あれやこれや181〜190

あれやこれや181〜190

181 栄光ある失敗

 それは私が13歳のときのこと。
 その頃は興味がなかったのか、記憶がない。
 その、素晴らしいミッションは何年もあとに映画で知った。
 

 アポロ13号は、1970年4月11日13時13分に3度目の有人月面飛行を目指して、ケネディ宇宙センターから発射された。
 乗組員は船長と司令船パイロットと着陸船パイロットの3名。
(陰謀論者は、13という数字を様々に関連づけようとしている。たとえば発射日の70年4月11日の数字を全部足すと13になり、13時13分に39番発射台 (13の3倍)から発射され、事故が発生したのは4月13日である等々。他にも爆発が起きたのは19時13分であるとか)

【機械船】
 地球から33万キロメートル離れたとき、2基ある酸素タンクのうちの一つが突然爆発した。
 この爆発により、1番タンクも損傷した。計器盤の残量表示はゆっくりと下がりつつあり、数時間後には機械船の酸素は完全に空になってしまうと考えられた。

 もし機械船の酸素がなくなってしまったら、司令船オディッセイに搭載されている分を使わざるを得なくなる。しかしそれは機械船を切り離したあと、大気圏再突入の際に必要になるもので、約10時間分しか用意されていない。
 そのためジョンソン宇宙センターの管制センターは、司令船オディッセイの機能を完全に停止し、月着陸船アクエリアスに避難するよう飛行士たちに指示した。
 
 この事故により月面着陸は不可能になり、3人の宇宙飛行士を速やかに地球に帰還させなければならなくなった。

 電気も酸素も水もぎりぎりという制約の下、難しい軌道修正を繰り返し、13号は地球を目指した。

【月着陸船アクエリアス】
 13号は月の目的地に向ける作業を行っていたため、自由帰還軌道(この軌道にのるかぎりは、何かトラブルがあっても航路を変更せずに、そのまま月を回って地球に帰還できる安全な航路)から離脱しており、そのまま放置すると月の裏側を回って地球を大きく外れてしまう長大な楕円軌道に乗っていた。

 そのため、事故発生からおよそ5時間半が経過した時点で、宇宙船を自由帰還軌道に戻すために月着陸船アクエリアスの降下用エンジンを噴射して軌道修正が実行された。(全米のコンピューターが地球に戻る軌道計算に使われた)
 その後、再度の軌道修正と帰還までの所要時間を短縮するための目的で、着陸船の降下用エンジンを噴射した。


 月着陸船アクエリアスは、本来は2人の人間が宇宙に2日間滞在するように設計されており、3人の人間が帰還までの4日間も生存できるようには作られてはいなかった。
 酸素については、着陸船は飛行士が月面で活動する際、一旦内部を真空にしたり、戻ったあと再び船内を与圧したりする行程があるため、十分な量が搭載されていてそれほど心配する必要はなかった。

  問題は、二酸化炭素の除去に必要な水酸化リチウムであった。飛行士たちが呼吸をするたびに、船内に二酸化炭素が放出されるが、一定濃度以上の二酸化炭素は人体に毒性があるため、除去する必要がある。
 それを除去するためのフィルターに使用されている水酸化リチウムが、着陸船内に搭載されている量では、帰還まではとてももたない。
 予備のボトルは船外の格納庫に置いてあり、通常は月面活動をする際に飛行士が取りに行くのだが、今回は船外活動をするだけの電力の余裕がない。
 司令船内には十分な予備があるものの、司令船の濾過装置は、着陸船とは規格が全く異なっていた。 司令船のフィルターエレメントは四角形であり、そのままでは着陸船の円形のフィルター筐体に装着することはできない。
 そのため地上の管制官たちは、船内にある余ったボール紙やビニール袋をガムテープで貼り合わせてフィルター筐体を製作する方法を考案し、その作り方を口頭で飛行士たちに伝えた。
 こうして完成させた間に合わせのフィルター装置が3人の命を繋いだ。
 

 もう一つの問題は電力であった。司令船と機械船の電力源が燃料電池だったのに対し、着陸船は酸化銀電池を使用していた。
 燃料電池は、副産物として水が生成される。この水は飲料水として利用されるだけではなく、機器の冷却にも用いられる。
 酸化銀電池では水が得られないため、大気圏再突入の直前まで電池の出力は最低限度にまで抑えられ、飛行士たちも水を飲むことは極力控えなければならなくなった。

 また電力を最低限度にまで落としたために、船内の温度は極端に低くなってしまった。ホットドッグが凍ってしまうほどの寒さになったが、飛行士は宇宙服を着ることはしなかった。内部はゴム製で発汗が促進されてしまうことを懸念したためである。


【司令船オディッセイ】
 帰還の直前、まず最初に機械船を切り離した。
 着陸船アクエリアスを切り離した後、司令船オディッセイは、アメリカ国民の目がテレビの特別番組に釘付けになる中、南太平洋の海上に無事着水した。


