったくないために、兄であり摂政でもあるカイウォルに、公式の場では大人しく黙っているように言われているらしい。
 リュイセンと出逢い、アイリーとしては、恋に落ちた――が、互いに『最後の総帥』『最後の王』となるために、『恋人』ではなく、『共犯者』としての絆を結んだ。

シルフェン
 先王。四年前、腹心だった甥のヤンイェンに殺害された。
〈神の御子〉の男子に恵まれなかった先々王が〈七つの大罪〉に作らせた『過去の王のクローン』である。

ヤンイェン
 先王の甥。女王の婚約者。
 実は先王が〈神の御子〉を求めて姉に産ませた隠し子で、女王アイリーや摂政カイウォルの異母兄弟に当たる。
 セレイエとの間に生まれたライシェンを殺され、蘇生を反対されたため、先王を殺害した。
 メイシアの再従兄(はとこ)にあたる。
 ルフォンが女装までして会いに行き、『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』の現状を伝え、父親として『ライシェン』にどんな未来を与えたいか、意見を求めようとしたのだが、「考えるべきことが多すぎて、何も決められない」としか答えてくれなかった。

ライシェン
 ヤンイェンとセレイエの息子で、〈神の御子〉。
〈神の御子〉の男子が持つ『情報を読み取る』能力に加え、〈天使〉のセレイエから受け継いだ『情報を書き込む』能力を持っていた。
 彼の力は、〈天使〉の羽のように自分と相手を繋ぐことなく、〈神の御子〉のように手も触れずに扱えたため、先王シルフェンは彼を『神』と呼ぶしかないと言い、『来神(ライシェン)』と名付けた。
 周りの『殺意』を感じ取り、相手を殺してしまったために、先王に殺された。

『ライシェン』
(ムスカ)〉が、セレイエに頼まれて作った、ライシェンのクローン体。
 オリジナルのライシェンは盲目だったが、周りの『殺意』を感じ取らずにすむようにと、目が見えるように作られた。
 凍結処理が施され、ルイフォンとメイシアに託された。

カイウォル
 摂政。女王の兄に当たる人物。
 摂政を含む、女王以外の兄弟は〈神の御子〉の外見を持たないために、王位継承権はない。
 ハオリュウに、「異母兄にあたるヤンイェンとの結婚を嫌がる妹、女王アイリーの結婚を延期するために、君が女王の婚約者になってほしい」と陰謀を持ちかけた。


[〈七つの大罪〉]
 現代の『七つの大罪』=『新・七つの大罪』を犯す『闇の研究組織』。
 実は、王の私設研究機関。
 王家に、王になる資格を持つ〈神の御子〉が生まれないとき、『過去の王のクローンを作り、王家の断絶を防ぐ』という役割を担っている。

冥王(プルート)
 他人の脳から情報を読み取ることによって生じる、王族(フェイラ)の脳への負荷を分散させるために誕生した連携構成(クラスタシステム)
 太古の昔に死んだ王の脳細胞から生まれた巨大な有機コンピュータで、鷹刀一族の血肉を動力源とする。
『光の(たま)』の姿をしており、神殿に収められている。

〈悪魔〉
 知的好奇心に魂を売り渡した研究者を〈悪魔〉と呼ぶ。
〈悪魔〉は〈神〉から名前を貰い、潤沢な資金と絶対の加護、蓄積された門外不出の技術を元に、更なる高みを目指す。
 代償は体に刻み込まれた『契約』。――王族(フェイラ)の『秘密』を口にすると死ぬという、〈天使〉による脳内介入を受けている。

〈天使〉
『記憶の書き込み』ができる人体実験体。
 脳内介入を行う際に、背中から光の羽を出し、まるで天使のような姿になる。
〈天使〉とは、脳という記憶装置に、記憶(データ)命令(コード)を書き込むオペレーター。いわば、人間に侵入(クラッキング)して相手を乗っ取るクラッカー。
 羽は有機コンピュータ〈冥王(プルート)〉の一部でできており、〈天使〉と侵入(クラッキング)対象の人間との接続装置(インターフェース)となる。限度を超えて酷使すれば熱暴走を起こして死亡する。

〈影〉
〈天使〉によって、脳を他人の記憶に書き換えられた人間。
 体は元の人物だが、精神が別人となる。

『呪い』・便宜上、そう呼ばれているもの
〈天使〉の脳内介入によって受ける影響、被害といったもの。悪魔の『契約』も『呪い』の一種である。
 服従が快楽と錯覚するような他人を支配する命令(コード)や、「パパがチョコを食べていいと言った」という他愛のない嘘の記憶(データ)まで、いろいろである。

『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』のために作られた〈(ムスカ)
 セレイエが『ライシェン』を作らせるために、蘇らせたヘイシャオ。
 セレイエに吹き込まれた嘘のせいでイーレオの命を狙い、鷹刀一族と敵対していたが、リュイセンによって心を入れ替えた。
 メイシアを〈悪魔〉の『契約』から解放するため、自ら王族(フェイラ)の『秘密』を口にして死亡した。

ホンシュア
 セレイエの〈影〉。肉体はライシェンの侍女で、〈天使〉化してあった。
 主人(ライシェン)の死に責任を感じ、『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』に協力した。
〈影〉にされたメイシアの父親に、死ぬ前だけでも本人に戻れるような細工をしたため、体が限界を超え、熱暴走を起こして死亡。
 メイシアにセレイエの記憶を潜ませ、鷹刀に行くように仕向けた、いわば発端を作った人物である。

(サーペンス)
 セレイエの〈悪魔〉としての名前。
 セレイエの〈影〉であるホンシュアをを指すこともある。


[藤咲家・他]

藤咲ハオリュウ
 メイシアの異母弟。十二歳。
 父親を亡くしたため、若年ながら貴族(シャトーア)の藤咲家の当主を継いだ。その際、異母姉メイシアを自由にするために、表向き死亡したことにしたのは彼である。
 母親が平民(バイスア)であることや、親しみやすい十人並みの容姿であることから、平民(バイスア)に人気がある。ただし、温厚そうな見た目とは裏腹に、気性は激しい。
 女王陛下の婚礼衣装制作に関して、草薙レイウェンと提携を決めた。
 摂政カイウォルに「女王の婚約者にならないか」と陰謀を持ちかけられていたが、友人シュアンを人質に取られたことから猛反発。シュアンのため、そして、相思相愛でありながら、身分差のために想いを告げることのできなかったクーティエのため、『この国から身分をなくす』と決意する。

藤咲コウレン
 メイシア、ハオリュウの父親。厳月家・斑目一族・〈(ムスカ)〉の陰謀により死亡。

藤咲コウレンの妻
 メイシアの継母。ハオリュウの実母。平民(バイスア)
 心労で正気を失ってしまい、別荘で暮らしていたが、メイシアがお見舞いに行ったあとから徐々に快方に向かっている。

緋扇(ひおうぎ)シュアン
 ハオリュウの歳の離れた友人であり、現在は秘書。三十路手前程度。悪人面の凶相の持ち主。
 もとは銃の名手のイカレ警察隊員であったが、摂政の陰謀により投獄。獄死を装って救出されたため、自由民(スーイラ)となった。
 幼いころ、凶賊(ダリジィン)同士の抗争に巻き込まれ、家族を失った。そのため、「世を正す」と正義感に燃えて警察隊に入るも、腐った現実に絶望していた。しかし、ハオリュウと出会い、彼を『理想の権力者』に育てることに希望を見出した。
 また、以前より、秘めた愛情を(いだ)いていたミンウェイと家族になった。
 
鷹刀ミンウェイ
 鷹刀一族の総帥の補佐を務めていたが、リュイセンに追放という形で背中を押され、シュアンのもとに来た。現在は、ハオリュウの侍医として、シュアンと共に藤咲家に住み込みで働いている。
 緩やかに波打つ長い髪と、豊満な肉体を持つ、二十代半ばに見える絶世の美女。ただし、本来は直毛。薬草と毒草のエキスパート。医師免状も持っている。
 かつて〈ベラドンナ〉という名の毒使いの暗殺者として暗躍していた。
 母親だと思っていた人物のクローンであり、そのために『父親』ヘイシャオに溺愛という名の虐待を受けていたのだと知った。苦悩はあったが、今は乗り越えている。


[草薙家・他]

草薙レイウェン
 エルファンの長男。リュイセンの兄。
 妻のシャンリーと共に一族を抜けて、服飾会社、警備会社など、複数の会社を興す。
 
草薙シャンリー
 レイウェンの妻。チャオラウの姪だが、赤子のころに両親を亡くしたためチャオラウの養女になっている。王宮に召されるほどの剣舞の名手。
 遠目には男性にしかみえない。本人は男装をしているつもりはないが、男装の麗人と呼ばれる。

草薙クーティエ
 レイウェンとシャンリーの娘。リュイセンの姪に当たる。十歳。可愛らしく、活発。
 ハオリュウが、彼女の父レイウェンに『お嬢さんをください』という意味合いを含めて決闘を申し込んだらしいのだが、惨敗したので、ふたりの間柄は保留である。

斑目タオロン
 よく陽に焼けた浅黒い肌に、意思の強そうな目をした、もと凶賊(ダリジィン)斑目一族の若い衆。
 堂々たる体躯に猪突猛進の性格。二十四歳だが、童顔ゆえに、二十歳そこそこに見られる。
 斑目一族や〈(ムスカ)〉にいいように使われていたが、今はレイウェンの警備会社で働いている。将来的には、ハオリュウの専属護衛になる予定。

斑目ファンルゥ
 タオロンの娘。四、五歳くらい。
 くりっとした丸い目に、ぴょんぴょんとはねた癖っ毛が愛らしい。


[繁華街]

シャオリエ
 高級娼館の女主人。年齢不詳(若くはないはず)
 外見は嫋やかな美女だが、中身は『姐さん』。
 実は〈影〉であり、イーレオを育てた、パイシュエという人物の記憶を持つ。

スーリン
 シャオリエの店の娼婦。
 くるくる巻き毛のポニーテールが似合う、小柄で可愛らしい少女。ということになっているが妖艶な美女という説もある。
 本人曰く、もと女優の卵である。実年齢は不明。

ルイリン
 ルイフォンの女装姿につけられた名前。
 タオロンと()い仲の少女娼婦。癖の強い、長い黒髪の美少女。
 少女にしては長身で、そのことを気するかのように猫背である。
 ――という設定になっている。
 また、『仕立て屋の助手』として、ユイランと王宮に訪れたのも『彼女』である。

