消えたオッパイ

 女優・桃井かおりの著作に「賢いオッパイ」というタイトルの本がある。内容は忘れてしまったが、このユニークなタイトルの本を随分昔に買って読んだことがある。

 早坂暁脚本の「花へんろ」で共演した女優の沢村貞子や「隣の女」で最初で最後の仕事をした、脚本家の向田邦子への思いが書かれていたが、やはり、本というものはこのタイトルがいかに大事なことか。この桃井かおりの「賢いオッパイ」というタイトルを目にした時、良くも悪くもそう思ったものだった。
 つい先日、この「賢いオッパイ」を再び目にした時、ふと忘れていたことを思い出した。
 いつだったか、BS日テレで名取裕子主演の映画「序の舞」が放映されたことがあった。 
 女流画家・上村松園の生涯をモデルとした宮尾登美子の同名小説を映画化したものである。
 上村松園といえば、切手にもなった「序の舞」が言わずと知れた代表作と言っていいのだろうが、私はその生涯までは知らなかった。
 時に人はこういった映像作品で、その人の半生や生涯を知ることがあるが、私にとってこの映画はそんなうちの一本だった。しかし、この映画を観始めた途中から、ずっと気になって仕方がないことがあった。それは、主役の名取裕子のオッパイである。
オッパイをおっぱいと書くべきか否かは、これまでの人生で考えたこともなかったから悩ましいところだが、ここでは桃井かおりの本の題名「賢いオッパイ」に倣ってカタカナの「オッパイ」を基準にして書くことにする。
 名取裕子が劇中、そのオッパイを惜しみなく観客に披露と言うよりかは、堂々と見せびらかすシーンがあるのだが、その名取裕子のオッパイが誰の悪戯か画面に映る度に、霧に霞んで見えないのである。別に映画の中に霧がかかっていた訳ではない。この霧の正体はモザイクだったのである。この霧のモザイクに霞んだ名取裕子のオッパイを目にした時、私は悲しさを通り越して憤った。決して名取裕子のオッパイが観れなかったから憤ったのではない。いつから日本は女優のオッパイを、霧のモザイクに霞んで見えなくするようになったのだろうか。その時は、この作品だけかと思い、すっかり忘れていたが、それからしばらくして、今は亡き伝説の女優・夏目雅子の代表作の一本である、五社英雄監督の「鬼龍院花子の生涯」が放映された。
 五社監督と言えば、女を撮らせたら右に出るものはいないと言われた名監督である。そんな五社監督が清純なイメージだった夏目雅子を口説いて大胆に脱がせ、夏目にブルーリボン賞主演女優賞をもたらした記念すべき映画である。それをあろうことか、ここでもやはり、夏目雅子をはじめとする出演した女優たち全員のたわわで見事なオッパイを、名取裕子のオッパイ同様、霧のモザイクに霞んで見えなくさせていた。
 こんなにオッパイオッパイと騒いでいるが、別に私はオッパイが見たい訳では決してない。むしろ、こういったそれを売りにしているような側面のある映画は、どちらかというと敬遠する質である。
 かつて、夏目雅子の母親である小達スエが、娘に請われて夏目の遺作となった主演作「瀬戸内少年野球団」を一緒に映画館へ観に行ったことがあった。 満員になっている映画館のお客たちを見て、母親のスエが雅子に言った。
「あんたが脱がなくたって、お客さんたくさん入ってくれてるじゃないの」
 スエのこの一言は言い得て妙だった。別に女優は裸にならなくたって十分、そのエロティシズムをスクリーンに表現することは出来るのである。
 昔から日本には「秘すれば花」という言葉がある。その言葉のまま、別に裸を見せなくても見えるか見えないか、ギリギリのところで留めておけば、その向こうがどうなっているのか、逆に観客は興味をそそられ、様々なことを想像するというものである。
 そんなことより私が言いたかったのは、若い頃、まだ駆け出しの女優だった今はベテランと言われる、その女優たちが花も恥じらう最も美しいうら若き乙女の頃、監督の言われるままに、たわわで見事なオッパイを羞恥心と闘いながら、全身全霊を込めて人目に晒して演じた、いわば女優生命を賭けて演じ、出演した映画なのである。もう脱がなかった頃には戻れないと、覚悟を決めて「えい、やぁ!」と脱いだ映画なのである。そんな彼女たちの思いと心意気が詰まった貴い遺産を、センシティブという理由でオッパイありきの作品からオッパイを排除して良いものなのだろうか。たわわで見事なオッパイを作品として認めないのは、どう考えても私は納得が出来ないのである。
 オッパイは男女問わず人間には必ずついている。男と女で出っ張り具合や役割の違いはあるが、誰にでも必ずあるものである。それがなければ、男女のその行為にも結びつかず、人類は滅亡の危機に晒される。
 消えたオッパイには、消してはいけないきちんとした理由があるのである。これだけ多様性が叫ばれている時代に、これではまるで時代錯誤も甚だしい。女のオッパイが消されるようでは、男がブラジャーを着けなければ人前で裸になれない時代も、冗談ではなく本当にやって来るかもしれない。
 そんな貴くてたわわで見事なオッパイを取り戻すことが出来るのは、そんなオッパイを「賢いオッパイ」と言い切った女優・桃井かおりしかいないのではないかと、私は確信している。

消えたオッパイ

消えたオッパイ

まだ駆け出しの女優だった今はベテランと言われる、その女優たちが花も恥じらう最も美しいうら若き乙女の頃、監督の言われるままに、たわわで見事なオッパイを羞恥心と闘いながら、全身全霊を込めて人目に晒して演じた、いわば女優生命を賭けて演じ、出演した映画なのである。もう脱がなかった頃には戻れないと、覚悟を決めて「えい、やぁ!」と脱いだ映画なのである。そんな彼女たちの思いと心意気が詰まった貴い遺産を、センシティブという理由でオッパイありきの作品からオッパイを排除して良いものなのだろうか。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-11-12

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