04 背中合わせ ①

01章~08章

        01

 5月の第三月曜日。
「家入先輩!」
 部活を終えたジンジは、グラウンドと校舎を結ぶ橋の途中まで来たところで声を掛けられた。
 声は橋を渡ったすぐ先の、校舎の中庭の方からだった。
 その中庭の左側の体育館の近くに人が立っている。
 ジンジは夕暮れの中の人影に近付きながら、首をひねる。
 知った顔の後輩なのだが……と首を傾げるジンジに
「カコ先輩と同じ、バレー部の2年生です」と影は言った。
「……」
 それは解っている。
 カコからノートを写させてもらう代わりに、会ってあげてと言われた後輩だ。
 体育館裏で会う約束をしていて、結局来なかった娘なんだけど……、名前が思い出せないのだ。
 言い淀むジンジに、彼女は上目遣いで彼を見ていた。
 カコがあの時教えてくれたはずだったと、その場面を思い返しながら、ジンジは千数百億個の脳細胞をフル回転させた。
「ヒ・カ・リ…?」
 その娘の表情が一変した。
「お、覚えていてくれたんですね、ありがとうございます」
 彼女は一気に駆け寄って来ると、勢いそのままに頭を下げていた。
「それも〈ヒカリ〉って呼んでくださるなんて――」彼女の声はひっくり返っていた。
 あの雨の日、体育館裏で会う前に、カコは彼女の名前を教えてくれていたはずだったのだが、一度会うだけだから……、とジンジは彼女の名前を上の空で聴いていたのだ。
 あの時カコは……、
「部員はみんな、ヒカリって呼んでるんだよ」
「ふーん、新幹線ひかり号のヒカリね」と自分が何気なく口にしたのを思い出したのである。
 ヒカリはモジモジしながら……、さらに一歩近付いて来た。
「そ、それじゃあ……」
 迫るヒカリに、ジンジはタジタジとなった。
 ヒカリは「えいッ!」っと言わんばかりに、肩に力を込めていた。
「わたしのことをヒカリって呼んでくださったンだから……、だったら、わたしも家入先輩のことをジンジ先輩って呼んでもいいでしょうか?」
 ヒカリは一息で言い切った。
 何を突然そんなことを……と思いながらも、強い押しに圧倒されて「か、構わないよ――」と返してしまっていた。
 するとヒカリは、薄暗がりの中でもはっきりと解るくらいに嬉しそうな表情になっていた。
 ジンジは焦った。
 そのあまり「ぶ、部活は、も、もう終わったのか?」と分かりきった質問が飛び出していた。
「ええ、今日はもう終わりです。サッカー部も終わりですよね?」
「ああ、オレらも終わり。そう言えばバレー部も、今日はグランドで練習してたよな」
 体育館は、バスケット部と交代で使うことになっており、今日はバレー部がグラウンドで練習する日だったのである。
 ジンジは所在なく辺りを見回した。
「あ……、カコ先輩なら、用事があるからって先に帰りましたよ」
 訊いてもいないのに教えてくれた。
「用事がある?」ジンジは首をかしげた。
「部活が終わったら、お先にって言って帰っていきました」
「そうなのか」
「一緒に帰ろうと思ってたんですか?」ヒカリはまた上目使いになった。
 ジンジは手を振って否定した。
「いいや、そうじゃ無い」
 うわ~、話が続かない。何か喋べらなきゃ。どうしよう……、オレはクリームパンとメロンパンが好きだって言ってみるか、それで何秒保つ?
 あれこれと頭の中で考えている間に、10秒20秒と沈黙の時間が流れていった。