 乗組員2人は健康状態には問題はなかったが、ひとりは水分の補給が不足していたために尿路感染症にかかっていた。
 管制センターは宇宙船の軌道に影響を与えないために一時的に船外に尿を投棄しないよう指示していたのだが、飛行士たちはそれを誤解して、地球に帰還するまで尿の投棄をしないようにしていた。
 尿はビニール袋に貯めて船内に保管していたがビニール袋には限りがあるため、飛行士たちは排尿を少なくするために水を飲むのをできるだけ控えており、そのために尿路感染症に罹ってしまった。

 
 地球帰還への対応は、宇宙船と地上のコントロールセンターとの連携プレーの人知を尽くした見事なものであった。地上での不眠不休の救出活動には、のべ2万人が動員された。

 アポロ13号は月面着陸は達成できなかったものの、関係者が迅速かつ果敢に対応して危機を乗り越えたことにより、この一件は「成功した失敗」「栄光ある失敗」などと称えられた。


【お題】 帰り道

182 孤高の花

 年上のあの子は僕のことなど見やしない。
 あの子は真っ黒だけど血統書付きのアメショー。媚びず甘えず群れない孤高の女。
 名前はフィガロ。
 女の子なのに、フィガロ、フィガロ、フィガロ〜。
 モーツァルトから付けたのではない。ディズニーに出てくる、落ち着きのない猫に、小さい頃は似ていたと言う。

 でも大人になると、高慢ちきで、あとから来た僕のことなど歯牙にもかけない。
 僕は近寄ることもできない。遠くから (狭い家だけど)見ているだけだ。
 ご主人さまがコーヒーを飲むとき、容器に残ったミルクをくれる。1杯目は彼女に。彼女は品よくかわいく舐める。
 2杯目は僕の番だ。僕は音を立てベロベロ舐める。
 物足りない。もっと欲しいよ。

 彼女は日のあたる部屋の真ん中でおなかを見せて寝転んでいる。僕も隣で寝たいけど、そんなことはできない。僕はソファに横になり彼女を見ている。

 ときどき、娘さんがトイプードルを連れてくる。この犬は去勢されていないから、うるさいんだ。小さくて弱いくせに、孤高の彼女を追いかける。彼女は明らかに嫌な顔をして相手にしない。なのにバカ犬は彼女の上に乗ろうとする。
 僕は頭突きをしてやる。
 あいつは大嫌いだ。ソファに乗ってこようとしても、頭突きをして乗せてやるものか。
 早く帰れ。

 しかし、彼女との楽しい生活は長くは続かなかった。美しい女は短命なのだ。ある日、彼女は病院から冷たくなって戻った。
 娘さんは泣いていた。
「テディ、フィガロが死んじゃったよ」

 死んだ、死んだ、あの子が死んでしまった。いきなりいなくなってしまった。小さなキレイな容器に入ってしまった。僕はもう、タンスの上の写真にしか会えない。

 そんな、そんな、悲しいこと。僕も死んでしまいたい。
 彼女は死ぬときも見事だった。朝、いつものようにミルクを舐め、ご主人様が掃除機をかけていたとき様子がおかしくなり、ご主人様は慌てて病院に連れて行った。

 いい子だね、偉いね。お金もかけず、面倒もかけずに……
 フィガロ、フィガロ、とご主人様は手を合わす。

 比べて僕は長患い。
 病気になって、検査だ、薬だ、遠くの大きな病院だ、とご主人様に迷惑をかけてばかり。
 ご主人様は僕のために、高い冬虫夏草やユウグレナまで取り寄せ飲ませてくれた。
 僕は薬のために大食いになり体重も増え、 (ヨーキーなのに笑われるほどでかいのに)散歩に連れて行ってもらってもフラフラで、重いのに抱っこされて帰ってくる。おまけにしょっちゅう粗相するから、オムツだ。
 まだ若いのに。
 もう、こんなんなら、早くあの子のところへ行きたいのに。
 早く死んで、キレイな容器に入れられてあの子の隣に置いてほしいのに。

 
 もう、意識も朦朧だ。痛みはない。ご主人様がモルヒネをもらって飲ませてくれる。高いのに。
 先生が言う。頭の中はお花畑……と。

 この家に来る前は、僕はほとんどひとりだった。夜中の新聞屋のバイクに怯え、地震が来ると震えていた。
 縁があってこの家に貰われてきた。優しいご主人様と素敵な猫。
 僕は嬉しかった。幸せだった。

 ああ、本当だ。病気で立てないはずなのに、僕は大きな声でありがとうが言える。最後に起き上がってご主人様の膝の上に……

183 老後の心配はないから

 父が亡くなり、高校を中退して働いた。
 数度の転職ののち結婚して、某会社に入った。

 頑張った。朝早く出社した。妻には満員電車が嫌だと言って。

 頑張って課長にまでなった。やがてその会社は上場し妻は喜んだ。
 その頃にはもう大卒しか募集しなくなっていた。

 景気のいい時代、家も買い海外旅行もした。

 会社が早期退職者を募ったとき、一晩考えて決断した。55歳だ。

 妻は驚いたろうが反対しなかった。数年の給料の何割かと退職金……老後に不安はない。

 夫婦の役割は逆転した。妻が働き私は家事をした。苦ではない。

 6歳下の妻は楽天的だ。
 以前、乳がんの疑いあり、と診断されたときも
「なるようにしかならないわ〜」
 
 暗くなったのは私のほうだった。がんではなかったが。先に逝かれては困る。

 いい時代を生きてきた。
 妻が働いていたのは景気のいい会社。
 子どもができなかったので、生活にはゆとりがあった。
 妻も数社転職したが、行く先々でいい思いをしたようだ。忘年会は有名な店、ピアノでカラオケ、タクシー券をもらって帰ってきた。
 おしゃれで、高い服に化粧品を買う。文句はない。家事もしっかりやり、老後の資金も貯めている。
 
