ヒトとして生まれて:第16巻
はじめに
私が勤務していた企業(IHI)の航空宇宙事業本部のOB会組織に
おいて翠風会(すいふうかい)という名の下で「Webによる交流」を
重ねている。今回、あらためて翠風会の「翠」の文字を辞書で引いたと
ころ「翠」を「かわせみ」と読むことを知った。そして、身近な話題と
して近郊の彩の森入間公園の下池にも、時々かわせみが飛来して多くの
カメラマンを魅了している。
そこで、私も、時々「翠(かわせみ)ダイアリー」として旅日記など
を軸にして、翠風会(すいふうかい)の「Webによる交流会」に投稿
してみようかと考えて、構想を練り、綴った文章を投稿してみた。
結果は「Webによる交流」で親睦を図る狙いから筆者の顔が浮かぶ
様に「実名での投稿をお願いします」と云われた、それまでペンネーム
での投稿を続けていた私は熟慮、私の記述には、実在の人物が登場する
ことが多いので、実名での投稿となると、登場人物の個人情報が容易に
特定されてしまうという危惧に気付きOB会組織への投稿は断念した。
しかしながら、これまでかなりの文量にて脳内に文章化したイメージ
が蓄積されており、もったいないので、自分の裁量で運営できるサイト
(星空文庫)にて投稿することに決めて投稿を始めた次第である。
日常的に身近な文学の世界では、例えば俳句などの交流において俳号
を用いて情報交流などを行うことは常であるため多少の違和感を覚えた
が「違う世界もある」と、考えて割り切ることにした。
翠(かわせみ)ダイアリー 001
今年(2025年)の初夏は、九州四日間の旅として別府温泉方面に
出掛けてみた。旅先選びは家内の得意とするところなので、今回も膨大
な量のパンフレットが寄せられてくる阪急交通社の旅案内から、家内の
「選択眼」任せで旅に出た。
団塊の世代の夫婦旅が旬を迎えていることから、今回の旅人のサイズ
は43名で昨年比では膨張傾向である。早朝に出発の飛行機旅に懲りた
私たちは今回はお昼ごろの飛行機便で帰りも早目の帰り便の旅を選んだ。
今回の旅程で、一番に、気に入ったホテルは三日目の「杉乃井ホテル」
(別府温泉)で今までに泊まったホテルで五指に入ってくる宿と云える。
ホテルの宿泊棟は、3棟から構成されており、棟と棟を繋ぐエリアには
大きなゲームセンターが配置されていて、大浴場や露天風呂などは屋上
にレイアウトされており、ホテルそのものが、丘の上に位置していると
いう立地条件もあり、昼には、温泉に入りながら別府温泉の湯けむりを
眺め、夜になると別府市街の夜景を一望できるという絶景で設計センス
が垢抜けている。
「室内の設計も旅人の気持ちを良く把握している」という印象で・・・
「設計センスが優れているな」と、いう点では洗面所と風呂とトイレが
別になっているところまでは誰でも思いつくが洗面所が二人で同時利用
出来るデュアル仕様になっているなどの点はエクセレント評価だ。
総じて、若者向けゲームセンターに趣を置いている点や、洗面所内の
デュアル思考など新しい感覚でデザインされているところから、三世代
&四世代ファミリーで一緒に宿泊するには、最適のホテルと云える印象
で、鎌倉ファミリーとの一緒の旅が想像された。
今夏には我が家と鎌倉ファミリーとの北海道旅行が話題になったこと
もあり、昨夏は、下見も兼ねて仙台港から北海道に向けての船旅なども
体験したが、鎌倉の孫が今春の大学受験で鎌倉からなら自宅から通える
ところの慶応に合格、それまでは逗子開成高校で共に受験勉強に励んで
いた仲間と意気投合して、北海道のスキー旅行に出かけて、親と一緒に
出掛ける旅からは卒業、今夏も学生仲間で連れだって北海道旅行に出掛
