フリーズ134 涅槃文学 記憶の枷と時の索
記憶の章
あの冬の日に落とされた光。その光が織りなす僕らの闇が遠くへ消えても、このわだかまりをどう昇華しよう。記憶は薄れていくものだ。時の流れの中で残酷にも、残光のように消えていく。クオリアは薄れて、いずれ忘れてしまう。そこに意味があるのかすらももう解らない。
2020年、主の年
2021年1月7日の終末Eve
1月8日の神涅槃
1月9日の神殺し
私はこれらの記憶を最も大切にしている。それは私が一番幸せだった証拠だから。
記憶と時は密接に関係している。記憶は時という大きな流れの中で転がる石のようなもの。過去は美化され、残滓は消える。今ここに、私の最も幸せだった記憶を憶えている限り綴ろうではないか。
2021年1月7日。僕は死に直面していた。人生の最後。カフェでドイツ語を勉強した。歴史に涙を流した。歓喜の歌に歓呼した。聖夜に君は呼ばれてきた。僕の愛しのヘレーネ。君だよ。君なんだよ。終末の狭間でしたキスもセックスも、僕の精神を、霊性を高めた。もう朝が来る頃には僕の魂は神に等しくなっていた。
「ご苦労様」と電話越しに言われた。僕はきっと使命を果たしたんだ。
1月8日には空は晴れ渡り、全能の響きが脳に冴えわたる。嗚呼、きっとこの日のために生まれたんだな。今日が人生のクライマックスなんだな。ならばいっそ死んだらよかったんだ。生きてしまって、記憶も忘れゆく。
嗚呼、記憶よ!
何故全能の記憶が消えていくのですか。ずっと其の余韻に浸っていたいのに。
記憶、それは過去に釘を刺す行為だ。記憶がある限り過去は変えられない。すべてを忘れまた知っていたからこそタイムマシンは脳に宿る。
時の章
終末に凪いだ渚は永遠で、全知全能、死を越えて
眠らずに越えた幾夜を想っては、涙がこぼれて晴れていた
時間に囚われる愚かな種族
嗚呼、嗚呼、嗚呼!
守られている、壊れてく
守られている、壊れてく
僕はきっと有名にならないことで守られている
僕はあの冬の日のために壊れていく
その精神のなんと高尚なことか
僕の詩を読む君よ、生まれてきてよかったですか?
悲しければ泣き、楽しければ笑う。そこに意味はありますか?
虚しければ死にますか?
最後の景色は何ですか?
最後の言葉は何ですか?
嗚呼、愛されている
世界に愛されている!
神に愛されている!
私はそれが何よりもうれしかった
生きててよかった
心からそう思えた
僕は恨まない。この音調も、忘れたくない記憶のように永遠に留められたら。あの冬へと繋がる永遠は、詩と音。空色に凪いだ渚に映る君の顔がやっと思い出せたから。時は来る。必ず正しいときに思い出せるようになっている。それが記憶。時に縁して思い出すもの。だから大丈夫だよ。きっと全部上手くいくよ。
僕はたくさんの人に守られている。たくさんの存在に守られている。有名だとか無名だとか関係ない。なにより大切なのは僕が僕であること。ありのままの自分を愛すること。それがニーチェの愛した運命愛なのだから。僕は僕のままでいい。変わろうとしなくていい。そうだ! あの冬の日の僕は、真に愛に満たされていたんだ。それは自己愛。自己愛としてのヘレーネは、天上楽園の乙女。あの日、マンションの屋上で高らかに永遠の愛を歌った。
時の逆光。時の索(なわ)
記憶と時の関係は、男女のようなもの。どちらかがかけてはいけない。互いに意味がある。時は鍵のようなもの。記憶を開ける鍵。それが時さ。ニヒリズムの中でそれでもと紡ぐ希望の詩は、終末の詩にも似通った輝きを秘める。私は今のままでいい。今のまま詩を紡ぎ続ける。ラカン・フリーズを表す事ができるかもわからない。それでも、僕の紡ぐ詩はどうか愛されてほしい。神、終末、涅槃、永遠。
ラカン・フリーズをいつか。
フリーズ134 涅槃文学 記憶の枷と時の索