トンツァイ
 繁華街の情報屋。
 痩せぎすの男。

キンタン
 トンツァイの息子。ルイフォンと同い年。
 カードゲームが好き。


===大華王国について===

 黒髪黒目の国民の中で、白金の髪、青灰色の瞳を持つ王が治める王国である。
 身分制度は、王族(フェイラ)貴族(シャトーア)平民(バイスア)自由民(スーイラ)に分かれている。
 また、暴力的な手段によって団結している集団のことを凶賊(ダリジィン)と呼ぶ。彼らは平民(バイスア)自由民(スーイラ)であるが、貴族(シャトーア)並みの勢力を誇っている。

1.月夜の朗報-1

1.月夜の朗報-1

 軒に吊るした風鈴が、ちりん、と月夜に揺れる。
 まだまだ日中は暑いものの、暦の上では、もうすぐ秋だ。夜ともなれば、かなり過ごしやすい。そのせいだろうか。涼やかな音色は、どことなく物寂しげにも聞こえた。
 ルイフォンは、そんなことを思い、それから、(ガラ)でもねぇやと苦笑する。
 いつもの通りに、メイシアは夕食後の片付けを手伝っていて、ひと足先に客間(居候部屋)に戻ってきた彼は、あちらこちらの情報を集めつつ、〈スー〉のプログラムの解析をしている。草薙家(この家)に厄介になり始めたのは、夏の盛りのころであったから、こんな生活をかれこれ二ヶ月近く続けていることになる。
 変わらない毎日。……けれど、季節が移り変わっていくように、自分も周りも、確実に変化している――と、思う。
 実際、ミンウェイとシュアンは、この夏に、運命を拓く選択をした。
 そして、ルイフォンだって……。
 回転椅子の背もたれに寄り掛かり、彼は猫背をいっぱいに伸ばす。
 昼間は、いつもの彼からは想像もできないような、堅苦しい格好で出歩いたのだ。肩こりが激しいのは、仕方のないことだろう。鏡の中の我が身は、惚れ惚れするほど決まっていたし、これは心地の良い疲れだ。
 ――そう。
 ルイフォンは今日、メイシアに贈る婚約指輪を注文してきたのだ。
 秘密(サブライズ)の贈り物にするため、メイシアには内緒だ。最近は『草薙家(この家)に持ち込んだ機材では、処理能力(マシンパワー)が足りない』と言って、〈ケル〉の家に出掛けることも多かったから、昼の彼の不在を、彼女は疑問に思っていない。
 だから、このことを知っているのは、高級宝飾店に入るための服装(ドレスコード)に協力してくれた、ユイランのみ。
 自慢の株の自動売買プログラムで儲けているので、予算はいくらでもあった。しかし、普段から身に着けられるようにと、高価な一粒石の指輪は、あえて選ばなかった。
 その代わり、彼女への想いを込め、彼自身が考案(デザイン)した、世界でただひとつの品を注文(オーダー)した。
 メイシアは、きっと喜んでくれるだろう。今から、渡すのが楽しみだ。
 鋭いはずの猫の目が垂れ下がり、ルイフォンの顔は、自然とにやけてくる。
 専門の職人に加工を頼んだので、仕上がるまでには少し時間が掛かるらしい。完成の連絡が、待ち遠しくてたまらない。
 彼は上機嫌で、あれこれと妄想を繰り広げ、窓硝子に映った自分の姿に、はっとする。
 こんなに、だらしなく緩みきった顔では、メイシアに不審に思われてしまう。彼女が部屋に来るまでに、いつもの自分に戻らなくては――!
 焦る心の一方で、浮かれた気持ちは簡単には収まらず、無理に閉じようとした口元からは、抑えきれない笑みが(こぼ)れてくる。
 これは困った――と、まったく困っているように見えない顔で、窓硝子の鏡像(じぶん)と無言の愚痴(ぼやき)を交わしたとき、携帯端末がメッセージの着信を知らせてきた。
「!?」
 送信者は、リュイセン。
 重要な話をしたいから、今すぐ、盗聴の心配のない通信環境を用意してほしい――とのことだった。
 それまで、どうやっても引き締めることのできなかったルイフォンの顔つきが、一瞬にして無機質な〈(フェレース)〉のものへと変わった。
 彼は、安全な会議システムを構築すべく、熟練のピアニストもかくや、とばかりの鮮やかさでキーボードに指を走らせる。
 いったい、何ごとが起きたのか。
 しばらく鳴りを潜めていた摂政が、ついに動き出したのか。
 いいだろう、受けて立ってやる――。
 (はや)る気持ちが、涼しくなってきたはずの室温を上昇させた。全身が、ほんのりと汗ばむ。
 あっという間に、鷹刀一族次期総帥(リュイセン)との極秘(セキュア)回線を確立すると、ルイフォンは挑むような猫の目をモニタ画面に向けた。
 そして、兄貴分の顔が映し出されたとき……。
「――へ?」
 思わず、間抜けな声が飛び出た。
 何かが、おかしかった。
 よく見慣れているはずの黄金比の美貌に、物凄い違和感を覚える。
「ルイフォン。……その、いきなり、すまん」
 歯切れの悪い魅惑の低音が、かすかな雑音(ノイズ)をまといながら、スピーカーを震わせた。
 リュイセンが、安全な通信環境を求めてきた。そもそも、重要な話がある、と明言していた。ならば、さぞや深刻な顔をしているだろうと――否、深刻な顔をしている『べき』であると、ルイフォンは考えていた。
 しかし、画面の中の兄貴分は、あろうことか、先ほど窓硝子に映った鏡像(じぶん)と、瓜二つ。
 勿論、姿形(見た目)の美しさは、生粋の鷹刀一族であるリュイセンに、ルイフォンは遠く及ばない。もっとも、最近、()むを得ず女装(変装)したときにユイランに言われたのだが、実はルイフォンの顔立ちは、鷹刀のものであるらしい。だから、少しくらいは、自分と美麗な兄貴分が似ていたとしても不思議ではなく……。
 ――そういう問題じゃねぇ!
 ルイフォンは、(おのれ)の思考に(かつ)を入れた。
 深刻で、緊急な、非常事態に直面しているはずのリュイセンが、何故か、鼻の下を伸ばしている。懸命に取り繕い、大真面目な顔をしているつもりのようであるが、隠しきれない喜びが、そこかしこから(あふ)れ出ている。
 これは、いったい、どういう非常事態だ?
 堅物で鳴らしたリュイセンに、まさかの女の影? あり得ないだろう。……いや、さすがに、そこまで言い切っては、如何(いか)な兄貴分でも失礼か。今まで、ミンウェイひと筋だったために浮いた話がなかっただけで、近づいてくる女は、あとを絶たなかったのだから。
 ――ならば、本当に?
 ルイフォンの脳裏を、疑惑まみれの憶測がよぎる。
 ミンウェイをシュアンのもとへ送り出して以降、兄貴分の消沈ぶりは、見るに()えないものがあった。それを思えば、真実なら非常にめでたい事態だ。
 だが、現在、鷹刀一族は、摂政との緊迫状態にある。浮かれている場合ではない。
 メイシアに婚約指輪を贈ろうとしている自分を棚上げにしているようであるが、ルイフォンとは違って、リュイセンは融通の利かない(たち)なのだ。だから、生真面目な兄貴分に限って、まさか、そんなことは……。
 思考回路が、堂々巡りを繰り返す。
 普段のルイフォンなら、あれこれ無駄に考えるより、単刀直入に本人から正しい情報を仕入れるべきだと、とっくに気づいているはずだった。しかし、頭脳派を自称する彼から、正常な判断力を奪うほどに、リュイセンの美貌には前代未聞の事態が起きていたのである。
 猫の目を見開いたまま、明らかに動転(ぎょっと)した顔で凍りついたルイフォンに対し、リュイセンは無反応であった。何故なら、そもそも、彼はモニタ画面を見ていなかったからである。
 リュイセンの目線は、彼の手元に落とされていた。カメラには映っていない机の上には、これから話そうとしている『今日の出来ごと』をまとめた原稿が載っている。
 本当は、もっと早くに――屋敷に戻り、鷹刀一族総帥(イーレオ)たちへの報告を終えてすぐにも、弟分に連絡を入れたかった。しかし、あまりにも複雑、かつ多岐にわたる内容であったため、ある程度、事情を把握しているイーレオたちへの報告でさえ、難航したのだ。ならば、寝耳に水の弟分へは、きちんと原稿を用意してから話すべきだろう。――生真面目なリュイセンは、そう考えた。
 故に、夜も更けて……とまではいわないが、だいぶ遅くなってから、やっと準備が整ったのである。
「ルイフォン……、あの、な……。実は、今日、屋敷に珍客が現れて……な」
 緊張の面持ちの黄金比の美貌が、しどろもどろの魅惑の低音を紡いでいく。
 やがて。
 風鈴の音色に彩られた静かな夜に、ルイフォンの驚愕の雄叫びが響き渡った。


 片付けの手伝いを終え、客間(居候部屋)へと戻ってきたメイシアを出迎えたのは、最愛のルイフォンの問答無用の抱擁だった。
「メイシア、聞いてくれ!」
「きゃっ!?」
 彼女は危うく、手にしていた保冷ポットを取り落としそうになった。だいぶ涼しくなったとはいえ、暑がりのルイフォンのために、冷たいジャスミンティーを運んできたのだ。グラスは部屋にあるからと、ポットのみだったのは幸いといえよう。
「ルイフォン? どうし……」
「さっき、連絡があったんだが、リュイセンが(すげ)ぇんだ!」
 投げかけた疑問も、昂揚したテノールに呑み込まれる。
 ルイフォンは興奮に全身を震わせながら、メイシアを強く抱きしめた。
「絶対に、恐ろしく面倒臭くて、呆れるほどに大変に決まっている。けど! これは、最高の朗報だ! ああ、もう、こんなのあり得ねぇだろ!? 頭が爆発(パンク)しそうだ!」
 猫の目を好戦的に輝かせ、ルイフォンは覇気に満ちた声を響かせる。しかし、口を()く台詞は、彼らしくもなく要領を得ず。ともすれば矛盾したようにも聞こえる言葉の数々に、メイシアは「えっと……?」と、戸惑いの上目遣いで小首をかしげる。
「あ……。すまん」
 最愛のメイシアの可愛らしい仕草に、自己中心的(マイペース)なルイフォンも、ようやく我に返った。照れ隠しのように、「こほん」と咳払いをする。
 それから彼は、ほんの少し、思案した。兄貴分からのたくさんの報告事項のうち、何から伝えるのがよいのかと、悩んだのだ。
 結論として、彼が一番、衝撃を受けた情報から告げることにした。
「リュイセンに、特別な(ひと)ができた」
「えっ……」
 その瞬間、メイシアの頬が薔薇色に染まった。深窓の令嬢として、慎み深く育った彼女ではあるが、やはり年ごろの少女。色恋沙汰には心が踊るようだ。
 これだけでも、充分に驚嘆に値する話題だろう。しかし、まだ先がある。
 ルイフォンは絶妙な間を計り、言を継ぐ。
「相手は、なんと! 女王だ!」
「!?」
 聡明なはずのメイシアの頭脳が、動きを止めた。何を言われたのか、理解できなかったのだ。黒曜石の瞳もまた、ぱっと見開かれたまま、瞬きひとつしない。
 凍りついてしまった彼女の髪を、ルイフォンが、くしゃりと撫でる。
「な? (すげ)ぇだろ?」
「うん……」
 メイシアは呆然としたまま、こくりと頷く。
 驚愕が、徐々に祝福へと変わっていく中、彼女は、皿洗いの最中に聞こえたような気がしたルイフォンの雄叫びは、どうやら空耳ではなかった、と悟ったのだった。