        02

「ヒカリ」
 その時、彼女を呼ぶ男子の声があった。
 二人が顔を向けると、声の主が橋を渡って来るところだった。
「岡戸くんじゃないの」とヒカリが言った。
「センカンじゃないか」とジンジ。
 やって来たのは、サッカー部2年の岡戸ムサシだった。
「家入先輩じゃないスか――」
 岡戸は、ジンジだったことに驚いたようだった。
 そして、不思議そうにヒカリとジンジを交互に見やった。
「先輩とヒカリは知り合いだったンすか?」
「そうだよ」と答えるヒカリは、どこか嬉しそうだ。
「バレー部の墨木先輩が家入先輩と同じクラスなの。それに同じ小学校出身だったから、だんだん一緒に帰るようになって……、それでお知り合いになったんだよ」と説明までしてくれていた。
「そうだったンすか――」
 岡戸の声のトーンが、ほんの少し落ちた。
 でも二人は気付かない。
「ところで岡戸くん、そのセンカンって何、あだ名なの?」
「サッカー部の先輩からはそう呼ばれてるんだ。名前がムサシだから、戦艦武蔵でセンカンって――」
 落ちたトーンは、もう何処にも無かった。
「へぇ~知らなかった。カッコいいじゃん」
「な、何ならヒカリも……。オレのこと、セ、センカンって呼んでくれていいだぜ」
 彼のうろたえた様子が、ジンジにも伝わってくる。
 今度はジンジが、ヒカリとセンカンを交互に見やった。
「そぉ~お、ならそう呼んじゃおっかなぁ~」
 ヒカリは、少し甘えた声で言った。
「お、おう。いいぞ」
 返すセンカンも、まんざらでも無いようだ。
「じゃあ、そうする。ね、センカン!」
「……」
 照れまくるセンカンだった。
「ごちそうさまです」とジンジ。
 するとヒカリが反応していた。
「そ、そんなンじゃありません」
 焦ったヒカリは、ジンジの詰め襟の腕に冗談っぽく手を伸ばす――。
 ジンジはさりげなく身体を横に流した。
「でさ……、もうそろそろ帰らないかい?」
「そ、そうですよネ! か、帰りましょう」
 ヒカリはドギマギしていた。
 今のは何なんだ?……訳が分からず、センカンは二人を交互に見ている。
「じゃあ、帰ろう」
 ジンジは先輩の特権を利用して、半ば強引に歩きはじめていた。
「ま、待ってくださいよう」
 ヒカリはジンジを慌てて追った。
 センカンは小走りでヒカリの横に並んだ。
 ジンジの後ろを、ヒカリとセンカンが並んで歩いて付いて来ていた。

 ヒカリとジンジは、旭東通りまで出るたところで右に折れた。
 センカンは左だ。
 ヒカリとジンジはグランドを右手に見ながら一ツ葉の方へ歩いてゆく。
 しかし彼女は、彼の横には並はなかった。
 少し距離を置いて黙って後ろを付いてゆくだけだった。

 昭和町交差点を渡って二つ目の角を右に曲がる。
 そして左に曲がる角まで来た。
 振り返ると、旭東通りにでる道の真ん中にヒカリが立っていた。
 この前と同じ所に立っている。〈01 先輩 02章〉
 立ったまま、ずっとジンジのことを見ていたようだ。
 ジンジが、アディダスのバッグを頭の上まで持ち上げると、ヒカリはペコリと頭を下げた。

        03

 翌日の火曜日、朝。
 教室へ入ると、ジンジは鞄を掛けたままの格好でカコの席まで行った。
「おはよう」
 後ろから驚かせてやろうと思っていたジンジに、カコが振り返って笑った。
「気付いてたのか」
 頭を掻いた。
「どうしたの? 何かあった? 訊きたいことでもあるの? ノート?」
「ノートはまた今度……。実は昨日、部活の帰りにヒカリに声を掛けられたんだ」
「ああ、ヒカリね、ジンジに憧れてるヒカリね」
 それを言うなよ、とジンジは苦笑いした。
「実は……、そのヒカリの名前が思い出せないんだよね――」
「この前教えたじゃない」カコは呆れた。
「島田彩子って言うんだよ。ちゃんと覚えといてあげなきゃ可哀想だよ。もう~」と口を尖らせる。
「しまだ・あやこ?」
 カコは机の上に、指で彩の字を書いた。
「彩子の彩は、ひかりって意味もあるの。だからヒカリ」
「そんな意味があるのか。誰がそんなややこしいあだ名を付けたんだ?」
「確か自分で言ってたと思うよ。バレー部に入部して、自己紹介の時にそう呼んでくださいって言ったンだと思う」
「そうなんだ」
「最初はオドオドしたりするところがあったんだけど、一度そうと決めたら、自分の思いや考えを、はっきり主張するところがあるんだよね。だからジンジと話をしてみたいって頼んできたんだと思うよ。言い出すまでは結構悩んでたみたいだけど――」
「……」
「それで?」
「で、って……?」
「訊きたかったのは、それだけ?」
「その島田さんが言ってた」
「ヒカリって呼んでやったら……」
「……」
「どうしたの?」
「やっぱり(島田に)しっかり許可取ってから、そう呼ぶことにする」
「そう……」
 カコは恥ずかしそうな素振りをした。
「そ、その島田さんが言ってたんだ。昨日は用事があってすぐに帰ったんだって?」
「う、うん。ちょっとした家事都合だよ」
 ジンジを見上げながら、カコは右手で襟足を撫でていた。
「そうなんだ」
 その時、自習始まりの予鈴が鳴った。
「じゃあ席に戻るわ」
 時計を見上げながらジンジが言う。
「そう、じゃあ」
 カコはそのまま背を向けて机に向かい、中から教科書とノートを取り出していた。
 その横をジンジが通り過ぎる。
「その髪型、似合ってる」
 ジンジは独り言でも言うように、低い小さな声で呟いてた。
 カコの家事都合とは、髪をカットしに行くことだったのである。
「ありがと」
 しかしその声は、席に戻ったジンジの耳に届くことは無かった。

