嘘も方便

嘘も方便

 今時、固定電話がある家など、どれぐらいあるのだろうか。今や一家に一台ではなく、一人一台電話を持つ、いや、持ち歩くそんな時代。それも外に持ち歩けるが子機ではない、携帯電話という名の電話機である。

 昔々は、医者や商売をやっている家にだけ電話があり、何かあるとそこに電話をかけてもらい、毎度のことながらわざわざ、その宅の方に電話がかかって来ていることを知らせに馳せ参じていただき、電話を繋いでもらい遠慮気味に急いで用件だけ済まして電話を切り、礼を言ってそそくさと家を出てと、そんな特別なものであった。それが一家に一台、固定電話というものが備え付けられるようになってからは、必要のない電話ばかりがかかってくるようになってしまった。幸いにして、まだ我が家には特殊詐欺のようなオレオレ詐欺の電話はかかってこないが、その他の種類の電話は頻繁にかかってくる。

 某通信販売の会社はたった数回、商品を購入しただけで、ご丁寧に総天然色の豪華なカタログを送って来る。カタログなら別に時間を取られることもないし、一通り目を通して他に再利用すれば問題ないからまだいいが、こちらの都合など全くお構いなしにかかって来る、見知らぬ人間からの電話には非常に困りものである。
 朝出なければ昼にかかって、昼に出なければ夜にかかって来る。それはそれは非常にしつこくて迷惑極まりない。
 数十年前の黒電話は、何も相手の情報が分からない状態だったから、ベルが鳴れば毎度毎度のっぴきならない電話かと、肝を冷やして電話機まで飛んで走って出たものだったが、現在は文明の力も発達したおかげで、相手の番号が電話機に通知されるようになった。それは毎月、わずかばかりでも利用料を支払わなければならないが、利点が多いことは間違いない。迷惑電話拒否設定も可能なのだが、余りに件数が多いせいか登録限度数を超えてしまい、とうとう着信拒否できなくなってしまった。
 そうなると仕方がない。いちいち電話番号を確認し、出るか出ないか決めなければならない。電話が鳴るたびに振り回され、番号を見てはげんなりしと、その繰り返しが続くと自然と留守番電話に設定した方が良いという考えになる。
 早速、設定すると早々に電話が鳴り、メッセージが一件入っていると表示されている。ボタンを押しメッセージを聞いてみると、何だかガチャガチャと雑音しか聞こえず、しばらくするとプツリと切れてしまったり、こちらは自動音声による云々と機械的な声が聞こえて来たりする。これ程、人をバカにしている電話はない。

 どちらにしても放っておけばいいことなのだが、タイミング悪く、ついつい一瞬の気の迷いで電話に出てしまったりすることが時々だがある。
 先日かかってきたのは前述した某通信販売の◯グループからだった。決まったトーンで台本を読むかのように、淀みなくセリフが受話器から聞こえてきた。耳を澄まして聞いていると、「奥様ですか」と電話の主は私に訊ねる。悪ふざけをして、私は「はい」と答えて、急いで次に話す時には声を裏返して話し始める。すると、電話の主は手元にある資料を見ているのだろう。私の母が自分と同年代であるか年上であるか、年下であるか全てお見通しであるかのように、その人の年齢にあった話し方をして来る。
 一通り話を聞くと、何てことはない新商品のおすすめの電話である。今は間に合っていると断って電話を切るのだが、数日経つと担当者が変わるのか再び電話がかかって来る。また電話番号のみの通知で名前は出ない。これは、電話機に登録していない番号を意味している。
 止せばいいのにまた出てしまった。黙って受話器を取ると、女性はこちらの様子を伺うようにしばらく耳をそば立たせた後、電話に出た私が母かどうか訊いた。また◯グループの営業の女性からだった。違うと伝えた後、今日こそは言ってやろうと思い、私は思い切ってだが、当たり障りがないように言った。

「何度もお電話をいただいて申し訳ございませんが、購入したい商品がある時にはわざわざお電話を頂かなくても購入しますので、もうこれっきり電話はかけて来ないで下さい」

 ◯グループの女性はそんなことを言われるとは露にも思わず、ちょっとびっくりしたような声で「了解しました」と答えて静かに電話を切った。客に体よく断られたことは幾度あっても、欲しい物があれば買うから電話をして来るなと言われたことはなかったのかもしれない。仮にあったとしても、余り大人な断られ方ではなかったかもしれない。ここは相手が誰であれ、やはりきちんと誠実に要件は伝えるのが礼儀である。

 暇つぶしに小さな子供になったり、おばあさんになったりおじいさんになったり、ちょっとものまねをしてみたり、声色を変えて楽しんで迷惑電話に出た時もあったが、余りに続くとやはり人間、拒絶反応を起こすようになるのである。今のところ、◯グループからの新商品の紹介やキャンペーンの電話は一度もかかって来てはいない。

 清々している反面、また、ものまねがしたくなってきた。私の中の悪戯っ子は直らないまま、いささか退屈し始めているようである。

嘘も方便

2025年2月3日 書き下ろし
2025年6月18日 掲載

嘘も方便

迷惑電話も思い切って楽しんでしまおう!

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-06-18

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted