騎士物語 第十二話 ~趣味人~ 第八章 ありきたりの頂点
『右腕』との決着です。
第八章 ありきたりの頂点
「自分で言っておいてなんだが、力を溜めるとは具体的に何を溜めているのだ?」
リグのアイデアから戦闘スタイルを変更して更なる強さを手に入れたフィリウスに、ある日リグがそんな事を聞いた。
「その大剣にエネルギーを溜めているとは聞いたが、それはつまり魔力の事か? 一撃で相手を倒せる程の爆風を生み出すのに必要な魔力をその剣に?」
「そんな小難しい事じゃないぞ! エネルギーっつったらエネルギーだ!」
フィリウスが溜めているエネルギーというのは後に『バスター・ゼロ』と呼ばれる風から抽出した純粋なエネルギーだったのだが、この時点ではフィリウス自身も自分が何をしているのかハッキリとは理解できておらず、ただただ必殺の一撃というイメージのみでそれを行っていた。
「適当な事を……だがまぁ中身が何であれ一撃で終わらせるというのは戦闘における一つの理想だぞ。我輩も試してみるとするぞ。」
これがリグ・アルムという男が『右腕』という二つ名を得るキッカケ。フィリウスのように「何か」を溜めてそれを放ち、あらゆる敵を一撃で倒すというコンセプトで誕生した魔法――自身を構成するありとあらゆる数値的情報を基にエネルギーを生み出すという、本人曰く第一系統の強化と第十一系統の数の魔法の組み合わせらしい独自の術式がリグをS級犯罪者にまで押し上げた。
騎士たちとも何度か交戦している為、この通称「右腕の魔法」の性質は騎士側に把握されているわけだが、参照する情報が同じでも時と場合とでエネルギー量が変化する事はかつての友や一部の勘のいい騎士を除いてあまり知られていない。
参照する情報の数値が大きいほど得られるエネルギーが大きくなる事を前提とし、その変換効率はその事象がリグにとって悪い事であるほど、そして最近の出来事であるほど大きくなる。リグが未熟だったあの時、目の前で恋人が殺された瞬間の出力が格上の殺し屋を瞬殺したのはこの性質ゆえの事である。
ただしこれは逆方向にも作用するルールであり、良い事だったり過去の事だったりすると変換効率は下がってしまう為、あの時の出力を再現しようと思ったら「恋人を『一人』失った」という情報だけでは出来なくなっている。
変換効率が変動するとは言え対象とできる事象が多岐にわたる為、一年前、一か月前、一週間前、極端な事を言えば昨日よりも、リグの「右腕の魔法」は出力を上げていく。特に、リグ自身は『パペッティア』や『シュナイデン』のように他者の命を奪う事を何とも思っていないタイプではなく、可能であればやりたくはないがその嫌悪よりも愛する者を蘇生させる――「完全に」蘇生させるという決意の方が強い故に仕方のない犠牲として挑んでくる騎士や絡んでくる他の悪党に容赦をしないだけであり、S級犯罪者ではあるがリグにとって「悪行」は未だに文字通りに「悪い事」である。
故に、S級犯罪者として――悪党としてのキャリアを積むほど、そして一応仲間のような括りであった『パペッティア』たちがそれぞれの趣味の為に殺戮をするほど、「右腕の魔法」は威力を上げてきた。
最愛の女性であるアンを蘇らせる事の出来る代物に遭遇し、それを使う為に条件を満たせそうなS級犯罪者を勧誘する為に動いていた時期。相手が相手だけにどうしても騎士の目につきやすくなってしまった事で戦闘の機会が増えたあの頃。騎士を倒すほど、勧誘が成功するほど、アンの蘇生が完全なモノに近づくのに比例して戦闘力を増していったリグはフィリウスとの一戦まで騎士側でその強さを止められた者はいなかった。
リグの「右腕の魔法」が強力な魔法である事は確かだが、弱点もある。自身を構成するあらゆる数値的情報をエネルギーに変換するという常識外れの魔法ゆえの欠点と言うべきか、この魔法を発動させて放ち終わるまで、リグはどんな攻撃――例え石ころをぶつけられただけでも致命傷になってしまう。
圧倒的な威力に拮抗する技を持たないのであれば、『右腕』リグ・アルムに勝つ方法というのは「右腕の魔法」を撃たせる前に倒す事であり、それはリグ単体であれば弱点もある為そう難しい事ではない。しかし「拮抗する技」を持つフィリウスが臨むまで誰もそれを成せなかったのはリグが蘇生させたアンの魔法の影響である。
この世界の魔法は十二の系統に分類されるわけだがこれらは別名「縦系統」と呼ばれており、それを横断する別の系統――「横系統」と呼ばれる魔法が存在する。魔法学で正式に決まっているわけではないのだが、代表的なモノで言えば感情系と呼ばれる魔法の解説にこの考え方がよく使われる。十二系統の全てにその魔法の要素が含まれており、得意な系統で種類の差はあるものの誰でも使える十二系統で分類できない魔法、それが「横系統」である。
アン・リーフという魔法の天才が使った横系統の魔法は感情系魔法の一段階上、本人命名「欲望の魔法」――文字通り、この魔法は対象の欲望に干渉する。欲望と言ってしまうとイメージが偏るが、要するに「何かをしたい」という思考に影響を及ぼす。
戦闘という場面を例にするとして、その時騎士の頭の中には感情とは別のもっと根っこの部分に様々な欲が存在している。一番表に来るのは「勝ちたい」であろうし、場合によっては「殺したい」であり「殺したはくない」という事もあるだろう。誰だって「ケガはしたくない」だろうし大前提には「死にたくない」が来て、状況によっては一般人や仲間を「守りたい」が入る事も騎士には多い。
場面を細かく区切れば「自分の攻撃を当てたい」、「相手の攻撃を防ぎたい、かわしたい」という欲が言葉にする間もない刹那に無数に飛び交う事だろう。戦闘中の次の瞬間の自身の行動とはこれらの欲を現実とする為の動きであり、ここに干渉されるという事は特定の動きを封じられるという事を意味する。
剣を振り上げて今まさに攻撃しようとした瞬間に腕から力が抜け、相手の攻撃を避けようとした瞬間に脚が止まる。頭――理性では「そんなことをしてはいけない」とわかっているのに身体が言う事を聞かない。かつて一人の殺し屋が表現した、起きていたい、起きていなければならないとわかっているのにどうしようもできない睡魔のように、自分の意思とは無関係に身体がそうしてしまう――アン・リーフの「欲望の魔法」は三人の欲王の力にも似た代物なのだ。
このような魔法があると知ったならば誰しもが想像するだろう、「生きたい」という欲に干渉して本人の意思とは関係なくその場で自害させるような必殺の技。幸か不幸か、アン・リーフにはそれが可能だ。
