魔法ショップで美形の悪魔を捕らえたはずが

魔法ショップに来た。
熾烈な競争社会、現代日本。
真面目に仕事をしているべき日の、勤務時間に当たる時間帯。
店内は薄暗くて静かで、ハーブの良い香りがしている。
サボり? いや自由への逃走ですよ。

もう嫌、やってられん。
わたしはもう、悪魔に魂を売ってでも、「楽して、他人より良い思いをしよう!」と思った。
決意は固い。
隠れオタクの隠れ腐女子、しがないOL人生におさらばしたい。
魔法使いに、わたしはなる!!

とはいえ、一から勉強、なんてまどろっこしいことをしていたら寿命が尽きる気がする。
何事も要領良く、を目指す。
効率追求社会で育ったので。
答えがあるなら、先に答えを見る。
間違って試行錯誤してる時間と労力、無駄だろって。
当然ですね。
お金で買えるものは、お金で解決、カード払い。
威力の高い魔導書でも見つけ、強い悪魔を呼び出し、人生一発逆転してやろう。

と、意気込んで来たのだが、なんてラッキー。
魔導書を見つけるまでもなく。
お支払いをするまでもなく。
店内で、高等悪魔を捕まえてしまった。
それも、好みどストライクの、美青年の姿の。

彼は目の前で、

「ちょ、は、はな、離してくれる?!」

とかなんとか、若干吃りながら、涙目で言った。

店内に、私たちの他に客はおらず、シンとしている。
だから、店の人に聞こえないようにだろう、押し殺した小声だ。
その、動揺が丸わかりの震え声が、耳穴から脳味噌直撃の声豚キラーボイスだった。
いや失礼。
良い声過ぎて、びっくりした。

悪魔が「女性」の前に現れる時には、伊達男とか身分の高い男性、騎士などの姿をしていることがある。
と、中世には言われていたそうだ。
ところで、一応、アタクシも「女性」ではありますので。
結婚も出産もする気はないし、女で得したことなんか今まで何もなかったが。
今日この日、悪魔が美青年になって現れるっていう一事を持ってして。
やっぱり女で良かったー!!

現代では、悪魔は女性の前に現れる時、高身長のモデル体型に神作画の顔面と、一撃必殺の声帯を装備しているらしい。
ヤバヤバのヤバ。
再々、失礼。
いくらテンションがブチ上がっているとはいえ、日本語の乱れに加担してはよろしくない。
心を落ち着けようとしつつ、

「あなたも売り物の、悪魔なんですよね?」

と、わざと尋ねると、彼は目を見開いて口を開けたが、声は一拍、出てこなかった。

「……どこをどう考えたらそうなるの? 僕は客ですけど?」

悪魔は憤慨したささやきで答える。
しかしその、おとなしやかで気弱げな様子に、こちらはさっきより興奮した。

彼の長い髪の端は、天使のことを記した革装丁の古い魔導書で挟まれている。
というか、わたしがさっき、挟んだ。
ゆえに彼は逃げられない。
言い遅れたが、この人、じゃない悪魔、長髪美形男子の姿をしている。
長髪のおかげで、一メートル余り安全距離を取っても、伸ばした手の魔導書で髪の端は挟める。

「え、でも本当に人間のお客なら、こんなの振り払えますよね?」

言って、挟んだままの髪を本ごと少し引っ張る。
相手は「ひえっ」と小さな悲鳴を上げた。
そして、いかにも振り払いたいように、手は上げた。
けれど、実際はその手を、魔導書へ近づけることさえできない。
ほーらみろ、やったぜ。
そうやって、逃げられない、のは悪魔だからだ。

この魔法ショップの店内。
拡大鏡をおしゃれペンダントにしたようなアクセサリーが、やたら吊り下がっているけれど。
それらは色々、「覗く」ための眼鏡なのだ。
未来とか異世界とか壁の向こうとか。
中には、これで覗くと悪魔が確認できる、っていうやつもあるわけで。
さっきちょっと拝借して確認したから、彼が悪魔なのはわかっている。

