ラットと熊
あの騒動と共に歌詞考察してみた
2025年10月26日。小樽商科大学のテニスコートにて熊の糞らしきものが発見された。近頃小樽市で熊や熊様の生き物が目撃されているということもあり、大学は熊対策として様々な規制をかけた。夜間授業の対面禁止、夕方以降のサークル活動の制限、サークル会館や図書館などの施設の利用制限などだった。このような熊への警戒態勢は1ヶ月続き、先日元通りになった。
というのは割と記憶に新しい話のはずだ。私はこの一連の出来事を「熊騒動」と呼んでいる。
なぜこの出来事を持ち返してきたかというと、私が唯一「マイナーなボカロ曲」として知っている「ラットが死んだ」と、この状況が非常に似ていると考え、歌詞考察に妄想が捗ったからである。
私は最近様々な曲を聴くようになったが、中でもアニソンが好きで、歌詞を見て「ここ誰のこと言ってる」「これはこの展開の示唆だ」と考察するのが好きである。最近は、HANAの「NONSTOP」はメンバーや過去の楽曲との繋がり、米津玄師の「感電」は主題歌ではないものの「チェンソーマン」のデンジの心情ではないか、とアニソン以外も深堀してしまう。
今回はそんな私の趣味で、私の好きな曲から熊騒動を考えてみる、ちょっと真面目な文章を書いてみる。
序章:「ラットが死んだ」 とは
この曲は、カミュの「ペスト」という小説が元になっている。ある日、市でネズミの死体が発見される。日毎にそれは増え、ついには人間も死に始める(ネズミの死体を処理した門番が最初の死亡者で、彼が死ぬエピソードは私のトラウマになった)。原因はペストの流行によるもので、市は封鎖されるに至る。その様子を、医者の主人公の目線で書いた小説だ。不条理VS人間、という一貫したテーマがある。
数年前、新型流行病のコロナが流行った時、「ペスト」は再び注目を集める書籍となった。私も1度最後まで読んだが、病魔に犯される人々の描写が凄惨で、ある日風呂の中でその本の内容を思い出した私は、その場で貧血を起こしぶっ倒れた。それ以来小説は読んでいないが、「ラットが死んだ」はリズム感や使われる楽器が好きでずっと聴いている。
今回私が考察に使わせていただくのは、初音ミクが歌う「旧版」だ。この曲は「旧版」と島爺が歌う「本家」と2種類あり、微妙に歌詞が違うのだが、私は「旧版」の方が「ペスト」の原作の世界観に近いと思っており好みである。
それでは、歌詞考察に移ろうと思う。
第一章 天災の始まりと誤魔化し(1番)
ラットが死んだ
2011.11.17 リリース
作詞・作曲 P.I.N.A
歌唱 P.I.N.Afeat.初音ミク
花の香りも手伝って
市(まち)に加速する灰色の目
眠れないのと偽って
虚ろを覗き込むブリキの目
冒頭からベースの低音とアップテンポのパーカッションで曲の世界観に引き込まれる。そして、Aメロから突然入り込んでくるピアノがたまらなく好きだ。
さて、歌詞の方を見ていくと、まず「花の香り」というのは、「ペスト」の舞台であるオラン市で初めてネズミの死体=ペストの兆しが発見されたのが4月16日だから、春を表す名詞である花と考える。そして、加速する「灰色の目」はもれなくペストに感染したネズミたちだ。今後市に甚大な被害をもたらすペスト菌が、花のような美しいものに誘われて運ばれてくるというのが、非常におぞましい(褒めてる)表現である。
全国的に目撃情報が多発している熊たちは「こげ茶色の目」になるのだろうか。ちょっと語呂が悪い。
後半2行の歌詞は、そのままの意味だろうか。眠れないと偽って目を開ける人形、その目はブリキが入っていて虚ろしか映さない。小さい頃読んだ、怖い絵本の「マイマイとナイナイ」を連想した。特に深い関係は無いかもしれないが。
アイラインをキツく挿して
ティアドロップで隠し立て
今日の演目(プログラム)も楽しんで
タネを割らぬ様目を瞑って
アイライン、ティアドロップ、先程の歌詞に続き目を象徴する歌詞が出てくるが、これは何だろうか。当たり前だが目は喋ることができないので、目だけが沢山ある沈黙の中、事態がペスト拡大(熊被害、分布域拡大)という惨劇に向かって動いているようなイメージだ。
「今日の演目」とは、一日の死亡ネズミ数、または死亡者数と言ったニュースだろうか。「タネを割らぬ」は、タネを割ってしまう=ペスト被害が起きていることを明るみにすれば大混乱が起きるから、暫くは公にはしないとした医師や政府の気持ちのように考えた。