ただし、「生きたい」という欲望はその為に行われるありとあらゆる生命活動――「呼吸したい」、「食べたい」、「眠りたい」など生きる上で必要な無数の欲と結びついている為、それに干渉するには長い呪文の詠唱や複雑な魔法陣の用意など、相応の準備が必要となる。
故に、戦闘中の刹那に発生する「攻撃を当てたい」などの、自身の生命そのものとの繋がりが希薄な一瞬の欲であれば即座に干渉可能だが、生きている限り常に存在しているような全ての根本となる欲に戦闘中に干渉する事は実質不可能である。
逆に言えば準備する時間さえあればそれが可能という事であり、騎士として活躍していた頃は敵に気づかれない場所に隠れた状態で本拠地に潜む敵全員に自害を促す事もできたし、リグが「右腕の魔法」で捻じ曲げた空間の穴を通し、安全な遠方から即死の魔法を放つという事もできた。
当然の事ながら、生き物として根本的な欲であるとは言えその強さは人によって差があり、この必殺の一撃が効く相手と効かない相手というのは出てきてしまっていたが、それでも強力無比な魔法には変わりが――
「ちょちょちょ、ちょっと待った! そ、即死!? そんなのの使い手が次の敵なのか!?」
フェルブランド王国王城内の国王軍施設にある病室。数人がベッドに収まっているところを別の数人が囲んで立っているという賑やかなお見舞い風景に見えなくもないが、いかんせん集まっている面々が独特過ぎていた。
「だっはっは! 心配するな、ほぼ雑魚一掃用の魔法だからな! 効く奴効かない奴の差ってのは意思の強弱でな! 修行なり何なりして強くなる意思のある奴は比例して生きる意志も強く、集団に所属して満足の下っ端は弱いってわけだ!」
ベッドに座る面々と立っている面々全員の視線を集めて『右腕』とその妻について説明していたのは筋骨隆々とした体躯が部屋のスペースを取っている、十二騎士の一角、《オウガスト》ことフィリウス。
「雑魚用って言ったって即死は強力よねん。そういう連中は数が強みなわけだし、強い相手に集中できるのは良い事よん。まぁ、お姉さん個人としては問答無用で皆殺しって思い切りが良すぎる気がするけどねん。」
国王軍施設という場所を考えると最も場違いな格好――大きく開いた胸元と際どいところまで入ったスリットが目立つドレスを着ているのはそんな身なりでも上級騎士、セラームの一人である『鮮血』ことサルビア・スプレンデス。
「国王軍では良い顔をされないだろうな。事後処理にかけられる人員が不足しがちな個人の騎士団や傭兵だからこそ出てくる選択肢であろう。フィリウスの口調からして私たちの中で即死する者はいないのだろうが、問題はそれ以外の欲への干渉だな。」
サルビアとは違い、国王軍施設には合うが病室という場には合わない物々しい格好――全体的に尖った部分の無い丸い鎧をまとい、顔の見えない兜の奥からくぐもった声を出すのはフィリウスと同程度にスペースを取っている、サルビアと同じくセラームのグラジオ・ダークグリーン。
「だ、だろうで片づけていいのか……? いやでもあれか、一応『ムーンナイツ』って強いイメージがあるはずだし、僕らには効果無さそうって最初から諦めてくれれば――いやいやそっちがオッケーでも他がアウトだろ! 攻撃も防御もさせないなんて反則だ!」
フィリウスの説明を途中で止めるほどにビビり、両腕に鳥の翼のようなモノをつけて鳥の頭を模しているような帽子をかぶり、飛行機乗りが使うようなゴーグルを首からかけて飛行機乗りが羽織るようなジャケットをまとっているのは一応セラームのドラゴン・フラバール。
「複数人に同時に作用するという事は「欲望の魔法」は範囲系の魔法なのでしょうか……目に見える形で飛んでくるのであれば回避もできるでしょうが、術者を中心に一定範囲内――というタイプだと対応が難しそうですね……」
グラジオのような全身甲冑ではない、要所を覆うタイプの鎧でちゃんと顔が見えているという点で言うと一番バランスよく場所に合った格好をしているかもしれない、長いピンク色の髪が特徴的な中級騎士――スローンのオリアナ・エーデルワイス。
「大丈夫よ! 魔法である以上はマナが必要で魔力が流れるんだから、流れを把握すれば怖くないわ! 全員風使いだしコツをつかめばすぐできるようになると思うけど魔法が影響する欲の範囲が心配ね! 特定の欲にしか効かないのか似たようなモノ全部に干渉されるのかで厄介さがかなり違うわよ!」
後ろで束ねたドレッドヘアにシャープなサングラスで陸上競技の選手のような格好をしている褐色の人物は、国王軍からすると完全な部外者――騎士ですらないトレジャーハンターであるベローズ・ソリダスター。
「欲ねぇ……意思の強さで効く効かないが決まるなら結局全部気合で何とかなったりしねぇのか?」
そう言いながらベッドの上で誰かが持って来たお見舞いのフルーツをかじっているのは、ケガなどは無さそうだが妙にぐったりとしている、あまり清潔感があるとは言えないボサボサの髪に適当に伸びた髭が野暮ったい印象を与えるこれまた騎士ではないただの傭兵でありもっと言えば賞金稼ぎである『凶風』ことエリン・コーラル。
「意思の強さで対抗だなんて、皆を奮い立たせるべきレディ・ストームも参戦しなくてはね!」
エリンの横のベッドで骨折した時のように左腕を吊るされているのだがギプスはなく、代わりに微かに光を帯びた不思議な模様が肌に描かれている状態で出来る限りの決めポーズを取りながらそう言ったのは、普段は派手なコスチュームとマスクをしているせいでこの場のほとんどの者が初め誰だかわからなかった、騎士でなければ傭兵でも何でもない趣味で人助けをしているヒーローのコスプレお姉さん、ラァバ・ブルナイト。
「……馬鹿を言え……切断された左腕をどうにかこうにかくっつけて再生中の奴が動くな……そっちの疲労困憊の狼男とは違うんだぞ……」
言われて悔しそうな顔をするラァバをベッドの横に置いてある椅子の上からしかめっ面で睨むのはおかっぱ頭にマンガの中にしか登場しないだろう大きな丸メガネを引っかけている背の低い男で、この中ではダントツに、下手をすれば一般人よりも身体能力が低いだろうただの魔法学者、カルサイト・コレオプシス。
S級犯罪者たちとの連戦――『好色狂』との戦闘で受けたダメージを《ディセンバ》の時間の魔法で治した事による副作用が収まり、万全の態勢となったサルビア、グラジオ、ドラゴン、オリアナ、ベローズの面々に対し、『無刃』との戦闘で魔眼『ヴィルカシス』による狼男への変身や魔法の使用で体力を使い果たしたエリンと、『シュナイデン』によって切断された左腕を治療中のラァバはすぐには動けない。故に先の面々に戦闘はほぼあてにならないが特異な魔法への対処という形では期待できるカルサイトにフィリウスを加えた七名が最後の相手である『右腕』とその伴侶に挑めるメンバーとなる。
ちなみに――
「運よく状況が整わない限り参戦もできず、油断のならない相手を目前にという状況なのだがこの光景には胸が高鳴る。」
病室の端、壁に寄り掛かってフィリウスたちを眺めているのはフィリウス同様十二騎士の一角、《ディセンバ》ことセルヴィア・キャストライト。田舎者の青年が言うところの目のやり場に困る甲冑姿ではなくどこかの町娘のような格好でふふふと笑うセルヴィアにフィリウスが首を傾げると、オリアナが少し嬉しそうに説明する。
「『ムーンナイツ』と言えば騎士の憧れで、基本的に十二騎士が交代となるとそのメンバーもリセットされる事が多いですから、十二騎士であり続けている期間の長いフィリウス殿――《オウガスト》の『ムーンナイツ』のメンバーも同様にそうあり続けているわけで、騎士の間ではどの方も有名なのです。その上半数が国外の方ですから、こうして全員が揃うというのはこう……すごい事なのです!」
「だっはっは! だそうだぞ、お前たち! それとお前もそのメンバーの一員になってるんだぞ、オリアナ!」
「そ、それはそうですが……」
「有名ねん。単純にフィリウスが滅茶苦茶するからそれに引っ張られて知られてるだけだと思うし、有名な理由も強いからじゃなくて個々人が目立つからでしょん? お姉さんはこの美貌として、女騎士に避けられる変態、鳥のコスプレ、性別意味不明なスポーツ選手、不潔な傭兵、スーパーヒーロー、陰気な学者――この分だとオリアナはゴリラが大将のチームの中にいる唯一の一般人みたいな感じで有名になっちゃうわねん。」
「ふむ? その表現だと消去法で私が変態になる理由がわからんが、実力が高いのは過去の実績を考慮すれば過言という事にはならんだろう。謙遜は度が過ぎないようにせねばな。そしてフィリウス、話を戻すが「右腕の魔法」のパワーに対抗できるのがお前だけという事は私たち『ムーンナイツ』で「欲望の魔法」の使い手を抑えろと言うのだろう?」
「だっはっは、ずばりその通りだ! リグ――『右腕』が俺様とやり合うまで負け無しだったのは「右腕の魔法」を放つ時にそいつの援護があったからでな! 俺様が決着をつけるまであれの対応をお前たちに任せたい!」
「……二つ確認するぞ、フィリウス……」
「おうカルサイト! ぶっちゃけ「欲望の魔法」に関しちゃいくら根性があってもどうにもならんレベルはあるからお前の知識と技術が必須だ! わからんことは聞いとけ!」
「……一つ、そのアン・リーフとやらは当然、「欲望の魔法」以外も使えるのだろう? ……かの大魔法使いが時間の魔法以外を掌握していたように、他にも出来ることがあるはずだ……」
「げ、言われてみればそうだよな……まさか他の系統も天才なのか!?」
ひぇっ、という感じに顔を青くするドラゴン。
「残念ながら天才だと思うぞ! さすがに学院長クラスじゃないが時間の魔法以外はそれなりの上級者レベルに使える! 各系統単体ならそこまで問題にはならないだろうが、そのレベルを複数組み合わせてくるところが厄介だな!」
「……やはりな……そしてもう一つ、これが重要なのだが……お前は先の説明で「蘇生が完全なモノに近づく」と言ったな……アン・リーフが復活しているからこそ『右腕』が無敵だというのに『右腕』が行動する目的はアン・リーフの蘇生……つまり今現在『右腕』の傍らに立つアン・リーフはアン・リーフではない――もしくは生前の再現が完全ではないという事か……?」
「だっはっは、さすがだな! あいつではあるが完成度がちょい低いって感じだ! あるはずの記憶がないのもそうだがそもそもが不完全! 前回会った時は素っ裸だったしな!」
「ほう、詳しく聞こうか。」
壁際から一歩前に出ながらそう言ったグラジオに、フィリウスはニヤリとした顔を向ける。
「言っとくが露出狂だったわけじゃないぞ! 第一あの時のあれは服を着てない自身の状態に対して何も思っていなかった! そうである事が当然とか以前に服を着るっつー概念を持ってない感じだったな! でもって生前を良く知る俺様の感覚的にも、どこがどうと聞かれると困るんだが「何か違う」って印象が強かった! 魔法の威力の落ち具合からしても、ざっと六十、七十パーセントの再現度! 最初に見た時点で百パーセントだったら俺様はあれをあいつだと確信しただろうが、劣化版を見た事でギリギリ、あれが生前のあいつを再現しているだけの何かって事に気づけたな!」
「……生憎、特に思い入れもないおれには『右腕』がアン・リーフを蘇生しているのか再現しているのかはどうでもいい……要するに――おれたちが相手にするのはお前のかつての友を真似ているだけの人形……という扱いでいいんだな……?」
カルサイトの質問でこの学者が何を確認したいのかをその場の全員が理解した。
つまり、『右腕』の最愛の人であるアン・リーフは同時にフィリウスの友人。もしもそれが本当に蘇生された「本物」であった場合、それと戦う事――『右腕』を倒す事が蘇生を終わらせる事とイコールだったとしても良いのか――そういう質問である。
「だっはっは、今言ったろ! 俺様はあれをあいつとは思ってない! かつての友云々っつーなら、あんなのの為に悪党やってる馬鹿を殴りたいだけだ!」
「感動的だが衝動的で困るな、《オウガスト》。」
不意に部屋の扉を開き、そんな事を言いながら入って来た人物に全員の視線が向き、オリアナとドラゴンがビシッと姿勢を正した。
「ん? こんなとこで何してるんだ、閣下!」
「フィ、フィリウス殿……!」
「俺をそのふざけたあだ名で直接呼んでくる奴はお前くらいだ。」
見るからに「軍の偉い人」という感じの格好で、体格こそ中肉中背と言ったところだが子供が泣きだしそうな険しい顔に綺麗に整えられた髭をたくわえて右眼に眼帯という威圧感しかないその人物――フィリウスに「閣下」というあだ名で呼ばれた男は、ビシッとしているオリアナとドラゴンに休むように促し、本来であれば二人と同じ反応をするべきサルビアとグラジオにため息をつきながらフィリウスを睨む。
「大監獄のアスバゴから苦情が来ている。お前がS級犯罪者をほいほい連れて来て困るとな。」
「だっはっは! 騎士が悪党を捕まえて困るとは、何かやましい事でもあるのか!?」
「大迷惑だ。」
冗談の雰囲気で言ったフィリウスに対して真面目な顔でそう答えた「閣下」は、ポケットから端っこがとめられている資料の束を取り出した。
