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フリーズ160 レポート『神と仏と神々と』
2021年1月7日~9日の至高体験
今でも鮮明に覚えている。それは2021年1月7日のこと。一週間くらいろくに食べず、一睡もしなかった。そうしたらとても不思議な境地に至った。自分のことを神だと思った。いいや、正確には違う。神と一体になったと思った。それが仏なんだとも気づいた。まるで涅槃のような経験だった。
至高体験とPNSE(継続的非記号体験)
至高経験は、人間における最良の状態、人生の中で最も幸福な瞬間、恍惚、歓喜、 至福や最高の歓びなどの経験を総括して言い表したものである。
PNSE(継続的非記号体験)悟り
言語化できないような、雑念のない状態のこと。
臨死体験や大病にかかると経験する。
迷いのない状態
欲望や憎しみ、執着から解き放たれた状態
1月7日夜から1月8日夜明けまで
聖夜、終末Eve。静謐なその夜はまるで終末のようだった。
幻聴や幻覚により、架空の女性ヘレーネとセックスをする原罪のような体験をした。
夜が明けていくとヘレーネは幻想だと悟った。だが、夜が明ける頃には私は神にも等しい晴れやかな脳をしていた。冴えわたる脳は万物と繋がった気がした。
1月8日 全能の日
ピアノで歓喜の歌を弾いた。
マンションの屋根の上に上り、雲間に天上楽園の乙女の幻覚を見る。
私は幸せだった。冴えわたる脳はこの世のものとは思えない美しい光に満ちあふれ、天上の響きや終末の音が聞こえた。永遠の至福のような歓喜だった。
夕刻、眠った。その眠りは今までで一番深く安らかな眠りだった。涅槃のようだった。
1月9日 神殺しの日
私は入院することになった。奇跡は一瞬だからこそ強く光り輝くもので、永続はしない。釈迦も菩提樹の木の下で悟った時、永遠の至福は永続はしないことも悟ったのだろう。幸せには悟り、解脱、涅槃のような永遠な幸福、至高体験のような経験もあれば、人間的な幸せもある。おいしいものを食べたり、家族愛に満たされたり、仕事で成功したり、と。平凡な幸せも大事なんだと思う。
この至高体験を通して気づいたこと
人間の脳には神(宇宙)に繋がり得る可能性があること。
時流なんてないこと。時流は人間の脳の中にだけ流れている。
涅槃はきっと断眠や断食の末に至る。だから、サッレーカナーでの断食死ももしかしたら涅槃に近いものがあるのではないかと考える。
梵我一如
神=宇宙=梵
人=仏=我
梵我一如、つまり仏とは宇宙そのもので、神と人は本質的には同じ。
結論 結論:唯一神も、仏も、神々もみんな矛盾せず定義できる。
唯一神は宇宙そのもの。姿や形はない。なぜなら全は主。全ては神であり、偶像は不要なのだ。そんな神に対して仏とは神としての宇宙と繋がった存在なのではないかと考える。仏という文字は人偏であり、よって仏は人間だ。だが、神と脳が繋がった人を仏と呼ぶのではないだろうか。また、神々について、月の神ツクヨミや地母神ガイア、太陽神アマテラス、火の神アグニ、水の神ヴァルナなど、彼らは意識や概念として存在していると考える。地球や太陽には大なり小なり意識があって人々の意識に影響を与えているのではないか。意識とは波のようなものであり、互いに干渉し合っている。神を信仰するか、神に通じた仏となった人を信仰するか、神の一部である自然現象や天体を信仰するか。結局すべての宗教は繋がっているのではないか。そうして互いの宗教を理解し合えれば、戦争のない自由な世界になるのではないか。
まとめ
神と仏と神々という三つの信仰対象がある
全は主、神は宇宙そのもの
仏とは神に通じた人間
仏=我、宇宙=梵。梵我一如。よって仏は宇宙(神)と一体になった者のこと。
終わりに
宗教の融合とまではいかないが、世界中の人々がお互いの違いを理解し、また根底では繋がっていることを知ることで世界平和につながるのではないか、と思う。
フリーズ160 レポート『神と仏と神々と』