サーモグラフィみたいな感じで、色で判断できるタイプだった。
人間だったら全体が、もわんと赤っぽいシルエットになるはず、らしい。
彼のシルエットは、銀河誕生の場所みたいに、異常な高音が極寒の闇の中にある感じで見えた。
無限に広がる大宇宙でも見たかと思った。
悪魔は凍るほど冷たくて、しかし胎内には、多分、地獄の業火でも入っているのだと思われる。

そしてまた、ミニサイズの悪魔は聖書で挟んで捕まえる、とかいうが。
確か有名なSFのショート・ショートに、そういう話、あったと思うが。
知っていて本当によかった。
結局、「聖なるもの」に弱いっていうところだけ抑えておけば、捕まえられるのだ。

神聖そうな、天使のことが山ほど書いてある革装丁の古書、魔導書。
そんなものも棚にあって、自由に閲覧可能だった。
もう、ここって、店内で悪魔をご自由に獲ってくださいみたいな店だ。

忍び寄り、長い髪の端を、聖なるモチーフ満載の本でパクッと挟んだ。
それで完了。
実に簡単だった!
悪魔を捕まえたのはもちろん初めてだけど、これは絶対、わたし、才能ある。
このままきっと、大魔法使いになれる。

「ちょ、ほんと、離してってば……何が望み? お金? お金ならいいだけあげるから」

美青年悪魔は震える片手を差し上げて、空中からいきなり札束を掴み出した。
思わず、「うおっ」と野太い声を出してしまった。
骨張った細身の手だが、それでも長身の男性の手だけあって充分でかい。
その手に鷲掴みされている、諭吉軍団。
そんな分厚い札束、生で直接見たことない。

「それとも、こっちがいい? 交換レート上がってるから、これの方が欲張り向けか」

彼は札束を持ったままの手で、今度は金の延棒の、小型のやつを出す。
ゴールドタブレットとかいうやつか。
まさに黄金の輝き、太陽みたいな黄色が眩い。
彼はこういうものを、多分、いくらでも出せるのだろう、と急に理解し激しく興奮する。
金塊も、重いから今は掌サイズのしか出さなかったが、持ち上げられない重さのインゴットも出せるに違いない。
宝石とかでも出せそうだ。

彼は「どう?」という感じでこちらを窺う。
だが、わたしが首を振ると、即座にそれらを消した。

「あっ、もったいな……」

言いかけたが、言葉を飲み込む。
消さなくても、お金はお金で置いといてくれればいいじゃない、と思った。
思ったのは思った。
が! そんな端金でごまかされるわけにはいかないのだ。

むしろ、そんな芸当ができる悪魔、丸ごといただくしかないじゃない!
札束やゴールドを出したり消したりして見せたら、そういう風に思われる、とは、このお兄さん、考えなかったんだろうか。
人間の欲望には、際限などないのだ。
悪魔って、意外とピュアなのか?
ピュアで美形で気の弱い悪魔を捕まえている、という、この状況。
美味し過ぎるのでは。

ちょっとよだれを垂らしそうになりながら、彼を見る。
悪魔さんはそんなわたしの視線を避けてか、チラッとこちらの足元を見た。
あっ、やっぱりねー。
本に手を出せないなら、持ってるわたしを消してやろうと思ったんだろう。
でも、残念でした。

狭い通路の狭い床には、一人分の魔法陣。
この中にいる限り、悪魔からはこっちを攻撃できない。
「セーフ・ゾーン」というわけだ。
わたしがニヤリとするのと、悪魔の美青年がうんざりした顔をするのとが同時だった。

もちろん、魔法陣なんて、自分で描いたわけがない。
並んでいる記号の意味もよくわからない。
ここがちゃんとした魔法ショップだったのが本当に幸いした。
知らなくても、道具が確かなら、魔法陣だって描けてしまう。
そんな画期的な、カラーボール的な見た目のアイテムはこちら。