1.月夜の朗報-2

1.月夜の朗報-2

「リュイセンが『最後の総帥』になるから、女王は『最後の王』になれ――ってさ。無茶苦茶だよな」
 兄貴分との通信内容をメイシアに語り終え、ルイフォンは、そんな感想で締めくくった。口調は苦笑混じりでありながら、彼の顔は上機嫌に緩んでいる。
 イーレオが鷹刀一族の解散を考えていることは、最近、聞いた話だ。一族を抜けたルイフォンには、本来、秘密にされるべき事柄(ことがら)なのだが、『対等な協力者』として、特別に明かされたのだ。
 リュイセンの心の内では、もうずっと前から『最後の総帥』になる覚悟を決めていたらしい。だからといって、それを女王にも勧めるなんて、いくらなんでも話が飛躍しすぎだろう。
 ……ついでにいえば、鷹刀一族の重要機密である『最後の総帥』の話を、あっさり女王(部外者)に明かした点は、いただけない。携帯端末という情報の宝庫を、何も考えずに彼女にあげてしまった件も併せて、兄貴分は情報管理(セキュリティ)意識が甘すぎる――!
 それはさておき。
『最後の王』なんて、いったい、どれほどの困難が待ち受けているのか、見当もつかない。リュイセンは直感的に口走ったらしいのだが、一足飛びの閃きも、ここに極まれり、だ。
「でも、リュイセンの言うことは正論だ、って――ルイフォンは思っているんでしょう?」
 ジャスミンティーのグラスを挟んだ向かい側で、メイシアが微笑む。
「ああ、勿論」
 ルイフォンは、我がことのように、得意げに答えた。
「現在の〈神の御子〉は、『犠牲』としか言いようがねぇ。それをなんとかしようと考えるのは、正常(まっとう)な精神だ」
 それから、ほんの少し、眉を寄せる。
「まぁ、『最後の王』というのが現実的かといえば、かなり難しいと思うけどさ」
 常識的に考えれば、無茶苦茶だ。さすがに無茶(それ)は、女王も分かっているらしく、本来なら一番に相談すべき摂政()には、当分の間、秘密にするらしい。確かに、なんの準備もなく、『最後の王』などと言ったところで、一笑に()されるだけだろう。
「でも、女王は、すっかりその気で、リュイセンも全力で手を貸すと誓ったみたいだ」
 理屈を組み上げ、計算づくで攻め込むルイフォンには絶対に辿(たど)り着けない境地に、兄貴分は天性の勘だけを頼りに踏み込んでいく。その直感は、いつだって正しくて、けれど、(いばら)の道だ。
 それでも、『やるべきことをやるだけだ』と、静かに笑う兄貴分だからこそ、あの〈(ムスカ)〉を『血族として裁く』などという芸当をやってのけたのだろう。
 あのときと同じ興奮を、今も感じている。無謀だと思う理性の裏側で、胸が騒ぐ。悔しさに似た憧憬を(いだ)きながら、心が躍る。
「別にさ、女王を玉座に縛りたくないだけなら、『最後の王』じゃなくてもいいんだよな。黒髪黒目の王族(フェイラ)にも王位継承権を認めるよう法を改正して、あの摂政にでも押し付ければいい。〈神の御子〉の姿は信仰の対象になっているから、すんなりとはいかないだろうけど、王制廃止よりは簡単(マシ)だ」
 ルイフォンの言葉に、メイシアが瞳を(しばた)かせた。言いたいことは違うんでしょう? と、表情が問うている。
 まったく、彼女は察しがいい。以心伝心の上目遣いに首肯しつつ、ルイフォンは口元をほころばせる。
「でも、法改正じゃ駄目なんだ。リュイセンの心にあった思いは『鷹刀が解散するのと同じように、女王も解放されるべきだ』なんだからさ。『王家』という古い因習(しがらみ)から、女王の身も心も、自由にしてやりたい。――そしたら、『王家』そのものをなくすしかない」
 無論、これはルイフォンの理詰めの解釈であり、野生の勘で動く兄貴分には、無意識の衝動があっただけだろう。
 ……けど。本当に、なんで、よりによって『女王』なんだよ?
 今までミンウェイひと筋だったリュイセンが、誰かに心を動かしただけでも驚きなのに、こんな厄介な相手を選ぶとは。そもそも、生粋の凶賊(ダリジィン)である兄貴分は、上流階級の人間を毛嫌いしていたのではなかったか?
 そんな揶揄(からかい)のような気持ちを(いだ)きつつも、生真面目な兄貴分と、純粋無垢な女王なら、惹かれ合ったとしても不思議ではないと思っている。何しろルイフォンは、女王本人に直接、会っているのだから。
 あの純真な少女が、リュイセンを愛するというのなら、兄貴分は幸せになれるだろう。――障害は、とてつもなく大きいだろうが。
『恋人』ではなく、『共犯者』なのだと主張していたが、そんなのは言葉の上での問題でしかない。出逢ったばかりで、先のことは分からないのは確かであるが、あのふたりの性格なら、ずっと変わらぬ想いを(いだ)き続けるだろう。
 兄貴分へと思いを馳せ、頬を緩めていたルイフォンであるが、不意に、メイシアの顔に(かげ)りが落ちていることに気づいた。
「どうした?」
「リュイセンと陛下は、偉いと思うの」
「?」
 彼女の言葉には同意する。しかし、思い詰めたような表情に、ルイフォンは首をかしげる。
 彼が目線で促すと、彼女は、うつむき加減に続けた。
貴族(シャトーア)だった私は、ハオリュウに死んだことにしてもらったから、こうして今、ルイフォンと一緒にいられる。でも、リュイセンと陛下は、自分の立場から逃げないの。それどころか、正面から立ち向かうことにした。――なんだか、申し訳なくて……」
「……」
 それは、ルイフォンも思った。自分たちは恵まれている。皆の優しさに、甘やかされている。
 ……だからといって、メイシアが暗い顔をしても仕方がないのだ。
「俺たちは、俺たちだ」
 ジャスミンティーのグラスを()けながらテーブルに身を乗り出し、黒絹の髪を、くしゃりと撫でる。猫の目を細め、ルイフォンは、(いと)しげな眼差しをメイシアに向けた。
「俺たちは『ふたりきり』じゃなくて、『皆に囲まれたふたり』なんだからさ。立場に縛られた奴らの代わりに、『自由に動ける俺たちだからこそ、できること』を見つけていくべきだろ? 引け目を感じている場合じゃないぜ?」
 にやりと不敵に笑うルイフォンに、黒曜石の瞳が、ぱっと見開かれた。花の(かんばせ)が、徐々にほころんでいく。
「そうよね。――ありがとう、ルイフォン」
 (こぼ)れんばかりの笑顔に、彼女がそばにいる幸せを実感する。……そう思うと、やはり、ルイフォンだって、少々、後ろめたい。
 だが、メイシアに言った通り、自分たちは自分たちなのだ。だから、自分たちは、自分たちにできることをすべきだ。
 ルイフォンは、強引に頭を切り替えた。
「『ライシェン』のことだけどさ。思いがけず、女王の意見を聞けたことで、状況が一変したと思う」
 今回のリュイセンからの報告の中で、ルイフォンの個人的な大衝撃(ビッグニュース)は、当然のことながら、兄貴分の激変ぶりだ。あの魅惑の低音で、『アイリー』と、甘やかに女王の名が紡がれるのを聞いたときには、正直なところ度肝を抜かれた。冗談抜きで、心臓が止まるかと思った。
 だが、女王もまた、リュイセンに恋情を(いだ)いているというのなら、これはもう、解決済みの案件なのだ。細かいことを気にすれば、多少の問題はあるのかもしれないが、あいにく、ルイフォンは細かいことを気にしない。
 だから、真に重要なのは、『ライシェン』のこと。――『ライシェン』の未来だ。
「女王が、『ライシェン』を次の王として必要としていない以上、彼女に託す、という案は却下だよな」
 名案だと思っていたのだが、そうは問屋が卸さないようだ。ルイフォンは少し悔しげに、癖の強い前髪を掻き上げる。
「私……、女王陛下がおっしゃった道が一番、『ライシェン』にとって幸せだと思うの。ヤンイェン殿下の息子として、海外で暮らすのが……」
「けど、ヤンイェンは『ライシェン』に記憶を入れたがるはずだ、って、異母妹(いもうと)の女王が断言したんだよな」
「うん……」
 ヤンイェンが記憶にこだわるのであれば、彼に『ライシェン』を渡すわけにはいかない。
 これは、譲れない決定事項だ。
 何故なら、『死者は、決して生き返らない』。これまで『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』の作り出した不幸を見続けてきた身として、認められない境界線(ライン)だ。
 ルイフォンは、深い溜め息を落とした。
『ライシェン』の未来について、ヤンイェンからは、いまだ明確な『返事』のようなものはない。
 携帯端末の連絡先は交換していたので、多少のメッセージのやり取りはしている。だが、相変わらずの態度で、文面はこんな調子だ。

『私が『ライシェン』に、どんな未来を望むのか。君はきっと、早く答えてほしいと()れていることだろう。
 その気持ちは分かるんだ。私が君の立場だったら、きっと、そう思っているはずだから。
 けど、私は、『私が、どうしたいか』よりも、まず先に、『私には、どんな手段が残されているのか』を考えたい。考えなければならないんだ。
 すまない。――私の義弟(おとうと)ルイフォン』

