あれやこれや 171〜180
171 無惨の美
今回の投稿はかなり凄まじいです。
『トドを殺すな』の友川かずきさん。
1950年生まれの秋田県出身で、本名は及位典司。この及位という姓を笑われる辛さから、勤め先の飯場で名乗ったのが「友川かずき」という芸名の発端であるという。
1970年、岡林信康の『チューリップのアップリケ』に触発され、ギターを弾き、歌うことを始める。
商業的に成功したとは言えないものの、熱心なリスナーの支持を受け続ける。
この頃、ドラマ『3年B組金八先生』でゲスト出演し、名曲『トドを殺すな』を歌う映像が残されているが、津軽三味線のようにギターをかき鳴らし、絶叫するさまは、表現の古さ、新しさとかいう言葉を無意味にしてしまうほど、迫力に満ちたものだった。
YouTubeで『トドを殺すな』の第一声を聴いた時から、魅力 (?)された。魅入られた。何曲か聴いてみるとすごい曲が……
『無惨の美』
詩を書いた位では間に合わない
淋しさが時として人間にはある
友川は及位家の次男坊である。
2歳年下の三男を覚という。
この曲は若くして逝った弟覚への追悼歌。
覚は熊代農業高校を出たが、家業の農業を嫌って家出。流転が始まる。
覚は、ちょうど兄友川がそうしたように、流れ歩く生活の中で詩作をするようになる。
坂口安吾と山頭火を愛し、その存在を兄に教えもした。
一時郷里に帰ったが、 (昭和)55年再上京して兄のアパートに同居。川崎の建材屋で働くかたわら兄の付き人を。しかし半年後、いつもそうだったように突然の出奔。
行方の知れないまま4年。 (昭和)59年10月30日深夜、覚は阪和線富木駅南一番踏切で、上り大阪行電車に身を投げた。享年31歳。
富木の飯場には、中島みゆきのLP『寒水魚』と10冊の文庫本が、川崎の友川の部屋には20冊の大学ノートと数10枚のメモが残された。
遺稿は『及位覚詩集』ちなみにジャケットのオブジェは『無残の美』とタイトルされ、友人の中里繪魯洲が制作したもの。
友川の弟、及位覚は詩を書いていたが、生前は無名の存在であった。彼が自ら命を絶った理由は分からないという。
淋しさを紛らわすために多くの人は詩を書き始めるが、詩は決して救いにならない。むしろ、淋しさにはっきりとした形を与えてしまう。
麻薬中毒の作家、W・バロウズは
「ことばはウイルスだ。言語線を切れ!」
と言った。
バロウズの意図するところとはまるで違うかもしれないけれど、言葉は人間の心を蝕む病原体だと思うときがある。淋しさに形を与え、谺となって無制限に増殖してゆく。
本当はきっと、覚は詩に対し、余りにも真摯に向き合い過ぎたのではないだろうか?
鉄道自殺した弟の身元確認の際、
「見ない方がいいですよ」
と言われたものの友川は、顔半分が飛んでしまった遺体と対面する。
それは自分の親族だからというのでなく、
(だから「いかなる肉親とても幾多の他人のひとりだ」と歌っている)
一人の表現者が為した事すべてを受け取るために、守らなければならない厳粛な儀式だったのだ。
弟はすでに肉体を離れ、生まれ故郷の熊代に溶けこもうとしている。
「こちら側へももう来るな」
生の間に抱き止めてやれなかった以上、生きることが苦しみとなってしまった弟へ、兄からの精一杯の優しさを示したものだと思う。
無残に破損された肉体と対面し、普通の人間なら嘔吐もし兼ねない状況で、「きれいだ」と言ってあげられる、これが慈悲でなくて一体何だろう。人間のこころが授けられるもので、それ以上のものがあるのだろうか?
