浪花節だよ統合失調症

発病編

発病編
 
おお、これはただごとではない話やなぁ!始まるは、なんの前触れもあらへん、静かなる日常の崩れからや。その男、発症の前までは、普通のサラリーマン、なんの問題もなく働いとった。ところが、その運命の日に東京銀座、タンスの上から「ギーギー」という音が響いてきたんや。なんや、この音は!?ネズミちゃう、幽霊や!そう感じた瞬間、彼の世界は狂い始めたんやで。
 
翌朝、会社に出て、顔を合わせた倉吉さんに突然言い放つ。「この会社、幽霊に呪われとるから給料が安いんや!」もう、ここからが彼の自生思考の始まりや。思考が勝手に暴れまくる。同期の康子さんの誕生日まで、プレゼントを買いに走るんやけど、その感情の高ぶりが頂点に達したあと、3日後には会社で統合失調症を発症してしまうんや。
 
そや、なんと恐ろしいことやろう。普通に仕事をこなしつつ、脳内は完全に混乱状態。山手線から目黒のアパートへ戻るも、妄想はエスカレートし、バットで壁をぶち破る。ステレオの音は最大!そんで、警察にまで出動され、手錠かけられるまでやってもうた。
 
そして品川警察署で、まだ錯乱状態の彼。もう、ここで一言。「今日の巨人の江川は160キロ出すぞ!」と、突拍子もないことを言うんや。しかし、そんな彼を心配してか、会社の部長が迎えに来るんやけど、もはやまともな会話は成立せえへん。
 
ついには精神病院へ。診察室で妙に素直な返事をする彼、しかし「ガチャ」と鍵がかけられる瞬間、正常な思考が一瞬戻るんや。でも、もう遅い。閉じ込められた部屋には便器ひとつ。夜通しわめいても誰も助けには来んかったんや。
 
最終的には、精神病院から一ヶ月で退院できたものの、社会の冷たさが待っておった。母親に「また仕事がんばるわ!」と言うたら、「あんた、首になっとるよ」と、なんとも悲しい返事や。会社に行って退職手続きをする時、みんなの顔を見ることすらできんかった。手土産を部長に渡そうとするも、はねのけられたその手土産が無惨にも床に散ったんや。
 
これが、昭和の時代、精神障害に対する偏見と差別の厳しい現実や。どうや、恐ろしい話やろ?

二度目の再発

2度目の再発
 
これは、人生の波に翻弄されながらも、何度も立ち上がろうとする一人の男の物語でございます。
 
都会から少し離れた、自然豊かな田舎町で、男は穏やかな日常を送っておりました。自転車やバスを使って会社に通い、プリント基板を作る仕事に励んでおりました。会社は某大企業から独立した新興企業、仕事は順調、環境も良好、何も問題はないように見えたのです。しかし、その日は突然やって来たのでございます。
 
お昼を過ぎ、暗室での作業に没頭していると、何かが胸の中で不気味に動き始めました。「何かがおかしい」――そう感じた男は、ついに我慢ができなくなり、仕事場を飛び出してしまったのです。バスに飛び乗り、部屋へと急ぎますが、車内では更に奇妙な現象が起きました。乗客の顔が、なんと母親に見えるではありませんか。妄想が彼を襲い始め、ついに現実と幻想の境が溶け出してしまったのです。
 
部屋に戻った男は、祖母からのハガキを手に祈りました。「どうか、何事も起こりませんように」と。しかし、その祈りも空しく、深夜ラジオから流れてきた一言が彼の理性を揺るがしました。「あの世からなーんちゃって」。それを聞いた瞬間、男の頭の中で何かが崩れ、彼は奇妙な行動を取ることになります。
 
スーツに作業着を重ね、外へと飛び出した男は、六本木の街を彷徨い歩きました。何かを、誰かを待っている、しかし何も起こらない。そんな中、次は目黒へと向かい、あるマンションで彼女が待っていると信じて部屋のドアを叩きましたが、出てきたのは全く知らない人物でした。夜は更け、男は再び電車に乗り、上野へ、そして無銭乗車で大宮へと向かいます。
 
