05 想い人 ①

今回の物語は、少し「不思議」が入ります。

        01

 5月14日、月曜日。
 昨日から梅雨入りしたと天気予報が言っていた。
 そして今も雨が降っている。
 中学2年生のジンジは、校舎南側の後田川沿いの道を使って帰っていた。
 普段は北側の道を使って登下校しているのだが、なんとなく今日はこっちから帰ってみようと思ってしまったのだった。
 最近は、あんまり使ってなかったよなぁ~、と代わり映えしない景色を改めて確認しながら歩いていると……。
 そこに、これまで空き地だった所に、新しい家が建っているのを発見した。
 いつの間に?と横目で見ながら家の前を通り過ぎようとしていたら、その家の門の角に、見慣れた淡いブルーの傘を開いてしゃがみ込んでいるセーラー服を見付けたのである。
 彼は足音を立てないように近付いていき、彼女の左横に、同じようにしゃがみ込んだ。
 足元では、二匹の仔猫が遊んでいた。
 彼女が撫でる度に、仔猫たちは甘えた声をあげていた。
「捨て猫?」
 ジンジはカコに訊いた。
「この家の猫ちゃんたちだよ――」
 喉を優しく撫でてやりながら、首に巻かれている紐を見せてくれた。
 その首輪は、細い糸を幾重にも編み込んで作られたものだった。
 白い猫がピンクで、限りなく黒に近い鼠色の猫が黒を巻いてる。
「手編みの首輪なんだ。すごく綺麗だ」
「とっても大切な猫ちゃんたちなんだよ、きっと――」
 カコは、飽きることなく仔猫たちの身体を撫で続けている。
 仔猫たちは喉を鳴らしながら、彼女の手に身体を押しつけ合っている。
「そうだ、こいつらお腹空いてないかな?」
 ジンジは、何かを思い出したようだ。
「ちょっと待ってろ――」
 彼は鞄の中に手を入れて、ごそごそとかき回した。
「これ、食べるかな……」
 そして取り出したのは、一本の魚肉ソーセージだった。
「何でそんなの持ってるの?」
 ジンジは、歯を使ってビニールの包装を噛み切った。
「そりゃあ、食べるために決まってンだろ」
「それは、そうだけど……」
「昨日たまたま家にあったのを持って来たんだ」
 ジンジはソーセージを小さく千切って、カコの手の上に乗せてやった。
「育ち盛りは、いつも腹を空かしているもんなんだよ。家に帰ったら晩ご飯前に、まずはメロンパン食ってるし――」
「これ食べながら帰って、家でもメロンパンを食べるつもりだったの?」
「そうだよ。育ち盛りだし」
 あたりまえじゃん、という顔をしている。
「猫ちゃんたちにあげてもいいのね?」とカコは笑っている。
「いいよ。実は鞄に入れてたの、忘れてたンだ――」
 ジンジは肩をすくめた。
 カコが手の平に乗せた魚肉ソーセージを見せると、仔猫たちはフンフンと鼻を鳴らした。
 これは何だ?……と探りを入れているようだった。
「おいしいよ」と優しく声をかける。
 すると仔猫たちは我先にと食べ始めた。
「慌てないでいいよ、まだあるからね」
 カコは仔猫たちを楽しそうに眺めている。
 ジンジは千切ったソーセージを、次々と彼女の手の上に乗せてやった。
 やがて……ソーセージは仔猫たちのお腹にすべて納まっていた。
 仔猫たちは、まだ食べたいと、カコの手の平を舐めている。
「ごめんね、もう無いの――」
 仔猫たちの頭を撫でてやりながら謝っていると、そこに……
「あらあら、ごめんなさい」
 二人の後ろから声がした。
 驚いて振り返ると、小太りで品の良い女性――おばさんが、右手に傘、左の肘に買い物かごを下げて立っていた。
 二人は慌てて立ち上がった。
「こ、こんにちは」
 二人同時に声が出ていた。
 おばさんは笑った。
「声が揃うなんて、とっても仲がいいのね……」
 仔猫たちは、おばさんの足元に駆け寄っていた。
「まあ、まあ、この子達ったら、何処から出ちゃったのかしら?」
 おばさんは玄関ドアの方に顔を向けた。
「やっぱりこのお家(うち)の猫ちゃんたちなんですね」とカコ。
「白いのがムーン、鼠色がユベールっていうのよ」
 仔猫たちはおばさんを見上げて鳴いている。
「でもほんとに何処から(外に)出たのかしら? 鍵はちゃんと掛けてたつもりだったんだけど……」
 おばさんは、ゆっくりと玄関まで移動した。
 仔猫たちは、おばさんの傘の下から出ないように、走って付いてゆく。
「濡れるから、……ってもう濡れちゃってるけど、とりあえずこの子達をお家に入れてあげるわね」
 おばさんは買い物かごから鍵を取り出して、玄関扉を開けた。
「さあ、お入りなさい」
 二匹は、扉の隙間から家の中に飛び込んでいった。
「あんた達、濡れてるんだから、走り回って部屋を汚さないのよ」
 それはまるで、小さな子供に注意するような言い方だった。
「聞こえたの?」
 すると……ミャウという返事?が、カコとジンジにも聞こえた。
 二人はどちらとも無く、顔を見合わせていた。
「いい子にしてるのよ」
 おばさんは玄関扉をゆっくりと閉めた。
「うちの子達を見ててくれて、どうもありがとう」
 振り返ったおばさんは、二人に改めて礼を言った。
 かしこまってしまった二人は、慌ててお辞儀を返した。
「あらあら、お辞儀まで揃ってるのね」
 おばさんはコロコロと笑った。
「そうそう、ところであなた達は、そこの宮崎中学校の生徒さんたちよね?」
「はい、2年生です」とカコ。
「二人とも同じクラス?」
 二人同時に頷いていた。

