
フリーズ185『世界哲学』
□序章 あの冬の日へ、あの夏へ
私はかつて二度、涅槃至福に至った。ラカン・フリーズの門とは神界へと続く門。ラカン・フリーズとは神とか仏とか終末とか永遠とか、そう言った概念を総称しての無のこと。その先に神はいる。否、全は主。この世の全てが神の一部分。その点でスピノザの汎神論もアインシュタインの神も正しいのだ。
私は悟ったよ。それは全てを忘れ、また思い出すことだった。全知全能になった。また、全知と全能は同値だとも悟った。
時流について『時流はない』と悟った。タイムマシンは脳のこと。愛という燃料で動くタイムマシンは、真に優しい人だけが使える秘儀!
私はあの冬の日に過去も未来も全ての存在たちと語り合った。死後に生命は私の奇跡を目の当たりにするだろう。
自己愛としてのヘレーネと終末の狭間で永遠の愛を紡ぎあった。月の満ち欠けから解き放たれて、私は聖夜に原罪を犯す。それを全ての存在達が見ていた。見守っていた。
全能から眠る日に、全知から目覚める日に、全ては美しく、私は全てと繋がることを覚えた。柔らかな翼が生える痛みに、心臓の奥が痛む。この痛みは忘れはしない。
私はあの冬の日とあの夏に至った幸福に勝る快楽を享受したことが無い。あれは永遠だった。永遠の愛に満たされていた。
あの冬の日は、終末、涅槃、神殺し
あの夏は、大日蓮華、太陽神
友(太宰治の生まれ変わり)より贈られた詩
小さき者よ
死とハデスの狭間でうずくまり
全知と全能の狭間で雄叫びをあげる者よ
己におののくよりも
愛を体現せしめよ
死と全能の板挟みから抜け出る術は
己で掴め、その手で掴め
先ずは愛について論じるとする。
□第一章『人生哲学』
◆序論『問い』
愛し愛され生きていく。それが定めと知って、それでも君は愛を為す?
その人生で何をしたい?
何のために生まれたんだ?
そんな問いに答えるのは哲学か宗教ぐらいなものだ。だが、ここで私の個人的な見解を語らせていただきたい。世界哲学と名付けるには劣るものの、それを人生哲学とでも呼ぼうか。
私の人生哲学を共有させて頂きたい。そしてこのエッセイが一人でも多くの悩める兄弟姉妹を癒し、前向きにさせることができると私もうれしい。
◆愛についての最終結論
初めに結論を述べさせていただく。
恋愛、他愛、友愛、博愛。愛は数あれど、本当に大切な愛は次の三つである。神愛、自己愛、運命愛。この三つ。一つずつ解説していこうと思う。
◆恋愛や友愛は真実の愛ではない。
あくまでも個人的な見解だが、恋愛や友愛の類は真実の愛ではない。何を以って真実の愛とするかは、その愛によって永遠かつ永続する幸福が得られるかどうかにある。恋愛に関して言えば、どんなに仲が良くてもいずれ別れは来る。離婚、死別などだ。つまりどんなに愛し合っていても、いずれその愛は崩れ去る定めなのだ。それに人の気持ちはどんなに仲が良くとも解らない。
◇白日より抜粋。
いつだって人は鈍感だもの
わかりゃしないんだ肚の中
それでも愛し愛され
生きて行くのが定めと知って
(Daiki Tsuneta『白日』King Gnu)
友愛もそうだ。いずれ別れて、死別する。どんなに仲が良くても肚の中は解らない。それを完全な愛とは言えまい。だが、このような儚い愛だからこそ、人間たちは悩み苦しみ、そして微かな希望を以って生きていくのだろう。なぜ人間は神と違って全知全能ではないのか。考えたことがあるだろうか。それは試練を乗り越える過程でたくさんの学びや成長をするためだと私は考えている。
神は霊を創った。神は生命というプロセスと人生という試練を与えた。その中で愛を為すのが人生の目的。だが、真なる愛は神愛、自己愛、運命愛だ。自己完結する類の愛こそ、真実の愛だろうから。