 こう下手(したて)に出られては、こちらからは強く言えなくなってしまう。どことなく、『何もかも、お見通し』という感じがして、非常にやりにくい。
「ヤンイェンの『私には、どんな手段が残されているのか』というのが、女王の言っていた『四年前から既に〈天使〉だった者を探す』ってことなんだろうな」
 ルイフォンの呟きに、メイシアが沈んだ声で同意する。ふたりは視線を交わし合い、互いの困り顔を瞳に映す。
 四年前からの〈天使〉を連れてきたところで、ルイフォンとメイシアは、『ライシェン』にオリジナルの記憶を入れることを認めない。ヤンイェンの努力は、無駄になるのだ。
「ヤンイェン殿下には、本当に申し訳ないと思うの……」
 心優しいメイシアが、痛ましげに(うつむ)く。だから、ルイフォンは努めて明るい声を出した。
「でもさ。女王が(すげ)ぇ、いいこと言ったじゃん?」
「え?」
「オリジナルのライシェンは、人を殺している。その記憶を――罪を『ライシェン』が背負う必要はない、って」
「あ……。それを伝えれば、ヤンイェン殿下だって……」
「ああ」
 明るさを取り戻したメイシアに、ほっとしつつ、ルイフォンは返す返すも惜しいと思う。
 ――そんなふうに考えられる女王になら、安心して『ライシェン』を託せたのにな……。
 なかなか、うまくいかないものだ。
 やはり、ヤンイェンを根気強く説得して、オリジナルとは別人として、『ライシェン』を受け入れてもらうのが一番なのだろう。
「まぁ、ヤンイェンは、かなり手強そうだけどな……」
 メッセージの文面を思い返し、苦笑まみれの愚痴(ぼやき)が口を()いて出る。
 すると、「ルイフォン」と、鈴を転がすような声が凛と響いた。
「でも、『私たちなら、できる』――でしょう?」
 メイシアが、ぐっと身を乗り出し、癖の強いルイフォンの前髪を、くしゃりと撫でる。白い指先に誘われ、知れず下がっていた目線を上げると、そこには覇気に満ちた笑顔があった。
「ああ。そうだよな。面倒臭(めんどくせ)え、なんて思っていないで、しっかりやらねぇとな!」
 彼女に応えるように、好戦的に彼も笑った。

 傍らに寄り添い、励まし、励まされているのを実感する。
 互いに支え合い、良いことも、悪いことも、共に分かちて生きていくのだ。


 夏の終わりに、メイシアと、そんな会話を交わした。
 そして、秋が訪れ、軒の風鈴がしまわれ、ちりん、という澄んだ音色を耳にしなくなって少し経ったころ――。


『ルイフォン!』
 ハオリュウの秘書となり、藤咲家に住み込みで働いている緋扇シュアンの濁声(だみごえ)が、携帯端末を通して、ルイフォンの耳朶を打ちつけた。
 どうした? と尋ねる間もなく、いつもの皮肉げな調子の欠片(かけら)もない、険しい声が続けられる。
『ハオリュウが、逮捕された――! 貴族(シャトーア)だから、監獄にぶち込まれちゃあいねぇが、王宮に連行された』
「なっ? どういことだ?」
『罪状は、こうだ』
 鋭く吐き出された言葉が、弾丸となって、ルイフォンの鼓膜を撃ち抜く。

『自分が当主になるために、父と異母姉(あね)を殺した、殺人の罪』

2.渦紋の謀略-1

2.渦紋の謀略-1

 ハオリュウは、メイシアを『死者』にした。
 それは、貴族(シャトーア)であった異母姉(あね)を、平民(バイスア)のルイフォンのもとへ送り出すため。
 そしてまた、父――〈(ムスカ)〉によって、厳月家前当主の〈影〉にされてしまい、ルイフォンが毒刃で命を奪うしかなかった、藤咲家前当主――の死因を偽るために。
 ハオリュウは、架空の事故を作り上げた。
 曰く。

 メイシアには平民(バイスア)の恋人がいた。だが、厳月家の三男との縁談が持ち上がり、無理やり別れさせられてしまう。
 ふさぎ込む彼女を元気づけようと、藤咲家は家族旅行を計画した。
 しかし、その旅先でメイシアは渓谷に身を投げ、行方不明に。助けようとした父親は滑落死、異母弟(おとうと)ハオリュウは足に一生残る大怪我を負い、あまりにも悲惨な現実に、母親は心を失ってしまった。

「――というのが、ハオリュウのでっちあげた嘘八百(公式発表)だったわよね?」
 波打つ黒髪が(くう)を薙ぎ、干した草の香が(ちゅう)を舞う。シュアンから連絡を受けて間もなく、『藤咲家からの説明員(使い)』と言って草薙家(ここ)に現れたミンウェイは、肩を(いか)らせ、テーブルに身を乗り出した。
「それを、摂政は『事故』じゃなくて、ハオリュウが仕組んだ『事件』だったと言うのよ!」
 どんっ、と。
 拳が叩きつけられる。
 テーブルの上の茶器が跳ねた。衝撃は床から壁へと伝わり、応接室を彩る賞状と感謝状が、今にも落ちんばかりに傾く。
 綺麗に紅の引かれた唇をわななかせ、柳眉を逆立てたミンウェイは、美麗な破壊神と化していた。
「なっ……! 何よそれ!」
 すかさず放たれた甲高い叫びは、クーティエのものだ。父親のレイウェンが、ハオリュウの求婚(決闘)を制したため、今のところ、ハオリュウの『お友達』である。――が、暗黙の『それ以上』ともなれば、おとなしく聞いてなどいられない。
 クーティエは、ミンウェイに負けじ劣らずの剣幕で立ち上がる。
 だんっ、と。
 強く踏み鳴らされた両足からの振動で、飾り棚の硝子戸が揺れた。中に収められた、草薙家の功績を称えるトロフィーや盾が、ぐらりと倒れる。
 ふたりに増えた破壊神を前に、ルイフォンは、激昂するミンウェイよりも、静かに憤るシュアンに来てほしかったと、渋面を作る。だが、主人(ハオリュウ)不在の藤咲家を守るため、秘書(シュアン)はあちこちに飛び回っているとのことだった。
 ふと視線を感じれば、思案顔のレイウェンが、こちらを見ていた。この破壊神(ふたり)は、私が鎮めたほうがよいか? と尋ねている。
 年長者であり、家主でもあるレイウェンは、この場を収めるにふさわしい人物といえよう。しかし、君が仕切るほうが適任ではないかと、ルイフォンの顔を立てようとしてくれたのだ。隣で硬い表情(かお)をしているメイシアさんを安心させるのは、君の役目だろう? と。
 ルイフォンが目線で謝意を述べ、口を開こうとしたときだった。
「落ち着け、お前たち。騒いでも、事態は変わらないだろう?」
 性別不詳の声が響いた。直刀のような瞳が、ふたりの破壊神をまっすぐに貫く。
「シャンリー……」
「母上……」
 相手の名を呟いたまま、破壊神たちは絶句した。
 それは、シャンリーの迫力に押されたからではない。彼女が、両の目を涙で潤ませていたためである。
 唇を噛み締め、シャンリーは握りしめた拳で目元を拭う。
「糞っ……、摂政殿下は、どうしてハオリュウばかりを酷い目に遭わせるんだ。この前は、シュアンの逮捕で脅迫しやがったし……」
 男装の麗人と(うた)われ、勇ましい印象のあるシャンリーだが、身内の危機には打たれ弱く、涙もろかった。
 声を震わせるシャンリーに、唖然とする破壊神たち。しかし、次の瞬間には、はっと我に返り、口々に叫ぶ。
「そうよ! ハオリュウばっかり、あんまりだわ!」
「許せない!」
 ぎゃあぎゃあと耳障りな(わめ)き声に、ルイフォンは頭を抱えたくなった。
 ハオリュウが摂政に狙われるのは、摂政が直接的に圧を掛けられる相手が、ハオリュウしかいないためだ。だが、ここで正論(それ)を言っても、事態の収集には繋がるまい。
 ともかく、強引にでも、話の主導権を握るしかないだろう。
 彼が口元を引き締めると、傍らのメイシアが、そっと彼の背中に手を回してきた。細い指先が、編んだ彼の髪をくしゃりと撫でる。彼女の指の動きに合わせて、毛先を彩る金の鈴が、くるりと踊る。
『大丈夫だから』
 柔らかに微笑むメイシアに、ルイフォンは口の端を上げた。
 そう――。
 レイウェンは心配してくれたようだが、メイシアは極めて冷静だ。
 その証拠に、シュアンからの第一報を受けたとき、ルイフォンよりも早く、現状を打破する方法(すべ)を口にした。正確には、ルイフォンが一瞬ためらった隙に、メイシアに先に言われてしまったのだ。
 ――俺のメイシアは、本当に芯が強い。
 ルイフォンが誇らしく思いながら、『皆、ちょっといいか』と、切り出そうとしたときだった。
「ちょっと! ハオリュウさんの一大事ですって!?」
 険しい声と共に、応接室の扉が大きく開かれた。勢いに乗った扉は、本来の開閉角度を超えて壁に打ち付けられ、部屋全体が揺れる。
「いったい、どういうことよ!?」
 銀髪(グレイヘア)を振り乱し、ユイランが飛び込んできた。ミンウェイが来たとき、彼女は仕立て屋の作業に集中しているようであったため、『区切りがついたら、応接室に来てほしい』と、部屋の前に置き手紙を残してきたのだ。
 普段の『品の良い初老の婦人』とは別人のような鬼の形相と、壁から落ちてきた感謝状を見比べ、ルイフォンは溜め息をつく。どうやら、鷹刀の血を引く女性たちには、破壊神が宿っているようであった。