        04

 朝礼台は、橋を渡った先のグラウンドの入口近くの端に寄せてあり、そこからはグラウンドが一望できるのである。
 その朝礼台を陣取り、シゲボーとジンジは弁当を広げていた。
 そろそろ食べ終わろうとするころ、センカンがパンをかじりながらやって来た。
「なんか(用事でも)あンのか?」
 シゲボーは、最後のおかずを口に放り込んでいた。
「用ってほどでは無いンすけど」
 センカンは口に入れていたパンを、しっかりと飲み込んだ。
「これから(サッカー)やるンだから、あるなら早くしてくれよな」
 ジンジは弁当箱を袋の中に押し込んでいた。
「はい、家入先輩に、ちょっと相談が――」
「えッ、オレに? シゲボーじゃねぇの?」
 ジンジは弁当を仕舞う手を止めて、顔を上げた。
「家入先輩に、です」
「(サッカーして遊びながら)走り込もうと思ってたのに」
「分かってます」
 センカンは、頭を掻きながら謝った。
「じゃあ、部活が始まる前でどうだ?」
 ジンジは即座に提案していた。
 とにかく走りたくてウズウズしているのだ。
「それなら、それでいいです」
 センカンは頷いた。
「じゃあ決まり……な!」
 ジンジは朝礼台の上に立ち上がると、そのまま飛び降りてグラウンドに走って行った。
 空の弁当箱は朝礼台の上に置きっぱなしだ。
 続いてシゲボーも朝礼台から飛び降りていた。
 シゲボーは、走り出そうとした足を止めてセンカンを振り返った。
「お前もっと走れ!」
「はい?」
「もっと走って、脂肪を筋肉に変えろ! そうすれば今よりスピードが上がる。スピードが上がれば当たりも強くなるから」
 センカンの背丈は、シゲボーやジンジと変わらないが、体重は3割増しでぽっちゃりしているのだ。
 シゲボーはそれだけ言うとジンジの後を追った。
 センカンは二人の背中を見ながら「弁当食った後のこのパンがいけねぇンだな」
 残っていたパンを一気に口の中に放り込んでいた。

        05

 放課後。
 サッカー部の部室は、プール下の更衣室のひとつが割り当てられている。
 練習着に着替えて部屋を出たところに、センカンが走ってきた。
「(練習)始まんかンな」
「すぐ行きます」
 センカンはジンジと入れ替わりに部室へ飛び込んだ。
 ジンジはプール脇の監視塔まで行って、ストレッチをしながらグラウンドを眺めていた。
 バレー部は今日もグラウンドに出ていた。
 今日はバスケットボール部が外で練習する予定のはずだったが、バスケ部は土曜日に他校との練習試合が控えているので、体育館を使用したいとの要望があり、今週はバレー部がずっとグラウンドで練習することになったのだそうだ。
「その代わり、来週はずっとバレー部が体育館を独占することになってるんだよ」とカコは嬉しそうだった。