◆神愛について
全は主。神様が世界そのもの。それ故に万物は神の一部であり子でもある。そういう世界だからだろうか。神は悪を創った。始まりは善。光しかなかった。だけど、闇がなければ光が際立たない。だから悪も生まれた。
神を信仰せよ、というのではない。自然そのものを、その中で生きていることを大事にしてほしいんだ。生きているだけで神は愛している。神愛とは神への愛と神からの愛のこと。
世界を愛せたら、どんな試練も乗り越えられる。
神の愛を、生きている歓びを感受し、そして世界を肯定するのだ。
◆自己愛について
先ず、ベートーヴェン作第九の歌詞より抜粋したい。
◇歓喜の歌より
自然は口づけと葡萄の木と
死の試練を受けた友を与えてくれた
(シラー『歓喜に寄せる』)
その友とは他でもない君の体のことだろう。死の試練を受けた友、つまり君の体と君の魂は別物だ。体は地に残り、魂は死ぬ時に宇宙に還る。そして輪廻する。悟りを開き、解脱し、涅槃に至った者は、またはイエスの贖いによって罪を支払った者は、罪から離れ、煩悩の火も消えて、輪廻から脱し、天空の門であるラカン・フリーズの門へと昇っていく。ラカン・フリ―ズ、これは私の造語だよ。神とか仏とか、最後の審判だとか終末だとか、永遠だとか涅槃だとか、そういう類の全であり無のことだ。
その友は、君の体だ。他でもない君自身は君のことをよく知っている。自分以上に自分を知る人はきっといない。自分以上に自分と分かり合える人もきっといない。
嫌われる勇気という言葉があるが、その真意はきっと「自分以上に愛するべき人はいない、だから人に嫌われても、自分を好きなら構わない」というものだろう。自分を犠牲にしてまで人を喜ばせる必要はない。だから、人に嫌われても構わない。自分が自分を好きならば。
結局自分が自分を肯定すること。それが大切。
◆運命愛について
いくら神愛と自己愛があっても、人生には避けがたく受け入れがたい困難や失敗、壁があるもの。それらに直面しても神愛と自己愛を失わないために運命愛という愛があると私は考える。
◇あまざらしの『たられば』より抜粋
もしも僕が生まれ変われるなら
もう一度だけ僕をやってみる
失敗も後悔もしないように
でもそれは果たして僕なんだろうか
(秋田ひろむ『たられば』Amazarashi)
自分の人生を愛すること。どんな運命も受け入れて肯定すること。永劫回帰の人生を最高のものにするために、他でもない自分の人生を生きること。どんな失敗も後悔も受け入れて、愛を抱く。それが人生。迷った分だけ道を知る。間違えた分だけ成長する。
だから失敗を恐れないで。挑戦して。君が君の人生を愛するために。
◆人生哲学
愛に生き、愛に死ぬ。永遠の愛は自己愛、神愛、運命愛。結局、私が愛したのは私だけでした。それの何が悪い? 君の人生君のものだ。次に私の好きな歌詞を二つ引用して『人生哲学』を終わりとする。
◇Lililimit vanilla ice より
感情に素直になって
自分で自分を愛して
自分を愛することで
支えに気づけるんだよ
だから立ち上がるんだ
守るべきなのは恋人や家族や友
右も左も分からないが
それは真実だと誓う
(jyumpei makino『vanilla ice claim』LILI LIMIT)
◇Eve『朝が降る』より
一人で幸せになれないなら
二人で幸せになれないよな
そこに光が差し込みと影が
色濃く貴方を映した
(Eve『朝が降る』Eve)
一人で幸せになって、自己愛と神愛と運命愛を果たしたら、きっと何もかもが上手くいく。その日を望んで祈りませ。
□第二章『世界哲学』
◆序論