こっちで言うと、「また熊?ここから遠いところでしょ?そんな大袈裟な」と扱って「まさかね」と楽観思考をすることのようだ。
ニューストップの記事を読んだ
鬼の仕業だと抜かしていた
利害関係でブチ抜いた
束の間のパンチライン
ニューストップにネズミの死体が大量に発見された事件が踊りでる。原因がペスト菌(対処療法は当時無し)であれば、これは鬼のせいだと言うしかない。病気という「天災」と認めてしまえば、人間は勝てないからだ。
熊もそうだ。法律上「自然人」ではなく「物」として扱われる彼らが、人を無惨に食い殺しても罪には問われないわけで、これも「天災」捉えようによっては熊の駆除数を減らす政策による「人災」かもしれないが、私たちにとっては不条理である。
「束の間のパンチライン」を直訳すると、「束の間の決め台詞」になる。ペストをペストと認めると大混乱になるので、今は「熱病、多分すぐ治るやつ」とでも言っとけという感じである。
曖昧なスピーカー 矛盾点は無いか?
感情伝いに燃え上がった後の灰は誰が埋めてくれるんだ?
アクター担いだ古典芝居じゃないか
初版引っ繰り返してみたら鼠(ラット)が死んでいた
ここから1番サビである。スピーカー=ここでは話者であり(本家版歌詞では話者のフリガナがスピーカーである)、騒動を伝えるニュースキャスターや報道陣、あるいはうわさ好きな人のことだろう。「感情伝いに燃え上がった後の灰」は、小説「ペスト」の背景を考えれば感染症拡大に錯乱し、家に火をつけ暴動を起こした人がいたという描写を表し、現代ではまさに「ネット炎上」。さんざんに燃えたあとの始末は誰がするんだ?といつも思う。
「アクター担いだ古典芝居」は、感染症や熊被害ような不条理があるたび騒ぎ立て、騒動が収まるとやがて人々は興味もなかったかのように振る舞う、この流れが随分昔から続いてきたことを指すのだろう。
そして、何度も繰り返される歌詞「初版引っ繰り返してみたら鼠が死んでいた」はタイトルコールでもあり、ふとした瞬間にペストの脅威が迫っていることを伝えてくれる。
第二章 ペスト拡大と人々の動向(2番)
タイムラインは好調だ
この情報量は格別だ
流行(はやり)病を呼び込んだ
抑鬱に乗じ手を汚した
ペストで死亡するのがネズミから人間に変わり、一日の死亡者が30人を超え、オラン市は閉鎖される。陸路と空路から物資が届くだけで、人々は隔絶(物語の言葉を使うなら追放)された。毎日死亡者を告げるニュースだけが人々の頼りだ。「コロナ禍まんまやん!」と小説を読んでいて思った。歴史は繰り返すのだ。
2番では「灰色の目」から「流行り病」と、ネズミ死亡事件からペスト発生という、事態にちゃんと名前がついたのを歌詞で表していて、本当に表現がすごいな、と思った。
そして、「抑鬱に乗じ手を汚した」は、熊騒動に大きく当てはまると考えた。小樽市や札幌市のど真ん中で熊の足跡らしきものが見つかるが、どうやら悪戯だったらしい。また、「熊を殺すな」と高みの見物をかます人々もいるわけで。この事態を面白がり、手を汚す阿呆が出てくるのも人間の性なのか。
かくて我らは潤った
嘘をジャンクフードで飲み込んだ
はて、神は死んだかと
懸念する声もとうに止んだ
閉鎖された市で、人々はカフェで愚痴や冗談を言い合う。色んな噂が飛び交い、あるものは信じ、あるものは面白がって頷くが信じない。
「ペスト」では、このペスト発生はあなた方の当然の報いよ〜と宣教されるシーンが出てくる。つまり、神は死に、私たちに試練を課したと、それを受け入れろということだろう。日に日に増えていく死亡者数に、人々は絶望に慣れきってしまっていた。
熊も、特に出没が相次いでいる地域では、警戒しながら学校に行くのがあたりまえになっているとニュースで聞く。自宅の敷地内や幼稚園に熊が入ったということもザラに聞く。慣れてしまえば、冷静に対処できるのだろうか。数年前までは熊で人が死ぬなんて滅多になかったのに。
自暴自棄のラガーフリーク
生まれ損ないのピンチマニア
呼吸困難のフックアッパー
ダダ漏れのパイプライン
全部カタカナを使って、所々1番と韻を踏んでいる。
自暴自棄になって酒を飲みまくるやつ。
他の人が苦しんでいる様子を見て騒いでいたら、自分が次の被害者になって生ききれなかったやつ。(死に損ないの対義語?)