銀行やコンビニに、強盗対策で投げつけるよう置いてある、塗料の入ったボール、ありますね。
それのミニチュアみたいなピンポン球サイズの玉が、手の届く棚にちょうど、積まれている。
床に叩きつければ一発で、一人分の魔法陣が描けるという優れもの。
さっきはそれを使いました。
ここから出ない限り、あるいは陣が消されない限り、わたしの安全は保証されている。

えっ、お会計?
もちろん、まだ済ませていないですよ。
そんなこと言うなら、今、悪魔青年の長髪を挟み込んでる魔導書のお会計も済ませていない。
悪魔さんと契約したら全然、余裕で払うので。
なんせ彼は札束でも金塊でも出せるということがわかっている。
売り物は、ちょっと先に使わせていただいてるだけ。
払わないとは言ってない。
万引き? 盗難? 迷惑ユーチューバー? まあ固いこと言いなさんなって!

ニヤつくわたしの前の悪魔青年は、口の中で何か呟いた。
しかし、呪文かもしれないそれは、発効しなかった。
宙からお金を取り出すぐらいの事はできても、逃亡、あるいはわたしへの攻撃は不可能らしい。
ほっとした。

っていうか悪魔のくせに、ものすごい逃げ腰だなあ。
開き直って、据え膳の人間の女(わたし)を誘惑して操ろう、みたいな気持ちはゼロなんだ。
そう思えてきて、その辺りにも安心する。
追われると気持ち悪くて逃げたくなるが、逃げられると追いたくなるのが、人というもの。

大体、彼も、そんな目立つ長い髪の美青年姿で、人間界に出て来るべきじゃない。
なんの芸もなくても、見た目だけでも捕獲されると考えるべきだ。
美しすぎる。
美しさは罪。
君が魅力的なのがいけないんだよ! と、性根最低のセクハラ野郎みたいなこと言いそうだ。
わたしが。

百八十センチは超えているだろう長身。
やや、痩せすぎぐらいの細い体。
骨格は立派なので、体の輪郭が硬く骨張って見える。
好みにもよるだろうが、わたしにとってはすこぶる、良い。

髪は黒、というより烏の濡れ羽色。
構造色の効果で黒を通り越し、青光りしている。
黒髪は人類全体で見ても珍しくないが、「青黒い」までいくのは珍しい。
「緑の黒髪」というやつだ。
その輝きは、普通の黒髪の人間なら、若い時に限られるものだ、という話もある。

ただ、悪魔だから、なのか、その黒髪は真っ直ぐストレートの素直なサラサラ、ではない。
全体が癖のあるうねりで、半端な長さの房があっちこっちでぴょんぴょん跳ねている。
元気でよろしい、という感じ。
黒々と豊かで、もふもふで、闇が流れ落ちる滝のようだ。
禿げる運命にある男性達がこぞって羨むのに十分な、世界が嫉妬する飽満たる髪。
もふもふ好きにもたまらないだろう。

立派な濡れ羽色の髪は、彼の膝下ぐらいまでも長さがある。
そして、括りもしないで、野放図に後ろへ垂らされていた。
だからド派手なマントよりもツヤッツヤと、乏しい照明を反射しながら背中側を覆っている。
わたしが魔導書で挟んでいる、先っちょの一部以外は、という意味だ。

こんな美人に化けて来た割に、髪のセットをする気はなかったようで、放り捨てだ。
よく見れば服装も、全然、気合は入っていなかった。
黒っぽいカットソーとゆるい黒のカーディガン、黒い細身のデニム、足元はスニーカー。
以上。
なんだか、なんでもよかろうと身につけて、ご近所から取り急ぎ、出て来た感。
魔界は意外と、日常の隣にあるということなのだろうか。
財布だけ持ってちょいとコンビニにでも来た感じで、この悪魔は魔法ショップの隅にいた。

