白衣の天使
いつ行っても気が滅入る場所に病院がある。身体が大儀である人間が集まる場所であるから、楽しい筈もない。その家族も同様、怪我人や病人を抱えていると、日々の暮らしや心配事などが増えて、その顔つきや雰囲気も草臥れ果てているか、苛立ちに険が増しているかどちらかである。晴々とした顔をしているのは、当日退院の患者とその家族くらいである。
そんな病院で、先日嬉しい出来事があった。
母の退院後、外来の通院で初めて病院を訪れた時のことだった。レントゲンを撮りに整形外科を出て廊下をうろうろしていた時だった。母が入院した当座、面会に行くと必ずと言っていいほど、私を出迎えてくれた看護師のOさんが、私と母に気づき声をかけて下さったのである。
「あら!今日はどうしてここに?」
そう言うと、Oさんは母の手を取った。
「退院後、初めての通院なのよ」
母もOさんの手を取ると、
「お元気そうで良かった、退院の時会えなかったからどうしてるかと思ってたんですよ」
Oさんは母の手を固く握った。
「おかげさまで。こんなに良くなったのよ。ありがとう」
そう言いながら、母が更に左手でOさんの手を包んだ。
そんなやり取りがあったが、母も私も退院当日Oさんに直接会うことはなく、礼を言えず義理を欠いたのが心残りだった。特に母は昨年、退院してから日記をつけるように私が提案したことをそのまま守り、今回の入院中もその日あった出来事を一つや二つ、書き出すようにしていた。その日記の余白に、自分を担当してくれた医師や看護師、理学療法士の方々の名前を忘れないように書いていたのだが、その中で礼を伝えることができなかった人の名を上げては、家に帰ってからも度々話をしていた。その内の一人がOさんだった。
「うちの母、入院中はいい子に皆さんのおっしゃること、きちんときいてましたか」
冗談まじりに私が聞くと、
「えぇ、それはとても」
そう言ってケラケラと笑ったが、それぞれの目にはキラキラと光るものがあった。
看護師には、目の前にいる助けを必要としている患者の看護を仕事としてこなす者もいれば、看護師である前に一人の人間として患者と接する者もいる。収入を得るための手段として働く者もいるかもしれないが、生身の人間が相手、それも身体のどこかに不具合を生じた人間が相手である。それだけで務まるほど楽な仕事ではない。人の健康と命を預かる仕事であるから、それなりの責任もつきまとう。給料の割には割の合わない過酷な労働である。
私の母は丸二週間、仰向けで生活することを余儀なくされた。その患者である母の、最も過酷で不安な二週間に寄り添い励まし看護をし、手術を経てリハビリを終え、無事退院しこうしてめでたく再会できたのである。担当した看護師として、患者と笑顔で、そして何より元気で再会できたことは嬉しくないはずがない。
しばしの再会の後、白衣の天使Oさんは美しい笑顔を私たちに残したまま、再び自分の看護を必要としている患者の元へ戻って行った。
白衣の天使
2025年12月3日 書き下ろし 「note」掲載