「アスバゴにも言われただろうが、騎士に限らず、悪党を捕まえること自体に文句など無い。だが大抵のS級犯罪者は下準備が必要であり、それを一切していないから困るのだ。」
「戦う準備ならいつでもしとくのが騎士だろう!」
「捕まえた後の処理の話だ。S級犯罪者が、本人にその気が無くとも裏の世界に対して大きな影響力を持っている事は理解しているだろう。『好色狂』が奴隷を買った奴隷商人はそれだけで箔がついたし、戦闘によって破壊されてその場に残った『パペッティア』の人形の残骸は芸術品として表の世界でも破格で取引される。『フランケン』やA級ではあるが『奴隷公』などは一つの市場の根幹に位置していた。ここ最近お前が捕まえた連中は、いなくなると裏の世界に何がどうなるか予測できないほどの影響力を持つ者たち――『世界の悪』の暴れっぷりだけでも頭が痛いんだ、これ以上混乱の種をまくな。」
「心配するな、一先ず次の『右腕』で最後だ! こいつは大した影響ないだろ!」
「S級犯罪者のグループが一つ消えるんだ、影響ないわけないだろ。」
苛立った顔で頭を抱えた「閣下」はふと、どこかフィリウスの表情を伺うような目線を向け、手元の資料へと視線を移す。
「そもそも今回の『右腕』の一件、神の国での遭遇が発端だと聞いている。」
「ほう! そんな事よく調べたな!」
「宗教の中心で起きたS級犯罪者が絡む事件、調査しない方がどうかしている。メインは偶然見つかったレガリアから始まる、教皇フラールが『聖剣』を求めて起こした騒動。そこに同じく『聖剣』を狙って長い間潜伏していた『フランケン』が動いた結果がアレだ。そんな混沌の中に何故か――お前の弟子と魔人族がいた。」
最後の一言を「閣下」が口にした途端、フィリウスの表情が微妙なモノになった。
「唐突に『右腕』が登場したのは『フランケン』の敗北が裏の世界の混乱に繋がる事を理解していたからだろう。あれは『世界の悪』のような愉快犯ではないからな。お前の弟子があの場にいた理由は正直二の次、冬休みの旅行とでも思っておいてやる。だがあの場に以前セイリオス学院に突然現れたスピエルドルフの使者が数人いたと報告がある。これはどういう事だろうな、《オウガスト》。」
「だっはっは、神の国の一件以外にもあれこれ調査済みって事か。」
「特に、お前の弟子についてな。」
「二の次じゃないのか?」
「理由は、だ。」
段々と空気が重くなっていくのだがその理由を把握できずに『ムーンナイツ』の面々が困惑する中、「閣下」が手元の資料を読んでいく。
「お前の推薦という形でセイリオス学院に編入後、すぐにクォーツ家の三女エリル・クォーツを狙ったA級犯罪者『セカンド・クロック』を撃退。最終的な始末は『雷槍』がしたものの一年生にしては高い実力を見せた。その後、『滅国のドラグーン』ことバーナード率いる魔法生物の大軍を相手にした首都ラパンの防衛戦に参加。お前との旅での経験を考慮しての事だったそうだが、友人らと共にワイバーンを一体倒す活躍を見せている。正直、こういう事をする理由がないだろうバーナードの行動は『紅い蛇』のトップである『世界の悪』の指示である可能性が高く、長い間何も行動をしていなかったアレが急に動き出してS級狩りなんてのをやり出したのもこの件が始まり――この時期にどういう心境の変化があったのか疑問でならないな。」
「何だ、魔人族の話じゃなかったのか?」
「さてな、お前の弟子を調べていると大物ばかりが登場するんだ。学院が夏休みに入ると同じく『紅い蛇』の『イェドの双子』と遭遇。ポステリオールには実はお前の弟子の妹だったらしい国王軍期待の騎士、パム・ウィステリアが応戦したそうだがお前の弟子はプリオルと一対一で交戦。《オクトウバ》の助力があったとは言えよく殺されずに済んだという感心もあるが、そもそもどうして戦う事になったのかという方に興味が向かざるを得ない。」
「それは報告したはずだぞ。大将の友達の一人があのガンスミス、マリーゴールド家の子でそれをポステリオールが狙ったのだろうってな。」
「ふん、『世界の悪』の行動再開にタイミングが重なっているのは偶然か? 夏休みが終わり、お前の弟子はセイリオス学院のランク戦で好成績を残したそうだが直後、何故かスピエルドルフからの使者が来た上、指名手配はされていなかったが『紅い蛇』の一員だったザビクがセイリオス学院の生徒らが国王軍の見学をしていたタイミングで攻撃を仕掛けてきた。お前から『紅い蛇』の構成員の情報が上がって来たことよりも、あれこれ情報を隠蔽しようとした形跡はあったがどうにか引っ張り出せた魔人族の件の方がこちらを騒がせたモノだ。」
「だっはっは、スピエルドルフの面々が隠そうとした情報を暴くなんざ命知らずだな。ま、単純に俺様の弟子に会いに来ただけだがな。」
「そうだろうし、そうという結果しか出ていない。お前の旅に同行していたんだ、お前の弟子にもスピエルドルフとの接点があり、連中はランク戦での活躍を労いに来たとか、そういう推測もできなくはないが問題はここから先。」
パラリと資料をめくる「閣下」は、相変わらず様子を伺うような視線をフィリウスに向けているのだが、どうにも腑に落ちないというような表情だった。
「突如強引な攻めを行ってきたテロ組織オズマンド、その幹部クラスの一人とお前の弟子らは交戦。またもやエリル・クォーツを狙ったらしいそいつを今度はパム・ウィステリアがいたとは言え討伐して見せた。相手は下手をすれば十二騎士クラスと言われていたナンバースリーのラコフ――『イェドの双子』の時のように十二騎士の助力があったわけでもないというのにセラーム一人と学生数人で挑み、王族を救出。結果シリカ勲章を授与されたな。」
「自慢の弟子だ。」
「そして授業の一環として火の国ヴァルカノのワルプルガに参加したお前の弟子はそこの魔法生物が起こした騒動に巻き込まれたがこれまた大活躍。国王から勲章を与えられたな。」
「素晴らしい弟子だ。」
「理由がさっぱりだが『紅い蛇』の一員にして最強の犯罪者とされるマルフィまでもが登場した『奴隷公』が起こした騒動。お前がどうにかしたような報告になっていたが『奴隷公』と戦ったのはお前の弟子だな? そして神の国アタエルカではあの『フランケン』を倒したと。」
「凄い弟子だ。」
「馬鹿が、流石に無理がある。魔人族がセイリオス学院に来てからお前の弟子の偉業は異常なんだ。頻繁に『紅い蛇』が顔を出すのも不可解だが、それよりも学生にそぐわない戦績に魔人族が絡んでいる可能性の方が重要だ。連中の強さは人間のそれに収まらないレベル、相手がテロ組織の幹部だろうが暴れる魔法生物だろうがS級犯罪者だろうが魔人族が参戦していたのなら納得できてしまう。そしてそうである場合、人間の事情に興味もないし頼んだところで力を貸してくれる相手じゃないと言ってきたお前の話が覆る。」
パンッと手にした資料を叩きながら「閣下」は……どこか怪訝に、そして少し怯えながら、フィリウスに核心的な質問をする。
「お前はそうだとしても、お前の弟子はそうじゃない――スピエルドルフにとってお前の弟子は特別な存在なのではないか? 興味が無いはずの人間同士の争いに参戦してくれるほどに……!」
魔人族が手を貸してくれる。唯一と言っていいスピエルドルフとの連絡を可能にしているフィリウスが首を横に振るそれを可能にしてしまう人材。これが事実であればフィリウスの弟子、ロイド・サードニクスの価値は――そこに繋がっている武力は計り知れない。彼が願うだけで国が滅ぶ、そういうレベルの話なのだ。
「だっはっは、それが事実だとして仮に俺様がそうだと頷いたとして、それでどうするつもりなんだ? 似たような事を『シュナイデン』にも言ったが、魔人族が特別扱いする俺様の弟子を何かに利用するとか、それこそ国が滅びかねないミスだと思うんだが。」
「……お前……」
フィリウスの答え――というよりはフィリウスの反応を見て、「閣下」は怪訝な顔を不審な顔へはっきりと変えた。
「普段馬鹿笑いしているがお前は関わって欲しくない件について話すと途端に圧を含んだ表情になる……のだが、今のお前はそれが微妙に出来ていないというか……なんだ、怒り方を忘れたのか……?」
フィリウスの弟子と魔人族の件について話に来たのだろう「閣下」だったが、それよりも目の前のフィリウスの奇妙な反応に面喰って動揺している。対してフィリウスは自分の顔をペチペチ叩いて「ふむ」と呟いた。
「タイミングが良かっただけだ。とりあえず俺様たちは『右腕』との一戦を控えているんでな。俺様も大将の件はそろそろアレだなと思ってたところだし、今度話すとしよう。それで今日は満足しとけ、「閣下」。」
「……確実に話せ……」
不審な顔のまま「閣下」が部屋から出て行った後、サルビアがこんな事を尋ねる。
「アレの代償っていうか副作用っていうか、それで『右腕』相手に足りるのん?」
サルビアの問いかけに対して室内の面々は「険しい顔になる者」と「何の話だかわからないという顔の者」の二つに分かれたが、フィリウスから説明がされる事はなく、ただこんな答えが返って来た。
「心配ない。この前あいつと再会してからずっとため込んでるからな。」
翌日、フェルブランドの王城の正門前にふらりと男が現れた。がっしりとしたたくましい体躯に整えられた金髪と綺麗に手入れされている髭。高級そうな茶色いスーツにピカピカの靴をはいた、歩く姿からも気品を感じられる紳士然とした人物。街中を歩けば視線を集めるだろう容姿だが、王城の門を任される騎士というのは経験と実力を積んだセラームであり、その男がS級犯罪者『右腕』ことリグ・アルムである事はすぐにわかった。
臨戦態勢を取ると同時に仲間を呼ぶ合図を出した門番たちだったが、『右腕』は手紙を一枚その場に置くと瞬く間に姿を消した。
現在、《オウガスト》が『右腕』の一派とぶつかっている事は騎士の間では周知であり、手紙は即座にフィリウスのもとへ届けられた。内容は時間と場所の指定。今日中に決着をつけようという、いわゆる果たし状だった。
「――つってもあいつは騎士道精神に溢れるタイプじゃないからな! 当然二人で待ち構えてるだろう!」
「まずはその裸の女――いや、「欲望の魔法」の使い手と『右腕』を引き離す必要があるな。手の内をある程度知っているフィリウスからして良い方法はあるか?」
「即死系の魔法は俺様たちには効かないっつー前提というかそうでないと困るんだが、意思の強い相手の場合「欲望の魔法」は対象を視認する必要がある! 大元が感情系の魔法だかららしいんだが、相手の性格とかがそれなりに関係してくるらしいな! と言っても一目見ればそれで対応可能になっちまうから、「欲望の魔法」の攻略法は視認不可能な距離から攻撃するか、姿を見えなくするか、目にも止まらない速度で行くかだ!」
「でもそれはあくまで「欲望の魔法」対策でしょん? 本人がそれ以外の魔法もバリバリに使えるって事は当然対策も立ててるわよねん。」
「その通りだ! 周りには常にバリアみたいのを展開して一定範囲内の索敵もしてる! 遠距離から攻撃するとなると必要な距離と相手の防御をぶち抜く威力的に《マーチ》が使う超出力のビームくらいのモンがいるな!」
「姿を消すってのも、索敵に引っかからないレベルの隠蔽がいるわけよねん? この面子でそういうの得意のいないし、となると――」
言いながらサルビアが顔を向けたのは「ふむふむ」と神妙な顔で話を聞いていたが自分に白羽の矢が立つとは思っていなかったらしいドラゴン。
「……!? 僕!?」
「だっはっは! 現状の最適解はお前の速度ってわけだ! 何も一撃で仕留めろなんて言わない! 引き離せば成功だ!」
「ふ、ふざけんな! そんなそ、即死魔法なんか使って来る奴に突っ込めってか!」
「おう!」
「おうじゃねぇ!」
フィリウスのもとに手紙が届けられてから数刻、シチュエーションやロマンにこだわるタイプではないが決着をつけるとしたらここだろうと考えて指定した場所。かつてとある悪党が遣わした殺し屋によって一人の騎士が命を落とし、一人の騎士が騎士ではなくなった森。その「とある悪党」は後に居場所を突き止めて考えられる全ての「残虐な方法」を用いて始末したが当然気持ちが晴れるわけではなく、未だに青黒い感情を湧き上がらせる因縁の地。
あの日、殺し屋の幻術によって座らされていた時と同じように、森の管理者でもいて間引きをしているのか、月明りだけの暗闇の中で切り株に腰かけている『右腕』は隣でいくつもの魔法陣を展開している者――大きな三角帽子と全身をすっぽり覆う大きなローブ以外は何も身につけていない女を眺めている。
「第八系統の風の魔法の使い手だけならここまでやんないんだけど、他の十二騎士とか魔人族相手だとこれでも万全とは言えないかもしれないわよ?」
「おそらく、という前置きがつきはするが、『ムーンナイツ』以外の援軍は来ないぞ。フィリウスはああ見えて騎士道精神溢れるタイプ、手紙という形でこの場所を指定すれば我輩との勝負は一対一。私兵たる『ムーンナイツ』にアンを任せる事はあるだろうが、十二騎士や魔人族をこの場に呼ぶことないだろう。」
「さじ加減がよくわかんないけど、古い知り合いのリグが言うならそうなのかしら? ま、だとしたらそもそも引き離せずに終わると思うわよ? 「欲望の魔法」に対抗して使うだろう魔法はあらかた防げるし、それを風の魔法だけで突破できるとは思わないもの、そうでしょう?」