世には、一つの事にのめり込み過ぎたために、言い換えれば懸命に生き過ぎたために、有限の肉体をあっさり捨ててしまう火花のような人たちがいる。
友川がリスペクトする、中原中也も、山頭火も、言葉を研ぎすませる手品みたいな事に取り付かれて、命を削った。脆弱な肉体を持ちながら、それを忘れたかのように無茶をして、魂を純化する如く生き急いでしまう。
行き着くところ、残された作品だけでは全てを語れないのだ。立派に生き抜いたゲーテよりも、刹那的なボードレールやランボーが多くの人に、熱烈に愛される。
実は誰もが、肉声を聞くことを求めている。自分たちの肉体がたかだか数十年のうちに老いて、消滅することを知っている。芸術はこの脆い肉体から、逃げられない。結局、友川カズキの東北訛りの、決して洗練とは縁遠いあの声に我々が脅かされるのは、そういうことでは無いのだろうか。
【お題】 旅に出ます
172 この街で
お義母さん。
おかあさんとは、実家に行った時に初めて会いましたね。私はまだ22歳。
田舎の家は長男のお嫁さんをもらうときに建て替えをして、大きくてきれいでまるで旅館のようだった。
出てきた料理は、寿司の盛り合わせ、それはわざわざ私のために遠くまで買いに行ってくれたのだろうけど、枝豆や茄子の漬物、山菜の煮物、おかあさんの素朴な料理がおいしかった。
結婚します、と言ったら、お|義兄さんは、今はお金がないんだ、と困ったように言った。妹の結婚式、家の建て替え、自分の結婚式と、大きな出費が重なった。田舎の結婚式は盛大で、妹の嫁入り道具にもお金がかかった。次男に出す金は残ってはいないのだ。
それは構わない。親の援助は受けずに結婚式をあげ、マンションを買った。それは夫の自慢だ。ローンを完済した。今のような低い金利ではない。
おかあさんは孫が産まれたときに来てくれたけど、田舎の村からほとんど出たことがない人だった。
夫が上野駅まで迎えに行き、帰るまで、ひとりでは外に出なかった。
あなたは、私たちの小さなマンションの話を田舎に帰ってから親戚たちに自慢したという。
当時はまだ周りにマンションは建っていなかったし、田舎ならなおのこと。新築でオール電化で便利できれいだった。家具も買い揃えたばかり。
あなたは田舎に嫁ぎ、5人の子を育て、田畑を守り60歳前に亡くなった。次男の嫁が私で安心してくれたかしら? だったらいいけど。
5人の子どもたちは皆親思い。
もう少し長生きしてくれたなら親孝行ができたのに。
私は結婚前からずっとこの街に住んでいます。あなたが1度だけ来た街に、あなたの息子はもう50年も住んでいる。
あなたが自慢してくれたマンションも、今では築40年を超えた。
田舎に帰りたい、と言ったこともあったけど、私たちはこの街で生きていきます。
去年久しぶりに墓参りに行きました。もう、あなたの歳をとうに超えた私たち。
また、会いに行きますからね。
◇
あなたの子ども5人にもいろんなことがありました。おにいさんは今は人工透析。
あんなにきれいであなたが磨いていた家はもうボロボロ。
お嫁さんは悪い人ではないのだけれど、掃除や片付けや家事が苦手。
ふたりの孫は、男の子で喜んだけど、ひとりは独身でもうひとりは離婚した。
それに、下の妹ふたりも離婚した。
あなたが生きていたら嘆いたでしょうか?
こんな時代になるとは思いもしなかったでしょうね。でも、今や離婚は珍しいことではありません。
私も妹たちが羨ましくなる時があります。あなたの息子は、この私だからやってこられたのよ……
でも、まあ、危機はあったけど、ここまでくれば、大丈夫かな……
去年久しぶりに帰った実家、あなたが掃除していた家は何の手入れもされず、雨漏りがして床が抜けそうだった。
私たちは久しぶりの実家に泊まることもできず、ビジネスホテルを取った。
おにいさんは痩せて杖をつき、別人のよう。
墓参りに行った。
あなたの息子は、仕事で指を切って労災が降りたとき、私には何の相談もしないで立派な墓石を買った。
その墓は草ぼうぼうで……
皆、悪い人ではないのだけれど。
近くの妹も、おかあさんが生きてる頃はしょっちゅう孫を連れて来ていたのに、今ではほとんど付き合いがないという。
夫はあまりの家の衰退にショックでね。
家の前の畑はゴミ捨て場になっていたし。
今、うちのベランダにはプランターにトマトや茄子が成っている。毎日座って眺めているわ。
田舎に帰りたかったのね。
行けばいいのに。しばらく行って来ればいいのに。
173 短くても
1862年に『レ・ミゼラブル』を出版したヴィクトル・ユーゴーは、疲れを癒やすためか海外旅行へと旅立つ。
しかし一流の小説家といえども本の売れ行きは気になるもの。海外から出版社に宛てて、彼は手紙を送るのだった。
出版社に届いた手紙を開いてみると、便箋の真ん中に
「?」
とだけ書かれていた。ユーゴーの伝えたかったことを瞬時に読み取った出版社は、同じく便箋の真ん中に
「!」
とだけ書いて返信をした。
たった一文字の中に、
「本の売れ行きはどうだい?」