 
 引き取っていた義父はやがて認知症になった。私は義父とは長い間、話もしなかった。

 なぜそうなってしまったのか?
 初めて妻の家に行き、酒を注がれた時には手が震えたものだ。元気なときは旅行もした。私の母が生きていたときは、よく食事に誘ってくれた。銀座でフグをご馳走してくれた。

 しかし、義母が亡くなってからは酒浸り。仕事も失い、後始末は妻と義妹がした。ひとりにはしておけずに引取りはしたが……

 午前と午後ヘルパーに来てもらい、週に2度デイケアに通わせた。すべて、忙しい妻と義妹が手続きをした。時間のあり余る私はなにもしなくてすんだ。ただ家にいるだけだ。


 義父の介護は長かった。妻との間が険悪になったこともある。妻は仕事を辞めると言い出した。平日は私が義父といるのだ。直接介護はしなくてもヘルパーの出入りさえ煩わしい。ときどき、ただよってくるにおいが我慢できない。

 義妹がデイケアの送り迎えに来た。私はただいるだけで、着替えさえ手伝わない。なにもしないくせに、義妹の出入りさえ煩わしい。

 ある日、ヘルパーに下の世話を手伝わされた。ひとりでできないから押さえてくれという。初めて義父の身体に触った。匂いが我慢できず、私はヘルパーにではなく、妻に文句を言った。

 やがて妻と義妹は施設を探した。なにもしないくせに私は限界だったのだ。費用は義父の年金では足りず義妹と負担しているようだった。

 施設に入ると2年で義父は逝った。病院から家に連れてくることはなく、そのまま斎場の霊安室に置いてもらった。
 通夜の日も、私と妻は泊まらず帰ってきた。義妹夫婦は残った。私たちが残るべきだったろうに。

 もう、私たち夫婦も高齢だ。互いに持病がある。
 兄も姉も亡くなった。
 長患いせず、ボケずに逝きたいものだ。
 充分だと思っていたが、民間の施設にふたりで入るには足りないようだ。

 こんな私だが姪たちはなぜか懐いてくれた。父の日と誕生日にはプレゼントを持ってきてくれる。子どもたちを連れて。

184 みんなショート

 ユニット10人のうち、ほぼ8割は女性だ。入居した時点でアラ卒(90歳)。
 ほとんどがショートカットだけど、たまにいる。ロングで、まだ染めている。息子さんが、母親にはきれいにしていてほしいのだろう。気持ちはわかる。きれいにしていてあげたいと思う。

 でもね、午前中の2時間で3人お風呂に入れなきゃならないの。すんなり入れるわけじゃない。血圧高くて測り直し。何度も何度も測り直し。足を上げたり下げたりして。
 今日は入りたくないの、とごねる。そうかと思えば1番じゃなきゃいや……
 わかりますよ。私だって、あとには入りたくない。

 たまにいる。ロングまではいかなくてもセミロング。自分で洗えるならいいんです。ご家族は高そうなシャンプーを持ってきてくれる。いい匂いが漂う。
「いい香りですね」
と言っても無反応。しまいに隣のリフト浴から便臭が。
 あ〜あ、大変。湯船に入ると気持ち良くて……また湯を入れ替えなければ。配膳までに終わらないな。

 こちらはドライヤーで髪を乾かす。長いから時間がかかる。以前生乾きで出てきた職員はリーダーに叱られていた。風邪ひくでしょ、と。
 その職員が勤めていた施設は全員ショートカットだそう。入浴は流れ作業。うちの施設は丁寧だと。

 90過ぎたら染めなくてもいいじゃない。染め続けて、髪はぺたんこ。
 美容師さんが来て染めてくれるけど、流すのは私なのよね。服につかないように脱がして、ラップはがして、何度も洗う。
「もう染めるのやめようかしら」
 口では言うけど、また染めるのよね。

 理美容など無関心な家族もいる。面会も来ないから前髪がどんなだかもわからないのだろう。
 ツゲさんは髪の量が多い。羨ましいくらいだ。前髪が伸びる。目に掛かる。目をふさぐ。素直な髪は分けても戻る。
 気になってしょうがない。リーダーに言えば、
「家族になにか持ってきてもらいましょうか」
 悠長に構えている。実行されない。家族は理美容も申し込まない。
 私は家にあったプラスチックの髪留めを持っていき、食事の時だけ前髪を分けて留めた。
 普段は食事さえ人任せ、手を動かすこともないツゲさんが、翌日髪飾りを食べた。ガリガリと。ツゲさんには自歯がある。職員が手袋をして、取れるだけ取ったが、見事に粉々に噛み砕かれていた。しばらくは便の観察だ。
 休み明けに知らされて驚いた。
 謝った。勝手に持ってきたことを。お咎めはなかったが。職員は家族にも電話を入れてくれ、ツゲさんの髪はカットされた。
 2度と、2度と余計なことはすまい。たとえ目が塞がろうが、なにがどうしようが……

 若い女性の職員はいう。
「口から食べられなくなったら胃瘻は拒否する。ゼリー食さえいやだ、と。ましてや、他人に尻を……その前に死にたい、と」

 しかし、90過ぎまで生きるような気がする。入居者は95歳があたりまえになってきた。死ぬのも怖いが、死なないのも怖い。


【お題】 ショートの彼女、ロングなあの子

185 死の谷

 地球の平均気温の上昇については、今世紀末の予測として1.5℃~4.8℃と国連筋が発表しているが、最高気温については触れていない。
 私たちの子孫が生きていくためには、最高気温がどうなるのかが問題なのではないか? 