 それからしばらく、学校についての立ち話が続いた。
 そしていつの間にだろうか……雨が三つの傘を強く打ち始めていた。
「あらあら、雨が激しくなってきちゃったわね」
 おばさんは空を見上げた。
「そうだわ、お家に入らない? 雨が弱くなるまで、中でお茶しながらもっとお話しを聞きたいわ……」
 二人は顔を見合わせた。
 するとカコが申し訳なさそうに
「お誘いはありがたいのですが、すぐに暗くなってしまうので――」と言うと
「ほんとに申し訳ないです……」
 ジンジがペコリと頭を下げた。
「そう、そうよね、暗くなっちゃうわよね」
 おばさんは残念そうに、また空を見上げた。
 雨雲が空を覆い、どんよりとしている。
「やっぱり早く帰った方がいいわね……」
「すみません」とカコ。
「いいのよ」おばさんは笑顔だった。
「じゃあ今度は、天気のいい日にいらっしゃい。お庭でうちの子達と遊んで欲しいわ……」
「え? いいんですか?」
「ええもちろん」
「是非そうさせてください」
 カコはとても嬉しそうだ。
「じゃあ、今度また必ず来てちょうだいね」
 おばさんは二人に丁寧なお辞儀をした。
「はい、お邪魔しました」と二人――。
「ほら、また揃った」
 おばさんは、またコロコロと笑った。

「不思議な人だったね」
 二人で傘を並べて歩きながら、ジンジは言った。
「ほんと、何かとっても不思議なおばさんだった」
「そうだね……」
「ところでジンジ」
「なに?」
「どうしてわたしを見付けたの? いつもの帰り道じゃないのに……」
「たまたまだよ、たまにはこっちの道から帰ってみようと思っただけさ。そう言うカコだってそうじゃないかよ」
「わたしもたまたまなの! 今日は何となくこっちの道で帰ってみようかなって……」
 そのお陰で、仔猫たちと会えたのがよっぽど嬉しかったのだろう。
 自分で何度も頷いていた。
「あの仔(猫)たちね、最初は玄関下でじゃれ合ってたんだよね。それでカワイイなぁ~て見てたら目が合っちゃって、そしたらわたしのところに駆け寄って来ちゃったの――」
「オレさぁあの猫たち……、何か不思議な感じがしたんだけど……」
「そう、わたしもそうなの」
 カコは心持ち傘を持ち上げ、雨振る空を見上げた。
 どんよりとした空を見上げた、あの時のおばさんと同じような仕草だった。
「まるで人の言葉が分かってるみたいだったよね……」
「オレもそう思った」
 カコが立ち止まり、ジンジも立ち止まった。
「ジンジもそう思ったの?」
「思った!」
「ふ~ん」
 二人は考え込んだ。
「こんなのも……。揃うって言うのかなぁ~」とカコは呟いていた。
 ジンジも同じことを考えていた。