「順調に売れています!」
といった会話がなされていたのだった。
(ネタになる面白い雑学より抜粋)
✳︎
投稿サイトの文字数規定。
『小説家になろう』
種別:『短編』、『連載』
本文:『200 ~ 70,000文字以内』
『カクヨム』
種別:『なし』
(ただし検索設定によると、短編~2万文字、中編2万文字~8万文字、長編8万文字~)
本文:『1~ 不明』
『アルファポリス』
種別:『ショートショート』、『短編』、『長編』
本文:『1~ 100,000文字以内』
『小説家になろう』では、本文が1文字だと『200文字以上必要』であるため、「文字数 (空白・改行含まない):1字 文字数が足りません」……と警告が表示されるそうです。
✳︎
衝撃の三文字小説『オレオ』がカクヨムに投稿されたのは、2016年3月6日でした。その後間もなくして、にわかに脚光を浴びるようになり、2016年3月12日時点では、カクヨムのSFランキング3位、2016年3月15日時点では、同2位に浮上しています。
最低文字数制限が一文字以上というカクヨム仕様の欠陥を突かれて、本文に「オレオ」とだけ書かれた小説がついにランキング1位になってしまったようです。
つまり、『本文が3文字』でも……『短編小説』なのです。
(衝撃の3文字小説オレオの謎、を参考にさせていただきました)
サイトは1文字でも保存できるが、さすがに投稿する勇気はない。
0文字では保存できない。無文字の小説は無理か……
ジョン・ケージの『4分33秒』という曲がある。
1952年に作曲した曲で、ケージの作品の中で最も知られており、音楽に対するケージの思想が最も簡潔に表現された作品でもある。
楽譜では4分33秒という演奏時間が決められているが、演奏者が出す音響の指示がない。
そのため演奏者は音を出さず、聴衆はその場に起きる音を聴くことになる。
演奏者がコントロールをして生み出す音はないが、演奏場所の内外で偶然に起きる音、聴衆自身が立てる音などの意図しない音は存在する。
沈黙とは無音ではなくて
「意図しない音が起きている状態」
であり、楽音と非楽音には違いがないというケージの主張が表れている。
聴いたことはないが……演奏 (?)のあと、拍手するのかしら?
なんて思っていたら動画がありました。
先日、某サイトの『4分33秒』という作品を開いたら……
ずうっと白紙
最後に句点が。
ああ、私がやりたかった〜〜
174 どんな時も慌てるな
『どんな時も慌てるな。慌てると動きに無駄が生じる。無駄はすなわち隙となる。状況に惑わされずに常に冷静であれ』
あるファンタジー小説から。
戦う場面が多い。何気なく読んで通り過ぎてまた戻った。誰かと戦うわけではないが……
メモに書く。
戦う相手は自分自身。歳を取り……老いていく……歳を重ね、動きが緩慢になっていく自分自身。
ゴルフレッスンから帰り、狭い玄関でゴルフバッグが傘立てをひっくり返した。バッグに傘が1本くっついてきて取れない。手提げバッグからは水筒をつかみそこねて落ちた。足のすぐそば。当たらなくてよかった。
この間もホットカーペットの角のスイッチに足の小指をぶつけ、まだ靴を履くと痛い。履かないわけにはいかないし。
時期が過ぎたのにホットカーペットをしまわないのは、孫たちが来てうるさくするからだ。
うちは4階。下には、おばあちゃんよりもっとおばあちゃんが住んでいるのよ、ドタバタ跳ねないで……
一軒家に住む孫たちはわからない。
思えば、階下にはかなり気を使いながら3人の子を育てた。住んでいるのは口うるさいご婦人。ピアノの音がうるさい、と乗り込んできたこともあった。当時我が家にはまだピアノはなかったけど。音は不思議な伝わり方をするようだ。
そのご婦人も今では押し車を押している。ひとりで歩いているところは最近は見ない。この方は自転車には乗らなかった。私もなるべく歩くようにしているが、歩いていても衰えていくのか? 詳しくは知らないが。
まだ仕事をしているので頭の中もイメージして動かねばならない。それが、忘れるから困る。先日も入浴させたあと……服の用意を忘れていた。ごめーん、と謝って済む方でよかった。バスタオルを3枚掛け居室に走る。
投稿の内容なんて考えていてはいけない。反省!
携帯のパスワード、パスコードを1度で正しく打てない。年寄りの指は乾燥しているから? 年寄りは『触れる』タッチが苦手で『押して』しまうのだとか。表紙を開いてしまうことも多い。触れているつもりなのになぞっているから (スワイプ)、ややこしくなる。
買い物に行けば買うものを忘れる。思い出せない。メモに書いてもメモを忘れる。携帯のメモに打てばいいのに。
家にいても無駄な動きが多い。取りに行って忘れる。意識をすれば違うのか?
料理をふたつ、同時進行できなくなった。焼きながら炒める……無理だからひとつ消す。
シフォンケーキの種を10分で作り、オーブンに入れた腕は健在か?
慌てるな、と夫は言う。
オレになにかあっても慌てるな!
慌てたのは母が50歳で急死した時。
夫の両親が続けて亡くなった時。
娘が食器棚に頭を突っ込んだ時。
娘が心臓の手術をした時。
犬を看取った時。
父は認知症で長かったので、慌てることはなかった。夜中の電話に慌てることはなかった。
慌てません。なにかあっても。
でも娘がバセドウ病かも……?
残念、しこりもあるって。
本人は慌てない。笑って言う。
なるべく起きませんように。地震も事故も病気も……
大震災の時は (震度5強)、店で割れたガラスなんか掃いてて、店長に怒られた。
「なにやってんのよ!」
頭に売り物のセーター被せられて非難した。
状況に惑わされずに常に冷静であれ!
175 どんな水?
8年前、近くにできた介護施設で働き始めた。資格はないので周辺業務。配膳、洗い物、片付け、シーツ交換等。歳なので短時間。朝7時から3時間。
始めてみると過酷な現場。若いときでもこれほど動かなかっただろうと思うくらい。
それに……死を間近で見る。
病院に搬送されて亡くなる方もいるが、看取り介護もある。
最初は看取りというものがわからなかった。見た目はしっかりしていた。食事のときは起こして連れてくる。
しかし、食べない。
食べなければ餓死する。
「おなか、すかないんですか?」
「ええ、今は」
品のいい女性だった。いつも自分は最後でいいから、と手のかからない方だった。
調べた。最期のときは……
食べないから死ぬのか、死ぬから食べないのか?
この方は夜中誰にも看取られずに亡くなった。しかたないのだ。夜勤はひとりで20人を見る。夜勤の職員も気の毒だった。
隣の部屋の男性は、ひとり暮らしの時は、虫と排泄物でひどい状態だったらしい。施設は新築のひとり部屋。
タンスの上には、なぜか仏像がたくさん。
ある日、この方がトイレを汚した。杖をついて自分でトイレへ行けるが、90歳を過ぎている。この方は食事を摂らない。
食べるのは息子さんが買ってくるコーヒー牛乳と甘い煎餅。食べたい時間に部屋から出てきて杖で床を叩く。
私はコーヒー牛乳と煎餅を2枚出す。食べると杖をついて部屋に戻りベッドに横になる。朝食のパンはジャムをたくさん塗ると、ほんの少し召しあがるときもあった。おかずと味噌汁は手をつけない。それでいて悪いところはなかった。
入居者はほとんど便秘だ。2日、3日、4日、はい、薬をなん滴。はい、浣腸……。
そのときのトイレはホラー映画のようだった。職員は着替えを。私はトイレ掃除を頼まれた。床と壁の3面に散らばっている……。どうすればこんな惨状になるのだ? ホラー映画のようなトイレの汚れは恐ろしい血ではないが。
時間をかけて掃除をした。最低賃金より少しばかり高い時給。この労働の対価は?
この方も、看取り介護になった。
様子を見にいくとお水を求められた。
職員に、ボトルの水を持っていくように言われたので、コップに入れて渡した。看取りなのにしっかりしていて、ご自分で飲んだ。
そして怒り出した。これじゃない、と。
ひどい暴言を吐かれた。
「水、わからないのか?」
この方が話すのを聞いたのは
「煎餅、ちょうだい」
それだけだった。
一方的に怒鳴った。看取り介護の男性が暴言の嵐。夫にもこんなに怒鳴られたことはない。
「わからないのか、いい歳してッ?」
わかりません。なにを怒っていらっしゃるのか……
「水だろ、それは」
とは、さすがに死にゆく人には言い返さなかったが。
だいたい、この方がコーヒー牛乳以外を飲むのを見たことがない。
職員に伝え、時間だから私は帰った。死にいくひとに腹をたててもしょうがない。
きっと、欲しかったのはボトルの水ではなかったのだろう。
どんな水を飲みたかったのだろう?
