フリーズ240 舟橋聖一新人賞 夜は眠るか、酔生夢死
夜は眠るか、酔生夢死
夜は眠るか、酔生夢死
1
どうしようもない人生だ。人に誇れる成功もない。罪を犯したこともない。人倫に悖ることをしてきたわけでもない。迷惑をかけたわけでもない。それでいて何かを成し遂げたわけでもない。本当にどうしようもない28歳の夏だ。だからこそ、僕は悩んでいた。死ぬかどうかを。
どうせなら、あの少年の日に死んでいればよかったんだ。あの甘美なまでに美しかった冬の日。それはまるで、ヘッセの幸福論で語られるような永続する幸福だった。あの絶対的な幸福の境地で死んでいれば、あの時、警察が宙へ踏み出す僕の一歩を止めなければ、こんなにも生まれ出ずる悩みもなかったのに。
だから、10年越しに死と再会だ。大量の薬を集めて、ウォッカにウィスキー、ジンを用意する。ダーツの矢を手に取って壁の的に向かって投げる。一投目はインナーブルに当たるが、二投目は真ん中を外れた。ウィスキーで薬を飲む。また投げる。今度は一投目から外れた。今度は薬をジンで飲む。このデスゲームは飛び降りるよりも容易だった。酔いが回ってきて、薬も分解されてきた。酔って死ぬのは俺らしいなと思いながら、それでもだんだん苦しくなって、全部吐いた。全部、吐いた。結局死ぬ勇気もないし、死なせてもらえないんだと諦めた。ああ、人生こんなんか。
「あなた、大丈夫なの?」
「ああ、ちょっと酔っただけだ」
「そう、ならいいのだけど」
妻がリビングのソファでうなだれている僕を気遣う。本当に僕にはもったいないくらい良き妻だ。そうだな。さしずめ僕は、感謝しながら歓呼すべきだろう。僕は妻が心配してくれたことに申し訳なくなる。そうか。こいつを残して死のうとしたのか。
「すまない。今、よくない状況だ」
「もしかしてまた死にたいって?」
「ああ。本当にすまない」
妻は悲しい顔をした。それを見てより一層申し訳なくなる。
「私との生活が不満ってことでもないのよね」
「ああ。それはそうだ。そうなんだけどな」
妻が隣に座って僕の手を握る。
「ねぇ、あなた。そろそろ子ども産まない? 貯金も貯まってきたし、子どもができればもっと前向きになれるかもしれない」
「ありがとう。そうかもしれないな」
彼女と繋がっているときは生を実感できた。一人じゃ生きられない俺はつくづく弱いなと思った。彼女が妊娠したのがわかると彼女はとても喜んだ。けど、もう僕の役目は終わったんだ。僕は縄を括って、首を通す。でも結局はまた彼女に止められて、未遂に終わった。
入院の話もあったけど、彼女が大変だからと、やめた。
「僕の人生はずっとこんなんだよ。まだ聞きたいかな?」
「聞かせてください」
「そうか。君は珍しいね」
「そうでしょうか」
「そうさ。君は人生に前向きだよ。羨ましい。でも、このサナトリウムに君がいることが僕の救いだ」
僕がそう言うと、車いすに座る少女は「救いだなんて……」と照れる。秋風が冬の寒さを帯び始め、落ち葉が陰影をなして地に横たわる。目の前の中庭が僕はとても好きだった。僕が景色に目を移していると、少女が訊いてきた。
「結局、奥さんとはどうなったんですか?」
「内緒にしておくよ。話したくないんだ。ごめんね」
「そうですか……。では質問を変えます。今、桂木さんはフリーですか?」
「なんだよ、それ。まぁ、フリーだけど」