 数分後――。
 どうにかして皆を落ち着かせたルイフォンは、「つまり、摂政の言い分は、こういうことだな?」と、状況をまとめた。
「メイシアの縁談は、『メイシアが嫁に行くのではなくて、厳月家の三男が婿養子となって藤咲家を継ぐ』というものだった。つまり、『長男ではあっても、平民(バイスア)の血を引くハオリュウは、跡継ぎとして認めない』という意味だ。そのことに不満を覚えたハオリュウが、自分を認めなかった父と、自分の立場を脅かす存在である異母姉(あね)を殺した、と」
「そうよ! 『藤咲家の前当主が亡くなった事故には、不審な点が多すぎる』とか言って、ハオリュウを連れて行ったのよ!」
 いまだ気持ちの(たか)ぶったままのミンウェイは、「決闘のときの怪我だって、まだ松葉杖が取れたばかりで治りきってないのに!」と、興奮気味に(まく)し立てる。
 すると、重なるように、クーティエが声を張り上げた。
「『不審』って……、だって、しょうがないじゃない! そんな事故、本当は、なかったんだから!」
 その通りだ。
 この事故は、ハオリュウの虚言(でっちあげ)。詳細に調べられれば、必ず不審点(ボロ)が出る。
 クーティエは、感情のままに発した自分の台詞が、まるでハオリュウの罪を認めているかのようだと思ったのだろう。慌てて、言葉を付け足した。
「渓谷の事故は嘘だけど、ハオリュウは、お父さんやメイシアを殺してなんかいないわ! 摂政殿下は、本当は事故のことなんかどうでもよくて、単にハオリュウを捕まえたかっただけでしょ! ハオリュウが、女王陛下の婚約者になるのを断ったから! 『ライシェン』の情報を渡さなかったから! ――自分の言いなりに、ならなかったから……」
 きんきんと高い、金切り声は、途中から力を失っていった。そして、涙声になりながら、ぽつりと続く。
「摂政殿下は、ハオリュウを捕まえてどうするつもりなの……?」
 クーティエは、ごくりと唾を飲んだ。本当に訊きたいことは、そこではなく、そのひとつ先だ。
 彼女は唇を震わせ、恐る恐る皆に尋ねる。
「摂政殿下は、ハオリュウに、王家がクローンに頼っていることを教えたわ。硝子ケースで眠る〈神の御子〉――『ライシェン』も見せた。だから……。知りすぎたハオリュウを、亡き者にしようとしているの……?」
 皆の吐息が揺れた。
 (きし)むような沈黙が辺りを漂い始め、しかし、すぐに、ミンウェイの乾いた笑いによって打ち払われる。
「ちょ、ちょっと、()だわ、クーティエ。不吉なことを言わないでよ……」
「だって、ミンウェイねぇ。この前は緋扇シュアンで、今度はハオリュウが逮捕されたのよ。摂政殿下は、権力を使って、やりたい放題だわ!」
 クーティエは、わっと泣き崩れた。今までの傍若無人な破壊神ぶりは、不安な気持ちの裏返し。精いっぱいの虚勢だったのだろう。それはミンウェイも同じようで、切れ長の瞳には涙が浮かんでいた。
「落ち着け、クーティエ」
 ルイフォンは諭すように声を上げた。
「確かに、摂政がハオリュウの抹殺を視野に入れていることは否定しない。でも、それは、最後の手段だ」
「どういう意味!? 摂政殿下は、何を企んでいるっていうの!?」
 真っ赤に腫らした目で、クーティエが噛みつく。
「さすがに俺だって、摂政が何を考えているかなんて、正確に読み解くことはできねぇよ。けど、ハオリュウを葬ることが一番の目的ではないことだけは、はっきりしている」
「なんで、そう言い切れるのよ! 根拠は何よ!?」
 悲鳴のような、クーティエの叫び。その声に(かぶ)さるように、「クーティエ」と、シャンリーが静かに娘の名を呼んだ。
 母親(シャンリー)に抱き寄せられ、優しく背中をさすられると、クーティエの口からは、抑えたような嗚咽が漏れ始める。ルイフォンはシャンリーに頭を下げ、それから、食い入るような眼差しのミンウェイを視界に収めた。
「まず、シュアンのときとは、まったく状況が異なるんだ」
「どういうこと?」
 ルイフォンのテノールに、柳眉を跳ね上げたミンウェイが問う。
「シュアンの『厳月家の先代当主の暗殺』という罪状は事実(クロ)だったが、今回のハオリュウの『父親と異母姉(あね)の殺害』の容疑は無実(シロ)だ」
「それが何よ? 摂政が事実(クロ)だと言えば、無実(シロ)でも事実(クロ)になるわけでしょう?」
「ああ。ミンウェイの言うことは正しい。だが、今回は、ハオリュウの無実を証明できる人間がいる」
 ルイフォンがそこまで言ったとき、隣でメイシアが、そっと彼の服の端を引いた。この先は自分に言わせてほしい、ということだろう。
 彼が頷くと、彼女は目元だけで微笑み、そして、毅然と前を向く。
「私が『生き返って』、渓谷の事故は事実だと、証言すればいいんです。家族旅行は真実で、私は自ら身を投げた。私は流されて、下流で助かったけれど、周りが死んだものと思い込んだのをよいことに、密かに恋人(ルイフォン)のもとに身を寄せていた、と」
 幾つかの、息を呑む気配がした。それが、この場の人数分ではないところをみると、とっくに気づいていた者がいるということだろう。――例えば、レイウェンなどが。
 ルイフォンは、シュアンからの連絡を受けた直後の様子を思い返す。


『ルイフォン。――私、王宮に()く』
 凛と澄んだ声で、メイシアが告げた。
 気高い戦乙女の顔で、ルイフォンを見上げる。黒曜石の瞳が揺れているのは、その言葉の重さのためだ。
 すなわち……。

貴族(シャトーア)の藤咲メイシア』に戻る――と。

 ルイフォンだって同じ答えに辿(たど)り着いていたというのに、声が出なかった。
 彼女が貴族(シャトーア)に戻ることは、永遠の別れを意味するわけではない。けれど、彼女が藤咲家の一員となれば、平民(バイスア)の彼とは違う世界で生きる人間となる。
 彼女が自分の(そば)から失われるという空虚に、全身が恐怖した。
 嫌だという我儘を呑み込み、華奢な体を強く抱きしめる。黒絹の髪に顔を(うず)め、くしゃりと撫でる。
 こんなに儚げであるのに、誰よりも強い、最愛の彼女を――。
『ああ。ハオリュウを助けるぞ』
 潤んだテノールで、彼女に誓う。
 自分たちは、優しさに甘やかされていた。今までが特別で、今から本来の姿に戻るだけだ……。


「私が表に出れば、ハオリュウの無実は証明できます。ただ、おそらく、摂政殿下は、私が現れることを予期している――いいえ、期待しているものと思われます」
 メイシアは力強く断言し、薄紅の唇をきゅっと結ぶ。
「ちょっと待って! 『メイシアが現れることを、摂政が期待している』って――どういうこと?」
 困惑顔のミンウェイが答えを求め、きょろきょろと草の香を撒き散らした。予想通りの反応に、ルイフォンは、すかさず口を開く。
「だって、摂政は、『メイシアは生きている』って、知っているだろ? 平民(バイスア)恋人(おれ)と一緒にいるために、表向き死んだことにした、ってだけでさ。しかも、そう(はか)らったのが、ハオリュウだってことも察している」
「それが、どういう……?」
「この状況で、ハオリュウを『異母姉(あね)の殺害』容疑で逮捕すれば、ハオリュウと仲の良い異母姉(メイシア)が、無実を訴えに出てくるのは『必然』だ。こんな単純な図式に、あの摂政が気づかないわけがない。つまり、『意図的に仕組まれたこと』なんだ」
「え?」
「要するに、摂政の狙いは、『ハオリュウに罪を着せて、葬ること』じゃなくて……」
「…………っ」
 ミンウェイが、ごくりと唾を飲んだのを確認すると、ルイフォンは傍らに視線を送った。こくんと頷く白い首筋に、黒絹の髪がさらりと流れ、メイシアが言を継ぐ。

「摂政殿下は、『私が表に出てくるのを待ってらっしゃる』ということです」

2.渦紋の謀略-2

2.渦紋の謀略-2

 皆が沈黙する中、メイシアの声が響く。
「そもそも、ハオリュウの罪状が『父と異母姉(わたし)の殺害』というのが、おかしいんです。ハオリュウに罪を着せたいのなら、『異母姉(わたし)と共謀して、父を殺した』にすべきでした」
「どういうこと……?」
 母親(シャンリー)の胸で泣いていたクーティエが顔を上げた。
 どうやら、摂政の目的が『ハオリュウを亡き者にすること』ではないと、半信半疑ながらも、信じるほうに賭けてみることにしたらしい。かすれた声ではあるものの、目つきが変わっていた。
 ルイフォンは口の端を上げ、「つまりさ」と、メイシアの言に続ける。
「メイシアは、ハオリュウに殺された『被害者』ってことになっているから、無罪を証言できる立場にある。これが、父親の殺害の片棒を担いだ『共犯者』にされちまっていたら、そうはいかなかった。共犯者の証言なんて、なんの信用(いみ)もないからな」
「あ……! そうよね」
 クーティエが、ぽんと手を叩く。
「だいたいさ。渓谷の事故では、メイシアの親父さんは『死亡』で、メイシアは『行方不明』なんだぜ? そして、摂政は、『メイシアが生きていて、恋人(おれ)のもとにいる』ことを知っている」
 ハオリュウは事故を発表したとき、『異母姉(メイシア)の遺体は発見されなかった』とした。本当は生きている異母姉(あね)を、完全に『死者』にしてしまうことに躊躇(ためら)いがあったのだ。
 そして、もしも、いつか。なんらかの事情で、異母姉(あね)が生き返りたくなったときの保険にと、『行方不明』という形を取った。
「婿養子の縁談を持ってきた父親は死亡して、姉は密かに平民(バイスア)の恋人と暮らし、弟は念願の当主の座に収まっている。――これはどう考えても、『姉弟が共謀して父親を殺し、それぞれ望みのものを手に入れた』と解釈するほうが、理に適っているんだよ」
 クーティエだけでなく、顔つきの変わってきた皆に、ルイフォンは調子づき、熱弁を振るう。
「そんなわけで、さっきメイシアが言ったように、ハオリュウの罪状が『父と異母姉(あね)の殺害』というのは、明らかに不自然なんだ。『本気で有罪にする気はない』という、摂政の意図が読み取れる。だから、これは――」
 ルイフォンの指先が、とんっ、と目の前のテーブルを叩いた。
 そして、鋭いテノールが響き渡る。