大宮駅のロビーで大きな絵に見入る彼の頭の中では、すでに現実と非現実の境が曖昧になり、ついにスーパーマンのような気分になってしまいました。そして、品川駅にて、電車に飛び込もうとしましたが、土壇場で思い留まりました。それでも駅員に捕まり、最終的に会社の社長に救われたのです。
 
理性を失い、被害妄想に飲み込まれてしまった男は、再び独房へと送られました。2度目の発作、2度目の入院、それでも彼は希望を捨てず、ふたたび立ち上がりました。東京で多くの友と別れ、九州へと帰った男は、その後5年間、穏やかな日々を送ることができました。
 
人生という名の戦場で、苦しみの中をもがきながらも、一歩ずつ歩み続けるこの男の姿に、私たちは何を学ぶのでしょうか。どんなに深い谷に落ちようとも、人はまた立ち上がる――それが、浪花節に通ずる、人間の強さなのでございます。

三度目の再発

3度目の再発
 
これもまた、人生の波に翻弄され、三度目の闘いに挑む男の物語でございます。
 
今度の発作は、過去の二度に勝るとも劣らぬ試練。仕事場で機械がトラブル続きだったのに、突然何事もなかったかのように動き出した瞬間、男の頭の中に常識を超えた妄想が芽生えました。「俺の頭の中で自動車産業のラインが動いているんだ。俺の思念次第で、ラインは止まりもするし、動きもする…」そんな馬鹿げた考えが彼を襲い、突然の発作に倒れてしまったのでございます。
 
義務教育も、高校も出ている男が、なぜこんなことに――そんな思いが彼をさらに苦しめ、アパートへと戻るや否や、妄想は次々と膨らんでいきました。「この場所に、ミサイルが落ちてくるんだ!」と信じ込み、部屋中にある物を積み木のように並べ始めたのです。まるで子供のように。だが、その行為は彼にとってはミサイルを撃退するための真剣な対策だったのです。彼は全ての行動をはっきり覚えている、と語ります。
 
その後、愛車に乗り込み、頭の中が妄想に支配されながら岐阜の風俗街を目指しますが、何をどうしても辿り着けません。結局、同僚の住む寮まで車を走らせ、カーステレオをガンガン鳴らしながら寮を一周するという行動に出ました。これもまた、頭の中の妄想の一部であり、彼には理性のかけらも残っていなかったのです。
 
アパートに戻り、食事の席で彼の耳に届いたのは同僚たちの声。「奴は突然、頭がおかしくなるんだよ」という陰口。しかし、彼は黙ってその声を聞き流しながらも、頭の中ではますます被害妄想が膨らんでいくのでした。次に待っていたのは、会社の事務所で両親の到着を待つ、恐怖に震える夜。彼は毛布に包まりながら、東京から大火事が発生し、それが名古屋に向かっているという妄想に怯え続けました。
 
両親が夜中に到着し、彼を泊めてくれる宿を探すものの、どこも開いておりません。やむなく、彼は母親と共に警察署に頭を下げて一晩泊めてもらうことになりました。だが、そこでも彼の妄想は収まりませんでした。缶ジュースのバーコードに目を凝らし、太い線、細い線に世の中のリズムが反応していると信じ込んでいたのです。
 
翌朝、彼は再び病院の独房室――いや、保護室へと閉じ込められることになります。今回は妄想の影から抜け出すのに2週間を要しました。だが、病院内では彼は元気そのもので、退院の許可が出る前から何度も手紙を書き、両親に迎えに来てもらうよう頼み続けました。
 
しかし、家路に就く途中でさえ、彼の妄想は完全に消え去ってはいなかったのでございます。この三度目の試練も、男にとってはまた一つの人生の波――乗り越えるべき大波であったのです。
 
浪花節に語るこの物語、三度目の再発もまた、人間の脆さと強さ、そして闘い続ける意思を見せつけるものでございます。どんなに深い谷底に落ちようとも、男はまた立ち上がる。それこそが、真の浪花節の心なのでございます。

四度目の再発

4度目の再発
 
四度目の発作がやってきたのは、まさに油断していたその時。新しい職場、初めての出勤日――それも女性ばかりの職場で、男は何の不安も抱えていなかったはず。しかし、この病は何の前触れもなく、急に頭の中を狂わせてしまうのでございます。
 
