人間はな、人生というトイシで、ごしごしすられなくちゃ、光るようにはならないんだ(山本有三)
人間はな、人生というトイシで、ごしごしこすられなくちゃ、光るようにはならないんだ(山本有三) 日本の学校が競争を排除しがちである例として、以下の3つが挙げられます:
成績の非公開: 日本の学校では、個々の生徒の成績や評価を公開しないことが一般的です。これにより、生徒同士の比較や競争を避け、個々の学習を重視します。
グループ活動の重視: グループでの協力やプロジェクト活動が多く、個人の競争よりもチームワークや協力の精神を育てることが重視されます。これにより、個々の成果よりもグループ全体の成果が重要視されます。
標準化テストの制限: 日本の教育システムでは、全国的な標準テスト(例:学力テスト)の実施が少なく、地域や学校単位での評価が多いです。これにより、全国的な競争を避け、個々の学校や地域に応じた教育が行われます。
成績を非公開にしたところで、就職する時には履歴書に学歴を書くことを求められる。それ以前に、制服を着て歩けばAランクの高校に通っているのかFランクの高校に通っているのか一目瞭然。こういうのを「偽善」と言う。
日本は昔から「出る杭は打たれる」という伝統文化がある。要するに、妬みや僻みが強いのです。だから、決してヒーローを作らない教育をする。個人を称えるのは避けて、グループ単位で物事を進めようとする。「僻み」は、国際的にはinferiority complexとみなされます。
その結果、テストの評価は高度経済成長期のような相対評価ではなく意味不明の絶対評価に成り果てて久しい。学校から偏差値を追い出して久しい。地域に根差した教育などと寝ぼけたことを言っている間に、国際的地位は低下の一途をたどっている情けない国になりはてた。
人間は理不尽と思えるような、社会の厳しい競争の中で地べたを這いずり回るような苦労をしないと光らないもの。それは、どの国でも、どの時代でも同じ。そんなことも分からないのに「先生」をやるな!
人間はな、人生というトイシで、ごしごしすられなくちゃ、光るようにはならないんだ(山本有三)