ける様子なので、毎年の恒例行事であった「鎌倉ファミリとの二世帯旅」
は当面はお預けの様である。
したがって、当面は、鎌倉の孫と一緒に食事がしたければ、鎌倉まで
出かけて、海上に大花火が写る「鎌倉の花火大会」などを狙って、鎌倉
に出掛けるなどの選択肢を考えて鎌倉に出掛けるのも一案だ。
鎌倉の祖母は102歳までの長寿を全うしており生前に鎌倉の70年
超の洋館を建て替えることを思い立って、息子に指示(鎌倉ファミリー
の親父さん)もともと建築好きで、大手建設会社の重役で一級建築士と
いうこともあり、洋館を壊して「メーターモジュール方式」の家に建て
替えた。メーターモジュール方式は我々の常識では「1800×900
サイズの畳サイズ」で家の間取りを設計するが 「2000×1000
サイズ」で間取りを設計して行くので、家の階段などもだいぶゆったり
とした印象で広々としている。
孫の可愛さ百倍の親父さんにしてみれば、自分の息子(長男)の書斎
よりも、孫の部屋は三倍の広さで、二階部分に設計してあるため、我々
が鎌倉を訪問した時には、孫の部屋に泊めてもらうことになる。
(1階には客間も用意されているが孫と一緒が良い)
これからは北海道旅行をはじめ学生仲間同士の土産話を鎌倉に泊めて
もらって聞かせてもらうのも楽しみだ。そうはいっても、先日は「孫の
大学合格のお祝い」として鎌倉ファミリが川越まで出かけて来てくれて
イタリアンとフレンチの融合レストランで合格祝いの食事を共に楽しま
せていただいた。
この様な祝いの席のセッティングは、鎌倉ファミリーの娘の特技とも
云える分野で、今回も、お任せの祝いの席であった。川越のビル内に、
その趣向の凝ったレストランは存在していた。
様式は「イタリアンとフレンチの折衷」といった斬新なレストランで
店の名前はSENTIAMO、店の入り口にはオーナーシェフの似顔絵
が描かれており、その段階から、顧客の興味を惹く趣向になっている。
案内されたのは、個室で5名以上の利用が原則の様である。周囲は暗く
正面の照明でお互いの顔が際立つように工夫されている。献立に沿って
料理が運ばれ三人の女性スタッフによって料理の提供が進行されて行く。
〇 先ずは、弥生の献立と謳っているだけに、前菜は季節感たっぷりの
新鮮な野菜と、点のように浮かび上がったソース類
〇 風車豚とモルタデッラとキノコの盛り合わせは絶妙な味覚
〇 ここで「たい焼き」には、驚かされた。まさに、泳げたい焼き君の
出で立ちでソースの海の中をたい焼きが泳いでいる。これはシェフの
洒落で、たい焼きの皮を剥ぐと中に正真正銘の鯛を焼いた具材が内在
しており気の利いた駄洒落といったところだ
〇 ブラックアンガス牛は、レアで提供され美味であった。添えられた
パンも香ばしく、パリのレストランを想像させる印象であった
〇 春トリュフはアイスクリームとの相乗りで美味しかった
〇 焼き菓子は五種類、これも洒落が効いていて、お寿司の五品風の皿
に盛りつけてあった、これは、アールグレーの紅茶にピッタリ
最後に、シェフのご尊顔を拝したいという、我々の要望に応える様に
オーナーシェフが挨拶に見えたが、恵比寿様のようなご尊顔にて有難く、
入学祝いのキャンドルを囲んで鎌倉ファミリーと共に記念写真を撮って
いただき、目出度く祝宴を記念に収めて、小江戸川越の街中に繰り出し
大賑わいの市街地を散策した。
イタリアンにしてもフレンチにしても毎日の様に豪華な食卓が続くと
飽きて来るという稀有な体験に恵まれたことがあるが、その様な場面を
想像した時に、イタリアンとフレンチの折衷スタイルなどは、シェフの
遊び心としては良いかもしれない。