 様々な論文や地球十億年史から推測される最高気温は、
 2億5千年前のペルム紀 (生物絶滅) 65℃
 1億年前の白亜紀 (恐竜の時代) 60℃
 260万年前に現在の氷河時代 (北極と南極に氷がある時代)に入ってからは、12万年前のエーミアン間氷期で55℃
 6千年前の縄文時代 50℃。

 ホモサピエンス (人類)が出現したのは20万年前。したがって、最高でも55℃で、人類は生き延びることができた。



 もはや、突拍子もない温度ではないのかも?

 去年の7月には、スペインで44.5度。
 ギリシャで45.7度。
 中国で52.2度。
 そしてアメリカ、デスバレー(死の谷と名付けられた)で最高気温54℃を出している。

 デスバレーでは、1913年7月10日に56.7℃という世界気象機関 (WMO)が認定する「世界最高気温」が記録されている。
 この記録は111年たった今でも破られていない。

 デスバレー国立公園は、アメリカ合衆国カリフォルニア州のシエラネバダ山脈東部に位置する国立公園である。

 デスバレーはその名の通り「死の谷」という意味。
 アメリカの国立公園の中でも最も暑く最も乾燥した地域である。海抜が-86mのところもあり、このような地形が灼熱地帯を作り出していると言われている。

 デスバレー(Death Valley; 死の谷)という地名は、ゴールドラッシュさなかの1849年、カリフォルニア州にある金鉱地へ向かっていたグループが近道をしようとしてこの谷に迷い込み、数週間さまよった末にメンバーの数人が酷暑と水不足によって命を落としたことに由来している。

 
 現在のデスバレー国立公園地域に白色人種が最初に足を踏み入れたのは、カリフォルニア州で発生したゴールドラッシュがきっかけであった。
 1849年12月、およそ100台の荷馬車とともにカリフォルニア州ゴールド郡へと向かっていた2組の白色人種のグループが、オールド・スパニッシュ・トレイルへ近道をしようとして道に迷い、巨大な谷に入り込んでしまった。
 後にベネット・アーケイン移民団と呼ばれた彼らは数週間もの間、この谷から脱出する道を見つけることができず、生き残るために数頭の牛を食べることを余儀なくされたが、この谷に数多く存在する泉から飲用水を確保することはできた。
 彼らは荷馬車を捨て、起伏の激しい「ウィンゲート・パス」を通ることでようやく、この巨大な谷を脱出することができた。言い伝えによると、この谷から脱出した直後、一団の中の一人が「グッバイ・デスバレー(Goodbye Death Valley; 死の谷よ、さようなら)」と言ったとされており、これがデスバレーという名前の由来とされている。


動く石

 夜間に岩が長距離に渡って移動し、「セーリング・ストーン」「スライディング・ロック」「ムービング・ロック」「ゴルディロックス」などと呼ばれていた。
 何かに引きずられたような直線的な跡を伴うが、人間を含む動物の足跡などは一切残されていなかった。
 移動の原因として動物説、重力説、地震説などが考えられ、またある地質学者はネバネバした細菌が岩の下で繁殖し岩を滑りやすくしているという推測をしていた。

 このメカニズムは、2014年になって解明された。岩を動かしていたものは有力な説として存在した氷と風であり、湖の表面に浮かぶ氷が岩を押して滑りやすい泥の上を岩が運ばれていた。

(Wikipedia)


【お題】 世界新記録

186 記憶に残る

 女子初の3回転アクセル成功
 女子初の1プログラムで6種類の3回転ジャンプ成功
 女子初の3回転トウループ-3回転トウループ成功(女子初の3回転-3回転)
 女子初の2回転ループ-3回転ループ成功
 女子初の3回転ルッツ-3回転トウループ成功

 ミスタートリプルアクセルと呼ばれてたブライアン・オーサーコーチが、彼女が男子じゃなくて良かったと本に書いていた。


 男子からも恐れられ目標にされていた。

 技術点は常に5.7以上、5.9がズラリ。

 男子でも5.9貰えるのはトップ中のトップみたいな人くらいだった。
 女子は上位でも5.5以下が普通だった。

 ジャンプは飛び上がる前から回り始めてる選手が多い中、ちゃんと飛び上がってから回り始めて着地の時も回りきっていた。 

 ジャンプの高さは推定70センチ以上だった。
 150センチ弱の身長で身長の半分近くかそれ以上跳んでるように見えるから、間違いなさそう。
 男子でもここまで跳べる選手はほぼいないんじゃないかな。

 トリプルアクセルを封印していた時期のダブルアクセルも凄い。
 高さはもちろん、飛距離が半端ない。
 5メートル以上跳んでそう。

 このスピードと高さを出せる女子はこの人のあとまだ出てきてないね。
 助走なしでいきなり飛んだりセカンドのジャンプはさらに高い。
 飛距離出過ぎてカメラマンの席に突っ込む。

 金メダルだったクリスティーナ山口が、「本当のチャンピオンは彼女だ」と言った。


 スケートを始めたのは、3歳のころ。家族レジャーの一環として近所のスケートリンク(名古屋スポーツセンター)に行くようになったのがきっかけだった。5歳のとき、このリンクで山田満知子が教えている子供たちのスピンやジャンプを真似して遊んでいたところを、山田に見出される。
 山田によれば、自分の教え子よりうまく、ジャンプは飛び抜けていたという。
 幼稚園のうちから小学生のスケート教室に年齢をごまかして参加した。初級~上級の3クラスを合わせて10日間で卒業し、本格的にフィギュアスケートを習い始める。
 1980年3月、小学校4年生で全日本ジュニア選手権に優勝。 
 同年11月のNHK杯に特別出場し、日本全国に演技が放送されたことにより伊藤の存在が知られるようになった。
 1980年12月の世界ジュニア選手権に史上最年少の日本代表に選出され、フリー1位、総合8位となった。
 次いで12月の全日本選手権で3位入賞し、これは稲田悦子以来45年ぶりの小学5年生(11歳)での入賞で、このことから「天才少女スケーター」と呼ばれるようになった。

 小学生の時は偏食でガリガリに痩せており、肉と野菜は一切食べず、魚もサンマとイワシ以外はほとんど食べなかった。
 成長期・思春期に入ると、偏食は治り、肉が好物になったものの、今度は体重管理に苦労した。
 中学時代には右足首を2度骨折している。最初の骨折は、体重が1年で9キロも増加してジャンプの着地で足首に大きな負担がかかったのが原因だった。
 骨折以外のケガや故障も含めて、1992年に引退するまでの治療回数は500回にも上った。ジャンプの練習を重ねたため、かかとが角張って変形するようになった。
 性格は新しいもの好きで負けず嫌い。そのため反復練習が嫌いであった。

187 ビューティフル・マインド

 今までありがとう。

 今の私があるのは……

 君のお陰だ。
 妻こそが私のすべて。
 ありがとう。
 

『ビューティフル・マインド』は、2001年のアメリカ合衆国の伝記映画。
 ノーベル経済学賞受賞の実在の天才数学者、ジョン・ナッシュの半生を描く物語。

 レンタルビデオの解説では、サスペンス映画だと思った。国家の陰謀とか。
 観はじめて眠くなった。
 こういうの、好きじゃない……
 ウトウト。
 目が覚めたら終盤。

 なにこれ?
 姿勢を正して見入ってしまった。
 ラストまで観て、また最初から。
 その後何度か借りてきて観た。
『グラディエーター』の主役と同じ俳優さん。ラッセル・クロウ。全然違う役柄。

 アクション物で男らしい役が多いラッセル・クロウが、本作では子犬のような目で見事に人付き合いの苦手な天才を演じている。

 彼は役作りとして、ジョン・ナッシュのことを監督と共に徹底的に調べ上げたのだとか。この作品で彼はゴールデングローブ賞で主演男優賞を獲得。

 妻役のジェニファー・コネリーもアカデミー賞、ゴールデングローブ賞ともに助演女優賞を獲得する。


 1947年。ジョン・ナッシュはプリンストン大学院の数学科に入学する。彼は、
「この世の全てを支配できる理論を見つけ出したい」
という願いを果たすため、一人研究に没頭していくのだった。
 そんな彼の研究はついに実を結び、「ゲーム理論」という画期的な理論を発見する。 
 やがて、その類いまれな頭脳を認められたジョンは、MITのウィーラー研究所と言われる軍事施設に採用され、愛する女性アリシアと結婚する。


 ナッシュは「ナッシュ均衡」など、画期的な数学理論を次々と発表していった。しかし、成果が認められた30歳以降に被害妄想が強くなり、「世界平和が脅かされている」といった世界の危機感を口にするようになる。
「世界没落体験」と呼ばれる、統合失調症の症状のひとつ。
 統合失調症と診断されたナッシュは入院するが、しばしば服薬を自分で中断しており、幻覚や妄想が残る段階で退院したために、たびたび再発した。

 統合失調症になると、本来見えないものが見えるといった「幻視」、自分に対する悪口など不快な内容の声が関こえる「幻聴」が現れ、それらに考え方や行動が支配されるようになる。
 こういった症状を「陽性症状」と呼ぶ。なかでも幻聴が多く現れる。
 一方、感情が乏しくなる、人との交流ができなくなり自分の世界に閉じこもる、以前より考えることがうまくできず、記憶力や集中力が低下する、といった症状を「陰性症状」という。