「そうだと思いたいところだぞ。しかし相手が相手……」
「随分買ってるのね? かつての戦友を。」
アン――「このアン」の頭の中にはどこまでの記憶があって自身とどういう経緯で一緒にいるのか、不完全である「このアン」のそれを理解しようとは思っていない『右腕』は、しかし本来なら起こりえない内容の会話を奇妙に感じつつも嫌がりはせずに続ける。
「そうだな、アンにもわかりやすくあいつの凄さというかヤバさを伝えるなら……実はあいつは筋肉馬鹿なクセして研究者が興味津々な技術を二つ持ってる。一つは『バスター・ゼロ』、風を「空気」と「それが動く為に内包しているエネルギー」と捉えた時にそのエネルギーを抽出する技術でありそのエネルギーそのもの。無理矢理科学に落とし込むなら空気が持っていた運動エネルギーが「運動」になる前の姿、あらゆる可能性を秘めているがちょっとした事ですぐにエネルギーとしての姿を確立させてしまう不安定な何か。しかしそれ故に方向性を指定でき、一切の無駄なく対象を破壊する事にのみ特化したエネルギーとしてフィリウスが設定した結果生まれたのが『バスター・ゼロ』という破壊の魔法。」
「方向性を指定しただけでそよ風が爆弾みたいな威力になるっていうの?」
「それについては昔科学者が仮説を立てていたぞ。フィリウスが風から『バスター・ゼロ』を作った時、風として吹いていた空気の総量が少し減っていたらしく、であればそのエネルギーとは運動エネルギーに加えて物質としての空気をエネルギーに変換したモノが含まれているのでは、とな。我輩も科学の分野は詳しくないが、カクブンレツだのなんだのというモノに近くなり、生み出されるエネルギー量は尋常ではないそうだぞ。」
「ふぅん。もう一つは?」
「こっちはあいつの切り札。あいつは自身の風に感情を乗せることで威力を増大させる事が出来るんだぞ。」
「え? 感情?」
「アンとは違った方向に感情系の魔法を一段階上に持って行った魔法だぞ。突然だがアン、戦闘中に怒り狂ったり殺意剥き出しだったりする相手を見てどう思う?」
「そうねぇ……転がしやすい、かしらね。」
「ああ、その通りだ。怒りは身につけた戦闘技術の精度を落とし、溢れる殺意は悪党に利用される――実際我輩やあいつも騎士学校でそう教わったぞ。だがあいつはそこに疑問を抱いた。確かに悪い点もあるが良い点だってあるはずだと。怒りや殺意といった激しい感情は理性によって普段抑えられている自身の力を引き出すキッカケ。虫も殺せない温厚な少年がいじめっ子たちにキレて半殺しにしてしまったとか、よくあるような話だぞ。」
「その引っ張り出した力が制御できないって話じゃないの?」
「おお、さすがだな。そう、要するに暴れる力をコントロールできれば文句ないはずだとあいつは考えて、あっさりと形にしてしまった。怒りや殺意によって自身の力が限界まで引き出されるイメージを基に、それらの感情を利用して攻撃の威力を数倍に跳ね上げる特殊な強化魔法。騎士の間では悪感情とされるそれを『バスター・ゼロ』の渦に乗せてぶつける必殺の一撃――あの凶悪な破壊力に勝てる力はこの世に存在しないだろうと、我輩は思っているぞ。」
「存在しないって、その魔法にこれから挑むんじゃなかった?」
「全力全開であれば我輩の右腕でも無理だろう。だがあいつは『好色狂』との一戦でそれを一度使った。この魔法には一つ欠点があってな、怒りや殺意を基にして生まれたこれはその感情を燃料として消費するんだぞ。」
「感情を消費? どういう現象よ。」
「怒りや殺意を抱き難くなる。使い切ればしばらくの間何をされても怒らない聖人君子になるわけだ。」
「イコール、その強化魔法が使えなくなるって事ね?」
「そうだ。だから今のあいつは最大出力で必殺技を撃てない状態なんだぞ。」
「対してリグはここまで負け続きのチームのリーダーとして数値が溜まって、威力はこっちが上回ってるって事ね?」
「天秤で測ったわけではないから確実に、とは言えないが概ねそんなところだぞ。」
「なんだか頼りない自信ね?」
「あいつの事をそれなりに知っているせいだな。だが心配はないぞ、使いたくはないが最終手段もあ――」
――ィィン――
言葉を言い終わる前に『右腕』の耳を刺した甲高い音。目の前にいたアン・リーフの姿が忽然と消えた事を視覚が捉えた直後――
――ドンッ!!
凄まじい衝撃が森の中を一直線に走り抜け、それに吹き飛ばされながらも冷静な体術で綺麗に着地した『右腕』は軽くため息をついた。
「……手段の検討はつかないがこうなるだろうなとは思っていたぞ。」
ぐるぐると右腕を回し、足元の感触を確かめながら数歩移動した『右腕』は足に馴染む地面を見つけたのか、ある場所で立ち止まり、いつの間にかそこにいた男を正面に捉えた。
「あいつらは俺様が集めた凄腕かつ変なヤツらだからな。天才ともやり合える。」
「そうか。あまり天才をなめない方がいいと思うぞ。」
「ドラゴン、別にあのままあの女の身体を真っ二つにしてもよかったのよん?」
「グロい事言うなよ……いや、それなりのダメージを与えられたらとは思ったしやったんだけどまるで豆腐を切ったような感触だったんだ。カルサイトの魔法でも攻略できない防御魔法をかけてたみたいだな。」
「……恐らくそうではない……なるほど、確かに不完全だな……」
森を駆けた衝撃の先端。未だ森の中ではあるが余波によってぽっかりと開けてしまったその場所に並び立つのは《オウガスト》の『ムーンナイツ』たち。エリンとラァバを除くも六名の精鋭が揃った理由はただ一つ。砂煙の中で何事もなくゆらりと立ち上がった一人の女と戦う為である。
「びっくりした。わたしの魔法障壁をただのスピードで抜けてくるなんてどういう理屈?」
既に故人のはずだが『右腕』が何らかの方法で蘇らせた魔法の天才。《オウガスト》が『右腕』と決着をつけるまでの間足止めをしなければならない強敵――アン・リーフの問いかけにカルサイトが答える。
「……得てして、天才というのはその一歩手前で才能が尽きた者たちの創意工夫に面喰うモノだ……才能がある故に、どうしてそんな事をするのか理解できないからな……ハッキリ言って、天才たちの強力なだけの魔法は崩すに容易い……」
「ああ、たまに聞く理論ね? 天才だって努力はするし、そうしてるわたしを超えてきたあなたは間違いなく天才の部類だと思うわよ?」
「……光栄だ……生きている内に会いたかったな……」
「? なんでわたしが死人扱いなの?」
