女子アナを攻略した男
女子アナを攻略した男
女子アナを攻略した男
出逢い
織田俊平、38歳。女性にプロポーズしたが断られ、北九州を離れて埼玉県への転勤を志願した。福岡空港のロビーで、出発までの時間を喫茶店で過ごすことにした。4人掛けのテーブルにひとり座っている男性に声をかけ、席を空けてもらう。なつみはジェイ・ルービンの「村上春樹と私」という本を取り出して読み始めた。ルービンはアメリカの日本文学翻訳家で、村上春樹の翻訳に加え、芥川龍之介や夏目漱石の翻訳でも有名な存在である。なつみは目次を見てページをめくろうとするが、どうにも集中できない。目の前に座る男性が気になって仕方ないのだ。その男性は少しイケメン風で、流行の眼鏡をかけているが、もしかしたらメガネ量販店で3,000円のフレームを買ったのかもしれない。髪はさらりとした質感で、顔立ちはなつみの採点では80点。服装もそれほど高級そうではないが、最近テレビで見た、体にまとう服の値段が150万円する男性より洒落て見える。なんとなく、ロールキャベツ男子──見た目は草食系だが、中身は肉食系──といった印象だ。この日のなつみはリクルートスーツ姿であり、他人のファッションにあれこれ言う資格はなかった。男性は窓の外をじっと眺めているが、どことなく疲れた雰囲気が漂っている。しばらくして、彼が低い声で話しかけてきた。
「時間潰しですか?」
意外にも渋い声に、なつみは内心ドキッとした。男性はさらに続ける。
「どちらまで?」
「はい、埼玉です。転勤なんです」
「キャリアウーマンですか」
「いえいえ、女子アナです。出張の帰りです」
彼は先ほどまでの暗い表情を急に明るくさせ、続けてこう言った。
「僕は失恋してしまって……」
ドスの効いた低い声でそう言われ、なつみは思わずクスッと笑いそうになる。彼の意外な一面に興味を抱いた。
「実は、つい最近プロポーズを断られたんです」
二人は同時に大きな笑い声をあげた。あいにく二人は別々の飛行機で、なつみは誘われることもなく、その出会いは一期一会となった。なつみは地方のキャスターではあるが、ファンもそれなりにおり、女子アナとしてそれなりの位置にいる。しかし、もう27歳。婚期が遅れつつある。以前プロポーズされたのはプロ野球選手だった。初対面で食事に誘われたが、確かに彼はプロとしてそれなりに活躍していた。しかし、社内にもそれなりの地位にいる人物がいるが、どうにも魅力を感じない。出発前、親友の尼崎幸子(33歳・独身)と居酒屋で、その件について色々と相談してみた。
「私の周りにいる男性は、プロ野球選手ならドラフトされ高額な契約金をもらうような人。高学歴で一流企業に入社している男性も、入社時が頂点という感じなの。女性としては、登りつめた男性にはなぜか魅力を感じないのよ。何かこう、情熱が感じられなくて。もしかしたら恋愛ドラマや映画に憧れるのも、これから登っていくタイプの男性が多いからかも」
幸子は頷きながら言った。
「だから私たち、婚期が延びちゃってるのかもね」
なつみは先ほどの男性を思い出した。彼はどちらのタイプだろうか。カジュアルな服装だったが、平日にはネクタイを締め、仕事に精を出している人かもしれない。そう考えながら、なつみの飛行機は羽田に到着した。
織田俊平は羽田空港に到着した。時計を見るとお昼の13時。モノレールで新橋へ向かい、そこから山手線に乗り渋谷駅に着いた。お腹が空いたので、駅の売店で求人誌を買い、トンカツ屋に入る。福岡にいた頃、一度は食べてみたいと思っていた定食屋だった。求人誌を片手に渋谷で職探しを始める姿は、少し田舎者らしい。俊平は30歳で、まだ仕事を探すには適齢期だ。彼は久留米の工業高校を卒業したが、正社員にはならず、人材派遣会社を転々としてきた。かつてモンダ自動車工場で働いた際、同級生も多数いたが、派遣の契約が切れた翌日に正社員の女性にプロポーズをしたところ、「風来坊のあなたは結婚相手として論外」と断られてしまった。
財布には五万円、銀行の通帳には三百万円の貯金がある。まずは就職先を決めてから住居を探すつもりだ。とりあえずの生活費はあるが、早く職を見つけなければ貯金もすぐに底をついてしまう。とりあえずアルバイトでもと求人誌をめくると、製造業の求人が目に入る。しかし工場は東京の中心から離れた郊外にあるため、俊平は埼玉県の所沢市に向かうことにした。
一方、なつみはフジテレビへ向かっていた。彼女の担当プロデューサーは45歳の上尾勝。なつみは彼のスケベそうな顔に、内心少し引き気味だが、その反面、プロデューサーとしての実力には一目置いている。上尾は彼女に「???ちゃん」と高音で呼びかけてくるが、なつみは仕事においては運と縁を大事にしているため、あまり気にしていない。また、恋愛に関しては、「気になる相手ができたら好きになってしまう」という性分だ。
なつみの脳裏には、朝に空港で出会った男性の姿が浮かんでいるが、彼が大学も出ておらず、派遣の身で現在職を探しているとは夢にも思っていなかった。なつみが東京本社に赴任することになった経緯も、今ひとつ理解しきれていない。もう27歳で、「ピチピチの若手」という年齢でもない。思い当たるのは、去年の正月特番での出来事だった。なつみは福岡では「ぶりっ子キャラ」として知られ、番組では「ぶりっ子キャラなつみ集」として放送された。その天然な振る舞いや笑顔が、プロデューサーの目に留まったのかもしれない。
罠
なつみは、上尾プロデューサーから「配属先は1週間後に伝える」と告げられ、続けて彼女を抜擢した理由について一言添えられた。
「君の天然キャラ、ぶりっ子で行く」
なつみは「ぶりっ子キャラ」と言われたことに唖然とした。ローカル局から本社へ抜擢された自分が、まさかの「ぶりっ子キャラ」としての配属になるとは思ってもみなかった。内心では、ニュースキャスターという地位が頭をよぎっていたため、少し戸惑いながらも軽く微笑んでみせた。夕食は上尾プロデューサーのおごりで、渋谷にあるトンカツ屋で食べることが決まった。さすがに「ご馳走」と言うだけあって、美味しいトンカツだった。
食事の前に、なつみはお手洗いへ向かい、ハンドバッグを開けた際に、中から一枚のハンカチが顔を出した。それを見て、朝、空港で出会った男性のことを思い出したのだ。彼がテーブルに置いてあった水をこぼしてしまったとき、咄嗟に取り出してくれたのがそのハンカチだった。なつみは汚れているからと、男性から受け取ってビニール袋に入れ、バッグにしまいこんでいた。ハンカチを取り出すと、下の方に何か文字が刺繍されているのに気づいた。
「落し物の主の電話番号 09098???」
織田俊平も、昨日の出来事を思い返していた。まさか、あのハンカチを使うチャンスが本当にやってくるとは。友人の真司からのアドバイスが当たったのだ。真司は、ある雑誌の記事を見て「ハンカチに自分の電話番号を刺繍しておけ」と勧めてくれた。正直なところ、俊平も雑誌に書かれていた通りに試してみただけだったが、まさか役に立つとは思ってもみなかった。昨晩は渋谷のカプセルホテルに泊まったが、埼玉の工場でアルバイトをするかどうか、改めて考え直すことにした。いつまでも非正規労働者でいるわけにもいかない。二度目のプロポーズも断られるのが目に見えている。俊平は、製造業でキャリアを積むべきかどうか悩み始めた。
モンダ自動車工場での上司が、「製造業は入社してからが勝負だ。現場上がりは強い自分を作り、大卒エリートを凌ぐこともある。出世すれば下請けや協力会社を立ち上げる夢も叶う」と話していたのを思い出した。俊平は機械が好きで、工業高校でも機械科を卒業している。それにまだ30歳、工場で働くには適齢期だ。
1週間が経ち、なつみは上尾プロデューサーに呼ばれた。