        02

 三週間が過ぎた6月最初の月曜日。
 ほとんど……と言っていいほど、毎日ずっと雨が降り続いている。
 この三週間、晴れた日は無く、生徒たちの憂鬱を溜め込む〝気分の器〟にも限界が近付いてきており、今にも溢れ出しそうになっていた。
 クラス中が、何か「うわ~↑↑→!」としたことが無ければどうしようも無い、独特の雰囲気に包まれていた。
 ジンジも
 身体を動かしたい! どうしようもなく動かしたい。今朝も鼻血出た。このままじゃあ明日も鼻血が出る。絶対出る! 狼男の気分だぜ。椅子の背でもカジってやろうか――。
 悶々としながら、8時からの自習が始まった。
 だが今日は、ものの5分もしないうちに、教室の扉が開かれた。
 担任の満川先生が現れ、教壇の前に立った。
 何だ、どうした? 207(2年7組)のみんなが先生に注目する。
「自習の時間だが、みんなに話がある」
 先生は咳払いをひとつした。
「今日からこのクラスに、新しい友だちを迎えることになった」
 え? 男子? 女子? どっち?
 全員が、扉の向こうを注視した。
 クラスの男女、それぞれの期待が、教室をざわつかせた。
 先生も、心なしか気分が高揚しているようにも見える。
「さあ、みんな。心の準備はよろしいか?」
 先生がそんなこと言うなんて珍しい、とクラスに笑いが起こった。
 それにそこまで言うのなら……とみんなの期待が膨らんでゆく。
 そして一時の間を置いて……
「入って来なさい」
 先生が扉の向こうに声を掛けると、新しいクラスメイトが現れた。 
 その瞬間、教室中が震えるほどのどよめきに包まれた。
 後ろの席の者たちは、新しいクラスメイトの顔をもっと良く見ようと、無意識に立ち上がっていた。
 本山タイジや灰賀トシヒコは、椅子から転げ落ちそうになるほどだった。
「きれい」
「かわいい」
「信じられない」
 そこかしこで女子の声があがる。
「おお~」
「凄ェ~」
「何なんだよ~」
「テレビに出てんじゃねぇの――」
「わが207にようこそ――」
 興奮の入り混じった男子の声。 
 そしてその娘は教壇までやって来て、先生の横に並んだ。
 肩まで伸びる少し癖のある漆黒の髪、柳の葉のように細く整った眉、その下にくっきりとした二重の瞳、通った鼻筋、そしてぷっくらとした少し厚めの唇。
 それらが、色白でやや細く微妙にふっくらした顔に、絶妙なバランスで配置されていた。
「凄ぇ女子が転校してきたな」
 ジンジの前の席の谷花アキヒロ(タニ)が、椅子の前足を浮かせて仰け反りながら、同意を求めてきた。
「何が?」とジンジ。
「何がじゃねぇだろ。あんなかわいい女子がオレ達のクラスに来たんだぞ!」
 一緒に興奮しようと思っていたタニは拍子抜けしていた。
「タニさぁ、お前ちょっと大袈裟過ぎんじゃねぇの?」
 ジンジには、回りが騒ぐほど、その転校生が特別とは思えなかった。
 その娘のことを知らなければ、仮にどこかですれ違ったとしても意識に残らない、ごく普通の女子にしか見えなかったのである。
「マジでそんなこと言う? 頭おかしいのはお前の方だよ。なぁ~」
 タニは、彼の右隣の友長ケイコに意見を求めた。
「わたしも、あの娘って凄く綺麗でかわいいと思う。妬みじゃなくて本当の気持ち。羨ましいくらい」
 そう言った彼女の頬は、少し紅くなっている。
「ほら見ろ、友長さんだってそう言ってるじゃないかよ」
「いやいや、おかしいのはそっち方だってば、言っちゃ悪いけどみんなが騒ぐほどオレにはそんなに凄い娘には見えねぇんだけど……」
「お前の目は節穴か?」
「節穴で悪かったな」
 ジンジはむくれた。
「チェッ、つまんねぇ奴。話になんねぇよ」
 タニは、椅子を戻して前に向き直った。
 友長も不思議そうにジンジを見ていた。

