
再会の水羊羹
先日、原稿を書いていたら、書いていたらと言っても、この手持ちのスマートフォンに直接入力していたのだが、画面上にラインの着信が表示された。
いつも私から連絡する一方で、向こうから私に電話をしてきたのはこれが最初である。家族ぐるみで交際を始めて随分になるが、コロナ禍になった2020年を境に、残念ながら深い交流は途絶えてしまった。たまに近くまで出かける用事があると、私は友人の実家に顔を出し、玄関先で10分15分友人の両親と立ち話をし、
「暑い時には涼しくなったら、寒い時には暖かくなったら会いましょう」
いつもそう言って別れるのだが、もう何年もそれが現実になることはない。人生の黄昏時を迎えた人のコロナ禍の5年は、余りにも長かった。病を得て迎えた八十代は、客人をもてなす気力もなくなり、自分たちの日常の暮らしが精一杯となっていたことに、私はようやく最近気がついたのである。
その唐突な着信を見た時、すっかり年をとってしまった友人の両親のことが、私の頭の中をよぎった。それは決していい報せではなく、嫌な報せだと 直感したのである。狼狽えてもたもたしている間に私の心は大きく乱れ、結局電話に出ることができなかった。顔からは血の気が引き、どうしようという思いだけが行ったり来たりしていた。
息を整えた私は、急ぎの用事かどうかメッセージを送った。すると、急ぎの用事だったらしく、再びスマートフォンにラインの着信が表示された。何回か呼んで思い切って電話に出ると、私の心配をよそに友人の声は明るく、今家にいるかとの唐突な質問を私に浴びせた。在宅であることを伝えると、友人は、
「数日前、家族で旅をした土産に水羊羹を買ってきた。日持ちしないから今日届けに行く。そこまで来ているからこれから家に向かう」
と言うではないか。
拍子抜けした私は、いらぬ心配をしたことを正直に告げた。すると友人はケラケラ笑い、再び今から向かうと言って電話を切った。
外に出た私は友人が来るのを待った。夜の七時を過ぎていたから日が伸びたとはいえ、外は真っ暗である。しばらくすると、猫の目のように光るものが私の目に飛び込んできた。それは猫の目ではなく、スマートフォンのナビを頼りに我が家へと急ぎ足で歩いて来る、友人のスマートフォンの明かりだった。
恐る恐る、互いの存在を確かめるように近くまで 歩み寄ると、間違いない私の友人である。久しぶり と言って再会を喜んだのは言うまでもない。コロナ禍に見舞われ、そしてコロナ禍が過ぎ去った今、実に5年ぶりの再会であった。
予期せぬ出来事は、私を混乱に陥れるから余り好きではないのだが、この再会は実に嬉しかった。わざわざ家まで訪ねて来てくれたということも勿論だが、それより何より、旅先で私のことをふと思い出してくれたということ。5年という月日を経ても、こうして私に土産を買ってきてくれたという、その心持ちである。
仕事を終えた友人はそのまま家に帰り、家に上がり冷蔵庫から水羊羹を取り出すと再び車を走らせ、我が家から少し離れたところにあるスーパーの駐車場を少しの時間拝借し、家までわざわざ歩いて来たという。
5年という月日の間に訪れた、互いの人生の出来事をじっくり話したかったが、生憎時間がないという。短い時間だったが、私は早口であれもこれもと話したいことを一方的に友人に話して聞かせた。会うことの叶わなかったこの五年の間にも、定期的に私の方から近況を知らせていたから、そんなに知らないことはなかったのだが、その存在が目の前にあるというのに、何も話さず別れるのは馬鹿げた話である。少しと言いながらも時間は15分20分とあっという間に過ぎ、別れの時となった。
近いうち、本当に近いうちに再会の約束を交わした私と友人は、見送る方と見送られる方の立場になり、私は今来た道を再び戻って行く友人の後ろ姿を、暗闇に溶けて見えなくなるまで見つめていた。近いうちの再会を約束しても、それが果たされることはないだろうと私には分かっている。日々の生活に追われ、気にかけていても会うには至らないのが大半である。それでも互いを思う気持ちがあることを互いが理解していれば、たとえ口約束であったとしたとしても先々の楽しみになり、不思議と腹は立たないのである。
蒸し暑かったその夜、夕食を終えた私は友人が手間をかけて届けてくれた水羊羹を、デザートにいただいた。友人は今頃何をしているだろう。夜のしじまにそんなことを考えながら、薄明かりの下、五年ぶりに見た友人の顔がぼんやりと、私の頭の中に浮かんでは消え、消えては浮かんだ。
再会の水羊羹
2025年5月31日 書き下ろし
2025年6月11日 「note」掲載