「ぶりっ子お天気キャスターに決まりだ」
なつみは気象予報士の資格を持っているが、「ぶりっ子」という設定には複雑な心境だった。そういえば、熊本のテレビ局には「ムキムキお天気キャスター」として人気を博している筋肉モリモリのアナウンサーがいるらしい。ぶりっ子の元祖といえばデビュー当時の松田聖子だが、自分も「ぶりっ子」と言われれば、確かにその一面があると思っている。さらに天然ボケでもあるため、ぶりっ子を卒業するのは難しい。それはなつみの個性であり、ある意味では本能とも言えるのだ。俊平は最近、自分が変わってきていることに気がつき始めた。そうだ、あの日、福岡空港であの女性に出会ってからだ。しかし、相手は天下の女子アナだ。そう簡単に誘いに乗るはずもないし、自分は非正規労働者で、解雇されたどん底の男である。俊平はふと、もしもあの女子アナと付き合うことになったらどうするかと考えた。しかし、女子アナが非正規労働者と結婚したなんて話は聞いたことがない。一流企業の社員やプロ野球選手と結ばれるのが常だ。あのハンカチなんか、何も期待していない。たまたまの偶然だ。いつか見た映画『幸せの力』を思い出す。学歴も何もないのにエリートを超えて営業成績ナンバー1になった男の物語だ。そこまで頭をよぎるが、次の瞬間、現実に引き戻された。高卒の自分には、非正規労働者の解雇問題が付きまとっており、悲惨な運命をたどる男たちの姿が浮かぶ。俊平は中学時代、周りのみんなを笑わせるのが得意で、将来は漫才師になると思っていた同級生も多かった。
一方、なつみは上尾プロデューサーの提案に少し疑問を抱いていた。バラエティー志望でもないのに、彼は自分をアナウンサーではなく芸人のように扱っている。ましてや、真面目な報道に対してぶりっ子とは失礼だ。なつみは翌日、上尾プロデューサーの提案を断った。1週間のスケジュールは空白のままだった。そんな折、ディレクターの小牧勉(35歳)が肩を叩いてきた。帰りの電車が同じ方向ということで、軽く飲みに誘われる。小牧は一杯飲みながら話し始めた。
「上尾プロデューサーは最近、有頂天になってるんだ。本社に手腕を認められてから、変わってしまった。自分の思い通りにしようとするんだよ。ぶりっ子の件も、みんなため息を漏らしてる。実は、他の女子アナにもセクハラやパワハラまがいのことをしていてね…」
なつみが感じていた不快感は的中していた。翌日、本社に行くと、事務所内がやけに騒がしい。デスクには週刊誌が乱雑に置かれ、そのページを覗き込んだなつみは驚いた。
「有名プロデューサー、セクハラで逮捕」
被害は同僚の女子アナから始まっていたらしい。数日後、彼はテレビ局を解雇される。しかし、なつみのスケジュールは依然として空白のままだった。そんな中、番組企画部の部長に呼ばれる。
「今回の件は、本当に申し訳なかった。君の本社への異動は、上尾プロデューサーの策略だったんだ。君のキャラクターに惹かれたようだが、たまたまお天気キャスターに空きがあったことで、急きょ抜擢されたそうだ」部長は続けて提案した。
「君のキャラを活かせそうな企画がある。今度、ご当地アナによる名物アナウンサーの特集番組があるんだが、ぜひ出演してくれないか」
なつみはこの仕事を快諾した。事務所に戻ると、小牧ディレクターから食事に誘われる。スケジュールが埋まったことで元気を取り戻し、彼の誘いを受けることにした。その日は他の女子アナ3人も一緒で、5人で居酒屋に向かった。飲み会は次第に男女の話題へと発展した。
「リーン」
俊平の携帯が鳴った。見知らぬ番号だが、03から始まる固定電話。電話に出ると、それは意外な相手からだった。なつみが同僚の部屋から酔った勢いで好奇心に駆られ、かけてきたものだった。俊平は気軽に「こんばんは」と挨拶し、こう続けた。
「決して悪い男ではありません。ストーカーでもありません。犯罪者でもありません。精神鑑定が必要な人間でもありません」