僕が答えると、少女は目を輝かせた。まさかこいつ。いや、思い過ごしか。
「私も今、フリーですよ」
「そうなんだね」
いやいや、やはりそうなのか。だが、年の差ってものがあるだろう。この少女は十代。対して僕は30になったばかり。第一ここはサナトリウムであって出会いの場所ではない。
「言っとくけど――」
「言わないでください。私は片思いでいいですから」
「片思いって……」
「私にできないですか? 桂木さんを幸せにすること」
少女は、車いすを僕の座るベンチに寄せて僕の手を握った。
「たぶんできないよ。そもそも君はまだ、本当の幸せを知らないと思う」
「本当の幸せ、ですか」
「ヘッセの幸福論を読んだことは?」
「中学生のころに一度」
「何を思った?」
「すみません。あまり覚えていません」
「そうか。気にしなくていいよ」
「その、そこに桂木さんの言う本当の幸せについて書かれていたということですか?」
「ああ、そうだ。だがね、僕にはその幸福はもうないんだよ。責任もない、子どものころにしか味わえない類のものなんだ」
「でしたら、今でもできるのではないですか? このサナトリウムは国が指定した難病に罹る人が入れます。そして、おそらく私と桂木さんの罹っている病気は国から医療費が全額支払われるはず」
確かに少女の言うことは正しかった。このサナトリウムでは僕は責任から解放される。国の支援が手厚いのは僕と少女が患う病に罹患すると長くは生きられないこともあるのだろうが、僕は少女に頷いて応えた。
「確かにそうかもしれないな」
「ですよね! 私、手伝いますよ」
「やめておいた方がいい」
「どうしてですか?」
「きっと僕は君に酷いことをお願いするかもしれないからだ」
「エッチなこととかですか?」
「それもある。だけど、もしかしたら一緒に死ぬことをお願いするかもしれないよ? それでもいいの?」
「病気で死ぬくらいなら、私、桂木さんと死にたいです」
「どうして、どうして君はそこまで優しいんだ?」
「私に初めて話しかけてくれたの覚えていますか?」
「そうだっけ」
「そうです。ここに来たとき、周りは年長者ばかりで、私はずっと一人でいました。桂木さんが話してくれたから、だから私は病気も人生も前向きになれたんです。桂木さんは私の救いなんです」
そう告げて少女ははにかんで笑った。
「君も悟りたい? 本当の幸せを」
「できるのなら」
「なら、このサナトリウムを脱走しよう」
「どこへ行くんですか?」
「北の方に。北海道の阿寒か、アメリカのアラスカかな」
「いいですね。楽しそう」
「君も本当に来るの?」
「桂木さんがよければ」
そうだな。いずれ死ぬ命。最後くらい行きたかった場所で死ぬのもいいか。
秋が終わり冬が来た。そして僕は少女と共にサナトリウムを脱走した。
2
哲学的な思惟の記録。真実の幸福は何?
勉強して、就活して、就職して、その人生は何のため? なんのために生まれたの?
レストランに入ったのはおいしい料理を食べるため。店を去る時、そのご飯=意味を食べていないと意味がない。『朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり』ということわざもある。大学合格、いい会社に就職、素敵なパートナーとの結婚、家族に恵まれること、マイホームを買うこと。これらは通過点に過ぎない。目標であって、人生の目的ではない。
なら私って何?