「『話し合いのテーブルを用意したから、無罪を主張しに表に出てこい』という、摂政からメイシアへの召致(メッセージ)なんだ」

 部屋のあちこちから、緊張を(はら)んだ息遣いが聞こえた。
 不穏に揺れる、ざわめきの中、「ちょっと待ってくれ」と、シャンリーが困惑の声を上げる。
「ルイフォンの説明は、よく分かったよ。だが、摂政殿下が、格下を相手に、対等な話し合いの場を設けるなんて、殊勝なことをするとは思えん。――罠じゃないのか?」
 性別不詳でありながら、整った造作がしかめられる。その顔は、疑い深いというよりも、心配性のそれだ。
「無論、罠の可能性はある」
 シャンリーには悪いが、気休めを言っても仕方がない。
「そんなっ!」
 クーティエの悲鳴が木霊(こだま)した。しかし、ルイフォンは動じることなく、にやりと口角を上げる。
「けど、俺たちが動かなければ、摂政は、ハオリュウを罪人として処刑するだけだ。だったら行くしかねぇだろ?」
「そ、それは、……そうだけど。で、でもっ!」
 不安と戸惑いを()い交ぜにして、押し黙るクーティエ。その反応(かお)に満足しつつ、ルイフォンは畳み掛ける。
「そんなに心配するな。摂政は、あらかじめ、ハオリュウを無罪にする方法を提示した。こういう手段(アプローチ)を採るってことは、摂政は歩み寄りの姿勢を望んでいるはずだ――というのがメイシアの見解だ。メイシアの言葉なら、俺は信じる」
 そこまで言ったとき、ルイフォンの鼻先に干した草の香が押し寄せた。
「歩み寄りですって!? 馬鹿を言わないでよ! 藤咲(うち)の屋敷に、いきなり近衛隊が押しかけてきたのよ!?」
 波打つ黒髪をなびかせ、ミンウェイが迫る。
 すっかり藤咲家の一員となった『うち』という言い回しが微笑ましいが、柳眉を吊り上げた彼女に軽口を叩くわけにもいくまい。ルイフォンは少々残念に思いながら、肩をすくめた。
「まぁ、歩み寄りといったって、王族(フェイラ)目線でのことだ。ミンウェイが納得できなくても仕方ねぇよ。問題は、貴族(シャトーア)だったメイシアが動くかどうか――だからな」
 ルイフォンが促すように傍らを見やると、メイシアが、こくんと頷いた。
「警察隊ではなく、近衛隊が来たというのであれば、ハオリュウに対する配慮を感じます。ですから、私は先に述べた通り、摂政殿下の呼びかけに応じます」
 凛とした、澄んだ声だった。
 彼女の心は既に決まっているのだと、誰もが認めざるを得なかった。
 しんと静まり返った応接室に、レイウェンの低音が落とされる。
「メイシアさんが、王宮に行く必要があることは分かるよ。――けれど、それで、解決するわけではないのは、ルイフォンとメイシアさんなら気づいているね?」
 甘やかでありながら、ぞくりと身が震えるような、冷涼とした響き。
 すっと下がった室温に、戸惑うように顔色を変えたのは、名指しされたルイフォンとメイシア『以外の』者たちだった。
 当のふたりは、落ち着き払った面差しをレイウェンへと向ける。
「ああ。分かっているさ」
 ルイフォンは好戦的に嗤った。
「摂政が手に入れたいのは、メイシアじゃないからな。だから、『話し合いのテーブルを用意した』なんだ」
 彼の弁を受け、メイシアが続ける。
「摂政殿下は、私を交渉の相手にしたいのでしょう。――彼の目的は、セレイエさんと『ライシェン』です。ハオリュウの身柄と引き換えに、要求してくるものと思われます」
「その要求に、君たちは、どう応えるつもりだい?」
 間髪を()れずのレイウェンの問いかけは、当然のものだ。ルイフォンは、ばつが悪そうに癖の強い前髪を掻き上げた。
「正直なところ、まだ策はない。何しろ、ハオリュウの逮捕を聞いたのは、ついさっきなんだ」
 反論めいた愚痴(ぼやき)を付け加えてしまったのは、痛いところを突かれたからだ。
 負け惜しみのようだと思いつつ、「けど!」と、彼は言葉を重ねる。
「今回は、シュアンのときみたいに『秘密裏に助け出す』という選択肢はないんだ。――ハオリュウには、貴族(シャトーア)の当主という立場がある。正々堂々と、表から解放されなければならない。つまり、摂政と正面から、やり合う必要があるってことだ」
 ルイフォンはメイシアと視線を交わし、ふたりの決意を口にする。
「これから、作戦を模索する。けど、どんな策を採ったとしても、俺は『渓谷の事故のあと、メイシアを保護した経緯を説明する人間が必要だ』として、一緒に王宮に乗り込む。メイシアひとりで行かせたりはしない。俺たちは、『ふたり』で立ち向かう」
「なるほど。考えたね」
 猛然と言い放つルイフォンに、レイウェンが穏やかに笑んだ。
「あら、そんな理由でルイフォンが同行できるなら、私は『渓谷から落ちたメイシアを診察した医者』としてついていくわ。事故が本当なら、当然、メイシアは怪我をしていたはずでしょう?」
 本業は医者なのよ、とミンウェイが胸を張る。
「待て、ミンウェイ。俺は、摂政に認識(マーク)されているんだ。だから、どんな口実でも、『鷹刀ルイフォン』が名乗りを上げれば、同行が許される」
「え? どういうこと?」
「摂政は、俺がメイシアの恋人(あいて)であり、セレイエの異父弟(おとうと)だって、知っている。何より、摂政(やつ)は以前、『鷹刀ルイフォンから『ライシェン』の居場所を聞き出せ』と、俺を名指しして、ハオリュウに命じたんだ」
「ああ、そうだったわね……?」
 それが何か? とばかりに、ミンウェイは首をかしげる。
「ならば、摂政にとって、俺は『是非とも、会いたい相手』のはずだろ? でも、ミンウェイは……、正直に言って、摂政の眼中にない。――すまん」
「うっ……、そ、それはそうだと思うけど……、……酷いわ……」
 ミンウェイは、不満げに口を曲げた。ちょっと悪かったかな、と思いつつ、ルイフォンは話を進める。
「まずは、鷹刀の屋敷に事態を伝え、情報収集の協力を要請する。息の掛かった者が、王宮に潜入しているはずだから、ハオリュウの状況も探ってもらおう。――シュアンのときのように、監視カメラを使えればよかったんだけど、今回は無理みたいだからさ」
 貴族(シャトーア)であるハオリュウは、シュアンとは違い、牢獄には入れられない。貴人としての配慮がなされ、プライバシーの保たれた王宮の一室に軟禁されているため、監視カメラを利用できないのだ。
 そのとき、ユイランが口を開いた。
女王陛下(アイリーちゃん)に、何か頼めないかしら? 少なくとも、王宮の様子くらいなら、教えてくれると思うの」
 人懐っこい女王は、いつの間にか、リュイセンとだけでなく、ユイランとも頻繁にメッセージの()り取りをするようになっていた。『あんな娘が欲しかった』という、ユイランの夢が叶うのか否かは不明だが、リュイセンが女王に渡した携帯端末は、なかなか良い仕事をしている。
 ちなみに、女王は時々、ルイフォンにもメッセージをくれる。無邪気ではあっても無神経ではない彼女は、女装(変装)の件をさらりと流してくれたので、良好な関係を築くことができた。
 数行ごとにリュイセンの名前が出てくる文面を送ってくるので、こちらからはリュイセンの黒歴史(むかしばなし)などを返してやっており、非常に喜ばれている。
「ああ、そうだな。あとで、アイリーと連絡を取る。それから、ヤンイェンも……かな」
 それまで覇気に満ちていたテノールが、最後で沈んだ。自分で義兄(ヤンイェン)の名を口にしておきながら顔を曇らせるなんて、(ざま)()ぇなと、自嘲する。
 ヤンイェンにはヤンイェンの事情があることは、百も承知している。しかし、どうにも態度のはっきりしない義兄は、単刀直入を良しとするルイフォンにとって、非常にやりにくい相手だった。
 もっとも、ルイフォンの心情はさておいても、ヤンイェンの力を借りるのは難しそうに思われた。それというのも、ユイランとルイフォンが『仕立て屋とその助手』として会ったあと、ヤンイェンへの監視が更に強まったのだ。
 ユイランは、セレイエとは不仲とされているが、やはり鷹刀一族。彼女と接触したからには、行動の自由を制限すべき、と摂政は考えたのだろう。現在、ヤンイェンは『体調を崩した』という名目で、自分の屋敷に幽閉同然の扱いで閉じ込められている。
 ルイフォンがメッセージを送っても、返事が来るのは、よくて三日後だ。『極めて健康であるのだが、医師が張り付いていて、なかなか返信できない』ということだ。
 どうにかして監視の目をかいくぐる手段はないものかと、ヤンイェンの屋敷の情報を集めてみれば、主治医の診療記録(カルテ)が出てきた。療養中の症状がぶり返したとかで、高熱が続いていることになっている。無論、偽造(でっちあげ)だろう。わざわざ書類を作らされる医者も、御苦労なことである。
「ともかく、情報収集だな。皆、いろいろと協力を頼む」
 ルイフォンがそう言うと、メイシアがミンウェイに向かって頭を下げた。
「ミンウェイさん。私が『生き返る』と、藤咲家も慌ただしくなると思います。緋扇さんや執事に、よろしくお願いしますと、お伝えください」
「分かったわ。……でも、メイシアが『生き返る』と、今までと、どう変わるの?」
 ミンウェイとしては、軽い気持ちで尋ねたのだろう。しかし、その瞬間、メイシアの顔が、ぎくりと強張った。そして、その表情を音で表したような、硬質な声が響く。
貴族(シャトーア)としての、あるべき生活に戻ります」
「えっ……と? 具体的には?」
 雰囲気の一変したメイシアに、ミンウェイは戸惑い、小首をかしげた。
「そう……ですね。当主の異母姉(あね)として、ハオリュウを(そば)で支えます。あの子が、ひとりでこなしていた社交も、私で代理がきくものもあるはずなので、少しは楽をさせてあげることができると思います」
「ちょっ!? それって、メイシアは藤咲の屋敷に戻ってきて、貴族(シャトーア)として生きる、ってことよね? ……え? 待って、ルイフォンとは、どうなるの!?」
「互いに交わることのない、本来の道を歩むことになります。――勿論、こっそり逢うことはできますから、その……」
「なんですってぇ!?」
 柳眉の吊り上がっていくミンウェイに、メイシアの声が掻き消される。
「駄目よ! あなたたちは、一緒にいなきゃ!」
 そのとき――。
「ミンウェイ、やめろ!」
 ルイフォンが鋭く叫んだ。
「メイシアは腹を(くく)ったんだ。――すべてを理解した上で、な」
 ここでミンウェイを睨みつければ、それは八つ当たりだ。
 だから、彼は目を伏せた。怒気を抑え、低く(うな)るように告げる。
「『平民(バイスア)の恋人と暮らしていた、貴族(シャトーア)令嬢』が、元の世界に戻ったとき、上流階級の奴らは蔑み、嘲りの目で見るだろう」
 ルイフォンはメイシアの肩を抱き寄せた。黒絹の髪に指を滑らせ、くしゃりと撫でる。
「ハオリュウに『傷物の異母姉(あね)を妻にしてやる』と、恩着せがましく言い寄り、内心では、後ろ盾のない年少(こども)のハオリュウを操って、藤咲家の実権を握ってやろうと企む輩も出てくるはずだ」
「な……、何……それ……?」
 ミンウェイが唇をわななかせ、言葉にならない憤りを持て余す。
 当然だろう。ルイフォンだって、これからメイシアが屈辱を味わうのだと思うと、(はらわた)が煮えくり返る。
 だから――。
「心配するな」
 金の鈴を煌めかせ、覇気に満ちた顔で宣言する。