その朝、異常など一切感じられなかった。むしろ順調なスタートかと思われたその日、仕事を終えて家に戻るやいなや、妄想が始まりました。愛車はトヨタコロナ、まるで自分の相棒のように感じられたその車に乗り込むと、彼は車の精度を試すかのように、2時間もひたすら走り回ったのでございます。
 
帰宅後、男はついに両親に告白しました。「ちょっと頭が変になってきた、明日病院に連れて行ってくれ」と。どんなに苦しい状況でも、正直に伝える勇気を持っていた男。しかし、その晩、事態はさらに悪化していくのでございます。テレビにかじりつく彼の目には、画面の中からテレパシーが送られてくるかのように映り、現実との区別がつかなくなっていたのでした。
 
結局、彼はまたしてもあの独房室――保護室へと連れ戻されることに。四度目の発作は、特に厳しいものであり、被害妄想が治まるのに一ヶ月もの時間を要しました。彼の病は、頭の中の妄想が行動に現れなければ、周囲には異常に見えない。そんな病気の特徴が、彼をさらなる孤独へと追いやっていったのです。
 
独房に入ると、まずメガネが取り上げられます。食事が差し入れされる度に看護師から「食べないと早く出られないよ」と言われるのですが、持ってこられたご飯を見ても、ぼやけて茶色がかって見える。それがどうにも**ウンコ**に見えてしまうのでございます。そして、どろっとした食事は唾が混ざっているように感じられ、どうしても口に入れることができない。食べたいと思っても、頭の中の妄想がそれを許さないのです。
 
一ヶ月が経ち、ついに独房から解放されたものの、まだ男の妄想は完全に消えておらず、現実と幻想の狭間で揺れ動く彼の心が見え隠れしておりました。四度目の再発もまた、彼にとって大きな試練であり、この波をどう乗り越えていくのか――それが男の次なる課題であったのでございます。
 
浪花節の心、人生の苦難を歌い上げるこの物語。男の四度目の闘いもまた、どんなに苦しくとも、どんなに現実が歪んでいようとも、決して屈しないという強い意志が根底にあるのでございます。人生の波を乗り越え続けるこの男の姿こそ、まさに浪花節の真髄でございます。

精神的苦悩

精神的苦悩
 
さて、皆さん、これから語るは、人知れぬ心の葛藤、拓也という男の物語でございます。  
彼は普通の男やった。仕事もして、社会の中で生きていた。しかし、その心の中には、いつも静かに潜む影があったんや。それが、ある日突然、表に現れる。それが、統合失調症や。
 
四度目の発作が襲い来る。彼は、自分の心がどこか遠くに離れていく感覚を持つ。「このままでは、俺は正真正銘の異常者になってしまうんやろか?」と、自問自答の日々が続くんや。薬をやめたら、死を意味する。それでも、薬を続けても、自分が自分やないような、そんな感覚に囚われる。まるで、もう一人の自分が体を支配し、心はその後ろからただ眺めているだけなんや。
 
親父に言うても、理解されん。「創作活動家になる」と告げれば、きっと親父は怒る。「人間は普通に会社で働いて生きるもんや」と説教が始まる。「そんなことじゃ結婚もできん、夢みたいなこと言うな」と、突き放される。拓也の心は、どこまでも孤独や。
 
それでも、彼は福岡へ向かう決意をする。愛する故郷へ、車にいっぱいの荷物を積み込んで、出発するんや。「もう人と接する心の余裕はない。福岡に戻らんと、自分を守れへん」と、そう決心するんや。親父や社会の声から逃れて、自分を取り戻そうとする、その必死の姿が、まさに浪花節や。
 
拓也が言う。「人間は一つの存在として生まれたなら、死ぬまで一つで終わるべきや。二つや三つに分かれるのは、狂気なんやろか?」――そんな問いを心の中で繰り返すんや。統合失調症の影響で、彼の思考は自分の意思に反して、浮かんでは消え、コントロール不能。これが自生思考の症状なんや。
 
彼は何度も入退院を繰り返してきた。それでも、今回は違う。「もう、無理はせん。今度こそじっくり病を治す」と決意を固めるんや。早く田舎に戻り、静かな日常を取り戻すために、車のエンジンをかけた。
 