176 箸が転んでも
高校を卒業して就職したのは、生命保険会社。本社勤務の事務職。
通勤に1時間以上かけて新宿まで通った。
いい時代だった。勤務は9時10分から4時半まで。給料は毎年1万円くらいずつ昇給した。7年務めたけれど、辞めたときは初任給の倍近くなっていた。
ボーナスは30代の妻帯者の公務員より多かった。年金はまだボーナスからは引かれなかった。月々の年金額は最初は千円ちょっと。
あ、消費税はなかった時代。
いい時代だった。社内預金の金利は8パーセント。でも、男女の給料の差はあった。長く勤めるほどに。それを不思議とも思わなかったが。
ああ、土曜日は休みではなかった。12時まで。たった3時間のために新宿まで出るから、帰りはランチに買い物とか映画とか。
福利厚生も充実していた。運動会には芸能人が来た。宿泊施設も全国にあった。
配属された課にTさんがいた。課長代理42歳。妻帯者。お子様も。
課長はTさんと同期の東大卒の方。
部に3人の東大出の男性がいた。部長はやり手だった。貫禄があり、怖かった。課長と、主任は……ただ勉強ができただけ、という感じ。
課には高卒男性もいたが、人望と学歴は別……なのね。出世はわからないが。
Tさんは同期の課長に対等に口を利いた。上に媚びず、皮肉屋で、ブラックユーモアが得意だった。
まだ明るかった18歳の私を、
「箸が転んでもおかしいんだな」
と笑った。
あの頃話題になった『O嬢の物語』を観に行こうか、と冗談を言った。
私は24歳も年上のTさんに、すぐに惚れてしまった。コピーを頼まれれば嬉しかった。食堂で近くに座れば嬉しかった。
もう、態度に出ていただろう。
財形貯蓄が発売されると、猛烈に忙しくなった。システム部の若い男性とTさんは、しょっちゅう言い合いをしていた。
発売後しばらくは残業した。やってもやっても終わらない。男性は皆、寝不足。
短大卒の女性がふたりいたが、責任感は皆無だった。
私ともうひとりの高卒の女性が帳簿を任され、夜の9時まで残ったこともあった。
東大卒の課長は早々とお帰りだ。仕事を把握していたのだろうか?
あの頃は鉄道のストライキがあった。電車が動かないと、私は通勤できずに休んだ。3日の休みは辛かった。
毎日電話をかけ、Tさんの声を聞いた。
Tさんに会えないのは辛かった。
仕事中、母から電話が来た。初めてのことだ。取り次いだのはTさんだった。
父が仕事中、倒れて救急車で運ばれた。
病院を何度も聞き返す私のそばに、Tさんはいてくれた。
早退し、タクシーのが早いからと、玄関口に呼んでくれ、着いてきてくれた。
そこまでだったが。
父は胃潰瘍で手術したがすぐに回復した。
生活は変わらなかった。
私はまた残業した。好きな人がいると、残業も楽しかった。
忙しくて、Tさんが痩せていって心配だった。忙しくても一向に痩せない私が、
「羨ましい」
と言うとTさんは笑った。
部の女性は皆痩せていた。私は標準体重より少しだけ太め。化粧も口紅だけ。タバコも吸わなかった。 (当時は二十歳前の女性が吸っていた。かっこよく)
母がお供え餅を乾燥させ、揚げ餅を作った。大量に揚げたかき餅を、職場に持っていくとすごい人気だった。
「おかあさんが、作ってくれるなんて幸せだね」と、Tさんが言った。
あの頃は、年始には振袖を着ていくものがいた。
3年目の年初め、ちょうど成人式の私は、着て行くはずだった。
見せたかった。Tさんだけに。
なで肩、寸胴、首が長い私は着物美人……のはず。色白、黒髪だし。
ひとこと、なにか言ってくれたら……
まさか、馬子にも衣装とは言うまい。
ところが、それはできなくなった。
母が亡くなった。
心不全で突然のことだった。
告別式にTさんが来てくれた。
私は太めの体に似合わない喪服を着て、焼香の間、座っていた。
悲しみはまだ湧いてこなかった。あまりに突然だったのと、葬儀の支度に追われていたから。
もちろん初めてのことを、父と私の2人でやらなければならなかった。
家に戻った母の体にカミソリをのせたり、お団子を作ってくださいなんて、葬儀屋さんに言われて、あたふたしていた。
焼香を終わり、Tさんが私の顔を見た。
瞬間、私の目から驚くほどの涙が湧き出た。悲しくて泣いたのではない。あの反応はなんだったのだろう?
後にも先にもあのときだけ……
Tさんも驚いたようだ。
少し席を外し、あとを追いかけた。
Tさんひとりではない。
Tさんひとりだったら、抱きついていたかもしれない。
抱き寄せてくれたかもしれない。
いや、太めの体はコンプレックスだったから、ありえない。
ふたりはすぐに帰った。
数日休み、会社に行くと、同僚は慰めてくれた。強いね、と言われた。
また、忙しい日々だ。
父とふたりになった私は、家事をやらねば、との気負いがあった。情けないことに、それまで、炊飯器も洗濯機も使ったことがなかった。
朝、朝食を作った。時間がない父は熱い味噌汁に水を足して飲んで出かけた。
本社ビルの地下には本屋もあって、料理の本を買った。
本社には3年いた。
4年目は、家事と両立するために、家から近い営業所に異動願いを出した。
忙しい仕事を放棄したのだ。
恋ともいえないものを放棄したのだ。
もう、箸が転んでも笑わなくなった。
Tさんも、上司とはうまくやれなかったようだ。奥様が体が弱いとかで、転勤もせず、お客様相談室に回された。
177 孫のピアノ
昨日の夜は早く寝た。だって、疲れて疲れて……
本当は、楽しい事なのだろう。
時間にして3時間弱。
それは昼間のことだったのだけど、
「もう、勘弁して〜」
と言いたくなるのを我慢して、最後まで付き合ったから、お尻が痛くなった。
夫も途中寝るかと思ったけど、最後まで……
年に1度のことだから気合いがすごい。
あれは、雰囲気が大事。
自分は『上手』だと暗示をかけるの。
練習してきたのだもの。テクニックというか、指遣い。
でも、左手、強すぎ……ぜんぜん良くないのに。
楽器がいいから、強くしないで! と言われたでしょ?
