アナザー・ガーデン
現実のわたしについては、語るべきことは何もない。ただ息をしている、それだけ。
でも、VRMMORPG「アナザー・ガーデン」は違った。わたしにとって、美麗で幻想的な自然あふれるその世界がすべてだった。特に、あの「鏡像の森」を見つけてからは。
鏡像の森はマップには記載されておらず、一度見つければいつでも行けるけれど、最初の一度目を見つけられるかは運次第だ。他のエリアと違って録画することもできず、その存在自体が都市伝説のように語られている場所。
しかし、わたしは幸運だった。クエストにもバトルにも興味がなく、ひたすらアナザー・ガーデンの美を求めてさまよっていたとき、なんの前触れもなく雷が落ちた。そして、世界のすべてが揺らぎ、弾け、終末とはかくあるべきというような崩壊を――、極彩色の煌めくような崩壊を目にしたのだった。
わたしの体に戦慄が走った。現実では経験したことのない、得も言われぬ恍惚感の中でふたたび周囲に目をやると、そこはさっきまでいた森の中。しかし、すべてが一新していた。
見たことのない銀色の蔓性植物が絡みつくのは、水でできたような透明な樹木。陽光に世界が瞬き、光が様々な表情を見せ、そして、この混沌の世界で唯一静けさを保っているのは小さな泉。その泉を囲うように生えたキノコは束の間ながめているうちにすくすくと育ち、胞子のような光の粒を飛ばし、じきに限界に達するように弾けて消えた。
無数のキノコがそうして無限のサイクルを繰り返している。わたしがキノコに触れると、アバターの指先から七色の粒子が不規則に弾け飛んでいった。その光景に見惚れているうちに、わたしは光の胞子に同化したかのように、上空から自分のアバターを見下ろす経験もした。
『鏡像の森とは、ゲームの奥底に眠る使われることのなかったデータが、自らの意思を持って形を成したものではないか――』
掲示板にはそんな書き込みがされていた。そうかもしれないと思うのは、あのキノコたちがまるでゲームそのものが自らの秘密を剥き出しにしているような、危うい美しさを漂わせていたから。
イズミという、公式サイトにも載っていないNPCが存在するのも鏡像の森だった。名前をつけたのは鏡像の森に迷い込んだ誰かで、その森に泉があるから「イズミ」と名付けたようだった。
イズミはただそこにいた。透き通った小さな泉の水面に触れ、まわりを飛び交う蝶に手を差しのべ、梢に張った蜘蛛の巣の上の、虹色の雨粒に息を吹きかけて落とした。彼女にとっては、わたしのようなプレイヤーも蝶や蜘蛛や雨粒と同等の存在のようだった。近づくと手を出してきて、わたしが触れるとキノコのように金色の光の粒子を飛ばした。わたしのアバターはキノコに触れたときよりも曖昧になり、あの、鏡像の森に初めて足を踏み入れたときのような強烈な興奮と恍惚を感じるのだった。
イズミはきっとキノコと同じものだ。いや、掲示板の書き込みの言葉を借りるなら『ゲームの奥底に眠る使われることのなかったデータが集まり、人格を得たものではないか』――そんな気がした。なぜなら、成長して胞子を撒き散らし、弾ける直前のキノコたちは、たいてい人になり損なったマシュマロみたいだったから。
時おり、イズミは何の前ぶれもなく踊った。ダンスと呼ぶにはあまりに不規則で、時にカクつき、時に滑らかに流れ、それはシステムエラーが織りなす究極のダンスのようだった。イズミのまわりの空間はやわらかく歪み、その身体は煌めく光と彷徨う影の間で不可思議に揺らめいた。まなざしは虚ろでどこを見ているのかもわからないのに、その存在が、わたしというちっぽけな人間の奥底を掴んで離さなかった。
美という言葉は、イズミには当てはまらない。彼女はもっと根本的な、宇宙の真理のようなものだった。
そんなイズミに惹きつけられたのはわたしだけではない。数少ない、鏡像の森へ立ち入ることのできるプレイヤーたち。広い広い鏡像の森で彼らと出くわしたのは、これまでにたった一度だけだ。
モルフォ蝶のような、鮮やかな羽を持つアバターだった。妖精のような姿をしたそのアバターは、泉のほとりに佇むイズミに、魅入られたように近づいていった。イズミは蝶に気づいて手を差し出し、妖精はその手に触れる。すると、その妖精はイズミの光を吸い込むように輝きはじめ、その手も、肌も、背に生えた羽も、まるで水彩画のように景色に滲んでいった。
きっと、わたしもイズミに触れたときにはあんなふうになっていたのだろう。妖精は恍惚の表情を浮かべ、イズミが興味をなくして立ち去っても、その場にじっと佇んでいた。妖精の目には、もしかしたらまだイズミが手を差し出しているように見えているのかもしれない。
