06 その先の向こうに… ③

        09

 月曜日の朝。
 昭和町交差点で信号待ちをしているジンジの背中を、カコは「おっはよ!」と勢いよく叩いていた。
 前のめりになって振り返ったジンジは、背中に手を回しながら
「今日は遅ぇじゃん。いつもならオレより先に教室に来てて、すまし顔で席に座ってるのに……」と先に言ってから「おはよー」を返していた。
「ちょっと、寝坊しちゃって」とカコは照れながら舌を出した。
「珍しいこともあるもんだ」
 ジンジは、ふ~んと顎を突き出した。
「図書館で借りた本がとっても面白くって、結局最後まで読んじゃったんだ。それで今朝は、目覚ましが鳴ってもなかなか起きれなくて」
「そっか……」とジンジは、青に変わった横断歩道へ足を踏み出した。
 しかしすぐに足を止めて
「何してんだよ。信号変わったぞ」とカコを振り返る。
 カコは慌てて一歩を踏み出していた。
 そんなようすを見て、まだ寝ぼけてんのか?と思いながら、それでもカコが来るのを待った。
 ジンジの左横にカコが並んだ。
 ジンジが左手に下げていたアディダスのバッグを右腕に抱え直すのを待って、カコは彼の肩に触れそうなほど傍に寄っていた。
 二人は、一緒に横断歩道を渡りきった。
 その間もカコは、横に並ぶジンジに何度も目線を向けていた。
 知ってか知らずか、ジンジは前を向いたまま反応しない。
 今日はどちらからも、話題が無いようだ。
 話をすることが無ければ、それはそれでいい……
 二人は並んで学校に向かった。
 と、不意に、グラウンド沿いの所まで来た時、ジンジがカコの前に回り込んでいた。
 そのまま後ろ向きに歩きながら、カコを覗き込んでいた。
「なに? どうしたの? わたしの顔に何か付いてる?」
 戸惑いながら顔に手をやると
「うんにゃ」
 ジンジは一瞬、考えるような素振りを見せた後に頭を横に振り
「いつもの? カコだけど」と……だたそれだけ言った。
「だったら何なのよ?」
 カコは頬を膨らませて抗議した。
 するとジンジは、ほんの少し首を傾けて
「授業中、居眠りすんなよ」と言った。
 そしてまた身体を半回転させて、カコの右横に並んだ。
 カコは、ジンジの肩に自分の肩をぶつけながら
「それはそっちでしょ」と笑った。
「そうだな。オレだな……」
 そう言ってジンジは、いつもの癖で頭を掻くつもりで手を上げた……。
 しかしその手は途中で止まり、その後何事も無かったかのようにゆっくりと下りていた。
 ?と思いながらも、カコは何も訊かなかった。
 二人は、学校へ向かって歩いた。
        *
 カコが夜更かしして寝過ごしたというのは嘘だった。
 今朝もいつも通りに起きて、いつも通りの時間に家を出たところまでは、いつも通りの時間に学校へ行けると思っていた。
 しかし、不意に思い立つやいなや、旭東通りに姿を現すジンジを待つことに決めてしまっていたのだ。
 ジンジがいつもの角から出て来たのを見付けると、カコは後を追った。
 そして昭和町交差点の横断歩道のところで、確かめるように、彼の背中を叩いていたのである。
 手が触れた瞬間……
 それがそこに在(あ)るということを、カコは理解出来た。
 何故かホッとした。
        *
 でも、こうやって肩が触れあうほどに、こんなに近くに居ることが分かっているのに、いつものジンジとは何かが違うような気がしてならなかった。
 未来にそうなるかもしれない〝横断歩道〟を、今日は無事に渡りきっても、その不安は消えてくれなかった。
 だから何度も、確かめずにはいられないのである。
 しかし、カコの気持ちが伝わることは無く、ジンジは前を向いたまま、鼻歌であしたのジョーを口ずさんでいる。
 ちょっとだけカチンときたカコは
「いい天気だね!」と彼の横顔に向かって声を張り上げてしまった。
 ビクンと跳ね上がるジンジ。
「ど、どうしたんだよ」
「どうしたかって? いい天気だねって言っただけだよ」
 その顔に向かってフンと鼻を鳴らした。
「今日のカコは、ちょと変だぞ。交差点でおっはよーって出現してからずっとだよ。何か隠しごとしてない?」
「出現? わたしが……」
「そうだよ。突然後ろから現れて、オレの背中を思いっきり叩くしよ」
「そんなことないよ。いつものわたしだよ。それに思いっきりじゃないし」
「そうかなぁ~、何かなぁ~、ちょっとなぁ~」
 首を捻りながら、納得のいかないまま叩かれた背中に手を回そうとすると、それよりも先にカコの手が動いていた。
 カコはジンジの背中に手を添えた。
 カコの手はジンジの鼓動を捕らえていた。