 映画でナッシュは徐々に無精ひげを生やし、妙な服装をするようになる。頭を下げて、足を引きずりながらオフィスに入退室したり、時々独り言を言ったりする。人と視線をあわせることがあまりなくなり、特に質問に答える際に顧著になる。
 以前は精神分裂病といわれ、長崎大の初代精神科教授、石田昇博士が「迷妄なる一肉塊」と称したように、最も治療に困難な病と長く考えられていた。
 しかし、最近は新しい精神科薬物が開発され、精神科リハビリテーションの技術も向上していることから、適切な治療を早期に行えば、半数以上が社会復備可能な疾患になってきた。

 
 ジョンは精神病院へ入退院を繰り返したが、服薬を含めた治療をしたことに加え、夫人の献身的な支え、同僚研究者の理解などもあり、長い年月を経て回復が訪れる。
 このナッシュの治療経過から、統合失調症の回復に必要なものは「安全」と「自由」「親密さ」であり、何よりも「素晴らしい世界(ビューティフル・ワールド)」とのつながりを取り戻したことが、ポイントだったであろうと指摘する解説もある。
 約30年間で激しい幻覚・妄想により3回入院したものの、最終的に回復したナッシュの闘病生活は、今日の統合失調症治療においても示唆に富んでいるといえる。

「僕は新しい薬を飲んではいるが、まだ ここにはないものが見えるんだ。無視してるがね。心にダイエットするように、ある種の欲求を抑えるんだ」

 1994年12月 ノーベル賞授賞式(ストックホルム)でのジョン・ナッシュ教授のスピーチ。

 数を信じてきました。
 解を導く方程式や論理を
 生涯を数にささげて……
 いまだに問い続けています。
 誰が解を決める?
 私の探求は自然科学や哲学 そして……
 幻覚にも迷い……
 戻りました
 そして行き着いたのです
 人生最大の発見に
 愛の方程式の中にこそ 本当の解があるのです
 今の私があるのは……

 アリシアの方を見て

 君のお陰だ
 妻こそが私のすべて
 ありがとう


 ノーベル賞が発表されると思い出す。
 ジョン・ナッシュ。
 ゲーム理論、ナッシュ均衡は調べたけれどよくわからない。(あたりまえ)
 
 2015年5月23日
「ゲーム理論」でノーベル経済学賞を受賞した数学者で、映画『ビューティフル・マインド』のモデルとなった米数学者ジョン・ナッシュ氏(86)が米ニュージャージー州で交通事故で死亡した。
 ニュージャージー州警察によると、乗っていたタクシーが事故を起こし、同乗していた妻のアリシアさん(82)ともども亡くなったという。



【お題】「今までありがとう」から始まる物語

188 お世辞

 隣のユニットのトネリコさん。5年経っても馴染めない。
 怖い。孤高の人だ。他と交わらない。コデマリさん達が喋っていれば、
「うるさいッ!」
 そのひとことの重み。テレビの前に立てば、
「見えないよッ!」
 そのひとことの怖いこと。

 おはようございます、と挨拶すれば、
「ごきげん、よう」
 どこのお嬢様?

 5年経つと、ときどきはニコッとする。その笑顔の素敵なこと。
「素敵ですね。トネリコさんの笑顔」
「そんなこと言われたことないよ」
「素敵ですよ。100万ドルの笑顔。もっと笑ってくださいよ」
「おべっか言ってんじゃねーよ」


 トネリコさんに異変が。最近入居して来たマンサクさん、男性、75歳。
 車椅子だがしっかりしている。髪もまあまあ、品のいいメガネ。まだまだ恋ができそうな……
 マンサクさんが車椅子を自走してくる。離れたテーブルに着くと、トネリコさんは手を振る。
「トネリコよ」
 マンサクさんが気が付かないと2回3回。
「トネリコよ〜」
 男性の方は無関心だ。こちらは覇気がない。

「どうでもいいよ、なんでもいいよ、興味ないよ、早く死にたいよ、お迎え待ってるのッ!」

 もったいないと思う。
 振り返してあげて!

 
 ハイテンションなのは隣のユニットのサカキさん。90歳を過ぎているのにすごい体力だ。車椅子で自走する。嬌声をあげながら。
「はぁーーん、はぁーーん」
 4ユニットと廊下を何度も何度も。ドアは開けるが閉めないで行く。疲れると、よそのユニットで居眠りしている。サカキさんの走行距離は相当なものだ。腕の力も並ではない。

 私はサカキさんを風呂に入れる。気をつけないと……ズボンの裾を捲り上げた時に、バシッと腿を叩かれた。腕の力は並ではない。
「なにすんのよっ!」
 つい、こちらも大声に。そうすれば、遊んでもらっていると思ってもっと手が出る。腕をつねる。手を口に持っていく。噛まれる前に振り払う。水をかけられる。メガネを壊されそうになる。

 コデマリさんはサカキさんをバカにする。
「困ったバーさんだね。ああはなりたくない」
 言われてもサカキさんは耳が遠い。しかし雰囲気でわかるのだろう。よそのユニットに行く。