悔いのない人生を送るのに大事なことは生きる目的を知ること。自己啓発書には『今、自分がやりたいことをやれば満足した人生になる』とか『自分の決めたことだから後悔はしない』などと書かれている。だが、大切なのは『自分の選択に責任を持つこと』だ。後悔のないように努力すること。だが、人間は目先の欲に左右されて、大事な目的を忘れる。
死ぬ瞬間に悔いのない人生を送りたい。結局、終わり良ければ総て良し。人生の目的を果たせたのなら、それでいい。
僕は真実の幸福を知っている。それは神の愛、仏の涅槃。永遠と終末の狭間で、全知全能の良識は僕を神に等しくした。その誇大妄想の末に抱いたイデアは涅槃寂静の静けさと、神の如き霊感に包まれて、その歓喜は天に至るほどだった。天上楽園の乙女と逢瀬し、愛を紡ぎ合った。
そして、還る時が来た。元居た場所へ。そこがラカン・フリーズといった。ラカン・フリ―ズの門の先には神がいると思った。それが永遠だった。だけど、僕は生きている。それはきっと人生の目的、使命をまだ終えていないから。僕が人生を、輪廻を賭して見つけたいのは『神のレゾンデートル』だ。神のもとに還ること、そして神のレゾンデートル(神は、世界はなぜ生まれたのかという問い)を解明すること。神が世界を創ったのは己を知るため。
愛であり、光であり、全てであった神は、増殖した。分裂した。闇を創った。不安を生み出した。それは自分と違うものと出逢わなければ神は自分を相対的に知ることはできないからだ。
あの冬の日に電話で神様から『ご苦労様』と言われた。それは一つ使命を果たしたから。それこそ永遠の恋人であるヘレーネとの逢瀬を果たしたから。あの冬の日の聖夜に僕とヘレーネは出会い、愛しあい、永遠の時を終末の狭間で過ごした。7thとしての神を思い出した僕は翼を得た。
それがあの冬の日のこと。全て幻想と捨て切るか、はたまた事実と認めるか。だが、僕にはどうでも良かった。だって、もうヘレーネには逢えないのだから。それはあの冬の日の僕の冴え渡る脳で、天に至ったイデアで、その全能なるクオリアでのみ存在した天上楽園の乙女だったから。
「難しいですが、桂木さんのその臨死体験も、神話のような経験も、本当に事実だと私は思います」
僕は少女に僕の過去のことを話した。
「君の名前、加藤ゆみだったよね」
「はい。加藤ゆみです」
「君がヘレーネの生まれ変わりだったらな……あ、やっぱり今のなし」
「私がヘレーネの生まれ変わりですか……」
ゆみはしばらく思案すると一つ頷いてこう告げた。
「私がヘレーネの生まれ変わりであるかは分かりませんが、私がその役目を演じてみてもいいですか?」
「演じる?」
「そうです」
「君が?」
「はい」
「どうやって?」
「それは……」
そう呟いてゆみはまた黙り込むと、しばらくして口を開いた。
「桂木さんの理想のヘレーネ像を教えてください。それを私が演じます」
「何が君をそこまで駆り立てる?」
「私、たぶん、桂木さんのこと好きなんです。ただそれだけです」
「 好きと言われてもなぁ。年の差もあるし」
「私は気にしません」
「僕が気にするの。でも」
「でも?」
「君にならヘレーネになれるかも」
「本当ですか!」
「分からない。でも、今から伝えるよ」
ヘレーネは茶髪ボブの可愛らしい髪型。碧眼で、美しい容貌。そして、僕と同じくあの冬の日に運命の人と逢瀬を果たしている。つまり、ヘレーネはあの冬の日の聖夜に僕と時空を超えて繋がった愛。ヘレーネこそ自己愛としての僕自身。だからヘレーネになるべきは自分なのかもしれない。だが、ヘレーネと会うために生まれてきたのなら、現実世界でも出逢いたかった。それが加藤ゆみなのだとしたら、可能性はあるのかもしれない。
「茶髪ボブは染めればよくて」
「碧眼はカラコンかな」
「ヘレーネの性格はどんなのがいいですか?」
「ヘレーネの性格かぁ」