「みんな静かに」
 先生が、出席簿で教壇を叩いた。
 ざわついていた教室が静まり返る。
「紹介する。入間乙音(いるまおとね)くんだ。親御さんの仕事の都合で、福岡から引っ越してきた。みんな仲良くしてあげるように」
 彼女は自分で、黒板に入間乙音と書いた。
「入間、乙音、です、よろしく、お願い、します」
 乙音がお辞儀をする。
 お辞儀をすると髪が揺れる。
 その仕草だけで、教室の男子からため息が漏れていた。
「声までかわいいなぁ~」
 タニは完全に舞い上がっていた。
 それだけでは無い、クラスメイトのほとんどが大なり小なりそんな反応を示していた。
 ジンジは椅子から腰を浮かせて、教室中を見回した。
 それにカコが気付いた。
 ジンジもカコを見た。
 今の彼の席は、窓際の前から四番目で、カコの席は列をふたつ挟んだ先の、前から五番目だ。
 彼女も何故か、不思議そうな顔をしていた。

        03

「それじゃあ入間の席は、家入、お前の隣な」
「オレの隣……すか?」
 え~、嘘~、マジ? 男子の目が家入に集中する。
「空いている席はそこしか無いだろ」
「……?」
 確かに、家入の右隣は空席となっている。
「家入、聞こえてるのか?」
 先生の声が飛んできた。
 ジンジは、手を挙げた。
「はい、聞こえてます」
「教科書は、前の学校で使っていた物を持ってきているそうだが、違う物があったら見せてやれ」
 何度目かのざわつき……。
「ちゃんと、机を付けて見せてやるんだぞ。分かったな!」
 くっ付けて見せてやれって……、先生がわざわざそんなこと言わないっしょ。と男子の声。
「他にも色々教えてやるように。頼んだからな!」
 一方的に決められていた。
「じゃあ入間、席に着きなさい」
 乙音は教壇を下り、家入の右隣の空いた席までやって来た。
「家入くん、よろしく」
 入間乙音は、ジンジにしっかりとお辞儀をした。
「分からない、こと、たくさん、ある、思う、教えて」
 そう言うと乙音は、自分から机を動かして、家入の机に横付けした。
 教科書が違ってたら、くっ付けて見せてやるンじゃなかったけ? とジンジは首を捻る。
 そして乙音は、飛び上がるようにして、ふわりと着席していた。

 朝自習終了のチャイムが鳴った。
 先生はそのまま教室に残り、ショートホームルームに入った。
 出席を取った後は、これと言った連絡事項もなく……(そりゃあ今、転校生を紹介したばっかりだから)先生はそそくさと教室を後にしていた。
 先生が消えるや否や、今度は女子も含めたクラスメイトの視線が、乙音に集中していた。
 タニなんかは、完全に後ろ向きになって彼女を凝視している。
 そんなクラスメイトの強烈な視線を、意識していないのか? あるいはわざと無視しているのか? それとも無頓着なのか?
 乙音は、まったく静かに席に座っている。
 ……かと思っていたら、急に身体をモゾモゾと動かし始めた。
「家入くん、1時限、何時、から?」
 ジンジは、教室正面の黒板の上に掛けてある時計で時間を確認した。
「(8時)45分から」
 授業開始まであと10分あった。
 すると乙音が、唐突に立ち上がった。
「お願い、ある、です……」
「お願い、 何?」
 早々のお願い事に、ジンジは戸惑った。
「おトイレ、行きたい、連れ、てって……」
 ジンジは椅子から転げ落ちそうになった。
 二人の会話に耳をすましていたタニは、完全に転げ落ちていた。
「え、え……、それってオレにお願いすることなの?」
 慌てて、タニの右隣の友長に助けを求めようとするが、彼女の席は空だった。
 どこかで友だちと話でもしているのであろう。
 それなら誰か近くの女子にでも頼もうと見回すが誰も……。
 すると、焦るジンジに横から声が掛かった。
「大丈夫?」
 カコがやって来た。
 タニの転げ落ちを見て、何事か?と来てくれたのだ。
「い、入間さんが、トイレ行きたいって言ってる」
 ドギマギしながら、カコを見上げる。
「トイレ? じゃあわたしが案内してあげるよ」
 あっけらかんと、カコは快く引き受けてくれた。
「カコ頼む……」
 胸を撫で下ろすジンジだった。
「ありがとう」
 乙音はカコに向き直って、しっかりと礼を言った。
「墨木です。よろしくネ。仲良くしょうネ」
「墨木、カコさん、ですか、入間、乙音、です、よろしく、お願い」
 乙音は自分からカコの手を取り、両手で包んだ。
「そ、そう。墨木カコ」カコは首を傾げた。
「じゃあ、家入くん、一緒に」と乙音。
「え? オレも一緒に……」
 ジンジは目を丸くした。
「いいじゃない。行こうよ」
 カコは笑っている。
 タニは口をあんぐりと開けたまま、三人を交互に見やっていた。

