インターネットの怪2 モノクロ写真篇
ネットで1968年(昭和43年)頃の徳島駅前の写真を見ていた。名店街や小山助学館の辺り。カラーでなくモノクロである。写真を拡大すると、名店街の二階の窓ガラス一枚毎に一字ずつ白いペイントで「モ、ン、ブ、ラ、ン」と書かれている。ここは当時、広くて入りやすい喫茶店だった。コーヒーが70円か80円だったと思う。妻はホットケーキを食べたことがあるという。
名店街の建物から一軒おいて小山助学館がある。三階の窓の上に「婦人倶楽部」の看板。二階の窓の上には「参考書まつり」と「文藝春秋」の看板が二段、一階の窓の上は「主婦と生活」の看板が掛かっている。小山助学館、以後書店または本屋と云うことにする。
一階で雑誌などを見てから緩やかな回り階段で中二階のフロアへ上がり、そこは素通りして参考書や大学案内書のある三階へ上がる。「傾向と対策」の書架を見渡してから窓の下の書架の前へ。その時店内に、琴の調べから始まるイントロに続いて歌が流れた。
黛ジュンの新曲「夕月」だ。数学の参考書を手にして聞き惚れている「私」。哀調を帯びた旋律が胸に沁みている。浪人二年目の秋。19歳だった…。
回想する私は「夕月」を聞いている「私」に重なる。そして「私」に呟いた―もう医学部は断念しろ。浪人しても学力が落ちるばかりじゃないか。今の学力で入れる大学へ行けばいい。三浪は絶対するな―と。私は「私」への戒めを伝えたかった。だが回想する現在の私が、時空を超えて1968年の「私」にメッセージを送れる訳がない。
曲が終わると憑き物が落ちたように、19歳の「私」は店の時計を見て参考書を書架に戻し、急ぎ足で階段を下り、書店から出た。行先は分かる。浪人生の「私」は同じ境遇の梶原とモンブランで会うことになっているのだ。コーヒーを飲みながら他愛もない話を喋り合うのだろう。タバコなど吸いながら。そういえば、タバコを止めることも伝えたかった…が、時空は超えられないのだ。
梶原と一時の憂さ晴らしをした「私」は、本屋の前に止めてあった自転車で佐古の家へ帰っていくことになる。
―名店街と小山書店は1968年(昭和43年)の徳島駅前のモノクロ写真の世界に戻った。そしてパソコンの前にいる私は、医師より患者サイドの方が向いていたのだとつくづく思う。持病を三つ抱えた身としては―。
(了)
参考 なつかしの徳島フォトギャラリー 徳島駅前1967年10月
https://x.gd/e1Jr4
徳島市箱らいふ図書館 石井敏雄様 徳島駅前1972年3月
https://x.gd/E9A5r
インターネットの怪2 モノクロ写真篇