すぐに忘れるのね。しょうがないか、一生懸命なのはわかる。
がんがん、がんがん、攻撃的で、良さがわからない。
大事なのは気持ちでしょ?
もっと、優しく弱く……弱くするのって難しい?
もう、不完全燃焼!
昨日は孫 (女の子)のピアノの発表会に行った。
おととしの5歳くらいから習い始めたが、先生の言うことを全然聞かなかったらしい。すぐに辞めてしまった。
幼稚園でも、教室を飛び出し水たまりで遊んでいた子だ。
3歳児検診で
「お名前は?」と聞かれて、おもちゃで遊んでいた。何度も「お名前は?」と聞かれ、「お名前は?」と復唱した。
発達障害グレーゾーンだとかで、そういう教室にも通っていた。
次の先生は……
1度頼まれてピアノの送り迎えをして、レッスンを見ていたことがある。
大きな邸の優雅な先生。グランドピアノに素敵なテーブル。
その上で塗り絵やシール張りで指を柔らかくして、ピアノに触るのは短時間。
これで上達するのかと思ったけど、楽しそうに弾いていた。
昨日は7歳の孫の初めてのピアノの発表会。
おチビちゃんが30人。
4分の1は女の子。皆ドレスにティアラみたいなカチューシャ。まるでドレスの品評会。
孫は入学式のを着せると言ってたのに、ネットで4000円で買ったというブルーのロングドレス。
薄いブルー。
不思議にピンクのドレスを着た子はひとりもいなかった。自分で選ぶのだろうか? ピンクは人気ない?
真っ赤がひとり。あとは、薄いグリーン、ブルー、イエロー。
男の子はベストにネクタイ。
ひとりだけ半袖のボーダーのTシャツの普段着の男の子がいた。曲は、なんとかブギ?
1番目立っていた。
パパ、ママ、ジジ、ババは花束やプレゼントを持ち、かわいいかわいい、うちの子は、孫は。
演奏は下手でも。
この中で3年後、5年後続けているのは何人いるだろう?
それに、下の子がじっとしているわけがない。おしゃべりな5歳の女の子を宥めてあやして〜ホールの外に連れ出して……
そういえば、うちの次女も上ふたりとは歳が離れているから、静かにさせておくのが大変だった。
「おなかすいた、すいたって言うんじゃないわよ!」
と何度も言ったのに (あの頃の口癖だった)
「おかあさん、おなか〜」
と大声。私が、怖い顔で睨むと、
「すいてないっ!」
あの子も一児のママになった。姉妹なのにあの子は今は70キロ超え。
夫がふざけて、
「少し痩せろ、怪獣」
と言うと、孫は健気に言った。
「これはね、怪獣じゃないの。ヤマトくんのママなの」
息子のために、痩せなさい。
長女は孫と連弾。
長女は体型を保っている。
ピアノもうまかった。7歳の時にはふたつ上の長男を追い越してバイエルも終わっていた。
あの頃はバイエルも分厚い上下2巻。今は何冊にも分かれていて、そのたび本代がかかるのだ。
孫は、弾きながらこっちを見た。すごい余裕だ。よく、スーパーのピアノで弾いているという。
ソロのあとは連弾だ。パパ、ママとの連弾が結構いた。この世代は弾ける確率が高いのか?
習い始めて7か月というパパもいた。娘と連弾できるなんて! 嬉しいだろうな。
私もピアノを習い始めたのは、連弾してみない? と先生に勧められてから。
最初は楽しいのだ。
仕事に忙しかった夫は、子どもたちの発表会にもほとんど来られなかった。
今になって、「ピアノ、よく買えたな」と言う。
なぜ買えたかって?
食費を切り詰めたのよ。金をかけずに手間ひまかけて。
切り詰めても誰にも気づかれず。娘は安い砂肝の唐揚げをステーキより高いと言うと信じていた。
夫は孫の写真を撮り動画を撮り、嬉しそうだった。
私は……小学生ばかりでがっかり。ほとんど低学年。短い曲ばかり。
連弾の最後に、高校生くらいの男子が出てきた。妹との連弾だろうか?