 三人が教室を出ると、数人のクラスメイトが後を追ってきた。
「何なんだよ、あいつら……」
「気にしちゃ駄目だよ」
 カコはジンジの肘をつついた。
「どうして? あの人たち、ついて、くる」
 振り返った乙音に、後方の男子たちはビビったように立ち止まって後ずさった。
「あの人、たち、トイレ、行きたい……」
「そ(う)だね」
 二人は肩を震わせた。

        04

 202(2年2組)にも転校生があった。
 乙音の双子の兄である音也だった。
 音也も、乙音と同じく容姿端麗?で、すでに202のアイドルとなっていた。
 しかも、音也の方が乙音より社交性が備わっていたようだ。
「こっち向いて」と言われれば、声のした方を向いてくれるし、「笑って」とリクエストされれば笑って応えるし、挙句の果てには快く握手にも応じる……、出来過ぎたアイドルであった。
 1時限目が終わって休み時間になると、202と207の前の廊下は大騒ぎになっていた。
 202は女子で埋め尽くされ、207は男子で埋め尽くされることとなったのである。

 2時限目の終わりの休み時間に、208のナオとユウコがカコの所にやって来た。
「202に転校生が来たの知ってる?」
 ユウコが言った。
「うちのクラスに来た乙音ちゃんのお兄さんでしょ。もう有名だよ」
「お兄さんなの?」
「乙音ちゃんに教えてもらった」
「彼女のこと乙音ちゃんって言ってるの?」
「入間さん入間くんって呼ぶと区別しにくいから、わたしのことは乙音って呼んで欲しいってお願いされたの」
「もうそんなに仲良しになっちゃったんだ」
「とっても面白い子だよ。まだちょっと解んないとこ(ろ)があるけどね。で、なに……?」
「一緒にお兄さんを見に行かない?」
 今度はナオだった。
「見に行くの? お兄さんを?」
 二人はそわそわしている。
「あんまり気乗りしないんだけど……」
「凄くカッコいいらしいからさ、ね、一緒に見に行こうよ」
 二人はカコの腕を取った。
「ねえ、行こうよ、行こ、行こう」
「じゃあ、行くだけだよ」
 カコは渋々立ち上がった。
 三人は連れだって教室を出た。

 3時限目の授業が終わると、ユウコがまたやって来た。
「普通だったね」
 ユウコの最初の台詞がそれだった。
 カコは乙音の席の方に首を回した。
 乙音の席を数人の男子が取り囲んでいる。
 乙音は男子の質問に、恥ずかしそうな素振りを見せながら、それでいて笑顔で応えている。
 そのようすを、廊下で群れている他クラスの男子たちが覗いていた。
「ナオも言ってたよ。何でそんなにみんなが騒いでいるのかって」
「そうなんだよね。騒がれる二人が何だか可哀想に思えちゃった」
「ここだけの話。わたしから見れば、ぜんぜん普通の人に見えるんだけど……」
 カコに顔を近付けて耳打ちした。
「ジンジもそう言ってた」
「そうなの? ジンジもそう言ってたんだ。それとナオも同じこと言ってた……何であんなに騒がなきゃならないのかなぁ~って」
「不思議……」
「ほんとにそう」
 二人は乙音にたむろする男子たちを見て、首を捻るばかりだった。

        05

 お昼は、仲の良いグループがそれぞれ好き勝手に机を寄せ合って、持参したお弁当や売店で買ったパンを楽しく食べるのがお決まりとなっていた。
 カコもナオとユウコと一緒にお昼をするのだが、二人は隣の208なので、日替わりでそれぞれの教室を行き来している。
 今日はカコが208に出張する日だった。
 ジンジはというと、いつもならグラウンドの朝礼台の上でシゲボーと一緒に弁当を食べるのだが、梅雨の長雨でここのところずっとシゲボーの席で食べていた。