まあそうやって「いた」ということは、売り物でなく、彼もこの店の「客」なのだ。
実は知っている。
むしろ、そこの骨格標本を楽しげにいじって、小声でブツブツ話しかけていたのを知っている。
棚の陰でカラーボールを構えたりして捕獲準備を進めながら、悪魔の様子を窺っていたのだ。

彼はわたしが捕まえるまで、小柄な人間の骨格標本に話しかけ続けていた。
どう見ても、隙だらけだった。
相手の骨格標本は骨なので、声帯も喉も舌も唇もそれらを動かす筋肉もなく、終始無言だった。
むしろ顎さえ動かせないのだ、筋肉がないんだから。
ま、標本なんだし、無闇にカタカタ動いてもらっても反応に困るけど。

しかし彼は、細くて白い大きな両手で、さらに細い骸骨の片手を包んで、耳のない頭蓋骨あたりへ向けてボソボソ何か言っては、嬉しそうにニヤニヤしていた。
いくら美形でも不気味なことこの上なかった。
なんだっていうんだ。
ぼっさい格好で魔法ショップに、物言わぬ骸骨とおしゃべりしにくる悪魔。
売り物の悪魔ならもうちょっと、何かカッコつけとく方が売れるに決まっている。

そんな風で、髪も服も構いつけず、気持ち悪い振る舞いをしていたのに。
結局はこの輝きである。
素の良さが、クレイジームードとやる気ゼロの装いを、補ってあまりある。
美形はズルい。
いや、悪魔がズルい。

そう、この顔。
整い過ぎてて嘘くさいぐらいの。
こんな日本人いるか?! ってなるが、悪魔だから別にいい。
許す。
いや、ありがとうございます。
美形は人類の宝。
……人類じゃなかったが。
美しいものは好きなので、聖なる本に髪を挟まれ「ぴえん」状態の悪魔をじっくり鑑賞する。

ギリ日本人顔なのは、ここが日本なので一応、寄せた造形して来ただけなんだと思う。
血統を遡ればどこかでヨーロッパ系の血が入ってるな、とか言いたくなる。
悪魔だからそういう、何系の血、とかは、実際はないんだろうけど。
とにかく美形すぎて、店の外に一歩出たら、絶対、浮いて悪目立ちする。
まずは数段階、いや数十段階、輝度を落として解像度を下げないと。
このまま「平均的な日本人男性」に混ぜても「掃き溜めに鶴」的な浮き方をするのは間違いない。
大量のノーマルカードを開封した最後に出てきたキラカードよりも、輝き渡っている。

触ったらきっと、サラサラしていて温度が低いに違いない、という見た目の白い肌。
人肌なので、陶磁器みたいにツルッとしてはいない。
だが、磁器の青白い、半透明感はなんとなく、ちょっとある。
羊皮紙とか陶磁器とか、そういう「死んでる」「無機物」の感じが確かにある。

そうやって、どの角度で見ても文句なく美形なのに、どこか陰があって病んでる風味なのが満点。
目の辺りの影が濃く、唇の血色が悪い。
すぐ死にそうな、不健康な感じが「儚げで美しい」とされて、貴婦人がわざと不健康メイクしていた時代があったとか。
そんな退廃の美を思い出させる。
いやまあ、中世の貴婦人を直接見たことないから、思い出すもなにも、知らんけど。

瞳は、黄色味のある黒。
なのですごくくっきりして見えて、より外国人ぽく見せている。
だいぶ珍しい瞳で、気付いてしまえば非常に印象的だ。
世にある大概の「黒っぽい瞳」はブラウン、それも赤系統寄りが圧倒的に多い。
「黄色っぽい黒」というのは珍しいから、人の子に紛れたい時に適したカラーではない。
本気で隠密行動したいなら選ぶべきでない様子をしているのは、瞳以前に、髪や顔やスタイルからだが。