        10

 教室に入ると、窓際のジンジの隣の乙音の席に、ナオとユウコの姿があった。
「どうしたんだよ」
 ジンジは鞄のベルトを肩から外しながら三人のところまでやって来た。
 カコは自分の席に寄らずに、鞄を両手に抱えたままやって来た。
「う、うん、ちょっとね。カコに急ぎの用があったんで待ってたの」とナオ。
「いつもなら来てる時間なのに来てないじゃない。だから来るまで乙音ちゃんと話をしてたんだ」とユウコ。
「はなし、してた、です」と乙音。
 その三人に、カコはおはよーと小さく手を振った。
 ジンジは、そうなんだ、と鞄を机の上に置いて開き、弁当だけを中に残して他の全てを机の上に無造作に置き始めた。
 そのようすを見ていたカコは、鞄に残されたお弁当箱がいつもより大きいのに気付いた。
 ジンジは、鞄とアディダスバッグを教室の後ろの自分の棚に置きに行った。
 その隙に、どうしたのよ? とカコは二人に口パクで訊ねていた。
 心配だったから、とナオとユウコも口パクで答えていた。
 三人の様子を、乙音は不思議そうに眺めている。
 戻って来たジンジは、椅子を引いて席に座り、机の上に置いたままの教科書とノートをまとめて机の中に押し込み始めた。
 片付け終わったジンジが
「二人とも、カコに用事があったんじゃないの? 早くしないと自習が始まっちゃうぞ」と言いながら、机の中から、改めて教科書とノートを取り出していた。
 教科書は当然、一番苦手な社会である。
 すると、そのようすを見ていたカコの目が大きく開かれていた。
 今にも飛び出しそうになる悲鳴を無理矢理飲み込み
「そ、その頭……」と言葉を詰まらせていた。
 ジンジの、右の額のイガグリ頭の中に、3センチほどのキズを発見したのだ。
 しかもまだ新しい。
 髪の毛の中のキズだったので、上から見るまで気付かなかったのだ。
「あ、これか?」
 ジンジは右の人差し指でそっと触れると
「昨日一人で練習しててさ、滑ってゴールポストにぶつけたんだ」とカコを見上た。
「昨日って……」
 カコは一瞬言葉を切り
「もしかしたらお昼ごろ?」と何かに閃いたように言葉が出ていた。
「お昼ごろだった。よく分かったな。さてはオレの練習を木の陰から覗いてたんじゃねぇの?」と冗談を言うジンジ。
「お昼ごろって言えば〝雨〟が降ったでしょう。それも急に凄く……」
 ユウコだった。
 ユウコは、その〝雨〟と言う言葉を、ことさら強調して言った。
「30分くらいで止んだと思ったけど……」と今度はナオだった。
 ナオのトーンは重い。
「そう、その時。急に降ってきたもんだから、もう上がろうと思ってさ、最後の一回ってことでゴール前にドリブルで走り込んだら、ぬかるんだグラウンドで滑っちゃってさ……」
 ケガなんていつものことさ、と平然としているジンジだった。
「それで?」
「それでって、ゴールポストにごっつんこだよ」
 ジンジはどうってことないじゃんという顔で、立ったままの三人を見上げている。
「それで?」
「それでって?」
 ジンジは不思議そうな顔をしている。
 二度目の、それで?の意味が理解出来なかった。
「それでその後どうしたの?……て訊いてるの」
 強い口調でカコが訊いていた。
 表情の中に、何か分からないものが見え隠れしている。
「そんな顔すんなよ。別に大したことじゃ無かったんだからさ」
 肩をすくめながら机に目を落とし、所在なく教科書をパラパラと捲った。
「言って!」
 捲る手を止めて、また顔を上げた。
 乙音以外の三人が、いつもとは全然違う顔付きになっていた。
 カコ、そしてナオとユウコ、最後に乙音へと首を巡らした。
