初雪と人付き合い

初雪と人付き合い

 この頃の天気予報はよく当たる。土曜から日曜にかけて雪が降り積もるから、地面の凍結や車の運転等気をつけるようにと、気象予報士が注意を呼び掛けている姿をテレビで見たが、その通りとなった。
 翌朝、カーテンを開けると、手入れの行き届いていない猫の額ほどの庭にある山茶花や松の木に、真っ白な雪がまるでベレー帽のようにちょうど良い塩梅に積もっていた。
 降り積もった雪を手に取ると、例年の水っぽい重たい雪とは違い、北国にでも降るような水気の少ないふわふわとした雪だった。いつも聞こえてくる鳥の鳴き声はさすがにしなかった。今日は一日、家で過ごそうと巣に引き籠っているのかもしれない。
 そんな野鳥のことなどを考えられるめでたい身分なのは、私が雪国で暮らしていないせいだからだろう。雪国で暮らす人は、降り積もった雪を目にしてそんな悠長なことは言っていられない。まさに命がけで雪かきとなるのだろう。雪国で暮らす人のことを考えると、わずかに降り積もった雪を見て綺麗だとほざいている自分が酷く決まりが悪いが、久しぶりの雪景色を見て、雪は人付き合いと一緒だと思った。

 ふるさとというものを持たない私は、故郷に帰るということを経験したことはないが、例えば久しぶりに里帰りをして懐かしい顔ぶれを目にし、互いの暮らしぶりのことや近況など一通り報告し、手土産などを差し出すと相手は礼を言いながら歓待してくれる。いつまで居られるんだと訊かれ、一つ切りしかない身体であるのに、家に泊まれ、ぜひ家にも泊まれとせがまれ争奪戦である。
その晩は、まるで浦島太郎が竜宮城に行った時のように、下にも置かないもてなしを受ける。
 二日目くらいまではまだいいじゃないか、帰るなと引き留められ、モテて困るなと言いながらも厄介になるが、三日目となると風向きが変わり、だんだんとそれも下火になる。そのものズバリとは言わないが、家を留守にしていて大丈夫なのか、週末は天気が悪いらしいけど交通機関は大丈夫だろうかと、遠回しに家へ帰れと言わんばかりの言葉が耳につくようになり始める。
 歓迎されているのだと勘違いし、いつまでも厄介になっては駄目なのである。人の言葉を真に受けてはいけないのである。人は誰でも、久しぶりに目にするものはどこか物珍しく、歓迎したい気持ちにもなるが、それも度を過ごしたり年中となっては違うのである。うんざりされるのである。
 人間も滅多に降らない地域に降り積もる雪のように、物珍しいうちが花である。寒波のようにずっと居座られては暮らしのリズムは乱れ、食費も光熱費も嵩み、気働きをし過ぎて身も擦り減るというものである。
 寒波とは違い、気持ちひとつでどうにでもなる人間は、人に眺められて綺麗だな、もう少し見ていたいなと思われるうちに、そこを退くのがちょうど良い。間違えても、雪掻きをされたり、泥が混じり日に照らされて、足元が悪くなるまで居ては駄目なのである。

初雪と人付き合い

2026年2月8日 書き下ろし
2026年2月11日「note」掲載

初雪と人付き合い

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-02-11

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