 グラウンドでは、既に1年生と2年生がネット張りの作業を始めていた。
 働いているのは、入部したばかりの1年生で、2年生は張り方を細かく指示しながら見ている。
 時々、2年生から1年生に声が飛んでいるさまを、眺めるともなくジンジは見ていた。
「すいません。遅くなりました」
 そこへセンカンが走って来た。
 部室から監視塔までの、たったこれだけの距離で、もう息が上がりかけている。
「で、話ってのは?」
「実は……」
 センカンは、昼休みと同じように頭を掻いていた。
「部活のことか?」
「違います。オレ、サッカー凄ェ好きですから。部活のことじゃ無いです」
 勢いよく頭を横に降った。
 部活のことならジンジじゃ無くて、主将のヤッチンか副将のシゲボーに相談するはずである。
「じゃあ何だよ?」
 ジンジは、足首を回しながら次の言葉を待った。
「は、い……」
 言い淀みながら、センカンはジンジの左横に立ち、屈伸を始めた。
「あそこ……」
 センカンはある方向を見ていた。
「あそこって?」と言いながら、バレー部の一番左のネットの方に目を向けた。
 ジンジは、そこにヒカリを見付けた。
 彼女はこっちを見ていた。
 ヒカリは、ジンジが気付くよりも前からこっちを見ていたようだ。
「ヒカリがこっちを見てるでしょう?」
 二人の他に周りは誰もいないのに、センカンは小声になっていた。
「誰が?」
 ジンジはとぼけた。
「ヒカリですよ」
「ああ、島田ね」
 ジンジは彼女に、軽く挨拶を送った。
 ヒカリは大きく手を振って返してきた。
 センカンは軽く右手を上げた。
 挨拶を返したかどうかも分からない動きだった。
 そしてセンカンは、バレー部に……、と言うよりヒカリに背を向けていた。
 センカンとジンジは、互いに肩を並べて、正反対の方を向く恰好となってしまった。
 バレー部の誰かが、多分2年生だろう……、ヒカリに話しかけているが、それはセンカンが背中を向けた後だった。
「先輩とヒカリって、知り合いだったンですね」
 センカンは昨日と同じことを言った。
「うん、まぁ」
 知り合いになったきっかけがどうも……なのでジンジは曖昧に答えていた。
「きのう……、先輩とヒカリって結構親しそうに話してたじゃないですか」
「親しそうに? そんな訳ないだろう。島田は墨木の後輩で、たまたま帰りが一緒になって顔見知りになっただけだぞ」
「墨木さんと島田がよく話しをしているのを見掛けます。それとあと二人の先輩たちと五人で話しているところも見掛けます」
(こいつ、良く見てンなァ)
「菅野(ナオコ)と江本(ユウコ)と藤井(タカコ)だ」
 ジンジは三人の部活も教えてやった。
「ヒカリも先輩たちと同じ小学校だから、帰る方向が一緒なんですよね」
 センカンは自分を納得させるように頷いていた。
「それで家入先輩も、自然にヒカリと顔見知りになったって訳ですよね」
 自分でひとつひとつ確認するかのように、センカンは話を続けた。
「先輩が島田のことを知っているから……、だから先輩にお願いしようと思ったンです」
 急に〝ヒカリ〟が〝島田〟になっていた。