「どうも、お世話になりました」と、その二日間の出来事を胸に閉じ込め、福岡への道を走る拓也の姿。彼の心の葛藤と、その不器用な生き様が、まさに浪花節の魂を映し出しているんや。
 
この物語、拓也の精神的苦悩もまた、人間の生きる辛さと強さを描いた、現代の浪花節でございます。 

必死の帰路

必死の帰路
 
さて皆さん、これから語らせてもらいますのは、ひとりの男、拓也の苦悩の帰路でございます。妹にメールを打ち続けるも、返事は一向に返ってきまへん。それでも、打ち込む文字だけが彼の心を少しだけ安らげてくれる、そんな儚い心持ちでありました。
 
高速道路を西へ西へと走らせ、拓也の目指すは福岡の故郷。しかし、まずは関西を抜け出さなあかん。関西の都会、車の多さが彼の心にさらに重荷を乗せます。気力で広島まではノンストップで突き進むつもりや。
 
ラジオをつければ、夜半から寒くなるとのこと。雪の兆しが見えますが、彼の車はスタッドレスタイヤに履き替えてあり、少々の雪道には対応できる。音楽が彼を支え、気力を引っ張って進ませているんや。しかし、広島は宮島のパーキングエリアに近づく頃、休憩を取ることにしました。そう、その時や、彼の頭にまた幻聴が襲ってきた。
 
聞こえてくるは、中森明菜の「難破船」。  
♪ たかが恋なんて 忘れればいい 泣きたいだけ泣いたら、目の前に違う愛が見えてくるかもしれない ♪  
この歌詞が、彼の心の奥底を突き刺すんや。拓也の目からは、涙がポタリ、ポタリと大粒で落ちていく。心がズタズタに引き裂かれ、彼はひとりの車中で泣くんや。まるで自分の心が、難破船のように沈んでいくのを感じながら。
 
「これが本当に俺の病気なんやろか?」そう思う彼。しかし、その自問に対して、誰も答えてはくれん。統合失調症――強い自分と弱い自分が交互に襲ってくる。時には自分でも自分が理解できへん。もしや、天才か、それとも狂気か?そんな思いが頭をよぎる。
 
「これが最後のドライブかもしれん」。彼はそう思いながら、車のハンドルを握りしめる。そして再び出発。今度は山口県に入った頃、パラパラと雪が舞い始める。窓ガラスにぶつかる雪が、彼の心にさらなる不安を呼び覚ます。しかし、拓也はまだ進む。九州まであと少し、50キロ。故郷の地までもう少しや。
 
「運転、がんばれ!」と自分を鼓舞しながらも、彼の脳裏にふとよみがえるのは、新聞の見出し――「心神喪失で車の操縦を誤り事故」と。そんな見出しを見たら、死んでも浮かばれん。心の中で叫びながら、彼は必死にハンドルを握りしめ、過去の記憶が彼の脳裏にフラッシュバックするんや。
 
この拓也の物語、まさに生きるか死ぬか、精神との戦いや。

会社の連中が心配してると

会社の連中が心配してると
 
さて、語らせてもらいますは、拓也という男の心の旅路。雪はどんどんひどくなり、視界は2メートル先すらも見えん状態や。トラックの運ちゃんたちは慣れたもんで、100キロのスピードでガンガン追い越していく。それに比べて、拓也は最低速度の60キロで、慎重に走り続ける。
 
ようやく関門海峡に差し掛かり、雪もようやく止んだ。拓也はほっと一息ついて、家へ電話をかけることにしました。  
「俺、今、車で帰ってるんや。今、北九州やから」  
「用心して帰ってこいよ」と父の言葉が返ってきました。
 
それから2時間ほどが経ち、拓也は無事に家へ到着。家の風呂に浸かりながら、また頭に浮かんでくるのは自分の病気のことや。統合失調症。現代の病気は、精神と神経の狭間をさまようやっかいなものや。うつ病とはまた違う種類の病気で、破滅型と言われるその病気は、何十年も閉じ込められている人たちもいる。俺はその破滅型の失調症かもしれん、そんなことを考えながら、彼はふと、妄想の世界に引きずり込まれる。
 