この子は、ネクタイを緩めてかっこよかったあ。ソロで聴きたかったな。
ピアノはスタインウェイだそうです。
178 子どもって
孫が2歳のときに、
「頭が痛い」
と言ったら、
「おばあちゃん、気のせい」
と返された。タイミングがよくて笑ってしまった。
おしゃべりな男の子。次から次に新しい言葉を覚える。
すべて親の真似か? YouTubeか?
もうひとりの女の子はずいぶん心配した。3歳でもあまり話さず、私が「帰るね」と言っても顔も見ない、反応がなかった。
娘はずいぶん心配した。
3歳児検診で、おもちゃで遊んでいるところに名前を呼ばれ、反応なし。
対面して
「お名前は?」
と聞かれて、
「お名前は?」
と、返したそうだ。
それで、発達障害、グレーゾーン。
幼稚園の他に、週一でそういう施設に通った。そのたび私は下の子の子守り。
そこにはトランポリンがあって、楽しかったらしいが。
幼稚園では、教室を抜け出し園庭の水たまりで遊んでいた。教室には鍵をかけられた。
娘はことあるごとに悩んでいた。
うちに来るとおもちゃで遊びながら、
「アメにもまけずカゼにもまけず……」
と暗唱していた。幼稚園で聞くらしい。
「イチニチにゲンマイニゴウと…………
そういうヒトにわたしはなりたい」
詩を丸ごと、なん度も繰り返した。
年長になると、ずいぶん落ち着き、褒められた。
この子もおしゃべりになった。しつこいくらいに聞いてくる。
お化けの話。八尺様の話。YouTubeで観ていて物知りだ。
私が、口裂け女の話をしてやると何度も聞いてくる。
今は小学校1年生。この間は、
「おばあちゃん、人間を1番殺す動物はなに?」
動物? 熊か、ライオンか、少し考えた。
「蚊」
「正解」
蚊は動物か? 動物の血を吸うが。
そもそも蚊ってどんな生き物? 蚊は生物学的に分類すると、甲殻類、昆虫類、クモ類を含む「節足動物門」の「昆虫網」のうち、触覚が胸より長い特徴を持つ「長角亜目」の「カ科」に属します。
これ、今度会ったら教えてあげよう。丸ごと覚えるかな?
動物園の飼育員がライオンに殺された、とか、熊が人を襲った話をすると、何度もしつこく聞いてくる。
これでは、女の子の友達と話が合わない……と、娘は心配する。
おまけに、爬虫類が好きでよく生物園に行く。
蛇といえば、息子が田舎に行ったとき、木に青大将がいた。すぐに逃げてしまったが、息子はもう1度見たくて、ずっと木の前に立っていた。
蛇といえば、娘の旦那のお姉さんが2匹飼っているそうだ。娘は行きたがらないか、孫は大喜び。
ペットブームの中、蛇をペットとして飼う人が増えている。蛇は、犬や猫と違って鳴かないし、散歩の手間もかからないことや、餌も頻繁には食べないので餌代などもあまりかからない。
そして長生きなので、一緒に過ごす時間が長いことなど、ペットとしての魅力が多い生き物でもある……よく見るとつぶらで可愛らしい目をしていたり、じっくりと付き合うことで飼い主になついてくれたりと可愛い一面もあり、蛇の魅力に引き付けられる人もたくさん出てきている。
エサは冷凍マウスを丸呑み。
娘の家に来ると、庭をほじくりミミズをタッパーに入れてお持ち帰り。
息子が小学校低学年の時、よく友達を連れて来た。ホットケーキを作ってあげたら、喜んで、お皿まで舐めていた。
「ママに作ってもらえば」
なんて、言ってしまった。だって、ホットケーキミックスだもの。
後日、その子に言われた。
「ママ、暇じゃないんだって」
179 思い出しちゃった
【お題】 うねる前髪
このお題で、なんにもひらめかないで、眠って起きてふと思い出した。かわいいあの子のことを。
見事な金髪。伸びるの早くて全体ウネウネ。なにしろ、カットは高いから、人間様のカットより高いから滅多に行けない。伸びに伸びて前髪は眼を塞ぐ。ゴムで結んだけと不器用でごめん。
あ〜あ、画像見たら、みんなテディに見えちゃう。
病気と戦って偉かったね。まだ、6年? もっと経ったかと思ってた。
2階のあの子も年取って、今、問題になってるよ。家人がいないとずっと吠えてる。明け方いないんだね、あのおじさん。
ずうっと、吠えてるんだ。苦情が出るくらい。
それに、エレベーターで粗相はするし、なにしろ大きな犬だから、量もすごい。エレベーター乗る時は息を止めるよ。
飼い主も歳だからね。ひとりぐらしなのかな? あのおじさん。
この間の総会でも問題になってて、理事長が注意をしに行ったら、
「始末しろっていうのか」
と、言われたらしい。
このマンションの住人も皆年取って、あなたをかわいがってくれた隣のおじさんは認知症。娘さんに怒られてるよ。
夜、外に出て行って、帰り道がわからなくなるんだ。そのたび娘さんは警察に迎えに行くんだろうね。
下の怖いおばさんも、もうヨボヨボ。歩くのも大変そう。総会には必ず出てきて文句言ってたのに、滅多に見なくなったよ。
なにより驚いたのは、2階の奥さん。デイケアに通ってる。まだ70代だろうに。病気したのかな? ぜんぜん覇気がないの。旦那さんも杖ついてるし、ひとり息子はどうしているんだろう?