「お願い?」
 サッカー部の1年生たちが、練習用ボールを抱えてグラウンドに運び入れ始めた。
「実はオレ、島田のことが好きなンすよ」
 監視塔の壁を見上げながら、センカンは唐突に切り出していた。
「好き……」
 ジンジは思わずセンカンを見ていた。
「はい」頷くセンカン――。
 昨日のヒカリに対するセンカンのぎこちない態度を、ジンジは思い浮かべていた。
「告白しようと思ってます、いやします!」
 真剣な顔で、そう言った。
 その後に照れ笑いが続いた。
「それを何故、オレに言うンだ?」
「だから、先輩と島田が知り合いだからですよ」
「答えになって無いぞ」
「三人とも同じ小学校の出身だから、帰る時も……、えっと墨木先輩でしたっけ?」
 ジンジは頷いた。
「その先輩たちと一緒のことが多いんですよね。それで先輩も、自然に島田と顔見知りになったって訳ですね」
 同じことを何度も言われているのだが、……ジンジは黙って聞いていた。
「だから先輩に頼むンです。オレが話したがっている。……って島田に伝えて欲しいンです」
「会ってやってくれって、オレが彼女に頼むのか?」
「はい」
 ジンジは天を仰いだ。
「お前ねェ、自分で言えよ」
「駄目なんスか?」
 驚くセンカンだった。
 快く引き受けてくれると思っていたようだ。
「何故オレなんだ? オレに頼む理由が分かンねぇよ」
「先輩なら絶対引き受けてくれると思ってました」
 今のも答えになっていない。
「どうして?」
「どうして、って言われても」
 センカンは言葉に詰まった。
「自分で話がしたい。……って伝えればいいだけじゃないかよ」
「2年になってクラスが別れてしまって、それ以来話をする機会がまったく無いんです。二人っきりになる時間なんて一瞬も無いっスから……」
 センカンは言葉を切った。
「昨日オレは……」また言葉を切った。
「オレは島田があそこにいるのを知ってたんですよ。だからチャンスだと思って行ってみたんです。そしたら、先輩と話してるじゃないですか」
 センカンは睨むようにしてプールの監視塔を見上げていた。
「先輩がいなかったら話せたかも知れないのに……」
「オレがそのチャンスを潰したってのか?」
「そうは言ってません。でも先輩が、先輩が島田と知り合いだってことを昨日まで知らなかったンです」
 センカンは沈黙した。
 どう話を続ければいいか迷っているのだ。
「あそこで島田を見付けた時は、バレー部の誰かと話しをしていると思ったんです。それなら直ぐ別れちゃうだろうし。それから何とかすれば話をするチャンスがあるかな?と思ったんですが……。でも行ってみたら先輩じゃないスか。先輩と島田の関係って何だ?と思ったら舞い上がっちゃって――」
 センカンは雄弁になっていた。
「さっきも言ったじゃないか。島田は墨木の後輩で同じ小学校の出身だからって理由だけの知り合いだぞ」
「ほんとにそれだけなンすか?」
「疑ってンのか?」
 ほんの少しだが、後ろめたい気持ちが無くはなかった。
「疑っているわけじゃ無いンです」
 センカンは首を横に振りながら、ため息をついた。
 そして次の瞬間には、人なつっこい笑みに変わっていた。
「それなら、なおのこと引き受けてくれますよね。先輩にお願いしたいです。かわいい後輩だと思って――」
「オレじゃなくて他の奴に頼めば? 例えばクラスの……」
 センカンは駄目駄目と手を振った。
「クラスの奴に頼んじゃったら、すぐ広がっちゃいますよ! そうなったら島田に悪いし」
「誰にも言うなって頼めよ」
「そんな友達いないっス」
 ほんとかよ?とジンジは思った。
「じゃあ手紙を書けよ。何日の何時に何処どこで会ってくれないかって下駄箱にでも机の中にでも入れろよ」
「オレ、字が下手くそだから」
「なに変な理由付けてんだよ」
「とにかくお願いしますよ。オレにチャンスをくださいよ」
 センカンは向き直り、両手を合わせた。
「お願いします」
 今度は頭を下げた。
 次は土下座しそうな勢いである。
「部活が終わったら、島田はたいがい先輩たちと一緒に帰ってるじゃないスか。そん時そ~と横に並んで、チョコチョコって話してくださいよ」
「お前も一緒に帰れば」
「一緒に帰るったって大通り(旭東通り)までじゃないスか。そこまで30メートルもありませんよ。そんな短い距離じゃあ、絶対無理っス」
 参ったなぁ~、ジンジはバレー部の方へ目を向けた。
 そこへバレー部の3年生がグラウンドに現れた。
 ナオも居るし、カコも姿を見せた。
 センカンは、困ったような、そして泣きそうな顔で頭を垂れた。
 何度頭を下げれば気が済むのだろう。
 ジンジが引き受けてくれるまでは下げ続けるのであろうか。
「解った。解ったから、もう頭を上げろ」
 ジンジは、センカンの背を撫でるように叩いていた。
「言ってみるだけだぞ」
 センカンは頭を上げた。
「本当っスか?」
 その顔は、安堵で一杯になっていた。
「ありがとうございます」
 また頭を下げた。
「頭を下げるのは、止めろって言ったろ!」
 ジンジは呆れて強い口調になっていた。
 次第に面倒臭くなってきていた。
「はい、わかりました」
「練習始めるぞ」
 ジンジはセンカンに背を向けてゴール前に集合している仲間のもとへ走った。
 ジンジの横を、センカンがダッシュで追い抜いていった。
「げんきんな奴……」
 そう言った同じ口からため息が漏れていた。

        06

 翌日の朝、水曜日。
 ジンジは普段より少し早めに登校した。
 休み時間は慌ただしいし、昼休みはグラウンドに出て走り回るし、放課後になれば二人とも直ぐに部活に行ってしまうし、帰りは仲間たちと一緒でゆっくりと話をしている余裕なんて無いし――。
 結局ジンジは、朝一番に相談するのがベストだと考えたのである。