天皇陛下の関係やら、テレビからテレパシーが送られてくるような妄想に襲われていたこともあった。でも、今は被害妄想はなくなった。今度は潜在意識、自分の思っていることが現実に具現化してしまう――そんな感覚や。  
「俺、普通に働けるかもしれん。でも違うんや、病気が俺の後ろに、いつもついて回るんや」。自分の病気の存在を、冷たい現実として感じている拓也。
 
「うっ、さて寝るか」。やっとのことで睡眠薬が効き、久しぶりに8時間の睡眠をとることができた。そんな中、妹から聞いたトム・クルーズも知的障害があるらしいという話を思い出し、ふと思索にふける。読書に集中できなくても、映像なら頭にスッと入ってくる――彼はそんな自分を再発見し、自分流に物事を解釈していくことに喜びを見出すんや。
 
でも、心の中ではまだ悩みが深い。「体は元気やけど、頭の中は弱々しい」。誰にも話すことのできないその悩みを抱えながら、彼はただ自分を保つために、薬を飲み続けることしかできない。
 
「会社の連中が心配してる? 笑わせるな。どうせ陰では、あいつ頭おかしくなったって噂してるに違いない。俺はそんなやつらのために電話なんかせえへん。死んでも電話なんかするか!」
 
それでも彼は、精神のバランスを取るために病院へ行き、薬を追加してもらう。少しずつ、落ち着きを取り戻していく拓也。しかし、彼は決心した。「もう関東には帰らない。福岡で精神病院に通うんや」と。
 
そして、待合室に座る拓也。12年ぶりに再会した由美という女性と、懐かしい話をしながら、彼は少しだけ心が軽くなる。  
「私、太った?」  
「いや、昔の体型なんて覚えてないな」と他愛ない会話が続く。
 
そんな日々の中で、彼はふと思い出す――関東で忙しく働いていた頃のことを。薬は父に頼んで、病院には顔も出さず、仕事に追われる日々。そんな中、突然の主治医との対話で告げられた診断。  
「君は統合失調症や。昔は精神分裂病と呼ばれていた」。
 
その言葉に、拓也は目の前が真っ白になり、椅子から転げ落ちそうになった。だが、それでも彼は気力で立ち上がり、社会復帰を果たしてきた。その強さが、これまでの彼を支えてきたんや。
 
拓也の人生、葛藤と闘いながら、それでも生きる――これが、彼の浪花節や。

15年後の再発

15年後の再発
 
さてさて、聞いておくれやす、お話の舞台は15年経ち、再び起こったあの出来事に戻る時でござる。
 
3日前、いつものごとくブックオフに足を運んだ主人公、何やら今日は妙に惹かれるコーナーがあるじゃないかいな。いつも見やせん「スピリチュアル」の棚に、ずらりと並んだ本。その中から手にしたのは、なんとCD付きでたった200円だ。ほら、普通なら付録がついてるもんは値が張るもんだが、こりゃ違う。運命の手引きか、心を引き寄せられてページをめくれば、そこには「潜在意識」なんて難しい言葉が書かれておった。
 
「貧乏人はいつまでも貧乏人、金持ちはいつまでも金持ちだ」って、おかしなことを言うではないか。お金を手にしても、潜在意識がそれをパチンコに突っ込んじまって、元の貧乏に戻るっちゅうんだ。この潜在意識ってのは、なかなかやっかいなもんだと、主人公も気づくことになるんだな。
 
さて、その後の出来事よ。60歳になった主人公は、部屋でAKB48の指原莉乃の卒業コンサートを楽しんでおったが、突然、電源がショート。おやおや、身体がだるくて腰も痛む、何か不吉な予感がするじゃないか。ウトウトして目覚めたら、今度は街をブラブラと車で走り出す。どうにも気が晴れんまま、家に戻ると、音楽を聴き始めたとたんに、身体が軽くなってくるではないか。
 
そして、あの統合失調症の感覚が再びやって来る。テレビの画面に映る指原の目、死人のように冷たい目だ。ほら、何かが起こる前触れだと、背筋が凍りつく思いだ。チャンネルを変えても変わらない、テレビの中の人々が皆、主人公を見つめているように感じる。その不気味な雰囲気に包まれて、過去の記憶が蘇る。
 