「……こっちの話だ……理解できていると思うが、あっちが片付くまで「欲望の魔法」などという規格外の使い手を足止めさせてもらう……」
「んー、大丈夫だと思うわよ? わたしがリグの援護をするのはリグの準備が整うまでそこそこ時間がかかるからだから、似たようなタイプかつ因縁の相手の《オウガスト》との戦闘ならお互いに全力全開をぶつけたがるモノでしょう? あの二人、昔っからそういう……昔……?」
自分が言ったことを理解できないという顔で首を傾げるアンの反応を前に、カルサイトは他の五人へ推測を伝える。
「……フィリウスの言った通りアン・リーフとして不完全なのはそうだが、そもそも存在自体が曖昧のようだ……記憶の整合性もとれていない……だがあれが展開していた防御魔法は本物――出力七割と言っていたがそれでも充分な天才だ……」
「ドラゴンが切れなかったのもそのせいってことん?」
「……問題はそこだ……存在が曖昧というのはあれの実体にも影響している……現状、あれは殺せないし壊せない……ドラゴンが言った豆腐どころか、霞のような存在だ……」
「問題ない。」
予想外の事実を前に、しかし特に焦った様子はないのだが両手を地面について何かを頑張って覗き込もうとしているグラジオが大きな帽子と大きなローブしか身につけていないアン・リーフの方に顔を向けながら、そんな一言を呟いた。
「どちらにせよ、私たちの目的は足止めであって倒すことではない。あれを生み出している『右腕』を倒して使用しているマジックアイテムか何かを没収すれば仮に不死身の天才だったとしてもいずれは消滅しよう。」
「それはそうだけどん、その足止めが面倒になったって話よん。こっちの攻撃が効かなさそうって事なんだからん。」
「ちょっと確認していいかしら?」
そう言ってサルビアたちの会話に入ってきたアン・リーフは『ムーンナイツ』という精鋭騎士らしいが外見的には全くそう見えない面々を眺めながらピンと右の人差し指を立てた。
「《オウガスト》の仲間ってことで全員が第八系統の風の魔法の使い手って認識でいいのよね?」
「必ずしもそうってわけじゃないけどん、この場においては正解ねん。」
「そ。なら風に特化したあなたたちの技、勉強させてもらえるかしら?」
アン・リーフがそう言うとピンと立った指先から空に向かって、一本の竜巻が伸びた。それは竜巻と聞いて大抵の者が想像するだろう家屋の飲み込むような大きさではない「柱」――いや、「棒」という表現が適切だろう極小の半径で高速回転するとんでもなく細く長い風の渦だった。
「さっきも言ったけど、まだまだ向上心のある天才なの。」
そう言いながらアン・リーフが右手を横に振ると、指先の動きに連動した細い竜巻が『ムーンナイツ』たちを薙ぎ払うように振られ――アン・リーフの正面にあった森が爆風で吹き飛んだ。
少し離れたところで轟音が響き始めたのを聞き、フィリウスは背中の大剣に手を伸ばす。それはフィリウスがトドメの一撃を放つためにエネルギーをためる態勢であると当然知っている『右腕』――リグは、グッと握られた自身の右の拳を指差しながら笑う。
「吾輩もお前も同じタイプで、当然現状出力できる最大威力をタメたいところ。お互いの準備が整うまでの時間、少し話をしようじゃないかフィリウス。お前も我輩に聞きたい事がそれなりにあるはずだぞ。」
「お前と俺様の準備時間が同じとは限らない。こっちが先にたまったら容赦なく撃つがそれでもいいならいいだろう。」
「ああ、それでいいぞ。どうせ我輩は後手だ。」
「最後の一瞬まで数値の底上げか。あの手この手で数値を稼いでいる割に、未だにあのアンは完成してないんだな。」
「進捗はあるぞ。アンの完全復活を百とするなら現状は八十から九十。存在の構成要素を考えた際に優先度が下がる衣服の再生が始まったのが終わりの近い証拠だぞ。」
「要素の優先度――それで真っ先にあいつのトレードマークだった魔女コスプレが形になったせいで痴女みたいになってるわけか。」
「そして今日、我輩は「十二騎士」と「かつての戦友」を一人倒す――これは数値としてかなりの重みがある。きっとアンを完全なモノにしてくれるだろう。先に礼を言っておくぞ。」
「皮算用になるだろうがな。」
「勝ちを前提にしない勝負があるとでも?」
「なるほど、確かに。一本取られついでに俺様も勝ちの前提で聞くがあのアンを作り出したマジックアイテムだかなんだかはどこにある? 騎士としてはお前を倒したらそれは回収しとかんとならんからな。」
「素直に場所を教えるとでも――いや……なるほど、そういう場合もあるぞ。万が一我輩が敗北したとしても、お前がアレを回収するのならいつか数値をためて我輩とアンを復活させる未来もあるかもしれないぞ。」
「そんな未来は万が一にもないし、そうして作り出したお前はお前じゃないお前だろう。」
「ふふ、今の不完全なアンを見て百パーセントの完成度に到達してもそんなオチになると思っているのだろうが早計だぞ。確かにあれはまだそうではないが完全なモノとなった時、奇跡は『死者蘇生』で蘇らせる事と同義になるかもしれないだろう?」
「結局「だろう」なんだろ。経験から言って、別物が出来上がって絶望するお前の顔が目に浮かぶ。」
「多少残念だがそれならそれでも構わない。少なくとも『死者蘇生』で言うところの死者を現世に戻す為の器が完成したという事なのだからな。さらに数値を捧げて我輩のアンの魂を呼ぶ奇跡を起こすまでだぞ。」
「そんな滅茶苦茶な奇跡でさえ引き起こすモノというわけか、お前の使っている代物は。」
「そうだぞ。希望的観測ではない、原理的に事実としてアレに不可能は無い。」
そう言いながら、リグはあいている左手で胸ポケットから装飾品のついた鍵を取り出し、ヒョイと横に放って木の枝に引っ掛けた。
「我輩の家だ。アレはそこにあるぞ。」
「そうか。もう一つ聞いておくが、今回お前が俺様につっかかって来たのは神の国でカー――いや、魔人族がお前の魔法をあっさり破った事に焦ったからなんだろう?」
「ほう? 実は確信は無かったんだがやはり魔人族だったか。正確には我輩の魔法と同種であるアレによって生じた奇跡――アンの存在を消してしまえる可能性が魔人族にあり、本来人間に興味を持っていないはずの連中とパイプを持っているお前を脅威と認識したからだぞ。そうだ、気になっていたんだがお前と魔人族の関係は――」
「質問はその手前、お前があの場に出てきたのは『フランケン』を回収する為。裏の世界の混乱がどうこうと言っていたが、よく考えたら別にお前、悪党連中の生業に関わってないし周囲の犯罪者が死のうが暴れようが無関係だろ。なんで来た。」
「こっちの質問にも答えて欲しいところだが、お前は十二騎士のクセに本当に何もわかってないぞ。」