俊平はハンカチの件について、ただのいたずら心で試してみただけだと謝罪した。なつみは、どうやら怪しい男ではなさそうだと感じた。そして、お仕事について尋ねると、俊平は少し恥ずかしそうに答えた。
「実は無職なんです。派遣切りにあって、どん底です」
この言葉に、なつみは思わず同情した。二人は今度の休日にランチに行く約束を交わした。
予感
渋谷駅で待ち合わせした。俊平は前回と同じ服装でやってきた。なつみはクールな白と黒のモノトーンで決めている。今日はファッションチェックは必要なさそうだ。俊平が「お昼はどこにしようか」と尋ねると、なつみは「トンカツ屋」と即答した。俊平が案内したのは、前回なつみがご馳走になった店である。
「仕事、決まったのか?」
「それがなかなか決まらなくてさ。当面の生活費はあるけど、早く就職しないといずれ貯金も底をつくよ」
「やりたいこと、なさそうね。あったら非正規労働者なんかやってないでしょ」
なつみは俊平に突っ込みを入れる。
「なんか特技は、ないの?」
俊平は苦笑いを浮かべる。
「好きなこと、なさそうね」
「資格は持ってるの?」
すると、俊平が「もし持ってたら非正規なんかやってないよ」と答えた。なつみは少し考え込みながら尋ねる。「部活動とか、やってた?」
その一方で、なつみはフジテレビの番組で名物アナウンサーとして出演することが決まっていた。ローカル局から全国区への進出が現実となり、「もしこれで全国区になったらどうしよう」と不安が頭をよぎる。ローカル局での安定した生活のほうが良かったのでは、あのときプロ野球選手からのプロポーズを断らなければ良かったのではないか、と後悔の念も浮かんできた。確かに、プロポーズされたのはすごいことだったけれど、彼とはたまに食事に行くだけの仲で、特別な付き合いがあったわけではない。それなのにいきなりプロポーズだなんて、なつみを甘く見ているのか。まるでロマンスのない、恋愛の醍醐味がない。多分、結婚生活も彼が引退したら価値がなくなるだろう。マスオさん的な旦那もいいが、なつみはまだ27歳だ。なつみと会ってから、あっという間に1週間が過ぎた。俊平はまだビジネスホテルで寝起きしている。ラジオのスイッチをひねると、アイドルグループ乃木坂46の「気づいたら片想い」が流れている。テレビのチャンネルを変えると、ドキュメンタリー番組に切り替わった。マカオのカジノに挑戦しに来た二人組が映っている。彼らは1週間の予定でギャンブルを楽しむらしい。持ってきた資金は、汗水流して稼いだ300万円。俊平も少しは使ったが、貯金300万円を持って上京してきた。しかし、驚いたのは、彼らが「お金を使い切ったら帰る」と話していたことだ。俺も同じように300万円を使い切ったら、次はホームレス生活が待っているかもしれない、とふと思った。チャンネルを変えると、今度はニートの若者が市議会議員の選挙に少ない資金で立候補した話が放送されていた。結果は敗北だった。俊平はまだ250万円あるが、頭の中に浮かんできたのは、工場で一緒に働いていた派遣社員の知り合いのことだ。彼は高卒で愛知県に就職し、10年間で200万円を貯めたが、田舎に帰ってパチンコですべて使い切ってしまったという。彼らに共通するのは、使い切った後には何も残らないが、後悔もしていないことだ。もし俺がこのお金を使い切ったら、鬱病にでもなりかねないかもしれないと、俊平はふと怖くなった。俊平がリモコンを操作していると、間違えて地上放送ボタンに触れてしまった。「名物女子アナ祭り」が放送されていて、そこに登場しているのは、1週間前に一緒に食事をしたなつみだった。彼女は俊平とは違う世界の人間だ。もう会うことはないだろう。翌日、ビジネスホテルを出た俊平は東京駅に向かい、大阪行きの新幹線に乗り込んだ。食い道楽の街、大阪。とにかく美味しいものを食べようと、当てもなく訪れた。時計を見ると15時を過ぎていて、お腹が空いてきた。駅前にあるたこ焼き屋に入ると、香ばしいソースの匂いが漂っている。出来立てのたこ焼きを頬張ると、今まで味わったことのない美味しさに感動した。俊平の心にはっきりと「これだ」という思いが湧き上がった。得体の知れない感動に包まれた俊平は、大阪駅に戻り、電車に乗って兵庫県明石へ向かった。釣りが趣味の俊平は、無性に釣りがしたくなったのだ。明石でのタコ釣り。いつか一度は挑戦してみたかった。