あの品川駅での線路飛び込み事故。奇跡的に助かったものの、その時見たテレビ画面の不自然な目線が、今の状況とリンクする。何かが起こる、そう確信した主人公は、思考回路が乱れ、妄想に取り憑かれる。
 
これからが難儀だ、テレビはただのテレビではない。霊的な波動を受け取る装置であり、エジソンですら解明しようとした霊魂の周波数を、主人公の脳内コンピューターが捉えてしまったという。自分の脳とテレビが戦争を繰り広げる中、主人公は現実と妄想の境目がわからなくなり、統合失調症との戦いが激化する。
 
さあ、二週間の戦いが終わり、ついに主人公はその妄想の世界から抜け出した。霊魂の存在を確信し、スピリチュアルな悟りに導かれる。そして、ライトワーカーとしての使命を見出し、この世界で果たすべき役割を悟ったのでござる。
 
物語はこれで終わらん、続きはまたお聞かせいたそう。

七度目の統合失調症

七度目の統合失調症
 
***
 
さてもさても、七度目の波が押し寄せた。あのバナナミルク、あれが好きで好きでたまらん。その自動販売機に並んだ瞬間、これはただ事ではないと、心が高鳴る。五百円玉を入れたら、釣り銭はどうした?一枚だけ。それがまた五百円とは!幸運の風吹くやら、何かの前兆かいな。
 
ゴクリと一口、もったいないから、じっくり飲むと決めたその時、彼女の車が目の前に!心臓がドドン!全身がガクン!足の力が抜けて、頭が真っ白に。
 
「ああ、これが夢か、現か、どっちやねん!」
 
急いで自分の車に飛び乗り、エンジン全開。逃げ出したのは公園や。そこの駐車場は閉鎖されてて、もう、行き場がない。でもな、どうしたらええんや。思考はパニック、もう何もわからん。
 
「ああ、精神科や、助けてくれ!」
 
電話するが、彼女の友達はおらんと聞かされる。心臓が爆発するかと思うその時、ふと気付けば、彼女との思い出が頭に浮かんできた。走馬灯のように巡る巡る、優香との記憶。思い切って手紙を書いたんや、ラブレター。バレンタインデーに送るつもりで、なんと文学賞に応募までしとったんやで。
 
その日が来るのを待ちながら、コロナが消えてくれるように祈ってた。三年後にプロポーズするんや、そう決めたんや!
 
そして再び駐車場に戻ると、まだ彼女の車がある。これは現実か、幻か!?冷静を装っても、汗が出てくるわな。
 
外来の自動ドアをバシッと抜けるが、彼女の姿はない。でもな、看護師さんに聞いたら「あれは現実や」と言うてくれた。
 
なんや、思い浮かんだのはあのAKBの小嶋陽菜や!彼女に似てたんやな。ほんまに、あの時スマホの待受にしてたんやけど、それを彼女に見つけられた時は、ほんまに驚いたなあ。
 
そしてな、彼女はまた目の前を通り過ぎるんやけど、声をかけられへん。なんでや、なんでこの赤い糸を手繰り寄せられへんのや!?
 
でもな、次の日、奇跡が起こったんや。彼女からのLINEや。「ご飯食べに行こうか?」そう書かれてたんや!心がグッと震えた瞬間やった。
 
その後、運動公園で散歩することになり、今もその縁は続いてる。でもな、これはほんまに、精神科で言う「統合失調症」の症状なんか?わしには、どうにもわからん。

港区の女性

港区の女性
 
ある日のこと、私は歴史について書かれた本のコーナーに引き寄せられ、気がつけばレジで会計を済ませていた。歴史に興味を持ち始めたのは、精神科デイケアで出会った優香の一言、「織田信長、面白くないですか?」がきっかけだった。それからというもの、私は六十三歳の身でノートに書き写し、歴史の勉強を始めたが、一週間経つ頃には飽きがきていた。
 
周囲のデイケアの仲間たちは、塗り絵に夢中になっていたが、私にはその趣味は合わなかった。自ら絵を描いて色鉛筆で塗ると、周りの人々から「うまいね」とお世辞を言われる。しかし、四年前に障害者芸術展に詩を出品した際、調子に乗って詩人になろうとしたことを思い出す。そんなことはなかったが、その作品はインスタグラムに投稿するにはちょうど良いネタだった。
 