 弁当を教室の後ろに置いてある鞄から出し、シゲボーと合流しようとしたジンジは……?
 乙音が一人で席に座っているのに気付いた。
 どうやら彼女に、一緒に食べようと声を掛ける女子がいなかったようだ。
 しかも、乙音の机の上には、配られた牛乳があるだけだった。
 ジンジは席に引き返し、声をかけた。
「お昼は?」
「無いです」
 その返事はあっけらかんとしていた。
「無いの?」
「うん」と元気に頷く。
「パンは買ってないのか?」
「ない!」
「教えてもらって無かったのか?」
「教えて、もらった、けど、あれ、あれです、思い出した、お金、そう、お金、無い」
「兄ちゃんも持ってないのか?」
「お兄ちゃん、関係、ない、それに、音也(お金)も、持って、ない、思う」
「先生に言えば、貸してくれたのに――」
「先生、言う、忘れた」
 まるで他人事のようだ。
「前の学校では、(お昼は)どうしてたんだよ?」
「前の、学校? 前の、学校……、あれ、何て、言う? う~ん、ほら、学校、用意、くれてる」
「学校が用意してくれてる? ああ給食か」
「そう、それ、給食、……て言う」
「そうか給食か」とジンジ。
「あしたからは弁当を持って来るかパンを買うかだけど、今日はどうするんだよ?」
「大丈夫、食べない、平気、これ、だけ、大丈夫」
 乙音は、学校から生徒に配られている牛乳を手に取った。
「牛乳だけで平気なのか?」
「平気、飲み、ながら、家入くん、食べる、見てる」
 どこか話が噛み合っていなかった。
 お昼を食べなくて、午後も授業があるのに大丈夫なのか? 気持ち悪くならないのか? とジンジは訊きたかったのだ。
「う~ん、だたオレが食べるのを見てるだけってのも困るンだよなぁ。どうしようかなぁ~」
「家入くん、困る、無い、わたし、見てる、だけ」
 両肘を机の上に乗せ、頬杖を着いて、乙音はジンジを眺めていた。
「見てたいだけって……」
 乙音はニコニコしている。
「ちょっと待ってろ」
 そう言うとジンジは、まずシゲボーの所に行って言葉を交わした。
 それから教室の後ろまで行き、棚に置いてあるアディダスバッグの中から紙袋を取り出して戻って来た。
「これ食うか?」
 ジンジは紙袋を乙音に渡した。
「なに、ですか?」
 紙袋の中を覗き込むや、乙音は嬉しそうな声をあげていた。
「いいの、これ、食べる、いいの?」
「いいよ。オレは弁当があるから。それ育ち盛り用の非常食だし――」
「ほんとに、食べる、いい、ですか?」
「学校帰りに食べようと思って持ってきたやつだから……、大丈夫さ」
「嬉しい、ありがとう、え、え~と、そうだ、遠慮、だった、遠慮なく、食べる、じゃなくて、いただく」
 乙音は、紙袋からメロンパンと魚肉ソーセージを取り出していた。
「いただき、ま~す」
 乙音はまずメロンパンにかぶりつき、牛乳を喉に流し込んだ。
「美味、ひ~い、凄く、美味ひィ」
 クラスメイトは、何事か?と乙音に注目する。
 慌てたジンジが「みんなが見てるから、あんまり大きな声をだすなよ……」と窘(たしな)める。
「ごめん、なさい」と言いながら、またメロンパンにかぶり付いた。
 ジンジは、ようやく自分の席に付いた。
 シゲボーと一緒のお昼をキャンセルにして、乙音の隣で食べることにしたのだ。
 そしてやっと、弁当を広げることが出来た。
 すると乙音から、魚肉ソーセージが差し出された。
「……?」
「剥ヒて、くれない?」
 モグモグやりながら喋っている。
「お、オレ……が?」
「だって、わたし、出来ない、これ、食べてる」
 牛乳を飲む。
「歯で、ガジって、ビニール、破って……」
 乙音は、魚肉ソーセージをジンジに持たせた。
「しょうが無ねぇなぁ~」
 彼は、魚肉ソーセージの頭の針金部分を右の犬歯で噛み、グイっと一気に引き千切った。
 そのまま半分ほどビニールを剥き「ほい」と乙音に返す。
「ありがとう」
 乙音は頭を小さく振りながら、魚肉ソーセージを頬張った。
 また口を動かしながら今度は……
「お昼、休み、学校、案内、お願い」と言い出していた。
「学校の中? そんなに案内する所なんかないと思うけど」
「お願い、音也、一緒」
「分かったよ」
 何でも引き受けちゃいますよ。
 ジンジはやっと、弁当に有り付くことが出来た。