その妖精は、わたしに気づくことはなかった。だから、わたしが他のプレイヤーに出くわさないのは、たんに気づけないだけなのかもしれなかった。イズミは妖精に背を向けたあと、森から足を踏み出したわたしに気づき、うっすらと微笑みながら手を差しのべてきた。その手に触れると、世界はわたしとイズミだけになる。たとえ、誰かが木々の合間からわたしを見ていたとしても。
いつだっただろうか。あれは、ゲーム用カプセルから起き上がって、雨音に気づいた時だった。平凡なマンションの、見慣れた窓の景色は雨で滲んでいた。その上のカーテンレールと天井のあいだに蜘蛛が巣を張っていて、虹色の雨粒がその巣を彩り、それが滴り落ちた床には金色と銀色のキノコが生え、水でできた木々の向こうに本棚が歪んで見えていた。
おかしくなったのかもしれない――と思った。けれど、怖くはなかった。むしろ、あの美しいアナザー・ガーデンの世界が、それも鏡像の森が現実となるなら、それはわたしにとっては天国も同然だった。
掲示板の書き込みには、『バグによる脳への悪影響』『精神汚染ウィルス』『開発者による洗脳プログラム』など、様々な憶測とプレイヤーへの注意喚起が散見されるようになった。そして、わたしの心に芽生えたのは優越感だ。彼らは鏡像の森から見向きもされない人たち。負け犬の遠吠えに、いちいち腹を立てる気にはならない。
わたしは光の胞子のなかで朝目覚め、小さな泉で顔を洗い、食パンと一緒に真珠色に光る林檎をかじり、水の森を抜けて会社に出勤する。そこには翼を生やした天使や竜の尻尾を持った半獣がパソコンに向き合って、無気力な顔でキーボードを叩いていた。帰宅後はイズミのいる本物の鏡像の森に向かい、そのまま眠りにつくことが増えた。目覚めるとわたしは鳥のように鏡像の森を上空から見下ろしていて、森を一周するころには、粒子と化したアバターがゆっくりと設定した通りの姿に戻っていく。
ある日、日課となった上空散歩の途中で、イズミではない、花のかたちの傘をさした小さな少女を見つけた。その子は不思議そうにわたしを見上げ、そして小花のような手をのばしてきた。わたしはその子を「ハナ」と名付けた。
ハナはいつまで経っても小さいままだったけれど、たくさんのハナが次々と生まれていった。少しずつ顔が違って、花のかたちも少しずつ違っていた。イズミとハナが触れ合うと、色とりどりの花が舞い散るような、現実では決して見られない色の乱舞が巻き起こった。鏡像の森へ立ち入ることが許されたプレイヤーたちは、言葉にし難い究極の昂りと興奮、恍惚を求めてその色の乱舞に身を委ねた。
わたしたちはみな言葉を交わさない。ただ、イズミを見つめ、ハナを追い、彼らが生み出す色と光の渦の中で粒子となって踊った。わたしはイズミでありハナで、水の樹であり、そこに絡まる蔓、蜘蛛の巣で、雨粒だった。
ごくたまに、死んだ目をした天使や獣人のことが頭を過ったけれど、彼らはどこに行ってしまったのか、いつしかわたしの前には現れなくなった。そんな追憶は、かぐわしい光の香りと、芳醇な色のまどろみの中では刹那のこと。わたしはただ、脳髄を痺れさせるようなこの世界にすべてを委ねて踊り、光瞬く森の中で眠る。
ある朝、粒子となり鏡像の森の上空を散歩していたわたしは、イズミが差し出した手に抱かれ、色と光の混沌の中を揺蕩い、ふと気づくと傘のようなものをさしてキノコの中に立っていた。見上げると、わたしがさしているのは透明で金色に光る花のようだった。目の前にイズミが立っていたけれど、以前とは違って、ずいぶん顎をあげて見上げなければいけなかった。
イズミは不思議そうに首をかしげると、腰をかがめて手を差し出した。わたしがその手に触れると、色とりどりの花が舞い散り、近くにいた妖精やうさぎの耳を生やした獣人が、歓喜の表情を浮かべて花の乱舞に身を投じた。その忘我の多幸感はわたしの内部を高ぶらせ、小さな手からはさらに色と光が舞う。
――ああ、愛すべき世界。わたしはこの花園で、永遠にイズミとともにあるのだと悟った。
アナザー・ガーデン
本作品はGeminiと『茸の舞姫』(泉鏡花)について話し、同作をフルダイブVRゲームを舞台にしたショートショートに書き換えた共作です。
noteに公開中の『Lumirage Blossom〜光と幻想のアナザー・ガーデン』を一部修正したもので、noteにはGemini原文を公開中。
泉鏡花『茸の舞姫』は青空文庫で読めます。