私が稀有な体験をしたのは豪華客船に管理工学(IE)の講師として
乗船した時のことであり、毎日の様に、これでもかという勢いで豪華な
フレンチ料理が続き、さすがに飽きたことがある。
(IEとは、インダストリアル・エンジニアリングの略称である)
その様な、連日のフレンチの食事が続く中で、ある日(突然)和食の
日本蕎麦が昼食に振舞われた時には「生産性の船」という、堅苦しさも
ある雰囲気の中で、豪華客船が揺れる程の拍手が湧いた。
生産性の船に講師として乗船する案件については日本IE協会の管理
部長が、当時、IHI航空宇宙事業本部の「TQC推進部」を訪問して、
航空宇宙事業本部の幹部会に諮られ講師としての「収入:108335円」は
当事業本部の雑収入として計上することで承認された。
当時は、生産事業部の統括部門からTQC推進部に異動したばかりの
タイミングで、それまでに携わった瑞穂工場における生産性向上運動の
一環で、航空機用のジェットエンジン製造における最終的な組立作業や
オーバーホール作業における動作分析において 「ビデオIE」という
独自の管理技法導入が評価されて、広く普及させて欲しいという要望が
関東地区のIE協会だけでなく、日本を代表するトヨタ生産方式が席巻
していた中部IE協会においても講演などが要請されていたこともあり
これを全国的に、普及させたいという、日本IE協会の狙いもあっての
「生産性の船への乗船依頼」であった。
翠(かわせみ)ダイアリー 002
私は、家内と一緒に小旅行に出かける前に、怪我をすることが多い様
な気がする。毎回という訳ではないが、数年前には、お正月のバス旅行
に出掛けることになっていた際に数日前になって「ギックリ腰」を発症
したことがある。この時は日帰り旅ということもあって代わりに行って
くれる方を、家内が、スポーツジムの仲間から見付けてくれて、友人の
善意で救われたことがある。
しかし、これが、数日の宿泊旅となると、即決では代っていただける
人を探すのは至難の業である。先日、テニスの練習仲間の女性がやはり
突然の怪我で参加不能となり急遽、ご主人の仲間が代理参加してくれた
というが、稀なケースといっても過言ではない。
私の正月の日帰りバス旅の時の「ギックリ腰」は重傷で起きての行動
が不能な状態で、当時やっとのことでかかりつけの接骨院に辿り着いた。
接骨院の見立ては「長年、座椅子での執筆活動を続けたため」と、診断
されて、家の中の座椅子は全て廃棄処分とした。以来「生活スタイル」
は「椅子に深く正座するか」「立ち姿勢か」または「寝てるか」の三択
に徹底した(それ以来、ギックリ腰は、発症していない)
そして、昨年(2024年)の秋の京都旅の際には、旅行に出掛ける
6日前に当たる日に、二階からの階段で、残り2段の処で階段を踏み外
して両膝を打撲してしまった。私が二階の書斎で片づけをしている時に
急ぎの電話で家内が呼びに来て一緒に階段を下りて行った時に、家内は
階段を降りきり、私が背後から追って行くという形勢のため、私が階下
に落ちた瞬間に家内を付き飛ばしたら、前面にはガラス戸があって家内
に怪我をさせてしまうという状況で私は咄嗟に両膝を着地させて、瞬間
的に、私は態勢を右に倒した(この間は、おそらく1秒未満)
結果的には、左膝は内出血、右ひざは強い打撲、接骨院の医師が云う
には、このケースでは、骨折などの大怪我をすることが多いのだと云う。
「よくぞご無事で」という診断結果であったが、医師の診断通り内出血
した左膝は早めに治り、右膝は完治までに時間がかかった。
京都の旅では接骨院からシップをいただき、シップを替えながら旅の
行程を乗り切った。しかしながら、京都旅は寺院などの紅葉見物が主体