涼しい、切れ長の、キツめの目元だ。
むしろ今は、上目遣いに睨んでいて三白眼気味だ。
美形が睨んでいるのだから、充分に迫力が出せる、はずなのに。
しかも尻尾もツノも羽もなしの美青年の姿でうろつける、高等悪魔のくせに。
わたしより上背があるところからの上目遣い。
どうもこの悪魔、生来はマゾ気質なのではないか。

見返せば、まつげの長い、二重の深い、綺麗な形の目の中で、瞳は澄んで虹彩がよく光る。
その上、今は涙目。
見飽きないな。
と思いつつじろじろ見ると、それが嫌なのか、彼は睨んだはずの視線をウロウロと逃し出した。

「じ、じゃあ、どうしたら離してくれるの……?」

困り果てたように、指の長い細い手を、ギュッと捩り合わせている。
そういう仕草も、こっちの嗜虐心を煽る。
最高かな?

「そうですねえ。わたしと魔法契約してくれたら、離してあげてもいいですよ!」

言った途端に、

「はあ? 最悪」

と、あまりにもストレートに彼は言った。
美形の美声で、それも真顔で言われると、非常にグサッとくるものがある。
だが相手は悪魔だ。
こんな反応ぐらい予想の内。
むしろ素直で可愛いレベル。

逆にもしも、人間でこんな美形の男の目の前に出たら、「最悪」とか言ってもらうまでもなく、わたしは一瞥されただけで、いたたまれなさに消し飛ぶだろう。
外観の格差って、えげつないものがあると思う。
この悪魔さん、ハリウッドスター並みに後光がさしてるから。
悪魔なのに。

しかし悪魔だからこそ、わたしでも、会話もできれば捕らえもでき、脅しもできるというもの。
彼もそれを、早いところ理解した方がいいと思う。
そして、こちらにおもねって取り繕うとか、した方がいいと思う。
お分かり頂けていないようなので、指摘する。

「いや、最悪とか言われても。契約してくれないと、逆にわたし、怖くて魔法陣からも出られないし、この本を離すのも無理なんですが。あなたのこと逃した途端、復讐されそうで」

理屈をゆっくり並べると、悪魔の美青年の視線が「ふーん」という感じで戻る。

「そこには気付いてたんだ。アホそうなのに」

失礼だなこの悪魔。
そういう悪魔さんも、さっきからそんなに賢くなさそうですけど、と言いたいが。
今はその、容貌だけで見るなら、知的で教養ありげに見えた。
最初に不意打ちされたので焦っていた様子から、だんだん落ち着いてきたというところか。
線が細いだけでなく、見るほどに、なんとなく上品な感じがする。
粗野さや乱暴さの感じがなくて、むしろ頭が良くて冷徹な部類。
それもまた無茶苦茶に好みなんで、命の危険などを差し引いても、ここは逃せないな?

悪魔青年は、欲望で目玉をぎらつかせているわたしを見下ろし、

「その様子じゃ、離してくれるなら何もしない、って神に誓っても、離さないんだろうね」

と、実に悪魔らしく、『神に誓っても』のところを鼻で嗤いながら言った。
見下す視線が険しくなる。
そうするといきなりSっぽい。
これはこれでクるものがある。

一粒で二度美味しい、などと考えているわたしに、

「そんなら僕が『魔法契約します』って言う代償として、君は何を差し出すの?」

美青年悪魔は、いきなりズイッと核心へまで話を進めた。
すごく嫌そうだが、しかめた顔が美形すぎるので、悪印象どころか「麗しい」としか見えない。
「顰みに倣う」の故事の、虫歯に悩んでしかめ面をした美女も、こんな感じだったのだろうか。
それにしてもこの態度。