ペスト感染で苦しむ人に追い打ちをかけるフック、アッパー。
手紙すらペスト菌の媒介になるパイプライン。
といったところか。
完全な操作、一般道はゲットー行きだ
ハンドルは左右どちらにあるのか考慮してくれよスーパードライバー
安息に座した 一般論じゃないか
一時停止を無視した先では鼠(ラット)が死んでいた
夏、ペスト被害はピークに達し、全ての鎧戸が閉められた。普通の道を歩くだけでも、隔離、監禁された「ゲットー」のようだ。中には門を破り逃げようと考える人もいたり、密輸者もいた。そのくだりは「ハンドルは左右どちらにあるのか考慮してくれよスーパードライバー」に込められていると思う。
「安息に座した一般論」は、外野の「逃げりゃいいじゃん」「外でなきゃいいじゃん」の無責任な声を揶揄しているのだろう。まさに「熊が可哀想」「保護しろ」といったように。こっちで出ている熊はプーさんじゃないぞ、と言いたくなる。
逃亡を計った市民が車を走らせ、一時停止を無視したところにもネズミの死体。もう逃げ場はないぞ、というメッセージだろう。熊だってそうだ。四国以外に生息し、山に食べ物がなかったり縄張り争いに負けたりすることで人里に下りてきて、出くわす。どこの地域も「当事者」なのだ。
曖昧なスピーカー 矛盾点は無いか?
感情伝いに燃え上がった後の灰は誰が埋めてくれるんだ?
何度繰り返した古典芝居じゃないか
思考停止に与(くみ)した先では鼠(ラット)が死んでいた
ちょっと1番と似ている。「思考停止」「与した」はさっきの「一時停止」「無視した」と対になっている。恐ろしい天災に絶望し、思考を放棄した先でもネズミは死んでいる。次の感染はお前だ、とでも言われているようだ…。
第三章 不条理に抗った末に(Cメロ〜ラスサビ)
ここからは旧版と本家の歌詞を見くらべる。まずは旧版だ。
変動への応答
次は本家。
言論の自由が明けてネコも杓子も上段に立っちゃって
今いる立場保つだけのため無知で素直なネズミ確保して
それっぽい一般論並べ挙げて、嘘ばっか言っちゃって
泥棒猫、私以上に私のこと分かってるなんて言えるとでも?
ねぇ ねぇ ねぇ ねぇ ねぇ ねぇ ねぇ ねぇ
本家はトップハムハット狂も顔負けの、さすがボカロといった高度なラップだ。旧版は大変シンプル。だが、旧版のカウンタートラック(メロディーともリズムとも違う節で、全パート通して使われる音楽。Ado「新時代」のイントロなどが該当する。)が本家のラップパートに使われており、胸熱である。
このラップで歌われていることがまるまんま「変動への応答」の意味なのではないか。
夢を壊してはいけないので
君の仕業だと言ってやった
ラスサビ前のパート。ここで気になるのは「夢」と「君」が何かということだ。ここは大きく小説「ペスト」に関わるところなのではないか。私は、
①「この災禍はいつか収束する」という夢を壊さないために、「それは貴方の今までの行いの報いだよ」と返す神父(ペスト本編)
②「この病はいつか治る」という夢を壊さないために、「君が頑張れば治る」と言い放つ医者
③「ペストが流行ったことで過去の犯罪がバレない!」と調子に乗る男(本編に出てくる)の夢を壊さないために、「ペスト流行は君のせいだよ、君を守るためにね」と言ってやる神か何者か
と様々な考察を考えた。この世の中にも、もしかしたら熊騒動を「天啓」として崇め奉る悪人がいるかもしれないのだ。
曖昧なスピーカー 矛盾点は無いか?