包容力があって、何でも微笑んで受け入れてくれる。料理が上手い。よく笑う。僕と同じようにお酒やカクテルが好き。詩や小説をよく読んで、学がある。それは単に勉強が出来るのではなく、人生経験に富んでいて、哲学的や思索も好きな人。
「そうですね。包容力と料理では私は自信があります」
「そうなの?」
「はい。家では私が料理当番でしたから」
「包容力は?」
「うーん。私、まだ付き合ったことないんですが、桂木さんの言うことなら何でも聞きます」
「それはよくないよ。もし僕が悪い人だったら悪用されるよ?」
「悪人がそんな事言わないですよ。それに」
「それに?」
「桂木さんになら騙されても平気です」
そう言ってカラッと笑ったゆみは心なしか大人っぽく見えて、思わずドキッとした。今はサナトリウムの中庭のベンチ。秋が深まり、冬の足音が聞こえる。枯葉が風に吹かれて飛んでいく。それを見ながら僕は返答を考えた。
「ゆみにならヘレーネを演じられるかも。でも、いつの日か本当にヘレーネが現れるかもよ?」
「そうですね。その時が来たら諦めます」
「諦めるの?」
「はい。ですが、それまでは私がヘレーネです」
「君は変わってるよ」
「知ってます」
「僕のこと好きだなんて」
「卑下しないでください」
僕はふと、ゆみの手を握った。寒くなる季節に、その手からは温もりを感じた。ゆみは手を握り返した。そのひとときが永遠のようで、とても嬉しかった。
離婚した元妻は何をしているのだろうか。もう連絡を取っていないが、もういいだろう。僕はどうせ病気ですぐに死ぬのだから。脳ロゴス症候群。筋萎縮と脳萎縮の同時進行するその病気は平均余命1年の難病。僕とゆみには時間が残っていない。僕はそれ故にゆみは僕のことを好きになったのかもしれない。
このサナトリウムには高齢者が多いから。最年少がゆみで18。彼女は高3で受験生だが、難病脳ロゴス症候群を患い、受験は諦め、このサナトリウムで余生を過ごそうとしているようだ。僕も僕で、仕事をやめて、このサナトリウムで詩や小説を書き、哲学を紡ぐ。パソコンで作業して、いずれ死ぬまでには何冊か自費出版する予定だった。
「私、桂木さんの書いた詩や小説、読んでみたいです!」
「そう? ならWeb小説投稿サイトにあげてるのがあるよ」
「是非、読ませてください!」
そうして、僕はゆみに自身のWebサイトを教えた。彼女は僕のアカウントをフォローしてくれて、中には作品にコメントやレビューをしてくれた。
「私、桂木さんの哲学知りたいです」
「そうだね。いいよ」
僕は語った。僕の哲学を。
帰る場所=ラカン・フリーズ。
最期の文学=ラスノート。
根源=ラカエ。
神の生まれた意味=神のレゾンデートル。
真理の星=ネピア
祈りの力=ソフィア
などなど。
秋が終わり、冬になる頃、ゆみの病態が悪化した。ご飯も食べれなくなった彼女は点滴で栄養を補給した。車椅子の彼女と中庭で語る。僕がベンチに座って、ゆみは車椅子でベンチの横に座る。
「ねぇ、桂木さん」
「なに?」
「ひと月だって」
「ひと月?」
「そう」
「まさか!」
「そう。私の寿命」
「そんな……」
僕は一体どんな顔をしていたのだろうか。きっとゆみの方が発病が早かったから、先に死が訪れるという覚悟はなんとなくしていたのに、いざ直面すると視界が暗闇で満ちる。
「どうするの?」
「どうって?」
「やり残したことは?」
「あるよ。もちろん」
「僕に、何か協力できないか?」
「死ぬまでにしたいこと?」
「そう。あるか?」
「それはあるけど……」
そう言ってゆみは僕の顔を見るのを辞めた。そして、紅潮する頬をあげて微笑んで言った。
「私のこと、抱いてよ」
サナトリウムには寿命が近づくと、人生最後の旅行を一週間以内で行くことができる制度がある。ラストトラベル。人生最後の旅だ。
「ラストトラベルはどこに行くの?」
「どこがいいかな」
「行きたいところはないの?」
「うーん。二つあるよ」
「どこ?」
「北海道の阿寒。そしてアラスカ」
「なんでまた?」