        06

 乙音は兄の音也を207の教室まで連れてきた。
 瞬時に、教室中がざわついた。
 そこかしこで、女子の無言の悲鳴が渦を巻いている。
「お兄ちゃん、音也、こっち、家入くん」
「妹の乙音が世話になったようですね、どうもありがとうございます」
 音也は深々と頭を下げ「お昼までご馳走になったと聞いてます」とまた頭を下げた。
 非常食をあげただけだから、と返し、逆に音也のお昼のことを訊ねた。
「お昼、です、か……」
 音弥は照れた。
「音也、クラス、女子、パン、貰った、みんな、あげよう、するから、困った、ジャンケン、勝った、人から、貰った」
 言い淀む兄に代わって、乙音が代弁してくれた。
「凄ぇな」
「音也、凄い」
 そのとき、あれ?とジンジは思った。
 乙音にパンを分けてあげよう……て男子(または女子)がいなかったことに気付いたのだ。
「そろそろ……」
 ジンジの肘を乙音が掴んで揺らした。
「行く」
 その瞬間、ジンジは背中に風を感じた。
 驚いて周りを見回す。
 乙音は、ジンジと音也の二人の背中を、後ろから押しながら教室を出た。

 廊下に出ると、さっきの風は嘘のように消えていた。
 気のせいだったンだな……とジンジは気を取り直した
「じゃあ、何処から案内しょうか」
 ひとりごちていると……
「まずは無難な所で、体育館じゃない?」
 振り返るとカコだった。
「手伝うよ」
 ナオとユウコ、202のタカコもいた。
「おお、サンキュー」
 ジンジは四人を拝(おが)んだ。
「もてもてだね」とタカコがジンジに言う……でもタカコは音也を見ている。
「いやぁ~、それほどで(も)……」
 言い終わらないうちに、脇腹を小突かれた。
 脇を手で押さえながら、ジンジはカコに苦笑いを送った。
「ほら、急がないと昼休み終わっちゃうよ。乙音ちゃん、先ずは体育館から案内するね」
「カコさん、ありがとう」
 音也も「カズコさん よろしくお願いします」と小さく頷いた。
 すると乙音が不思議そうな顔をした。
 兄の音也に向かって、ゴソゴソと言っている。
 乙音は音也の返事を聞いて
「家入くん、墨木さん、カコ、呼んでる、カコさん、だと、思ってた、ごめんなさい、カズコさん、だった……」
「大丈夫だよ。カコ(さん)でいいよ。親しい仲間はみんなそう呼んでくれてるし」
「親しい、仲間……?」
「そうだよ。親しい仲間!」
 カコは優しく言った。
 カコの微笑みを見た乙音は、すぐ横に並んで腕を取った。
「体育館、どっち、ですか?」
 乙音とカコ、その後ろに音也とジンジ、すぐ後ろにタカコ、その後ろにナオとユウコが続いた。
 最初はその6人だけだったのが、いつの間にか徒党を組んだ男女が少しだけ距離を置いて追ってくるようになっていた。
 それはさながら大名行列のようであった。

        07

 放課後。
 カコは学校の玄関広場に立っていた。
 今日も一日中雨だった。
 止まない雨はないって言うけど、ほんとに止むのかしら……?
 と空を見上げていると「お待たせー」とナオがやって来た。
「ユウコもすぐ来るから……」と言っている間にユウコも現れた。
 じゃあ帰ろう……と三本の傘が開いたところに、後ろから声が掛かっていた。
「江本、これから帰るの?」
 ユウコは反射的に振り返った。
 声の主が誰なのか、瞬時に分かったからだ。
「う、うん、こ、これから帰るところ」
 206のシンコが立っていた。
 一瞬の後(のち)、ユウコの頬は紅に染まっていた。