感情伝いに燃え上がった後の灰は誰が埋めてくれるんだ?
アクター担いだ古典芝居じゃないか
初版引っ繰り返してみたら鼠(ラット)が死んでいた
漫然な自由か?思慮ある不自由か?
「趣味の良さというものは物事を強調しないことにある」のか?
肝心なとこは皆 一枚奥にあるのさ
疑うこと放棄した民主主義者(デモクラット)が死んでいた
ラスサビは1番同様の歌詞の後、「漫然な自由か?思慮ある不自由か?」の問いが立つ。
熊で死人が出ることなんてないだろ、と規制を設けず、熊を面白がって餌やりをする自由か、人民の命を守るための警戒態勢という不自由か。私は絶対後者だ。
「趣味の良さというものは物事を強調しないことにある」という歌詞が刺さったという人が、YouTubeのMVのコメント欄でよく見かける。確かに、ペストもコロナも熊も、大袈裟に騒ぎ立てて世界滅亡!とか言うより、冷静に対処する人の方が好感度が持てる。要は、好かれたかったら話を盛るなということだ。
そして最後、ラットではなく、デモクラットが死んでいた。思考を放棄し、情報に踊らされた民主主義者の死因はペストか、はたまた…
空は寒気立っていた
この一言で歌の締めくくりだ。旧版では、カラスの鳴き声のように加工された声が被って入ることで、ペストのせいで人が減った市の寒々しさと虚しさが強調される。あるいは、熊被害で身内が死亡した者の、墓参りを想像させる…。
第四章 この歌と熊騒動から何を学ぶか
ここまで膨大な文章について来てくれた皆さん、ありがとう。結論、「ペスト」「ラットが死んだ」が伝えたかったことは、一貫したテーマである、不条理に抗う人々の動向だ。
では、最近の熊騒動はどうか。これもやはり、山に返していた熊が人間の想像以上に繁殖したことや、昨年の異常気象による山の木の実の凶作で、熊が人里に出没するようになったため、少なくともかつての我々には防ぎようのない「天災」「不条理」だった。毎日熊の目撃情報が報道され、死亡事故のニュースも耳にし、私たちは不安と緊張の中で、他人事ではないのだと、ペストに立ち向かうことを決意した者たちのように生きていた。そして、ペストの収束には約1年かかったが、小樽商科大学熊騒動はたった1ヶ月で、その話題が上らなくなってきた。熊の冬眠のせいだろう。
しかし、これは「ペスト」にも書いてあったが、またこのような厄災が来るだろうと人々は怯える。私は、熊が再び活動を始める春先が心配だ。
よって、私はこれから生きていく中で、熊によって、不条理によって命を奪われる可能性を捨てず、その分、今私の命があること、私が、そして大切な人たちが熊に食われず、交通事故に遭わず、病気にかからず生きていることに感謝して、日々を過ごそうと思う。
ラットと熊
読んでくださり、本当に本当にありがとうございました!
余談:熊騒動中の私の動向
10/28 10/26から家を空けていた私は、創作活動部の連絡でテニスコートの件を知り、焦る。Xで商大生の熊関連のツイートを見ながら気持ちを落ち着かせる。
10/29 最終面接へ。帰り道、夜の地獄坂を警戒しながら登る。家からかなり近いところで熊の目撃情報が出たことにより、外出が怖くなる。
10/30 この日は久しぶりのバイト。20時退勤だが、夜道1人が怖いのでバイトの後輩と一緒に帰る。熊が山を伝って最上、天狗山方面に行ったのではと考察する。
それ以降 これまでの糞や目撃情報がタヌキや鹿であることが分かり、5限の対面が再開される頃にようやく落ち着く。