「離してあげますが?」

差し当たり、天使の魔導書で髪を挟むのはやめてあげる、という意味で言った。
彼はゲンナリした顔をして、さらにわたしを蔑む顔になった。

「それは大前提でしょ。その後、契約で縛る気なら、今一時的に『離す』なんて言ったところで詭弁じゃん」

それはそう、一理あるというか、その通り。
手は離しても、彼を離す気はなかった。
この命尽きるまで……。
しかし。

三白眼で睨まれつつ、さっきからこの表情、なんだか見覚えあるなーと思う。
そしていきなり思い当たる。
チベットスナギツネの画像。
あれだ。
超絶好みの美形でも、チベスナ顔はできる。
初めて知りました。

彼はこちらの発見と感動(感動?)には注意も払わず、言葉を続ける。

「魔法契約には代償が必要だよ。重みが釣り合ってなきゃ契約が有効に成立しないことぐらい、常識だと思うけど?」

言い方にいちいち刺がある気がするのは、悪魔だからか彼だからか、どっちなのか。
他の悪魔、という比較対象がないのでわからない。
ともかくわたしは

「じゃあ、オーソドックスに魂で。わたし、魂とか別にもういらないんで、あげます」

と、至極真っ当なことを言った、つもりだった。
だが。
彼は盛大にため息をついた。

「君、誰かにものをあげるときにも『わたし、これもういらないんであげます』ってプレゼントするの? 言わないまでも、自分のいらない、相手も欲しがってないものを代償に設定して、どれぐらい効果あると思う? 大体きょうび、粗大ゴミの回収だって、持っていってもらう方が処分費払うでしょ?」

粗大ゴミ回収、というロマン溢れない言葉が美形悪魔の口から出て驚いた。
しかしまあ、悪魔は人間のことについて物知りだという話だ。
だからゴミ回収事情についても詳しいのかもしれない。
それより、わたしの魂は粗大ゴミか不用品に喩えられた気がするが。

「魂を回収して欲しいんなら、当然のように代わりに何かもらえるとか、高値で売れるとか思っちゃダメだよ。もうこの頃は、正当な報酬つけて誠心誠意依頼しないと、回収すらされないよ」

教え諭す調子で彼はいい、もう一度、今度はそこまで盛大ではないため息を吐く。

「ほんっと、人間の自分への買いかぶりってすごいね。魂なんてとっくに、しょうもない欲と交換しちゃってるくせに、まだ持っている気で二重にも三重にも売れると思ってるんだからさ」

どういう意味ですか、と尋ねる前に。
彼はワンクリックでデジタル絵画の色でも塗り替えるように、気分を変えた。
それが目に見えているかのようにわかった。
彼は、捕まえた当初の驚き、続いての怯え、それからの卑屈な感じ、今は変わって逆に見下す傲慢さ、と一連だったものをスパッと塗り替える。
そして、ニュートラルな白、とでもいうような顔でこちらを見た。

「じゃあ、こうしない? 僕らの寿命は人間よりよっぽど長いから、君の肉体が滅んだら、僕にその骨を使わせて。その代償でなら、『魔法契約します』って言うよ」

「骨、ですか」

復唱しながらも、心はもう決まっていた。
彼と死ぬまで契約できるんだったら、死んだ後の骨など別に、どうなろうとも構わない。
むしろ、墓地を買ったりどこに処分するか考えなくていい分、お得だ。
本当に、そんなお手軽な、わたし得の条件で契約してくれるのか。

そういえば、初めから彼は骨格標本に話しかけたりしていた。
骨フェチ、みたいなものなのかもしれない。
コレクターとか。
骨でいいなんて、しかも死んだ後でいいなんて、元手もいらないし入手する苦労もない。
ラッキーすぎる。
この魔法ショップに、今日、来て良かった!