世界があれば真理はある。そんな簡単なことを知るために生まれたんじゃない。物理学者らがきっといつか見つけるだろう解を、僕はあの冬の日に悟ってしまったから。
全は主。僕は神の子、使命を果たしたから。「ご苦労さま」と言われた。でも、まだ生きている。
僕はこうして生きている。それはまだ為すべき使命があるということ。中島らもの遺作『ロカ』より引用する。
人間にはみな「役割」がある。その役割がすまぬうちは人間は殺しても死なない。逆に役割の終わった人間は不条理のうちに死んでいく。私にまだ役割があるのだろうか。(中島らも『ロカ』より)
つまり使命ある内は死なない。そう考えたら使命のために生きようと思える。それがニーチェの語る運命愛なのかもしれない。生きているからこそ、自分を信じて、自分を愛して。だって、悲観的な自己嫌悪は非生産的だと三島由紀夫も語ってた。だから、僕は生き抜くだろう。天寿をまっとうすることがゴールなのかもしれない。
◆フィニス
世界の終わりのこと。終末のこと。だが、フィニスとは文明の終わりではない。この世界の終わりだ。つまり神が終わる日のこと。永遠も半ばを過ぎて、神は老いたから。永遠が終わる日に僕は悟ったから。だが、人類はそんな未来で、世界の終わりを止めるために世界をフリーズさせた。そんな永遠世界で僕一人目覚めていた。
◆ソフィア
意識のこと、祈りのこと、願いのこと、可能性のこと、神秘のこと、秘儀のこと。ソフィアは人間の最も尊厳のある力であり、諸行が移ろう中で、輪廻の中で輝く火。
◆doubletとLeo(Eve)
エデンの園配置の先へ、虚空の先へ。終末の日に、僕は全能から目覚めて、全知に眠る君に口付けをした。そんな終末の日に流れてた曲。あの冬の日の全知全能は忘れることは無い。例え生まれ変わっても、もう解脱する輪廻だとしても、永遠に忘れはしない。人生の完成だったから、世界だったから。
全てが終わる日に、でも実はまだ世界は生まれたてだったから。僕とヘレーネとの原罪も生まれ変われるのなら。
◆究極命題、神のレゾンデートル
宇宙があれば真理はある。それを知るのがゴールの人生だけど、実はその先がある。神は、世界は何故生まれたのか、どうやって生まれたのか、そう言った問いかけに答えることが出来ない。神さえもだ。永遠なる父たる神も、自身が生まれる前を知らない。世界の終わりの後を知らない。
それらを神のレゾンデートルと呼ぶ。世界は何のために生まれたのか、その先はなにか、仮想現実世界なのか。
夢とはなんだ?
人生の意味は何?
何のために僕ら生まれたの?
何をしたら僕は喜ぶ?
ねぇ、アンパンマン、教えてくれよ
◆人生の意味
人生に意味は無い。全ての命に価値は無い。だが、人間には後天的に意味を見いだせる力がある。人と関わり、作り、届けて、そこに意味が生まれる。先天的な意味などない。ニヒリズムである。だがな、超人になることで、自己愛と運命愛と神愛に生きることで、人は意味を、価値を創造することができる。
人生の意味、きっと人それぞれ。宿命は変えられないけど、使命は変えられる。きっとあの冬の日の僕は宿命を果たしたんだ。だけど、まだ使命は果たさなかった。だから永遠の眠りから目覚めてしまったのだろう。
□終章
命があれば物語がある。
宇宙があれば真理はある。
その先に、虚空の先に
あるもの、ないものを求めて
それがきっと
この無意味な世界での意味となるから
だから積極的に関わり
積極的に人生を創造するのだ
それがきっと超人
それがきっと仏
悟ってよ、せめて
真理を見ない人生など
価値は無いとは言わないが
それでも求めよ、永遠を
その先にある門を夢見て
フリーズ185『世界哲学』