その隣の2階は、うちの下の下。この間、大々的にリフォームしてた。リノベーションだね。羨ましい。70過ぎてリノベーション。老後資金もたっぷりあるのかしら? ねたましい。
最近ジャパネットたかたの船旅10日間ていうのを、テレビで観て、行きたくなっちゃった。
あなたがいる時は、旅行も考えちゃったけどね。今は、暇はあってもなかなか、ね。そうこうしてたら動けなくなっちゃうよね。
あ〜あ、目が冴えちゃった。明日仕事なのに。もう、朝2時間だけにしたけどね。もう、ばあさんだから、仕事も減らしたの。
そうそう、コロナっていうのがあってね、長いマスク生活が続いたのよ。
その間、全然風邪ひかなかったのに、ひと月前からおかしくて、内科行って、耳鼻科も行ってきた。副鼻腔炎だって。鼻が……変。
でもね、家事は旦那がやってくれるようになったよ。暇持て余してるから。昨日は、海老とイカも入れた豪華な八宝菜。
でも、塩分制限しないといけないから、味は超薄味。私は健康診断しばらくしてないわ。
冬にはまた孫が生まれるから、手伝い行かなきゃ。海のそばなのよ。
海に1度連れて行ってあげたかったね。
180 雨だった
雨だ。土砂降りだ。つくづく雨女。ほんとに雨女であることを証明した。
コロナ禍でずっと行けなかった義兄の見舞い。ここ数年で人工透析になり心臓手術もした。会いに行こうにも、来てくれるな……と。
ようやく会えるから、計画した東北旅行。
でも、たぶん、雨…‥だとは思っていたけど。
老夫婦の旅行は金をかけない。泊まるのはビジネスホテル。
でも、国道6号線ずうっとはやめて。ま、隣で寝てるからいいか。
雨、雨、雨。
そういえば、去年行った松島も雨だった。大昔に行った松島も雨で、カッパを買った記憶が。
7月に行った九州は線状降水帯で、ずっとニュースが流れていた翌日だった。
一緒に行った姉が晴れ女だったから対決!
車に乗ると雨。打ち付ける雨。降りると止む。
グラバー邸も阿蘇山も高千穂峡も湯布院も、熊本城も観光するときはぴたりと止んだ。
そんなバカな。
三陸沿岸道路も雨。もう、降りて観光どころではない。ホテルに直行。
ビジネスホテルは夕飯がない。
雨の中、空腹で歩いて探した。見つけたのはどこにでもある居酒屋のチェーン店。
私はいつも梅酒を1杯。自分の作ったものと比較をする。これっぽっちでこの値段か。
次の日も雨混じり。夫が立てた素晴らしいプラン。日本列島を右端からほぼ左端まで横断した。あるのは、山々、ときどき道の駅。紅葉でもしてたら素晴らしいだろうに。
ようやく着いた夫の実家。義兄は杖を付き90キロあった体重が58キロに。週に3日、次男が病院の送り迎えをする。仕事の合間に。
義父は義兄が嫁をもらったときに家を建て替えた。広くて立派で羨ましかった。
結婚式も盛大だったという。
半世紀近く経ち、家は手入れもされず床は抜けそう。雨漏りもするとか。
隣近所も高齢者ばかり。子どもたちは家を出ると戻らない。年寄りがひとりで住んでいたり、家だけそのまま残り、荒んでいく。
畑には背の高い草が生い茂り、義母が小豆まで作っていた場所はゴミ捨て場。
孫の中学は生徒3人に先生がふたりとか。
しばらく話し、墓参りに行った。小雨が降る。熊に気をつけろ、と脅される。
父母が眠る立派な墓石は、夫が金を出した。
まだ若い頃、マンションのローンに車のローン、親の援助などなく生活に余裕はなかった頃の話。
夫は機械で指を切った。ほんの少し切り落とした。
労災から金がおりた。私には内緒。
夫は墓のためにその金を使った。自分が入ることはないだろうに。
入れるのかな?
イオンで買ってきた花を備える。
子どもが5人。孫が10人。ひ孫が10人。
無限の人を並べたる不滅の列。
あれやこれや 171〜180