 カコは教室に入るなり、鞄を肩に掛けたまま、窓際のジンジの席に寄ってきた。
「おはよう、早いね」とカコ。
「おはよー」
「ちょっと待ってて」
「オレがそっち行くよ」
 カコは、立ち上がろうとしたジンジの肩に手を置いた。
「いいよ、〝話を聞く〟なら窓際の(ジンジの)席の方が気持ちいいから――」
 開かれた窓からは、5月の風が吹き込み、教室の中を揺れ動き、廊下へと流れ出ている。
 何も言ってないのに……、ジンジはカコの姿を追っていた。
 席に鞄を置いて戻ってきたカコは、ジンジの前の椅子に横座りして窓の方を向いた。
 前の席のクラスメイトは、いつも時間ギリギリに教室に飛び込んでくる男子だ。
「準備OKだよ。昨日、部活前にグランドで話してた後輩とのことでしょう?」
 ジンジは目を丸くした。
「どうして?」
「昨日、みんなと一緒に帰っている時に、何か考え事してたみたいだったし――」
「そうか」
「でも部活に行く前まではそんなようすは無かったし――、だから」
 そこまで分かってくれているのならばと、ジンジは昨日のセンカンとの会話を早々に切り出していた。

「どうしよう?」
 ジンジはうなだれた。
「どうもこうも無いでしょう。頼んでやるって、言っちゃったんでしょう?」
「はい、そのとおりです」
「困ったね――」
 カコはジンジの机に左肘を置いて、窓の外の景色に目をやっている。
 朝の陽差しが、彼女を照らしていた。
 吹き込む風は、頬と唇、そしてカットしたばかりの髪を包み込んで遊んでいた。
 ジンジは、背筋を伸ばして距離を取った。
 動きに反応したカコが、左のジンジに顔を向けた。
「何、見てるの?」
「カコ見てた」とあっさり。
 彼の言葉にこだわりは無かった。
 そして……、この空気感だった。
 ドキドキするけど、落ち着くような、そいでもって安心していられるような感じ――。
 ジンジは意識しないままに唇を緩めていた。
 直後に慌てて口を押さえた。
 瞳は、キョトキョトとあらぬ方向をさまよった。
「それで、どうするの?」
「……? そうか! センカンのことだった」
「だから早く来たんでしょう?」
「そうだった」
 ジンジは、尻を動かして座り心地を確認した。
「でも二人のことだからなぁ~。オレたち外野があれこれ言っても――」
「ジンジはもう内野手になってると思うけど」
「上手い表現だな」
 カコが睨む。
「真面目に考えなきゃ」
「そうだね、真剣にネ~」カコもしっかりと椅子に座り直していた。

        07

「お二人さんはとっても仲がいいのね……」
 声に二人が顔を上げると、ナオがそこに立っていた。
「おはよーどうしたの?」
「どうしたの?じゃないでしょ! 何か忘れてない?」
 ナオは両手を腰に当てて二人の前に進み出た。
 するとカコが、弾かれたように立ち上がり、両手で口を覆った。
「ごめん、すっかり忘れてた……」と手の平を合わせた。
「再来週の土曜日のバレー部の練習試合のことで、打ち合わせするはずだったの――」
 カコは、ジンジにも謝っていた。
 いいのいいの、気にしないで……とナオ。
「大丈夫だよ。二人の話が面白そうだから、練習試合の打ち合わせはお弁当の時でいいよ」
「ごめん」
 カコはまた手を合わせた。
「と言うことでね……。わたしもあなたたちの話に混ぜてもらってもいいかしら?」と提案してきた。
 するとジンジは「そうだな、ナオの意見も訊いてみたい気もするな――」
「いいの?」とカコ。
「構わないさ」とジンジはナオの参加を歓迎した。
「ジンジがいいって言うならいいけど……」と何か引っかかる言い方だ。
「三人寄れば、何となんとやら……だから」
「文殊の知恵、でしょ」
 ナオは近くの椅子を引き寄せて、左右に二人を見るように座った。
 分かった……とカコも腰を下ろた。
 それからゆっくりと間を置いてから話を始めた。
「実は……、サッカー部にヒカリのことが好きな後輩がいて、二人で会う機会を作ってくれないかってジンジが頼まれちゃったの」
「ヒカリのことが好きな後輩がサッカー部にいるんだ」とナオ。
 カコの話は続いた。