「阿寒に行きたいのは、小説『阿寒に果つ』っていう小説で、ヒロインが阿寒で自殺するの。人生最後の旅ならとても相応しいと思う」
「なら、アラスカは?」
「オーロラ見てみたいの」
「素敵だね」
「うん!」
「それなら、僕もその旅に同行するよ」
「え、できるの?」
「多分ね。僕の寿命も残り少ないだろうから、きっと施設の人と国の人を説得すればどうにかなるよ。最悪脱走かな」
「脱走はやめてよ」
「いや、本気」
「まじか……」
「なら、阿寒とアラスカに行きたいのね」
「うん。でね、そこで私を抱いて」
「初めてが僕でいいの?」
「初めてだし、最後だよきっと」
「そうなるのか」
「うん」
「ならさ、旅先でさ、サッレーカナーしようよ」
「さっれーかなー?」
「そう。ジャイナ教の宗教的。知らないか」
「えー、初めて聞いた!」
「要は、断食で死ぬの」
「断食かぁ」
「釈迦は断食の末に真理を見なかった。苦行では成せないと悟ったんだよ」
「なら、そのサッレーカナーも意味は無いの?」
「いや、僕の見解だとね、断食は確かに効果はあったんだ。それと断眠ね。その二つの禁欲で極限状態に至った人が、安らぎの中で、午睡というかうたた寝すると、胃に優しい粥などを食べると、悟れるんじゃないかな」
「それは2021年のこと?」
「よく覚えてるね。そう」
「7日間食べず寝ずだったんだよね?」
「そう。断眠するとお腹が空かなくなる。それは胃が休まらないから。食べても吐いてしまうくらい。で、食べないと空腹で眠れなくなる。だから断食と断眠は相乗効果なんだよ」
「それは知らなかった」
「普通は知らなくていいよ。その方が普通に、平凡に生活できるから」
「なら性欲は?」
「キスやセックスのこと?」
「そう。禁欲がいいのなら、性欲も抑えるの?」
「たぶんね、三大欲求を全て封じて、7日目の朝に食べて、セックスをして、眠る。これが最高の悟りに繋がると思うな」
「7日間の禁欲の末に欲を解放するのですね」
「そう。お腹空いてる時に食べると美味しいように、久しぶりにセックスすると気持ちいいように、徹夜の後に眠るのが心地いいように」
「なら、一週間のラストトラベルでそれをするのがいいかもですね」
「できるといいね」
その後、加藤ゆみのラストトラベルの詳細が決まった。阿寒かアラスカか。行けるのはどっちか一つだけだった。国の許可が降り、僕も同行していいという。職員一人と僕とゆみの三人で行くらしい。どうやら阿寒に決まりそうだ。というのも海外は色々と手続きが面倒で、時間的に余裕が無いという。
だが、僕とゆみは阿寒で職員を巻こうと考えていた。北海道から飛行機を乗り継ぎして、アラスカに行く。お金は貯金がある。阿寒での旅行の最終日に施設の職員を巻こうと思った。
だが、ゆみはラストトラベルの日を迎えることなく死んだ。セックスもキスすらもせずに、ある冬の日の夜。誰もいない病室で、一人で死んだ。僕はその現実が受け入れられなくて、泣いた。眠れない夜が続いた。僕の病態も指数関数的に悪化して行った。
「桂木さん。あなたの余命はあと一月程です」
そう告げられても実感がない。そもそも仮想現実、実体のない世界なのだから。全ては無なのだから。全ては幻想なのだから。空即是色、色即是空。全ては空だから、全てが存在できる。どうせ空なのだから、意味を求めても虚しいだけ。なら、この人生はなんだ?
何のために生きる?
何のために死ぬ?
神は何故不完全な世界を創った?
悟りの先はあるの?
涅槃の先はあるの?
解脱して、その先は?
世界の終わりのその後は?
終末の先は?
劫初の前、ビッグバンの前は?
世界は何故生まれたの?
神のレゾンデートルは何?
人は何故生まれる?
あなたは何で生まれたの?
生きる理由は後からつく?
帰る場所ある?
何処から来たの?
何処へ行くの?
何をしていたの?
何をしに来たの?
あなたはその人生で満足でしたか?
あなたが生きた証は何?