 それから仕方ないという風に
「そのまましばらくひっくり返ってた」
 何でそんなこと聴きたがる?
 大したケガじゃないんだからさ。
 大ケガだったら、今ここに居ないぞ。
 入院してるぞ。
 どうだっていいだろうと言う風である。
「気絶してたってこと?」
 恐るおそる訊いてきたのはナオだった。
「うん、まぁ、そう言うこと……」
 ジンジはあくまで、あっけらかんとした口調を崩さない。
 ……と、ユウコが横の席の空いていた椅子に座り込んでいた。
 ナオが慌ててユウコの背に手を回していた。
「大丈夫か? 貧血か? 朝飯食ったのか?」
 これも半分は冗談っぽく、ジンジは声を掛けていた。
「う、うん、大丈夫。ちょっとダイエットしてるの」
 ユウコはカコに顔を向けると、話を続けて、と促した。
 カコは質問を続けた。
「どれくらい気絶してたの? 一人だったの?」
 一人で練習してたって言ったはずだよな……
「うん、一人」とジンジは諦め顔だ。
「気付いたら雨は止んでた」と言葉を切り「ちょうどあんな空」と教室の窓から青空を見上げた。
「30分も降らなかったと思うけど」とナオ。
 まだユウコの背中に手を置いたままだ。
「降り出してすぐに、滑ってポストにぶつかったから……。だったら気絶してたのは30分くらいだな」
 頭を搔こうとした手はいったん止まり、キズを避けた場所に移動した。
 何かにつけて頭に手をやるのはジンジの癖だ。
 そう言えば――
 今朝も一緒に歩いている時に、頭を掻く手を止めてたんだった……とカコは思い出していた。
「キズの具合は?」
 ユウコだった。
 落ち着いたようだ。
 ジンジは、そこまで言わなきゃいけないの?という顔をしながら
「頭からドバーって血が出てた……んじゃないかな?と思う。でも気が付いたらそんなんでも無かった。雨で流されたんだよきっと」
 突然、ドスンという音がした。
 それは、カコの手から鞄が滑り落ちて、床を鳴らす音だった。
「おい、なんだよ。大丈夫かよ」
 ジンジは立ち上がり、鞄を拾い上げて埃をはたき、そのまま胸に抱え込んでいた。
「ずっと持ってて手が疲れちゃって……、滑っただけだよ」
「顔色悪(わり)ぃぞ」
 カコは、覗き込もうとするジンジの目を避けた。
 目を合わせようとしなかった。
「座れよ」
 ジンジは自分の席を顎で示した。
「大丈夫だよ」
「いいから座れよ」
 首を横に振るカコを、ジンジは半ば強引に座らせた。
 それからナオとユウコにも睨むような目線を送って
「お前たちおかしいよ。ユウコだってそうだし、ナオだって突っ張った顔してるし、カコだって……」
「そんなことないよ。わたしは寝不足なだけだよ」
「わたしは、ダイエットで貧血……」
 ナオは、何て言えばいいのか分からず黙ったままだ。
「じゃない、絶対何か隠してる!」
 ジンジは鞄を抱いたまま仁王立ちになっていた。
 三人は、何も言わずに黙ったままだ。
 するとそこに、乙音がいつもの口調で割り込んできた。
「みなさん、そろそろ、自習、始まる」と黒板の上に掛けてある時計を指差していた。
 乙音の割り込みを待っていたかのように、自習開始5分前の予鈴が鳴っていた。
「ふ~ん……」
 予鈴を聴きながら、ジンジは呟きとも取れる息を吐いていた。
 そして
「自習、始まるぞ」と突き放すように言うと、抱えていた鞄を持ってカコの席まで行ってしまった。
 机の上に鞄を置いて戻ってくると
「ほら、何してんだよ。この話はもう終わり!」
 所在ない三人を追い払うように、手首を下から上へ、シッシッと振った。
 カコがジンジの席から立ち上がる。
 ユウコも立ち上がった。
「そうね、自習だね。わたしも教室へ戻らなきゃ」
「じゃあね、カコ。話はお弁当の時にね――」
 ナオが胸の前で小さく手を振る。
「ほら、さっさと行った行った」
 また手を振った。
「じゃあね」
 半ば追い払われるように、ナオとユウコは教室を後にしていた。
 ジンジは、唇をきつく結んだまま、二人が教室から出て行くのを見送った。
 乙音は、もう終わったというように家庭科の教科書を机の上に広げて覗き込んでいた。
 カコはまだそこに居た。
「ほんとに大丈夫だったの?」
 ジンジは何も言わずに、硬い表情をしている。
「……」
 諦めたカコは、席に戻ろうと背を向けた。
 その背に、ボソっと言葉がぶつかった。
「その後家でずっと寝てたんだ」
 カコは足を止めて振り返った。
「気絶してたんじゃないんだ。ぶつかった直後は血がなかなか止まんなくてさ。あんまり動かない方がいいと思って、雨の中しばらくグラウンドに横になってたんだ」
「どれくらい?」
「怒んなよ」
「教えて」
「一時間くらいかな」
「そんなに……」
「それでようやく止まったんで、頭にタオル巻いて帰ったんだ」
「……」
「それから風呂入って、自分で鏡見て赤チン塗って、朝まで寝てた」
「キズは?」
「もう大丈夫さ」
 ジンジはお辞儀をして、キズが見えやすいようにしてやった。
 額のすぐ上のイガグリ頭の中に、3センチほどの薄いカサブタがあった。
「朝まで寝てたって……。お昼とか夕ご飯は?」
 ジンジは顔を起こして、うんにゃ、と首を振った。
「雨に打たれて、ちょっと寒気がするからって嘘ついて、起こさないでくれって言って寝てたから」
「今朝は?」
「ギリギリに起きて、食欲無いって言ったんだけど、母ちゃんに無理矢理食パン1枚押しつけられた」
「食べたの?」
 ジンジは頷いた。
「お腹すいてないの?」
 空いてない、とジンジ。
 それで今日のお弁当は特別大きいんだ……。
 カコはジンジを見ている。
 すると唐突に
「それでさ、カコにお願いがあるんだけど」
「え、何? 何でも言ってみて」
 カコは思わず言葉を返していた。
 ジンジの唇の右端が、ニヤリと釣り上がった。
「今、何でもって言ったよな」
「え、ええ、そうだけど」
 どう言うこと?とカコは首を傾げた。
「先週出された社会の課題、ぜんぜんやってないんだ。だからノート貸してくんないか?」
 どうやらその課題を、自習時間の間に何とかしたいらしい。
「社会の課題? ああ、あの簡単なやつね。そんなのわたしのノートを見なくても出来るでしょう」と眉だけ動かした。
「そんなこと言わずに貸してくれよ」
 ジンジは拝むように、胸の前で両手を合わせた。
「今日は何故か先生に指名されるような悪寒がするんだ。それにさっき何でもって言ったじゃんかよ」
 彼のペースに巻き込まれてゆくような感覚の自分が居た。
 そうじゃ無くて反対に、自分から巻き込まれようとしているのかもしれない。
「悪寒じゃなくて予感でしょ」
 呆れ顔で腕を組み、唇を尖らせた。
「でもまぁしょうが無いか。具合悪くて寝てたんだもんね」
 カコは、よいしょ、と自分に声を掛け、席まで行った。
 そして鞄の中から出したノートを手にして戻って来た。
「まる写しは駄目だからね」
 両手でしっかりと差し出す。
「分かってます。あくまで参考にさせていただきます」と言いながら
 畏れ多いといった態度で背筋を伸ばし、ははーかたじけない、とお辞儀をしながら両手でノートを受け取った。
 また頭のキズが見えた。
 大事なくて良かった、とカコは心からそう思った。
 そして、早く準備をすすめなきゃ、と〝ある考え〟を巡らせていた。

        11

 休み時間になると、カコはユウコを呼び出し、二人でナオの教室まで行った。
 三人が揃ったところで、カコは口を開いた。
「出来るなら、もう一度あの夢を観てみようと思うの」
「も、もう一度……、なの?」
 ナオは戸惑っている。
 カコは強く頷いた。
「でも、どうして?」
 ユウコは、苦手な食べ物を無理矢理食べているような?顔になっていた。
「ほんとは観たくないよ。でもどうしても確かめたいことがあるの」
「何を確かめたいの?」とユウコ。
「くるま……」
「くるま?」
「ジンジを撥ねた車を覚えてる?」
「ちいさな白い車だった……よね」
 同意を求めるようにユウコがナオに顔を向けると
「ドアの横に何か書いてあった。だから営業車じゃないかしら」とナオ。
 そうだった書いてあった、とユウコ。
「じゃあ、そこに何て書いてあったか、二人とも覚えてる?」
 カコが二人に訊いた。
 すると二人は、お互いの顔を見ながら首を捻った。
「えっと……」
 はっきりと思い出せない。
「わたしも思い出せないの。でももしそれが分かったら、ジンジを撥ねる車を絞り込めるかも……」
 カコは、撥ねたでは無く撥ねる、と言った。
「そっか、そういうことか?!」とユウコ。
「車が分かれば、注意することも出来るわよね」とナオ。
「そしたら、事故を避けることが出来るかも」とユウコ。
「おばさんに頼んでみる価値があるかもね」
 カコは二人に強く頷いていた。
「でも、おばさんもそんなこと出来るのかしら?」とナオ。
「頼んでみなきゃ分からないじゃない。きっと出来ると思うな」
 ユウコが強く言うとナオも
「そうだよね」と言った。
 ?
「ち、ちょっと待って、ナオとユウコも観るつもり?」
「あたり前じゃない!」
 ユウコが声を上げる。
「三人で観た方が、それぞれに気付くことがあると思うけど……」
 そんなの当然じゃない、何故そんなこと訊くの? とナオは首を傾げている。
「そう言うこと。善は急げよね。今日いこう」
 ユウコは二人を抱えて、それぞれの肩を勢いよく叩いた。
「じゃあ、部活の後に」
 ナオはユウコに叩かれた背中に手を回し
 ユウコ強すぎー、いつもそうなんだから、
 とカコに目線を送った。
 ありがとう……とカコは笑顔で返していた。

        12

 昼休み。
 シゲボーとジンジが外に出たのを目で追った後に、カコは乙音の席までやってきた。
「乙音ちゃん」
「はい、なんです?」
 乙音は既に、紙袋の中に手を入れて、メロンパンと魚肉ソーセージを出そうとしていた。
「よかったらお昼、わたし達と一緒に食べない?」
 今日はカコのクラスで〝お弁当する〟番になっている。
「え、え、い、い、いいん、ですか?」
 思いもよらない誘いに、乙音は調子っぱずれな声をあげていた。
「ええ、もちろん」
 カコは持っていたお弁当箱を持ち上げて見せた。
 すると乙音も、メロンパンと魚肉ソーセージが入った紙袋を持ち上げてガサゴソと揺すった。
「う、嬉しい、です」
「じゃあね、乙音ちゃんの机をジンジのにくっ付けちゃおうよ」
「はい、わかった」
 乙音は立ち上がると、ガタゴトと机を揺らして隣のジンジの机に寄せた。
「丁度いいから、こっちも借りちゃうおうよ」
 カコはジンジの前の席の机を半回転させて寄せた。
 乙音は、自分の前の机も同じようにやった。
 乙音の前とジンジの前クラスメイトは、それぞれ気の合った友だちと別の場所でお昼を食べるので席が空いている。
「カコさんの、牛乳、持ってくる」
「ありがと」
 乙音は、当番が配膳室から運んできた牛乳を持って戻ってきた。
 そこにナオとユウコが現れた。
 手にはそれぞれお弁当と牛乳を持っている。
「ナオさん、ユウコさん、こっち、こっちです」
 乙音は大声で二人に手を振った。
「ごめんね、待たせちゃって」
 言いながらユウコは、ジンジの前の席に陣取った。
 そして乙音の席の前に、ナオが着席した。
 ジンジの席にはカコが座った。
 乙音のわくわくが止まらない。
 身体を揺すって嬉しそうにしている。
「みなさん、準備、いい、ですか?」
 三人はそれぞれのお弁当と牛乳を机の上に置いて待っていた。
 当の乙音は、すでに右手にメロンパンを持ち、左手には牛乳を手にしている。
 三人が、いいよ、と合図すると
「いただき、ます」と当時に、乙音はメロンパンにかぶりついていた。
 すると乙音は、驚いたように目を丸くしていた。
「おいしい、です」
 歯形の付いたメロンパンをしげしげと眺め、それからおもむろに二口目を口に運んだ。
 三人はまだ、お弁当の蓋を開けたばかりだ。
「乙音ちゃん。そんなに慌てて食べなくても大丈夫だよ。時間はたっぷりとあるんだから」
 ユウコが笑っている。
「慌ててる、違う、分からない、今日、メロンパン、とっても、美味しい」
「みんなで食べるから美味しく感じるんじゃないの?」
 ナオは最初のご飯を箸で口に運ぼうとしている。
「遠足で食べるお弁当みたいなもんだと思うよ」とユウコ。
「遠足、お弁当?」
「うん、そう。お弁当の中身はそんなに変わるわけじゃないけど、外でみんなと一緒に食べるお弁当ってさ、いつもと違って美味しく感じるじゃない。それと同じなんじゃないかな?」
 乙音は、メロンパンと魚肉ソーセージを食い入るように見詰めながら首を傾げた。
「わたし、遠足……」
「気の合った仲間たちと食事をすると、特別美味しく感じるもんね」
 カコは、自分のタコさんウインナーを箸で摘まんで乙音の前に差し出した。
 乙音がかぶり付く。
「これも、おいひい、です」
 乙音はブルっと全身を震わせた。
 遠足のことなどすっかり忘れてしまっている。
 遠足を知らない乙音に、どうして?と二人から質問が飛べば、話がややこしくなってしまうのを、カコはすんでの所で誤魔化すことが出来た。
「じゃあこれは」
 面白がって、ナオが卵焼きを差し出した。
 乙音は身を乗り出してかぶり付くと、また震えた。
 震わせながら身を乗り出して、ユウコのお弁当を覗き込んでいた。
「この唐揚げをどうぞ」
 ユウコが唐揚げを差し出すと、乙音は嬉しそうに頷いていた。
 そうやって四人でワイワイと、時間を掛けた食事が終わろうとするころ
「それでね……」とカコが話を切り出していた。

        13

 おばさんは乙音が用意してくれた紅茶カップを持ち上げた。
「それは薦められないわ」
 カコ、ナオ、ユウコの三人は、おばさんの家のリビングでテーブルを囲んでいた。
 おばさんの横に座っている猫舌の乙音は、紅茶が冷めるのを待っている。
 ユベールは今日もナオの膝の上でうたた寝をしている。
 ユウコにはそれが、ちょっとだけ不満そうだ。
「どうして駄目なんですか?」
 カコは食い下がった。
 頼めば当然観せて貰えると思っていたからだ。
 それが簡単に断られてしまって、どうしても諦めきれない。
 ナオとユウコも同じだ。
「同じ夢をまた観るってことは、とても危険なことなのよ」
 カコは身を乗り出した。
「じゃあ、わたしだけでも」
 思念で映像(夢)を観るのは、観せられた本人の身体や精神に何らかの影響を及ぼしてしまうのではないだろうか?……だったらわたしだけでも、と思っての提案だった。
「落ち着いて」
 おばさんはゆっくり、優しく言った。
「あなた達が危険じゃないの。危険なのはジンジくんの方なの」
「ジンジが危険?」と首を捻るカコ。
「おばさんは言ったわよね。未来は変えられるって」
 三人は頷く。
「だからもう一度観せてもらって、もっと細かなことを知ることが出来れば、事故を回避する方法が見付かるかも知れないと思ったんです」
 おばさんは一度だけ首を横に振った。
「それが危険なのよ」
 三人は、言葉の意味を測りかねた。
「同じ未来を繰り返し観てしまうと、それが〝現実〟となってしまうの」
 そう言って、手にしていたままのカップを口に運んだ。
「何度も観ることによって、未来への〝道〟が出来てしまうの。言い換えれば、無限にある未来の中の、夢で観たその未知(道)だけが太くなってしまうのよ」
 そしてようやくカップをテーブルに戻した。
「未来が……その太くなってしまった道に進むようになってしまうんですか?」とカコ。
「そうよ」とおばさん。
「無限に広がっているはずの未来が、狭まってしまう」とナオ。
「決まってしまう、ってことですね」ユウコだった。
「言い換えれば、観えてしまうと観えた方向に動いてしまうの」
「どう言うことですか?」とナオとユウコ。
「ひとつへの未来へ〝方向〟が決まってしまうってことなの」とおばさん。
 おばさんは〝占い〟と口にしているが、それは陰陽師としての言葉であることを、カコは知っている。
 別の次元での注意なのである。
「あなた達にもう一度観せるってことは、ジンジくんにとってはとても危険なのよ。そうなると事故が起こる確率が上がる。観たとおりの事故がね……。二度目を観たとして、ジンジくんを撥ねた車の文字が分かったとして、それからあなた達三人が何らかの手を打ったとしても、二度観てしまったことで、事故が起きてしまう確率が、一度目よりもグンと上がってしまうの。それはどうしても避けたいの。分かってくれるかしら」
 三人は、おばさんの思念の力を実感しているからこそ、その言葉には思い意味を感じていた。
 説得力があった。
「未来を決めたくないの。おばさんは、それが言いたいのよ」
 とても良いアイデアだと思っていたのに、こうもあっさりと否定さえるとは思ってもいなかった。
 三人は肩を落とした。
「でも……」とカコ。
「おばさんは何度も観たんじゃないのか?と言いたいんでしょ」
 頷くカコ。
「おばさんはジンジくんの夢を何度も観てます。だからおばさんはジンジくんを危険にさらさないためにも、あえておなた達には何も言わない、アドバイス(助言)はするけどヒント(手掛かり)を与えるつもりはありません」
 きっぱりと断言していた。
 悪い意味では無く、知っていても行動を起こさなければ、それは全く関係の無いことなのだ。
 おばさんの関係しない未来は、いくらでも変化するのだ。
「でも、このままだとあまりにも手掛かりが少なすぎるんです」とユウコ。
「起こる可能性があると予想しながら、事故を回避するように行動するしか……、今はその方法しか無いのかも知れない」とカコは力なく呟いた。
 でも……ちょっと待って、とナオ言い出していた。
「〝かも知れない〟て分かっていることは、何も知らないよりは有利なのよね」
「そう、そうなのよ、よく気付いてくれたわね。今はまだ、あなたたちの行動ひとつひとつでいくらでも変えることが出来るのよ。夢で観た未来を決定付けさせないようにするためにもね」
 おばさんの言葉には、力があった。
 すると突然、乙音が口を開いていた。
「カコさん、何故、ユウコさん、夢、観た? ジンジくん、どうして、事故に、遭う? ふたつ、夢、繋がり、ある、ですか?」
 カコは立ち上がった。
「もう一度初めから、これまでの流れを整理してみようよ」
 言うなり玄関へ向かっていた。
 戻って来ると、手にはノートと筆箱が握られていた。
 テーブルの上に開かれたノートに向かって、ナオは椅子から身を乗り出していた。
 ユベールが慌てて、床に飛び降りた。
「じゃあ、カコが観た夢から整理しようよ……。詳しく思い出してみてね」とナオ。
 近い将来、ジンジに〝何か?〟が起こる。
 それだけは分かっている。
 ナオの膝から追い出されたユベールは、床の上から不満そうに三人を見上げていた。

 ④へ続く……

06 その先の向こうに… ③

次回④の掲載は、2月27日(金)の予定です。
ご意見、ご感想、お待ちしています。
質問も、大歓迎です。
syamon_jinji@proton.me

06 その先の向こうに… ③

教室で談笑している時に、偶然見付けたジンジの頭のキズ。それを見たカコは、ナオとユウコに、ある考えを提案していた…

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-02-20

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著作権法内での利用のみを許可します。

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