「……なるほど。つまりジンジに月下氷人(げっかひょうじん)の役をやってくれないかってことね」
「月下氷人、ずいぶん古風な言い方をするのね」
「うん、月下氷人ね。悪ィけど翻訳してくんないか?」
 ジンジはニガ笑いと一緒に頭を下げた。
「月下老と氷上人は、どちらも昔の中国の占い師で縁結びの神様でもあるの、それを組み合わせた造語ってことだよ」とカコが説明する。
「つまりジンジは、その後輩に縁結びの神様の役をやってくれって頼まれたってことでしょう」ナオが補足する。
「ジンジはヒカリのことは知ってるよね。たまにわたしたちと一緒に帰ってるから、顔くらい分かるわよね?」
 ジンジは言葉を飲み込んだ。
 そしてあやふやな頷き方をしていた。
「じゃあ簡単じゃない。まずはカコがジンジをきちんとヒカリに紹介して、それからジンジがさり気なくヒカリに言えばいいわけでしょ! それくらい出来るよね、カコそうだよね――」
 ジンジは沈黙した。
 カコも困った顔でナオを見ている。
 そしてジンジは力無く首を横に振った。
「どうしたの? 何か問題でもあるの?」
「それがね……」とカコはジンジに目線を移した。
 ジンジは椅子の背に身体を預け、頭の後ろで腕を組んだ。
 カコは、ヒカリとジンジが一度だけ体育館裏で会っていたことも含めて、これまでのいきさつを説明していた。
 
 話を聞き終わった後も、しばらく黙りこくっていたナオの最初の行動は、頭の上で組んでいたジンジの肘を小突くことだった。
「そうだったんだ、知らなかった。ふ~ん、ジンジもやるじゃない」
「向こうが勝手に……」
 ジンジは組んでいた手を解き、今度は胸の前で組み直していた。
「勝手にじゃないと思うよ。ジンジの何かがヒカリの何かに触れたんだネきっと――」
 ナオはカコに向かって話をしていた。
「何かって、なんだよ」
 ジンジの問いかけにナオは笑った。
「わたしはそんなこと知らないわよ。ボクのどこが気に入ったんですか?って、直接ヒカリに訊いてみればいいじゃない」と笑った。
「でもそうなってくると、話は変わってくるよね。憧れてるジンジから、別の人に会ってくれないか……て言われるのは、ヒカリにとって相当なショックよ」
 ナオは話を戻し、真面目な顔でジンジに向き直った。
「やっぱりジンジ――、月下氷人なんか止めるべきだと思うよ」
 カコも、首を縦に振っていた。
「勇気を出して一人で何とかしなさい!……って、後輩に言うべきだよ」
「でも、引き受けちゃたし……」
「そんなのいいの! 自分で言わせるようにするの!」
 ナオの語気には勢いがあった。
「どうしてそんなに、自分で言うことにこだわンだよ?」
 ナオの押しの強い意見に躊躇いながらも、理由を訊かずにはいられなかった。
 渋々引き受けたにしても、引き受けたからには何とかしなければ、……とジンジにも意地があった。
「あのねジンジ、女の子はね……」
 ナオは椅子の上で背筋を伸ばし、優しく語った。
「本人に直接言ってもらうのが一番嬉しいんだから」
「センカンは直接言うと思うけど?」
「最初っから自分で何とかするって意味よ。誰かに手伝ってもらって会う機会を作ってもらうなんて、もっての他よ!」
 男と女は違うのものなのか?
 ジンジは、カコの橋渡しでヒカリと会ったことを思い出していた。
「最初に第三者に言われたら、その誰かが〈まず〉二人のことを知ることになっちゃうでしょう」
「(もう知っちゃってるけど)まあ、そうだな……」
「いずれみんなが知ることになるかも知れないけど、女の子はそれまでは誰にも知られたくないって思うものなのよ――」
「そんなもんなのか?」
「そうよ、絶対そうなの! 他の誰かに会う都合を付けてもらったりするよりは、直接本人から〈いついつ会ってください〉って言ってもらってそれから〈好きです〉〈付き合ってください〉〈憧れています〉〈お友達になってください〉はたまた〈その髪型凄く似合ってます〉って言われるのが一番好きなの――」
「凄く……、って言うのを忘れた」
「何それ?」
「何でもない、独り言……」
 一瞬だがカコに目線が流れた。
「とにかく、最初っから最後まで、本人の口から言って欲しいものなの! 女の子はみんなそうよ」
 ナオはカコに振り向き、微笑んだ。
「とにかく、直接言うべし!」
 ナオは机を叩きそうなほどの勢いで、ジンジに断言していた。
 