「二人とも……、一言も喋らないね」
 ナオが、一緒に歩いているカコに囁いていた。
「学校出てからずっとだよ」カコが小声で返す。
 二人は、ユウコとシンコの後ろを歩いていたのである。
 うふっ……ナオが急に口を押さえた。
「どうしたの?」とカコ。
「凄く楽しそうに見えるんだもの――」
「そうなんだよね、何も言わなくても分ってるって感じがするんだよね」
 二人は少しずつ、前の二人から距離を取っていた。

「ジンジはどうしたの?」
 突然思い出したかのように、ナオが訊いた。
「今日は、身体を虐めたいんだって。だから居残り練習してるんだと思う」
 居残りと言ってもこの雨だ。
 渡り廊下や体育館2階の回廊を走り回るだけしか出来ないのだが……。
「いじめたい?」
「虐めないと鼻血が出ちゃうかも知れないからだって――」
「鼻血? 病気なの?」
「そうじゃなくて、この雨続きで身体が鈍(なま)ってるからだと思うよ」カコはクスクスと笑った。
「なんか分んないけど、ジンジ(男子)ってそうなんだ」
「そう、分んないけど男子(ジンジ)ってそうなの」
 肩で笑いながら、傘を回す。
 雨はいつまでも降り続いていた。

        08

 虐めが終わって普段より何倍も重くなった身体に鞭打って、南側の正面玄関まで辿り着くと、乙音と音也の兄妹が空を見上げながら立っていた。
「どうしたの?」
 振り返ったのは乙音だった。
「傘が無いんです」遅れて音也も振り返った。
「持ってないの?」
 朝から雨だったのに……?
「今朝は、母親の車で来たんです」
「そうか、車か。で、帰りも迎えに来てくれるの?」
 二人は押し黙った。
「家に電話すれば?」とジンジ。
「引っ越して来たばっかりで、新しい電話番号を覚えてないンです」
「連絡する、にも、しようが、なくて……」
 乙音はしょんぼりとしている。
「じゃあ、オレの傘貸してやるから、二人で使いなよ」
 ジンジは、手にしていた傘を持ち上げた。
「家入くん、どう、する?」
「教室に戻れば置き傘があるから――」
 そう言って、傘を差し出した。
 すると乙音が、ひったくるように傘を手にしていた。
「ありがとう、借りる、こと、するね」
 乙音は傘を胸に抱いた。
「じ、じゃあ、オレ、教室に戻るから……」
 何故かドギマギしてしまった。
「ありがとう、ほんと、ありがとう」
 ジンジは二人の礼を背中で聞きながら校舎に戻り、教室へ向かう階段を上った。
 あの二人との会話は、どうも調子が狂ってしまう。
 会ったのは今日が初めてで、二人のことをよく知らないからなのだろう。
 多分そうなのだろう……と考えていると、ふと思い立った。
 そうか、職員室で訊けば電話番号も分かるじゃないかよ、と足が止まった。
 でも、ま、いいか。
 傘貸したし……。
 また階段を上り始めた。
 
        09

 ジンジは、廊下に設置してある傘立てから自分の置き傘を抜き取った。
 そして……何の気なしに教室に目を向けると、電気が消された薄暗い中に、まだ人が残っているのに気付いた。
 誰なんだよ、と教室の扉を開けた。
 ふたつの影が、雨の降る窓の外を眺めている。
 二人が振り返った。
「あ、悪い」
 味田ヨウイチ(アジ)と中山ナオミ(シジミ)だった。
 肩が触れるほど近かった二人は、慌てて距離を取っていた。
「……」
 気まずい雰囲気が流れた。
「どうしたんだよ?」
 言葉が見付からず、アジは照れ臭そうだ。
 そっちこそ……と言う前に
「忘れ物を取りに来たんだ」
 ジンジは、自分の席まで早足で移動した。
 机の中に手を入る。
「あった、あった」
 大袈裟な声をあげて、何も持ってないカラ手をサッとポケットに隠した。
 咄嗟についた嘘だった。
「じゃあ、帰るわ」
 反対の手で、二人に挨拶を送った。
「あ、ああ」
 アジが応える。
 ジンジは、せわしなく教室を後にした。
 ジンジの口元は、どうしようも無く緩んでいた。

 想い人 ② へ続く

05 想い人 ①

②のアップは
12月19日 金曜日の予定です。

05 想い人 ①

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更新日
登録日
2025-12-12

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