寝て起きてを繰り返して40年・井森美幸の名言
どこの世界の芸能界でもそうなのだろうが、唯一無二の個性を放ち、その世界で必要とされ生き残るには、持って生まれたルックスや才能、人柄などそれは大前提かもしれないが、それだけではどうにもならないものである。それは芸能界に限らず、どの人の人生にも言えることだが、どんなに努力をしても一向にチャンスの訪れない人もいるし、日の目を見ない人もいる。どう足掻いても報われないことが多い。人生なんてそんなものなのかもしれない。どうしてなのかと腐ってしまう人がほとんどだろう。そんな中めでたくデビュー40周年を迎えた女性芸能人がいる。井森美幸である。
この40年、浮き沈みの激しい芸能界にあって沈むことを知らず、致命的なスキャンダルもなく、体調も崩さず身綺麗な印象を保ち続けたまま、デビューから現在に至る。
ここで詳しく井森美幸の芸歴を事細かに書き連ねることは控えるが、最も有名なのはホリプロスカウトキャラバンのオーディション時、レオタード姿でジャズダンスを踊ったVTRであろう。そうは言ってもこれはデビュー前の映像であって、デビュー後の井森美幸の姿ではない。芸は身を助けるではないが、井森美幸に限ってはオーディションの映像は身を助けるである。
いつだったか「ロンドンハーツ」だったと思うが、「井森美幸大好き芸人」という企画で様々な芸人たちが顔を揃えたことがあった。その1時間の番組内だけでも様々なエピソードが飛び交い、過去の映像がいくつも紹介された。
「天才たけしの元気が出るテレビ」に出演した時の幽霊の回で、幽霊を目の前に恐怖に怯え、泣き喚きながらも冷静に幽霊と会話する井森美幸や、1992年から出演を続ける「モンダミン」のコマーシャルでは、井森美幸が年を取らないからと言って、過去の映像を加工して、子供、大人、老人と3人の井森美幸を一つの画面に登場させたバージョンのVTR、様々なバラエティ番組に出演した際のリアクションの取り方の表情が絶妙だと、いくつもの井森美幸が紹介されたVTRと盛りだくさんだった。
その中で最も老若男女いずれも知らぬ者はいない、今では伝説となったレオタードでジャズダンスを踊る井森美幸が放映された時は、集合した芸人はもとより、テレビの前の視聴者全員が大爆笑したことだろう。本人は至って大真面目に踊っているのだが、その踊りの端々に井森美幸本人の戸惑いが画面の随所に滲み出ていて、冷静に見ればユーモラスやコメディを通り越して、侘しさや悲哀すら感じる。
現在、レギュラー番組こそ持っていないようだが、テレビ番組への出演は途絶えることがない。タレントとしては小綺麗でこざっぱりしていて、清潔感があり年齢よりもはるかに若く見え、その内面も年を取らないせいか、若干昭和のリアクションそのままだが、それが却って井森美幸らしく、テレビ局も企業も安心して起用できる、安定感抜群のタレントであるのかもしれない。
住まいも知っている人間がいないとか、ハロウィンの仮装パーティーでは毎年、本気で度肝を抜く仮装をして来るとか、何事に対しても一生懸命で楽しもうとするところや、猫も杓子も私生活を世間に見せびらかしたがる人間が多い中、承認欲求とはほど遠い場所におり、インスタグラムやエックスといったソーシャルメディアには一切手を出さず、自身のプロフィールは所属事務所のホームページとウィキペディアだけという秘密主義を貫いているせいか、見かけから想像されるような明るく開けっ広げな印象とは反対に、謎が多く飽きられることがない。
芸能人は飽きられたらおしまいである。不名誉なことで騒ぎ立てられ、いつまでも覚えてられるのも致命的だが、人気商売であるのに何も騒がれないというのも考えものである。
芸能人になったからにはレギュラー番組を持ちたい、自分の名のついた番組を持ちたい、ちやほやと持て囃されていたい。第一線で活躍し続けたい、ライバルを蹴落としてでもずっと自分の手に入れた地位を守りたい、視聴者に笑ってほしい楽しんでほしい。そういった見栄や虚栄心、欲がなくては仕事は長く続かない。しかし、井森美幸にはそういったガツガツしたところが一切ない。与えられた仕事をする、与えられた役割をしっかり果たす。視聴者が笑おうが笑うまいが、楽しもうが楽しまなかろうが関係ない。自分がやれることを淡々とこなし、ある程度のところで相手に丸投げという、程よい仕事との距離感を持っている。これは対人関係においてもこういった心地いいポジションをキープしてくれる人なのだろう。芸人の名は忘れたが、体調不良で番組収録が飛んでしまった時、その芸人が井森美幸に詫びたら全く意に介さず、「収録が1本とんでも給料制だから心配しないで」と、さらっと言って帰ってしまったという。またある時は、バラエティ番組で独身でいることや、自身の発言に対してからかいにも似たことを言われても、むしろ、次回も仕事がしやすいように、決して相手を責めるような発言はせずやんわりと切り返し、現場の雰囲気を壊すようなことはしない。そのような気遣いに満ちた対応は、自分に余裕がなければできない振る舞いである。
一方で生まれ故郷である群馬をこよなく愛し、ふるさとの上毛かるたを丸暗記していて、折に触れてその郷土愛を爆発させていることが幸いしてか、県のイメージアップや観光アピールを担う「ぐんま大使」に任命されている。
そんな井森美幸が、バラエティ番組で芸能界で40年生き続けた秘訣を問われ語ったという、ウェブニュースを目にした。そこで井森美幸は次のように語っている。
「気がついたらよ、“寝て起きて”を繰り返したら40年経ってた」
一口に40年と言うが、アイドルとしてデビューした筈が、鳴かず飛ばずでバラエティタレントに転向。イメージが定着して久しいが、様々な葛藤もあったと思うが、今の自分に満足しているのだろう。次のようにも語っている。
「いやいやいや、気がついたら…。だってここにたどり着こうと思ってやってなかったんだから」
特に大きな目標を持ち、身の丈よりはるかに大それたことをやろうという発想など微塵もなく、自分を冷静に俯瞰して見る力が井森美幸にはあったのだろう。
私はこの番組を見ていないから、井森美幸の声のトーンや間の取り方、言葉の発し方がどのようなものだったのか、本当のところは分からないが、自分のキャリアや努力といったものをひけらかすこともせず、こんなにも謙虚なものの言い方をする人、慎ましい女性がまだ日本にいたのかと、私は非常に嬉しくなった。居心地が良いからという理由がいちばんなのだろうが、芸能界入りのきっかけとなったホリプロを離れることなく40年所属し続けている、義理を欠かないところも人として素晴らしい。芸能界にも井森美幸のファンが多いというのも、大いに頷ける話である。
今では伝説となったレオタード姿でジャズダンスを踊るあのVTRは、事務所が放送禁止にしているらしいが、あの映像がある限り、井森美幸はこれからも芸能界から消えることなく第一線で活躍し続けることだろう。
能ある鷹は爪を隠すとはよく言ったが、井森美幸はそういう人なのかもしれない。まだまだ隠している爪がどれだけ出てくるのか、今後の活躍が大いに楽しみである。
寝て起きてを繰り返して40年・井森美幸の名言
2025年7月5日 書き下ろし
2025年7月9日 「note」掲載