註釈の多い呪いの書

註釈の多い呪いの書

2,000文字程度の掌編、近未来SFです。

 地下倉庫へ降りる階段の前。灼熱の大地に、ザドー氏はピコと並んで立っていた。二人は、頭上の影製造機が作り出すカプセル・シェードに守られている。そのため外気の影響は受けず、快適に生きていられるし、汗もかかず目も細めていない。
「何が入っているのでしたか」
 ザドー氏が訊いた。ピコは答える。
「ああ、そうでした。あなたはポケット砂漠倉庫業の創始者だ。気候変動で世界中に出来た不毛地に、地下倉庫を作って貸し出す。考えたもの勝ちですねえ。まあ、この倉庫は、別の事業団体所有みたいですけど。原理は同じですから、保管環境の優秀さはよくご存知で」
 ザドー氏は顔も向けず「不快」の気配だけ発した。
「ですよねえ。真似して儲けられるのは、面白くなくて当然でした」
 ザドー氏はお喋りを遮る。
「『何が入っているのか』と尋ねましたが。時間が限られているのでね。この後、先端技術推進省の大臣と会食し、夜には首相とのパーティへ回る」
「おおこりゃ、地球半周だ、お忙しい中わざわざ」
 まだ余計なことを言いそうだったピコは、次の息で
「呪いの書です」
 と伝えた。
「何ですそれは?」
 ザドー氏はチラッとピコを見た。ピコもザドー氏を横目で見ていた。一瞬、目が合った。
「さあー、読んだものがバタバタ死ぬってことで」
「ツタンカーメンの呪いとか、そういうものですか」
「ありゃ大昔のメディアのでっち上げでしょう? まあでっち上げも、値打ちにできればいいんですが。曰く付きのお宝っていうのは、コレクターにはたまらないんで」
「私はコレクターじゃないが」
「もちろん存じ上げております。ただ、あなたとお付き合いのある方々の中に、曰く付きには目がないって方がいたりするようなことも、ないこともないんじゃないかという話でして。もしそういうことがあったりするような場合、こういうのがそれこそ『効く』っていうんでしょうか、まあ、ありふれたプレゼントより印象に残るんでね」
「それは、あなたの雇主があなたに伝えた情報ですか」
 ザドー氏は再び、ピコを横目で窺った。
「いやあ。私はただの案内役で。あなただろうがどなただろうが、来られた方には同じご説明をしていますよ」
 信じる気にはならなかったザドー氏だが、
「どういった類の書物ですか」
 次の質問に移る。ピコは首を傾げた。
「さあ、読んだものがバタバタ死ぬっていうんで、私も読んではいないですよ」
 それでは分からないではないか、と氏が責める前に、
「註釈が多いんだそうで」
 と続けた。
「註釈? 多いと何か?」
「いや多いってもんじゃないぐらい、とんでもなく多いそうで。倉庫いっぱい、書が入ってるんですがね」
「何が問題です」
「やあ、どうなんでしょうねえ。人間の頭や心に入りきる以上の知識や情報が、余分なことまで全部書いてある、みたいな話で」
 ザドー氏の頭へ何故か、熟れ過ぎた西瓜の、ひとりでに爆ぜる様が思い浮かんだ。
「そうそう。水風船に水を入れ過ぎて、ちょっと突いたら弾け飛んだりねえ。冬に野外の水道管が破裂したりねえ」
「よしてください。水風船だの水道管だの。時代遅れのアーカイブだ」
「いやあまあ、過去の例えは『済んだこと』で済みますが。ここ以外のどこかでは、影製造機の恩恵に預かれないケースがあったり、大洪水が起こってたりするわけで。そうなると弾け飛ぶ何かのことを今風に例えるには、倫理的その他の問題がねえ」
 ザドー氏は黙殺した。
「本文には何が?」
「本文も、註釈みたいなもんだそうで。そこへさらに脚註とか後註とか割註とか傍註とか、これでもかと入っていると」
「主題は?」
「註釈についてではないです」
 ザドー氏がムッとしかかる前に、言葉は継がれていた。
「人間をテーマにした芸術で、形式としては小説だそうで」
「ああ、アートね」
 ザドー氏はようやく、納得のいく答えを聞いたと思った。
「ええ、人に作用して変えてしまうんだとか。小説はその呪いも強烈らしく。あ、ご覧になりますか。いや、通路を歩いてみる、ということですが」
「いえ結構。手続きに入ってください」
 芸術。なら、そのように売ればいい。ザドー氏は芸術の扱いを知っていた。
「曰く付きか。確かに、使い途もありそうだ」
 所持することに偏執的な、有力者の顔もいくつか浮かぶ。
「ご成約で。ありがとうございます」
 ピコはお辞儀し、書物を一部、取り出した。
「こちらは複製品のサンプルです。全く何も確認していただかないわけにはいきませんので。一部分だけの写しですし、ご自身でお読みにもならないと思いますから、危険はなかろうと。お渡ししておきます」
「ああ、では参考に」
 ザドー氏は受け取った。表紙をめくる。最初の註釈が目に入った。真の芸術とは、美学的躊躇いを引き起こすものである……。
 ピコは、次はどうなるだろうなと思いながら、炎熱の彼方へ顔を向け、隣の気配を探った。

(おわり)

註釈の多い呪いの書

註釈の多い呪いの書

近未来の砂漠にて。地下にある品物はアートの一形態だが、危険な曰くのある品らしい……。

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-10-02

Copyrighted
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