のため日々が石段との戦いでたいへんであった。旅の二日目には旅仲間
が石段を踏み外して夜は宿で足首を冷やし、シップで養生という旅行に
なったが、注意していても、最近、旅行者の怪我は多い様である。
京都旅の土産は「生八つ橋」にして接骨院にも届けたが旅を終わった
後も膝の治療は続いた。しかし、旅の代役を建てることもなく「何とか
乗り切れた」のも接骨院の医師のおかげであった。
そして、今回2025年の初夏の旅では出発の4日前にテニス特訓の
際のサービスの練習で 「背筋を痛めてしまって」旅の出足を挫かれた。
接骨院で治療を始めたものの手当出来るのは3日間のみ。その様な状況
の中で、たまたま、家内が、近郊のスーパーマーケットの店内において
「電位治療器」のデモンストレーションに日々熱心に通っていて、試し
に「電位治療器による治療」を体験してみたらと云われて3日間通った。
この際、接骨院の治療との合わせ技となるが、神頼みに近い感覚で体験
「旅の出発日に背筋の痛みはなく」キャリーバックを引ける様になった。
家内は、その後も、電位治療に通い「32日間」お試しで様子をみた
結果「1/f周波」という医療サイクルの採用などもあって・・・
〇 夜は朝まで熟睡出来るようになった
〇 便通改善にも役立ちそう
などという効果も確認され、同じ治験仲間でも50日超の体験者も居て、
「電位治療器の購入」を決めた様だが、私も、旅行から帰って、何度か
電位治療の体験をしてみたがテニスの翌日など膝の痛みを感じていたが
電位治療器を当てた後は膝の痛みがないことから、私からも相応の資金
分担をして二人で電位治療器の購入を決めた。
旅の前の身体上の痛みなどに、万能ではないと考えるが八十路の助け
として頼りにしてみることにする。
翠(かわせみ)ダイアリー 003
初夏の別府温泉の旅において 「杉乃井ホテル」の宿が一番のお気に
入りであったことを、既述したが、食事などについても杉乃井ホテルは
エクセレント評価が出来る食処であった。
特に、ディナーについては、今、流行の「インクルーシブスタイル」
でアルコール類は飲み放題であった。とは云うものの私と家内にとって
は、生ビールが大好きなので、生ビールを片手に美味を探求と云う食の
スタイルであったが、食事の形態は、バイキング料理でありながらも、
食材は、どれも超一流の料理人仕込みで、和食・フレンチ・イタリアン
中華料理と、いずれも美味でまったく飽きさせない品揃えであったため
美味探求の世界観であったと云っても過言ではない。
翌日になって、前夜の酒好きの仲間が集まって談話していたが、相当
に深酒を共に体験した模様で「家族ぐるみ」で、すっかり親友の雰囲気
を醸し出していた。昔からの例えで「お茶の一年・お酒の三日」という
が「友好の深まり」を絵にした様な姿を垣間見た思いがした。
別府温泉の旅の一泊目の「メルキュール佐賀唐津リゾート」にしても
二泊目の「ホテルデンバーグ」にしても、それぞれにAランクのホテル
なので、食事には恵まれていたと云えるが「杉乃井ホテル」がずば抜け
て美味しかったということであり、今回の別府温泉方面の宿泊コースに
ついては全体的に食事処に恵まれていたと云って良い。また、自分たち
で選ぶ自由食の場面もあったが「自分達の好みで選んで食せる機会」も
ハウステンボス内での食事など「食の寛ぎ」といえる演出で良かった。
今回の別府温泉の旅は飛行機の出発が5月26日(月)11時40分
であったため、羽田空港の集合時間も、午前10時50分とゆったりと
した時間設定で、気分的には気軽な対応が出来た。
福岡空港への到着は13時30分であったため、皆、昼食は機内で済
ませていたため、現地で、当日のツアーコンダクターと面着すればバス
に乗車して、即、九州旅の始まりとなる段取りが組まれていた。しかし
福岡空港での懸念は、ツアーコンダクターとの羽田空港での面着の際に
「ツアーコンダクターが前夜から声が出なくなってしまった」と、いう
ことで、応援の同僚が駆け付けて代行にて受付や旅の案内を行っていた
ため、福岡空港では一人対応となるので、思いやりの溢れたツアー客の
心配は、そこにあった。
しかしそこは福岡チームのチームプレーで、大型バスの運転手さんが
受け入れのための対応を代行、全員がバスに乗車すればそこからは車中
のマイクが利用できるので「もっぱらマイクによる案内」で対応した。
福岡空港を出て、福岡市内をバスが進行して行くと福岡市街の街並み
は心地よい景色が続き「住んでみたい街」の上位にランク入りする理由
が伝わってきた。我が家の長男(年齢は姉弟で一番下)が、大学を卒業
して最初の赴任地が福岡であったので、家内も時々現地を訪ねていたが
ここなら「住んでみて気持ちの良い街だったろうな」と想像した。
昨年の旅では宇部空港に着陸して、長男の勤め先の本社にあたる地域
の空気を吸ったが、九州の旅では長男が若い頃に活躍した地域の空気を
吸うことができ、それを想うと帰省の度にお土産としての「明太子」や
「とおりもん」の、銘菓を手にして帰ってきたことを思い出す。家内は
それに応えるように魚市場で「鯛」を購入していたことを思い出した。
(この模様は当時のインターネット上の俳句投稿コーナーに掲載)
その後、バスは唐津方面に移動して、鏡山展望台に到着。島々が海上
に浮かぶ姿から東北の松島を連想した。そして、その後、日本三大松原
のひとつと云われている「虹の松原」を訪れて海岸を散策、ここからは
近距離の「メルキュール佐賀唐津リゾート」に到着して、ホテルの展望
エリアに足を運ぶと、たった、今、散策した虹の松原の海辺を近距離の
視野に確認出来た。
翠(かわせみ)ダイアリー 004
別府温泉方面の旅行も、二日目はハウステンボスへの入園がメインの
企画となっているが、その前に「伊万里焼きの窯元」を訪ねた。街並み
は坂道で道の両脇に陶器店が連なっている。伊万里焼は品の良い陶器類
という印象で、思わず手にするが、けっこうな価格で購入するまでには
心が動かないものの観賞するには目の保養になるという印象だ。
昨年の萩・津和野の旅では、陶器店に入った瞬間、かつて楽しい時を
共にした飼い犬「もも」を思わせる置物を見付けて家内共々、即、購入
に心が動いて、今、我が家の「モモちゃんコーナー」に置かれているが
今回は、その様な出会いはなかった。
その後は、展海嶺として、ボランティアの調査による大小208の島
から成る「九十九島」を、一望出来る場所に立ち、島々の風景を楽しみ
一路、カステラの名店に向けて旅は出発進行、美味しいカステラの試食
もあり、旅仲間は土産に最適なものをウインドウケースから選び出して
それぞれに買い求めていた。家内もお土産にはこれと思ったカステラを
見つけてお土産袋に収めていた。
それぞれに、お土産ものを取り揃えた旅仲間は、お土産袋を手にして
当日の宿となっている、ハウステンボス内の「ホテルデンバーグ」内の
各々の部屋に、土産物や手荷物をひとまず部屋の隅に置くと、洗顔など
を済ませ、紅茶などをいただきながら「一時の休息」ハウステンボス内
の案内図を一覧して、歩いて行けるハウステンボス内に移動、一瞬では
分かりにくい入場口を探し当てて入場、お試しで、目の前の会場に入る
ことにした。
会場はファンタジックな雰囲気で、会場に入ると若者の歓声が谺して
いた。光のファンタジーといった印象で、プロジェクターによって映し
出されるファンタジーが秒速で変化して行く光景には迫力があった。
ハウステンボス内のショーは、プロジェクターによる光のマッピング
によるショーが主体で、大規模なものは、屋外で大きな建造物を劇場に
設えてショーを繰り広げるために、新鮮な印象で視界をファンタジック
な世界に演出して行く。花火大会なども同じ仕様で仕掛けるため花火師
はいらない。
初めて大観覧車に乗ったが、頂上部からの展望ではハウステンボス内
が一望の下に見渡せるので「このまま停止していて欲しい」と思ったが
あっという間に、ゴンドラは下って行く。ハウステンボスはオランダの
アムステルダムの風景を模して構築してあるため外国情緒がたっぷりで
大展覧車からの景色は「異次元の魅力スポット」と云える。
その晩の夕食は自由食であったので「中華料理」の店に行こうという
ことになり歩を進めたのだが、あいにくの店休日とあって、イタリアン
に変更、それなりの美味に満足した。
ホテルに戻ると、その日の入浴は園内をバスで移動しての温泉と云う
ことで、早速、バスで移動して入浴を済ませて、バス停に戻ると行く先
はホテルごとになっていて、覚えにくいホテル名を気にもせずに温泉場
に着たがバスの行け先を特定できないままに待っていると、偶然、旅の
仲間に出会い、バスに同乗してホテルに帰着、忙しすぎという印象の旅
に疲れて、その日は、あっという間の熟睡であった。
翠(かわせみ)ダイアリー 005
別府温泉方面の旅も三日目の朝には「佐賀城」を訪問。武家屋敷の中
でも特に特徴のある「大広間」を見学、佐賀藩の命運を決める重要な話
し合いの場を確認。密室での藩の運営と云うよりも、多くの武士が参画
しての話し合いの場が用意されていたという面からは、当時も風通しの
良い藩の運営が行われていたことが推測された。
その後は、一路、バスは「柳川」に向かう。柳川と云えば「鰻重」と
「川下り」が印象深い。バスの車内におけるツアーコンダクターからの
案内によれば(この頃からツアーコンダクターも声が出るようになった)
船下りをするなら「鰻重は食せない」鰻重を重視するなら船下りの時間
はないと二択を迫られた。これは、お客の顔を見てから鰻を捌くことに
徹しているためために鰻を蒸す工程で時間がかかるためなのだと云う。
私と家内は「どうする?」ということになって「両方、こなしたいね」
と云うことになり、具体策としては「先ずは、船下りに参画」次の段階
で「鰻を食することを考えよう」ということになった。
先ず船下りに参加するには、船宿の窓口で「乗船券」を購入する必要
があり、該当の窓口を探し当てて、二人分の乗船券を購入、船着き場に
は、今回のツアー仲間も居て、同志と云う印象で流し船に乗り込んだ。
周辺には、外国人の船頭も居て、外国人を乗船させ、日本の流行歌を
口ずさみながら船を漕いでいた。我々が乗船した小舟の船頭によれば
「彼らは柳川の流し船にまつわる話題は提供出来ない」ので、流行歌を
歌うことで場を繋いでいるのだと云う。
我々の小舟の船頭はベテランで、柳川における川下りの生い立ちから
周辺の景観にまつわる話題など言葉巧みに解説を続け、柳川にまつわる
民謡なども披露、面白かったのは、小舟が橋の下をくぐる際に、当日の
様に水嵩が増している状況では、乗船客は小舟の縁の下まで寝そべって
航路を進まないと橋桁に頭をぶつけることになるので、ほとんど仰向け
に寝そべった状態で橋の下を小舟ごと潜り抜けることになる。
「その時、立って操船している船頭は、どうするのか?」
その答えは、橋の手前に梯子が用意されていて、梯子を登って橋を渡り
反対側の梯子を下りて船に飛び移る。ところが、この光景が有名になり
すぎたために、川の水嵩が下位にある時には船頭は小舟に乗ったままで
橋の下をくぐり抜けられるのだが、インターネット上でこの光景が拡散
され有名になりすぎて、水位が低くても梯子昇りのショーをやる必要が
出て来て、水位の低い時のほうが梯子昇りがたいへんなのだという。
かつて、イタリアにツアーで出掛けた時に、海面から「青の洞窟」に
入って行く時に、同様の姿勢を取って洞窟に入っていったことがあるが
海面は、その時々に潮位が変化するために、青の洞窟では海面によって
は洞窟への入場が出来ないこともあったことを思い出した。
やがて、小舟も帰りのコースとなったところで、小舟の船頭に向けて
船着き場で船から降りて「短時間で鰻を食する方法」はないかと尋ねた
ところ、船から上がった先の道順と共に「鰻のお結び」ならその答えに
なると聞いて街並みを訪ね訪ね歩き始めたが、だいぶ遠くという印象な
ので、目の前の鰻屋さんに飛び込んで「うなぎ弁当を用意して」いただ
けないかと頼んだところ「大急ぎで鰻を蒸しますので待てますか?」と
問われて、店内で待つことにした。
お店では俊敏な対応をしてくれて、二人で「鰻弁当」を抱えてバスに
戻り、まだ他の仲間が戻らない状況の中で「船下り」も「鰻の美食」も
二つ共にやってのけて、二人して大満足であった。
その後は、江戸時代からの街並みが残るレトロな印象のある「日田の
豆田町」を散策して、バスは別府温泉の「杉乃井ホテル」に向かった。
(杉乃井ホテルは前述した様に素晴らしいホテルであった)
翠(かわせみ)ダイアリー 006
別府温泉方面の旅も四日目は、江戸時代から300年も続くと云うと
ころの「湯の花小屋」を見学、湯の花とは硫黄成分のまとまりで、昔の
硫黄を採掘した小屋を見やすい形態に再現したもので、黄色いダイヤと
云われた貴重な採掘現場を確認出来る貴重な光景に圧倒された。
次に訪れたのは「湯布院」かつての旅で宿泊したこともあり、ツアー
コンダクターの方に、その旨を伝えると、具体的に「どこの宿か?」と
聴かれて「そういえばどこの宿だったか?」思い出せないことに気付き
周囲を見渡したが、宿泊した宿のイメージが鮮明化出来なかった。
(かろうじて「金鱗湖」の記憶は、鮮明に記憶に残っていた)
その日の帰着便は、福岡空港発14時25分で、羽田空港には16時
10分に到着、あいにく羽田空港から所沢行きのリムジンバスは時間帯
が嚙み合わず、山の手線経由で西武池袋線を利用して最寄り駅に着いた
が、ほとんどが座席に恵まれて、まったく疲労感のない旅程であった。
八十路の旅には、一泊多くなっても「ゆっくり出発・ゆっくり帰着」が
ベストであることを確認した旅であったとも云える。
そして、昨年は、鎌倉ファミリーとの「北海道の旅」を考えていたが
今夏の「北海道も猛暑」のニュースを聴くに至って「北海道の避暑旅」
は遠い昔のイメージとなったことを知り、今夏の旅として急遽決まった
鎌倉ファミリーとの「鬼怒川の旅」が避暑旅として浮上してきたことに
ワクワクの期待感をもって、これからの楽しみとしたい。
(ひばりが丘ファミリーは夏休みオーストラリアに出掛ける様である)
ここで我が家のトピックス・ニュースとしては、家内が、32日間も
スーパーマーケットにおける「電位治療器」の治験に通い、私が旅行前
に背筋痛から救われた電位治療器が我が家にも届き自前の電位治療器の
体験が始まった。近郊での電位治療器のデモンストレーションの2回目
の治験も近郊のスーパーマーケットで再開されたが、我が家でも八十路
からの若返りが楽しみである(実際に執筆のピッチも俊敏化)
(以 上)
ヒトとして生まれて:第16巻