そう思いながら、

「では、それでお願いします。不束者ですが末長く」

と挨拶して、しかしまだ、彼の髪を具にした魔導書サンドイッチを離さない。

「ちょっと。離してよ」

彼はまた、両手を捩って視線を斜めに逸らす。
いやいやいや。
契約してませんよね?
誤魔化して逃げる気だとは。
セコすぎやしませんか。

「だってまだ言ってもらってませんよ。わたし達、契約してないっていうか」

指摘すると、彼は苛立たしげに

「ああもう!」

と小声で叫んだ。
それからスッと息を吸い、平静な表情でわたしを見直す。
そして。

「わかったよ。『あなたと魔法契約します』」

あっさり日常語で、彼は言った。
せめてもう少し、仰々しい台詞を予期していたのだが。
呪文のひとくさりも唱えて、互いの血を出して混ぜるとかの儀式ぐらいするのかと思っていた。
拍子抜けしているわたしに向かい、彼はふふっと笑う。
不意打ちに、今までの表情の中で、一番「邪気がない」と言えるような微笑みだ。

あっぶっな!
心臓が持って行かれそうになった。
美形の笑顔は凶器。
世の美形の皆さん、気をつけてください。
不用意に微笑むと死人が出るぞ。

「何? もっと大層な儀式が必要だと思った?」

尋ねながら、悪魔の美青年は半歩ほど足を引く。
それから、店内の狭い通路に、体を折りたたむようにして屈む。
いや、膝を折って、わたしへ深々と礼をする。

「どうぞこちらへ。今からあなたが僕の主人」

彼の豊かに波打ち、あちこち跳ねる長い髪で、店内の薄暗い照明が滑って反射した。
彼が頭を下げる。
青光りする真っ黒な髪が背から滑り落ち、魔導書で挟まれている部分以外、惜しげもなく床にバサリとつく。
美青年悪魔がわたしに、お辞儀をしている。
女王陛下に対して、騎士がするように。

浮かれて、というよりのぼせ上がって、わたしは彼に近寄った。
つまりは、魔法陣から出てしまった。
そして上擦った手の中で、魔導書のページは緩む。
本の間から、彼の黒髪の房が蛇のようにするりと抜け出した。

「なんちゃって、はい。終わり」

冷めた声と共に、急にパチン、と指が鳴らされる音。
と思ったら、足元からゴウッと光が吹き上げる。
一瞬、天にも昇る心地がした。
むしろ、今まで経験したことのない絶頂感が、束になって襲いかかってきたというべきか。

とんでもない声で叫んだ気がしたが、耳に聞こえたのは全くの無音だった。
気がつけば、魔法ショップの店内で、目の前には美形の青年の姿をした悪魔。

ただ、立ち位置が変わっている。
さっきまで悪魔が立っていた隅の、角のあたりへわたしが立っており、悪魔は少し離れている。
視界はなんとなく、揺れているような感じがするのと、照明がさっきよりもボヤンとしている。

悪魔はこちらを向いていない。
彼は腕の中に抱えた誰かに、嬉しそうに話しかけている。
どこかで一度、聞いたような声音と口調で、ボソボソ、ヒソヒソ。

「やっと代わりの人が見つかったから、ようやく連れて行ける。今日、ここへ来ればそうできるって占いで出たから来たんだ。本当に、長い間待たせてごめん」

彼の腕の中にいるのは、あれだ。
一番最初に見かけた時、彼が手を、というか手の骨を、取って話しかけていた骨格標本。
話し方の聞き覚えも、まさにそうだった。
始めに見つけた時、この悪魔は標本に向かって、こんな感じで話しかけていたのだ。

相手は、どこからどこまで、白い骨。
骸骨は変わらず骸骨で、別に、いきなり彼に似合いの美少女になったりなどしていなかった。
返事も特に、しているようには見えない。
しかし、彼は、恋人にでも話しかけるように、抱いた骨へ話しかける。
嬉しそうに愛おしげに、そして若干、気持ち悪い感じで熱心に。
狂っている、というのか、あれが悪魔の普通なのだろうか。

「魂はね、代わりがなかなかいないから。気長に探そう。君のに使えるような魂、もう現生人類では絶望かもしれない。でも確率の問題っていうか、絶対ないっていうのも逆に絶対ないわけじゃん、証明ができないってことは。大丈夫、僕は諦めないからね、安心して。さあ行こう、未来永劫に、一緒にいよう」