「名物女子アナ」と題した番組に登場したなつみ。全国のお茶の間に顔を出したものの、彼女の胸には何か虚しさがこみ上げてくる。一日限りのスター。同僚や番組関係者の間では、「ローカルからやってきたアナウンサー」「逮捕された上尾との密約があっての起用」などと噂されている。このままでは、バラエティの世界に飲み込まれ、やがて芸人の仲間入りか。27歳、もう清純派アナウンサーでは通用しない。どろどろとした沼に浸かっていくようなキャラだ。どんなに模索しても、芸人への階段を上がる道しか見えない。そんな折、NHKの人気アナウンサーが退職するというニュースが飛び込んできた。なつみはこのアナウンサー、牧野陽子(45歳)を尊敬していた。どこか自分と似た部分を感じていたからだ。なつみはしばらく休暇をとり、実家のある博多に帰省することにした。その日は土砂降りの雨が降っている。やがて梅雨のシーズンを迎える日本列島だ。明石駅に電車が止まる。終電である。駅を降りて5分ほど歩くと、「卵焼き」と書かれた大きな看板が見えた。卵焼きとは明石焼きのことだ。たこ焼きに似ているが、小麦粉がメインのたこ焼きとは違い、玉子をふんだんに使ってあり、もちもちふわふわしている。俊平はソースをたっぷりかけてから頬張った。ふと、熊本の実家の近くで人気の「マヨたこ焼き」を思い出す。マヨネーズベースで、柔らかくふわっとした食感が特徴だ。塩ダレが絶妙な旨味を引き立てている。外を見ると、さっきまで土砂降りだった雨が小降りになっていた。俊平の博多のアパートには、家財道具がそのまま残っている。東京で住居が見つかったら引っ越すつもりだ。俊平は博多に戻ることに決め、友人に電話を入れると、博多駅まで迎えに来てくれるとの返事が返ってきた。友人の名は岩崎努。高校時代からの親友である。俊平は明るい性格からか、友人には恵まれている。努と会うのは5年ぶり。現在何をしているのかは知らないが、当時はギター片手にバンドをやっていた。今も身分はフリーターだ。努はジーンズに、少し寒い気もするがTシャツ姿で現れ、手にはエレキギターを抱えていた。努は博多でフリーター歴約10年。仕事する以外はバンド活動をしている。中洲にあるライブハウスに顔を見せたのは夜の9時を回っていた。既に努の率いる演奏は終了していたがこれから打ち上げ会があると俊平も誘った。宴会のある居酒屋に到着すると店内は貸切である。ドアを開けると二十名はいるようだ。俊平は努の人脈に驚いた。それに努は生き生きとしている。フリーターの身でありながら生き生きしている彼に脱帽だ。努がやって来ると。
「今日は某プロ野球選手の小枝光一選手が来ています」努は高校時代に野球部に所属していた。どうやら後輩らしい。小枝選手は最近好調を維持している。3週間前から調子が上がっていた。
努の挨拶はまだ続いた。
「もうひとり有名な友人も招待しました」
すると後方の席からひとりの女性が立ち上がった。俊平の目からは二十代の可愛らしい女性だ。
「松田なつみです」皆んながざわめき出した。俊平も驚いた。
挑戦
小枝浩一。ソフトバンクホークスに入団して11年目の30歳である。福岡市にある公立の工業高校を3人は卒業していた。平成16年の夏の全国高校野球大会に出場してベスト8まで勝ち進み。投手だった小枝はプロ野球にスカウトされ入団した。この高校で3人は出会い高校の寮で3年間同じ釜の飯を食べた。小枝浩一は敷かれたレールに乗り夢と言う行き先の列車に乗り終点に辿り着いたが2人は現
在ではフリーターだ。宴会場にざわめきが広がる中、なつみが会場の前方へと向かう。彼女は軽く会釈し、照れくさそうに微笑んだ。その姿はどこか自然体で、テレビで見せる「名物アナウンサー」とは違う一面を感じさせた。俊平は思わず息を飲む。かつて渋谷で出会い、別れたあのなつみが、こんな偶然の再会を果たすことになるとは思ってもみなかった。一方で、努が小枝と話している姿も目に入り、3人が高校時代を共に過ごしたことが思い出された。彼らの間には、高校野球で切磋琢磨し合いながら夢を追いかけた日々がある。小枝はその夢を叶え、プロの野球選手として成功しているが、努と俊平は今も日々を模索し続けている。しかし、不思議なことにその立場の違いが、3人の間に壁を作ることはなかった。宴もたけなわになった頃、努がギターを手に取り、昔からの持ち歌を弾き始めた。それは高校時代、彼らが寮で夜な夜な歌った懐かしいメロディーだった。俊平と小枝も自然と歌声を重ねる。なつみはその様子を微笑ましく見守り、やがて一緒に拍手でリズムを刻んだ。彼女の笑顔には、テレビで見せる華やかさとは違う、どこか温かさと優しさが溢れていた。その夜、俊平はふと思った。自分にはまだ明確な夢や目標は見つかっていないが、こうして仲間と再会し、互いに支え合いながら歩んでいけることが、実は何よりも大切なことかもしれないと感じた。そしていつか、なつみや小枝に誇れる自分でありたいという思いが、俊平の中で新たに芽生えていた。俊平は、開かない扉を何度も叩いていた。その夜、アパートに生命保険の営業のおばさんがやってきた。「俊平ちゃん、紹介したい社長さんがいるの。今度、新しく会社を立ち上げて東京で活動を始めるんだけど、会ってみない?」
俊平は、少し戸惑いながらも頷いた。これまで何度も道が閉ざされ、心が折れかけていた俊平にとって、どこか新しい道を示されるのは心の救いだった。特に、東京での再出発には魅力を感じていた。翌日、営業のおばさんに指定された喫茶店で待っていると、背筋の伸びた50代の男性が現れた。スーツ姿が似合い、温かみのある表情をしたその男性は「社長」と呼ばれていた。彼の名は高橋義和。新しいエンターテインメント関連の会社を設立し、経験豊富な人材を求めているという話を俊平に丁寧に説明してくれた。
「私たちの会社は映像制作だけでなく、クリエイティブなアイディアを持った人材が求められています。俊平くんのこれまでの経験は貴重ですし、きっと役に立つはずです。」
高橋の真摯な言葉に、俊平は少しずつ自信を取り戻していくのを感じた。過去の失敗や辛い経験が頭をよぎったが、それでも自分を必要としてくれる場所があることに希望が湧いてきたのだった。
なつみは、手帳のスケジュールにいまだに空白が多いことが気になり、ふと思い立って俊平に電話をかけた。福岡での出会いを思い返し、もう少し親しく話してみたいという気持ちが湧いてきたのだ。
「もしもし、俊平?…福岡では挨拶だけで終わったからさ、飲み直さない?」
俊平は少し驚いた様子だったが、すぐに応じてくれた。「いいね、ぜひ飲もうよ。いつにしようか?」
なつみは一息つき、空白の多い手帳のページを眺めながら、どのあたりの日がいいか考えた。初めて会話が弾むかもしれない相手との飲み会。彼女の胸に、久しぶりの期待が小さく灯った。俊平は、飲みながら仕事の話を始めた。ふと、先日社長が話していたコマーシャルのモデルのことを思い出し、なつみをじっと見つめた。
「そうだ、なつみさんにぴったりかもしれない話があるんだ。今、うちの社長がコマーシャルに出てくれるモデルを探していてさ。なつみさん、興味ない?」
なつみは驚いた表情で俊平を見返した。「私が…モデル?そんなの考えたことなかったけど…」
俊平は笑って、彼女を励ました。「いや、絶対似合うと思うよ。雰囲気もいいし、きっと話が進むはずだよ。」
なつみは少し考え込んだが、俊平の熱意に押されるように、少しずつ前向きな気持ちになっていった。彼女にとって新しい挑戦の予感が漂い始め、空白の多かったスケジュールに、初めて小さな希望が埋まる瞬間だった。
スクープ
ソフトバンクホークスの小枝光一選手に野球賭博疑惑が浮上した。今朝のスポーツ新聞の一面は、この衝撃的なニュースで埋め尽くされている。ファンや関係者の間に激震が走る中、球団からはまだ公式な声明は出されていないが、内々では緊急会議が開かれているとの情報もある。もし疑惑が事実であれば、選手としてのキャリアはもちろん、球団にも大きな打撃となるだろう。このニュースを受け、球界全体が注目している。野球賭博はスポーツ界では絶対に許されない行為であり、小枝選手が関与していたとすれば、厳しい処分が待っているだろう。また、ファンの信頼を取り戻すためには、球団としても透明性のある対応が求められる。一方で、小枝選手本人からの説明はまだなく、疑惑の真相は不明なままだ。記者会見が行われるのか、もしくは今後の試合出場にどう影響するのか、さらに緊迫した状況が続きそうだ。翌日のニュースで、今度は三島努の名前が野球賭博に絡んでいるとの報道が流れた。振り返れば、三島はフリーターにしては異例ともいえる広い人脈を持ち、パーティーの席でも多くの人物と交流を重ねていた。このことが単なる交友関係の広さを示すだけなのか、それとも賭博行為と何らかの関連があるのかは不明だが、疑惑の目はますます三島に向けられている。球団関係者は「事実関係を確認中」としながらも、この状況が続く限り、チームの士気やファンの信頼が揺らぐ懸念を抱いている。三島が今回の疑惑に対してどのような反応を示すのか、そして他の関係者が新たに浮上するのか、事態の進展が注目されている。パーティー関係者として、俊平も事情聴取を受けることになった。さらに、なつみまでもが対象となった。二人はすぐに「関与なし」と判断され、疑いは晴れたものの、本人たちにとっては大きなショックだった。しかし、この一件でなつみの名前が世間に知れ渡ることとなった。メディアは連日報道を続け、二人の顔や名前が広く知られるようになり、プライバシーの侵害に苦しむ事態となっている。俊平やなつみには賭博に関する直接的な関与はなかったものの、疑惑に巻き込まれたことで今後の生活や仕事にどのような影響が及ぶか、懸念が残る。この事態は、俊平にとって疑いが晴れたことで、一般人としてはむしろ好都合な結果に発展した。そして、なつみにとっても意外なことに仕事が増えるきっかけとなったのだ。二人は騒動によって一時的に世間の注目を浴びたものの、俊平はその話題性を利用して交友関係をさらに広げ、なつみは露出の増加がキャリアアップにつながった。疑惑による困惑から一転して、彼らの生活は新たな方向に向かい始めていた。
スクープから半年が経った。なつみは今やバラエティー番組の司会を務めている。所属事務所は俊平の会社だ。あの一件がきっかけで、小牧のスクープは思わぬ形で二人のキャリアに影響を与えることになったのだ。俊平もまた、会社を通じてなつみの活躍を支え、二人は以前とは違う形で強い信頼関係を築いている。