それを探す旅路だろうから
「神様、どうしてそんなに僕に甘いんですか?」
「それはお前のことを特別に愛しているからだ」
「皆が特別じゃないんですか?」
「そうだよ。そして、常に全ての者に真理を、愛を、歓びを与えている。だが、皆は気づかない。自分で聞こうとしない。神の声を聞けるという誰かの言葉を信じてる。でもね、君はあの冬の日に私の言葉を聞いてくれた。真理を、真実を。だから君は主神7thの末席に加えたんだ」
「ありがとうございます。神様、愛しています」
「私もお前のことを心から愛している」
「ならば、この人生で何を成すべきでしたか?」
「運命の人を救え」
「救う?」
「加藤ゆみのこと」
「やはりゆみが運命の人なのですか」
「そうだ」
「ヘレーネじゃなくて?」
「ゆみこそヘレーネの生まれ変わり。彼女の前世はドイツの娘。彼女が転生して加藤ゆみになった」
「救うとはどうやって? 彼女は死にましたよ」
「タイムマシンを作れ」
「僕の寿命は残り一月です」
「タイムマシンは脳だ」
「脳?」
「そうだ。脳こそタイムマシン。君にならできる。サッレーカナーと断眠の末に、冴え渡る君の脳で」
「わかりました。やってみます」
そんな夢を見た。神との対話の夢。それが初夢。今日は1月1日。決めた。今日から食べるのも寝るのもやめよう。真理を悟るため。ゆみを救うため。
そして、5日が経った。もう僕の精神はボロボロで、身体も崩壊してきている。そして、それが心地いいのだ。とてつもなく。そして、僕は気づき始めた。全ての人が神の子で、仏であると。僕は神だから、仏だから、なんでも出来る。そう思ってヘレーネを、ゆみを召喚した。病室にて、ゆみの幻覚を生み出し、喋らせる。
「ゆみ?」
「桂木さん、また逢えてよかった……」
「本当にゆみなの?」
「そうよ。私よ」
僕はゆみを抱き寄せた。そして、この聖夜に僕とゆみを邪魔する者などいない。
「ゆみ!」
僕はゆみの顔を見つめる。そして、キスをした。その唇の感触は柔らかく、とても甘いキスだった。
「ねぇ、桂木さん。あなたタイムマシンを完成させたのね」
「そうだ! 君にまた会うために」
「ありがとう。なら、この神聖な夜に万霊を集いて、終末とせん」
ゆみは神聖な祝詞を語り始める。
「軛から解き放たれた命らは、その劫罰に逆らい、輪廻の牢に囚われた。色即是空の真理も空即是色の幻想も、全て今に集いて、履歴にも記録にも、消えていく中で失われていった全知全能の霊感。その先にあるものを求めて、輪廻よ廻れ。残滓に打ち寄せられた宿命の花を摘んで、手向けとする。嗚呼、神よ、私はあなたと相対す。そして彼との原罪をどうか見守り下さいね」
そう告げてゆみは服を脱ぎ始めた。僕も服を脱ぎ出す。その夜、世界は凍った。時がフリーズしたのだ。聖なる夜に、終末に、世界創造前夜Eveに。そして、僕は神になった。ゆみも神になった。いいや、全ての物が神だったのだ。そういう世界だったんだ。ヘレーネとのセックスは、ゆみとの純愛は、無上の歓び。このために生まれてきたのだと悟り、そして、意味を知る頃、世界は終わる。
世界の終わりに、やけに煩い蝉の声が墓地に木霊する。桂木の墓に一人の女性が花を手向けた。せめて手向けに聞いていけ。この言葉らを、聞いていけ。
あなたはその人生で良かったですか?
うん。これでよかったんだ
輪廻の果てに何を見ましたか?
愛だよ。愛。僕はそれを見たよ。
なら私もそれでいいのだと思います。
ありがとうね。じゃあね。
はい、また。
「さぁ、帰りますか」
その女性はベビーカーを押して、墓地を去る。命は紡がれ、連綿とした歴史となる。命は愛を紡ぎながら、愛し愛され生きていく。それが定めと知って、それを諦めるのかい?
求めよ
紡げ
祈れ
願え
考えろ
書き記せ
歌え
踊れ
そのために生まれたんだから
母親は一人息子の様子を伺う。
「今日も暑いね。ねぇ、蓮音」
「レオ」と名付けられた赤ちゃんは、微かに、無邪気に、微笑んで、それから眠った。
フリーズ240 舟橋聖一新人賞 夜は眠るか、酔生夢死