        08

 放課後。
 部活も終わり、カコとジンジは仲間たちと一緒に帰ろうとしていた。
 イケピンもいた、ナオもいた、ユウコもいた、シンコもいた、そしてポンタとタカコもいた。
 他、数人の後輩の中にヒカリもいるし、センカンもいた。
 ヒカリは、ナオとカコと三人で並んで歩いている。
 センカンは、その後ろを後輩の男子たちと一緒に歩いている。
 そして数十メートルの距離を歩いてバス通りに出ると互いに挨拶を交わし、北と南に別れた。

 ジンジは、南グループの最後尾を一人で歩いていた。
 未だにどうすればいいのか解らないのである。
 肩を落とし、薄暗くなった地面を眺めながら歩いていると、気付かぬうちにカコが横に来ていた。
「言ったの?」
「まだ……」
「そう……」
 そのまま二人は、黙って仲間たちの後を付いてゆく。
 顔を上げると、ナオがユウコとタカコにヒカリを紹介していた。
 いつもの顔見知りだから、すぐに打ち解けてコロコロと笑う仲になっていた。
 ことが終わるまで、ナオはジンジにヒカリをなるべく近付けないようにしてくれているのだ、とカコは思った。
 でもカコたちと別れてしまえば、短い距離だが二人っきりになってしまう。
 その時ジンジはどうするのか?
 と……ジンジが足を止めていた。
「どうしたの?」
 彼は遠くを見ている。
 カコは待った。
 やがてジンジが口を開いた。
「これからセンカンを追い掛けて行って、自分で何とかするように話してみる」
 言うとジンジは、左肩から掛けた鞄を右手に抱え、アディダスのバッグは左腕で抱えた。
「いってらっしゃい」
 ジンジは踵を返すと走っていた。
「どうしたの?」ユウコが振り返っていた。
 ヒカリとナオとタカコも立ち止まっている。
「ううん、何でもないよ」カコは四人に歩み寄った。
「走って行っちゃったじゃない」とナオ。
「忘れ物をしたんだって」
「凄く慌ててたみたいですけど――」とヒカリ。
 ヒカリはあれこれと訊きたそうだ。
「とっても〝大切なもの〟を忘れたんだって――」とカコ。
「慌てて取りに戻らなければならないほど、大事なものって何なのかしら?」とユウコ。
 カコは、とうに見えなくなってしまった、走っているジンジの姿を想像した。
「ナオの説教が効いたのかも」
「説教……ですか? ナオ先輩が家入先輩を怒ったんですか」
 ヒカリが声をある。
「そうだよ。ジンジは鈍(にぶ)チンだから、こと男子と女子に関しては幼稚園児並の思考しか持ってないんだよ……」
 言い終わらぬうちに、ナオはカコの鞄をポンと叩いていた。
 小気味よい音が響いた。
「どうしたんですか?」
「ううん、何でもないよ」
 ナオは笑いながら、カコを睨んでいる。
 ユウコとタカコが笑っていた。
 つられてヒカリも笑っている。
「ほんとに先輩たちは、仲が良くて羨ましいです……」
 と急に、ヒカリは笑いながらお腹を押さえていた。
「どうしたの?」
 タカコが心配そうに寄って来た。
 ヒカリは下腹に手を置いたまま身体を折った。
 慌てたみんなが、集まって来た。
「今朝からちょっとお腹の調子が悪くて、……でも大丈夫です。もう痛くありません」
 ヒカリはようようと身体を起こした。
「ほんとに?」
「無理しないでね」
 ナオに言われてヒカリが頷く。
「ほんとだよ。調子が悪かったら、明日の部活は見学でもいいからね。大事を取って休んでも構わないからね」
「ありがとうございます」
「ほんとに無理しちゃ駄目だよ」とカコ。
「大丈夫です。無理はしません」ヒカリは笑って応えていた。
「大丈夫なら……。じゃあ、ゆっくり帰ろうか」とユウコ。
「そうね、家入くん……うんにゃ、ジンジを待っててもしょうがないから、ほら、帰ろ帰ろ――」とタカコ。
 カコはそれから先頭を歩き始めた。
 ヒカリは、ジンジが走って行った学校の方を見ていた。
 やがて……、先を歩く四人をゆっくりとした足取りで追い掛けていった。

 ②へ続く……

04 背中合わせ ①

04 背中合わせ ①

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更新日
登録日
2025-11-28

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