フリーズ122 涅槃文学 雪月花
涅槃文学 雪月花
流した血が雪を朱に染める。ここは雪原。吹雪で辺りが見えない。平衡感覚さえも失いそうになる白の世界。僕は歩き続ける。天空の御花畑に咲く白い雪の華を求めて歩き続ける。
阿寒の地に咲くとされるフロストフラワー。僕は君の果てたその地にて死にたいのだ。僕は死に場所を探していた。ずっとね。
遠い未来から黒い光が差し込んでいて、僕の人生に暗黒の影を落とす。だから、僕は生への期待はもうないんだ。生きていてもしょうがない。大学の単位も、成績も、就職活動だって僕にとっては重要ではなかった。
大切なのはあの冬の日に帰ること。僕は悟りに悟り、涅槃寂静の穏やかな梵我一如は、まさしく安らかな死であった。僕は次こそ本当の死を甘受したいのだ。
だから、人生は全てどうでもいい。最後には死ぬだけだから。単位を落としても何の影響があろうか。僕はそうやって自分を説得しては、未来へと放棄する。否、これでいい。人生の終わりに見張る景色のなんと荘厳華麗なことか。やはり、僕が求めるものは一つだけ。死だ。死、涅槃、解脱、悟り、を心根から心底求めている。愛している。だからどんなに惨めな生活だって、必ず死へと繋がる道ならば、何が失敗足り得るか。否、失敗などない。いずれ死ぬその時まで笑う必要も勝ち誇る必要もない。連敗続きでも、上手くいかなくても、別に大差ない。いずれ死ぬ命なのだから。
失敗も僕は見ない。全ては最後に安らかな死を享受できるかだから。今際の僕よ、幸せでいて。月とタナトス。涅槃から眠る日に、僕は全へと帰入して、知り得た七色のソフィアの瞬きにも帰らず、ただ、その狭間で揺蕩う。月が水面に揺らいでいる。揺らいでいる君も僕も、いつかは終わるんだ。生あるものの終着地点としての死は、やはりこうでなくてはな。
安らかな死、穏やかな死、美しい死。
そう。僕は天上楽園の乙女にキスをして、そのまま涅槃に至り、永遠の眠りへとつく。そんな幻想や妄想の類のパラノイアを愛したい。人生に何が起きようとも、僕は僕のまま、安らかな死を望む。そのために今日を生きる。
そして、眠らずに幾夜を越えること。そうすることで僕は死に近づける。脳が死に近くなる。あの冬の日に戻れる。だが、もうそんなことはしないか。平凡に穏やかに生きれればいいのだから。
そして、最後の最後に美しい死を僕はこの目で見たい。僕の愛した乙女の純白なドレスが花開く瞬間を見届ける。それから、僕の口づけを彼女に贈る。それが最高の最期だ。嗚呼、何という甘い妄想か。それは僕だけの儚く脆い夢物語なんだ。もう、夢は見なくてもいいか。
死よ、僕のもとに来い。僕が望んだ死はすぐそこに待っているだろう。
いつか、君が言った。
「ねえ、どうして死のうと思ったの?」
僕は答えた。
「未来が怖かったんだ」
君は僕の手を握りしめて言った。
「そう。なら、大丈夫ね」と。
僕は笑った。君は何も答えてはくれないけれど、君から伝わる体温で今この瞬間は確かに安らいでいるよ。たとえ僕の鼓動が停止したとしても、君の心臓だけは動かし続けていてくれればいいな。君の脈打つ生命のリズムを僕が感じるから。
「明日、この場所で会える?」と君は言った。
「ああ。約束する」と僕は言った。
そう約束はしたけれど、もう僕は君のことを忘れてしまったよ。ごめんね。僕は君にはもう会えないだろう。でも、それでいいんだ。それがいい。それが一番いい選択だ。
だから、僕の最期の日は君とともに迎えようと思うんだよ。君が僕の死を見届けてくれるならそれで十分さ。月のような人よ、ありがとう、愛しています。
フリーズ122 涅槃文学 雪月花