小寒

小寒

季節はうつろいでいますね。

 ついこの間、小寒を迎えた。
 ニュースを見れば、東北の方が酷い吹雪で、その積雪のせいで生活も立ち行かなくなる程である。その影響か定かではないが、我が家の辺りを回っている灯油売りのお兄さんの販売車も、毎週来る日に到頭来なかった。今までこんなことはなかったから、どうしたものかと気になっている。
 気温もその日によって、わずかに暖かい日もあれば酷く寒い日もある。冬だから仕方がないと言えばそれまでだが、先日、そんな中でも季節はゆっくりとだが移ろいで行っていることを実感させられる出来事があった。

 近所の奥さんが庭に咲いている花を摘んで、我が家の仏前にとわざわざ届けに来て下さった。気分転換に散歩をと言いたいところなのだろうが、病を得た母が寒い中、外を出歩くのも体に障ると思ったのだろう。快方に向かっていることを知り、近所の奥さんも喜んでいる反面、やはりどこか心配しているところもあるのか、玄関先で二言三言、言葉を交わすだけだが、それでも互いに元気な顔を見ては安心するのかもしれない。

 近所の奥さんは、菊の花に混じって何本か蝋梅を一緒に添えてくれた。いつかエッセイにも書いたが、私は蝋梅が大好きである。あの小粒な可愛らしい蝋細工のような黄色い花と、それにはちょっと似つかわしくない鼻につく、何とも言い難いあの匂いが好きで、いつか我が家にも蝋梅の木を植えたいと思って毎年春を迎えているが、なかなかそんな心の余裕もなく、他人様の家に咲いている樹齢何十年となるような、立派な花を咲かせる蝋梅の木に足を止め、花を眺め、匂いを嗅いで毎年、春の訪れを実感しているだけだった。
 秋の金木犀と同じように、蝋梅も風に乗って街を行く人々に春の訪れを知らせてくれる。いくら好きでも、わざわざ蝋梅が咲いたかなんて確かめに行く程、私もそんなにマメな人間ではない。鼻は利く方だから、まるで洒落のようだが花の匂いに限らず、台所から漂う美味しそうな晩のおかずの匂いなどには、かなり敏感である。
 今年は春の訪れを我が身で感じる前に、近所の奥さんが花束にして我が家へ一足早く、届けてくれたのである。

 毎年願望だけで終わっていた私の願いを、何とか叶えられるかもしれないと、私は一つの行動に出た。何て言うと大袈裟だが、他人様の家に咲いている蝋梅の木の枝をポキンと折ってせしめてくるわけにはいかない。そうかといって、闇雲に見ず知らずの私が他所様の家のインターフォンを押して、
「蝋梅の木を少し分けてもらえませんか」
ともさすがに言えない。
 ホームセンターに苗木を買いに行くという手もあるが、そう思いついた時にはもう時期がとうに過ぎている。
 今年は私のそんな気持ちを察してか、そんな訳ではないが奥さんが蝋梅の木の枝を持って来てくれた。こんな寒い時期に挿し木で根付くか分からないが、ものは試しで枝を二本挿してみた。せっかく丸く膨らんでいる蕾が、咲かなかった時には気の毒だと少し心が痛んだが、何か一つ事を成すには何か一つの犠牲を払わなければならない。この蕾が犠牲となってこの挿し木が上手いこと根を張ってくれれば、来年もしかしたら花を咲かすかもしれないし、来年花を咲かせることはなくとも、再来年に咲かせてくれるかもしれない。
長い目で見たら人間の生命の営みと似たようなもので、こうやって命は繋いで行かれるのかもしれない。そんな壮大なことを思いながら挿し木をしたつもりはなかったが、結果、そんな思いが書いているうちに溢れてきた。根を張るも張らないも、この蝋梅の生命力にかかっている。
 これこそ、捕らぬ狸の皮算用である。
 
 また来年の春、一つ楽しみができたと思って、無事に根を張ってくれることを祈る、二〇二五年の小寒である。

小寒

小寒

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-01-15

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