「俺が頃合いを見て、メイシアをさらいに藤咲家に行く」

 メイシアは離れ離れの覚悟を決めていたようだが、そんな覚悟は必要ない。
 正々堂々と、我儘に。自分たちらしく生きるのだ。
「藤咲家にも貴族(シャトーア)の体面ってもんがあるだろうから、今すぐに、ってわけにはいかねぇ。けど、あと数年もすれば、世間が何を言おうとも、どこ吹く風でいられる藤咲家が出来上がっているはずだ。ハオリュウが当主なんだからな。――そうなりゃ、何も問題ねぇだろ?」
「ルイフォン!?」
 鈴を振るようなメイシアの声が、高く裏返った。黒曜石の瞳が大きく見開かれ、やがて透明な涙で潤んでいく。
「初心に帰って、駆け落ちしようぜ」
 今となっては懐かしい出来ごとだが、ふたりの想いが通じ合った直後には、そんな話もあったのだ。
「メイシアはずっと、家のことをハオリュウに任せきりにしたって、気にしていただろ? だから、ちょうどいい機会だと思って、しばらく手伝ってこいよ」
「ルイフォン、ありがとう……!」
 恥ずかしがり屋のメイシアが、周りを気にすることなく、ルイフォンの胸に飛び込んだ。その背に腕を回し、彼は高らかに告げる。
「それじゃ、行動開始だ!」
 ルイフォンの宣戦布告で、この場はお開きとなった。

3.庭園迷路の囚人-1

3.庭園迷路の囚人-1

 燦然と輝く、白亜の王宮。
 その上階の窓辺に、ハオリュウは(たたず)む。
 眼下には、美しく刈り込まれた生け垣による、壮麗な庭園迷路が広がっていた。
 濃い緑の色合いに、どのような植物を用いているのか、この高さからでは判別できない。しかし、芸術的なまでに無機質に、正確無比な幾何学模様を描くのであれば、樹木に名など要らぬであろう。
 蝉の歌声の()み間に、蟋蟀(キリギリス)の間奏の流れる、この時節。花を咲かせる樹は意外に少ないという。故に、この庭園の設計者は、季節を問わず、常に変わらぬ王威を演出すべく、花を魅せるよりも、技工を凝らすことを選んだらしい。
 もっとも、四季折々で表情を変える藤咲家の庭では、開花時期の長い百日紅(サルスベリ)の花が、今も季節の移ろいを優しく見守っているのであるが。
 ――迷路と呼ぶほどの複雑さもないな。
 ハオリュウは、冷ややかに目を(すが)めた。
 こうして俯瞰(ふかん)すれば、ごく単純な、ただの紋様だ。まるで、今回の彼の逮捕劇のように。
 ぎりっ、と奥歯を噛み、ハオリュウは眉間に皺を寄せた。こんなときでも折り目正しく、スーツを着込んでくるような彼でなければ、忌々(いまいま)しげに舌打ちをしていたことだろう。
「ふざけたことを……!」
 すっかり低くなった声で、彼は怒気を吐き出す。
 摂政カイウォルは、異母姉メイシアが生きていることを知っている。ならば、冤罪(言いがかり)と分かり切っている『父と異母姉(あね)の殺害』という罪状は、ハオリュウに罪を着せるためではない。彼を人質に、異母姉(あね)から『ライシェン』の隠し場所を聞き出すためのものだ。
 あるいは、もっと直接的に、ハオリュウと『ライシェン』の交換を要求する(はら)か。 
「姉様をなんだと思っているんだ……!」
 最愛の異母姉(あね)には幸せになって欲しいからこそ、ハオリュウは苦労して『渓谷の事故』を作り上げ、ルイフォンのもとに『嫁がせた』。
 来春、父の喪が明けるのを待って、結婚式も挙げる。
 そのための花嫁衣装だって、手配した。
 実のところ、ルイフォンが婚姻開始年齢に達していないので、戸籍上の結婚にはまだ早いのであるが、そもそも『死者』の異母姉(あね)に戸籍はない。しからば、めでたい挙式(こと)の先取りくらいよいだろうと考えたのだ。
 ハオリュウは、異母姉(あね)の晴れ姿を非常に楽しみにしている。歪んだ形かもしれないが、『渓谷の事故』は、ハオリュウの心からの祝福だった。
 それなのに。
 あの事故を利用された。
「姉様を外道のあばずれにする気か!?」
 異母姉(あね)は、平民(バイスア)に懸想した挙げ句、自死を選んだことになっている。しかも、彼女が原因で、父親まで亡くなったという設定だ。それが、実は生きていて、恋人と仲睦まじく暮らしていたとなれば、とんだ醜聞である。
 ハオリュウは拳を握りしめ、壁に打ち付けた。反動で、窓硝子が脅えたように震える。
 白眼視されると分かっていても、異母姉(あね)は間違いなく、王宮に姿を表す。そして、異母弟(おとうと)の無罪を訴えるだろう。
「――っ!」
 異母姉(あね)を『死者』にした、過去の自分をハオリュウは呪う。
 貴族(シャトーア)平民(バイスア)の婚姻は、禁止されているわけではない。現に、ハオリュウの父は貴族(シャトーア)で、母は平民(バイスア)だ。
 ハオリュウの両親とは逆に、貴族(シャトーア)の娘が、平民(バイスア)の男に嫁ぐことだってある。多くの場合、没落した貴族(シャトーア)が、裕福な平民(バイスア)に、金銭的な援助を目的として縁を結ぶのであるが、ともあれ、身分違いの婚姻は皆無ではないのだ。
 だから、異母姉(あね)から初めて、ふたりの仲を告白されたときには、ルイフォンが婚姻開始年齢を迎えるまで、実家で花嫁修業でもしていればよいと思った。一時(いっとき)の想いなら、その間に冷めるだろう、と。
 けれど、父が〈影〉にされていたことが判明した。〈影〉はハオリュウの命を狙い、異母姉(あね)を人質に悪行の限りを尽くそうとした。
 そして。
 自分たち姉弟(きょうだい)を守るため、父の魂を救うため。
 ルイフォンが毒刃で、(〈影〉)を殺した。
「…………」
 父の死因を偽る必要があった。
 父が亡くなり、空席となった藤咲家の当主の座を、確実に手に入れる必要があった。さもなくば、年少の後継者(ハオリュウ)を廃し、妙齢の異母姉(あね)に婿を取ろうとする動きが出てくるであろうから。
 ……何よりも。
 すべての責任を負おうとしたルイフォンと、彼を追いかけていった異母姉(あね)を引き離すなんて、できるわけがなかった。
『渓谷の事故』は、あの時点での最善の選択のはずだった。
「畜生……」
 ハオリュウに力があったなら、異母姉(あね)を『死者』にすることはなかった。別の手段を取ることもできたはずだ。
 腹の底から沸き立つ怒りは、『渓谷の事故』を悪用したカイウォルに向けられたものか。それとも、不甲斐ない自分に対するものか。
 ――自由の翼を手に入れた異母姉(あね)を、貴族(シャトーア)の籠に戻してはならない。
 瞳を(とが)らせ、ハオリュウは緑の庭園迷路を睥睨(へいげい)する。
 カイウォルの用意した道筋を、素直に歩いてやる義理などない。
 必要な出口は、この手で作り出せばよいのだ――。


 カイウォルがハオリュウのもとを訪れたのは、逮捕から丸一日ほど経った、翌日の昼過ぎのことであった。
「もっと早くに、君のところに来たかったのですが、政務が滞っていましてね」
 今まで、誰かと面会していたのだろう。謁見の間で焚かれる(こう)の匂いが、言い訳がましく、ふわりと漂った。
 伏し目がちな美貌は、ややもすると申し訳なさそうな印象を与えるが、上辺だけのものだ。後回しにしたのなら、その程度の優先順位だったというだけだ。あるいは、ハオリュウを長時間、外界から隔絶することで、彼の精神に負荷を掛けようとしたのか。
 もっとも、カイウォルにとって、ハオリュウは『ライシェン』を手に入れるための駒にすぎない。身柄さえ掌中に収めてしまえば、ハオリュウ個人に用はないのだ。そう考えれば、わざわざ部屋に顔を出したのは、カイウォルなりの誠意かもしれなかった。
 さておき――。
 ハオリュウは、ぐっと眉を(うち)に寄せ、困惑顔を作った。
 肩を丸め、前よりも伸びた背を小さく見せる。少年(こども)らしい利発さに、あどけなさの残る面差しを重ね、テーブルの向こうのカイウォルを見上げる。
「摂政殿下の多忙は承知しております。ですが、身に覚えのない罪で拘束された件に関しましては、承服いたしかねます」
 臣下としての礼を欠くことはなく、さりとて、批難を口にしていないわけではなく――むしろ、台詞の上では立派に憤慨している。しかし、父親譲りの凡庸ながらも誠実そうな相貌に、少年(こども)ならではの儚さが加われば、(いわ)れなき罪に問われた憐れすら漂う。
 普通の者であれば、思わず手を差し伸べたくなるような様相は、平民(バイスア)を母に持つハオリュウが、上流階級を生き抜くために身につけてきた処世術だ。
 ただし、彼を囚えた張本人であるカイウォルには、正しく抗議と伝わったようで、すっと通った鼻筋に、わずかに皺が寄る。
 別にそれでよい。ハオリュウは、カイウォルと馴れ合うつもりはない。
「君は……相変わらずですね」
 雅やかな苦笑と共に、カイウォルは奈落(ブラックホール)のような瞳を細めた。
『太陽を中心に星々が引き合い、銀河を形作るように。カイウォル殿下を軸に人々が寄り合い、世界が回る』
 そんな文言で(うた)われる摂政の重力に、この年若い貴族(シャトーア)の当主は決して呑み込まれない。たった十二歳でありながら、他に類を見ない胆力に、カイウォルは内心で賞賛を送る。――勿論、本人(ハオリュウ)(あずか)り知らぬことであるが。
 もしも歳が近ければ、カイウォルは間違いなく、ハオリュウを遠ざけただろう。しかし、ひと回り以上も年下となれば、好奇心のほうが(まさ)る。穏やかな見た目とは裏腹の、激しい気性の持ち主とあらば、なおのこと興味は尽きない。
 実のところ、カイウォルは嘘偽りなく、ハオリュウを腹心に欲しいと思っていた。しかし、これまでに散々、ハオリュウの逆鱗に触れてきたことを(かえり)みれば、そんな望みは叶うべくもないのである。
「心配しなくとも、君の無実が証明されれば、すぐに解放しますよ」
 蠱惑の旋律を響かせ、カイウォルは緩やかに口の端を上げる。今は、メイシアが出てくるのを待つ段だと言ったのだ。
 ――そうはさせるか。
 異母姉(あね)は、義兄(ルイフォン)(そば)を離れてはならない。
 ハオリュウは純心な少年(こども)の顔で首をかしげ、カイウォルの言葉尻を捕らえる。
「いったい誰が、私の無実を証明してくれるというのでしょうか?」
 刹那、カイウォルの微笑が途切れた。
 ハオリュウが攻勢に転じたことに、気づいたのだ。
「そうでしたね。君にしてみれば、姉君が表に出てくることは忌避すべき事態、というわけですね」
「ええ。異母姉(あね)は既に亡くなっておりますので、出てきてもらっては困るのです」
 すっと踏み込んできた、カイウォルの問い。対して、答えるハオリュウは、しなやかな絹布の如くに、さらりと。
 今まで、カイウォルとハオリュウは、互いにメイシアの生存を承知しながらも、素知らぬふりを通してきた。
 その不文律が、たった今、破られた。

3.庭園迷路の囚人-2

3.庭園迷路の囚人-2

「カイウォル殿下が必要とされているのは、私の異母姉(あね)ではなく、〈神の御子〉です。異母姉(あね)のことは、お捨て置きください」
 ハオリュウは、単刀直入に『〈神の御子〉』と切り出した。
 迷路の入口はハオリュウの逮捕でも、出口は〈神の御子〉なのだ。回りくどく話を進めている間に、『多忙な』カイウォルに逃げられぬよう、一気に核心に迫る。
「君の気持ちは分かりますが、『ライシェン』は、鷹刀一族に奪われたのですよ。君の姉君の恋人、鷹刀ルイフォンの属する、鷹刀一族に。――ならば、メイシア嬢は無関係とは言えません。王宮に出向いて、しかるべき態度を示すべきでしょう」
 傲慢な王族(フェイラ)そのもののカイウォルの弁に、ハオリュウは気色ばんだ。
「お言葉ですが、殿下。『ライシェン』は、『あなたの部下』であり、王族(フェイラ)直属の研究組織〈七つの大罪〉の研究員である、〈(ムスカ)〉という男の監視下にあったはずです。問い詰めるべきは、〈(ムスカ)〉でございましょう」
 さり気なく、『あなたの部下』を強調した。何故なら、菖蒲の館での会食のとき、カイウォルは〈(ムスカ)〉を自分の手の者として、自慢げに紹介したのだから。
 さてはて、いったい、どう取り繕うつもりであろうか。
 ハオリュウは、胸の中で嘲弄する。
 しかし、不遜なことに、カイウォルは大げさなほどの溜め息で返してきた。
「ハオリュウ君、〈(ムスカ)〉は鷹刀一族の出身()なのですよ。彼は『ライシェン』を連れ去り、自身の一族のもとに身を隠しました。血族に匿われた〈(ムスカ)〉を引っ張り出すのは、容易なことではありません」
 なれば、メイシアを利用するのは当然だと、言外に告げる。
 ――厚顔無恥にもほどがある。王族(フェイラ)ならば、何をしてもよいと思っているのか。
 自分の内部から、憎悪が膨れ上がるのを感じた。
 だが、分別ある貴族(シャトーア)の彼は、その感情を外へと出すような愚は犯さず、闇色の瞳を冷ややかに細めるに留める。
 まだまだ机上の空論でしかない『この国から身分をなくす』というハオリュウの未来図の中に、現在の王族(フェイラ)への処遇という問題がある。
 本来なら、現王を(たお)すのが(すじ)であろうが、この国は、白金の髪、青灰色の瞳の天空神を崇める宗教国家だ。国民感情に配慮すれば、神と同じ姿をした女王に危害を及ぼすべきではない。
 ――その代わり、カイウォル殿下に、王族(フェイラ)の象徴として消えていただくことにしよう。
 国家の運営という面において、カイウォルの手腕が必要不可欠であることは理解している。だが、そのころまでに、ハオリュウ自身が有能になればよいだけだ。
 未来へと思いを馳せることで、ハオリュウは、この場では、ぐっと苛立ちを呑み込んだ。
 気を取り直し、低い声で「殿下」と呼びかける。
「高潔を誇りとする鷹刀一族は、非道な〈悪魔〉として生きる道を選んだ〈(ムスカ)〉を、追放処分としています。故に、鷹刀一族が〈(ムスカ)〉を保護するなど、あり得ません」
 冷涼とした光沢を放つ、絹糸(けんし)の如く。ハオリュウは静かに断言した。
 現状という迷図に、彼は『策』という名の『糸』を張り巡らせる。
 真実と虚偽とを()り合わせて(いと)を紡ぎ、カイウォルに手繰(たぐ)らせ、用意した出口へと誘う――。
「ほう。姉君だけでなく、君自身も、かの一族に詳しいようですね」
 蠱惑の旋律が、興を帯びた。
 ハオリュウは内心の笑みを悟られぬよう、瞳を伏せる。
「鷹刀ルイフォンをはじめとする、鷹刀一族は、私の命の恩人なのです」
「命の恩人とは……。穏やかならざる話ですね」
「ええ。私は、父に命を狙われました。――正確には、『あなたの部下』である〈(ムスカ)〉によって別人にされてしまった、『父の姿をしたもの』に、です」
「!?」
 困惑に眉をひそめたカイウォルの視界の中心で、ハオリュウの背後に、(くら)い闇が広がった。
 カイウォルの奈落の瞳より、更に(くら)い漆黒が、深淵を覗かせる。
「〈七つの大罪〉の技術のひとつである『〈影〉』というものを、殿下はご存知でしょうか? 父は、その技術の実験体にされました。藤咲家の没落を狙う、とある貴族(シャトーア)からの依頼を受けた、〈(ムスカ)〉の仕業です」
 王宮に属する摂政は、神殿に属する〈七つの大罪〉の技術については、ほとんど知識がないと聞いている。それでも、ハオリュウが故意に選んだ『実験体』という言葉には、さすがに感じるものがあったのだろう。
 カイウォルの喉が、こくりと動く。
 それを確認し、ハオリュウは静かに畳み掛けた。
「私は、『父の姿をしたもの』に、足を撃ち抜かれました」
 不自由になった足に視線を落とし、寂しげに笑う。
 車椅子は要らなくなっても、以前のように走ることは二度と叶わぬ足だ。
「動けなくなった私が、とどめを刺されそうになったとき、鷹刀ルイフォンに助けられました。どうやら、責任感の強い鷹刀一族は、追放したとはいえ、血族である〈(ムスカ)〉のしでかしたことの後始末に奔走していたようで……、私は運が良かったのです」
 すべてが真実ではないとはいえ、(おおむ)ね間違ってはいない。そして、ほぼ事実である虚構は、人を惑わすに充分な信憑性を持つ。
 案の定、衝撃の告白に、カイウォルは顔色を失った。
「私と異母姉(あね)が、鷹刀一族と知り合ったのは、そういう縁です。この件がもとで、父は、そのあと亡くなりました」
 父の死因は、うやむやに誤魔化す。間違っても、ルイフォンの毒刃が命を奪ったなどとは言わない。
「殿下が不審に思われた『渓谷の事故』は、父の死と、恩人であるルイフォンと恋仲になった異母姉(あね)の気持ちを考え、私が作り上げた嘘です」
「ハオリュウ君……、君にも事情があったのは分かりましたが、嘘は……」
「だって、殿下。仕方がないではありませんか。『〈影〉』は存在しないはずの技術です。傍目には、乱心した父が、息子の私の命を狙ったようにしか映りません。表沙汰になれば、藤咲家の恥となります。――それ故の『渓谷の事故』です」
 本来なら、王族(フェイラ)の言葉を遮るなど、あってはならない無礼だ。しかし、あえて禁を破り、ハオリュウは追い詰められた非力な少年(こども)を演じる。
「それとも殿下は、王族(フェイラ)直属の研究員である〈(ムスカ)〉が、藤咲家を狙う陰謀に加担したと、公に認めてくださるのですか?」
「それは……。いえ、そもそも、〈(ムスカ)〉が関わったという、証拠は……」
「証拠など、あるわけがないでしょう? 〈七つの大罪〉の〈悪魔〉の仕業なのですから」
 理屈になっていない理屈も、『〈七つの大罪〉』という単語の魔術で煙に巻く。〈七つの大罪〉の技術を恐れるカイウォルが相手なら、効果があるはずだ。
 ただし、細かく問い詰められれば、舌先三寸(でっちあげ)には必ず矛盾(ボロ)が出る。引き際が肝心だ。
「なんにせよ、むざむざと当主の死を許したことは、藤咲家の落ち度です。我が家の名誉に関わる問題ですから、どうか、これ以上は訊かないでください」
 声を震わせ、ハオリュウは、そっと自分の足を撫でた。
「……っ」
 カイウォルが声を詰まらせた。その機を逃さず、ハオリュウは仕掛ける。
「〈(ムスカ)〉という人物は、どうしようもない人間の屑です。けれど、過ぎたことを恨んでも、もはや取り返しがつきません。――それより、私が真に申し上げたいことは他にあるのです」
 険しい顔を向けたハオリュウに、カイウォルの目線が説明を促す。 
「これから〈(ムスカ)〉を探し出し、『ライシェン』を取り戻したとしても、その『中身』が無垢な赤子である保証は、どこにもございません」
「!?」
「『〈影〉』という技術は、人間の肉体に、別の人間の記憶を――精神(こころ)を書き込むものです。もしも、『ライシェン』の肉体に、〈(ムスカ)〉の記憶が書き込まれれば、いずれ〈(ムスカ)〉が、この国の王として君臨することになります。――そんな恐ろしいこと、私は考えたくもありません」
「――なっ!?」
 カイウォルにとって、ハオリュウの発言は青天の霹靂だったのだろう。典雅な美貌が凍りつき、彫像のように固まった。
 ハオリュウは胸中でほくそ笑み、言を継ぐ。とうの昔に死んだ〈(ムスカ)〉を、今も生きているかのように平然と(かた)る、自分自身に呆れながら。
「殿下。どうか、『ライシェン』を追うのはおやめください。――その代わり、私に妙案がございます」

di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~  第三部  第五章 金科玉条の紅を

この章は、2026年3月27日 ~ 2026年8月14日 毎週金曜日 定期更新です。

di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~  第三部  第五章 金科玉条の紅を

「家族を助けてくだされば、この身を捧げます」 桜降る、とある春の日。 凶賊(マフィア)の総帥であるルイフォンの父のもとに、貴族の少女メイシアが訪ねてきた。 凶賊でありながら、刀を振るうより『情報』を武器とするほうが得意の、クラッカー(ハッカー)ルイフォン。 そんな彼の前に立ちふさがる、死んだはずのかつての血族。 やがて、彼は知ることになる。 天と地が手を繋ぎ合うような奇跡の出逢いは、『di;vine+sin;fonia デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』によって仕組まれたものであると。 出逢いと信頼、裏切りと決断。 『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、絡み合う思いが、人の絆と罪を紡ぐ――。 近現代の東洋、架空の王国を舞台に繰り広げられる運命のボーイミーツガール――権謀渦巻くSFアクション・ファンタジー。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-03-06

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  1. 〈第四章あらすじ&登場人物紹介〉
  2. 1.月夜の朗報-1
  3. 1.月夜の朗報-2
  4. 2.渦紋の謀略-1
  5. 2.渦紋の謀略-2
  6. 3.庭園迷路の囚人-1
  7. 3.庭園迷路の囚人-2