さらにスクープが飛び込んできた。俊平がなつみにプロポーズしたのだ。業界の関係者やファンの間で驚きと祝福の声が広がる中、二人は穏やかにその事実を受け止めていた。最初は賭博疑惑によって巻き込まれ、否応なく世間の注目を浴びた二人だったが、その騒動が逆に二人の絆を強め、現在の成功を手にするきっかけとなった。俊平は、なつみがパートナーとしてだけでなく、仕事でも支え合う存在であることを改めて実感し、このタイミングでのプロポーズを決意したという。プロポーズの言葉はシンプルで、静かな夜のスタジオで彼がそっと口にした。「一緒に、これからも支え合って生きていきたい」。なつみは少し驚いた表情を見せた後、笑顔で頷き、二人は固く手を取り合った。所属事務所や番組スタッフにも祝福される中、二人は今後についても一層の意欲を持って仕事に取り組むと語った。「公私ともにパートナーとして、皆さんに恩返しをしていきたい」と俊平は語り、なつみもまた、「これからも笑顔と感謝を大切に、皆さんに元気を届けたい」と力強く宣言した。かつての騒動が思わぬ形で二人を結びつけ、今や芸能界の注目カップルとなった俊平となつみ。多くの祝福の声に包まれながら、彼らの新たな未来が始まろうとしている。
エピローグ
俊平となつみの婚約発表から数か月後、二人の姿は多くのメディアに取り上げられ、彼らの人気はさらに高まっていた。特に、なつみが司会を務めるバラエティー番組は視聴率が上昇し、俊平の会社も勢いを増していた。かつての騒動で一時的に落ち込んだ彼らの人生は、思わぬ形で新たな方向に展開していた。ある晴れた日、二人は所属事務所の仲間たちとともにプライベートパーティーを開いていた。そこには、かつて事情聴取で関係者として名前が挙がった友人たちも集まり、和やかなムードが広がっていた。俊平がそっとなつみにワイングラスを手渡し、「俺たちも、ここまで来れたんだな」としみじみと語りかけた。
「そうだね。本当にいろいろあったけど、全部意味があった気がする」となつみは笑顔で返した。パーティーの途中で、ひとりの友人が突然ステージに立ち、マイクを手に取り、俊平となつみのためにサプライズのスピーチを始めた。彼は二人が最初にメディアの嵐に巻き込まれた日々を振り返り、「今やこんなに幸せなカップルになったことに、みんな心から喜んでいるよ」と感慨深げに語った。会場全体が拍手と笑い声で包まれ、俊平となつみも思わず涙を浮かべた。その後、二人は静かに外に出て、夜風の中で肩を寄せ合った。東京の街の夜景を眺めながら、俊平がぽつりと「俺たち、あの騒動がなければこうして一緒になれなかったかもな」と言うと、なつみは小さく頷いた。
「そうかもしれない。でも、あの時どんなに辛くても俊平がいてくれたから、私は乗り越えられたんだよ」と、なつみは優しく微笑みながら彼を見つめた。彼女のその瞳には、全ての出来事を乗り越えてきた強さと、これからも共に歩んでいく覚悟が宿っていた。
それから、二人はメディアの前で一切を包み隠さず語ることを決め、賭博疑惑によって経験した苦難、そしてその中で見つけた自分たちの絆の強さについて話した。彼らの誠実な姿勢は多くのファンに受け入れられ、次第に二人を応援する声はさらに大きくなっていった。やがて、俊平の会社は新たなプロジェクトとして、なつみをメインに据えたテレビ番組の企画を発表。二人が共に築き上げた信頼と協力を象徴するような内容で、笑顔と感動を届けるエンターテイメント番組として話題を集めた。この番組は放送開始とともに大きな人気を博し、二人は今や芸能界でも一目置かれる存在となった。時間が経つにつれ、かつての騒動や疑惑は忘れ去られていった。しかし、俊平となつみは決してそれを忘れることはなかった。あの経験があったからこそ、彼らは強くなり、今の幸せを大切にできていると感じていた。彼らの中には、「これからも試練があっても、二人で乗り越えていこう」という信念が根付いていた。エピローグの最後に、なつみが静かに呟いた。「俊平、私たちの物語はここで終わりじゃないよね。これからも一緒に、新しいページを紡いでいこう」俊平は微笑んで頷き、なつみの手を握り返した。夜空に輝く星々が、二人のこれからの未来を祝福しているかのように瞬いていた。
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女子アナを攻略した男