図書室の黄昏
主な登場人物
雨宮 凛人(あまみや りんと) 東光高等学校の二年生で男性。友達がうまく作れずに悩んでいる。
堀田 さくら(ほった さくら) 凛人と同じく、東光高校の二年生で女性。文学少女で頭が良い。
一日目
「はぁ……」
青年――雨宮 凛人は、それほど不細工でもない顔をしかめて大きくため息をついた。
夏休み明けの新学期。クラスの面々も大きく変わり、友達や、知り合いを作る、絶好の日が、今日の初日だったが?
「……誰とも、話せなかった……」
それもそのはず。彼は友達を作るのに奥手で、誰かしらにも初めは警戒してしまう。別にコミュニケーションは取れないというわけでもなく、生きてきたこの十六――今年で十七か――コミュニケーション障害と診断されたわけでもなく。ただ、奥手なだけなのだ。
しかし、それが世間では、いわゆる陰キャと呼ばれる。前学期もそうだった。彼はいつも一人だった。
だが、そんな彼を唯一癒してくれる場所があった。この東光高校は、ど田舎中のど田舎にあるため、繁華街にある遊楽施設などではない。
それは、夕方の、学校の図書室だった。
今日も彼は、誰もいないだろう図書室の引き戸を開ける。ガラガラ、っと、少しだけ体育館のほうの陸上部の校内練習の音が響く中で、引き戸がゆっくりと開けられる音が辺りにこだました。
「はぁ~あ……明日からどうすりゃいいんだろ、俺……」
誰もいないからいつもこのタイミングで独り言を言うのが彼のルーティンだ。
しかし、今日は、何かが違った。
彼がいる反対側の窓際に、人の気配がする。
いつも誰もいないのに、と思いつつ、ちらりとそちらを見てみると、西日の逆光で黒いシルエットしか見えなかったが、誰かが一人、そこの机に座っていた。
(誰だ……こんな時間に……。俺みたいな物好きかなんかか?)
だが、今日の時点ではそれ以上の興味は湧かず。相手も気づいていないようなので、凛人はいつもの図鑑エリアから本を取り、その人物からは距離を取った場所に座った。気づかれて話しかけられでもしたら面倒だ。そんなんだから友達できないんだよ、あんたは、と母にでも言われそうだったが。
(さて……今日も読書タイムだ。どこから読むかな……)
彼の手元にある分厚い図鑑には『中世ヨーロッパ大全』と書かれてある。最高にニッチな部類の本だ。おおよそそこいらの陽キャは手に取らないような本。彼は中世ヨーロッパに興味があった。
そのままじっくりと読んでいると、辺りはすぐさま真っ暗になった。ちらりと見るが、先ほどのシルエットの人物も、もう帰ったらしい。俺もそろそろ帰るかぁ……電車も一時間に一本だしな、と思い、彼は『中世ヨーロッパ大全』を元の棚に戻した。
二日目
「今日も収穫……なし……か」
凛人はまだ一人だった。クラスではもう女子の派閥が出来てきているらしい。だが、凛人は友達がいないため、それ以上のことは分からなかった。男子は二、三人の塊が何個かあって、スマホを見せあったり、ゲームの話しをしたりしていた。そんな彼らが、凛人は少しだけ羨ましかった。
「でもま、孤独ってことも時にはいいもんよ、何事にも縛られず自由だしな。あのグルメドラマみたいに」
先週、昼飯時に再放送されていた孤独の美食家のおじさんを思い出す。彼はいつも一人だが、堂々としている。そうだ、まず見た目を清潔にして、堂々としてりゃ、孤独の高校生にも居場所はある。彼は孤独だったが、そこは弁えていた。
今日も図書室の引き戸をガラガラと開ける。
「さあて、今日は剣術を読むぞ。剣術なんてゲームでしかみたことないなあ」
例のごとく、図書室に入った瞬間独り言を述べて、彼なりの中世ヨーロッパ剣術を身体で体現していると、まただ、また、窓際に人の気配がする。
腕を組んで、少しだけ早めにちらりとそちらを見ると、黒い人がたのシルエットも、こちらを見ていた。それが分かってすぐに目線を逸らそうとしたが、好奇心には勝てなかった。
ふんわりとした、柔らかなシルエット。それを見て一目であの人物が女性だと分かった。逆光があるが、目を凝らして見ると、彼女は東光高校の制服を着て、眼鏡を掛けていた。
可愛らしい……女性だった。もろ凛人のタイプだった。こう……守ってあげたくなるような。顔の頬の、にきびだかそばかすだか分からないが、それがまた、彼女の可愛らしさに拍車を掛けている。だが、だからといって不潔というわけではなく、制服は、綺麗好きの凛人でさえ、丁寧なアイロンが掛けられているなあ、と思うほどぴしっとしており、髪も肩までのセミロングの黒髪だったが、さらさらと、夏の夕凪にたなびいていて、非常に美しい光沢を放っていた。ああいう髪が天使の輪っか――名前を忘れたが――を作るんだろうなあと彼は一目で思った。なおかつ、彼女からは、何か、甘い、良い匂いがした。何か金木犀の香水のような……。
しばらくじっと彼女を見つめていると、彼女は恥ずかしげにぱっと手元の本に目を戻した。凛人も同じだった。
(めっちゃかわええやん……あんな方とお友達に、なれたらなあ)
だが、それも叶わぬ夢か。友達作りに奥手中の奥手の彼にとっては、諦めざるを得ない夢だった。
そして今日も、『中世ヨーロッパ大全』を手に取り、じっくりと読む。暗くなって、彼女がいた席を見るが、彼女は昨日と同じように、凛人よりも先に帰ったようだ。
三日目
今日の凛人は少しだけ、緊張していた。独り言も言わなかった。
(あの子、今日もいるのかな……)
もうクラスで孤独なことなんて気にもしていなかった。彼は彼女に夢中だった。いわゆる、一目惚れというやつだ。
自分の、図書室に向かう足音が、今日だけ異様に大きく聞こえる。心の鼓動はピークを迎えていた。
凛人は、なるべく冷静を保ちつつ、図書室の扉を、怖いくらいゆっくりと開けた。図書室に入ると、またまた怖いくらいゆっくりと、彼女の席を見た。
――そこには……やはり、彼女はいた。今日は凛人に気づいていないようだ。
目に星が浮かんだような気がした。
(……どうしよう……)
話しかけてみようか……しかし、同学年ですら分からないからなあ。もし上級生だったら、タメ口だったら失礼にあたってしまう。まあ、端からタメ口で話しかけるつもりもなかったが。
ほんとどうしようか中空を見上げ逡巡していると、
「……きゃっ……!」
と、何かの鳴き声のような、弱々しい音が聞こえた。
それが初め、凛人は何の音か分からなかったが、それが彼女の出したか弱い悲鳴だと分かると、びくっとして彼女を見た。
同時に彼女もこちらを見つめていた。
「……あっ、えっと、驚かせちゃってすみません。わたくし、二年の雨宮 凛人という者でして……」
先に口を開いたのは、凛人のほうだった。
「……あっ! いえ……驚いたわけでは……ない……ので、謝らなくていいですよ……」
彼女は顔を真っ赤にして、そう言葉を縫い繋いだ。
「私も、二年の、堀田 さくら……という者です」
彼女――さくらさんは、丁寧に、席から立ち上がって、凛人に向かって深々とお辞儀をした。
図書室の黄昏