何事もなく会話を続けている二人だが、この場に第三者がいたならフィリウスの大剣からは凄まじい圧力を感じていただろうし、リグの右腕が今にも爆発しそうな爆弾か何かに見えていた事だろう。お互いに一撃必殺の力がたまっていく中、リグはやれやれと肩を落とす。
「確かに、我輩や『好色狂』らに直接的な関係は無い。我輩たちが警戒していたのはS級狩りをしている『世界の悪』ぐらいなモノで、裏の世界の均衡に興味はないぞ。だがなフィリウス、大国がその軍事力で周囲の国に睨みを利かせて小競り合いを防いでるように……いや、それ以上の緊張感で裏の世界における大物たちの抑止力ってのは周りの悪党たちに影響している。テリオンがいなくなった今、次の『奴隷公』の座を狙って奴隷商人たちが殺気立っているようにな。そうして成り上がる奴らがうっかりS級犯罪者にまでなる場合もあるんだぞ。」
「新しいS級犯罪者が誕生するキッカケというわけか? そんなのは常にある心配事だろ。」
「勢い余ったおのぼりがこれでもS級犯罪者が組んでるチームとしてはそこそこ名の知れてる我輩たちにケンカを売って来る事を心配しているんだぞ。悪党を殺したところで我輩の数値としてはそれほど上昇しない上にどう考えても面倒だ。」
「俺様としちゃ大歓迎だ。悪党同士潰し合ってくれればいい。」
「それだぞ、フィリウス。その考えが甘いんだぞ。蠱毒のように鍛えられた奴らの中から、次の『世界の悪』が生まれるかもしれないんだぞ? どうしてわざわざあれより凶悪のが生まれる可能性を作る? 予測不可能な混沌より予測可能な現状――着実に数値をためたい我輩でなくても選択するべきがどちらかなんてのは明白――」
「どうでもいい。」
リグの言葉を遮るように呟き、ググッと腰を落とすフィリウス。
「お前は俺様を騎士の鑑とでも思ってるのか? よく知ってるはずだろう、俺様はただ、気に食わないからぶちのめす。楽しそうだから挑む。これこそが俺様の理想とする、己の正義をどこまでも貫くモテる騎士の姿。政治だの世界情勢だの悪党の未来だの知った事じゃない。そして今の俺様は、お前のことが気に食わない。アンが死んだのは悲しい事だった。あの日あの瞬間、生き返らせる方法があると言われたら俺様も飛びついただろう。だがそんなモノは無かった。それを探すと言ったお前の事は理解できたし、何なら一緒にとも考えた。だがどういう事だ、リグ・アルム? いつの間にかお前はアンを殺した側に立ってやがる。愛を免罪符に好き勝手やって終いにはS級犯罪者、笑って人を殺すような連中と仲良しこよし――もう俺様の中じゃアンと一緒にリグも死んだ扱いだ。お前はあいつがうっかり落としたあっちゃいけない可能性。そこに突っ立てろ、『右腕』リグ・アルム。今から消し飛ばしてやる。」
背中の大剣を抜き、その剣先を自身の後方へ向けるように構える。異常なエネルギーが内包した大剣の先、その直下の地面に見えない竜巻がそこにあるかのようにらせん状の跡が描かれ始めた。
「怒りや殺意といった何とも騎士らしくない感情を渦巻かせた『バスター・ゼロ』の竜巻――確かにお前は騎士の鑑じゃあないな。そういう感情に敏感な奴が見たら、さぞお前が凶悪に見えるだろう。憎悪に支配された元正義の騎士様ってな。まぁ、世の善悪じゃなくお前の善悪で動くというなら、一般的な騎士よりも悪として見られる可能性が高そうだぞ。」
右の拳を引き、それを打ち出す姿勢になるリグ。
「我が道を行く、それがお前の騎士道なら我輩の道もある意味そういうモノだろう。立派な騎士になる夢はあった。お前と吾輩とアンの三人で十二騎士にまで上り詰める未来を語ったな? だがアンが死んでしまった。愛する者の為に全てを捧げる事が今の我輩の騎士道。」
「お前ほど長い付き合いじゃないが、アンがそういうのを欲しがるタイプじゃない事は俺様にもわかる。お前は愛の騎士道に酔った犯罪者だ。」
「酔う? 表現の問題だぞ、《オウガスト》。想いに忠実なんだ。」
「そうか。ところで質問に答えてなかったな、『右腕』。」
「ん?」
「騎士の上の連中もお前ら悪党も、俺様が魔人族との唯一のパイプみたいな扱いをしているが、実は俺様よりも俺様の弟子の方が太い繋がりを持っていてな。俺様の弟子が願えば夜の国はその戦力を動かすだろう。あのアンを消すくらい訳はない。」
「な……」
「要するに、別に俺様を倒したところでお前の問題は解決しないんだ。」
「……勝ちを確信し過ぎじゃないか? 不利な情報は我輩の数値を上げるだけ――それならお前の次はお前の弟子を殺――」
と、そこまで口にしてリグは後悔し、フィリウスの意図を理解した。
「お前! わざと教えて我輩への殺意をより高め――」
―――……
それは傍目には大爆発。凄まじい閃光が瞬くも、しかし奇妙な事に爆音が響かない。光に包まれた場所は木々を消滅させつつ地面をえぐり、無音の中を走る爆風はその風音だけを従えて周囲の全てを吹き飛ばしていく。
強大な力がぶつかり合ったからこそ威力が相殺されたのだろうが、それぞれが単発で放たれていたらこの森が地図から消えていた――そんな一撃が一帯を何もない更地にした後、その中心に二人の男が立っていた。
一人は巨大な剣を振り終わった後の態勢で、一人は拳を打ち出した後の姿勢。お互いにそのままで数秒経過したところで振られた大剣がその真ん中辺りで砕けて重たい金属が落下する音が周囲に響き渡り――
「本当に……騎士らしく、ない……ぞ……」
――拳を突き出した男がそう呟きながら倒れた。
「俺様は弟子想いなんだ。」
そしてそれを確認した男は深く息を吐くと折れた大剣を手から落としながらズシンと座り込んだ。
「消し飛ばす――そのつもりだったんだが、しぶとく生き延びるようならアスバゴにどやされるな。」
目の前で倒れている男――S級犯罪者『右腕』ことリグ・アルムを見てフィリウスは苦笑いを浮かべる。
「こいつの技と俺様の必殺技がいい勝負だった――そうあって欲しいところだな。」
騎士物語 第十二話 ~趣味人~ 第八章 ありきたりの頂点
物語内の時系列だとそんなに前の事ではないのですが、現実時間で言うと最初に使われたのがかなり昔になるフィリウスの切り札の正体がここで明らかになりました。アフューカスが笑っていた理由はリグが言っていた通りです。
アンが素っ裸なのは本当にその場のノリでそういうキャラを『右腕』の隣に登場させただけで、そもそもリグとフィリウスは知り合いの予定ではなかったのですが……こんな事になるとは。
次はアンと、ついでにしばらく登場していないエリルたちの冬休みの終わりですね。