 うちのユニットのネコヤナギさんとカリンさんも意地悪をする。ネコヤナギさんは通れないように車椅子でふさぐ。
「まいにち、まいにち……なんかいも、なんかいも」
 怒っても聞こえない。ときどきは足で蹴ろうとする。カリンさんは、
「あんた、自分とこへ帰んな」
 サカキさんは聞こえないからうちのユニットで居眠りをする。
 サカキさんは風呂場も開ける。脱衣中にガラッと。騒ぎはしないが、しょうがないバーさんだね、とコデマリさんは触れ回る。
 この間は大変なことに。廊下の火災報知器を鳴らしてしまったのだ。押さないように椅子を置いて置くのだが、甘かったようだ。消防署に直結だ。アナウンスが流れる。延々と。そして消防車が……
 スタッフは誤報です、と説明してもコデマリさんは納得しない。あのバーさんよ、と数日蒸し返す。

 
 トネリコさんが入院した。気にするのはコデマリさんくらいだ。
 マンサクさんに聞いた。
「トネリコさん、いないと寂しいでしょ?」
「……」
「いつも手を振ってくれたでしょ」
「ああ、トネちゃんか」

【お題】 図星


『ついのすみか』の過去作から。

189 毎月のこと

 月に1度は、弾丸日帰り帰郷。帰郷といっても実家にいるのはわずかな時間だ。
 朝イチの新幹線に乗り3時間弱。仕事の疲れでウトウトする。
 まだ母は地元の駅までひとりでなんとか来られる。
 待ち合わせして大学病院の付き添い。予約していても予定通りにはいかない。
 父の施設の面会は午後3時。それまでに戻れるといいが。
 母は実家にひとり暮らし。デイケアに通っている。もう家の風呂は使わない。使っている部屋はひと部屋だけ。食事は弁当を頼んでいる。
 父は介護施設だ。実家の近くだから、母は歩いて面会に行ける。いずれ、母も入ることになるのだろう。
 そのあと、実家に母を送り、家の点検、ゴミの片付け等。草むしりもしたいが時間的に無理だ。

 今日は、父の面会に私の従兄が来てくれる。年賀状だけの付き合いで、何十年も会っていないが。
 まだらボケの父がポツリと言ったのだ。
「ひょうきんなやつだった」

 父が会いたがっていると、ハガキを出した。従兄の家から施設まで車で2時間。来てくれると期待はしていなかったのだが、すぐに返事が来た。 
 従兄はもう退職しているので、こちらの都合に合わせて面会に来てくれる。奥さんも一緒に。
 従兄とは、父の実家で子どもの頃遊んだ記憶があるだけだ。
 子どもの頃は大勢の親戚が集まった。

 
 駅で3時に待ち合わせをした。こちらは少し遅れてしまったが。数十年ぶりに会ったが、互いにすぐにわかった。
 奥さんは初対面なのに、すぐに母と親しげに話していた。
 従兄の車で施設まで行った。私が欲しい車種だ。羨ましい。
 従兄はすでに退職し、健康のために早朝のアルバイトをしているという。夫婦の両親はすでに他界……羨ましい。
 今は夫婦でゴルフを楽しんでいる。優雅な老後だ。

 父は喜んだ。昔の話をし、つぎつぎ、兄弟姉妹の名を出した。皆、すでに亡くなったか施設だ。
 帰り際に従兄の奥さんがみやげを差し出した。 
 父には有名店の小型羊羹の詰め合わせ。
 母にも和菓子の詰め合わせ。
 こちらが礼をしなくてはならないのに、律儀な夫婦だ。
 従兄は家まで送ってくれた。奥さんは庭を褒めた。母が育てたクリスマスローズが繁殖している。奥さんはマンションのベランダで育てたが夏の暑さに溶けたそうだ。
 庭のある家を羨ましがった。
 いずれこの家も処分しなければならない。
 母が買い置きのハチミツをみやげに渡した。
 
 妻は実家に帰っている。義父が亡くなり義母も看取り状態だ。家で死にたい、なんてわがままを言うから、妻はもう2ヶ月も実家に泊まり込んでいる。
 それももう少しだろう。


【お題】 弾丸日帰り旅行

190 思い浮かばない

【お題】 夏の大三角関係

 思い浮かばなくて、過去作を苦肉の策で改筆しました。



 幼い頃から、自分の容姿がよくないことは知っていた。幼稚園ではっきりわかった。
 同じ組に三沢家の三女がいた。いつも髪を結い、かわいいリボンをしていた。服は皆同じ制服だが、明らかな素材の違いを思い知らされた。男児はかわいい子を好む。たとえ、自分勝手でわがままでも。おまけにパパは社長……と自慢した。
 嫌いな子だった。ああいうチャラチャラした中身のない子は大嫌い。ただひとつ、羨ましいことがあった。私にはないもの。兄貴だ。
 10歳年上の素敵な兄貴が、時々妹を迎えに来ていた。中学生の兄貴は妹の自慢だ。妹は見せびらかして甘えた。兄は妹の手を取って帰って行った。私の顔など見やしなかった。

 素敵な兄貴の妹たちは私と同じ小学校だった。3人いた。皆かわいくて目立っていた。兄は運動会には応援に来ていた。先生たちと話していた。もう大人たちより背が高く、誰よりも素敵だった。
 噂は私の耳にも入った。三沢家の長男。学力優秀。スポーツ万能。
 
 その後は何度か、ホームや電車の中で彼を見かけた。社会人になった彼はますます素敵になり、まわりの女性も意識していた。私のことは覚えていない。妹のそばで見つめていたのに。

 三沢家に飼われていた犬は、父が経営する動物病院に予防注射を受けに来た。家族旅行の時は犬を何日も預けた。長男が連れてきたこともある。 私が大学生のとき、父の助手をしていると、彼が子犬を抱いてきた。診察室でしばしふたりきりになった。ふたりと1匹。
 18歳の飾り気のない女の頬は紅潮しただろう。しかし、彼は慣れていた。見られることに慣れていた。
 私は慣れていなかった。犬の爪を切り足の毛を刈る。彼は私の手元を見ていた。
三角(みすみ)先生のお嬢さん?」
 お嬢さん……
「似てますね」
 そうよ。父親似なの。母に似ればよかった。

 男と交際したことはある。面倒くさい女より男の方が話しやすかった。ほとんどの男は私を恋愛の対象には見なかった。私も、あの三沢家の息子と比べてしまい、それを超える男には出会わなかった。

 それから10年以上経った。憧れていた男は目の前に現れた。最低の男、父親として。

 私は彼の妻を知っていた。私と同じ歳の女が、憧れた男の妻になった。嫉妬は湧かなかった。噂は聞いていた。
 三沢家の長男は結婚を反対されて家を出た。女のために家族も会社も捨てたのだ。
 そして、会社が危うくなると長男は戻ってきた。妻と子供を連れて。学歴のない東北の貧しい女だという。

 そのひとには感服した。父親は半身不随、母親も介護で腰を悪くした。妹たちの寄り付かなくなった家は荒れていた。
 三沢家の長男が、何もかも捨てて妻にした女はたいした人だった。荒れ果てた邸がきれいになっていった。その美しい人は、梯子に乗り植栽を切っていた。結婚を反対した義父を車椅子で散歩させていた。笑っていた。楽しそうに。
 母が噂話を聞いてきた。魚屋でアラを買っていた。八百屋で大根の葉をもらっていた。もう、あの家には金がないのだ。
 なのに、笑っていた。皆、彼女に好意的だった。その妻のおかげだろう。会社は持ち直した。三沢家は再びにぎやかになった。

 ある日、彼女は病気の犬を連れてきた。大きな病院に検査に行くことになり、私が車を運転し乗せて行った。彼女に興味があった。彼女は自分で調べていて、病気のことに詳しかった。

 その後なにがあったのか? ある日、彼女から父に電話がきた。私は三沢邸に桃太郎の様子を見に行った。
 何があったのか? 彼女は家を出て郷里に帰っていた。弱った犬と息子を残して。

 7歳の息子が犬の世話をしていた。薬の副作用で粗相をする。世話は大変だろう。
「おうちの方は?」
 私が三角(みすみ)大先生の娘だというと、少年は安心したようだった。父親は仕事で帰りが遅い。祖母は具合が悪く、寝ている。

 具合が悪いのは目の前の子供の方だった。片方の瞼が青い。アイシャドウでも塗ったように。転んだんだ、と息子は父親を庇った。
 
 気が気ではなかった。私はランニングしながら三沢邸の様子を伺った。父親の帰りは遅いようだ。手紙を門扉に挟んだ。
「桃太郎のことでお話があります。電話をください。遅くても構いません」
 
 電話はなかった。放っては置けない。私はもう1度手紙を書いた。  
「2度目の手紙です。間違っていたらごめんなさい。間違いならいいけど。息子さんのことでお話があります。三角(みすみ)動物病院の娘です。以前1度だけお目にかかりました。電話がなければ警察に連絡します」

 日にちが変わるまで待ったが電話はなかった。その時、少年がやってきた。犬を抱いて。真夜中にひとりで歩いてきた。副作用で体重の増えた重い犬を抱いて。
 その夜、ふたりで犬を看取った。

 そこにようやく現れた父親は酒臭かった。私は自分でも驚いた行動に出た。酔った男を外に押し出し、犬を洗う水道の栓を捻った。夏だ。構うものか。
 男は勢いよく水をかけられた。
「子供を殴るなんて、最低の大バカやろう。あの子は返さない。酒をやめるまで返さない」
 父親はずぶ濡れで土下座した。

 朝、少年を送っていった。情けない父親は元のかっこいい男に戻っていた。
 丁寧に謝り礼を言い、2度と暴力は振るわないと私に誓った。少年は学校へ行った。ほとんど眠っていないのに。

 私は少年を放っておけなかった。父親の方も。 そして、祖母はもっと危険な状態だった。祖母は明らかに病んでいた。病院に連れて行くとすぐに入院になった。
 情けない男は立て続けの出来事に後悔した。

 妻のいない家に出入りした。いろいろ噂されただろう。父親は私に頼んだ。息子の力になってくれ、と。あなたに懐いている。心を開いている、と。
 家は平和を取り戻していった。やがて私は求婚された。 

あれやこれや181〜190

あれやこれや181〜190

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-07-18

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 181 栄光ある失敗
  2. 182 孤高の花
  3. 183 老後の心配はないから
  4. 184 みんなショート
  5. 185 死の谷
  6. 186 記憶に残る
  7. 187 ビューティフル・マインド
  8. 188 お世辞
  9. 189 毎月のこと
  10. 190 思い浮かばない