夏。忘れられない、夏。

――百合
 ……誰かの声が聞こえる。
――起きて、百合。もう夕暮れだよ
 私の名前を、一所懸命に呼んでいる。その声は、確かに聞き覚えがあった。
 ――でも。彼女は。
――帰ろ? またうちに一緒に泊まろうよ? 一緒に花火を見て、川遊びをして、美味しいバーベキューを食べて、また一緒に…………また、夜を過ごそうよ?
 ……恋花(れんか)……? あなたなの……?

 ――自然と目が開いた。
 机に突っ伏していた上半身を上げる。
 その時、目元からぽろりと何かが零れ落ちた。
「……? ……?」
 泣いている。これは確かに、私の流した涙だ。
 ……でも、なんで?
「……」
 あの、声かな?
 ――でも。彼女は。
「……」
 辺りをゆらりと見回す。
 静かな、夏の、学校の夕暮れ時。部屋はエアコンが効いていてそこまで暑くはないが、外は想像するに蒸し暑そうだ。
「……。……。…………」
 私は、考えた。
 なんで、あんな夢を見たんだろう? 彼女は、どうなったのだろう? 自問自答しようとしたが、今の私には、何も分からない。分かろうとしても、理解できない。
「レン……今……どうしてるんだろうな」
 旧友の名を、独りごちた。彼女は、いま……。
 私は、俯いた。いや、俯かざるを、得なかったろう。彼女のことを思い起こすだけで、心が張り裂けそうだ。
「……あのこと、根に持ってるかな……」
 私は考える。彼女は数日前まで、間違いなく、私の親友たる存在だった。
 でも、その均衡は、刹那に命を終える蜉蝣のように、突然崩れ去ってしまった。
 それは、全て、私のせいであり、運命的なものでもあった。
 私が悪い。彼女は微塵も悪くない。彼女を、あのような状況に陥らせて、あのような幕の閉じかたをさせてしまったのは、全て、自分が悪いのだ。
「……あたし、生きていけるかな。それとも、いっそ彼女の元に、行ってしまおうか」
 目頭が熱くなってきた。一つ、また一つと、涙が零れ落ちる。
 それは次第に、床に小さな水溜まりができそうなくらい、激しい慟哭へと、変わっていった。
「……レン……恋花……れんかぁ……なんで……どうしてあなたは……」

――ガララ
 その時、教室の引き戸を、静かに開ける音がした。
 私は反射的に、その音のしたほうを直視する。
「……!!」
 そこには――。
「……百合、お邪魔しちゃったかな?」
 私は、溢れる涙さえも厭わずに、その女性に向かって立ち上がり、勢いよく駆け寄った。
 飛びつくが如くに、彼女の胸に飛び込んだ。
「……うっ……うっ……来てくれたの……? でも、なんで……」
「……よしよし。あなたを、ここに置いておけないでしょ? さっ! 帰るよ! 先生には、話をつけといたから! あれくらいのことで、号泣してたら、あなたらしくないよ?」
 彼女は私の頭をゆっくりと撫で、慈しみの微笑みを浮かべる。
「帰る……って、どこに? あなたの家なの? それとも……」
「あー! ごめ、今日はお泊まりできないんだ。でも……まずあたしと一緒に…………『上』に、いこ? それが一番楽だよ……ねっ……?」
 そう言った彼女も、やはり少し涙目にはなっていた。
「……うん……うん、あなたについていくよ……今度は、絶対に、手なんて離さないから……」
「……うん、良い心がけ! ……じゃ、一緒に行くよ? ……あなたは、それでいいんだね?」
「……うん。そうだよ、恋花」
「……分かった。一緒にいこ? ……百合」



 ――その後。『彼女』が、『彼女』の宿題を丸写ししたことがバレて、共に職員室に呼ばれていたことを、知るものは――ほとんどいた。
「せんせっ! こいつ、宿題写しただけで号泣してたんすよ!」
「……百合。泣く暇あるんだったら、自分で勉強しろ」
「……ごめ~んなさい、先生! でもホントに悩んでたんですよ? ……まあ、でも、最近韓流ドラマの観すぎかしら……涙脆くなっちゃったわ!」

夏。忘れられない、夏。

夏。忘れられない、夏。

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更新日
登録日
2026-02-16

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