
一期一会の夏
商売をするからには店構えが大事である。あまり安っぽくしてはいけない。かと言って必要以上に敷居が高ければ、店の前を人が通っても知らん顔して素通りされてしまう。適度な重厚感と親しみやすさが何より重要である。
先日、某花屋で小さな花束を作ってもらった。一度中を覗いたら丁度客がいたので、寄らずに先を急いだ。何かしら店はあるだろうと高を括っていたが、行けども行けども店はない。
困ったことになった。菓子折りも手に入らないとなってはどうしても花束が必要である。今来た道を汗だくになりながら引き返した。
店に入るなり恐る恐る、
「花束を作っていただきたいんですが」
そう申し出ると、
「この暑さじゃ花はもちしませんよ」
店主の女将さんが申し訳なさそうに言った。
「そうですよね」
私も同調して返事をしたが、
「どうしますか、それでも作りますか」
と相変わらず、女将さんは花束を作るのに消極的である。
本当に花屋に来たのかと疑いたくなった。花屋に来て花束を作ってくれと頼んでいるのに、それをやんわりと断ろうとする女将さんのあまりの商売っ気のなさに、私は妙に親しみを感じた。
思ったことを腹に溜めておけない質だから、
「女将さん、商売っ気がなさすぎますね。よくこれで長いこと花屋をやってこられましたね」
と、吹き出してつい言ってしまった。
「だって、この暑さじゃもちませんよ」
尚も女将さんは続けたが、私の一言で気を良くしたのか、それとも元から親しみのある女将さんなのか分からないが、どういう用途で必要な花束であるかを訊かれ、用途を話し予算を伝えた。
二人で意見を出し合いながら、夏のひまわりを基調にした非常にセンスの良い、色とりどりの可愛らしい小ぶりの花束を女将さんは作り始めた。
その間、店を始めて何年になるのか、昔はこの辺りはどんな感じだったのか、時期的に季節の花は何と何を組み合わせたら綺麗なのだろうかと、私の浴びせる質問に笑顔で答えながら、気がつけばあっという間に素敵な花束が出来上がった。
会計の時、丁度の代金をトレイに載せると、女将さんは予算を目いっぱい使わず、少し余るくらいで留めてくれたらしく、釣り銭を下さった。
花で商いをし、花に食わせてもらってきた。その花は女将さんにとってただの花ではないのかもしれない。商売道具でもなく商品でもない。長い間に培われてきた、花に対する敬意なのかもしれない。みすみすダメになると分かっていて、売りに出すのは冥利が悪いのかもしれない。
穏やかな笑顔の絶えない女将さんだったが、その笑顔の裏にはそんな思いがあったのかもしれない。
多分、二度とこの女将さんと会うことはないだろう。そう思ったら、私は女将さんと別れるのが名残惜しくなったのだった。
家に帰り住所を調べ、はがきの一枚でも送ろうと思い立ち文まで書いたが、結局送らずに季節はもう秋である。
一期一会の夏
2025年9月3日 書き下ろし
2025年10月1日「note」掲載