囁きで捲し立て、泣き笑いのように、彼が骸骨へ向け笑った顔が見えた。
それはものすごく恐ろしく、しかも胸に迫るほど悲しいものにも見えた。
わたしは思わず泣いていた。

と、思ったのだが。
涙も声も、出ないどころか、瞬きすらできない。
瞬きがないのに、目が痛くなることもなく、どことなしにぼやっとした世界が見えている。
ことのおかしさに、なんだか徐々に気がついた。

異常事態だ。
そう思うわりに、焦る気持ちもさほど出てこない。
どのみち、動こうと考えても身動きができないのだ。
突っ立った自分の、重さも感じない。
というよりも、吊り下げられているような感じだ。
全身が軽く力が入らず、ゆらゆらとするような。
わたしは一体、どうなったのか?

悪魔はわたしに背を向けて、売り物の骨格標本を大事そうに抱き抱え、持ち去ろうとしている。
お支払いがまだですよ、と思うのだが、彼は全然、気にする様子もない。
わたしも店の人を呼べない。
口が動かないし、舌もないようだ。

悪魔が

「うん?」

と耳を傾けるようにして、腕の中の骸骨の顔へ、自分の顔を近づける。

「ああ、代わりの人? そこに立ってもらってる。だ、だ、大丈夫、ちゃんと、僕と魔法契約した代償に、肉体が滅んだら骨を使わせてもらうっていう約束だったから。約束通りにしただけだし。ちゃんと、その人の望み通り僕は、『魔法契約します』って『言った』から。言ったらすぐ骨を使わせてくれるって、親切な条件だったよね、うん、親切な人なんだよ。だから、ね、大丈夫」

なん……だと……?!

しかし、訊き返すことも、もうできなかった。
長身痩躯の美青年の姿をした悪魔は、こちらに背を向け、一歩、あちらへ踏み出す。
見事な青光りの長い黒髪がギラっと光った。
それで終わりだった。
通路には、もう誰もいなくて、彼が抱いていた白い骨格標本の、小指の骨一つ、落ちていない。

余程、時間が経って、店の人がハタキを持って現れ、店内を掃除し始めた。
もう、閉店時間が近いのかもしれない。
相変わらず、魔法ショップの客入りは少ない。
ファンシー雑貨で留まらない「本物の」魔法を求め、ここまで辿り着ける人は稀なんだろう。
パタパタ、慣れた調子で動き続けていたハタキが、わたしのところでふと止まる。

「ああ、もしかしてついに、入れ替わったかな?」

言ったわりに、店の人はわたしを覗き込むでもなく、パタパタとハタキかけを続行する。
ここに骨格標本がありさえすれば、それがわたしであろうとも、構わないらしい。

「よかった、のか、悪かったのか。悪魔になったのも、恋人だか誰かが骸骨になったのも、何かの契約の代償らしいけど。連れて行ったならあの悪魔さん、もうお店には来ないのかもね」

よかったのか、悪かったのか、という言葉がまた呟かれる。
しかし、結論は別にどうでも良かったようで、ハタキは向こうへ移って行った。

良かったのか、悪かったのか、と、わたしもしばし考える。
つまらない人生におさらばだ、と意気込んだ思いは、別の意味でだが叶った気はする。
言ってみれば、『魔法契約の代償』などと言って、騙されたのだが。
相手は悪魔だったので、騙されて当たり前、という気もした。

これが、わたしの望んだ、他人より良い人生……かはわからないが、今はぼやんとして気楽だ。
お腹も減らないし、気分の浮き沈みが特にない。
入浴も、明日の朝起きることも、化粧も、髪のセットも、出勤も、しなくていいのは確実だ。
まだ時間はありそうだから、ゆっくり考えるか。
なんだかそんなことを思った。

(終)

魔法ショップで美形の悪魔を捕らえたはずが

2020年10月作。

魔法ショップで美形の悪魔を捕らえたはずが

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-08-12

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted