彼女の記憶 #3

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#4

 ――翌日。
 僕は、自転車にリュックを乗せて図書館に向かっていた。
 もちろん勉強のためだ。僕たち(日菜子や百合)が通っているのは県内有数の進学校で、大学進学が前提の学校だった。
 だから、昨日のように遊びにばかりかまけているわけにもいかない。無論図書室は耳が痛くなるほど静かなので、勉強には最適だった。
 図書館まではもう少しだった。僕は揺れる黒いリュックと共に、背の高い建物は全く多いとは言えない、街(町か)の中を走り抜けていった。

 田舎の街の図書館は、人はいつもまばらだった。
 だから、僕にとっての『特等席』があった。
 そこは、窓際の、一番奥まったところの席。人の視線も感じなくていいし、ホールよりもさらに静かで、しかし採光もばっちりの、落ち着いた席、とでも言えばいいだろうか。
 しかし、今日はそこに誰かがいた。背中くらいまでの長い黒髪、艶やかなそれはよく手入れされていることが分かる。眼鏡をかけ、分厚い本を広げる彼女には、見覚えがあった。
 ――いや、見覚えどころか――
「……日菜子? どうして」
 その女性に僕は話しかけた。真剣な――しかしどこか悲しげな――表情をしていた日菜子は、びくっと肩を揺らして、こちらにゆっくりと振り向いた。
 日菜子は、何か作り笑いのような表情を見せて、左手のスマホを置いて頭を掻いた。
「……あっ、あぁ~! 剣! あんたも来てたのね!」
「……珍しいな、ぐーたらなお前が。……で、何読んでたんだ?」
 日菜子の手元にある分厚い本は、辞書?のようだった。少しパッと見ると、医学辞書のようで、ちょうど心臓病の項目が開かれている。
「ぐっ、ぐーたらとは失礼ね! 私だって勉強する時はします! ……あっ、あとこれは……気にしないで! なんか暇だったから!」
「……勉強のために来てるのに暇だとはおかしな言い草だな? お前、医学部でも目指してるのか? お前んち、心療内科だったよな。 でも、少し前の様子じゃ、そんな様子は微塵も見えなかったが」
 僕は、机の下にリュックを置きながらそう言うと、
「――だから、気にしないで、って言ってるでしょ」
 その冷酷な言い方に、少しドキッとした。恐る恐る隣を見ると、彼女は俯きながら、冷たい顔をしていた。
「……ごめん」
 僕は、とりあえず謝った。そうでもしないと、この場が凍りついてしまいそうなくらい、冷たい声だった。
 彼女はその声を聞くと、ハッと我に帰ったような顔をして、再び――作り笑いの――笑顔を見せた。
「あっ……私こそ、ごめん! なんか変な空気にさせちゃって……」
 そういうと彼女は、本のほうにまた俯いてしまった。
 ガタガタ、と椅子を引いて僕は座る。
「……なんか、あったのか?」
 至極ベターだが、一番当たり障りのない言葉を、彼女にかけた。
「……うん、いや、ええと……」
 彼女はなぜか戸惑っていた。
「遠慮しないで話してくれていいんだぞ? 保育園からの幼馴染みの仲じゃないか?」
「……」
 しばらく、沈黙が続いた。
 そして不意に、彼女は顔を上げて、荷物をまとめ始めた。
「……ごめん、今は、言えない。私、帰るわ。ありがとね、剣」
「……そうか。気をつけて帰るんだぞ。こんな田舎街だと、市街にも熊が出るからな」
「……」
 彼女は無口のまま、足早に立ち去った。

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#4

彼女の記憶 #3

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-12-01

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