深夜、インスタの投稿を確認してみると、いつもは来ない「いいね」やコメントが寄せられていた。「これはあなたが描いた作品ですか?」と。普段は返信しない私が、なぜかその時は返事をした。それが、桂との出会いの始まりだった。
 
次の日、私は桂に「小説という創作活動をしているので、読んでもらいたい」と尋ねた。すると、彼女は「ハイ、読みます」と答えてくれた。その後のインスタでのやり取りが続いた。
 
私の韓国名は桂子です。
 
大学はプリンストン大学を卒業し、ニュージャージーで数年暮らしていました。桂のピアノは素晴らしく、将来、龍太郎に弾いて聞かせることができると思います。しかし、あなたの作品には違った体験をしました。あなたは精神分裂ではないと感じます。あなたは才能のある学術の達人ですから、桂怡はこれを精神分裂だとは思わないのです。これは非常に高度な思考で、普通の人が考えることではありません。
 
桂は真剣に言いました。「龍太郎の精神状態は病気ではない。これは高度な思考です。あなたは高級な魂ですから、自分を疑わないでください。」
 
私もインスタではあまり交流しませんが、面白い投稿に出会ったらコメントします。あなたの投稿が大好きですし、あなたの絵が大好きです。まだ自分で小説を書いていますか?すごいですね、見せてもらえますか?あなたの作品には人間性に近いストーリーがたくさんあります。あなたの人生がどのようなものか、とても興味があります。あなたは伝説的な経験をした男性だと思います。
 
私は大学を卒業しましたが、あなたの作品を見て、あなたから学ぶ必要があると感じています。でも、あなたのような才能はほとんどありません。現在、多くの人がテクノロジーやインターネットに依存しているから、読書や勉強に時間をかけたがらないのです。これが人を後退させるのだと。
 
なるほど、龍太郎の作品はきっと多くの人に認められるでしょう。あなたの多くの作品を読んで、あなたの知識が十分だと感じました。もしかしたら、私たちの距離を縮めたのはあなたの作品かもしれません。
 
桂は、私がどんな男性かを知りたいと言ってくれました。「あなたの魂は高級な純潔です。私が龍太郎に興味を持ったのは、あなたの作品が私の心に感動したからです。だからこそ、あなたの思考は普通の人々を超えています。」
 
私たちの関係は宇宙に任せましょう。宇宙の法則によれば、私たちは互いに釣り合っています。桂は、私の作品を初めて鑑賞することを望んでいるようです。東京で再会の日を楽しみにしています。その日が来るのを心待ちにしています。
 
クリスマスの日に、電話で話す約束をしましょう。そうすれば、すべてが順調に進んでいることでしょう。これが龍太郎の才能です。頑張ってください、将来、あなたはきっと成功するはずです。
 
桂はお風呂に入ります。「おやすみなさい。明日の交流が楽しみです。」
 
こうして、私は新たな出会いと可能性に心を躍らせながら、未来へと歩みを進めていくのだった。
 
ここまで読んでくれてありがとうございます

浪花節だよ統合失調症

浪花節だよ統合失調症

浪花節だよ統合失調症 あらすじ 物語は、主人公が精神的な苦悩を抱えながら日常生活を送る様子から始まります。彼は統合失調症の診断を受け、自身の心の葛藤と闘いながら、周囲との関係を築いていく。彼の生活は、病気の影響で不安定であり、時折現実と幻想の境界が曖昧になってしまうこともある。 物語は、主人公の視点で語られ、彼の内面的な闘いがリアルに描かれます。彼は自身の症状を理解し、治療に取り組む中で、家族や友人、精神科医との関係が深まっていく。また、彼は自らの体験を通じて、病気を抱える人々の心情や社会の偏見についても考えるようになる。 最終的に、主人公は病気と向き合いながら、希望を見出し、より良い未来に向けて前進する姿が描かれています。物語は、統合失調症という病気の理解や受容、そして人間関係の大切さをテーマにしています。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-12-15

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著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 発病編
  2. 二度目の再発
  3. 三度目の再発
  4. 四度目の再発
  5. 精神的苦悩
  6. 必死の帰路
  7. 会社の連中が心配してると
  8. 15年後の再発
  9. 七度目の統合失調症
  10. 港区の女性